たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

シーダーロード <火山爆発とマグマ隆起で生まれた紀伊山地、高野三山を歩きながら>

2017-10-28 | 空海と高野山

171028 シーダーロード <火山爆発とマグマ隆起で生まれた紀伊山地、高野三山を歩きながら>

 

今朝は小雨模様。今日は高野三山を再び歩こうと思っていたら、外は雨。断念して昨夜録画していたプライムニュース『日産・神鋼…不正続発 日の丸大企業に何が?』を見ました。それぞれの意見にある種の同感するものを感じつつ、ちょっと外を見ると、どうも高野の峰周辺は雲が明るく、雨が止んでいそうな雰囲気。それではとこの番組は別の機会に、雨具をもって出かけました。

 

途中で雨が強くなったり弱まったりしたのですが、雨具をもっているのでよほど道が荒れていない限り断行と思ったのです。先週は才蔵ウォークが台風来襲で中止になったので、長いこと歩いていない、運動不足の解消の意味もありました。

 

それともう一つは、いま読んでいる大橋慶三郎という林業家が書いた『山の見方 木の見方』で、半分理解しつつもよくわからないことばかりなので、高野の木々を見て自分でどう見立てができるかを少しチャレンジしてみたかったのです。

 

さらにもう一つ、NHKBSで放映された<体感!グレートネイチャー「南西諸島1200キロ! 隆起と潮の大絶景」>で見た高さ300mの花崗岩の岸壁を生み出した隆起エネルギーと屋久杉を育んだ黒潮と偏西風という希な気象現象に似たようなものを高野山で感じられないかを少し体験してみたかったからです。

 

さすがに奥ノ院は参道も、この雨模様でしたから、人が少なかったですね。でも山上はあめがほとんどあがっていたので、すたこらさっさと山道を登っていきました。そういえば壇上伽藍当たりはまさに紅葉真っ盛りで見事でしたが、奥ノ院の裏側になると黄色がほとんどでした。壇上伽藍やいま特別展示が行われている霊宝館の紅葉は紅色が鮮明でいつも見ほれるほどですが、今日は紅葉を見に来たのではないので、そのまま素通りです。

 

奥ノ院の参詣道に林立するスギはなかに胸高径が1mを超えるような巨木が所々に見ることができます。奥ノ院の裏がになると、そこまで大きくはないですがやはり80㎝近い巨木が残っています。なかにはかなり高い位置にまるで千手観音のようにというか、あおのように優しそうな手ではなく、まるで仁王様の手が四方八方に飛び出しそうな巨木もあります。

 

このルートはあまり人が歩かないのでしょう。こんな雨模様でしたので、だれとも会わずにゆっくりと歩くことができました。大橋慶三郎氏は林業家の世界では知らない人がいないほどの、個人林家です。大橋氏が伐って淘汰する木の目安をいくつも指摘していますが、歩きながら、この木はそうかなどうかな、なんて考えながら見ていました。ただ、大橋氏が問題にする中で、穴が空いている株、幹が割れているもの、根株が割れて曲がっているものは、ほとんど見かけませんでした。

 

ただ、風が強く当たったため、たわみ圧縮されて樹皮に横筋が入った、いわゆる「モメ」というのは時折見かけました。たしかに稜線沿いを歩くと、谷底の方から強烈な風が吹き上げてきます。今日も途中から雨風が強くなり、雨具を上下着て歩きましたが、まだ吹き飛ばされるほどの強風ではなかったので、安心して歩けました。

 

根元がねじれた木とか、角張った木とかは見かけませんでした。しかし、暴れ木という表現がぴったりの木は時折目にしました。先ほど指摘したのは枝自体が径20㎝近くあるような大々暴れんぼう木でしょうか。

 

生命力が衰えた木というのは樹冠を見ないとわかりませんが、下からではまったくみることができません。この視点はパスです。

 

