たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

自然への畏敬 <eye 母なる森に抱かれて 悠久のアラスカ南東部>を見ながら

2018-11-28 | 自然生態系との関わり方

181128 自然への畏敬 <eye 母なる森に抱かれて 悠久のアラスカ南東部>を見ながら

 

毎日最新ウェブ記事に<大阪万博会場「夢洲」の環境問題 よみがえる豊洲市場の“悪夢”>というタイトルで、会場となる夢洲の現状をリポートし、埋立処分された産廃等の問題を取り上げています。万場会場ですら普通、地下掘削もさほどたいしたものでないでしょうし、豊洲と同レベルの議論というわけにはいかないと思いますが、そういった不安が広がれば元も子もないわけですね。透明性を確保して、客観的な検証をして、結果を随時公表することで、二の舞を避けて欲しいと思うのです。

 

毎日の昨夕で紹介されたのは<eye母なる森に抱かれて 悠久のアラスカ南東部>でした。この地域は一度は行ってみたいと思いつつ、結局、訪れないままでしたが、こういった鮮烈な写真で(写真家・松本紀生氏)十分堪能できます。

 

そこはアラスカが長い尻尾のようにカナダに食い込む形で長く伸びて、太平洋と北米大陸の西海岸がシアトルまで、多彩な島々が浮かんでいて、船乗りというかヨットマン、カヌーイストにとっては憧れの場所の一つでしょうか。

 

ケネス・ブラウアー著(芹沢高志訳)『宇宙船とカヌー』では、そこを舞台に、豊かな自然と人の交流を感じさせてくれます。私の好きなカヤックを一つのキーワードとして。

 

そんなこともあり、私はなんどか近くまで行ったことがあります。アラスカは三度訪れていますが、一度はアンカレッジから東に少し飛んだところにあるバルディーズを訪れました。年間を通して凍らない港で、エクソン社の石油基地があり、80年代後半、油流出事件が起こったところです。それは素晴らしい場所でした。港をチャーター船で走っていると、ラッコの家族が海面でひなたぼっこしたり、貝殻を割ったりしてのんびりした姿を見ることもできました。イルカだったような記憶ですが、ずっと一緒に伴走してくれたり、生物が活き活きとしている姿を間近にしました。ちょっと行くとおおきな氷河があり、一部はどんどん溶けて、氷山の塊が次々と襲ってくるような場面にも出くわしました。このときが600kmくらい北でしたか。

 

でもジュノーは遠かったのです。別の機会にカナダ・ユーコン準州の州都ホワイトホースを訪ねたことがあります。ここでユーコン川の川下りをカヤックですることができました。このときは当時世界でも最先端の環境訴訟法ともいうべき法律を成立したと言うことで、その実情を少し調べるため政府機関を訪問したのです。でもジュノーから東に300kmも離れていましたね。

 

もう一度近づいたことがあります。それはカナダ西海岸の北端に位置するプリンス・ルパートという港町です。ここでもシーカヤックを借りて港を少しだけツーリングしましたが、周囲の山々が迫ってくる感じで荘厳さを感じさせてくれました。でもジュノーははるかかなたでした。450kmくらい北方にあったのですね。

 

そんなわけでケネス・ブラウアー氏の気分を少しでも味わうとしましたが、無理な話でした。

 

話は飛びますが、アラスカ航空はどのくらい航路があるのか知りませんが、少なくともバンクーバー・アラスカ間は飛んでいましたが、往復したときいずれも満員に近い大人気でした。わたしがある環境関係の資料を読んでいると、隣の人だったか面白いの読んでいるねなんて気安く声をかけてくれる雰囲気もよかったです。なんでこんな話になったかというと、あるハーバード大の教授が引用した資料に、航空会社の収益率を比べるグラフがあり、その中に日本航空はじめ多くの航空会社が赤字で苦戦しているのに、アラスカ航空が黒字で安定していたので、あまりきかない会社ですが、結構うまくやっているのかしらと思うのと、他方で、アラスカの自然に魅了された多くの人が訪れている、値段が少し高いけどと思ったのです。そう自然は金銭では変えられないものですが、経済的評価をすることは適切であれば有用性があるということ少し感じたので、取り上げてみました。

