たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

日報と外付けHD <陸自イラク日報隠蔽 危うい文民統制>などを読みながら

2018-04-06 | 知る権利・プライバシー保護と情報収集・管理の適正化

180406 日報と外付けHD <陸自イラク日報隠蔽 危うい文民統制>などを読みながら

 

今朝も田中陽希さんのグレートラバース、大台ヶ原、伊吹山、荒島岳を見ました。彼は行動計画をしっかりと立てながらも、好奇心旺盛な若者らしく彦根城を訪ねたり、小谷城跡に立ち寄ったりと見ているフォロアーを楽しませてくれます。アクシデントもリアルです。舗装道路を長距離で走り歩いて、ついに足に痛みが走り動けなくなったときも、道路脇に座り込みマッサージしたりして、痛みの緩和をはかります。彼一人ではありません。助け人が現れます。彼の計画を知った地元の人がフルーツを持ってきて、苦しんでいる彼に話しかけフルーツを食べさせます。そういったことの一端もまた、彼は日誌に書き込むのでしょう。

 

世界で最も熾烈で厳しいレースといってもよい、アドベンチャーレースに参加する田中さんは、そういった経験を日誌に残すことにより、自然の変化、自分の能力や事故対応などを書いて、今後の参考にしているのではないでしょうか。

 

日誌なり、日報は、危険に対峙するとききわめて大切です。いや、日常業務においても必須でしょう。少し飛びますが、維新後日本で生まれたさまざまな企業があっという間に世界水準に到達できたのは、その要因の一つとして、江戸時代に活躍した商人の商業帳簿ではなかったかと思うのです。これはむろん手書きですが、克明に日々の業務内容、仕入れ、販売、保管などを記載してきたのだと思います。訂正するときもその訂正後が残るようにしてきたのだと思います。

 

この商業帳簿の証明力は、現在の裁判においても高い信憑性を持っています。それが渋沢栄一が常に大事にした、商いは信用を基本にするという、基盤になるものでしょう。それがなければ言葉だけです。日々の行いを克明に記録に残す、後から振り返って、その良し悪しを検討できますし、判断した責任の所在も明確になるでしょう。近代合理主義は、江戸時代にすでに芽生えていたか、ほぼ確立していたかもしれません。

 

武士社会においても、現在も残る日誌は、それに匹敵するものといえるでしょうし、農業社会における多くの農書に書かれた内容もまた、記録を残して、未来の世代の参考に供することを大事にしていました。

 

さて翻って、戦前の軍部が統帥権を標榜して、上層部の机上の空論にたって、それに反するような真正な日報を兵隊に書かさず、虚構の事実を報道させてきた事実は、文民統制の徹底をはかった日本国憲法下で、どの程度実現しているのか、最近の状況は懸念することばかりです。

 

事実の詳細は、新聞やTV放送、あるいはネット情報で、フォローすれば、私が適当なニュースのピックアップをするより、有効でしょう。

 

ただ、私がそういったニュースを見ていて気になったのは、指示系統の曖昧さと外付けハードディスクのことです。

 

クローズアップ2018陸自イラク日報隠蔽 危うい文民統制 緩い指示、緩い調査>では、前者については指摘されているかと思います。

 

<陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が、防衛相が捜すよう指示したにもかかわらず、発見から1年以上も報告されていなかった問題で、防衛省・自衛隊は5日も厳しい批判にさらされた。陸上自衛隊研究本部(現在の教育訓練研究本部)で見つかった日報の存在が、なぜ報告されなかったのか疑惑は深まるばかり。>

 

国会答弁とその後の指示について、防衛省・陸自内の受け止め方に大きな齟齬が感じられます。

<防衛省にイラクの日報について最初の問い合わせがあったのは昨年2月16日。「廃棄した」はずの南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報が統合幕僚監部で見つかった問題が国会で取り上げられる中、野党議員からイラク派遣時の日報についての資料請求があった。回答期限は「当日中」で、部隊運用に関する国会答弁を担当する背広組の統幕参事官が陸上幕僚監部などの運用担当課に照会した。各課ですぐに見つからず、「不存在」と回答した。稲田氏も同20日の衆院予算委で「残っていないことを確認した」と答弁した。

 

回答期限を当日中に求めたこと自体、どのような意図だったか疑問を感じます。むろん答弁側も、当日中の調査でわかるものが限られていることは明瞭であり、それに応じた回答をすべきなのに、断言したのはきわめて疑問です。

 

その後に再び稲田大臣の指示がありますが、不明確な内容であり、これでは全体を統率する内容になっていません。

 

で。こういった大臣指示の内容、背広組と制服組の意識の齟齬、さらには末端までの指揮系統がおざなりになっている点は、大いに検証して、再発防止を図ってもらいたいと思うのです。