木の色を見るというのは、人間と同じように元気な顔をしているかどうかみたいな視点ですが、まいえば、明るい色が一つのポイントでしょうか。それが根株や根元を見ることで生命力を判断するようです。大橋氏があげているような腐朽菌に侵されているような変色を発見することはできませんでした。雨粒に打たれながらで、次々見ていくのですから、素人には難題です、なんて弁解になりますが。でも根株をよくみていると、なんとなく将来大丈夫かな、なんて気になるような木もありました。でも判断要素がうまくあげられませんが。

 

林内環境を下部の植生で見分けたり、地質地層に断層がないかといったこと、苔とくに白い苔が生えていないかというのはわかりやすい指標で、それはたまに見ましたね。

 

列状に斜めになっているかとか、根元の曲がりがあるかといった形状は、やはり時折見かけました。高野山のスギヒノキ林は割合管理が行き届いていると思いますが、それでも十分でない一つの証かもしれません。

 

いや、私自身気になったのは、枯れ枝を抱えたスギ林が結構あったかなと思います。また、枝が幹の途中まで落ちているので、枝打ちをしっかりやっているのかなと思ってみましたが、どうも自然に枝が落ちたような跡に見えましたので、必ずしも枝打ちを的確にやっているとも言えないのかなとも思ってしまいました。

 

一部林道を歩きましたが、林道の道作りは簡易な方式で安定するようにできているのかなと思いながら歩きました。

 

ところで、見出しに「シーダーロード」と銘打ったのは、この登山道は、多く幅50㎝から1mくらいで、割合歩きやすくなっていて、時折まさにスギの葉っぱが、東京で言えば絵画館前の銀杏並木の落葉絨毯みたいというとオーバーですが、つい感じてしまうほどいい感じの落葉でした。

 

むろん枝も結構落ちていて、邪魔になるのは路外によけましたが、スギの葉っぱは古い枯れたものから今日か数日前に落ちたばかりの青々したのもあり、なかなかいい感じでした。

 

そして時々、高野山の関係者が行ったのだと思いますが、排水用に、道路を横切る形で土を掘って溝を作っていました。応急的に作ったものでしょうから、手作業で軽く掘ったものでしたが、これでも登山道に大量の雨水が流れ落ちたりすると、道路の土台になる土も下に流し去り、登山道の法敷が崩れてしまいます。実際、何カ所かそういうところがありました。法敷だけでなく、登山道の真ん中に溝ができることもあり、実際、何カ所か空いていました。

 

こういったことへの対処について考えるとともに、歩きやすくするのに、スギの葉、ヒノキの葉もいいかもしれませんが、奥ノ院周辺はスギが中心のように思いますから、スギの葉を利用して、これを敷き詰めるのはどうでしょう。それも単純に置くと言うより、体裁とか、置き方を工夫することにより、より歩きやすくなったり、美観的にもよくなるのではと思うのです。

 

そういったことを実験的にどこかの大学なり研究機関で試してはどうかと勝手な妄想が働いて、見出しにしました。

 

観光資源のあり方として、自分たちで道作りをする、それに多様な参加を呼びかけることができるといいのですが。

 

というのは、たしか90年代初頭に屋久島を訪問したとき、まだ世界遺産登録前で、島民の中で、当時すでに縄文杉の土台となる土が少なくなっていたことから、小学生を中心に、みんなで土を運ぶ運動が勧められていました。こういった島民の屋久杉、縄文杉を大事にする、守っていくことに自ら参加するのでないと、心の通った世界遺産にはならないように思うのです。

 

で、屋久島がフィリピンプレートの衝突の熱により、地中にマグマだまりができ、それが押し上げられ隆起した花崗岩の島としてできあがったと言うことが上記NHK番組で紹介されていました。そのすぐ隣の口永良部島はマグマが火山として噴火してできたということで、両者の合体した姿が紀伊山地かなと思ったりしています。

 

