たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

海外調査の意義 <地方議員の海外派遣が復活>を読みながら

2019-02-13 | 議員の役割(国会・地方)

190213 海外調査の意義 <地方議員の海外派遣が復活>を読みながら

 

今日は午前中、銀行である口座取引調査をした後、和歌山で仕事を終えて6時前に帰ってきました。産経記事を引用した<ゴーン被告、弁護人を「無罪請負人」弘中惇一郎氏に>が目に飛び込んできました。大鶴氏は元東京地検特捜部長の肩書きがあり、検察OBでも捜査実務に長けた方としてゴーン氏は弁護人に選任したのでしょうか。捜査段階での弁護活動として期待外れであったのか、あるいは公判での弁護方針をめぐって意見が対立したのでしょうか、辞任の背景をあれこれ外野が考えてもしょうがないですが。

 

昔は元検察官OB、とくに検事長や最高検のトップクラスを経験した人は検察ににらみがきくと依頼人の思惑?で弁護人に選任していたように思うのですが、公判審理になると多くはあまり有効な弁護活動をしていないことが記録などで明らかになることもありますね。

 

大鶴氏はどうだったか不明ですが、特捜部長の経験は相当前ですので、弁護活動、とくに公判段階についてはどのような活躍をされるのか注視していたのですが、残念です。他方で、弘中氏は経験も実績もある方ですので、申し分ないかもしれません。保釈請求の不首尾だけで交代させたのであれば、いかがかなと思いつつ、実績を重視する合理的なゴーン氏らしい選択かもしれません。ありあまる資金をもつ(それでも足りないとあくまで高額の報酬を追求する、仏教の精神とは相反するような)ゴーン氏なら、当然かもしれません。

 

ただ、弘中氏にとっても、過去の事件とは異なり、新たな争点も多数あり、事実関係も複雑で、かなり厳しい弁護活動になるのではないかと思いつつ、注目したいですね。

 

さて前置きはその程度にして、毎日の昨夕記事<地方議員の海外派遣が復活 財政難・震災で自粛から 「事実上の観光旅行」と批判>を取り上げたいと思います。この問題は以前もブログに書いた記憶で、多少重複するかもしれません(記憶で書くのでほとんどかもしれませんが)。

 

西嶋正法記者によるもので、<毎日新聞の調査では、全国47都道府県議会のうち、海外派遣制度があったのは00年度は44都道府県議会で、11年度に24議会まで減ったが、17年度には再び32議会まで増えていた。>なぜ11年度に半分近くまで減少したのか、それが再び増加したのか、そこに議会と都道府県民の意識が現れているのかもしれません。

 

その費用と派遣の実態については<1議員が利用できる費用は、60万円(北海道)から140万円(福島県)まで幅があり、14議会は上限額を設けていなかった。派遣制度がある大半の自治体で報告書の提出を義務づけていたが、インターネット上で公開しているのは24議会で全体の4分の3だった。>

 

だいたい費用に上限額がないこと自体いかがなものかとだれでも思うでしょう。上限があるといっても1議員が低いところで60万円、高いところだと140万円というのですから、驚くべき金額です。

 

17年度と思われますが、<派遣費用は、愛知県2624万円▽福島県2599万円▽香川県2095万円――などで総額3197万円だった。>これだと総額だけで、一人いくら何に支出したかが明らかでなく、適正な費用の支出かどうかも判断できませんね。アンケートでそこまで照会できなかったのでしょうか、あるいは回答が総額だけだったのでしょうか。

 

私も昔、日弁連でときどきアンケートづくりをして、地方自治体に照会していましたが、照会事項を細かくすると、答えてくれないということで簡略化することもありましたが、そのあたりはアンケートで二律背反する事柄かもしれません。

 

さきほどの一人当たりの費用についていえば、海外派遣で60万円くらいはかかるとおおざっぱな話は適当ではないと思います。日程や調査先の事情によってはかかることもあるかもしれません。要は費用明細を提出させ、合理的な支出かどうかを自己申告ではなく議員活動をチェックする必要があると思うのです。

 

それは費用の問題以上に、派遣の必要性・合理性の方がより深刻でしょう。維新後の遣欧使節団といった場合、その必要性・合理性に疑いをはさむことはあまり考えにくいでしょう。敗戦後の日本が海外で学ぶ必要性も多かったと思います。では現在はどうかというと、むろん海外の先取的な事例を学ぶ意義はあるでしょう。しかし、議員が必ず現地で見聞しないといけないかとなると、その必要性・妥当性に多くの場合疑問符がつきませんかね。