 

で、長々と前置きを書きましたが、私が取り上げたいのは日報そのもののあり方と外付けハードディスクの問題です。

 

わたしが外付けHDを使うようになったのは20年以上前で、たしか1ギガバイトくらいしかなかったと思います。それを2個とか3個連結して使っていましたか。それでもせいぜい3ギガバイトですね。当時はそれでも大変な容量と思っていました。

 

でも現在は外付けHDでも2テラバイトとか3テラバイトで、しかも当時の大きさの3分の1とか、それに重さを感じない軽さですね。とても便利です。でもこれが問題ではにですね。

 

要は、日報をはじめ原票、原資料は大切ですから、万が一に備えて、スキャナーなり、あるいはタイピングないし音声入力で、PCのハードディスクに保存するか、直ちに中央本部にデータ送信されるのではないかと思います。そして同時に、安全のために外付けHDなり、外部にもデータが何重にも保存されているのが本来ではないでしょうか。

 

他方で、この外付けHDが直ちに明らかにされなかった点に問題があるように思うのです。だれがどのような場合に作成しだれが保管し、それをどのような場合に利用できるかが適切にルール化されていない印象を受けるのです。そんなことでは情報管理がずさんと言われても仕方がないと思うのです。

 

さて、日報の存在を確認すると言うことは、最低限、そこまで調べることがなされないと意味がないと思うのです。それは大臣たるものそのようなチェックを徹底していたのか気になります。もし日報の存在を明らかにしたくないという潜在的な意識が大臣、内閣の中で、隠れた意図として存在していたとすると、大臣以下の担当者の中にそのような忖度が働いてもおかしくはないように思うのです。限定解釈といったことがまかり通るということです。それは大臣自身がそのような徹底指示をしていなかったことの結果でもあるでしょう。

 

では日報は、早期に廃棄されないといけないものでしょうか。先に商業帳簿を含め業務日誌は克明に記録して長期にわたって保存すべきと書きましたが、まさに日報もそのような重要な意味をもっていると思うのです。

 

それは隊員一人一人、あるいはその部隊全員の活動に関係するわけですから、今後の活動にもさまざまな検証対象となるわけで、それを簡単に廃棄するようなことがあっていいはずがないと思います。

 

また、あまり日報の記載内容について言及したものを見たことがないので、的確なことをいえるわけではありませんが、日報の記載内容もまた、多くの検証にさらされるだけの必要な記載事項とし、またデータ化が容易なように、工夫改善されるべきでしょう。

 

いま隠蔽云々が問題になっていますが、それは誰から誰への指示、それをどう受け止めたかをきちんと明確にして解明してもらいたいと思います。他方で、今述べた日報のあり方と外付けHDのあり方もこんごの取り扱いとして検討してもらいたいものです。


公文書の存在理由 <公文書クライシス 公用メール、裁量で廃棄 6省庁の課長ら8人証言>を読んで

2018-01-15 | 知る権利・プライバシー保護と情報収集・管理の適正化

180115 公文書の存在理由 <公文書クライシス 公用メール、裁量で廃棄 6省庁の課長ら8人証言>を読んで

 

最近、滅多に憲法を読むことがなくなったのは恥ずかしいことなのでしょうね。今朝の毎日記事を見てつい、憲法の条文を久しぶりに確認してみたくなりました。

 

152項 「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」

 

その前の13条の個人の尊厳や14条の国民の平等権などはよく引用されますが、次に公務員の規定がきていることに意味があるのでしょうね。

 

この「全体の奉仕者」という言葉はどちらかというと形骸化している、いや実体がともなっていない意味合いで使われるように思えますが、この趣旨を体現してる公務員も少なくないことは忘れてはならないでしょうね。

 

しかし、毎日記事<公文書クライス>の見出しで、詳細に報じている内容は、とても憲法の規定にそぐわないように思うのです。

 

また平成21年成立の「公文書等の管理に関する法律」の目的にも適合しないのではないでしょうか。

 

その第一条を引用します。

「この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。」

 

同法では公文書等を3種規定し、そのうち影響の多い「行政文書」について、24項で次のように定義しています。

「行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録(・・・省略・・・を含む。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。」

 

つまり、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書は、例外規定に当てはまらない限り、すべて対象となるわけです。そして例外として定められている3類型は明白に識別できます。

 

メールは電磁的記録ですね。公務員が作成する以上、職務上によらないものは「全体の奉仕者」としてあってはならないことですね。私事を含む公務以外の事項は個人のメールアドレスを使って行うべきです。

 