 

さてまわりくどい冗長な前置きとなりました。

 

松本氏が撮影した原生自然の森は、クーバノフ島というジュノーがある海岸線に浮かぶ島の一つです。苔が一面に広がり、樹木と土がまるで一体のような雰囲気さえする森ですね。私もこういった森を、バンクーバー島の中央部付近で見たことがあります。太古の森、それはほとんど人が訪れないところとして残されてきた印象を抱きました。

 

松本氏が紙面で指摘していますが、アラスカと行っても、太平洋岸の南東部からカナダにかけては温暖な海流の影響もあるのでしょうか、レインフォーレストが広がっていて、巨大な樹木がいまなお残されて保全されているところがありますね。

 

他方で、氷河も広がっていますので、別の写真のように<氷河内部の空洞。氷が赤色を吸収するため、反射される青い光が内部を青く染めているように見える。溶け去った後に年月を経て森が現れる>という光の造形の妙も見ることができますね。温暖化が進めば、森が広がるのでしょうか。氷河の先端がどんどん崩れて海面に落ちる様子をあちこちで見ましたが、そういった将来も少し不安に感じさせてくれます。

 

<サケを追うヒグマ(奥)>も近い位置だと撮影するのも怖いでしょうね。<研究者によると、あるヒグマは捉えたサケを8時間の間に40匹も森の中へ運んだという>のは驚きです。シープクリークという小川でしょうか、クリークというと小さな川というイメージもあるのですが、実際は川幅が結構あるところが多く、ただ水深はたいてい浅いように思うのですが、地形学的な用語かどうかは知りません。

 

30分を少し回ってしまいました。今日はこの辺でおしまい。また明日。


種の保存法 <絶滅危惧種 「センザンコウ」剥製出品 容疑の社長送検>を読みながら

2018-04-09 | 自然生態系との関わり方

180409 種の保存法 <絶滅危惧種 「センザンコウ」剥製出品 容疑の社長送検>を読みながら

 

70年代から90年代にかけて、自然環境保全が北米の議会や訴訟を通じて活発な動きがあったように思います。そこにはさまざまな絶滅危惧種が登場していました。その象徴的な一つが70年代のスネイル・ダーターという小魚の生息域を侵すということでテリコダム論争でしょう。

 

その後も次々と絶滅危惧種が登場して、開発に大きな変更をお呼びしました。90年代初頭のマダラフクロウ保護と北西部森林伐採の制限は、クリントン大統領が最終的な決着をみたのでしたか。

 

このような運動や訴訟の中で、絶滅危惧種法(The Endangered Species Act)は環境保護派にとっては有効な法的手段となっていました。

 

わが国の種の保存法(正式には「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」)は、92年に成立していますが、似たような名称なのに、まったくそのような機能を当初よりもっていません。

 

どこが違うのでしょう。私の仲間といってよいでしょうか、関根孝道さんが翻訳した『米国 種の保存法 概説』はその開発制限・環境保全に実効性のある制度枠組みを見事に翻訳・解説しています。私も原書を読んでいたので、これを日本に紹介したいと思っていましたが、私の力量ではとても叶わないものでした。地道な、そして当時としてはとても先端的な作業を関根さんはやりとげました。

 

その原稿用紙を見せてもらい、その内容の緻密さをみてびっくりして、詳細に字句を追っていったことをいまも記憶しています。ちょうど20年くらい前のことでしょうか。関根さんは大学や大学院の教師をして若い学生に新しい環境思想を吹き込みながら、その後も環境訴訟に取り組み、頑張っているようです。

 

