たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

貧富の差の現実 <プライムニュース 『・・実感なき“景気拡大”』>を垣間見て

2017-06-30 | 政治 経済

170630 貧富の差の現実 <プライムニュース 『・・実感なき“景気拡大”』>を垣間見て

 

今朝はいつもよりさらに早く目覚め、うとうと気分が続かないため、4時台から読書の時間になりました。どうも地形の成り立ちがりかいできないものの、その形状が面白く感じるものですから、地形にかかわる書籍を読んでいるのですが、代表的な地形についての解説はあるものの、どこにでもあるような山岳地形や河川周辺の地形についての詳細な解説をしたものが見つからず、前者の解説書でいまのところ我慢して読んでいます。 

 

今日はのんびりと思っていたのですが、打合せや会議があったりで、もう6時過ぎています。本日のトピックといってもなかなか思いつかず、一昨日のプライムニュースが若干、記憶に残っていたのと、毎日記事のいくつかがなんとなく腑に落ちるものがあったので、鳥下手見ようかと思います。

 

さて、プライムニュースの話題は、以前からときどき取り上げています。毎回ゲストが違う立場で議論し、反町キャスターのリードというか突っ込みというか、切れ味がなかなかなので、お気に入りの番組の一つでしたが、最近は少し遠ざかっていたように思います。

 

今回はたまたま途中から少しの間見たので、正確ではないのですが、プライムニュースはウェブ上で、放映内容を見ることができますから、<『甘利明前担当相に問う 実感なき“景気拡大”』>をしっかりフォローすれば、私のあいまいな指摘も是正できます(なかなかこれを見るだけの気持ちの余裕がないのですね)。

 

で、ゲストが専門家である早川英男氏と中原圭介氏でしたが、それぞれテーマとなっている景気拡大しているという政府の評価に疑問を呈している点では共通していました。そして株式相場が2万円台を突破して景気の上昇を感じるような風潮に対しては、株価は景気とは関係ない、実態を表さないのが現実だと言った趣旨でも共通の認識だったと思います。アメリカの歴史的な株高を踏まえて、その経済がよくなっていないことを白人中間層などの不満が示しているといった趣旨の発言もあったかと思います。

 

どうも昨日でも言及しておけば記憶ももう少し鮮明でしたが、どんどん曖昧になります。いずれにしても株式や景気指標は正確に経済の実態を表していないといったことだったように思うのです。それは私もそのように感じているので、納得できました。これに対し、途中から甘利さんが登場して発言する内容は、表面的な数字を並べ、型どおりの政府の政策を説明するものの、内容が伴わないものばかりで、まだTPP交渉をしていた頃の甘利さんの力強い発言とは異なり、空虚ささえ感じてしまい、途中で見るのを断念しました。

 

で、毎日朝刊記事<健康狂想曲第2章・広がる格差/1 治療費払えぬ「限界層」>には驚くとともに、それが現実だと思わざるを得ませんでした。

 

<医療貧困>という言葉があるんですね。

 

記事はその実態を取り上げています。<「医療貧困ですね。生活には不安しかない」。首都圏の糖尿病の男性(33)は入院中のベッドで寂しげに話す。血糖値がうまく管理できず、インスリン注射を勧められても、金銭的な負担が重いことを理由に拒否。入院も拒んでいたが、右足に壊疽(えそ)が出てきたため、設備業の現場監督の仕事の合間を縫って入院した。

 

月の手取りから借金の返済、光熱費、家賃を引けば残り7万~8万円。医療費が1万~2万円で食費3万円を引くと残りはわずかだ。体に悪いが1日1食で済ませる。

 

借金は糖尿病で全盲となった親から自身が失業していた時に借りたもので着実に返さないと親の暮らしに影響する。生活保護にならない給与水準のため、公的な支援策は何もない。

 

「今の医療は私のような層から金をむしり取る。倒れてみろと言わんばかりだ」と話す。>

 

<健康限界層>という言葉も飛び出してきました。

 