 

代替手段はいくらでもあります。先見例を実施している専門家をお呼びしてデータをいただいたり、意見交換することで、議員だけでなく多くの公衆が理解する機会を得るメリットは大きいと思います。

 

派遣の成果の取扱も疑問です。

<派遣制度がある大半の自治体で報告書の提出を義務づけていたが、インターネット上で公開しているのは24議会で全体の4分の3だった。>

 

公費で調査するのですから、報告書をネットで公開することは当然ではないかと思いますが、それも4分の1がしていないというのはいかがなものかと思います。また、以前、記事で掲載された報告書では、コーディネイトした業者が作成したものをコピペしたものがあったとかで問題にされていたと思います。報告書の内容もチェックされてしかるべきでしょう。

 

単に報告書を出せばよいということでは議員としての責務を果たしたとは言えないと思うのです。国が地域の個性に応じた政策・制度づくりをすることは不可能であることはすでに四半世紀以上前から指摘されてきたことです。少なくとも地方分権改革があった2000年には、地方議会は主体的な制度作りの担い手にならないと自覚すべきであり、それにあった活動をすべきであったと思うのですが、そのような動きはあまりうかがえません(そういうといや私のところではやっていると言っていただけると、陳謝して参考にしたいと思うのです)。

 

当然ながら、海外調査をして報告をするにとどまらず、従来の制度の見直し、あるいは新しい制度づくりをすることが求められていると思うのです。そうでなければ、わざわざ海外に出かける必要性・合理性がないと思うのです。自分の見聞を広めるためであれば、自費でいけばよいのです。

 

わが国の中央集権的な法制度が邪魔して、なかなか地方分権にそう制度改革ができないといった弁解をするのであれば、それはそれとして、制度見直しの努力をしたこと、場合によっては国の制度の見直しを求めることをも視野に入れた活動を行ったという結果を示してもらいたいものです。

 

ちょうど一時間となりました。最近は地方議員とも交流がないので、現状を知らないまま、書いてしまいましたが、地方行政、地方議会活動がよりよくなることを期待して勝手な言い分を書きました。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


効用とマナー <アクセス 議場で喉あめ、懲罰必要?>などを読みながら

2018-10-21 | 議員の役割(国会・地方)

181021 効用とマナー <アクセス 議場で喉あめ、懲罰必要?>などを読みながら

 

ある行為がもつ意味や評価は時代や社会意識の変化に応じて変わるものかもしれません。常識というものも、漱石が往年に生きた時代に感じたものは、むろん現代では否というものが少なくないことは、あの文豪においても然りでしょうか。まあ漱石さんはそんな常識なんぞという怪しいものにとらわれなかったかもしれませんが。

 

今朝の毎日記事<アクセス議場で喉あめ、懲罰必要? 熊本市議を「出席停止1日」 賛「非常識」/否「いじめ」>では、議場でのど飴をなめながら質問した議員に対して、議場がとった対応について賛否両論で大きく揺れているようです。

 

<昨年11月に生後7カ月の長男を連れて議場に入り、議論を呼んだ熊本市議会の緒方夕佳議員(43)が今年9月28日、本会議中に喉あめをなめながら質疑に立って「出席停止1日」の懲罰を受け、再び議論を巻き起こした。緒方氏は今月、取材に応じて「本質より形式を重んじる一面が出た」と議会を改めて批判した。>

 

議場における質疑応答が活発になったり、政務調査が充実した内容になったりするのを期待するのですが、こういった「議論」で紛糾するのはどんなものでしょう。

 

ともかく事実関係を確認しましょう。のど飴を口に入れ、質疑に立った経緯は次のようです。

<緒方氏によると、せき込むと止まらないため議場に入った時からあめをなめていた。上着に「龍角散ののどすっきり飴(あめ)」を入れていた。本会議開始直後から質問に立ち、約1時間後、自席で二つ目を口に含み、質問する番になってそのまま登壇。話すときに邪魔なのであめ玉を口の中で横に押しやっていた。議員たちが気付き、騒然となった。>

 

