たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

シーダーロード <火山爆発とマグマ隆起で生まれた紀伊山地、高野三山を歩きながら>

2017-10-28 | 空海と高野山

171028 シーダーロード <火山爆発とマグマ隆起で生まれた紀伊山地、高野三山を歩きながら>

 

今朝は小雨模様。今日は高野三山を再び歩こうと思っていたら、外は雨。断念して昨夜録画していたプライムニュース『日産・神鋼…不正続発 日の丸大企業に何が?』を見ました。それぞれの意見にある種の同感するものを感じつつ、ちょっと外を見ると、どうも高野の峰周辺は雲が明るく、雨が止んでいそうな雰囲気。それではとこの番組は別の機会に、雨具をもって出かけました。

 

途中で雨が強くなったり弱まったりしたのですが、雨具をもっているのでよほど道が荒れていない限り断行と思ったのです。先週は才蔵ウォークが台風来襲で中止になったので、長いこと歩いていない、運動不足の解消の意味もありました。

 

それともう一つは、いま読んでいる大橋慶三郎という林業家が書いた『山の見方 木の見方』で、半分理解しつつもよくわからないことばかりなので、高野の木々を見て自分でどう見立てができるかを少しチャレンジしてみたかったのです。

 

さらにもう一つ、NHKBSで放映された<体感!グレートネイチャー「南西諸島1200キロ! 隆起と潮の大絶景」>で見た高さ300mの花崗岩の岸壁を生み出した隆起エネルギーと屋久杉を育んだ黒潮と偏西風という希な気象現象に似たようなものを高野山で感じられないかを少し体験してみたかったからです。

 

さすがに奥ノ院は参道も、この雨模様でしたから、人が少なかったですね。でも山上はあめがほとんどあがっていたので、すたこらさっさと山道を登っていきました。そういえば壇上伽藍当たりはまさに紅葉真っ盛りで見事でしたが、奥ノ院の裏側になると黄色がほとんどでした。壇上伽藍やいま特別展示が行われている霊宝館の紅葉は紅色が鮮明でいつも見ほれるほどですが、今日は紅葉を見に来たのではないので、そのまま素通りです。

 

奥ノ院の参詣道に林立するスギはなかに胸高径が1mを超えるような巨木が所々に見ることができます。奥ノ院の裏がになると、そこまで大きくはないですがやはり80㎝近い巨木が残っています。なかにはかなり高い位置にまるで千手観音のようにというか、あおのように優しそうな手ではなく、まるで仁王様の手が四方八方に飛び出しそうな巨木もあります。

 

このルートはあまり人が歩かないのでしょう。こんな雨模様でしたので、だれとも会わずにゆっくりと歩くことができました。大橋慶三郎氏は林業家の世界では知らない人がいないほどの、個人林家です。大橋氏が伐って淘汰する木の目安をいくつも指摘していますが、歩きながら、この木はそうかなどうかな、なんて考えながら見ていました。ただ、大橋氏が問題にする中で、穴が空いている株、幹が割れているもの、根株が割れて曲がっているものは、ほとんど見かけませんでした。

 

ただ、風が強く当たったため、たわみ圧縮されて樹皮に横筋が入った、いわゆる「モメ」というのは時折見かけました。たしかに稜線沿いを歩くと、谷底の方から強烈な風が吹き上げてきます。今日も途中から雨風が強くなり、雨具を上下着て歩きましたが、まだ吹き飛ばされるほどの強風ではなかったので、安心して歩けました。

 

根元がねじれた木とか、角張った木とかは見かけませんでした。しかし、暴れ木という表現がぴったりの木は時折目にしました。先ほど指摘したのは枝自体が径20㎝近くあるような大々暴れんぼう木でしょうか。

 

生命力が衰えた木というのは樹冠を見ないとわかりませんが、下からではまったくみることができません。この視点はパスです。

 

木の色を見るというのは、人間と同じように元気な顔をしているかどうかみたいな視点ですが、まいえば、明るい色が一つのポイントでしょうか。それが根株や根元を見ることで生命力を判断するようです。大橋氏があげているような腐朽菌に侵されているような変色を発見することはできませんでした。雨粒に打たれながらで、次々見ていくのですから、素人には難題です、なんて弁解になりますが。でも根株をよくみていると、なんとなく将来大丈夫かな、なんて気になるような木もありました。でも判断要素がうまくあげられませんが。

 

林内環境を下部の植生で見分けたり、地質地層に断層がないかといったこと、苔とくに白い苔が生えていないかというのはわかりやすい指標で、それはたまに見ましたね。

 

