たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

農業を考える <底流・衆院選2017 不作の農政論議 猫の目制度、農家は振り回され>などを読みながら

2017-10-19 | 農林業のあり方

171019 農業を考える <底流・衆院選2017不作の農政論議 猫の目制度、農家は振り回され>などを読みながら

 

農業のあり方についての議論はさまざまなところで長く論じられてきたように思います。ときには政治や選挙の大きな争点になることもありました。戦後70年の間にその議論も時代の変化に応じて多様になり、また変化もあったと思います。ずっと継続して共通する課題もあったように思います。

 

今日の話題はその経緯を整理したりするつもりはなく、まして一時間程度で的確に議論する能力もありません。今朝の毎日記事で農業問題が2つの観点で取り上げられていました。一つは上記の見出し記事です。もう一つは規制緩和の観点です。問題が多すぎてなかなか焦点が絞りきれませんが、とりあえずこの2つを考えてみようかと思うのです。

 

見出し記事、茶谷・三上両記者のものですが、「不作の農政論議」とは言い得て妙です。さほど選挙報道を注意深く見ているわけではありませんが、農業論議があまり聞こえてきません。それでよいのかということです。北朝鮮の脅威、憲法改正問題、経済政策・・・とあげられていますが、農政の話はあまりというか、全然聞こえてきません。

 

<猫の目制度、農家は振り回され>というのが農家が受けるこれまでの政治動向だといえるかもしれません。

 

しかし、農業の現場は展望がないと映っているかもしれません。ところが<米作りは半世紀ぶりに大転換点に差し掛かる。>というのです。減反と交付金が今年でなくなるのです。

 

<交付金は2010年度、当時の民主政権が「戸別所得補償制度」として導入した。><当初は1万5000円だったが、政権を奪還した自民は14年度に半減。>そして来年から打ち切りして、<競争力の強化や自立を促す政策にかじを切ろうとしている。>

 

競争促進か、農家の所得補償をはかるか、という争点は、今回の選挙では大きく取り上げられていないようです。

 

他方で農業・農家の現実について

<各陣営の思惑をよそに、農家の高齢化や後継者不足も深刻な課題として横たわる。農林業センサスによると、15年の米農家は93万戸。40年前から4分の1以下に減少した。

 輪島市の農家、谷内(やち)久儀さん(77)も後継ぎがおらず、今年で米作りを終える。先祖代々引き継いできた田んぼは他人に預けるつもりだ。「おらみたいな小さな農家は、もうやめろってことかな」。農家の悩みは尽きない。>という声を取り上げています。

 

私は単なる農家所得補償は、減反政策とともに有効ではないと思っています。米を作りたい農家に、作らせない、その代わり所得補償をしようというのは、米作りという農家にとって基本的な生産の自由を奪うような施策ではないかと思うのです。米作りだが農家の必須の機能といった、徳川政権の施策が一部誤解された結果ではないかと思うのです。いや古来から米作りこそ最も大事なことと思われた節がありますが、基本は適地適作として、農家が選択すべきことではないかと思うのです。

 

農地がもつ多様な価値を抜きにして、単に農産物の生産性(価格競争)や農家所得(所得補償)の観点から、支援策を講じるのは、全体の財政支出の公正さからみても、疑問があります。戦前までは、農地・林地・漁村の間に循環構造があったと思うのです。そこに安定的な生産システムと良好な景観秩序が形成され、人々の精神風土にも心豊かな安定につながっていた要素を見いだすことができるのではと思ったりしています。

 

そして現代は都市化とその集中で、農林漁村の人・土地・産業が解体されつつあるように思うのです。そのことによって失われる、経済的に換算しにくい価値がどんどん目減りしていく、あるいは消失して行っているように思うのです。

 

すでに農業分野でも六次産業化など、新たな付加価値を生み出す努力が各地でなされてきて久しいですが、まだ本格的なものにはほど遠い状況でしょうか。

 

それはわが国の農林行政に、いまなお単に経済生産性にこだわった施策が中核にあるからではないかと愚考しています。EUの農業環境政策といった例も参考にしつつ、新たな価値観で支援策を講じるような議論が90年代から声は上がっても無視されてきました。そろそろパラダイムチェンジの機運が出てきてもおかしくないと思うのは私だけではないと思うのですが、今後に期待したいと思っています。

