たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

大畑才蔵考その13 <世界かんがい遺産登録を契機にいまなにを考えるか>

2017-11-30 | 大畑才蔵

171130 大畑才蔵考その13 <世界かんがい遺産登録を契機にいまなにを考えるか>

 

1012日付け地元紙「紀伊民報」は<世界かんがい施設遺産に 紀ノ川沿いの小田井用水路>とタイトルで、<和歌山県を流れる紀ノ川に沿って江戸時代に整備された「小田井(おだい)用水路」が、かんがいや排水に関する国際組織「国際かんがい排水委員会(ICID)」により「世界かんがい施設遺産」に登録されることが決まった。県内では初めて。>と報じた後、和歌山県もこの決定を受けて、いろいろこの効果を活かす試みを検討していることでしょう。

 

ところで、一昨日農業土木技術研究会発行の「水と土」が届いたので、ぱらぱらとみていると、ちょうど参考になる論考がありましたので、それを紹介しながら、少しこの問題を考えてみたいと思います。

 

一つは、「土地改良施設の観光資源としての経済効果-熊本県山都町「通潤橋」の事例-」で、橋本晃氏と小山知昭氏の両研究員作成のものです。通潤橋は平成26年に登録された先輩格です。もう一つは、昨年一足前に登録を受けた「歴史的かんがい施設の継承~長野堰用水」で、その地元群馬県職員である中林静夫氏作成のものです。

 

以下では、前者を通潤橋(つうじゅんきょう)論文、後者を長野堰用水論文として、引用しながら、簡潔にまとめることを努力してみます。

 

まず、世界かんがい遺産登録後1年を経た長野堰用水についてどのような紹介がなされているかを取り上げます。

 

開設の歴史がすごいですね。あの在原業平の曾孫と伝えられる長野康業(やすなり、「業」という名前を授かったのでしょうか)との伝承だそうです。

 

業平は、阿保親王の五男で、本来なら桓武天皇の長男平城天皇の孫ですから、世が世なれば・・でしょうか。でも薬子の変で祖父や父やその兄弟も左遷等で、その後は転落の一方でしたか。とはいえ「名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」も有名です。他方で、一時期、菅原道真とも学芸や出世を競ったともいわれるそうで、それも興味深いですね。

 

長野堰用水について長い歴史があり、その灌漑土木資産としてどのような変遷があるかについては、詳細な資料があまりないようですね。ただ、「世界かんがい施設遺産の登録にあたっては,サイホンや水路トンネルなど,近代に通じる農業土木技術や理論が, 200年以上も前から実践されていたことが評価された。」ということで、川を横断する「サイホン」や「水路トンネル」という土木技術が着目されたようです。

 

だれがどのような技術を考案したかや、施工方法、その他事業遂行の仕組みといったことまでは判明していないようです。

 

ただ、遺稿調査などにより、「物部私印」が出土したり、伝承に物部氏の流れをくむ石上(いそのかみ)姓を長野氏が名乗っていたといったことで、物部氏にまでつながる可能性を秘めていますね。蘇我物部戦争(丁未の乱)で物部氏が滅びたものの、東北蝦夷(えにし)から九州まで覇権を及ぼしていた物部氏の残党が各地でその後も活躍していたといった伝承を思い出してしまいます。

 

用水不足を解消するため開設された長野堰用水ですが、水争いの解決にはならず、その後も壮絶な紛争が続き、1962年に円筒分水堰が完成したことで、ようやく終止符が打たれたというのも興味深いことです。

 

さてこの登録を受けて群馬県としては、「長野堰土地改良区や高崎市などと連携を図りながら,長野堰用水を核としたまちづくりや教育への活用などを検討している。」といった程度で、今後の課題となっているようです。

 

この点は通潤橋論文が観光資源としての活用の観点からこれまでの取り組みを紹介していますので、参考になるでしょう。

 

通潤橋の開設経緯については、「通潤橋は,熊本県上益城郡山都町にある, 日本最大級の石造りのかんがい用アーチ水路橋である。嘉永7(1854),四方を河川と低地に囲まれ水の便が悪く水不足に悩んでいた白糸台地に住む農家を救うため,時の矢部手永の長でもあった惣庄屋「布田保之助」が中心となって計画を立て,矢部手永の資金や細川藩の資金を借り,熊本城の石垣を手掛けた肥後の石工たちの協力を得て建設した。築162年となる。」とあります。