列状に斜めになっているかとか、根元の曲がりがあるかといった形状は、やはり時折見かけました。高野山のスギヒノキ林は割合管理が行き届いていると思いますが、それでも十分でない一つの証かもしれません。

 

いや、私自身気になったのは、枯れ枝を抱えたスギ林が結構あったかなと思います。また、枝が幹の途中まで落ちているので、枝打ちをしっかりやっているのかなと思ってみましたが、どうも自然に枝が落ちたような跡に見えましたので、必ずしも枝打ちを的確にやっているとも言えないのかなとも思ってしまいました。

 

一部林道を歩きましたが、林道の道作りは簡易な方式で安定するようにできているのかなと思いながら歩きました。

 

ところで、見出しに「シーダーロード」と銘打ったのは、この登山道は、多く幅50㎝から1mくらいで、割合歩きやすくなっていて、時折まさにスギの葉っぱが、東京で言えば絵画館前の銀杏並木の落葉絨毯みたいというとオーバーですが、つい感じてしまうほどいい感じの落葉でした。

 

むろん枝も結構落ちていて、邪魔になるのは路外によけましたが、スギの葉っぱは古い枯れたものから今日か数日前に落ちたばかりの青々したのもあり、なかなかいい感じでした。

 

そして時々、高野山の関係者が行ったのだと思いますが、排水用に、道路を横切る形で土を掘って溝を作っていました。応急的に作ったものでしょうから、手作業で軽く掘ったものでしたが、これでも登山道に大量の雨水が流れ落ちたりすると、道路の土台になる土も下に流し去り、登山道の法敷が崩れてしまいます。実際、何カ所かそういうところがありました。法敷だけでなく、登山道の真ん中に溝ができることもあり、実際、何カ所か空いていました。

 

こういったことへの対処について考えるとともに、歩きやすくするのに、スギの葉、ヒノキの葉もいいかもしれませんが、奥ノ院周辺はスギが中心のように思いますから、スギの葉を利用して、これを敷き詰めるのはどうでしょう。それも単純に置くと言うより、体裁とか、置き方を工夫することにより、より歩きやすくなったり、美観的にもよくなるのではと思うのです。

 

そういったことを実験的にどこかの大学なり研究機関で試してはどうかと勝手な妄想が働いて、見出しにしました。

 

観光資源のあり方として、自分たちで道作りをする、それに多様な参加を呼びかけることができるといいのですが。

 

というのは、たしか90年代初頭に屋久島を訪問したとき、まだ世界遺産登録前で、島民の中で、当時すでに縄文杉の土台となる土が少なくなっていたことから、小学生を中心に、みんなで土を運ぶ運動が勧められていました。こういった島民の屋久杉、縄文杉を大事にする、守っていくことに自ら参加するのでないと、心の通った世界遺産にはならないように思うのです。

 

で、屋久島がフィリピンプレートの衝突の熱により、地中にマグマだまりができ、それが押し上げられ隆起した花崗岩の島としてできあがったと言うことが上記NHK番組で紹介されていました。そのすぐ隣の口永良部島はマグマが火山として噴火してできたということで、両者の合体した姿が紀伊山地かなと思ったりしています。

 

とりわけ花崗岩が隆起した点ではほぼ同じところから、紀伊山地は屋久島に劣らぬ森林地帯です。しかも相当伐採されたはずですが、いまなお高野山の深奥には、屋久杉並の巨木が残っています。

 

ただ、屋久島の場合は、林野庁が森林生態系保護地域として縄文杉を含め広大な森林を伐採禁止として保護し、また環境庁(現在の環境省)は厳正自然環境保全地域として同様に厳しい規制をしているため、高野山の森林規制とは大いに違います。私は日弁連調査で、両地域とも調査で歩きましたが、まだ世界遺産登録の前でしたので、ほとんど人がいませんで、少人数で原生自然と対面でき幸いでした。

 

でも隆起現象そのものは当時は知りませんでしたので、高さ300mもある花崗岩の岩盤など素晴らしい自然の営為を見ることができなかったのは残念です。そんな気持ちで、今日は高野山の摩尼山から楊柳山にかけての稜線を歩きました。狭い登山道の両側はまさに谷底です。といってもスギが林立しているので崖状でもなれば、怖さも感じませんが。でもこのような隆起は、プレートテクトニクスの結果かと改めて感じました。ただ、まだどのように14001500万年前に始まった隆起が現在の状態になったのか、一つも解明できていません。歩きながら、なにかヒントがないかと思いつつ、雨のしぶきを気持ちよく受けて、谷風も気分良くさせ、そんな悩みはどこかに飛んでいきました。

 

今日はこの辺でおしまい。