たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

公園計画リニューアル <四季の郷公園 再整備、市が計画公表 農業、里山体験施設に>を読んで

2017-12-02 | 公園の持つ多様性と活用 管理と責任

171202 公園計画リニューアル <四季の郷公園 再整備、市が計画公表 農業、里山体験施設に>を読んで

 

今日は大阪からの帰りが遅くなったため、このブログも残り30分程度でまとめて終わりにしたいと思います。

 

さて今朝の毎日は、昨日の天皇退位の時期から新元号、さらに平成天皇がこれまでにされてこられた全身全霊を言葉でなるべく取り上げるようにしています。またこの間にあったさまざまな出来事も。

 

その内容については、ひとそれぞれの思いがあるでしょう。それとは異なる小さな記事を取り上げたいと思います。

 

四季の郷公園再整備、市が計画公表 農業、里山体験施設に 和歌山> 和歌山版で石川裕士記者が取り上げています。

 

和歌山市がこういった取り組みをしているのを初めて知りましたが、興味深く読みました。

 

<和歌山市は、同市明王寺にある市営農業公園「四季の郷(さと)公園」について2022年度のリニューアルオープンを目指し、計画を公表した。既存の建物を生かしつつ、農産物直売所やレストランを広げ、農業体験や里山作りも楽しめるよう体験型観光の拠点として再整備する。>

 

この公園自体は90年代初頭に整備されているのですね。<四季の郷公園は「自然と農業のテーマパーク」として1991年に開園。25・5ヘクタールの園内は「自然観察の森」と「緑花果樹苑」の二つのエリアに大別され、動植物の標本・写真を展示する「ネイチャーセンター」、果樹園、子供向け遊具のある広場などが整備されている。>

 

なかなか意欲的なテーマパークですが、当時はリゾート法で全国各地にテーマパークづくりを各自治体が競って大々的な計画を打ち出し、その後バブル崩壊で、北海道・夕張市よろしくあちこちで閑古鳥の鳴く施設が残っていますね。

 

それに比べると、和歌山市は自然を中心として、農業との融合型という、割と地味ではあるもものの、地域特性を活かしながら費用対効果を勘案する内容になっているようにも思えます。

 

ただ、開設当初の具体的な内容はよくわかりませんが、時代に応じて計画内容を変更していくのが本来ですね。で、<15年には約8万人が来園し、市は「遊具遊びやウオーキングなど公園としての利用がメイン」と分析。「整備当初の農業振興や農家育成を図る交流拠点などとしての活用が十分でない」と判断し、施設の老朽化も踏まえ、大規模な再整備を決めた。>

 

そのような視点自体は理解されるところではないでしょうか。

 

さてその整備計画案ですが、<基本計画では園内を用途ごとに、農業体験ができる「農触れ合い」▽里山の間伐体験を楽しめる「自然体験」▽レストランや農産物直売所がある「味覚」--の三つのゾーンに再編成する。>

 

一見すると、どこにでもあるようなゾーン区分ですが、果たして具体的なものはどうでしょう。

 

<農触れ合いゾーンでは、約6000平方メートルの果樹園を拡充し、収穫体験できる果物も現在のブルーベリーのみから、イチゴ、ブドウも加える。自然体験ゾーンでは、同園周辺が産地となっているタケノコの栽培体験や竹を使った体験型イベントを充実させる。味覚ゾーンでは、郷土料理の提供や地元農産物の販売を予定し、バーベキュースペースも設ける。>

 

これもまた、ある意味ではどこにでもあるような内容のようにも見えます。いや、中身が違いますよと言われるかもしれません。当該計画書自体がどのように公表されているのかわかりませんので、それを見てからさらに検討する必要があるでしょう。

 

ただ、強いて言えば、このような計画案自体、特定の専門家によって作られるのではなく、市民参加をさまざまな形で取り入れながら、計画案づくりをすることこそ、将来の利用増大にもつながるように思うのですが、その手続き自体どの程度公開され、民主的に行われたのでしょうか、気になります。

 

法的根拠はいったい何でしょうかね。都市公園法の制度の中には、基本は施設整備を中心としていて、農業や林業体験なんかは含まれません。90年度から開始した、都市計画区域外で可能な<特定地区公園(カントリーパーク)整備事業>があります。91年開設というのですから、この事業なのでしょうか。

 

和歌山市もウェブ情報などで、より積極的に広報をする必要があるように思うのですが、いまの情報提供状態はかなり消極的な姿勢が感じられます。ザッと見た感想なので、いや他の自治体に劣らず積極的な広報をやっていますよと具体的に指摘いただけると助かります。

 

たとえば、上記の計画書自体、重要であるにもかかわらず、すぐに見つかりませんでした。ちゃんとPDFで提供していますということでしたら、探し方が悪い私に問題がありますが。

 