それは一人に対して送信すれば除外されるといった話しは論外です。関係省庁との打合せのための準備作業などのメールも行政文書から除外されるべきではないでしょう。むろん国会議員を含むさまざまな関係者との間での交渉経過を記録した文書、それを庁内で共有するためのメールも、重要な行政文書から漏れるとは思えません。

 

改めて公文書管理法の目的規定を確認する必要があると思うのです。これらすべてを公開するかどうか、また公開時期をいつにするかは、内容によって異なる取り扱いは慎重に判断されてよいと思います。しかし、作成者個人の裁量で、廃棄したり、私的メールで扱ったりするといったことは許されるべきでないことは当然ではないでしょうか。

 

さて、折角ですので、少し毎日記事を引用して、取材内容を紹介しておきたいと思います。

 

記事はウェブ上では4つあります。多少重複していますが、とりあえずすべてクリックすればアドレスに届くようにしておきます。引用する場合は番号を付しておきます。

 

1 <公用メール、裁量で廃棄 6省庁の課長ら8人証言 議員対応、個人で保管も

2 <公用メール、裁量で廃棄 官僚8人実態証言

3 <恣意的選別で残らぬ記録 管理策に「抜け道」

4 <公用メール廃棄 「私的メモ」公開逃れ

 

1の記事では<各省庁で利用が急増している公用電子メールの大半が公文書として扱われていない実態を、複数省庁の担当者が毎日新聞の取材に証言した。メールは官僚の裁量で廃棄できるといい、国会議員と対応した記録などは情報公開の対象とならないよう個人で保管するケースもあるという。情報のやり取りが増えているにもかかわらず、公の記録が残らない現状が明らかになった。>と問題の所在を明らかにしています。

 

現代ではメールは不可欠の意思伝達手段ですし、その利用頻度は想像を絶する勢いだと思います。わたしがメールを始めたのはカナダでもう20数年前でしたが、電話回線でしたので、遅いし、添付ファイルができたか、できたとしてもわずか、容量がとてもわずかでしたね。

 

ところが現在では、私は使っていませんがクラウドなどさまざまな保管方法があるようで、その容量に際限がないほどでしょう。

 

私のような弁護士の場合仕事で使う容量は写真・図面・文書といってもせいぜい100メガバイトくらいでしょうか。たぶん普段は1メガバイトも使っていないでしょうね。

 

でも公文書ではかなりの容量が飛び交っていると思われます。20年暗い前の政府や地方自治体のウェブ情報はないに等しい(北米・西欧に比べて)状態でしたが、いまではこれらの国に匹敵する程度の情報が少なくとも政府から発せられていると思います。

 

余分の話しに脱線しました。元に戻ります

 

今回の取材は、<文書管理の実務に携わる6省庁の課長、課長補佐級の職員8人>の証言を基にしていると言うことですから、信憑性が高いと思われます。かれらこそ実務の責任者だと思います。

 

<政府は各機関の職員に個人用の公用メールアカウント(アドレス)を付与している。・・・回覧した幹部らが確認印を押す紙の報告書が激減し、報告内容をメールで上司や同僚に一斉送信することが増えている。こうした紙の報告書は「供覧文書」と呼ばれ、公文書として職場で保存されることが多かったが、メールの場合は個人で管理され、裁量で廃棄できる状態にあるという。>

 

メールは個人管理でその裁量で廃棄するとなると、加計学園・森友学園問題の実体と重なりますね。

 

ところで、次の記事も驚きです。

<官僚が職務で送受信するメールには、他にも通常の業務報告、国会議員からの特定の政策や国会質問に関する照会、それに対応した記録など、さまざまな内容が含まれる。>

 

ところが<8人はメールの内容が公文書の定義に合致する可能性があっても「公文書として扱うことはほとんどない」と証言した。理由については「電話と同じようなもので文書という感覚がない」「メールに特化したルールがなく、どんなものが公文書に当たるのか判断できない」と説明した。「国会議員との対応の記録は公文書とせず個人的に残すようにしている」と証言した官僚もいた。>

 

これは公文書管理法の目的規定に適合しない勝手な解釈ではないでしょうか。だいたい電話と同じようといった理解は的外れでしょう。そもそも電話内容もできるだけ記録するのが本来です。面談会話も同じですね。この感覚こそ問題ではないでしょうか。

 

メールは公文書管理法の規定で明らかなとおり、まさに文書です。むろん具体の取り扱いマニュアルはあってもよいでしょうけど、基本は文書と同じ扱いです。しかも「国会議員との対応の記録は公文書とせず個人的に残すようにしている」という理解はどこから生まれてくるのでしょう。これは国会議員に限らず、地方の首長、議員、あるいは企業代表なども同じような取り扱いなのでしょう。この理解こそ問題ではないでしょうか。

