たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

石の不思議 <「蛇紋岩」庭石加工で肺がん>とアマゾン川の「清流」に触れて

2017-12-26 | リスクと対応の多様性

171226 石の不思議 <「蛇紋岩」庭石加工で肺がん>とアマゾン川の「清流」に触れて

 

まだ新しい車のシートの影響で首筋当たりからずっしり重い荷物を持っている感じで、痺れも残っています。そんな状態でも仕事があるとそれなりになんとか終わらせています。今日もようやく終わりました。刑事事件の接見もあるのですが、今日はちょっと避けようかと思います。

 

そんなわけでいつも以上に新聞も書籍も読む元気がありません。とはいえよくしたものでTV番組は楽しく見ています。録画していたグレートレース<絶景アルプス・トルデジアン330Kmイタリアも感動ものので、参加者すべてに感謝したい気持ちで一杯です。とてつもない痛みに耐えながらも笑顔を忘れない姿は私自身の痛みにもいい影響を与えてくれました。

 

たしか痛みは脳の中のある細胞が作用して、頸椎や腰椎などの形状変異があるかないかと関係なく痛みを記憶していて、その恐怖から動かなくなり余計に悪化するともいわれていますね。その痛みの実態を映像で何度も患者に見せると、自然に痛みが緩和することが多くの事例で証明されているようです。私の痛みの場合はこのレース参加者の、とくに日本人の笑顔には感謝、感謝でした。

 

もう一つ、録画していた<驚き!地球!グレートネイチャー「神秘!黄金大河の謎を追え~南米 アマゾン~」>は、私の個人的な体験と共鳴して、気分を良くしてくれました。

 

番組最初にアマゾン川中流の大都市、マナウスが登場したのですが、私もたしか37時間くらいかけてここに降り立った記憶があります。そして番組で紹介された不思議の白色と黒色の二つの流れが続くアマゾン川、その真ん中で私は面白半分に飛び込んだら底に危うく引き込まれるような恐れを感じたことを思い出しました。私は二つの合流地点の真ん中に飛び込んだので、黒色の方が重いと感じ、黒色の川ネグロ川に吸い込まれそうになったといままで思っていました。

 

ところが、番組では比重はネグロ川の方が軽いので、実のところは白濁したようなアマゾン本流の中で引き込まれそうになったのですね。

 

このネグロ川、実は透き通っていてとても澄んでいるので、きれいなのですね。番組ではその理由を求めて源流に向かって遡り、砂浜でその原因を解説していました。白く輝く砂浜、とてもきれいですが、生き物がいないのです。花崗岩が細かく破砕され、石英が微粒子となって堆積していたのです。それは微生物も棲めないわけで、当然ながら葉っぱも分解されず、水も透き通っていますが、プランクトンも発生しないから、魚介類をはじめ生態系的に単純で貧相ですね。ただ、茶渋のように、長年水に浸っているので自然にタンニンが溶け出し、赤茶色のような川の色になるのですね。

 

花崗岩は地球上に多く分布していますが、ところ変わればこういう形態もあるのですね。そういえばボルネオ島のニア洞窟でしたか、以前訪ねたことがありますが、やはりそのそばの川は赤茶色でした。当時は違法伐採で水質が汚濁しているのかと一瞬思ったのですが、その周辺は全面ホタルが敷き詰めたように輝くのです。微生物などがいない川のそばでホタルが生息するのも不思議と言えば不思議ですが、当時はそのホタルの群生(これは日本では見られませんね)に感激した次第です。

 

ここまで書いてきて、首は重たいものの、意外とやれるなと、自分自身、感心しています。それはきっとあのグレートレース参加者の熱い、そして信じられないような傷みに耐える気力に感化されたのかもしれません。

 

そろそろ本題に移ります。

 

今朝の毎日記事は<造園業者石綿労災「蛇紋岩」庭石加工で肺がん>と柳楽未来記者が蛇紋岩からアスベストが飛散し、長年庭石作業をしていた男性が労災認定を受けたことを報じています。

 