のど飴はマナー違反というのは出席停止という懲罰に反発する議員も含めほとんどの議員が認めているようです。でも、緒方氏はおそらく違う考えです。

 

<「飲食はまずいという認識はあるが、せき止めのあめは飲食ではない。前にも一般質問であめをなめ、それをまわりも知っていたはずだ。授乳中で薬を飲めない事情を理解してほしい」と話す。>ま、飲食とは言えないですが、飴を口に入れながら質疑に立つことが議場のマナー違反というのですか(神聖な議場ということでしょうか?)、それがほとんどの議員の考え方のようです。

 

ただ、世論の中には擁護派もなかなかの意見です。<元アナウンサーの小島慶子さんはツイッターでメイ英首相が演説中にせき込み、喉あめをなめるエピソードを引用し、熊本市議会を<ただのいじめ>と酷評。>また、緒方氏自身も、<留学や国連職員などの海外経験を踏まえ「日本には決まりが多く、破れば糾弾され、生きづらい社会につながっている」と嘆く。>ということですから、海外の公式会議での経験を踏まえての言動かなと思うのです。

 

なぜか城島勇人記者は、突然、この文書の後に、<公式の場で断りなくあめを口に入れてしゃべれば、ふつうは常識を疑われる。>そうかもしれませんが、そうでないかもしれません。

 

常識というものは移り変わるものだと思います。たとえば喫煙ですね。いつ頃まででしょうか、議場で議員が喫煙していたのは?最近は見られないですが、質疑しながら喫煙するのが自然であったこともそれほど遠い昔ではないように思うのですが。

 

議場のマナーという意味では、ヤジや反対するときの妨害行為も、国会も地方議会も、恥ずかしい限りです。それに比べるとのど飴を口に含むことなど、さほど重大なことかと思ってしまいます。むろんその会話が聞き取りにくいとか、だらしなく(これも形容に困りますが)のど飴を口にしながら質問するといったことであれば、マナー違反といってよい場合もあるでしょう。

 

なぜのど飴かというの緒方氏の弁解に合理性があるかは一応、確認しておきたいと思います。

<【管理栄養士監修】のど飴の効果はある?ない?風邪対策におすすめの商品10>というのを参考にします。

 

実は私は、のど飴とガムの愛好家?なのです。長距離ドライブのとき両者(特に後者)を愛用しています。ほとんどが裁判所までの往復ですが、さすがに法廷に入る前にはのど飴なら食べ終わらせるか(私の場合なめていても最後はかんでしまいますのでなくなります)、口から出して紙に包んでポケットに入れておきます。これはマナーかどうかですが、そこは昔気質なのでしょうか、別に緒方氏の考えに反対の立場ではありません。

 

まあ通常は医薬部外品のど飴を口に入れるでしょうということで、その場合の効能は<咳止めの効能を持っているものはなく、のどの痛みや腫れを抑えたり、口腔内を殺菌する効果が期待できるもの>ということのようです。

 

ただ、緒方氏の場合風邪で微熱があり、<せき込むと止まらないため>ということですから、こういう場合は医薬品ののど飴であれば<咳や痰、のどの痛みといった症状がつらい場合>に一定の効能が認められていますので、医薬品を選ぶのが本来でしょう。ところが緒方氏は<「龍角散ののどすっきり飴(あめ)」>を上着に入れて、なめていたというのですから、ちょっと健康管理がどうかと思うのです。いや、たしかにこの飴好きですので、私もなめますが、風邪をひいた症状の時に対処するものではないと思います。だからダメとは思いませんが。自身の健康管理上は要注意でしょう。

 

もう一つ、<本会議開始直後から質問に立ち、約1時間後、自席で二つ目を口に含み、質問する番になってそのまま登壇。>ということですが、登壇直前に口に含まなくてもよいかと思いますが、あるいは緊張を緩和させる意味もあったのでしょうか。ま、細かいと言えば細かい話ですし、議場での緊張関係から生まれたものかもしれません。

 

この話のついでといえば、メジャーやサッカー選手などスポーツ選手によるガムをかむ姿について、少し議論があるようです。他方で、ガムの効用については以下のようなウェブ情報があります。

 

ガムによって作り出される唾液の効果>ということで、管理栄養士北川みゆき氏が監修したものだそうです。

<■歯の清浄作用

■美容効果

■顎を強くする

■脳の活性化

■リラックス効果>

 