 

もう一つの問題はその数量・容量の多さにどう対応するかでしょう。<この分野に詳しい政府関係者は「1府省庁あたり年間数千万~数億通」と証言しており、実際には膨大な量の公用メールが行き交っているとみられる。>

 

多すぎるからメールを対象にすると、大変というのは浅はかではないでしょうか。なんのためのAI開発でしょうか。学習機能を有効に働かすよう開発すれば、有益なビッグデータとなり、より効率化が図れるでしょうし、少なくとも記録することになんの障害にもならないと思います。すぐに対応できない状態であれば、早急にプロジェクトチームを編成して検討すべきでしょう。

 

最先端のAI技術を持ってすれば、メールの分析・整理はあっという間に仕上げて、わかりやすく整理整頓して、必要なメールデータを即座に用意してくれるようになるでしょう。むろんウィルス攻撃に対する防御は不可欠ですが。

 

2の記事では米国のメール管理方法が採り上げられています。

<公用電子メールであっても個人のアドレスを介してやり取りされるため、個人管理になりやすい。本数が多く内容も雑多で分類も難しいため、貴重な公文書が埋もれがちだ。米国では2016年にメールの特性を踏まえた管理基準が完成し、各省庁がメールを印字しなくても電子的に保存できるシステムや、職員のランク、記録内容に応じた保存期間を定めるルール作りを進めている。高官のメールを全て自動保存している官庁も既にある。>

 

メール利用は相当早い段階から行われてきたアメリカですから、管理方法も参考になるのではと思うのです。

 

ところで、ルールを厳格に適用するようになると、全体の奉仕者性が意識から抜け落ちている官僚の場合、容易に逃げ口を探してしまう恐れがあることはよく言われることです。

 

3の記事ではその辺りを指摘しています。

たとえば共有フォルダーで保管するものを公文書扱いにする賭した場合<ある官僚は「この内容なら、共有フォルダーに入れないものは公文書ではないと解釈できる。表に出すと都合の悪いメールは今まで以上に共有フォルダーに入れないようになるだけ」と話した。>とか。

 

公用メールはすべて公文書扱いすると、<複数の官僚によると、政治家が絡んでいて表に出しにくいような案件では、私用のメールアカウントを使ってスマートフォンなどで報告し合うケースが増えているという。その1人は「公用メールの保存や公開をルール化したら、私用メールを使う頻度が上がるだけ。抜け道をふさぐ手段を講じないと意味がない」と語った。>とか。

 

11のメールは非公開の取り扱いについては、<市は橋下氏が職員と1対1で交わしたメールは公開の対象外としていたが、大阪高裁は昨年9月の判決で、1対1のメールも公文書と認めて市の非公開決定を取り消した1審を支持し、市の控訴を棄却した。原告の服部崇博弁護士は「市の主張が通ったら、市民に知られたくない情報はわざと1対1メールで伝えれば隠蔽(いんぺい)できることになる。1対1メールは公文書ではないと考えている自治体もあるので、意義のある判決だと思う」と話す。>

 

当たり前の判決が評価されるほど、行政べったりの裁判所かと一瞬疑ってしまいますが、この1対1のメールは公的内容とならないという変なルール自体がまかり通ることがおかしいのです。むろん、公開に歯止めがあってしかるべきとは思いますが、それには地方自治体においても公文書管理法の趣旨にそって、いやそれ以上に、公文書管理を徹底し、公開に備えることが、民主主義の第一歩ではないでしょうか。

 

今日も少し時間オーバーとなりました。このへんでおしまい。また明日。


NHKの公共性とは <NHK受信料「合憲」判決 押し付けられた「公共」>などを読んで

2017-12-14 | 知る権利・プライバシー保護と情報収集・管理の適正化

171214 NHKの公共性とは <NHK受信料「合憲」判決 押し付けられた「公共」>などを読んで

 

午前中、伊方原発差止抗告審決定についての朝のNHKニュースを公共性の観点から疑問を投げかけました。ちょうど見出しの記事を読んでいたときでしたので、余計、気になりました。

 

伊方原発3号機の安全性高裁で改めて判断へ>というニュース見だしだったと思います。繰り返して恐縮ですが、大事なことなので容赦ください。

 

このタイトルはその点で確かに客観的事実を取り上げていますが、高裁段階で初めて原発の危険性を認定した判断の重要性を掘り下げないまま、「安全性」を改めて判断として、さらに<世耕経産相「政府方針は不変」>と司法判断を軽視するかのような、政府寄りとも思える内容には疑問符を禁じ得ません。

 