急に『米国 種の保存法 概説』のことやESA訴訟などを思い出したのは、今日の毎日ウェブ記事<絶滅危惧種「センザンコウ」剥製出品 容疑の社長送検>を見て、わが国では、種の保存法はこういう利用の仕方しかされないなと嘆息まじりに感じたからです。

 

これは90年代初頭の段階でも、それまでのいわゆるワシントン条約が取引や貿易規制にとどまり、生息地・生育地保護といった基本的な法制度がないことを問題にしていたのに、いまなおそのような状況は大きな変更がないなと感じてしまいます。

 

記事は<うろこを持つ哺乳類で絶滅危惧種の「センザンコウ」の剥製をインターネットオークションに出品したとして、警視庁戸塚署は9日、種の保存法違反(広告禁止)の疑いで、島根県大田市の通信販売会社「フリースタイル」の男性社長(36)=同県出雲市=と法人としての同社を書類送検した。>

 

<書類送検容疑は2017年10月20~22日ごろ、国際希少野生動植物種に指定されているマライセンザンコウの剥製1体を「現在価格5千円」「インテリアに最適です」などと広告して出品した疑い。>

 

同法の次の規定に違反するということですね。

(陳列又は広告の禁止)

第十七条 希少野生動植物種の個体等は、販売又は頒布をする目的でその陳列又は広告をしてはならない。ただし、特定国内希少野生動植物種の個体等、特定器官等、第九条第二号に該当して捕獲等をした国内希少野生動植物種等の個体若しくはその個体の器官若しくはこれらの加工品、第二十条第一項の登録を受けた国際希少野生動植物種の個体等又は第二十条の三第一項本文の規定により記載をされた同項の事前登録済証に係る原材料器官等の陳列又は広告をする場合その他希少野生動植物種の保存に支障を及ぼすおそれがない場合として環境省令で定める場合は、この限りでない。

 

ところで、同法でも「第三章 生息地等の保護に関する規制」が規定されていて、とくに「第二節 生息地等保護区」は現行の土地利用法体系の中で、しっかりと実効性のある法制度に作っていれば、日本版ESAに近い機能を持ち得たのですが、実効性ある規定としては単体の捕獲禁止や上記のような取引規制にとどまっています。

 

この問題は日弁連として、96年には「野生生物の保護を求める決議」の中で、「5.種の保存法、環境基本法の制定とその問題点」を簡潔に指摘しています。私も関根さんもこのときのメンバーで、問題点を議論しましたね。

 

また06年には「野生生物との共生のための生物多様性保全法の制定を求める決議」で、より広範に法制度の改革を求めました。

 

いろいろな思い出がつい浮かんできました。中身のない議論でしたが、関心のある方は決議文で簡単に問題点、対策を指摘しておりますので、参考にしていただければと思います。分厚い報告書では、より詳細に言及していますが、これまた紹介するには適さないでしょうね。

 

今日はこれにて失礼します。また明日。


花の遺伝子 <組み換えペチュニア、廃棄を>を読んで

2017-06-23 | 自然生態系との関わり方

170623 花の遺伝子 <組み換えペチュニア、廃棄を>を読んで

 

私の毎日の小さな楽しみの一つが花の成長を見守ることです。と同時にその下の土壌生態系がいつか見事に形成されるといいなと思うのです。前の住所では、生ゴミコンポストを継続してやっていたので、当初はゴミや廃材が投棄されていて、とても生き物が生息できる状態ではない印象でした。それが数年もたたないうちに、土はふかふかになり、ちょっと掘れば大きなミミズがうようよいるし、なんでも大きく育つようになりました。花もたくさん植えましたが、どんどん大きくなるのです。まだ、実験段階でしたが、土は人間が多少でも心がければ、変わっていくんだなと痛感しました。

 