で、私はこのうち、脳の活性化というのに、なんとなく腑に落ちています。

この具体的な内容は、<ガムを噛むと脳の血流量が増加し、脳が活性化するので集中力や判断力・記憶力が増すといわれています。噛むことによる刺激は認知症の予防にも効果があるそうです。また、脳が刺激されることで眠気の防止にもつながります。>

 

私はドライブ中、長距離になると、眠気を催すことがよくあります。ところがガムをかみ始めてからは(時折のど飴ですが)、集中力も高まり、眠気も起こらなくなったのです。この効用だけは認めます。

 

で、地方議会も、国会も、マナーの細かい話より、もっと大切なことに時間を、頭を使ってもらえないかと期待する国民・市民の一人として、このテーマを取り上げました。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


地方議会の意義 <地方議会 広報紙「議会だより」、議員名示し堂々と>を読みながら

2018-07-02 | 議員の役割(国会・地方)

180702 地方議会の意義 <地方議会 広報紙「議会だより」、議員名示し堂々と>を読みながら

 

早朝、軽やかに野鳥の声が響き渡っています。今朝はとりわけ威勢がいいのです。ヒノキの梢に視線を向けると、ホオジロが2羽少し離れた位置で留まって、お互いが軽やかに鳴いています。つがいなのでしょうか。結構長く鳴いていました。気持ちよさそうです。

 

野鳥も個々に個性を持っているのでしょうね。ホオジロとしか私たちは識別できず、ひとくくりにしますが、それぞれ実際は違うのでしょう。もっと観察を丁寧にしたいと思いつつ、識別能力がないため、なかなかうまくいきません。

 

地方議会の話に移りますが、その活性化を掲げたのはいつからでしょう。最近では?平成12年の地方分権一括法のとき、地方の時代、地方議会が躍進する時代と期待した向きもあったかと思います。私もそんな集まりに呼ばれて少し発言したのを記憶しています。

 

どうも大きな変化もなく、安倍政権になると中央政府のなかでも、内閣府にさらに権力が集中して、いくら地方分権と言っても、中身は抽象的で、実体が伴わない感じです。

 

そんなとき今朝の毎日記事は<地方議会 広報紙「議会だより」、議員名示し堂々と 専門家、活動や発言「オープンに」>との見出しで、<議会広報 質問者名なし>と銘打っています。えっと驚いてしまいました。野鳥の場合は私たち観察者の能力と努力が足りないから、個別識別ができませんが、議会広報では議員側、議会側が議員個人を識別させないようにしているというのですから、これはどういう感覚でしょうと思うのです。

 

橋本市の議会広報では、議員の名前顔写真が掲載されており、質問内容と行政側の回答を併記して、個々の議員の主たる活動分野が一応、分かるようになっています。私はこの程度は当たり前と思っていたのですが、ところが全国的に見るとどうやら先進的な?取り組みのようです。

 

各地の議会の対応については、<自治体の議会が発行する広報紙「議会だより」に、質問した議員の氏名を掲載するか否かで対応が分かれている。全国20政令市議会について調べると、4議会が名前を載せておらず、どの議員がどんな質問をしたか分からない体裁の広報紙もある。こうした中で、静岡市議会は投票率低迷や議会改革を理由に、「議会を身近に感じてもらう必要がある」と、6月発行分から氏名掲載を始めた。>

 

こういった議員名を出さないことに一定の理由があるようです。

<名前を掲載するか否かの判断は各議会に委ねられている。会派名のみを掲載する横浜市は「質問者は各会派を代表している」(市会議会局)と説明する>そうです。たしかに大きな議会だと個々の質問者といっても会派を代表する立場なのかもしれません。しかし、それでよいのでしょうか。

 

この点、<隣の川崎市議会は氏名だけでなく顔写真や選出区名も掲載する。川崎市議会局によると、以前は会派の代表が質問する代表質問の会派名のみだったが、市民から「(個々の議員による)一般質問も」との声があり、2008年から質問者の氏名と写真、11年からは一般質問は選出区名も載せている。担当者は「できる限りオープンにしている」と話す。>

 

結局、工夫次第というか、やる気次第でしょうね。首都圏で仕事をしているときは政令都市や中核都市の議員とは連携していろいろ業務をしていましたが、そういう方はとても熱心な活動をされていたように思います。むろん立場が違えば、違った見方もあり得ますが。