<ワーキングプア層が医療にアクセスしにくい「健康限界層」になっている。伊藤所長は「(医療費が低額な初期に)受診できず、最後は高額な透析治療を受けざるを得なくなる。重い自己負担がかえって医療費を膨らませる」と矛盾を指摘する。>

 

<健康格差>という国民皆保険制度だけでは対応できない状態になっていることも知らされました。

 

<全日本民主医療機関連合会(民医連)が生活習慣病で起こる「2型糖尿病」について2011~12年に全国の40歳以下の782人を調査したところ、年収200万円未満が57・4%、中高卒が62・1%、無職やパートが多く正規雇用が少なかった。合併症の網膜症は中高卒、非正規でより起こりやすいことも判明。経済格差が健康格差を生む実情が明らかになった。>

 

景気拡大という表面的な数字の裏では、その成果をほとんど受けられない貧困状態がスパイラル的に拡大している現状と安倍政権の三つの矢はいずれも届かず、対策も弥縫的でしかないことが問題を悪化しているように思うのです。規制緩和の実効的な策とされる、国家戦略特区も加計学園問題だけでなく、すべてにわたって根本的な構造改革に結びつくようなものでなく、地方や大多数の貧困層には有効策とはなっていないことが示されています。

 

<経済格差が拡大する中で、健康を維持し病気を予防できず、治療にアクセスできない人が出ている。社会の中に「健康格差」が生まれ、広がっている。健康狂想曲第2章では医療、労働、地域の現場で健康格差の実情を明らかにし、解決策を探る。>という毎日記事を期待したいと思うのです。

 

もう一つ毎日記事は<給付型奨学金 来春から本格導入>という見出しで、返済不要の給付型奨学金制度が導入されることによる学校の混乱を取り上げています。残念ながらウェブ情報として掲載されていないので、簡単に概要を指摘します。

 

従来の貸与型の奨学金の場合長期の返済負担のため大学に進学しても経済的困窮が続き、貧困状態から抜け出すことが困難な状況を改善するため、給付型奨学金制度が与野党全会一致で導入された点は評価できます。ただ、対象は一学年約2万人に限定されているということで、その選考が大変なわけですが、それを学校に任されたため、その基準が明確でないこともあって、学校現場では混乱しているというのです。

 

経済的理由で進学をあきらめることがないよう支援する目的ですから、対象は生活保護家庭や住民税非課税世帯、児童養護施設出身者らということですが、それでも候補者は膨大な数になるのでしょう。大阪府の場合貸与型の採用候補者数が約42000人というのですから、全国一とはいえ、全国では相当な規模の候補者数となるのでしょう。

 

それを学校現場で選考するとなるが、教師の役割になるのかもしれませんが、毎日新聞が連載してきた<ドキュメント高校教師という仕事/1 今夜も退勤打刻せず>ではすでに過重労働の域を超えた超長時間勤務状態なわけですから、とてもそんな難解な新たな業務をこなす余裕はないと思わざるを得ないですね。

 

なにか政府の施策は表面的な対応で、現場の困窮した実態に対応できていない対策が空回りしているように思えてしまうのですが、それはうがった見方なのでしょうか。むろん前者の健康限界層もそれぞれの自覚と努力で対応すべき面もありますし、教育現場も教師・生徒・家族も現状を見直す必要があると思いますが、景気拡大という上辺だけの施策に固執するような政府の姿勢が問われているように思うのです。

 

今日はこの辺で終わりとします。


障害者の立場に立っているか <記者の目 東京五輪・パラリンピックに向け>などを読んで

2017-06-29 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

170629 障害者の立場に立っているか <記者の目 東京五輪・パラリンピックに向け>などを読んで

 

今日の午後は、ある事業者の総会に出席、事務局を支援する立場でいろいろ解説したため、多少疲れてしまいました。決算の説明の仕方、事業説明など、事務局としては一生懸命準備して財務諸表の内容に従って説明しようとしているのでしょうけど、参加している人はどれだけ理解できるか、悩むところです。

 