とはいえ、植物のことも土壌のこともほとんどわかっていません。いまは分譲地のやせた土に買ってきた花の苗をどんどん植えて、当然すぐに枯れるのもあれば、やせた土壌でもしっかり育つのもあり、花にもいろいろあるもんだとも感じてきました。その中で、ペチュニアは種類が多く、また花の色も多種多様で、割合多く植えていました。この貧相な土壌というか、土の塊のようなところでも、結構株分けして大きく育つので、お気に入りの一つです。

 

それが今日の新聞<くらしナビ・ライフスタイル組み換えペチュニア、廃棄を>によると、大変な事です。

 

<家庭の園芸栽培でおなじみのペチュニアに未承認の遺伝子組み換え品種が流通していることが分かった。直接的な害はないが、生物多様性の確保のため遺伝子組み換え生物の使用を規制したカルタヘナ法に違反し、農水省は回収か廃棄を呼びかけている。>

 

遺伝子組換え農作物の問題はよく取り上げられ、トウモロコシなど話題になるので、食品関係は注意していましたが、花までとは思っていませんでした。でも当然の事態でしょうね。

 

私が購入する花の苗は、彩りが豊かで、土壌が育っていない貧相な土でも生き抜く力強い種が多いのですが、これらはほとんど外国から輸入されたものではないかと思うのです。彩りがきれいだとか、形がきれいだとか、そんな感覚で次々と買ってきてはその埋め立て地のような土で育ててきました。日本の野草なんて育ちそうもありません。田んぼのそばに生き生きとしている日本の野草なんて生きていけそうもないんです。それが見事に花を咲かせるのですから、花栽培の農家のたゆまぬ努力と、外来種の交配がうまくいっているからでしょうか。

 

でもそのような花栽培の競争の中で、遺伝子組み換え種が組み込まれるのは当然の流れではないかと思うのです。

 

意識をしないほうが、生物多様性に対する意識の鈍磨というか、感覚の鈍さのあらわれなんでしょうね。

 

販売したタキイ種苗は<組み換え技術を使った品種改良を行っていないが、自社販売のペチュニアを調べたところ、他に3品種が組み換えだった。「海外で入手したペチュニアと国内の品種を交配させて、さまざまな色合いのものを育成してきたが、まさか親品種が組み換えとは」と驚いた様子。

 4品種は昨年5月から今年4月までに約60万粒の種子が販売され、苗も1万株以上が販売された。タキイ種苗はホームページに組み換えペチュニアの写真と品種名を載せ、回収を呼びかけている。>とのこと。

 

組み換え種への対応は<組み換えかどうかは4社が販売したペチュニアの品種名を販売時の名札で確認すれば分かる。農水省農産安全管理課は「プランターなどに植えている人は、新たに種子を取ることはせず、抜き取って生ごみとして処分してほしい」と呼びかけている。>とのことですので、名札が残っているのは確認しないといけないなと思っています。が、生き物を殺すというのかわいそうで、枯れた段階で抜き取ることで勘弁してもらおうかと今のところは考えています。

 

未承認の遺伝子組換えペチュニアの取扱いについて(第2報)>に具体的な品種が特定されているので、明日でもみてみようかと思います。

 

今日はこれで30分過ぎました。もう一つの記事は、少々力尽き、今日はこれでおしまいとします。


産廃処理の語り部 <NHK豊島の産業廃棄物 約14年かかって処理完了>を参考にして

2017-06-13 | 自然生態系との関わり方

170613 産廃処理の語り部 <NHK豊島の産業廃棄物約14年かかって処理完了>を参考にして

 

今朝はまだ4時前というのに結構明るく感じたのか、目が覚めてしまいました。そして一時間あまり中島紀一著「有機農業の技術とは何か 土に学び、実践者とともに」を読みました。いろいろと興味のある小見出しがあり、その中の一つ、耕作放棄地を取り上げていたのですが、共感するところがありましたので、紹介したいと思います。

 