 

この特徴がすばらしいですね。「曲線が美しいアーチの石垣が特徴的で,橋の上部に逆サイフォンの原理を応用した3本の石の通水管が敷設され,現在も白糸台地の水田を潤している。」このような技術は、先端的であるだけでなく、景観美に優れていますので、それだけで一般の方も魅了されますね。

 

そのため、「平成18年「疏水百選」に選定、平成19年 文化庁補助「文化的景観保護推進事業」実施、平成20年「通潤用水と白糸台地の棚田景観」国の重要文化的景観に選定」と、世界的評価を浴びる前に、わが国で高い評価を得ていたわけですね。

 

その経済的効果として、地元小学生を含む観光客の入り込み数が増大しているとのこと。ただ、交通不便もあるためか、外国人数は限られている模様。

 

放水は、,通水石管内の土砂抜きのために行われていたのを、観光目的用に、地元の費用負担で増やしているそうで、入り込み客数増の効果がでているようです。そうですね、橋からの放水はTVでも見て、爽快さを感じましたが、実際に橋の上に立てば心が洗われるでしょう。

 

通潤橋そのものに加えて、道の駅、レストラン、資料館がそれぞれ相乗効果をもち、そのほか近隣の円形分水工,白糸台地の棚田及び布田神社によって、観光効果を盛り上げているようです。

 

今後の方向性については大きく2つの道をあげています。

ひとつはさまざまな地域特性を活かした商品化と販売化活動です。

「地元では,道の駅などで、特産のゆずやブルーペリーの加工品を製造販売するとともに, 「重要文化的景観の棚田」としての利点を活かした,付加価値の高い米「通潤橋水ものがたり」の販売を開始したり,環境保全面から「廃油せっけん」を地元で作り使用するなどの動きが新たにでできている。」

 

もう一つは、イギリスの伝統的なフットパスを参考にしたのでしょうか、「3年前から秋にフットパスイベントを毎週土日に開催(昨年は約100名参加。今年は回数を増やし10回,各20人,計200名の参加を見込む)。」

 

これに付加する事業はわが国特有ですね。「周辺の良好な農村景観の中での6~9kmの散策を楽しんだ後,地元食材による弁当を食べてもらい,土産として地元産品も購入してもらうことを計画している。農家の収入増につなげるとともに,町の応援団を増やすことが目的である。」

 

最後に、「「通潤橋」を活用して「白糸台地の棚田」を耕すことが農村の景観を作り出し,大きな観光資源となっており,また,地域・集落のまとまりを高めることに大きく寄与していることが明らかになった。」と登録遺産を有効に活用して、農村・住民・観光客が一体となって新たな文化秩序、経済効果を生み出している様子を評価しています。

 

さて、少しは小田井について触れておく必要があるかと思います。通潤橋でこれまで行ってきたさまざまな事業、これから行おうとしている事業は、特段、特異なものではありません。強いて言えば、通潤橋とその地域特性に応じたものが特徴的というぐらいでしょうか。

 

ただ、実際はそこで活動している担い手の心や心意気がもし具体的にヒアリングできていれば、より特徴が生き生きと伝わってきたのではと少し残念ですが、雑誌の性格上、これはやむをえないかもしれません。

 

では小田井はというと、その開設者である大畑才蔵を取り上げている民間団体「大畑才蔵ネットワーク和歌山」では、すでにウォークイベントを実施したり、才蔵物語のマンガ発行事業を始めたり、シンポを実施したりで、徐々に足場を固めてきています。

 

これからはさらにより他との連携をしたり、洗練していく必要があるでしょう。たとえば、フットパスは、イギリスでは「歩く権利」と表され、全土を歩くロードが整備されていて、農地という私有地の中でも歩く権利が確立されています。長い裁判闘争の中で、歩く権利法も戦前に生まれています。北欧でも類似の制度があります。

 

