たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

神社と女性宮司 <富岡八幡宮殺傷 宮司職巡りトラブル 復帰できず姉恨む?>などを読みながら

2017-12-09 | 宗教とは 神社・寺・教会 信仰

171209 神社と女性宮司 <富岡八幡宮殺傷宮司職巡りトラブル 復帰できず姉恨む?>などを読みながら

 

127日夜発生した富岡八幡宮での宮司殺人事件、とんでもない背景・実態が明らかになりつつありますね。

 

とりあえず今朝の上記毎日記事によると、事件そのものについて、<茂永容疑者と真里子容疑者は7日午後8時25分ごろ、帰宅する富岡さんを待ち伏せ、日本刀で襲いかかった。富岡さんは首などを刺され、富岡さんの運転手の男性(33)も重傷を負った。茂永容疑者は直後に短刀で真里子容疑者の腹などを刺して殺害。自身の胸や腹も刺した。>と警察発表を報じています。

 

その動機なり背景については、<自殺した弟で元宮司の茂永容疑者(56)=住所職業不詳=が、八幡宮が神社本庁から離脱することに反対していたことが関係者への取材で分かった。9月に離脱して富岡さんが宮司に就いたため、茂永容疑者は宮司に復帰できなくなったと感じて恨みを募らせ、襲撃を計画した可能性がある。>と関係者取材結果を報じています。

 

さらに宮司就任をめぐっては長い間、弟と父、また姉と弟に加えて神社本庁の間でもめていたようです。

 

関係者取材では<茂永容疑者は父親に代わって宮司になったが2001年5月ごろ、金銭問題などを理由に職を追われた。父親が再び宮司に就き、10年ごろからは富岡さんが宮司の代務者として跡を継いだ。しかし全国の神社を統括する宗教法人「神社本庁」が宮司就任を承認しなかったため、八幡宮は今年9月に同庁を離脱。富岡さんは正式に宮司に就任した。>

 

この記事をみて、つい思い出す事件があります。以前fbで書いたように思いますが(これがどこにいったか、原稿がないかも?)、宇佐神宮宮司事件です。この事件でも、神社本庁が宇佐神宮の世襲家では女性しかいなくて、その方が氏子らでつくる責任役員会で推挙され宮司になろうとしたところ、神社本庁がこれを認めず、別の方を宮司に任命して、裁判事件(その地位不存在確認訴訟は上告審で敗訴確定)、その後当該宮司が地位を職務上の問題で地位を奪われたものの、当該女性による傷害事件まで発展していますね。怒りの感情が収まらないようですね。

 

ところで、このような女性の宮司を認めない神社本庁の取り扱いは、他でもあったように記憶しますが、ともかく頑なに女性宮司を認めない取り扱いは、なにか女性天皇を認めない勢力と通底する思想がありそうですね。なお、神社本庁という名前から行政庁の一機関ではないかと思われる向きもあるかもしれませんが、信仰の自由という憲法上の原則からそれはありえませんね。あくまで一宗教法人です。といってもほとんどの神社を包括しているのですから、数の上では最大の宗教法人です。約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど79千社以上が加盟しているとのこと。

 

少し脱線しますが、宇佐神宮と言えば、八幡宮の起源とされ、全国に約44,000社の総本社とされていますね。創建は古いようですが、世に出たというか、世間の耳目を騒がせたのは、あの神託事件です。宇佐神宮が道鏡を天皇の位につければ天下は泰平になるとの神託を伝え、もう少しで民間から天皇が生まれる演出をしたのですから、日本最大の事件ともいえるでしょう。結局、その真偽を確認することを任された姉(このときは女性でOKだったんですね)に代わって弟の和気清麻呂が宮司と対面したのでしょうか、神託が虚偽であることを喝破し、上申して事なきを得たわけですね。

 

たしかに聖武天皇は、娘の孝謙天皇(後の称徳天皇)に、天皇就任に際して、その地位について、こだわる必要がなく、皇位継承者でない民間人がなることも許されているよなんてことをやさしく語ったとか、どこかで読んだ記憶があります。そんなことも影響したのでしょうか、神託事件が起こる背景があったのでしょう。それにしても宇佐八幡宮・宮司は思いきったことをする方だったんでしょうね。虚偽が判明した後、称徳天皇が亡くなったのを契機に、道鏡は結局左遷させられましたが、宮司の方はどうなったのでしょう、こっちはフォローしていません。応神天皇という天皇家のある種頂点にあるような方を祭神として、八幡宮の起源として祀っていることから、藤原家など政権中枢も手出しできなかったのかもしれません。このあたりはかなり適当な見方ですけど。

 

さて、宮司の地位をめぐる紛争、骨肉の争いとなっていたわけですが、それを統括すべき役割を担っている神社本庁は、適切に対処してきたのか、それが問題だと思うのです。むろん弟夫婦が行った今回の殺戮行為はどのような理由があっても許されるはずもなく、神社本庁にその責任が問われるものではないでしょう。

 

しかし、こういった宮司や住職といた寺社のトップの地位をめぐる紛争は、結構起きています。多くは世襲制が事実上行われているため、肉親間での争いとなり、今回のような殺傷沙汰までに至らなくても、一触即発になるほど危険な状況はときに見られます。私自身も仕事上体験したことがあります。

 