農地で言えば耕作放棄地、林地でいえば荒廃した森林、宅地建物でいえば空き家・空き地といった問題が何十年か前から問題提起され、最近次第にその対策強化がクローズアップされていると思います。とりわけ空き家問題は条例を作るなどして地域的取り組みが進んでいるかと思います。私も何度かこのブログかfbで取り上げてきました。

 

この3つの問題のうち、耕作放棄地については土地利用のあり方として私の中にも微妙な評価を抱いてきました。すでに耕作放棄地が近世以前から耕作する農地に有益な機能をもつということで許容されてきたといった識者の見解を紹介したこともあります。また、私が学び習おうと実践したことがある川口式自然農法は、耕作放棄地が化学肥料や農薬が加わっていないため肥沃な土地だとして、不耕起で作物を作っていく舞台にしていることも紹介したことがあります。

 

中島氏は、有機農業を自然農法を含む包括的な概念としてとらえた立場で、耕作放棄地を悪のように取り扱う農水省の対応を問題視しています。農水省は、農地法や農業委員会法等の平成の大改正で、農業委員を中心に、農地視察を強化させ、耕作放棄地を増加を止め減少させるため、あの手この手の手法を制度化してきました。

 

しかし中島氏は、化学肥料や農薬を継続的に投与することにより、農地が劣化するし、生物が生息・生育できない環境となっていくことも懸念しています。この点、耕作放棄地は土地が自然の状態に回復することになり、生物の生息環境としても有益であるというのです。たしかに当地の里山を歩いていると、ウグイスの谷渡りのさえずりがいつまでも続きます。ウグイスは薮を好みます。つまり耕作放棄地がもたらす状態です。ウグイスの縄張りは直径数100mくらいでしょうか。だから現在の里山は耕作放棄地が薮状態に点在しており、散策していると次々と別のウグイスが鳴いてくれ、まるで一緒に歩いてくれているように感じます。化学物質や農薬の有害物質は、GAPルールを守るようになってそれほど使わなくなっていると思いますが、それでも農地や周辺の自然環境には決して望ましいとはいえません。

 

農業とはなにかという中島氏の問いかけもあります。作物だけを生産することが目的とされていますが、そうだろうかというのです。自然生態系の健全な中で私たち人も活かされており、当然、作物もそうだと思うのです。すでに有機農法によって作られた作物は付加価値が高く、多くの支持を獲得してきています。耕作放棄地は、農家が耕作することができなくなった、その意欲がない場合、作業を担う人がいない場合いろいろと思いますが、中島氏は農家だけが農地に携わることへも疑問を投げかけています。耕作放棄地の担い手は多様であってよいでしょうし、利用の仕方も農地法に拘束されるべきかどうか再検討されるじきではないかと思うのです。中島見解と私見とがごっちゃになってきました。

 

余談はこの程度にして、もう夕方5時をすぎていますので、本題に入ります。産廃それ自体が必ずしも問題を起こすわけではありませんが、廃棄する産廃には多様な有害・有毒物質が含まれていることが少なくありません。それは山奥だったり、離れ島だったり、人目につかない場所もあれば、堂々と住宅街のど真ん中に投棄されることもあります。

 

豊島の産廃事件は、瀬戸内海の美しい小島に大量に不法投棄されたものです。今朝の毎日朝刊大阪版に「豊島の産廃 処理完了」との見出しで掲載されていました。また、「139ヶ月91万トンを無害化」ともうたっていました。豊島問題は過去にもなんどか取り上げてきましたので、この処理完了を多くのマスコミが取り上げたからといって私自身はさほどの感慨を抱きませんでした。

 

ただ、その横の記事に見覚えのある懐かしい顔が写っていたので、その人を紹介する中で取り上げようかと思ったのです。ところが、毎日ウェブ情報にはその記事が一切ありませんでした。仕方がないので、NHKの記事を一応(失礼)、引用したのです。

 