 

しかし、改善の必要はあるでしょうね。すでにその動きもあります。<改善に乗り出した議会もある。静岡市議会は6月分から、代表質問をした議員の氏名や、一般質問に立った議員の氏名と所属会派の掲載も始めた。従来は代表質問は議員の会派名と質問者の顔写真を掲載し、一般質問は質疑応答のみだった。議員数が少ない会派は質問が回ってくる回数が多いため、「名前が出る頻度が高く、不公平」などの意見があったためという。>

 

こういう動きの背景について<議会が動いた背景には、昨年3月の市議選時の過去最低の投票率(41・16%)がある。田形清信議長は「議員が自分の発言に責任を持つことが大切。どんな質問をしたかが分かれば市民も政策に興味が出る」と期待する。>

 

しかし、質問した議員の名前や顔がのるだけでは十分であるはずはないですね。だいたい、議会広報くらいに掲載される質問内容は、ほんのわずかで、議会事務局の編集で、換骨奪胎の場合もあるでしょう。逆に行政側に我田引水されるような内容になっている場合もあるかもしれません。

 

ま、議会事務局としてはそのようなことがないようにうまく編集しているとは思います。しかし、わずかな文字数では議員の個性や活動領域を理解するのは容易でありません。

 

その点、横須賀市などは、ずいぶん以前から議会の審議事項はウェブ上で質疑応答すべて見ることができ、検索も可能だった記憶です。横須賀市全体がネット利用をかなり早くから取り入れていて、航空地図などと都市計画など行政計画や規制をすぐに把握できるものが詳細な宅地一区画ごとに表示できるなど多様な情報提供を20年以上前から行ってきています。

 

私自身は市議会の傍聴をしたことはあまりなく、議員の活動的な部分をよくわかっていませんが、傍聴席が満員になるような興味深い議論や質問をどのくらいできているのでしょうか、少し心配です。

 

北米の市議会はなんどか傍聴しましたが、相当活発に議論していますし、とりわけゾーニングの変更などのときは、傍聴者もすごく多いですね。熱気も違います。

 

議会広報は、名前を載せる載せないも大事ですが、その内容がどうも単調に並べている印象をぬぐえません。むろん議会での審議を反映するものですから、それが活発でなければ、後方で脚色することも無理な話でしょう。紙面の分量の限界は、ネット情報で補えば、量的問題はクリアしますね。もっとネット配信を充実してもらいたいものです。

 

その前提の、審議を充実するにはどうするか、議会の権限を強化することも大事ですが、地方分権の実を上げて、権限強化を図らないと、質疑も充実したものになりにくいと思うのです。と同時に、議員個人のスタッフの増員と能力強化もありますが、最低でも議会スタッフの強化はあってもいいのかなと思うのです。

 

とはいえ、政治活動費の出費とか、調査旅行の現状を見ると、現在の地方議員に襟を正してもらわないと、安易にそういった支出増は住民の支持がえらえないかもしれません。

 

あちこち話が飛んでしまいましたが、議員に頑張って欲しい、期待したい気持ちは変わりませんので、こういった声が届くようなことがあれば、いっそう広報に、そして審議に力を注いでもらいたいと思うのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


海外視察は必要? <岡山県議 海外視察報告書、10人がミスもコピペ>を読んで

2018-01-31 | 議員の役割(国会・地方)

180131 海外視察は必要? <岡山県議 海外視察報告書、10人がミスもコピペ>を読んで

 

今ようやくある会議が終わり、事務所に戻りました。もう業務終了時間ですが、これからブログを書こうかと思います。午後は打合せと会議があり、その内容は結構興味深い物で、これを題材に書いてみようかと思いつつ、うまくまとまるかちょっと気になり、今朝読んだ新聞記事をテーマにすることにしました。

 

今朝のブログで、ついつい日弁連の調査について触れましたが、その後朝刊記事をよく見ると議員の海外視察が一面で取りあげられていました。記事の見出しが「これ区書」というもので、意味不明だったので読み飛ばしていたのですが、実は以前から問題にされてきた議員の海外視察でした。

 

内容の詳細は、毎日記事<岡山県議海外視察報告書、10人がミスもコピペ これ区書、これ区書、これ区書? 11人は「作られ珠緒ので」>を引用します。

 