たしかにこれまでの司法判断では大勢は、政府と同じ考え方で、規制委が安全と判断していることに異を述べるのは少数の地裁判断のみでした。しかし、今回は高裁で地裁判断を覆して安全ではないとしたのです。その意義は大きいですし、その内容も影響が大きいものです。それを政府と同じ目線で、淡々と「高裁で改めて判断へ」というのはいかがかと思うのです。

 

むろん視聴者の多数はNHKのこのような取り扱いに疑問を抱かないかもしれません。しかし、今回の広島高裁は、福島第一原発事故で原発の安全性に対して大きく意識変革があった原点に立ち返り、鋭く原子炉等規制法と新規制基準の趣旨を追求して、安全性に疑義を示したのです。それをなんでもないかのように、一時的な判断かのように見越して、その安全性(疑義)の判断を見直すような意味合いのタイトルと内容はいかがなものでしょう。

 

さて、毎日記事では先の最高裁大法廷判決を踏まえて<ジャーナリズムウオッチNHK受信料「合憲」判決 押し付けられた「公共」=山田健太>と、NHKに公共性のあり方を問うています。

 

受信料支払い義務の合憲根拠として、<最高裁は「公共放送事業体としての日本放送協会(NHK)」>と判示しています。しかし、<放送法をはじめとするあらゆる法は「公共放送」なるものを規定していない。>と、その公共性とは何かがNHKに突きつけられているというのです。

 

また、<最高裁はさらに「公共の福祉のための放送」をNHKに求めた。この表現は放送法1条にもあるし、憲法や数多くの法にも使われているが、具体的に何を指すかは不明だ。>

 

そうですね、公共と政府が言えば公共だとなりかねませんね。

 

そういったことに対する抵抗権としての支払拒否という手法は、この最高裁判決によってとれなくなりました。ではどうするか。

 

<はかない抵抗であった「支払わない自由」を奪われることで、放送番組に対して異議申し立てをする機会は事実上失われることになる。本来なら、視聴者代表である経営委員会や、国民の代表である国会による予算承認権が、政治家の「道具」に利用されている実態の中で、司法から「みんなで支えるように」と諭されても、素直に従う気持ちになれないだろう。>

 

山田氏は<「公共」は押し付けられるものでも、与えられるものでもなく、NHKの不断の努力によって作り出すべきものだ。政府からの独立を目に見える形で示し、現行制度を自ら改革して自身の「見える化」を進めることでしか、公共放送の道はないだろう。>と述べています。

 

たしかに「見える化」は重要な一手です。まずその見える化の中身を充実必要があるでしょう。番組編成の見える化という意味では、事前アセスメントは検閲になりかねませんので、慎重な対応が必要でしょう。少なくとも事後アセスメントという形での検証は見える化の対象として徹底してみてはどうかと思うのです。

 

事前アセスでも、番組編成等について、さまざまなアプローチが外部から、また内部の上層部からありうるわけですが、そのアプローチは基本、すべて記録され、一定の条件の下で開示され、検討される対象となるべきではないでしょうか。

 

また公共性という抽象的で漠然とした内容について、それぞれの番組の制作目的として具象化し、それがどのような意味で公共性を持つかを制作理由の重要な一つとして常に表現することを求めて良いと思うのです。また、その制作目的が実際番組自体、また視聴者の意見を踏まえて、そういえるかも検証対象として良いのではないかと思うのです。

 

こういったアセスメントは、すべての番組を対象にしつつ、簡易なチェックリストで絞り込み、問題のある番組については公開で議論・審査するとか、いくつかの審査レベルを用意することもコスト・時間を無駄にしないで、公共性の実現を果たすことになり得るように思うのです。

 

なお、関連して<社説NHK受信料に合憲判決 公共放送の自覚を新たに>でも公共性の中身について言及し、次のように述べています。

 

<放送法は、NHKの目的を、あまねく全国で受信できる、豊かで良い番組を放送するとうたう。NHKの倫理・行動憲章は冒頭に、自主自律を堅持し、健全な民主主義の発展に役立つ放送を掲げている。

 つまり公共放送は、国の言い分を伝えるのではなく、多くの角度から論点を明らかにするなど、多様性の確保が期待されているのである。>

 

多様性というキーワードは重要です。ただ、その内容をより中身にあるものにする具体的な仕組みが提言され、実現されないと、これまた絵に描いた餅、あるいは批判だけに終わりかねないおそれがあります。

 

その点社説が指摘する<NHKには例えば地方や少数者に配慮する番組が求められるのではないか。>といった視点は重要な意味をもつと思います。

 