このタイトルを没にしようかと思いつつ、懐かしさの方が勝り、やはり取り上げることにしました。その人は六車明慶大院教授です。毎日記事に一応の略歴も書いてあるので、秘密の個人情報とはいえないかと思いますから、その一端を引用すると、984月、東京高裁裁判官から公害等調整委員会に出向され、審査官として豊島問題を一年間担当され、公害調停の成立に努めた後、慶応大の助教授に転身され、研究者の道を現在も続けておられるのです。

 

で六車さんとは、私は裁判官の時、公調委の審査官のとき、そして慶大教授のとき、それぞれの時代に事件などで法廷で、あるいは公調委で、そして研究会など、お会いしたというか、懐かしい方です。そういう柔らかな雰囲気をお持ちの方ですね。

 

とりわけ記憶に残っているいくつかがあります。個人情報になりそうなので、ここはかっとしまして、その後、いろいろありましたが、法科大学院ができるということで、日弁連としてもロースクールの学生向けに「環境法」の教科書を作ろうと勉強会を立ち上げ、原稿が完成しました。こういう出版物でも日弁連の委員だけで編集・校正するのが普通ですが、やはり法科大学院向けということで、研究者に監修を依頼することになり、勉強会でお世話になっていた六車さんにお願いしたのです。その監修というのがすごいのです。一字一句、見事なほど丁寧に読み込み、赤ペンがたくさん書き込まれました。おかげで売れ行きもよかったと思います。

 

六車さんは柔らかな対応ですが、文章に対する厳しさを見ると、やはり中心軸がしっかりしていて、ぶれない強さを感じさせていただき、執筆者全員感謝でした。

 

その六車さんが、豊島問題を「高度経済成長を象徴する紛争」として講義の題材にし、「豊島住民を追い込んだ人の責任は今、どうなっているのかを考えるべきだ」と指摘して、経済成長著しい中国やタイなどの留学生にも熱心に教えているとのことです。東京にいたら三田のキャンパスで拝聴したなと思ってしまいます。

 

ところで、最後に、毎日記事は「無害化」といっていますが、なにをもって無害化といえるかは議論のあるところです。いま豊洲や築地で問題になっている安全のレベル・定義とも関係します。たとえば、Love Canal事件はナイアガラの滝の少し上流で発生した大事件です。ラブさんという方がナイアガラ滝に流れ込むナイアガラ川の脇に運河を作ったのですが、使われなくなった後有害廃棄物(当時は違法とはされなかった・トリクロロエチレンなど多種多様な有毒物質を含むもの)を大量に投棄し埋め立てた後、売却しそこに住宅や学校が作られたのですが、有毒物質が漏出し、大勢の健康被害が発生したのです。あのきれいなナイアガラの滝のほんの数キロ先です。時の大統領カーターが緊急事態宣言を出し、大領の基金をつぎ込み、浄化し、封じ込めたとして、EPAが安全宣言をしたと思います。私がその事務所で封じ込めの断面模型を見せてもらったり、ラブキャナルの現場を訪れたのは93年頃でした。きれいに浄化し封じ込めた、新たな住宅も建てられた、しかしまるで閑散としていました。乗せてもらったタクシードライバーの話だと、政府の言葉は信用できない、誰もここに住みたいと思う人はいないといったことでした。それから20年以上経過していますが、どうなったのでしょうかね。

 

豊島の住民にとって、本当の無害化・安全な島に戻るには、まだ長い道のりが待っているかもしれません。他方で、ラブキャナルでは責任追及は長く訴訟で解決されていませんでしたが、その後どうなったか気になります。豊島の場合もそうですね。最も悪い人は法の穴をよく知っているのでしょう。

 

法には穴がある、からといってそれを利用して大金持ちになったり有力者になっても、どこかの大統領になっても、心の中は悲しいものではないでしょうか。どんどん脱線してきました。そろそろ一時間です。この辺で終わりとします。

 

 

 

 