で、この歩く権利を具体かする、フットパスは、わが国でも実効かできることを期待したいと思うのです。才蔵の立場に立つと、才蔵こそ、歩くスペシャリストの一人だったと思います。歩くことにより、江戸時代の人は食生活は貧しくても、健康を維持できた要素が会ったのではないかと思うのです。そういうと今はほとんど歩いていない私は不健康そのものですが。

 

そう小田井の世界かんがい遺産登録には、多様な道が開くことができると思うのです。ウォークイベントという才蔵の事業を見て歩くことも重要ですが、フットパスの道を紀ノ川沿いに整備して健康ロード(才蔵ロード)を作るのも一つでしょう。それは道路建設ではありません。ある種、熊野古道の整備に近いものでしょう。

 

また資料館も、現在橋本市郷土資料館や、各地の資料館などに散在している小田井などの用水事業の資料や才蔵資料を一挙に展示説明したり、あるいはさらにそれらを保管できる場所を建設して常時展示解説ができるようにするのも一つでしょうか。金のかかることは難しいというのであれば、外国人や日本各地から訪問しても、その意義・歴史を丁寧に解説できるインタープリター的なガイドを準備することも大いにもりあげることになるのではないかと思うのです。

 

この小田用水が中世の壮絶な水争いを止めた?あるいは削減できた歴史も知ってもらいたいですね。そして当時、紀ノ川は川上船で物資の運搬のため行き交って賑やかだったことも、小田井用水の周辺景観としては重要です。そして時には堰き止めて増水して、吉野杉を筏流しで紀ノ川河口まで運んでいた景観も想像すると楽しいですね。

 

で、忘れてはならないのは、才蔵がどのように、利害対立する各地の百姓の気持ち(ある意味では一票)をきちんとして費用対効果を算出したうえで説明したうえで、その百姓たちの納得を得て事業を遂行したか、という江戸時代の灌漑事業の本質を物語ることが大切ではないかと思うのです。

 

土地収用法もない、武士・殿様の権威だけで事業が遂行できなかったことを私たちは知っておく必要があります。百姓が唯々諾々と武士の不当な要求を聞いていた分けではありません(むろん現在でもいじめがあるようにそういう事実を全面的に否定するわけでありません)。百姓は不当な武士側の要求に対して裁判に訴え、それを変更させている事例は多数です(渡辺尚志著『武士に「もの言う」百姓たち 裁判で読む江戸時代』)。

 

小田井用水などを企画遂行した才蔵こそ、その物語の立役者の一人です。

 

今日はこれから会議があり、会議が終われば事務所に寄らず帰宅しますので、この辺でおしまい。また明日。

 


花と禅その2 <生きる目的>と<あるがままの姿>

2017-11-30 | 心のやすらぎ・豊かさ

171130 花と禅その2 <生きる目的>と<あるがままの姿>

 

今朝は少し気候が緩んだのでしょうか。2ヶ月に一度くらいのペースで出す生ゴミをもって外に出たら、向かいのご主人とばったり(定年後はゴミ出し担当でしょうか)、挨拶を簡単に交わしました。風もなく穏やかで、集積場までわずかですが、気分良く闊歩できました。

 

生ゴミコンポストはやは見事です。中を見るとダンゴムシをはじめうようよ動きまわっています。微生物は見えませんが中で活発に活動しているのがわかります。臭気は軽い酸味風で、微生物による分解がうまく進んでいることがわかります。

 

さて連載シリーズ第2弾は、なんのために生きるかというという問いかけが、高齢者、要介護者、認知症、寝たきりの方、・・・さまざまの立場の人がそれぞれ、一度は自問するのではないでしょうか。こういう私も、高齢者の一員ですが、かなり前からときどき考えることがありました。むろん10代のころが多かったかもしれません。だからというわけではないですが、中高生がそういう考えや悩みを持つのは自然と思っています。

 

平井住職の言葉を借りましょう。『花のように、生きる。』です。

 

<花は根を下ろしたその場所で生きています。もっと肥沃な土地なら、もっと日当たりがよかったら、より美しく咲くなんてことはないのです。>

 

そして<ここでひとつ考えてみて欲しいのです。「人間以外の命あるものの生きる目的は何か」ということを・・・。生きることそれ自体が目的なのではありませんか?>

 