これは驚くべき事実ですね。

<蛇紋岩は北海道から九州まで広く分布し、石綿を含むことが多い。資源エネルギー庁によると、近年は採掘量が減っているものの、10年前の2007年には国内で年156万トンが採掘され、セメントの材料や石材として流通している。石綿そのものの使用は労働安全衛生法で禁止されているが、蛇紋岩の使用は認められている。>

 

蛇紋岩の利用は場所によっては相当広範囲で行われているように思います。むろん庭石業者のように業として扱う人は少ないかもしれません。

 

というのは当地にやってきて蛇紋岩を含む緑色岩が割合多く産出してきたようで、石垣や庭石によく見かけます。緑色片岩が多いかもしれませんが、私自身、この違いもよく識別できるわけでないのと、アスベストの含有という点ではまだ研究が十分でないと思われることから、注意が必要かなと思うのです。

 

私自身は緑色片岩を加工することは、素人的には無理があり、すぐにあきらめ、単純に庭石として配置する程度で遊び心を満喫してきました。ちょっとした石垣や、階段にも使えるので便利です。

 

大きな蛇紋岩だと、クレーンが必要かもしれませんが、緑色片岩だとわりあい簡単に割れそう(実は割ったことはない)なので、持ち運びも人力でOKかなと思うのです。

 

すぐに脇道に入りますが、蛇紋岩は見た目に雰囲気があるので、庭石としてはそれなりに評判がいいのではないかと思うのです。その意味では多くの庭石業者、職人の健康調査を検討することも考えて良いかもしれません。

 

いままで想定してこなかった蛇紋岩からのアスベストの飛散という事態は、これまでもアスベスト被害の発見、拡大の経過から見て、油断できないと思います。

 

一時間近くタイピングをしてもなんとかなりました。少し自信がうまれてきました。

今日はこの辺でおしまい。また明日。


痛みに思う <痛みの原因はなにか、どう対処するか、そして話題の貴の岩関について一言>

2017-12-25 | 医療・介護・後見

171225 痛みに思う <痛みの原因はなにか、どう対処するか、そして話題の貴の岩関について一言>

 

ここのところ久しぶりに首の具合が悪く、考える気力が少し弱まってきています。実は車を買い換えたのですが、どうも私の慢性的な頸椎症や腰椎症に新しいシートとネックレストが合わないようです。車自体は快適に、しかも静穏に走り出し、気分がいいのですが、このシートのためにどうも調子が悪いのです。車を乗ることはわが国の道路環境ではとても好きになれないうえに、体調が悪かったので、あまり遠距離ドライブはしたくない状態が長く続いていました。

 

いい医師にであい、体調が回復し、ハンドルを持つときも痺れを感じることなく、またパソコンのキーボードも次第に長時間たたくことができるようになっていました。それが新しい車でいっぺんにおかしくなりました。いままでボルボのシートがぴったりとあって、とても気持ちよく首も腰もリラックスできていました。ところが、こんどは痛くて仕方がないのです。車に乗るのもせいぜい20分くらいがいまのところ精一杯でしょうか。降りた後もずっしり肩に重みがかかったような、おかしい状態です。

 

かかりつけの医師に相談した方がいいかもしれませんが、長く調子がよく、車の買い換えの直前もみていただき、調子の良さを話していて、予約もずっと先です。もう一人の医師は来月ですが、突然だと、長時間待たないといけないのです。今日アマゾンでネックパッドを注文し、明日届けば少し改善するかもしれないと期待しています。

 

そんなわけで、このブログの継続も少しピンチとなりました。手の痺れも少しでてきたのと、首の違和感は昔からの慢性的なものが復活しそうな予感です。今日、先日書き上げていた千日ブログを内容とする年賀状を印刷したばかりで、これを出した後、休止宣言となってしまうかもしれません。とはいえ、パソコンに向かわなければ、痛みとか全身にかかる重荷感は弱まるので、少し工夫をすれば、なんとかなる状態かなと、四半世紀以上をともにしてきた痛みに聞いています。

 