<NHKではテレビ離れが進む中、ネット業務の範囲や負担のあり方も検討されている。公共放送としての役割をもっと議論し、人々の理解を得るよう努めてほしい。>これもきわめて大きな問題の一つですが、どのように議論して、将来を見通した制度設計を行うか、待ったなしでしょう。

 

今日はこれから会議があり、この辺でおしまいとします。また明日。


NHK受信料考 <NHK受信料 最高裁大法廷判決の要旨>などを読んで

2017-12-07 | 知る権利・プライバシー保護と情報収集・管理の適正化

171207 NHK受信料考 <NHK受信料最高裁大法廷判決の要旨>などを読んで

 

昨日書こうかと思っていたNHK受信料訴訟、今朝の毎日に上記記事が掲載され、さらに関連記事がかなりの量で取り上げていましたので、他の話題はやめて、この話題を取り上げたいと思います。

 

さてNHK受信料訴訟といっても、私も報道で知る程度で詳細はわかりません。ただ、基本はNHKが放送法に基づき、受信設備を設置した世帯ごと、受信料を請求できるか、それはどのような場合に(契約成立を認め)請求できるか、いつから請求できるかという問題かと思います。

 

さて、上記記事ではその争点に対する判断を簡潔に整理しています。

 

<【制度の合憲性】

 財政基盤を受信料で確保する仕組みは、国民の知る権利を充足する目的にかない、合理的。憲法上許容される立法裁量の範囲内であることは明らか。>

 

きわめて紋切り型ですね。これが憲法論なのかと思うほど、中身の薄いものではないでしょうか。いや、要旨だからで、しっかりと合憲の根拠を示していますよということであれば、やはり判決書を入手しないといけませんが、たぶんわが国の最高裁判事の現状はこれでよいと思っているかもしれません。

 

上告人側の弁論の中身は相当詳細で力説している部分の一つだと思うのですが、それに少しくらい答えても良いのではと考えるのは甘いでしょうかね。比較法的な考察や他の情報媒体との間のバランスとか、さまざまな議論を深めて欲しいと思うのですが、期待するのが野暮かも。

 

といって私自身は結論自体にさほど違和感はありません。国民の知る権利という大命題について判断する以上、丁寧な議論をしてもらいたいと思うのです。

 

この点放送法および同法641項の意義について大法廷は少し詳細に言及しているようですので、それで合憲論を補っているつもりでしょうか。

 

<【放送法64条1項の意義】

 放送は、憲法の表現の自由の保障の下、知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与する。この意義を反映し、放送法は公共放送と民間放送の2本立て体制を採用し、公共放送事業者としてNHKを設立。特定の個人や団体、国家機関から財政面で支配や影響が及ばないよう、受信設備を設置して放送を受信できる者に、広く公平に負担を求めることで支えられる事業体とした。受信設備設置者とNHKとの受信契約を定めた放送法64条1項は、NHKの財政基盤を確保するため法的に実効性のある手段として設けられた。>

 

しかしながら、これは結論であって、立法裁量というのであれば、裁量事項をきちんととりあげて、その裁量の合理性を根拠づけてもらいたいものです。

 

こういう場でこそ全国民に訴えかけるような議論をして、憲法裁判所がないわが国では、大法廷の重大な役割ではないかと思うのです。アメリカの最高裁判決は結構、引用されることが多いのですが、それは格調があるだけでなく、心に響くものがあるからではないかと思うのは皮相的な見方でしょうかね。残念な思いです。

 

法律構成として少し問題になるのが受信契約をどのような事実から認定できるかですが、これも放送法から安易に結論づけているように見えるのです。

 

<【受信契約】

 放送法をみると、NHKから受信設備設置者への一方的な申し込みによって受信料の支払い義務は発生せず、受信契約の締結(双方の合意)によって発生する。NHKが設置者の理解を得られるように努め、契約が締結されることが望ましい。契約成立には双方の意思表示の合致が必要だ。設置者が受信契約の申し込みを承諾しない場合は、NHKが承諾の意思表示を命ずる判決を求め、判決の確定によって受信契約が成立する。>

 

契約は双方当事者の意思の合致が近代法の確立した原理ですね。ですからNHKの主張のように、受信設備を設置した段階で契約成立を擬制するような見方は、さすがに大法廷は取りませんでした。当然でしょうね。

 

とはいえ、設置者がNHKの申込を承諾しない場合に、その意思表示を命ずる判決を求めて判決確定により契約成立とする構成は、放送法641項の文言から飛躍して司法判断で救済する内容となっているように思うのです。条文の文言からは承諾義務を裁判で強制できると解するのは無理があると思うのです。

 