<岡山県議13人が昨年度に公費で実施した海外視察で、ほとんどの報告書に同じ文章が使われていることが毎日新聞の取材で分かった。共通部分には、インターネット百科事典などと同一の記述があったほか、大半の議員が同じ変換ミスをしているケースも見られた。ネットからのコピー・アンド・ペースト(コピペ)や議員間で使い回しをしていた可能性がある。【竹田迅岐】>

 

この海外視察は、参加者13人で、公費1400万円が使われています。

<岡山県議会の定数は55で、海外視察には▽自民11人▽民主・県民1人▽無所属1人が参加。2016年11月、米国のワシントンDCやニューヨーク市、ボストン市などを10日間の日程で訪問し、視察報告書をそれぞれ県議会事務局に提出した。視察には公費が充てられ、計約1446万円が支出された。>

 

毎日記事は、基本的に、報告書の内容の問題に迫っています。

<報告書は公開されておらず、毎日新聞が情報公開請求で全約1600ページを入手した。内容は▽州や市の概要▽観光施設の紹介▽大使館公使らの講義メモ▽議員の感想--などだった。

 13人のうち11人は「感想」以外の半分以上が同じ文章で、全体的に独自の表現を用いていたのは1人だけだった。また、10人は「コレクション」とすべきところを「これ区書」と記し、11人は「作られたもので」とすべきところを「作られ珠緒ので」と書くなど、同じミスをしていた。>

 

この記事からは、報告書が1600頁もの分量であるものの、参加者一人一人が報告書を作成したようです。そして問題の1点は、2名を除く全員の内容が感想部分以外では、その半分以上が同じ文章となっていたというところに問題がある旨指摘しているようです。

 

感想以外の内容についてもネット情報と同一のものがあったというのです。

▽州や市の概要▽観光施設の紹介▽大使館公使らの講義メモ>のうち、<州や市の概要、観光施設の紹介についてはネット百科事典「ウィキペディア」や旅行代理店のサイトなどと同一の表現が複数見られた。>というのです。

 

参加者の中にはこの事実を認め<「時間の節約になる」と答えた議員もいた。>というのですから、あきれてしまいます。公費負担の意味を全く理解していないようですね。

 

毎日記事は、岡山県議の今回の旅行に限らず、各地で同様の問題が起こっていると事例を紹介しています。さらに返還を命じた裁判例も紹介しています。

 

<海外視察が観光目的だったとして、費用に充てられた政務調査費(現政務活動費)の返還を命じる判決も出ている。東京高裁は17年4月、山梨県議11人が13年にフランスを訪問した際の視察報告書について「視察の必要性や合理性は認められない」と判断。視察に充てられた政調費のうち約550万円を県議に返還させるよう県に命じた。>

 

これは全額の返還を認めたわけではないような記事ですが、裁判所が<視察報告書について「視察の必要性や合理性は認められない」と判断>したのであれば、なぜ全額の返還を命じなかったのか疑問です。

 

さて私がこの問題を取りあげたのは、議員が海外視察をする必要性・合理性があれば、それを公費をかけて実施することは認められてもよいと思いますが、そうでないときはそのような視察は絶対に実施されるべきではないと考えるからです。

 

政務調査費の使い道がない?という理由で、海外視察を安易に決定するようなことはあっていいはずがありません。高齢者には介護・医療費負担、幼児や子どもについては保育・教育費の支援がいまとりわけ高まっている時代です。視察の必要性・合理性を欠くようなものが認められて良いはずがありません。

 

なぜ海外視察が必要か、まずそのことが問われるべきですし、その視察の効果が費用を上回るだけの裏付けがあるかどうかも検討されるべきでしょう。

 

いま海外の情報は、ネットで相当入手できます。英語はもとよりほとんどの言語が翻訳機で翻訳してもらえます(むろん誤りが多いのでチェックは不可欠ですが)。仮に海外視察の必要性が認めれるとしても、事前調査として、このような国内で得られる調査資料をきちんと整理し分析することで、なにが必要な調査かを絞り込みができますので、そのような調査の効率性をはかるための事前準備がなされていない場合、それだけで合理性に疑いをもたれても仕方がないでしょう。

 