私が見つけた<「四季の郷公園レストラン及び農産物直売所サウンディング型市場調査」の実施について>も内容自体、あまりに簡素ですね。これで利用者、市民への広報として十分なんでしょうかね。

 

別に和歌山市に文句を言うつもりはありません。ただ、公園事業というのは市民にとってはとても大切なものですし、和歌山市の魅力にもつながるものです。それが魅力的なものになれば、いま話題のカジノ賭博事業などに比べても、宣伝力や県外からの入り込み客数だけでなく移住者数増加効果において、劣らないやり方があると思うのです。

 

でも今回、毎日記事に載った程度だと、同種の事業を行っているのとの差別化というか、より有効性が期待できるのか、わかりません。それは一つにはどのような主体が関わるかにもよるでしょう。行政の場合ノウハウが十分でないですし、これまでの指定管理者もおそらくそういったノウハウをもっていないのではないかと思うのです。各地で実践してきた事業者の知恵を借りるなりして、今後の計画案の詳細化をはかってもらいたいです。

 

30分となり、帰宅時間となりました。今日はこの辺でおしまい。又明日。


花と禅その4 <「和顔施」 言葉以上の力、それは心のこもった笑顔>

2017-12-02 | 心のやすらぎ・豊かさ

171202 花と禅その4 <「和顔施」 言葉以上の力、それは心のこもった笑顔>

 

今日も土曜日を活かして、大阪に出かけていきました。普段通る高野街道は途中から住宅が建て込んでいて、交通渋滞も激しく、あまり利用したくないので、足が遠のきます(こういうと毎日のように通っている人は何を勝手なことを言ってと文句を言われるかもしれませんね)。

 

ところが今回は、ナビの案内でいつの間にか、山の尾根道に入り、ときに谷戸(やと)の脇を走ったりで、とても快適なドライブになりました。一部は車一台やっとの区間が長くあり、多少は大変ですが、こういう道をゆっくり走るのなら、私もドライブをしたくなります。

 

さてさきほど大阪から帰ってきて、ブログを書き出しました。

 

今日は、『花のように、生きる』を直截に表すような話です。平井住職は、

 

「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」

 

という「江戸時代の俳人・滝野瓢水の句」を取り上げています。

 

平井住職は、この句から「田んぼの畦や道ばたに咲く蓮華草は、紅紫色の花をつけ、ほのかな甘い香りを漂わせます。目立つ花ではありませんが、旅や散策の道すがらふと蓮華草を見つけた人は、心和むものを感じるはずです。」と脇役ながら、旅人たちの疲れた気持ちに心地よいエキスを与えて、その心を優しく包んでくれるものと指摘しているようです。

 

ただ、近世農法では、蓮華草は草肥の重要な一つで、畦や道ばたに咲かせることもあったかもしれませんが、基本は田んぼに肥料として植えるものでしょうね。だいたい刈敷という草肥や柴・枝葉を使って田んぼの肥料にする農法が基本だったと思います。

 

畦や道ばたでは、マメ科の植物を副食用などに植えて、田んぼ全体を有効利用していたと思います。

 

むろん現在でも、レンゲ草は草肥として植える農家もあり、同時に、養蜂も行っていたりして、レンゲ草をよく見るとミツバチが楽しそうに、忙しそうに舞っては、ミツを吸っています。

 

そんな農法については、田舎で住民の世界に住んだ良寛さんも知らなかったかもしれませんね。僧侶は生産に関心を抱かないのが基本のように思われますので。

 

で、平井住職は、

 

「仏教では『無財の七施(むざいのしちせ)といって、『財力や教えを説く知識がなくても、他人にして差し上げられるおこないがある」としています。そのひとつが『和顔施(おげんせ)』。どんなときでも、誰に対しても、穏やかな笑顔で接する、というのがそれです。』

 

いや、これは素晴らしい言葉ですね。「和顔施(おげんせ)」、大事にしたい言葉です。

 

平井住職は、「心のこもった笑顔を向けられて怒る人はいません。虫の居所が悪いときだって、笑顔で相対されたら、心が和むものです。逆に、元気づけの言葉や励ましの言葉は、ともすると、かえって相手の気持ちを落ち込ませたりすることがあります。」

 

なぜか、良寛さんの面影が浮かんできそうです。実際のお顔はどうでしょう。でもいつも子どもたちと遊んでいるような、そんな良寛さんを思い浮かべると、笑顔に見えるのですから不思議です。

 

最後に、平井住職の言葉

 

「仕事で一歩抜きん出なくてもいい、他人に負けじと自分を主張しなくてもいいじゃないですか。目立たないけれど、その笑顔でいつも周囲の人たちの心を和ませる。そんなふうに、野に置かれた蓮華草みたいに、“咲いてみる” のも悪くない。」

 

私も田舎の片隅で暮らし、仕事をしていますが、レンゲ草のように静かに田んぼの肥やしになり、あるいは遠くから近くから顔をふと向けると、心が安まる存在になると、すてきだなと思う、この頃です。