加えて、放送法の趣旨、当該条項の趣旨について、国民の理解が十分に得られていない状況があることを否定できません。国会で決めたから、当然OKといっては大法廷としてはちょっと人情に欠けませんかね。「大岡裁き」という架空の期待はどんな世の中にもありますが、大法廷も、こういった国民の生活の機微にかかわる事件では、もう少し丁寧に解釈論を展開する余地があったように思うのです。

 

<鬼丸かおる裁判官の補足意見>は、もっと多くの裁判官も賛同しても良かったのではないでしょうか。

 <締結強制は契約締結の自由という私法の大原則の例外。受信契約の内容も法定されるのが望ましい。>とりわけ次のように支払義務が認められると、当然に設置時点から受信料支払い義務が発生するというのは酷な場合があるように思うのです。

 

<【支払い義務】

 受信契約を締結した者は受信設備を設置した月から受信料を支払わなければならないとする規約は、設置者間の公平を図る上で必要かつ合理的だ。承諾を命じる判決の確定により受信契約が成立すると、受信設備設置の月以降の分の受信料債権が発生する。裁判官14人の多数意見。>

 

規約の周知性が十分であったかの実態認識や議論が裁判官内で十分尽くされたのでしょうか、疑問です。

 

一人、弁護士出身の<木内道祥裁判官の反対意見>は次の通りです。私もいなか弁護士ではありますが、弁護士らしい市民感覚を反映した違憲ではないかと思うのです。

 

 <放送法64条1項が定める契約締結義務は、意思表示を命じる判決を求めることができる性質のものではない。判決によって締結させようとしても、契約成立時を受信設備設置時に遡及(そきゅう)させることや、契約内容の特定を行うことはできず、設備を廃止した人への適切な対応も不可能だ。>

 

大法廷判決要旨についてはこの程度にして、毎日記事<NHK受信料徴収の「お墨付き」 同時に重い責任も>にはより詳細で多様な議論が展開されていて、興味深いです。

 

そろそろ一時間になりますので、きりのいいところで今日はおしまいとします。また明日。


プライバシー保護とは 改正通信傍受法施行の行方

2016-11-28 | 知る権利・プライバシー保護と情報収集・管理の適正化

161128 プライバシー保護とは 改正通信傍受法施行の行方

 

昨夜NHKで「パナマ文書」の調査報道が放映され、その後どうなったかと気になり、見ていたのですが途中まで見て眠ってしまいました。世界各国から移動した膨大なタックスヘイブンの情報がパナマの一法律事務所から出てきて、各国の報道機関が協力して調査してきたので、真相が相当分かるのではと期待していましたが、それ以後あまり報道がなかったことから予想されるとおり、なにかを裏付けるだけの情報にたどり着いていない印象を受けました。

 

このパナマ文書は、内部情報者からのリークでしょうか。匿名での提供というのもそんなイメージを与えます。

 

ふと思い出したのが映画「ザ・ファーム」でトム・クルーズが演じた新米弁護士による勤務先法律事務所がもつ顧客情報です。それはケイマン諸島に隠されたタックスヘイブンやマネーロンダリングに関わる情報のFBIへの提供です。弁護士の秘匿義務に違反しないで、当該法律事務所の違法行為を糾弾するといった、二律背反の状況で、彼が選んだのは郵便詐欺(Mail Fraud)というアメリカ法特有の制度です。その法律事務所では、弁護士が顧客に報酬を過大請求したり、やっていないのにやったことにして虚偽の報酬請求していたことについて、郵便詐欺罪(連邦法違反)として告発したのです。ですので、実際は、パナマ文書のような内容自体(映画では違法な内容を記載した顧客情報の文書)は開示されていません。

 

ところで、143月トヨタ自動車が大規模リコール問題に関し、米国司法省との間で、12億ドルの制裁金を支払うことで起訴猶予合意していますが、その法的根拠となったのが、郵便詐欺と類似の電話詐欺(Wire Fraud)です。リコールの車両製造自体の問題というより、通信の内容の虚偽性が問題として摘発されているわけですね。

 

そういうわけで内部情報自体には、アクセスされていず、問題も解明されているとはいえません。しかし、他方で、アメリカでは「スノーデン事件」で明らかになったように、各国の大統領・首相から行政の主要官僚はもちろん、一般の人まで通信傍受が大々的に行われてきたわけです。むろん国家的な機密や安全に関わる情報収集という一応の公益性はあったかもしれませんが、まったく関係ないプライバシーも当然含まれていたわけです。

 

そのアメリカの圧力を背景に、2000年通信傍受法がわが国で施行され、さらに今春には毎日のように表現の自由・通信の秘密侵害・違憲論が論議されながら、大幅に改正拡充され、その施行が今週木曜日(来月1日)になりましたが、なんだか不思議なほど平穏です。

 