 

もう一つの記事<関西から政策を問う2017衆院選/3 規制緩和 特区、新しい壁次々と>は、岩盤規制の克服が容易でないことを示しています。農地法の耕作者主義の精神が農地の世界に企業を排除する仕組みが長く維持されてきたことに対して、戦略特区により、風穴を開けようとする取り組みがなお大きな壁にぶつかっているといった趣旨でしょうか。

 

挑戦者は、<兵庫ナカバヤシは、文具大手、ナカバヤシ(大阪市)の子会社として1973年に養父市で開業、約170人が製本や古文書修復に取り組んでいる。書籍のデジタル化で受注が減り、新たな収益源として農業に着目。ヤンマーの協力を得て2015年からニンニク栽培を始めた。製本工場の閑散期と畑の作業のピークが重なるのも都合がよかった。今年はニンニク10トンを順次出荷しステーキ店やスーパーで好評だ。>とのことで、順調なすべりだしのようです。

 

企業参入を認める戦略特区に選ばれたのは養父市。<養父市が国家戦略特区に指定されたのは14年。山間部で農業の効率化がしにくく、冬は積雪がある。農家の多くは零細の兼業農家で、平均年齢は70歳超。人口は15年間で2割近く減り、15年の耕作放棄地は280ヘクタールと毎年1割ずつ増えていた。>

 

特区指定により、<養父市は、この「岩盤規制」を崩すため、農地の譲渡を許可してきた農業委員会の権限の一部を市に移転。農業生産法人の役員要件も緩和し、企業が同法人を設立しやすくした。昨年10月、一般企業の農地取得が条件付きで認められ、兵庫ナカバヤシなど4社が計1・3ヘクタールを取得した。>というのです。

 

しかも挑戦する企業が増えているようです。<現在、特例で農業に参入した企業はオリックスやクボタなど13社で、計約17ヘクタールを利用する。温室や植物工場による次世代農業も始まった。みずほ総研の堀千珠主任研究員は「企業が実験的な取り組みを展開し、地域の活性化にもつながる動きが出ている」と評価する。>

 

しかし、参入したはいいが、黒字化への道はまだ遠いようです。もし事業がうまくいかなければ撤退し、その場合農地が荒廃するおそれを心配するのは農地法墨守派でしょうか。

 

<ただ、人口減少に歯止めをかけ、経済成長につなげる道のりは遠い。参入企業の黒字化は数年先。「全国有数のニンニク産地を目指す」(小谷社長)と意気込む兵庫ナカバヤシも、採算が取れるのは19年以降だ。補助金も少なく、同社は倉庫や冷蔵施設に自前で約8000万円を使った。親会社の担当者は「一つ壁を越えると新しい壁が次々と現れる」と明かす。>

 

私自身は、企業の参入がよりスムーズに安定的になることは望ましいことだと思っています。そもそも兼業農家がほとんどを占める農家人口なのですから、企業が参入して、農家がその従業員となって働いてもいいのではないかと思うのです。遠くに通勤してかっての違う仕事につくより、土地を提供あるいは譲渡して、自宅の近くで農業をする方が、本来の農家としてまっとうではないかと思うのです。まして新たなAI化やIoTをも活用する新しい農業実践の担い手になることも求められているように思うのです。

 

むろん零細だからといって、家族農業を続けたい農家から農地を奪うようなことはあるべきではないと思うのです。零細農家同士の共同化の試みは、なんども行われてきたかと思いますが、成功した事例はあまり多くないと思いますし、共同化の例自体が少ないのではと思うのです。

 

むろん企業自体も、農業というものについて暗中模索かもしれません、その意味で戦略特区なりの制度で実験的な試みをより広げる工夫が必要ではないかと思うのです。

 

さて一時間がすぎました。感想的な話でしたが、戦略特区という制度を直ちに問題のある制度という決めつけをするのではなく、合理的に活用できるのであれば、働かせてみてよいと思うのです。そして岩盤規制という農地法本体が変わらなければならないかどうかを問うべきではないかと思っています。私は後者の立場ですが、特区制で一定の有効性が認められれば、次第に地滑り的に現行の仕組みが瓦解するかもしれないと思っています。それは安易な考えかもしれませんね。

 

さて今日はこれでおしまい。