で、今日は網野善彦著『列島の歴史を語る』がとても興味をそそる内容なので、この一端を私なりの見方で紹介してみようかと思ったのですが、とても頭が重くて働きません。

 

手の痺れも少し危うい状態です。こういう状態、なかなか現代の医学で症例として診断するのは難しいように思うのです。最近交通事故で依頼を受けた脳髄液漏出症もそうですね。そういえば貴の岩関の症状、具体的な内容がわかりませんが、医師の診断書のうち、2枚目には「髄液漏出症の疑い」でしたか、そんな記載が公表された上、その医師が相撲に差し支えない程度だと相撲協会に回答したとかで、これも公表されてましたね。

 

たしかにお相撲さんは公的な存在でもあり、協会に監督権とか一定の権限があると思いますが、病気の症状についてはやはり個人のプライバシーにわたることですから、その同意を得ていないと思われる状況で、開示するのはいかがなものかと思うのです。

 

それは別にして、前にも少し書いたような気がしますが、貴の岩関がずっと休場し、その後も稽古にでていないということは、仮病でないことは確かではないでしょうか。協会の安易な医師の回答と称する内容で、誤解を招いているおそれがあるように思うのです。

 

かりに髄液漏出症であれば、めまい、立ちくらみ、頭痛、耳鳴り、視覚障害など、多様な症状がでて、とても相撲をとれるような状態でありえません。ただ、外見的には一見すると普通に健康ではないかと思いますし、画像診断を含めさまざまな検査でも希少な専門医でないと診断がつかないおそれがあります。だいたい、この診断名も、以前は減少症とか低圧症とか、いろいろな名称で呼ばれ、多くの整形外科医や脳外科医などはこれを認めてこず、現在も、厚労省が認めたこの診断名すら知らない人もいるくらいです。

 

貴の岩関がどのような医師にかかっているかが問題かもしれません。仮に漏出症であったとしたら、その画像診断ができる医師は全国的にも限られるといわれており、この症状に効くブラッドパッチ治療を施術できる医師も限られるので、マスコミ監視の中で容易に適切な治療を受けられていないおそれすらありますね。むろん、貴乃花親方は、顧問弁護士もいるでしょうし、医療分野にも多方面に情報をもっているか、その情報を持つ人が身近に大勢いるでしょうから、私のような心配は杞憂でしょうけど。

 

どこでまちがったのか、本題から離れてしまい、いまから本題に戻るほどの元気もないので、今日は本題を毎日記事の<<ユコウ(柚柑) 土の中で完熟>と<あおそ 老樹に実る幻の柿>を読んで、から冒頭の見出しに最後に変えました。

 

痛みがそろそろ危うくなってきましたので、今日はこの辺でおしまい。また明日。


食と農の絆 <『食と農のコミュニティ論』を読みながら>

2017-12-24 | 農林業のあり方

171224 食と農の絆 <『食と農のコミュニティ論』を読みながら>

 

食と農、あるいは農業のあり方、この種のテーマを対象にした書籍は毎年のように出版されているように思います。マスコミでも結構取り上げられていますね。

 

私自身も、時折考えることもありますが、実際に自ら関わっていないこともあるせいか、どうも地に着いた議論に近づきません。いろいろ書籍を読んで勉強していますが、道通しという感じでしょうか。

 

この磯井崧・松宮朝編著『食と農のコミュニティ論―地域活性化の戦略』もそのような文献の一つです。

 

きちんと読破していませんので、つまみ食いの感じですが、そこで紹介されている事例はすでにマスコミでも紹介されたり他の文献でも紹介されているものも少なくなく、目新しいとは言えないかもしれませんが、なにか感じるものがあり、ここで一部をとりあげようかと思います。

 

宮崎県綾町の事例では、「『自然生態系農業』と循環システムの原型」として紹介されています。綾町の環境保全型農業は日弁連でも以前から調査して紹介してきました。私はこの調査には参加していないので、おおよそは理解していますが、この文献で改めて感じることがありました。

 

