たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

人が持つ高い適応力 <社会環境要因の解明を 認知症、10年で2割減>を読みながら

2017-12-27 | 人間力

171227 人が持つ高い適応力 <社会環境要因の解明を 認知症、10年で2割減>を読みながら

 

私の首痛・腰痛は、わずかながら緩和傾向にあります。痛みや痺れを久しぶりに感じるようになり、早速アマゾンでクッションを入手したら、ある程度痛みが和らぐようになりました。

 

そしてふと押し入れ中にあったいろいろなクッションなり、肘痛・頸椎痛などのためのさまざまな痛み緩和装備が眼に入りました。以前どれだけこの種のものを購入して少しでも痛みを和らげようと懸命になっていたのを思い出しました。車シート用はすでに処分して残っていませんので、相当前に車を乗ることでの痛みは薄らいでいたのだと改めて思いました。痛みが遠のくと、忘れてしまうのですね。

 

痛みを感じているくらいがちょうどいいかもしれません。それに対応できる頭の働きが多少残っていることも大事ですが。認知症患者についてさまざまな報道を見ていると、ときに無感情というような状態が取り上げられたりしますね。このブログでも書いた記憶があります。

 

無感情と思える人でも、認知症の患者の特質を理解し、たとえばその視野が極めて狭いことから、上から目線で話しをしても通じないけれど、車椅子の患者に膝をついてその目と目のコンタクトをしっかりして話しをすることで、その人の感性を開く一歩になるとかありました。

 

ところで、今朝の毎日記事では<くらしの明日私の社会保障論 社会環境要因の解明を 認知症、10年で2割減>との見出しで、千葉大予防医学センター教授・近藤克則氏が最近の認知症者(患者とは書かれていませんが、そうかもしれません)の興味深い実態を解説しています。

 

<日本では認知症者の数が増え続け、やがて700万人を超えると予想されている。では同じ80歳における認知症の発症率は昔より上昇しているのだろうか。同年齢で発症率を比べると、実は下がっている。認知症者の数が増えたのは高齢者の数が増えたからなのだ。>

 

いろいろな調査の結果、2割前後減っているというのですね。

 

まず、減らす要因として、近藤氏はまず、<歴史と権威を誇る医学雑誌ランセットに今年、認知症の危険因子に関する論文が掲載された。それによると高血圧の治療で2%、肥満で1%、2型糖尿病で1%の認知症が予防可能だ。>というのです。でもこの比率は決して高くないですね。

 

近藤氏はより重要な減少要因を挙げます。<それ以上に運動不足3%、喫煙5%などの生活習慣の影響の方が大きい。この10年ほどで、運動する高齢者は増え、体力テストの成績は、15年前に比べると、およそ5歳分は若返っている。>

 

運動と禁煙はさまざまな疾病予防策として取り上げられますが、当然と言えば当然でしょうか。ただ、近藤氏はさらにこの点を突っ込み、内在的要因より外在的要因(環境条件)ではないかと指摘します。

 

<これらが本人の自覚と努力次第かというと、それだけではないようだ。スポーツの会に定期的に参加する高齢者割合は地域間で実に4倍も違う。一つの理由として、近くに公園などがある人ほど、運動頻度が高いことが分かってきた。つまり、運動するかどうかは、運動しやすい地域環境かどうかの影響を受けている。たばこ代の値上げや公共空間の禁煙など、禁煙を促す環境づくりで喫煙率が下がるのと同じだ。これらの環境づくりによって、喫煙率が低下し認知症発症率を下げただろう。>

 

近藤氏はそれ以外の社会的要因をも重要視しているようです。

<ランセットの論文によると、疾患や生活習慣よりも影響が大きい予防可能な要因がある。社会的孤立をなくすことで2%、うつ対策で4%、中等教育の未修了をなくせば8%など、心理社会的な要因の影響の方が大きいのだ。日本でも高卒、大卒の人が増えてきた。高齢者の自殺率も低下しているが、その背景には年金制度の成熟によって将来の経済不安が減ったこと、それらによってうつが減ったこともあるだろう。

 10年間で2割も認知症の発症率が低下した理由は、遺伝子や老化メカニズムの変化では説明できない。着目すべきは、社会環境要因の変化ではないのか。そう考えて研究を進めている。>と。

 

そしてこのエッセイの結論というか意図というか、が最後に表明されています。予算配分をその要因解明にもっとシフトするようにということです。

 

<医学や健康に関わる研究といえば、今は生物医学的な研究に多額の研究費が投入されている。せめてその半分くらいは、10年間に2割も認知症発症率を下げた、社会環境要因の解明に配分してもらえないか。研究費さえあれば認知症が少ない社会作りに向け、役立ちそうなアイデアはたくさんある。>

 

そうですね、「iPS細胞」とか、このような研究は極めて重要であることは確かですが、全体として比重が近藤氏が指摘するような生物医学的な研究に巨額の予算が投じられていることは否めないですね。

 

社会環境要因の研究というとなにか地味な印象があり、あるいは医学的な研究ではないとまではいわなくてもマイナーな印象を持たれる傾向があるように思えるのです。疫学的な調査・研究は、医学の基礎であり、エビデンスを獲得したり明確にするには不可欠なわけですし、それを疾病発生後の治療という面だけでなく、疾病予防の面でより重点的な予算配分があると、実のところは費用対効果が極めて高いものとなるのではないかと思うのです。

 

認知症者を認識すること、理解することが、早い段階であればあるほど、その進行を遅らせることができるでしょうし、発症そのものを回避することもできる可能性が高まるのではないかと思うのです。

 

私自身は、高齢者の家族間トラブルを当地に来る前には結構事件の依頼を受けて対応していました。私自身、当初は認知症を理解できておらず、認知症者との意思疎通も、その家族との意思疎通も十分でなかったと思います。次第に注意深く見るようになり、両者のわずかながらの橋渡し役をしてきたこともあります。でもご本人自身が自分でその症状を理解するのは容易でないですし、家族の人も簡単ではなかったですね。

 

そういった認知症を家族間で理解して、どう対応するのが望ましいかを試行錯誤で努力を積み重ねる必要がありますが、信頼される医師がいればよりスムーズになるように思います。医師だけにたよるわけにもいかないでしょう。社会のさまざまな支援が必要ではないかと思うのです。

 

近藤氏が指摘する社会的要因の解明という点では、報道が果たす役割も大きいと思います。いずれこういった健康・医療・介護などに特化した番組放送チャンネルが終日、またいつでも特定のテーマのものを見ることができる、そういう時代になって欲しいと思うのは私だけではないように思うのです。

 

3割借金体質の財政で、医療費・介護費などが飛躍的に増大していることに対して抜本的に有効な施策が講じられているとは言えない状況です。他方で、NHKは公共放送を担うということで、受信料請求の合憲性が最高裁大法廷で認められたわけですが、健康長寿、医療費・介護費削減などの効果が十分に期待される、そういった情報提供を行うことが社会的な使命ではないかと思うのです。

 

そして私たちは、認知症という実際を知ることにより、自分で、あるいは家族なり知人の協力を得て、その発症を回避したり、軽減したりする高い適応力を持ち合わせていると思うのです。それにはまず、きちんと整理された合理的な情報提供が大切だと思います。

 

そろそろ一時間となりました。簡潔に終わろうと思ったら脇道にそれたりして一時間もちました。今日はこの辺でおしまい。また明日。