渋沢氏が西欧流の民主的組織を導入したとき、大変苦労したと思うのです。わが国のムラにも一定の民主的な決定システムがすでに一定程度確立していたと思います。ただ、西欧流の会計制度を含め意思決定のあり方などは、西欧的民主主義の手続きを知らない多くは、形だけ手続きを踏んでも理解不能だったと思います。

 

渋沢氏は、一橋大学や日本女子大学など多くの大学の創設にも関わっていますが、男女を問わず理解して物事を合理的に、実酒的に決定することを学ぶ場を用意したのだと思います。

 

さて、会社制度を含め多くの民主的決定による組織ができましたが、はたして今日に至っても渋沢氏が理想とした状態にはほど遠い印象を感じています。その一助にでもと今日は少し出しゃばりましたが、道は遠いですね。渋沢氏が家康の遺訓を孔子の論語から援用したとみていますが、ほんとそう思ってしまいます。

 

さて、東芝とWDのことを書き終えたら、もう6時。今日はこれでおしまいと思いつつ、なんとなく気になっている記事をつい取り上げてみたくなりました。

 

毎日朝刊<記者の目東京五輪・パラリンピックに向け=飯山太郎(東京運動部)>は、するどく現在の東京五輪・パラリンピックが抱えている問題の重要な一つを指摘していると思います。障がい者はいろいろな障がいをもっています。クルマ椅子での移動が可能な方もいるでしょうが、目や耳に障がいがあったり、知的障がいの方もいます。すべてに対応が求められています。

 

ただ、クルマ椅子席は対応としてはわかりやすいですね。私も東京弁護士会のチャリティーコンサート委員を長くやっていた頃、日比谷公会堂を使って2000人近くの参加者がある事業を毎年従事していました。そのとき思ったのですが、クルマ椅子席がありますが、たしか数席分くらいでしたか。多くの場合空席だった記憶です。もう四半世紀近く前でしたので、割合早い取り組みでしたが、はたしてその広報の仕方、席数など、障がい者のだれもが気軽に入れる体制だったかというと、振り返ると疑問を感じています。

 

さてそれから四半世紀を超えた、しかも国家的事業と言ってよい東京五輪・パラリンピックはというと、記事によれば<五輪会場になる座席が常設された既存施設の8割、パラ会場は全てが大会組織委のバリアフリー化の指針を満たしていない実態だった。>

 

ではその指針はというと、<五輪会場の場合は総座席数の0・75%、パラ会場は1~1・2%の車いす席を設けるよう求めている。>と決して高い基準ではないと思います。

 

しかも関係者のリアルボイスでは<障害者スポーツの先進地で、スポーツの普及を担う振興財団が「建前」ではなく、あえて波紋を呼びかねない「本音」を回答した。その背景には、人口の多い首都圏でさえも車いす席が十分に利用されていない現実がある。首都圏にある五輪会場の関係者は「相当数の仮設の車いす席もあるが、仮設が必要になるほど車いす利用者が来場したことはない」と話す。>というのです。

 

さらに<宮城は東日本大震災からの復興という課題も抱えている。仮設の車いす席の整備費は決して安くない。財団の担当者は「震災復興もある中、利用されないかもしれない車いす席に公金を使う必要があるのか。一石を投じたかった」と真意を明かした。>とまさにこの事業の意義自体が問われているように思うのです。

 

飯山記者の熱い思い、<06年に施行されたバリアフリー法は、障害者らの社会的弱者が自立した日常生活や社会生活ができるよう、道路や建物の段差などの解消をうたっている。同法にも、車いす席の割合が定められていないなどの課題はある。それでも私は、法の精神にのっとって、五輪・パラリンピックを契機に、スポーツ施設だけでなく、社会全体のバリアフリー化を進めるべきだと考える。

多様な人々の活躍に不可欠

 その理想の姿が、64年東京パラリンピックの車いすバスケやアーチェリーに出場した近藤秀夫さん(82)が提唱する「クルマ社会」だ。モータリゼーションの「車社会」のことではない。車いすはもちろん、荷物を運ぶ台車やスーツケースの下につくキャスターなど小さい「クルマ」でも、街や職場などを自由に行き来できる「社会基盤」が整えられた社会だ。>はこれからでも間に合う対応ではないでしょうか。