今朝の毎日は、その改正法の内容を割合淡々とまとめています。まず通信傍受を認める対象犯罪を、従来は薬物、銃器、集団密航、組織的殺人の4類型の犯罪だったのを、詐欺、恐喝、窃盗、強盗、傷害、現住建造物等放火、児童買春・ポルノ禁止法違反に拡大した他、その要件も緩和しました。

 

たしかに、オレオレ詐欺を含め、上記の犯罪は集団的、あるいは役割分担を決めてやる犯罪類型が増えていることから、一定の必要性・合理性があることも支持された一因かもしれません。

 

私自身も、窃盗と言っても、重機窃盗などでは、外国人が購入者、特殊車両の運転手、仲介者、仮装の売主、仕掛け人など、多数が介在して行われている事案を取り扱ったことがありますが、通信機器による通信内容を傍受できれば、一網打尽できると思われるものの、多くは末端のみが検挙されるに過ぎず、各地で同種犯罪が続いているように思うのです。

 

上記の新しい犯罪類型で特殊ともいえるのが、児童買春・ポルノ禁止法違反ではないかと思います。警察庁のホームページを見ると、大きくこの問題を取り上げています。世界的に児童ポルノなどの情報が事実上野放しで、次々とあちらをたたけばこちらから出現するといった状態で、わが国としてもきちんと対応しないといけないと思っているようなふしがあります。

 

上記と直接関係があるわけではありませんが、わが国では、本屋さん、電車広告、その他公開の場で、少しおとなしくなったとはいえ、女性のヌードないしそれに類似する写真等がおおっぴらに見られる状況にあるように思います。西欧の町では一定の場所をのぞき、子どもや女性を含む大衆がアクセスできるところでは見かけないように思うのです。いい大人が電車の中でそういった写真の掲載された新聞や雑誌を堂々と見る風景は見ていて悲しくなります。

 

改正通信傍受法に戻ると、もう一つの柱は2年後に施行の立会人の監視なしに行うという点です。従来、傍受の期間が10日間といった制限や、通信事業者の施設に出向き、社員の立ち会いが必要とか、制限があったのを撤廃し、特定の機器を使えば以下の方法でよいとしています。

(1)傍受令状に従って通信事業者から通信が特定の機器に暗号送信

(2)暗号を復元して傍受すると同時に、再生した通信内容は漏れなく自動的に原記録に暗号記録

(3)原記録は裁判所に提出

法務省幹部は「データ改ざんなど不正の余地が物理的に排除されている。立会人の役割は代替できている」と説明しているそうです。

 

一見非の打ち所がないようなところが危ないように思います。だいたい、暗号記録を傍受記録にして、そのうち犯罪関係だけを抽出する作業は容易でないように思うのです。さまざまなプライバシー情報が含まれているわけで、それと犯罪情報の仕訳が簡単にはいかないように思うのです。また会話録音の反訳をやった経験がある人なら分かりますが、大変な作業です。傍受内容がクリアだったとしても、人によっては言葉の判別が容易でないことも少なくありません。それを捜査官だけに委ねることは不安が残ります。

 

もう一つ重要な点は、サイバーテロなどに対するデータ保護が確保されているかですが、これまた警察庁レベルではある程度充実してきているとは思います。しかし、都道府県警レベル、ましてや末端の警察署でのデータ管理はどこまで対応できるか、疑問です。

 

 

後書き

昨夜、ビデオで撮っていた「追跡 パナマ文書」を削除しようとしたら、まだ半分も見ていないことに気づき、残りを見ました。するとあの1300億円が消失した年金詐欺・金融取引法違反事件15年の懲役が確定した浅川和彦元被告の名前がのった文書があり、口座には1000万円残っていたとのこと。口座名義人が代理人名だったのが事件発覚後本人名に変更されたということから、自由に資金移動が行われた可能性が示唆されていました。となると、口座資金の移動が開示されない場合、やはり闇の中にとどまったままとなりますが、もし改正通信傍受法が施行されていれば、捜査側が詐欺事件容疑で傍聴して、資金移動の指示などを認知できたかもしれないことになりますね。簡単ではないですが、国税庁を含む他の捜査や証拠収集を期待するしかないかもしれません。

 

もう一つ、7名の日本人の偽造パスポートで作られたペーパーカンパニーが、問題の出会い系サイトを運営していて、暴力団と関係するような組織が児童買収・ポルノを行っていたようです。まさに警察庁が摘発すべく懸命に努力している分野ですね。改正通信傍受法の施行をより促進するような、NHK番組報道になったのは偶然でしょうけど、他方で、いまだ調査報道の対象となっていない、多くの日本人名の行方はどうなるのでしょう。