とりわけ花崗岩が隆起した点ではほぼ同じところから、紀伊山地は屋久島に劣らぬ森林地帯です。しかも相当伐採されたはずですが、いまなお高野山の深奥には、屋久杉並の巨木が残っています。

 

ただ、屋久島の場合は、林野庁が森林生態系保護地域として縄文杉を含め広大な森林を伐採禁止として保護し、また環境庁(現在の環境省)は厳正自然環境保全地域として同様に厳しい規制をしているため、高野山の森林規制とは大いに違います。私は日弁連調査で、両地域とも調査で歩きましたが、まだ世界遺産登録の前でしたので、ほとんど人がいませんで、少人数で原生自然と対面でき幸いでした。

 

でも隆起現象そのものは当時は知りませんでしたので、高さ300mもある花崗岩の岩盤など素晴らしい自然の営為を見ることができなかったのは残念です。そんな気持ちで、今日は高野山の摩尼山から楊柳山にかけての稜線を歩きました。狭い登山道の両側はまさに谷底です。といってもスギが林立しているので崖状でもなれば、怖さも感じませんが。でもこのような隆起は、プレートテクトニクスの結果かと改めて感じました。ただ、まだどのように14001500万年前に始まった隆起が現在の状態になったのか、一つも解明できていません。歩きながら、なにかヒントがないかと思いつつ、雨のしぶきを気持ちよく受けて、谷風も気分良くさせ、そんな悩みはどこかに飛んでいきました。

 

今日はこの辺でおしまい。


名誉毀損とは <韓国 「帝国の慰安婦」著者、有罪 名誉毀損、1審の無罪破棄 高裁>を読んで

2017-10-27 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

171027 名誉毀損とは <韓国「帝国の慰安婦」著者、有罪 名誉毀損、1審の無罪破棄 高裁>を読んで

 

昨夜はBSプレミアムの<フランケンシュタインの誘惑「ザ・トゥルース(真実) 世界を変えた金融工学」>を途中から見ましたが、言葉の魔力というか、科学とか、ノーベル賞とかの意味合いを改めて考えさせてくれる番組でもありました。

 

2000年代前後に突如、株式市場や経済動向、いや庶民の間でも席巻するようになった「金融工学」という言葉、わが国の政治家リーダーも使っていたように思います。私は株式市場なんてあまり関心ないですし、まして金融工学といったややこしい数式にはついていけないので、遠目で、怪しいなと勝手に思っていました。

 

案の定リーマンショックで普通に近い株式・不動産の市場や経済状態になったのかと思いつつ、いまだ危うい状況にあるような印象をぬぐえません。

 

わが国では株価連騰が過去最長と評判ですが、NHK9時の番組でキャスターが指摘していたように、この連騰中の株価の上昇はわずかですし、80年代の高騰時には4万円近い数字になっていたのに、その後の四半世紀は多少の振幅があっても実質的には横ばいに近いものです(それでも市場は日々騒がないといけないから口上が人を惹きつけますね)。

 

他方で、アメリカの株価はほんとにうなぎ登りですね。リーマンショックの大幅な下落も3段飛びの一段階みたいで、いまは天井知らずの勢いですから、わが国の相場とは大違いですね。NHKでなくてもこういった指摘はどこでもきちんとやって欲しいですね。

 

アメリカの株式市場の盛況は、やはりなにか裏があるように思うのです。金融緩和だけではないと思いますし、いずれは大ショックが待ち受けているのではと思ってしまいます。その盛況に引きずられる日本の株式市場も、それだけ危ういのではと考えています。

 

で、上記の番組はウェブ情報を引用すると、<科学史に埋もれた闇の事件簿。今回は「金融工学」誕生の物語! 世界のGDPの7倍以上が運用されている金融派生商品(デリバティブ)。金融の世界に進出し始めた物理学者・数学者たちが、それまで予測不可能とされていた市場の動きを解析・数式化して「必勝の運用法」や「絶対に損をしない」というふれこみの商品を次々に生み出した。それは世界にばく大な富をもたらすと同時に、かつてない規模の経済危機を生み出してしまう…。>とのこと。