 

私自身、ある障がい者の事件を担当したことがあります。彼は、交通事故により頸髄損傷を受け、手足の機能不全で身体障害等級 1 級の重篤な症状を負ったため、クルマ椅子での移動しかできません。でも彼はリハビリで、自分で特殊改造した自動車を運転することもできます(ただしハンドル操作が自由にできないため狭いカーブ道などは通れないなど当然制約はあります)。手も不自由ですが、なんとかしてPCも操作でき、頑張っています。

 

私が引き受けた仕事は、彼のために新築された家が彼の障がいに対して適切な配慮を欠いていたという事から、建築瑕疵訴訟を提起したのです。床面なども普通だと気づかないのですが、ちょっとした斜面があると、とてもクルマ椅子では安定しないのですが、それが法律上の瑕疵にあたるかというと、従来の障がい者に対する指針でも難しい状況でした。あるいはドアも少し不安定な据え付けですが、普通の人なら、それに対応できるのですが、手が不自由な彼はそのドアの開閉ができないのです。

 

障がい者への対応というのは、それぞれの障がいの程度・内容に応じて異なります。クルマ椅子を使う人でも決して同じでありません。そういう繊細な対応が求められるのです。クルマ椅子席を余裕を持って用意することはもちろん大事です。ただ、それだけでなく、そこへのアプローチについて、数々の配慮が必要だと思います。そういうことに目を向けることがほんとに障がい者とともに生きる社会であり、心優しさを、それぞれが身につけることになるのではないでしょうか。

 

優しさとは、相手の立場に立ち、その微細な問題に通暁して、初めて心づくしができるのではないでしょうか、それが優しさというものではないでしょうか。

 

私が担当した事件は、相手方と和解して、床のフラット化など一定の改善が達せられました。力不足で十分とはとてもいえませんが、少しでも彼の生活がよくなったことと思っています。

 

このような事態は、多くの人が障がい者について無自覚であったり、パターン的な見方をしていることから、生じることが多いと思います。

 

東京五輪・パラリンピックで大勢の多様な障がい者が会場に来られたとしたら、私たち自身がより多く学ぶことができ、優しさを深めることができると思います。飯山記者の指摘は時宜にかなったものです。

 

ところで、昨日の毎日夕刊記事<バニラ・エア車椅子客、自力でタラップ上る…昇降機なく>は、いくら格安航空会社とはいえ、スタッフの意識・対応は節度を逸脱しています。人間性を疑いたくなります。

 

<5日に奄美から関空行き航空機に搭乗する際、応対した空港職員から「車椅子を担いで降りるのは(バニラ・エアでは)違反だった」と言われた。往路同様、知人が木島さんを車椅子ごと持ち上げてタラップを上ろうとすると制止され、木島さんは車椅子を降りてタラップを1段ずつはうように、2~3分かけて上ったという。>

 

その姿を想像すると涙が出そうになります。そこまでルールのために鬼になれる、金のためなら障がいを無視できる、恥ずかしいばかりです。

 

私自身、成年後見など仕事で障がいのある方と接してきましたが、ほんとに心を尽くしてきたかと言われると、自信がありません。でもこういうことは無視できません。つい感情的になったかもしれませんが、今日触れておきたいと思ったのです。

 

7時になりました。今日はこの辺で終わりにします。


東芝迷走か? <東芝 WDを提訴 半導体売却、妨害差し止め請求>を読んで

2017-06-29 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170629 東芝迷走か? <東芝 WDを提訴 半導体売却、妨害差し止め請求>を読んで

 

今朝は小糠雨でしょうか。それでも花たちはたっぷり水分で潤い輝いているように見えます。花に水をやっていると、ちょっとした気づきがあるんですね(無知丸出しですが)。たとえばサルビアの花。去年はたいていのサルビアは上に上にと赤い花びらを伸ばしてくれたのですね。ところが今年はわが家の庭で、その赤い花びらが見えないのです。他方で葉っぱがとっても大きくなっています。以前の3倍くらいはあるでしょうか。それでつい最近どうしたのかなと思いながら、葉っぱの中を覗いてみたら、花の蕾がちっちゃくなって葉っぱの中に埋もれているのです。それも横向きに傾いていていつでも落ちそうな印象。葉っぱに負けているんですね。