他方で現代社会は欲望追求に限りなく邁進しています。そこから<求めすぎのスパイラル、欲望のスパイラルに陥りやすい、いや、すでに陥っているのが現代人なのではないでしょうか。>と問うのです。

 

たしかにその一面もあるでしょう。ただ欲望が生きる目的との前提で、その悩みを決めつけるような理解はどうでしょうか。若者や様々な病状を抱えた高齢者の思いの現実に答えたものになるでしょうか。

 

結論的なことば<生きているそのこと自体がすばらしい、というところに立てば、見える景色はよほど変わってくる。>はそのとおりだと思います。

 

ただ、生きる目的を求めたり、それを見失って悩んでいる人への、心に直接響くかどうか、少しミスマッチのように感じてしまう語り口に思えてしまいました。むろん平井住職はさまざまな悩みを抱えている現状を理解されつつ、簡潔に収めるよう編集者の希望に?あわせて取捨選択したのではないかと愚考しています。

 

それに比べ、次の<あるがままの姿になりなさい>という語りは、難しいですが、腑に落ちます。

 

幕末の剣豪で心の修行に励んだ山岡鉄舟の人となりについて、平井住職は、次のように語ります。

 

<外に向けていた目を、あるとき自分のほうに転じた。相手にこだわるのではなく、自分にこだわることに徹した、といってもいいでしょう。そうして、こだわりを持って自分を見続けることによって、あるがままにそうある姿、すなわち、自然の自分に近づいていったのではないか>と。

 

他人や社会の評価に右往左往するのではなく、あくまで言葉に表れない、自分の良心というものに対峙し、それを掘り下げ、その自分とは何か、どうすべきかについて心を鍛錬して日々をそのあるがままを切磋琢磨の中で体現していく意味を取りかけているのでしょうか。

 

その切磋琢磨は、それぞれのおかれた立場に応じて、自然にすればいいのでしょう。若く成長激しい花木はその勢いを素直に受け止めることなのでしょう。老いて枯れていく木は風雨に堪え忍びながらも命の有り様を緩やかに受け止めるのでしょうか。枯れかけた木は、キツツキなどの穴掘り名人には格好の子育ての場になりますね。見えない微生物や菌類の新たな生長と折り合いをつけることも多いでしょう。

 

あるがままの姿は人がどうこういようと、自分自身と向き合って一刻一刻、日々、年々を重ねることでしょうか。


強制連行された男性は <花岡事件 賠償訴訟 16時間働き、寒くて飢えた・・>などを読んで

2017-11-29 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

171129 強制連行された男性は <花岡事件 賠償訴訟 16時間働き、寒くて飢えた・・>などを読んで

 

性差別問題を起点に、最近著名人のセクハラやレイプに等しい卑劣な言動が話題になっています。慰安婦問題も、そのような世界の潮流や国連を構成するメンバーの変化もあってか、大きく取り上げられるようになった一因かもしれません。とはいえ、国連のレポートが正確な事実に基づいているかは疑問を感じています(残念ながら精査していませんので具体的な批判はできません)。他方で、朴裕河(パクユハ)著『帝国の慰安婦』は相当な合理性のある根拠に基づく指摘で、十分とまでは言えなくても相当の説得力をもっていると思います。

 

ところで、慰安婦という女性問題については性奴隷といったキーワードも常套用語として使われ、人権無視を特徴付けるかのように、韓国だけでなく欧米でも取り上げられているように思えます。そういった側面があったことについて具体的事実を踏まえて糾弾することは望ましいのですが、現在の議論は少々粋すぎているように感じています。

 

これに対し、まさに実際にも奴隷的扱いを強いられた男性の場合は、慰安婦問題と対比すると、中国という別の国でもありますが、さほど問題になっているような様子は窺えません。

 

ただ、今朝の毎日記事<花岡事件賠償訴訟 16時間働き、寒くて飢えた、仲間は殺された 94歳中国人証言「日本は強制連行、謝罪を」>は、遠藤浩二記者がその悲惨な実体の一面を簡潔にまとめていますが、その環境は女性の扱いより厳しいものだったのではないかと思われます。

 