照葉樹林は少なくとも西日本というか関東地方まで続く日本の代表的な樹林ですね。林野庁の拡大造林政策の中で、これらの伐採が繰り広げられ、用材として有用な針葉樹に取って代わってしまい、現在日本の森林率の高さを誇る人工林となっているように思います。そんな中、綾町の郷田町長が反対した結果、中止になったというのです。その代わり、世界一規模の吊り橋「照葉大吊橋」の建設をはじめ、自治公民館、「自然生態系農業」の推進、等々の独自の事業を展開したそうです。

 

照葉樹林帯は関東にも今なお残っていて、たとえば東京湾の入り口、観音埼灯台のある公園は見事な照葉樹が鬱蒼としています。これが縄文時代以来の原型に近いのではないかとこの中を散策しているときよく思ったものです。それは日本人?の原風景の一つかもしれません。それを残した綾町の人たちの叡智は誇るべき事でしょう。

 

「ユネスコエコパーク」へ登録

この内容はよくわかっていませんが、本書によれば、2012年に登録されたとのこと。いわゆるコア、バッファー、トランジションのゾーニングをして、保護と活用により人と自然の共生を目指すプログラムと言うことは一般に言われていますが、具体的な中身はここでは紹介されていないのと、地域コミュニティとの関係も明らかではありません。

 

白神山地などでは、このようなプログラムにより、地域コミュニティとの連携が必ずしもうまくいっていないともいわれることがありました。それはこのプログラム自体の周知性や地域特性に合った具体的なゾーニング、利用規制が共通の理解に至っていない段階であったのかもしれません。

 

自然生態系農業として、有機農業の循環システムが取り上げられています。

いまゴミの収集が当たり前のように思うのは都市住民だけでなく、田舎の住民でもほぼ同じ感覚かもしれません。

 

本書では取り上げられていませんが、綾町では伝統的な焼き畑が続いていますね。かなりの傾斜のある山肌で焼き畑をしている様子をNHKだったか放映されるのを見たことがあります。照葉樹林が周りにも生い茂っていた記憶ですがはっきりしません。照葉樹林の中での焼き畑は、まさに縄文時代の農業の典型ではなかったでしょうか。焼き畑による農産物の供給という自然生態系のバランスで生み出す食を大事にしたいと思うのです。

 

私は四半世紀前、御巣鷹山事故からしばらくして、上野村を訪れる機会が何度かありましたが、そのときタクシーの運転手から(秩父駅から有効なアクセス手段)以前はゴミの収集なんてなかったよという言葉を聞き、あっそうかと思いました。ゴミになるものがないのです。食べ物の残りも利用されていました。衣食住のどれをとっても最後土に帰るまで利用されるのが当たり前だったのですね。むろんし尿はもちろん、家畜の糞尿も重要な肥料源でした。廃棄物として環境に有害に排出されることがなかったのですね。

 

それがいつの間にか、田舎でも、生ゴミ収集が毎週のようにあり、焼却場で焼却され、処分場で埋立処分されているのですね。し尿は便利な公共下水道なり浄化槽なりで、これまた一定の処理が行われるものの、結局は環境に排出され、一定のリサイクル利用という名目はあるものの、本来的な肥料価値の利用はされないままですね。

 

家畜の糞尿も同様に、有害臭などが嫌われ、コンポスト利用もかなり限定的ではないでしょうか。

 

そんな中、綾町は行政指導で、生ゴミと牛糞による堆肥化を実施して、利用されているようです。これが有機肥料として収益源となるほどの事業化ができているのかは、本書からはっきりしませんが、期待したいと思います。

 

よくいわれる、有機農業の生産者と消費者のネットワークが確立しないと、高いコストと余分の時間をかけて生産しても、消費者がその付加価値を理解して購入してくれないと、この循環利用は成立しませんね。

 

綾町の多彩な食料品について、本書ではあまり具体的な言及がなかったので、これは別の文献を引用して取り上げるのも何ですので、食と農がうまく今回扱うことができませんでした。

 

本書では、アンケート結果でうまくいっているといった内容となっています。経済的な面での収支も大事ですが、心のケアとか数字に表れないものをいかに評価するかという視点をどうくみ取るかも重要でしょうね。

 