 

ぼっと見ていたので、正確な内容は覚えていないのですが、解読不可能と思われた経済事象を工学的手法で数式により明らかにしたという数学者でしたか、ノーベル賞をとり、その方を中心にした金融工学のメンバーが何兆円、何十兆円という莫大な資金を株式市場に投入できるほどになったあと、予測不能の事態となり、リーマンショックが発生したといった流れでしたか。

 

ある考えが絶対だ、それを鵜呑みにするという考えで、すべての人というかほとんどの人が同じ投資活動や経済活動をすれば、破綻は目に見えているように思うのです。人間活動を硬直した見方でとらえること自体、誤りの始まりではないかと思うのです。

 

と長々と本題と異なる議論をしてしまいましたが、本日のテーマとなにか人間の根底といったところで通底するものがあるようにふと感じたため、前置きで書いてしまいました。

 

さて、毎日記事は大貫(ソウル支局長でしか?)記者によるもので、<著書「帝国の慰安婦」で虚偽の記述をし、元慰安婦の名誉を傷つけたとして名誉毀損(きそん)罪で在宅起訴された韓国・世宗(セジョン)大の朴裕河(パクユハ)教授に対する控訴審判決で、ソウル高裁は27日、「歴史的事実をねじ曲げ、被害者たちに大きな精神的苦痛を与えた」として、1審の無罪判決を破棄し、罰金1000万ウォン(約100万円)の有罪判決を言い渡した。判決後、朴教授は記者団に対し「大変不当で遺憾だ」と述べ、上告する方針を明らかにした。>とまとめています。

 

高裁が有罪認定した根拠については<高裁は、旧日本軍の従軍慰安婦を「性奴隷」と表現した1996年の国連報告書(クマラスワミ報告)などを根拠に、朝鮮人慰安婦は自らの意思に反して連行されたことが明らかだと指摘。>と事実認定の根拠を例の国連報告書に依拠しています。この認定を根拠にして、<著書の「元慰安婦は根本的に『売春』のくくりにいた女性たち」などを虚偽と認定した。そのうえで「大半の朝鮮人慰安婦が、まるで自発的に性売買をして日本とともに戦争を遂行したと、読者に受け取られる」とし、名誉毀損の意図があったと認定した。>というのです。

 

ところが、高裁が朴氏について、<朴教授が慰安婦問題に関する従来の解決方法を批判する中で事実がねじ曲げられたとみられるとし「被害者を誹謗(ひぼう)したり苦痛を与えたりする目的はなかった」と、朴教授の主張を一部取り入れた。また「学問や表現の自由は保障されるべきだ」として、誤った考えか否かは司法が判断する問題ではないと付け加えた。>

 

朴氏の著作目的に誹謗目的がなかったことや学問の自由の保障については、肯定する内容です。あくまで国連報告書の記載事実と異なる点を<事実がねじ曲げられた。というのです。

 

この点、<1審判決では、検察側が主張した名誉毀損にあたるとの表現について、大半は「資料の分析や評価であって具体的な事実関係を示したと見るのは難しい」と判断。事実関係の提示にあたる部分も、告訴した元慰安婦を特定していないなどとして、いずれも名誉毀損にはあたらないとしていた。>

 

そもそも一審判決の認定自体が、朴氏の著述内容を的確に認定できているのか疑問です。<具体的な事実関係を示したと見るのは難しい>との認定ですが、名前をあきらかにしていなくても、自ら聞き取りして得た記述であり、オーラルヒアリングとして、高い評価を得ているものです。これを具体的な事実関係を示したものでないということ自体どうかと思うのです。

 

他方で、<告訴した元慰安婦を特定していない>ですし、決して強制的に連行されたことまで全面的に否定するものではないと思っています。いずれにしても『帝国の慰安婦』の内容が特定の慰安婦の名誉を毀損するものではないと思います。