「性奴隷」と一緒にするなとの批判がでるかもしれませんが、朴さんが指摘しているように、そういう女性はそれほどおおくなかったのではないかと思っています。むろん、好き好んで応募したとは思いませんが、戦時下で生活のため自由のない状況でやむなく過酷な条件を受け入れたのではないかと思うのです。それでもまだ中には軍人との間で心の通い合いもあった場合もありえましょう。

 

しかし、男性が強制連行された花岡事件では、そのようなことは一切なかったと思われます。花岡事件の概要は記事にまとめられていますので、引用します。

 

<戦時中の1942年、政府は労働力不足を補うため中国人労働者の国内移入を決定。約4万人が日本に連行され、35企業135カ所の炭鉱や港湾施設などで過酷な労働を強いられた。秋田県の花岡鉱山(旧鹿島組花岡出張所)では986人が働き、飢えや虐待による死者が相次いだ。中国人労働者らは45年6月30日に一斉蜂起し、日本人補導員らを殺害して逃走したが、憲兵隊などに鎮圧され、終戦までに419人が死亡したとされる。>

 

そしてその一部である<生存者と遺族計11人が鹿島(旧鹿島組)に損害賠償を求めて提訴。東京高裁で2000年11月、鹿島が11人を含む986人全員の解決を図るため5億円の基金を設立することで和解が成立した。>ということで、一定の決着が一旦つきました。

 

いま大阪地裁で提起されている訴訟は、<日本に強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者と遺族ら17人が国に謝罪と1人当たり550万円の損害賠償を求めた訴訟>です。

 

その一人、<生存者で原告の李鉄垂さん(94)=河北省=が28日、大阪地裁で証言した。>

 

その内容は<李さんは中国共産党軍にいた1944年春、河北省で日本兵に捕まった。収容所生活の後、青島から鉄鉱石を運ぶ船で下関へ。8月、陸路で秋田に連行された。

 花岡鉱山では河川工事を命じられた。1日15~16時間働き、水に足がつかり凍傷になった。三度の食事はドングリの粉を使ったものだけで、食べる度に腹を下した。山で野草や木の葉を取って飢えをしのいだ。

 冬でも服は1枚。板の間で仲間と身を寄せ合って寝た。飢えや病気で死者が相次いだ。>それは日本人のシベリア抑留と比べても、強制連行の点でも、その環境の面でも、人間の尊厳を無視し、人権侵害が著しいものであったといえると思うのです。

 

そしてついに一斉蜂起になったのです。<一斉蜂起のきっかけは、日本人の現場監督による虐待だった。仲間の1人は日本人からおにぎりをもらったなどとして衆目の中で殴り殺され、もう1人は熱した鉄を体に押しつけられた。「これ以上我慢できなくなった」

 暴動後に労働者らは近くの山に逃げ込んだ。すぐに憲兵隊に囲まれ発砲を受け、李さんのこめかみには銃弾がかすめた傷痕が残る。警察官から爪の間に竹串を入れられるなどの拷問を受けたが、日本の敗戦で解放された。>

 

このときの遺骨の処理などもとても耐えがたいものです。一年前の記事<人・あきた

「花岡事件」散乱遺骨第一発見者の1人 佐藤和喜治さん /秋田>で、それを語っています。

 

<1950年の春。時折雪が舞うものの穏やかな日だった。その“現場”には知人の金一秀さんと行った。金さんは朝鮮半島の慶尚北道(現・韓国)出身だったが、花岡鉱山に強制連行された中国人が過酷な労働に抵抗して一斉蜂起した「花岡事件」の中国人殉難者の遺族代理を務めていた。その金さんが、まだ多くの遺骨が現場にある、と言う。花岡鉱山で死亡した400人以上という中国人の遺骨は進駐軍により母国へ送還されたが、多くの遺骨は野ざらし状態とうわさされていた。>

 

遺骨発見の様子は痛ましいです。<その廃虚の黒土の地面の至るところがチョークをまいたように白くなっている。手に取って分かった。人骨だった。二人で拾い集めると両手で持ちきれないほどになった。>あちこちに<白い人骨が散乱していた。>

 