もう一つ、奈良の柿を通じた農商工の連携の話しを取り上げようと思ったのですが、ちょうど一時間となりました。今日はこの辺でおしまい。また明日。

 

 


私は何ができるか <『国立景観裁判・ドキュメント17年』発刊を記念して>

2017-12-24 | まちづくりと環境保全

171224 私は何ができるか <『国立景観裁判・ドキュメント17』発刊を記念して>

 

今日、会社員の方でなかなか時間がとれない人の相談を日曜日ですが、行いました。それで事務所に行くといいことがありました。郵便受けにレターパックが入っていました。宛名が手慣れた文字で私の事務所名と名前が書かれてあります。驚きました。私が書いたのかと思ったほど私の筆跡にそっくりなのです。

 

私の名前は少し珍しく書き慣れた人でないと、うまく書けません。誤字は当たり前。全然別人の名前で手紙が来ることも珍しくありません。ところがこの宛名を書いた方、とてもこなれていて、よく見るとわたしよりずっと上手でした。うーっとうなってしまいます。

 

と関係のない話になりましたが、景観問題を担ってきた人は、昔はたいてい60代が一番若く、70代、80代が多かったように思います。当然、万年筆や毛筆で育ってきた人です。きれいな文字を書くように義務教育課程で強く指導を受けた年代ですね。それが景観問題と直結するわけではありませんが、景観美を考える人には文字の上手な人も多いような印象をもつのは偏見でしょうかね。

 

さて、本題に移ります。レターパックの中身は、上記の書籍が3冊入っていました。この種の裁判闘争などでは、事件終了後に闘いの意義を世に問うため、関係者が出版することがあります。この書もその意味ではそのひとつです。

 

ただ、この書籍は、この裁判自体が特異なものであること、そして賠償責任を認めた司法的決着に対して、多くの市民が<私は「上原公子」>と名乗りを上げ、その賠償金のためのファンディングに自主的に参画したというかつて経験したことがない運動をとりあげています。

 

私自身は、裁判には名前だけで、弁護団の議論にも集会にも参加せず、遠くで気持ちだけ応援していた儚い存在です。実は弁護団の主張は、よく議論された説得的なもので、私の出る幕などなかったというのが本当ですが。ま、景観論が大きな争点でなかったことから私も遠慮していた部分もあります。

 

このファンディングには最後の方で知り,呼びかけ人の一人となり、一応の金額を寄付する程度で、もし残るようだったら、さらにと思っていましたが、私のようないなか弁護士が出る必要がなかったようです。

 

でも上原さんに賠償金4556万2926円を命じる判決も現在の司法実態ですが、それに対し、上原さん個人に弁済させるのではなく、上原市長の言動こそ真の民主主義と考え支援する上原基金により第三者弁済により対処する、いわば「見直し司法・民主主義」(変な表現ですが私のいま考えた造語)を実現したといえるでしょう。勝手連の市民たち、そして<私は「上原公子>を名乗った市民たち、みなさんすごいことをやりとげたと思うのです。

 

上原さんは一人の市民で、国立市にある住宅に転居した新参者の一人です。ただ、その環境を愛し、それから国立市の成り立ち、歴史を一生懸命勉強して、その環境を守り社会福祉を充実するため市議に、その後市長になった人です。

 

この書籍は行政・司法の対応に不満や悩みを持つ人に明るい希望を与えてくれるものと思います。私のところに三冊も送られてきたので、2冊は寄付するつもりです。

 

皆さんも少しでも関心があれば読んでいただければ思います。

なお、著者ではありませんが、私のところに連絡いただければ、私からの連絡で、税込み1404円のところ、著者割引価格1000円で送料無料で送ってくれるそうです。よろしくお願いします。

 

 


「山のきもち」その6 <「ほっとする社会」へ新たな倫理観>

2017-12-23 | 農林業のあり方

171223 「山のきもち」その6 <「ほっとする社会」へ新たな倫理観>

 

山本悟氏の『山のきもち』しばらくお休みしていました。今日もあまり時間がないので、なにか簡潔に書けるものはないかとふと思い出し、中身の濃いのをどう薄めてみようかと失礼な発想で書き始めました。