 

それで相当数の葉っぱを抜き取ったんです。すると数日もたたないうちに、赤い花が大きくなり、次は房をどんどん増やして、見事なほど大きくなったんです。一つの花でも葉っぱと花は生長を競い合っているんですね。うまく折り合いをつけるかというと、天の配分もあるでしょうし、人間の介入もあって、その競争力は影響を受けるんですね。決して仲良く手をつなぎ合って、ともに成長しようというのは「理想的な?」と思うのは人間の勝手であって、競い合う姿こそ自然の摂理ですか。

 

という人間も、渋沢栄一が「論語と算盤」で指摘しているように、私的欲望追求が資本主義経済で生きる自然な姿とみて、それでは西欧社会に見られるような弊害が生じ、論語の教えを学ぶ必要があるというのですね。日本資本主義の父とも、産業の父とも、いやそれ以上に社会事業家のリーダーでもある、渋沢の発言は重いですね。その解釈にはいろいろな見方があるとしても。

 

毎日朝刊は、第一面で<東芝WDを提訴 半導体売却、妨害差し止め請求>との見出しで、東芝のWD提訴を掲載しています。私は東芝の株式会社としての最低限の義務である株主総会に決算報告できないということも大変な事態です<総会では、株主から「危機感があるとは思えない」と厳しい声が飛んだ。>とのことですが、当然でしょう。

 

WDとの訴訟合戦をする対応を選んだことについてもはなはだ疑問を感じています。とても渋沢栄一が求めた企業家精神を真に育て身につけているといえるとはいえないと思うのです。

 

毎日記事から、今回の訴訟の経緯・内容の概要を見てみたいと思います。

 

<経営再建中の東芝は28日、半導体メモリー事業の売却を巡り、協業先の米半導体大手ウエスタン・デジタル(WD)が妨害行為をしているとして、妨害行為差し止めの仮処分と1200億円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴したと発表した。>これは<WDもこれまでに売却停止を米裁判所に申し立てており、それに事実上反訴した形。>

 

この訴訟合戦は弁護士の発想かどうか知りませんが、企業経営者として妥当な選択でしょうかね。

 

記事を見る限りは法的にも疑問を感じます。東芝の仮処分の申立理由は<東芝は、子会社「東芝メモリ」の売却手続きに関して「WDは看過できない妨害行為を継続的にしている」と主張。WDが「自社の同意なしに売却を進めるのは合弁契約違反だ」との立場を表明していることについて「虚偽の事実を第三者に告知または流布し、当社や東芝メモリの信用を毀損(きそん)した」と非難している。>

 

たしかにWDの売却停止申立理由が「自社の同意なしに売却を進めるのは合弁契約違反だ」ということで、それが虚偽であれば、東芝の主張はもっともと思います。

 

しかし、それなら合弁契約書の当該箇所を開示すればすむはずですね。一般公開が守秘義務違反というなら、株主総会で問題の条項くらい指摘して説明すべきではないでしょうか。

 

<さらに「WDが東芝や東芝メモリの機密情報を不正に取得、利用している」として、WD技術者による社内の情報網への通信アクセスを28日に遮断した。>となっていますが、これも仮処分申立の理由になっているのでしょうか。以前も四日市工場への出入りを同様の理由で禁止していませんでしたかね。それを再び工場立入を再開させていたとしたら、根拠を疑いますし、今回の仮処分理由になりうるか疑問です。

 

ところで、合弁企業については四半世紀以上前にM&Aとかを勉強しているとき、購入した本がまだ本棚に残っていたので少し読み返しました。東芝とWDとの間の合弁契約書がどうなっているのかわかりませんので、いろいろ議論しても机上の空論になりえます。ただ、東芝の半導体事業売却にはどうも釈然としないので、なにかその釈然としない理由が書いてあるかを見ましたが、やはり契約条項の内容や準拠法がどこか(どの国の法律に依拠するか)などわからないので、抽象論になりますね。