事件は終戦の日の2ヶ月も前です。遺骨を散乱するに任せてしまう、日本人の対応は遺骨を大事にするという気持ちになにか差別意識が少なくとも戦時中にはあったのでしょうか。いや、現在でも、そういった敵視したとき人の心は変わってしまうのかもしれません。

 

今日はまた遠くまでドライブして帰ってきたので少々疲れてしまいました。この辺でおしまいです。また明日


花と禅その1 <「心配」から「心配り」の心構え>

2017-11-29 | 心のやすらぎ・豊かさ

171129 花と禅その1 <「心配」から「心配り」の心構え>

 

朝は体調の変化がよくわかります。ここのところ半年かけて体重増加を果たしたリバウンド(通常は痩せる場合でしょうけど)で、どうも体調が良くありません。寝起きも悪くなりました。胃腸に負担がかかったのでしょうね。もう少しひどくなれば医者に相談することにしたいと思っています。

 

今朝は少しすっきりしました。最近読み出した、臨済宗全生庵(ぜんしょうあん)住職・平井正修(しょうしゅう)著『花のように、生きる』で、少し爽やかな感じが心の中に醸成されてきているように感じることも影響しているのでしょうか。特別新しいことが書かれているようにも思わないのですが、語り口がいいですね。以前、空海に関するさまざまな書籍を読んでいるとき、共感を感じつつも、遠い存在と思ってしまいましたが、平井住職の場合は、おそらく60歳前後で僧侶としては脂ののった世代ではないかと愚考しますが(年齢に誤解があったようで訂正しました。最近若手のご住職がいい著作なりTVで発言されていますね)、なんとなく心の襞に自然に触れてしみこんでくるように思うのです。

 

それで、できたらしばらくこのシリーズを続けてみようかと思っています。実は、以前、玄侑宗久氏の著作にずいぶんと感銘を受け、その著作を紹介しようと思ったりもしたのですが、同じ禅宗とはいえ、かなり色合いの異なる平井氏流アプローチの方がよりいまの私にあっているかなと思い、まずはここから始めようと思ったのです。

 

長々と前置きが続きましたが、その第一番が見出しのテーマです。思いつくまま、著作の順序にこだわらず、その一部を援用しつつ、私なりの思いを書いてみようかと思います。

 

生きている限り、心配の種は尽きないですね。浜の真砂と・・・とは意味は異なりますが、人間の本性なのでしょうか。まして時代の変化は人間の能力を大きく超える事態になっているわけですから、ちょっとそういったことに意識が働く人は余計、心配の種が多様化・増大するかもしれません。

 

平井氏は、修業時代の師匠・<山本玄峰老師は常々、こういっておられたそうです。

「心配はしてはいけない。心配りはしなくちゃいけない」>とその言葉を援用します。

 

これはある種の発想の転換でしょうか。禅の本質なのでしょうか。

 

<「心配」するといのは心が受け身の姿勢です。悩みや不安などがあって、心に負担がかかっているということでしょう。心が受け身だから、悩みに苛まされたり、不安におおのいたりするのです。>さて心の受け身とは何でしょうね。

 

そのことに立ち入らず、<これに対して心配りは、心を何かに配っていくわけですから、自分からの働きかけです。

両者は決定的にちがいます。>というのです。

 

そう、心の働き方に着目するのですね。そういえば、私も昔はなんども100人単位とか、場合によっては1000人単位の聴衆の前で話したことがありますが、当初は不安ばかりで心配もありましたが、聴衆がなにを期待していて、それにどう応えるかなどに気持ちを配っていると、それに集中していて、不安とか心配が遠のいていった経験がありました。

 

最後に平井氏は、<しっかり「心配り」をしたら、「心配」の大半は消えてしまう。「心配り」をしないから、「心配」がふくれ上がるのです。玄峰老師の言葉を胸にしまっておいて、心配になったら、いつでも取り出してください。>と結びます。

 

そう、私も心がけたいですね。心配の源泉を追求するのも一つですが、「心配り」という積極的な活動にはなにか他人や他の生命体への能動的な働きかけ、自分という不可思議な存在を少しは現実化できる、きっかけになりそうです。

 

 

 