こういう場合、とりわけ当該神社や寺などを統括する包括宗教法人が指導力を発揮するのでなければ、なんのための包括宗教法人となっているのでしょう。と簡単に言ってしまいますが、名前だけに近いかもしれませんね、実態は。にも関わらず、今回の場合女性の宮司はダメというのが認めない実質的な理由ではないでしょうか。それは憲法上、合理的な差別と言えましょうか。いやいや、信仰の自由、宗教団体の活動は憲法上保障されているので、そのような取り扱いは憲法に抵触しないというのでしょうか。

 

そうであれば、拒否する根拠をしっかり示して、亡くなった宮司の申出にきちんと対応すべきだったと思うのです。不文の原理として女性は宮司になれないというのが神社本庁にあるのであれば、それこそ開示してその原理の憲法議論をしっかりしてもらいたいと思うのです。

 

なぜこんなことを言うかといえば、弟は、神社本庁が女性を宮司にすることを認めないから、必ず自分が宮司になれると思っていたのではないかと思うのです。実際は氏子総代や責任役員が支持しないと、推薦されず、弟は宮司の道は客観的には閉ざされていたと思われるのですが、そのことも含めてはっきりしておくことも神社本庁のつとめだったのではないでしょうか。

 

ともかく宮司や住職などの事実上の世襲制、女性排除(これは神社の場合)といった、現代の時代状況にはたして適合するかどうかといった問題を真剣に議論する時期に来ているように思うのですが、神社本庁は動こうともしませんね。

 

ちょうど一時間近くとなりました。この辺でおしまい。また明日。

 

 

 


「山のきもち」考その1 <毎日記者山本悟著作から森林業を考えてみる>

2017-12-09 | 消費者問題

171209 「山のきもち」考その1 <毎日記者山本悟著作から森林業を考えてみる>

 

私自身、森林に関わったのはおそらく約30年前の日弁連ボルネオ島熱帯林調査に参加してからではないかと思います。その後海外や国内各地の森林調査みたいなことをしながら、一時期枝打ち、間伐、下刈りなどを自己流でやってみたこともあり、いま林業に関係する仕事をしています。まだまだその奥の深さを理解できるところにいたっていません。とはいえ森や杜、森林、山川草木、そして一本一本の木々などに興味が尽きません。

 

このブログでも時々、取り上げてきましたが、制度論などは読み込みと理解に時間がかかるので、ついつい一回限りで尻切れトンボになっていました。

 

地球環境問題対策としてバイオマス発電に林業は有効とか、多様な加工技術で作られる木材とか、AIIoT、ドローンなどの先端技術が導入されるとか、境界紛争に新たな対応とか、高性能林業機械の進化とか、・・・あげればきりがない新たな動きもありますが、山はさほど大きな変化がないようにも見えます。欧米の林業システムも導入の声は以前からあったと思いますが、なかなか山林現場には受け入れる土壌がないようにも見えます。

 

ちょうどそんなとき、毎日新聞記者である山本悟氏が昨年、『山のきもち 森林業が「ほっとする社会」をつくる』という森林をめぐる現状を取材した成果を出版されました。まだざっとみたというか、流しただけですが、林業家が書いたものや、林政・林業制度の研究者や環境問題に取り組む人の著作とは違って、割合、バランスがとれて多様な観点からアプローチされていますし、なにより一般人の見方(多様な専門家の意見を取材しつつも)かなというところがいいです。

 

明日からでも連続で読みながら、山本氏の取材内容や意見に触れた感想みたいなものを何回かにわけて書いてみようかと思います。

 

どのくらいのペースで書いてみるかとりあえず、章立てを基本にしてみようかと思います。

 

1 国産材が動き出した

2 林業の現場も活発化

3 課題を考える

4 木材活用の動き

5 見直される木の力

6 日本人は「森の民」か

7 はげ山緑化の歴史

8 森に学んだ共助の発想

9 緑化の原点に学ぶ

10 持続可能性を求めて

11 山村が走り出した

12 自然資本の考え方

13 ヤマと都会

14 都市と里山の交流

15 模索する新たな価値観

 

と、私が勝手に順番をつけましたが、実際の構成は、3部で、第1部を「活発化する林業・林産業」、第2部を「木の底力と森の歴史」、第3部を「『ほっとする社会』ヘ新たな価値観」となっていまして、それぞれ私の順番で言えば1~4、5~8,915となっています。

 

私自身は、「山のきもち」というタイトルに惹かれたので、それをこの書の中でどう扱われているかを上記の順番を基本にして、順次、日々言及しようかと思っていました。しかし、改めて順序立ててみますと、第2部を先に取り上げた方が理解しやすいかなと、思い直しました。

 

おそらく「ほっとする社会」に森や木がどう生かせるか、あるいは人は生かされるかを、少しでもこの書を通じて理解できればうれしいかなと思うのです。

 

で、順番もその意味では、その日に興味を抱いたところから始めるかもしれず、とりあえずは第2部でこれまでの日本人と森を掘り下げてみたいと思います。

 

今日は、交通事故による損害額について資料を読んで算定しようと思っていたのですが、いろいろ雑用をやっているうちに、ブログを書くのを忘れていたと思い直し、花と禅が終わった?ので、次は何にしようかと少し考えているうちに時間が経ちました。

 

明日から内容に入りたいと思います。