 

あの少女像自体、根拠のない虚像ではないでしょうか。それを裏付ける資料は提供されているのでしょうか。

 

『帝国の慰安婦』は、むしろこのような慰安婦制度を招く国内外の問題と歴史的構造にメスを入れたのではないかと思うのです。国連報告書は、まだ読んだことがないので、適切なコメントとはいえない点を保留しつつ、聞くところによれば、慰安婦の女性からの聞き取りにより作成されたものと思われます。それは事実を踏まえた側面があると思います。しかし、その当時の韓国社会、封建社会の残存の状況、とりわけ男尊女卑的な面、劣悪な経済状態での生活苦などはどこまで視野に入っているのでしょうか疑問を感じています。

 

戦後わが国でも、赤線地帯が米軍基地周辺で広がっていました。それは米軍の強制によるものとは言えないですが、劣悪な生活苦を逃れるためやむなく入っていた女性も少なくなかったのではと思うのです。

 

私自身は、むろんその当時の状態を実際に見聞していません。ただ、四半世紀前頃、当時、新宿周辺には各国の女性がたちんぼして、売春を行っていて、その種の事件をしばらく担当しました。彼女たちに聞くと、いわゆる女衒が村にやってきて両親と売買の話をして、売られて、ある種の組織があって、日本に運ばれて、パスポートを取られ、狭い部屋に大勢の女性と同居させられた上、売春して、その借金なりを返していたといった話をよく聞きました。

 

構造は異なりますが、人身売買はいまなお形が変わっても継続しています。そういう女性を買う男性がいるからです。日本軍はより組織的に巧妙に行ったのだと思うのです。

 

私自身は、『帝国の慰安婦』こそ冷静な視点で、リアルに生の声を拾いつつ、背後の帝国という権力構造のうみを描き出したものとして、高く評価されるべきと思っています。一度読んでからだいぶ経ってしまい、記憶があいまいになっているのを確かめないで書いています。

 

ただ、最後に一言。このような女性を生み出すのは、男性です。それはその女性を差し出す男性、取引なり強制なりの方法で関与する男性、買う男性が問題です。さらにいえばそれを等閑視する男性です。この点では女性も含まれるでしょう。

 

ついでに言えば、昔、吉原で仕事をしている女性の事件を担当したことがあります。その女性は貧乏な生活から逃れるため売春で金を稼いでいるとのことでした。ところが、それをひもにする男がいるのですね。その男に大事なお金を貸した(預けた?)のですが、返ってこないと言うことで私が返還させたのです。ただ、話をしていて、基本的な知識が不十分で、その女性の教育レベルがきわめて低いものだと気づきました。気の毒でした。家庭環境も影響がありますね。そんなこともつい思い出しました。

 

そろそろ一時間です。この辺でおしまい。


受信料の根拠 <NHK受信料訴訟 合憲か 番組放送へ不可欠/契約の自由侵害 最高裁で弁論>を読んで

2017-10-26 | 心のやすらぎ・豊かさ

171026 受信料の根拠 <NHK受信料訴訟合憲か 番組放送へ不可欠/契約の自由侵害 最高裁で弁論>を読んで

 

昨夕から今朝の毎日記事を見ながら、どのテーマを今日のブログで扱おうか迷ってしまいました。複数扱うには、本来の仕事が財務分析的な数字を追っかけていて、とてもそんな元気が残っていません。気になったテーマは、<東京モーターショー>でトヨタがAIを採用したEVを展示し他社と競い合うニュースですが、これは他方で同社がテスラからカリフォルニア州の規制対応のため排出枠を爆買いするという動きとの関係でどうみるか非常に興味深いものです。次に<旧日本軍の毒ガス禍>の記事です。それに<商工中金不正>の深刻な問題です。

 