 

とはいえ、その本、『国際買収・合弁事業契約書マニュアル』は一般論としてですが、意味があると思っています。

 

ざっと目を通したんですが、「契約の譲渡」という項目があり、「合弁会社契約は、当事者の信頼関係に基づいて締結されるものであるから、合弁会社契約書も、合弁会社の株式と同様に、簡単に譲渡できないように取り決めておくのが原則である。」(157p)と書かれています。

 

当然でしょう。共同して事業を行うわけですから、一方が突然、相手と相談もなく別の第三者に株式を譲渡したり、契約上の地位を譲渡したりすることは、それこそ契約社会の信義に反しますし、渋沢の訴えた精神に悖ります。

 

むろん株式譲渡は自由であるのが株式会社制度の大原則ですから、合弁契約書にその点をどのように配慮しつつ記載されているか気になるところです。

 

なお、WDの裁判前の抗議文に関する記事<東芝の半導体事業売却手続きは「合弁契約に違反」、WDが抗議書簡>がありましたので、参考まで引用します。具体的な条項を指摘しての抗議ではないので、これだけだとなんともいえませんが、上記の一般論からはWDに同意権があるとの指摘は一般的に考えられる条項であり最もな見解と思っています。それに対し、東芝の反論というか、今回の仮処分申立で公表された理由は事実から目をそらしている印象です。

 

WD社のホームページを一応覗いてみたのですが、さほど詳細な情報がありませんでした。ただ、620日付けのプレスリリースでしょうか<WESTERN DIGITAL COMMENTS ON TOSHIBA’S ANNOUNCEMENT REGARDING FLASH JV INTERESTS>では、来る714日の米国裁判所での仮処分審尋手続きでの東芝の対応を期待していると自信満々にも見えます。

 

東芝の立場に立てば、会社の浮沈に関わる緊急事態なんだから、一緒に仲良くしてきたパートナーなんだから、大目に見てよというか、支援してよというのか、そんな気持ちかも知れませんが、監査法人との関係も含め、なんだかやり方が甘いというか、反省にたっていないというか、困ったものだと思うのです。渋沢先生ならなんと言うでしょう。やはり喝でしょうか。

 

東芝はあっち水は辛いよで、わが国での妨害禁止の仮処分という戦略をとったのでしょうか。ちゃんとした根拠があるのなら、米国裁判所で闘った方が世界的企業としては望まれると思うのですが。

 

いずれにしても2兆円に達するような半導体事業の売却をめぐる裁判ですから、訴訟費用も莫大なものでしょうね。こんなことやってていいのでしょうか。今日の株主総会の株主の気持ち、わかりますね。


土地所有のあり方 <全国の土地の20%が所有者不明で九州の面積上回る>などを読んで

2017-06-28 | 不動産と所有権 土地利用 建築

170628 土地所有のあり方 <全国の土地の20%が所有者不明で九州の面積上回る>などを読んで

 

夕方5時に和歌山から帰ってきて残務整理をしたら、もう6時です。帰途、少しだけ高台を走る(さらに標高の高い位置に阪和高速道が走る)国道24号線から、時折見上げるのは紀ノ川南岸に連なる峰々です。この形状がなんとも魅力的なのです。むろん北アルプスなどの山岳景観と比べることはできませんが、それなりに魅力満載です。

 

まだその魅力を文章化するだけの文才と知識がないのですが、いつか試みてみたいと思うのです。他方で、北岸の上方を走る24号線の沿道も、少し体調がいいせいか、いろいろ想像を逞しくできるものばかりです。和歌山市から岩出市くらいまでは沿道は新しい郊外型の店舗がほとんどです。ある種北米の沿道商業地に近い印象を感じますが、違うのは金属鉱物などやスクラップなどの買い取りを扱う業者が結構点在している点でしょうか。紀の川市に入った頃から、昔からの店舗や事業地がぽつぽつと残っていて、材木店や家具屋といったところがなんとか頑張っている様子が窺えます。