川を考える <河川法改正20年目の挑戦 多自然川づくり、川が森になる>を読んで

2017-06-09 | 自然生態系との関わり方

170609 川を考える <河川法改正20年目の挑戦 多自然川づくり、川が森になる>を読んで

 

今朝は明るくなってから目覚めたように思うのですが、あるいは目覚めいても目を開けないでいたのかもしれません。ともかく明るくなったからと言ってようやく5時過ぎたばかりなので起きる気がしません。この明るさなら本を読めると、時折目を通す木下 晴一著「古代日本の河川灌漑」をぱらぱらとみながら一時間過ごしました。

 

割合本格的な論文で、記紀など原文に近い状態で引用してあるのと、取り扱う流域について情報を持っていないこともあり、なかなか理解が進みません。ただ、著者が記紀や続日本紀などに書かれている「溝」にはため池からの水路や運河とは異なる河川感慨の水路も含まれていることを指摘し立証しようとする、なみなみならない意思を感じて、その推論をなんとかフォローしようと前に言ったり後ろに行ったりしながら読んでいます。

 

弥生時代に始まった水田耕作は、灌漑用水が必須です。ではその灌漑用水はなにを水源としたか。湿地帯などでは湧き水もあったでしょうし、谷戸では沢水もあったでしょう。一定の集団が形成された頃には土堤をつくってため池感慨も可能になってきたでしょう。記録上は日本最古最大とも言われる大阪の狭山池はその一例なのでしょう。では河川感慨はどうか。私は紀ノ川といった大河川からの灌漑は江戸期(たとえば大畑才蔵による藤崎井、小田井など)かもしれないですが、中小河川だと木下氏が指摘されているように、古代にさかのぼることができるのではないかと思っています。

 

少なくとも、水路・運河ないし類似のものは、中国とはとても比較できませんが、それでも古市大溝や斉明天皇による石造りの大溝があるのですから、技術的には可能だったのではないかと思っています。

 

さてもう5時を過ぎていますので、本題に入ります。日経コンストラクション記事は時々関心をひくことがありますが、<河川法改正20年目の挑戦 多自然川づくりの評価、写真だけではお粗末>と続く<川が”森”になる、北海道豪雨が見せた脅威>は、中村太士・北海道大学農学研究院教授のインタビューで、連載されたものです。

 

90年代は今から思えばリオサミットから21世紀に向かって「環境の時代」への高揚を感じることができたように思えます。さまざまな分野の法律に「環境」という文言が目的などとして追加されたり、あの環境基本法も成立した時代でした。

 

河川法改正もその一つ。当時の全国的な河川保全に向けた住民意識の高まりは相当なものだったと思います。住民参加の河川審議会や委員会などで、河川環境の保全が激しく議論され、洪水対策を含む治水対応としても脱ダムの動きも熱い思いがあったように思います。

 

さてそれから20年、河川は変わったのでしょうか。国土交通省が法改正20年の検証で立ち上げた「多自然川づくり推進委員会」の委員でもある中村氏が、2つの連載記事で、2点を強調しています。

 

一つは、多自然型川づくりという、改正法で導入された方式では、外形的な景観変化だけとりあげられ、本来の生物の多様性、生態系の多様性の変化はほとんど考慮されていなかったという点です。

 

中村氏の表現では<多自然川づくりの実施前後の“スナップショット”がたくさん紹介されました。コンクリートの三面張りの姿から、緑があり川が蛇行しているような姿へと変化を遂げてきた良い事例がたくさん紹介されました。ただ、私が気になったのは、たった1例か2例かで魚が増えたという結果が紹介された以外、他の事例は景観で評価されていたことです。>それも写真だけでポイントだけの紹介です。多自然型川づくりは河川流域全体がどう改善されるかが忘れられています。また、中村氏は指摘していませんが、本来住民参加が基本ですが、一時はそういった組織や手続きが反映されたと思いますが、いまでは忘れ去られているような印象です。

 