とはいえ今日も業務時間終了時間が過ぎ、できれば一時間以内でまとめたいと思い、少し軽い?話題にしようと、上記の記事を選びました。実はとても重い問題ですね。憲法上の争点を抱えていて、多くの訴訟でなんども議論されてきた事柄で、簡単に結論を出すのはどうかと思っています。最高裁大法廷で弁論が開かれるのですから、それは当然、深い内容ですね。

 

ただ、ここでは私の感覚的な議論にとどめますので、あえて過去の判決例とかをチェックせず、気分で書いてみようかと思います。

 

TVは、長い間視聴していませんでした。面白いと思わなかったことと、仕事が忙しくて見る余裕がなかったこともあります。むろんテレビももっていませんでした。

 

NHKの受信料支払いの根拠については、当時から話題になっていましたが、私は放送法も読まないで、受信機を設置しただけで受信料を支払う義務があるというのはおかしいと思っていました。それは契約の強制という以上に、受信料を強制的に徴収する権利がNHKに認められるといった解釈であったと思いますが、そのような具体的な根拠規定があるとは思えませんでした。

 

ただ、あえてNHKと論争するほど、TV視聴に関心がなかったので、わざわざテレビを買うこともありませんでした。

 

20年くらい前でしたか、少し時間的に余裕があったこともあり、なんとなくテレビを買ったところ、NHKのドキュメンタリーが面白く、その後でしたかBS放送にいいものがあり、持続的に見るようになりました。受信料の支払については、これだけいい作品を、しかも相当な費用をかけていることがよくわかることから、その支援?というか、自然に支払うようになりました。支払拒否の理論闘争をするような気持ちは失せました。

 

ところで、記事では<NHK受信料制度の合憲性が争われた訴訟の上告審で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は25日、原告のNHKと、受信料の支払いを拒んだ被告男性の双方から意見を聴く弁論を開いた。NHK側は「豊かで良い番組を放送するために受信料は不可欠だ」と主張し、男性側は「支払いの強制は憲法が保障する契約の自由を侵害する」と述べた。大法廷は合憲性について年内にも初判断を示す見通し。【伊藤直孝】>

 

当然、、争点は<放送法64条は、テレビなどの放送受信設備の設置者は「NHKと受信契約をしなければならない」と規定。>の解釈をめぐるものですね。

 

受信料請求訴訟の被告とされた<男性側は、64条について「努力義務を課した訓示規定に過ぎない」と主張。契約を強制していると解釈すると「NHKに課税徴収権を認めるに等しく、非民主的だ」と述べた。>非常に明快な論理ですね。

 

これに対し<NHK側は「時の政権におもねらず不偏不党を貫き、視聴率にとらわれない多角的視点を踏まえた番組を放送するために、安定財源を確保する手段として制度は不可欠だ」と反論。必要性と合理性があり、合憲との見解を示した。>受信料を徴収できる必要性・合理性を訴えているわけですね。

 

もう一つの争点である<受信契約がいつ成立するか>については、<NHK側は「契約申込書が設置者に到達した時点で成立する」と主張してきたが、1、2審はこれを否定。設置者が支払いを拒否した場合は、「契約の承諾」を命じる判決が確定した時点で成立すると判断している。>ただ、<NHKが主張する契約の「自動成立」を認めた他の判決もあり、下級審の判断は分かれている。>そんなことも、大法廷で統一する判断を示すのでしょうか。

 

さらに合憲性との関係で、<放送法15条はNHKの目的を「日本全国で受信できる豊かで良い放送番組を放送する」とする。>のとらえ方について、NHKと国が異なる立場を表明しているようです。NHKは<「長期取材で問題を提起して議論を生み出し、視聴しなかった人も放送の恩恵を享受できている」と述べた。>と「豊かで良い放送番組」を素直に表現しているように思えます。これに対し国は(補助参加ですかね?)、<制度を合憲とする根拠として意見書で「災害・有事に的確な情報を提供するインフラで、受益者である国民が受信料を負担するのは合理的」と説明。>

 