AI医療の行方 <AI医療応用・・・内視鏡診断400人 分析3分、正答9割>を読んで

2017-11-28 | AI IT IoT

171128 AI医療の行方 <AI医療応用・・・内視鏡診断400人 分析3分、正答9割>を読んで

 

今日も朝からいろいろ用件がありました。たとえば、離婚時の年金分割について、平成204月制度がなかなか理解されなく、協議離婚が成立した後相手方から年金事務所の通知を受け取って疑義が生じたと言うことで問い合わせがあり、なんどか説明するも納得されなかったようで、そのことでも一般論として書いてみようかと思いつつも、ま、別の機会にすることにしました。

 

他には借地物件で、借賃人であり隣地所有者が借地上の建物以外に、別の建物を自分の土地と借地にまたがって建てていたケースで、その借地人から境界確定の際に、当該建物の解体は当方が負担する約束があったとかの理由で、解体費用の負担を求められ、いつのまにか話が進んでいる中で、相談がありました。解体見積書もあいまいで、そもそもの解体費用の負担という合意も裏付けがなく怪しいものでしたが、すで交渉が進んでいたので、とりあえずそれを前提に基本に戻って、借地人と貸主との紛争解決の趣旨に立って、合意書案を用意しました。最近はやりの地中埋設物があった場合の負担をも含めて文書化しておくよう提案したのです。

 

そんなこんな相談案件が電話やメールであるため、なかなか落ち着いた仕事ができません、なんてビギナーのような愚痴をいうのはどうかと思います。というか、なんでも楽しく喜んで作業できることが一番かなと思うのです。相手に不快感を与えたり、いやな思いにさせないでと心では思っているのですが、現実には対立当事者がいて紛争案件ですので、簡単ではないですね。親鸞や法然、道元や栄西、日蓮や一遍も、衆生の話をよく聞いたといわれていますが、どんな心持ちだったのでしょうね。

 

さて話は変わって、今朝の毎日クローズアップ2017は<AI医療応用、現実味 内視鏡診断400人 分析3分、正答9割>という医療の世界に進出著しいAIの一端を取り上げています。

 

ここに書かれていることは驚くに値しないことと思っています。だいたい、AIがチェスのトップ選手に勝ったのはいつでしたか。チェスに比べ格段に難しいといわれた将棋もあっという間にトップ選手を打ち破りましたね。さらにその何乗倍もややこしい囲碁の世界トップやあの7冠達成の文裕をも勝ち名乗りを上げたのですから、その能力たるやとても想像できませんね。それ以上にその技術革新のスピードが人の予測を超えています。これから先どうなることやらですね。

 

ただ、最近のAI医療事情を知っておくのも大事かなと思いますので取り上げました。といっても半年先、一年先はどうなっているやら、さらに5年後、10年後・・・さらには、ま、私が世の中から退場した後まで考えなくても良いでしょうか。

 

さて、まずは<胃がんの前段階「ピロリ菌胃炎」の内視鏡画像診断>です。

 

<約400人分、1万枚以上の画像を3分あまりで分析し、発症の有無の正答率は9割近くに達した。23人の内視鏡医が同じ画像を診断したが平均で4時間近くかかり、正答率がAIより高かったのは3人だけだった。>

 

<ある内視鏡専門医(34)は「AIの診断の正確さはすごい。スピードは全くかなわない」と舌を巻いた。>というのはAIの進化を知らなすぎるのかもしれません。画像自体が精細化していますが、人間の能力ではその微細な変化や違いを理解するのに相当の熟練がいったり、若年時代から訓練しないと身につかないかもしれませんね。

 

ところが、AIの場合は、画像認識も分析も、学習能力により信じられないスピードで熟練の内視鏡医師以上の能力を身につけることが可能になるのでしょう。

 

ちょっと脇道に入りますが、いま話題の貴ノ岩関の診断書で「髄液漏の疑い」というのが話題になっていて、先日ブログで取り上げましたが、こういった脳脊髄液画像診断も、AIを導入することで、おそらく入院することもなく即時に判断できるようになる時期は間もないのではないかと思うのです。脳外科医の中には、今回の素手なりなんらかの物体での殴打では髄液漏れはありえないといった見解を述べる方もいましたが、そこまで断定していいのかなと思ってしまいます。そもそも脳脊髄液漏出自体(だいたい「漏れ」といった診断名は確立しているのでしょうか)、骨折することで発生するといった発生機序ではなく、硬膜外とくも膜下の隙間からなんらかの衝撃などを要因として発生するとも言われています。