 

ところで、アメリカの<入国禁止令の一部容認>最高裁決定や、<子どもの貧困なお高水準>、<論点 文化財と学芸員の役割>など、取り上げたいテーマは浜の真砂のごときですが、とりあえず7時まで30分で簡潔に整理できそうな見出しの記事にしました。

 

日刊工業新聞記事は<全国の土地の20%が所有者不明で九州の面積上回る>として、<所有者不明土地問題研究会(増田寛也座長=元総務相)は26日、全国の土地の20・3%が所有者不明とする推計結果を発表した。土地面積では約410万ヘクタールに相当し、九州の面積を上回る。>と報じています。

 

410haは、農水省がずっと問題にしてきた耕作放棄地40ha10倍ですね。しかも九州の面積に相当するというのですから、その規模は真剣に受け止める必要があるでしょう。

 

ただ、その数字の根拠は明確にしておく必要があるでしょう。記事が取り上げたのは<所有者不明土地問題研究会中間整理>です。これは概要ですが、30日の詳細報告を発表するようです。

 

ともかく中間整理によれば、

<所有者不明地>の定義について、

<所有者台帳(不動産登記簿等)により、所有者が直ちに判明しない、 又は判明しても所有者に連絡がつかない土地>と規定しています。

 

で、たとえばということで、次の例を挙げています。

 

<具体例>

所有者台帳が更新されていない、台帳間の情報が異なる等の理由から、 土地の所有者の特定を直ちに行うことが難しい土地

所有者は特定できたが、所有者の所在(転出先、転居先等)が不明な土地

登記名義人が死亡しており、その相続人が多数となっている土地

所有者台帳に、全ての共有者が記載されていない共有地

 

そして上記数値を割り出したのは、一定の地域でのサンプル調査の結果を一定の方法で全国推計をだしたということです。詳細は上記中間整理がコンパクトにまとめていますので参照ください。

 

この数値をどうみるかですね。九州の面積と同じ面積が所有者不明となっているといことをです。所有権がだれに帰属するかと言うことは、近代所有権の基礎ですし、資本主義社会においては基本的な出発点の一つでしょう。でもそれがある種張り子の虎になっているおそれがあるのです。

 

そもそも制度というものを確立した絶対的なものと考えれば、このようなことは制度の根幹を揺るがすものとして大変だと言うことになります。ただ、制度というものは存外、人間が扱うものですので、そのとおりでないことが古代というか、律令制度以来、当然のように存在していましたね。公地公民といったことで戸籍に組み入れられた全国民に土地が付与され、耕作されていたという建前は、一度として確立したことがなかったのではと思うのです。

 

耕作できそうにない土地や、租庸調の負担に耐えら得ないときは、逃亡して放棄する人が少なくなかったと言われています。

 

地租改正と登記が制度化されたものの、縄のびなど、その地積が正確でないとか、境界も適当といったことは当たり前でしたが、所有権の帰属もさほど明確でない土地も相当あったのではないかと思うのです。

 

戦後、農地台帳や林地台帳、固定資産税台帳、名寄せ帳など、多くの所有権者とその土地の利用形態・面積を把握すべく、行政としては何度も繰り返し工夫を重ねてきたと思いますが、一度として正確なものとしてできあがったことがなかったのではないかと思っています。むろん多くの土地は所有権者の帰属の点ではかなり正確なものが戦前の家督相続の時代まではできあがりつつあったのかもしれません。でも戦後の共同相続制の採用も一つの要因と思いますし、林地については元々入会や共有形態など多様な所有形態が残っていたこともあり、また、農地のような所有権移転規制がなかったこともあって、混迷の中にあるように思うのです。

 

それはともかく、研究会代表の増田氏が懸念する事態<時代の風所有者不明の土地=増田寛也・元総務相>については、共感するところが多々あり、早急に対処するための制度論を検討する必要があるという点では同感です。

 

私が最近かかわっった相続では、子のいない90過ぎの方が亡くなり、諸処の事由で、兄弟もすでに他界して、甥や姪の中にも亡くなった方がいたりで、相続人にたどり着くのも大変でした。そして、子のいない高齢者が今後ますます増えていく状況では、不動産があると、現在の制度では対応に難渋することになることは明らかです。