で、私自身は、改めて放送法を見ましたが、(受信契約及び受信料)を定めた64条では、1項本文で「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」となっていて、規定上は契約締結義務を課していると読むのが自然です。原告は、これを訓示規定と解するのは、そう解釈しないと契約自由の原則、ひいては憲法が定める基本的人権規定に抵触するということなんでしょう。

 

私も原告の立場に近い位置にあるように思いつつ、広告放送を禁止された(81条)NHKとしては国に依存せず独立して上記の目的を達成するには受信料収入に依存するのですから、この点に配慮したいなと思うのです。これだけの公共放送を経済的に支援するのは利用者しかいないのですから、テレビを設置したら、民放しか見ないなんていわないで、受信料を払う気持ちになりたいですね。

 

ただ、放送法も契約を義務づけているだけで、受信料については642項で「協会は、あらかじめ、総務大臣の認可を受けた基準によるのでなければ、前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料を免除してはならない。」と免除規定を定めるにとどめておりますから、NHK主張のように、テレビを設置しただけで自動的に受信契約成立というのは無理筋ではないかと思います。

 

でもこのような論争に時間をかけないで、内容のある放送を提供してもらい、それはもちろん視聴者の意見を迅速・的確に反映するようにして、いい番組をつくってもらうことで、受信料は免除対象者出ない限りは、快く支払ってはどうかと思うのです。高額の放送料をとる民間事業者と異なり、受信料はかなり抑えた金額ではないかと思うのです。

 

そんなわけで今晩もNHK番組をしっかり見ようと思っています。(最近、政治家の言葉に「しっかり」が常套文句のように繰り返されるように思うのですが、それだけ普段しっかりやられていないのかと改めて思うのです・私の場合あまりしっかりは見ていないので)

 

なんとか1時間未満で終わらせました。また明日。

 


介護を考える <介護の外国人技能実習 新制度で来春以降始動>を読みながら

2017-10-25 | 医療・介護・後見

171025 介護を考える <介護の外国人技能実習 新制度で来春以降始動>を読みながら

 

今日もあれこれ法律相談をしていたら、いつの間にか業務終了時間になっています。さて、これから本日のブログはなにをテーマにしようかと考えながら、毎日などの記事を見たりして、見出しのテーマにしました。

 

ちょうどいま成年後見事件で、被後見人がある介護老人保健施設に入所していて、2度ほど訪問しました。久しぶりにこういった施設への訪問でしたが、なにか職員と利用者の会話とか、挨拶がきびきびしていて気持ちよく感じられました。たいてい皆さん、笑顔で対応され、これも気分よくなります。むろん利用者の方もそんな印象を受けます。

 

ただ、病気や障がいで、感情表現があまりできない感じの方もいるので、利用者の状態によることも確かです。一度目の時はデイケア利用者が帰宅する時間帯でしたので、とても快活な印象でした。二度目は入所者だけで、多くの方が車椅子を押してもらっている状態で、静かな、あるいはひっそりした雰囲気でした。そんな中、一人が介護福祉士の方でしょうか指導をうけながら、リハビリに励んでいるところで、元気な会話が聞こえてきました。

 

そういえば数年前でしたか、ある介護施設の経営者との間で借地トラブルとなった地主が依頼人のケースで、経営者としばらく経営状態について資料を出してもらって収支状態を確認しながら、債務弁済契約を取り交わしたことがあります。そのときの経営者の弁解は、介護職員をなかなか集められない、給与を高くするだけの介護収入が得られない、安い給与で勤める人は技量が十分でなく、経営者の自分がいろいろやらざるを得ないとか、でていました。経営資料をみても、収支バランスが厳しいことが明らかで、低賃金もあって能力不足の介護職員でやりくりすると、収益構造を改善することも容易でないというのがわかります。

 

さてそういった介護施設のちょっとした経験、過去になんども訪問していた経験を思い出しながら、毎日朝刊<読み解きワード介護の外国人技能実習 新制度で来春以降始動>を読みました。