その意味で、岡山県議の視察目的がここでは明らかにされていないため、その必要性・合理性の中身について検討することができませんが、毎日記事からはするまでもないように思えるものですね。

 

たとえば<▽州や市の概要▽観光施設の紹介>は、視察目的とどう関係するのでしょう。むろん基本情報として添えることに異議はないですが、この中で唯一ある程度特定されているのが観光施設ですので、観光事業についての視察であればこれも取りあげて良いと思いますが、そうでなければ論外ですね。

 

で現地で入手した具体的な情報が何かですが、毎日記事からは<大使館公使らの講義メモ>が唯一でしょうか。これが視察目的に合った調査先で、その内容が有用な物であれば、この視察自体に一定の合理性もあるかもしれません。しかし気になるのは、たまたま<大使館公使らの講義メモ>とあり、これって日本から質問状でも送れば簡単に入手できるのではと思ってしまいます。ともかく視察目的に適合する必須の人材から具体的なヒアリングができているかが問われるべきです。

 

むろん大使館公使なら一般情報はえられるでしょう。しかし、わざわざ<ワシントンDCやニューヨーク市、ボストン市など>を10日間かけて調査したというのですから、視察目的に具体的に把握している現地の責任者からヒアリングするのでないと、わざわざ海外にでかける意味があるとは思えません。

 

この3市は近いようで、離れています。しかも「など」と書かれていますから、他の都市もあるようですね。この流れだと東海岸の主要都市中心と思われますが、それでも移動時間を考えるとあまり多くの市を訪問する余裕はないでしょう。一つの市で一カ所の視察先を訪ねることで済むのかどうかですが、視察目的の現地体験も必要でしょうから、よほど効率的に移動しないと有効な視察ができないと思われます。

 

ここまでぐだぐだ書いてきましたが、この上がっている3都市に共通するものは見いだすことはできますが、それは目的との関係で微妙ですし、どうも海外視察の目的があまり明確でないということにつきると思うのです。そして視察報告書の体裁も、参加者それぞれが作成するようですが、それは視察団としては有効でないと思うのです。個人的な目的は別途あってもいいですが、基本は共通の視察目的であり、視察先が共通するのですから、その視察による情報は参加者の中で役割分担を決め、全体として編集すればいいのであって、最後にそれぞれの感想を付記する程度が本来ではないでしょうか。

 

で、私がこの問題をわざわざ取りあげたのは、海外視察のルールがないという状況を改めて欲しいと思うからです。岩倉視察団のごとく、しっかりした目的で視察し、その結果は必ずしも遂げたわけではないですが、その後の日本の方向性を明確に示す内容であったと思うのです。当時や戦後もしばらくはそれに近い海外視察には一定の必要性・合理性が当然のごとく認められたかもしれません。しかし、現在は他を学ぶというより、自ら考えていくことの重要性の方が高いと思いますし、海外情報もさまざまな方法で入手できます。時代に合った海外視察としてルール化が必要でしょう。

 

私は日弁連調査になんども参加してきましたが、調査の必要性を十分検討の上、事前調査のうえ、調査先の選択を行い、調査に当たっては事前に詳細な質問事項を準備し、ヒアリングの内容は分担で参加者に割り当て、聞き取りの内容とさまざまな対象についての調査内容をうまく整合性をとりながら、報告書を作り上げることが一般だと思います。これがベストとか望ましいとかとまで言うつもりは毛頭ありませんが、少なくとも自分たちで工夫して調査計画、実施、報告書の作成まで行うのが本来ではないかと思うのです。

 

上記の視察費用は一人当たり100万円を超える金額ですが、仮にお土産代を入れたとしても、東海岸10日間で、異常にかかりすぎではないでしょうか。50万円でも十分豪華な視察旅行が可能でしょう。この費用の内訳を知りたくなりますね。

 

いずれにしても、海外視察を安易に認める時代ではないと思うのです。そういえば大村益次郎は、日本の兵隊組織を西欧式に変え、<事実上の日本陸軍の創始者>とも言われていますが、元々は医者で、適塾で学び、兵学は独学で学んだと思われますが、海外にはでたことがなかったと思います。安易な海外視察は毒にならないかもしれませんが、薬にもならないでしょう。アンチ海外視察ルールをつくってみてはどうでしょう。

 

ちょっと気合いが入りすぎて一時間を超えてしまいました。今日はこれにておしまい。また明日。