たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

人に優しい社会 <アンコール遺跡保存に取り組む 上智大教授・石沢良昭氏>を読んで

2017-10-10 | 心のやすらぎ・豊かさ

171010 人に優しい社会 <アンコール遺跡保存に取り組む 上智大教授・石沢良昭氏>を読んで

 

昨日の毎日朝刊記事<そこが聞きたいアンコール遺跡保存に取り組む 上智大教授・石沢良昭氏>は、渡辺京二著『逝きし世の面影』を私に思い出させてくれました。同書で繰り返し投影された維新前後、いやそれ以前の日本人が備えていた品格というか、人間性というか、そういったものです。

 

記事はまず<カンボジアの古代文明・アンコール王朝=1=の調査・研究、遺跡の保存・修復を続ける上智大の石沢良昭教授(80)が今年のマグサイサイ賞=2=を受賞した。>として、石沢氏を紹介しています。

 

これだけの情報だと、まじめにこつこつと石仏などと対峙して仕事をされる方なんだろうと勝手に想像してしまいそうです。

 

<1991年から上智大アンコール遺跡国際調査団を率い、受賞では、カンボジア人保存官の養成なども高く評価されました。>というのですから、地道な仕事ですね。

 

ただ、受賞の理由からは、戦争で分断されたカンボジアを含む近隣各国に平和のランドマークとして蘇らせたことや、より深い文化的な貢献を感じ取ることができます。

 

<受賞の主な理由は「内戦後のカンボジア人のアイデンティティーの再構築、文化復興、平和構築への貢献」でしたが、背景には東南アジア諸国連合(ASEAN)全体を見据えた視点があります。かつて、東南アジア諸国はまとまりがなかったのですが、ASEANが50年を迎える中で、経済や政治だけでなく、文化のアイデンティティーを探すようになったのか、と感慨を持ちました。多様性に富んだ東南アジアの文化の柱の一つとしてアンコール文明が位置づけられていることがわかります。>

 

日本にとっても大きな収穫というか、わが国の文化にも影響する可能性を示唆する他山の石となるような発見や交流があったのですね。

 

<若手カンボジア人研究者との共同調査・研究の主な成果は(1)人材養成を兼ねたアンコールワット西参道(100メートル)の修復工事完遂(2)バンテアイ・クデイ遺跡地下からの274体の仏像発掘という歴史を塗り替える大発見(3)アンコール王朝の繁栄をもたらした東西交易の歴史街道の調査--などがあります。交流を通していろいろと学んだことも多いですね。>

 

とりわけ次のような人と人との関係、自然とのつながりは、私たち日本人が大切にしてきたよりどころの一つであったように思うのですが、いつの間にか失ったというか、破棄してしまったというか、別の妄想なり欲望にとらわれて忘却の彼方に去っていたような気もします。

 

<農村部ではいまだに100%自給自足の生活を続けています。ガスも水道も電気もない中で生き抜く生活の知恵は、日本人がとっくに忘れたり、失ったりしたものばかり。孤児を村人たちが自分の子どもとして普通に養うような優しい社会が残っています。経済的には貧しいのかもしれませんが、みんな元気で、何事にも意気軒高です。この国では篤信が続いている。豊かになった日本人が忘れてしまったものが残っています。>

 

私も先住民の集落を何度か訪れましたが、これと似たような経験をしました。そこでは天水のありがたさをいやというほど体験しました。電気がなかったおかげで、これ以上ないホタルの群生の中で過ごしたり、満天の星をただただ眺める優雅な時間を過ごせたり、静寂とは闇とはこんなに美しものかと感動させられたりしました。

 

わが国に伝わった大乗仏教こそ庶民の幸福を祈る、あるいは庶民のために有効ではないかと勝手な愚考を心に残してきましたが、上座部仏教のよさは当然あるわけですし、上記の「優しい社会」と関連して、次のように指摘されています。

 

<仏教を中心とした宗教観の影響が大きいでしょうね。カンボジアをはじめタイ、ミャンマー、ラオスなどは上座部仏教が強く、他の宗教はほとんど入ってきませんでした。インドから来たヒンズー教や仏教の土着化によって人々は輪廻(りんね)転生の死生観が強くなり、宗教者はもちろんのこと、他者への「功徳」が美徳とされ、それによって幸せな来世に行けるとされています。同じ仏教国でも大乗仏教の習慣が強い日本との違いでしょうね。>

 

私たちは優しい社会を常に求めてきたように思うのですが、現実は逆の世界になりつつあるようにも思えるのです。それが宗教によるものとは思いませんが、私たちが一人一人、何かを求めてきたとき、大事なものを同時に軽視したり破却したりして、いつの間にか失ってきたことに、少しずつ気づいてきたのかもしれません。

 

まだ記憶の彼方にあったとしても、蘇らせるチャンスは残っていると信じたいものです。

 

別のテーマで書いていて、どうも書き切れないと観念して、とってつけたようにこの話題にしました。1時間もかけていませんが、取り上げ方はともかく、石沢氏の語りは中身のあるいいものでした。

 

今日はこのへんでおしまい。