 

30日に発表される中間整理を踏まえて早急の対応を政府は迫られていると思います。

 

もう7時を過ぎました。今日はこの辺で終わりとします。


他山の石 <グーグルに制裁金3000億円 欧州委、・・独禁法違反>を読んで

2017-06-28 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170628 他山の石 <グーグルに制裁金3000億円 欧州委、・・独禁法違反>を読んで

 

いまでは誰もがインターネットの多様なサービスにアクセスが可能になり、利便性を享受しているように思います。他方で、この業界はわずかの間に急速に市場支配力が信じられないほどの勢いで増しているようです。なかなか実態がつかめないほどそのスピードに追いつかないのが規制当局の偽りのない意識ではないでしょうか。ましてや単なるエンドユーザーに過ぎない私なんかはどんな状況にあるのかは、わずかな情報の細切れでしかわかりません。

 

今日の毎日朝刊は<EU グーグルに制裁金3000億円 欧州委、過去最高額 独禁法違反>を一面で取り上げていました。

 

その内容は、<欧州連合(EU)の欧州委員会は27日、米IT大手グーグルがインターネット検索サービス市場での独占的な地位を乱用して自社の価格比較サイトに有利な操作を行ったとして、EU競争法(独占禁止法)違反で24億2000万ユーロ(約3000億円)の制裁金を科すと発表した。民間企業に対する制裁金では過去最高額となる。>

 

わが国では公正取引委員会が独禁法に基づく公正な競争政策の確保を担っていますが、過去に適用した課徴金の金額は一桁以上低いものではなかったかと思いますし、IT業界に対してはまだ発せられていないように記憶しているのですが、今日は簡単な素描ですので、いつか整理してみたいと思います。

 

グーグルの競争法違反行為の内容について、<価格比較サイトは、複数の通販サイトから情報を集めて商品価格などを比べて一括表示する。欧州委によると、同社はEU域内で2008年ごろから、検索語の関連度にかかわらず自社の「グーグル・ショッピング」を目立つ位置に示したり、競合サイトの表示を格下げしたりして自社に有利になるよう検索結果を操作した。>

 

市場において独占または寡占的支配を形成した企業としては、やりそうな手口の一つだと思いますが、消費者サイドないしグーグル検索サービスを利用している人にとっては、無意識のうち、広告媒体に洗脳されるリスクが高いでしょう。

 

グールグルの問題行動はこれにとどまりません。<欧州委はグーグルを巡り、同社の携帯端末向け基本ソフト「アンドロイド」やサイト運営者向けの広告配信サービス「グーグル・アドセンス」についても同法に違反する疑いがあるとして、それぞれ個別に調査を進めている。>とのこと。

 

EUの競争法および取り締まりの実態はよく知りませんが、たとえば少し古い情報では<EUの競争政策とは何ですか?>であるように

 

欧州委員会による制裁金額トップ5 (2009年時点)

1

インテル

米国

支配的な立場の濫用

2009年

10.6億ユーロ

2

マイクロソフト

米国

2004年3月の決定義務(本表第5位)の不履行

2009年

9億ユーロ

3

サンゴバン

フランス

自動車用ガラスカルテル

2008年

9億ユーロ

4

エーオン/GDFスエズ

独/仏

天然ガス輸入カルテル

2009年

それぞれ5.5億ユーロ

5

マイクロソフト

米国

支配的な立場の濫用

2004年

5億ユーロ

出典:『EUの規制力』第5章 日本経済評論社

と急速に市場支配力を伸ばしているIT事業者が摘発されています。

 

翻ってわが国の公取委はどうでしょう。ホームページの情報から審決例とか、過去の事例をうまく検索できていませんが(これ30分で書き上げていますので)、わが国の場合十分調査ができていないのではないかと懸念しています。ま、私の個人的な杞憂に終わればいいのですが・・・

 

そろそろ和歌山に行く時間となりました。この辺で終わりとします。