河川の生物データの収集・分析が重要ですが、それがほとんどされていないように思います。中村氏は<河川水辺の国勢調査は5年ごとに決まった場所でどれだけの種類の魚、鳥がいたのかをある意味、無目的に調査するものです。この調査自体は意味があるのですが、時間を経てどういう理由でそうなったのかという原因を突き止める調査フレームになっていません。多自然川づくりの内容や川の流速などの情報もありません。>

 

実際、<河川環境データベース 紀の川>を見たのですが、まったくといってよいほどデータがないように思います。これは他の河川でもそう違いがないのか、あるいは私のデータ検索に誤りがあるのかここは自信がありません。というのは40年近く前、荒川では(これは東京都かどこかの区が調査したように記憶)膨大な生物種の調査データが河口から中流域まで詳細に収集され書籍化されていました。あるいは調査データの共有ができていないのかもしれません。

 

ただ、紀ノ川に関して言えば、ウェブ上はもちろん、文献調査でもまじめに探していませんが、見つかっていません。

 

強いて言えば<国交省 紀の川下流の環境の現状|生物環境|底生動物>とか、<紀ノ川の生き物たち>といった程度のものしかウェブ上ではありませんでした。

 

なお、荒川の場合、当時日本野鳥の会をはじめ多くの自然観察会が行われていて、いろいろな調査も行われていたように思います。そういう協力があったのかもしれませんが、紀ノ川では流域を見てもそういった組織がどの程度あるのかもよくわかりません。

 

で、中村氏が環境の面で現場の技術スタッフの構成に問題があると指摘していますが、それは20年以上前から言われていたことでもありますが、旧態依然ですね。景観を考える場合でも、景観工学的アプローチが中心で工学部的発想なのです。景観でも景観生態学や景観哲学などのアプローチができる人材や、生態学・生物学の技術系のスタッフをそろえないと、名前だけの環境改善となり、生物多様性や生態系の多様性には寄与しないことになりますね。

 

中村氏が指摘しているもう一つの問題、<川が”森”になる>脅威について、とくに氾濫原のアンダーユースが森をつくり、洪水になると大変な流木被害の発生になっているというのです。

 

<高水敷という氾濫原の部分は、畑などに使用されているケースが多いのですが、人口減少の影響から、徐々に畑として利用されなくなってきました。アンダーユースです。その結果、樹木が生育し始めます。最近目立つのは樹木を伐採するにもお金がないケースです。切ってもその後の処理に苦慮します。都道府県管理の河川はそのため、樹木が生い茂り、川が森のようになっています。>

 

このことは、アメリカ軍が戦後昭和22年代に全国を航空写真で撮影していますので、その写真を見れば、たとえば紀ノ川の氾濫原は田んぼか畑として利用尽くされていました。見事なほど整然として利用されていました。まるで圃場整備したかのように。ところがその後高水敷堤防ができ堤防内には分譲地がどんどん広があり、氾濫原で会った場所は放置され、いまでは森林です。むろん広場や運動場として使われているところもありますが、それ以外は立派な雑木林です。当然、洪水時は大水で溢れなぎ倒され、中には流木となって下流に流されるわけです。

 

中村氏の提言を最後に取り上げます。

 

<元々、水と土砂とのバランスのなかで森は維持されると見るべきです。であるならば、自然流況を可能な限り復元し、総合土砂管理といって水系一貫で土砂の流れをきちんとコントロールすることを考える必要があります。

「洪水攪乱(かくらん)」といってもう少し川が“動く”ようなシステムをつくっていかなければなりません。洪水時にみお筋が動いてくれれば、稚樹のまま流されるので、樹林が拡大することはありません。>

 

簡単ではないですが、自然とともに生きる長年の叡智を、それが日本人が培ってきたたぐいまれな才能でもあるわけですから、改めて見直すことが必要かと思います。

 

そろそろ一時間となりました。今日はこの辺で終わりとします。