 

山本氏は上記の見出しで、多くの事例を紹介しています。中にはすでによく知られたものもありますが、私も初めて接する情報もあり、参考になります。ほっとする社会とはなにか。他方で、過重労働や負担増でうつ症状になったり、さまざまな心労を抱えている人は少なくないと思います。労働現場で充実した一日を過ごせている人は限られた人ではないでしょうか。そういう人であってもある日突然、目の前が真っ白となってしまうかもしれません。

 

衣食住がそれなりに充足している日本人の現状、不安はどこかに潜んでいるのでしょう。そんなとき「ほっとする社会」として新しい形の「森林業」あるいは「山の生業」なりが育てば、次々と病院周りしたり、病院で長時間待っても結局改善の方向が見られないといった状況から脱することができるかもしれません。そんな場所として山が病気を治し、あるいは健康維持に役立つ、あるいは生きがいを感じるところになるかもしれません。

 

さて、山本氏が取材した多くの事例、いくつか紹介していきます。

 

「筑波山麓で道普請プロジェクト」

山の中に道を作る、階段を作る、想像できますか。私も簡単なものにチャレンジしましたが、大変です。それを子どもたちが担うというのです。

 

一部引用します。東京農大の「宮林教授が、農大の学生を引き連れ、丸太階段づくりや古木の伐倒の仕方を子供たちに指導している。

樹齢80年を超えるスギとヒノキの混合林。作業は弁当をはさみ、午前と午後に続けられる。スギの木に絡みついた、太さ10cmもあるフジヅル切りには、男児や大人たちが喜々として打ち込むが、女児はそこまで成長したツルの生命を絶ち切ることに戸惑いを感じ、ノコギリを止める。スギを守るために切るべきか、否か。女児にどう説明するか。子供も交え、皆が考える。自然を守る、とはどういうことか。大人も子供も、自然から宿題を課せられる。」

 

森は生命が一杯です。それぞれと直に触れあい、その生命を感じながら、ツルを切る、木を切るなど、命との対面を感じることが大事だと思います。できあがった社会、それを構成する施設・設備の中で生きていると、いかに数々の生命体の屍の上で自分たちが生きているかすら感じることもできなくなっているでしょう。

 

このような体験は一つのきっかけでしょうか。私の子どもの頃は日常的であったように思うのですが、現在はロボット社会でも生きていけるのではと、つい思ってしまいますが、人間という生命体は本来脆弱なものと思います。ちょっとしたことで生命体の秩序が崩れてしまうのではと思うのです。そんなとき、森の中でなにかを体験すること、それだけでも心の秩序を安らかにして平温を保つ方向に一歩踏み出すことができるのではと思うのです。

 

「グリーンインフラ」

「グリーンインフラは、自然の恵み(生態系サービス)の中でも、防災・減災機能を重視し、インフラ整備に役立てる考え方だ。例えば、海岸線に設けた防災林が津波の威力を減退させ、湿地が洪水被害を軽減する機能などを活用し、コンクリートなどの人工物によるインフラ(グレーインフラ)の代替、もしくは補足する社会資本の整備のことをいう。」

 

東日本大震災の時、コンクリート堤防が破壊され、被害が拡大する中で、松林は全滅することなく、ところどころで残り、とりわけマサキはしっかり残り、多くの家財が引き潮で流されるのを止めて最後の救いとなったそうです。

 

こういった木の力を利用するインフラ整備は多様な場面で検討されても良いでしょうね。でもここから山とどう関係するかですが、それは宮脇昭氏指導の「森の防潮堤」も一つの有力な選択ではないでしょうか。

 

細川護熙氏の「鎮守の森プロジェクト」もそのような趣旨の考えで行われているように思います。私も一人の参加者として寄付をしています。ほんとは現地に行って作業すればいいのですが、最近は遠出はとても苦手になっています。それではほんとの自然を満喫できないですし、やまのきもちも理解できないことになりかねませんね。

 