 

ま、このあたりは議論のあるところだと思いますので、どれかが正しいとは言いませんが、少なくとも発生機序を明確にして説明しないと、どうかと思うのです。そんな専門医の状態だと、AIのさらなる進化により医療分野はその役割の多くを取って代わられるかもしれませんね。むろん法曹界もその他専門分野と称してのほほんとしている方々は同じ運命でしょう。フィンテックの進展もいま日本のマスコミで話題にしている領域はかなり遅れた議論ではないかと思われます。ま、そんなことを心配する話ではないでしょうか。

 

さて本論に戻って、取材を受けた病院では<ただともひろ胃腸科肛門科の多田智裕院長が所属する浦和医師会の管内でも、昨年1年間で約5万人が胃がん検診で内視鏡検査を受けた。1人当たり約40枚、計約200万枚をチェックしなければならないが、開発したAIなら高い精度を保ったまま、半日程度で作業が終わると見込まれる。>

 

なんと驚くべきスピードと正確性でしょうか。でも本因坊文裕を打ち負かしたAIですから、その程度は驚くに値しないでしょう。

 

そのほかではさらなる利用領域の拡大があるようです。<画像診断以外でも、AIは威力を発揮している。15年には東京大医科学研究所がIBMと共同研究を開始。2000万件以上の医学論文を学習させ、医師が診断できなかった女性患者の病名を10分ほどで見抜くなどの成果を上げた。>これですよ。もう人間の通常の能力では太刀打ちできないわけですね。ある一線では。

 

製薬業界の新薬開発の分野もその例の一つ。<現在、一つの薬を製品化するのに平均13年の開発期間と約1200億円の費用がかかるが、AIで薬の候補物質を素早く見つければ、開発期間は9年に、費用は約560億円に抑えられ、「業界全体で年1兆2000億円のコスト削減効果がある」と試算する。>

 

ただ、医療現場でAIを実際に使うとなると、自動運転のように、少なくとも法令上の問題をクリアしないといけませんね。

 

<医師法では医療行為は医師にしかできないが、仮にAIの判定を採用して医師が誤診した場合の責任はどうなるのか。

 厚労省の有識者懇談会が6月にまとめた報告書は「診断確定や治療方針の最終的な意思決定は医師が行い、その責任も医師が負うべきだ」と指摘した。同省の担当者は「AIの医師法上の扱いを明確にしなければならない」と話す。>

 

法令上は医師の責任となります。<産総研人工知能研究センターの瀬々潤・機械学習研究チーム長は「『AIが言いました』では通らない。医師が証拠を示して説明することはこれからも必要だ」と指摘する。>ですね。

 

ただ、医師がAIの結果を理解できるかどうかが問われるかもしれません。よくわからないけど、AIがそう診断しているので、診断しましたでは、エビデンスに基づく医療とは到底いえませんね。でもそうなると、AIを使いこなせる医師を育てないと、宝の持ち腐れになるか、あるいは人間が無視するならAIロボットが人間を凌駕する世界を作り出すかと言ったSFの世界に入り込むのかしら。

 

医療の世界はまだ、一人の人間を扱うので、まだAIの暴走を許さないコントロールを前もって用意できるような気がします。しかし、フィンテックのような見えない金融世界では、一体、実態経済がどうなっているのか、金融も含めてわからない中で、最新AIがとてつもない規模の経済を支配してしまうことをコントロールできるか、それこそ脅威かもしれません。

 

見えざる手は、まだ人間がその判断で良くも悪しくも市場を不安にしたり豊かにしたりしてきたかもしれませんが、AIの結論はすでに人間の叡智を超えているかもしれません。でも世界経済はますますフィンテックを追い求めています。

 

そういった不安を感じつつも、明るい未来を見ることができるのは、私たちには今そこにある実体と直面できているからかもしれません。

 

今日は1時間ほどかけて書きました。その前に2本書いたので、ずいぶん書いたような気もします。これでおしまい。また明日