「循環型林業」

この考え方はある種熱帯林の焼き畑農業と似ていますね。20年くらいのサイクルで毎年のように焼き畑を行った後に裁判して収穫した後は、転々と別の区画に移り、それを循環するのです。一回りした頃には焼き畑した場所は地力も回復していて、焼き畑に適するそうです。

 

同様のことを北大?の演習林で四半世紀以上前から行われているのではないかと思います。東大演習林もそれに近いやり方ではなかったでしたか。演習林の中を見学させてもらったことがありますが、まさに原生林のようなすごい迫力を感じました。どろ亀先生の指導のたまものでしょうか。

 

で、山本氏が紹介している事例は橋本さんという個人林の山です。

「橋本さんは、101haの山林を持つ、専業林家。銀行を退職し32歳の時に先代から、「一利を興すより一害を除く」の言葉とともに林業を継いだ。収益に走るのではなく、支出を抑え永続性を優先させる。橋本林業の特徴は、自然との調和を重視し、自然の力を借りる林業経営を基本にした、長伐期の優良大径木生産だ。自然から学ぶ路網整備を心がけ、1 ha当たり300mの密度を誇る。全国から視察があり、第1部の鳥取県智頭町の自伐型林業講習で講師を務めた橋本忠久さんは、橋本光治さんの長男だ。小型パックホーと2トシダンプ、ブオワーダといった最小限の機械で、忠久さんと2人でヤマを守る。」

 

これだけだと循環型がわかりにくいですが、次のようなことが持続性・循環性を意味しているようです。

「年間生産量は250m³で、毎年10haずつ施業し10年間でヤマを回す。年収は2人合わせて400万円~600万円。頑張れば年収は当然上がるが、良質なヤマを後年に残すため、無理はしない。臨時に資金が必要になった時は、通常より多く伐り出す。ヤマは、預ければ利子が自然に貯まる貯金でもある。」

 

このような山林全体の循環性もあれば、同時に一定の土壌空間の中での循環性も意味するのでしょう。少し長いですが引用します。

「林の中で気づいたことだが、地面に倒れ朽ち果てた大木がやたらに目立つ。接地面から野菊が薄紫色の花を咲かせているものもある。作業の邪魔にならないのだろうか。聞けば、意識的に放置しておくのだそうだ。片づけずに残しておくことで、落ち葉とともに微生物が分解してくれ森の肥やしになっていく。落ち葉が分解されて作られた腐葉土は土になり、ミミズが地中を這い回って土を耕し土中に酸素を供給する。地中の根がそれを吸って木も元気になる。

動物たちも、やがて森の中で命をまっとうし、バクテリアなどに分解され土に戻っていく。その土はまた、木々を成長させ豊かな森を育むのだ。枯れた老木は、死すのみではない。朽ちていく過程で、それまで溜め込んだ二酸化炭素をゆっくり放出し、その二酸化炭素はほかの木々の光合成の材料としても吸収され、森の若木を成長させる。橋本さんの森は、物質循環と生命の循環の輪が回る。森では動植物や微生物まで全員が主役だ。各自が、豊かな森を維持していく役割を担っている。多様性豊かな森林には多様な生物が活躍し、その豊かな自然の力は経済林をも育てる。」

 

こういう山を育てるには、橋本さんのような心構えが必要なのでしょう。

 

さらに大規模に専業林業を行う速水林業も紹介されていますが、これはいつかもう少し詳しく扱いたいと思いますので、別の機会にしたいと思います。

 

「環境保全型林業」

こういった名称は四半世紀前は聞いたことがありませんでした。当時は熱帯林大量伐採で、世界中で抗議活動がいわば武器を持たないテロ的様相で行われていたと思います。その結果、違法伐採や持続可能性のない伐採は抑制され、他方でFSCなどの森林認証を受けないと伐採・輸出などができなくなり、その後は無茶苦茶な伐採も減少したと思います。

その森林認証は、環境保全の役割を担うので、わが国でも多くの伐採企業体が取得するようにな

 

そろそろ一時間となりました。今日も中途半端となりましたが、これにておしまい。また明日。