 

記事では<25年には38万人不足 海外から人材招致>ということで、<来月1日から始まる新しい外国人技能実習制度で、対象職種に介護が追加されます。同制度では初の対人サービスです。実習生が介護現場で働くのは来春以降の見通しですが、利用者の不安を招かないよう質の担保が求められています。>と有田記者が指摘しています。

 

新しい制度でどうなるかでしょう。<9月の改正入管難民法施行で在留資格に介護が加わり、実習生でなくても日本の大学や専門学校で学んで介護福祉士の資格を取れば、国内でそのまま働けるようになった。専門学校の定員割れが続く中、留学生は約600人と5年で30倍に増えている。>

 

しかし、従前から問題がありました。<外国人技能実習制度を巡っては、送り出し側による多額の保証金徴収や、受け入れ側によるパスポート取り上げや賃金未払いなどの問題が多発。実習生の失踪も相次ぎ、国際的に批判されてきた。>これは他の分野でもありますが、介護分野でも顕著な事実なのでしょう。

 

この点の改正では<技能実習制度適正化法に基づく新制度では、法務省と厚生労働省が所管する「外国人技能実習機構」が新設され、実習先への監視を強める。実習生の受け入れは、個々の企業に代わって国の許可を受けた「監理団体」が担当。商工会や公益法人などの非営利法人に限られ、実習先から出された技能実習計画の認定や実習生の相談支援をする。実習生への人権侵害には罰則も設けた。優良な実習先と認められれば、従来3年の受け入れ期間が最長5年まで延びる。>ということですので、この監視制度が有効に働けば改善の見込みはあると思いますので、期待したいところです。

 

ただ、介護分野特有の課題がありますね。<実習生は今年6月で約25万人いるが、70以上ある職種に比べ、介護には高いコミュニケーション力が求められる。このため介護職には固有の条件があり、入国時と2年目移行の際に、それぞれ到達すべき語学レベルが設定された。>

 

身体的な部分の介護だけであれば、外国人も相当活躍できると思います。しかし、要介護の低い方はもちろん、高い方でも、コミュニケーションがその意識の回復につながる例は多く報告されていて、今後の介護のあり方として特に求められるところですので、外国人とはいえ、その能力を甘く評価するのはどうかと思うのです。ただ、このコミュニケーション能力は、言葉を流ちょうに話すこととは違うと思うのです。重要なのは利用者の言葉を引き出したり、聞いてあげることではないかと思うのです。あるいは表情や手振り身振りで感情を伝えることにより、衰えている利用者の感情表現を少しでも回復させることができるのであれば、日本語の一般的な能力が劣っていても、さほど問題ではないと思うのですが、どうでしょう。

 

この点、<実習生が言葉を十分理解できないまま仕事に就けば、単純作業ばかり押しつけられたり、同僚の負担が過重になったりしかねない。>というのは一応理解できます。

 

しかし、<入国時の要件は「日本語能力試験『N4』程度」だが、これは基本的な日本語を理解できるレベルで、大半の施設はこれより高度な「N3」以上が望ましいと考えている。>というのが、そのレベルがどのような内容か知りませんが、全体としてのコミュニケーション能力にもっと比重を置いてよいのではないかと思うのですが、客観的な評価としては簡単でないことはわかります。

 

施設ごとに相対的な基準を設けることもひとつで、ペーパーテストなどの一律の基準で評価することだけでは、ある種の客観性は担保できても、本来の介護の質を高めることになるのか、少し疑問を持っています。

 

別の観点から<結城康博・淑徳大教授(社会保障)は「EPAよりは多いかもしれないが、人材不足の切り札にはならない。安易な受け入れは介護の質の低下を招き、日本人の給与水準の上げ止まりが懸念される」と話す。>といった懸念の声が上がるのもわかります。

 

介護職の給与水準を上げて、その生活水準を高めることも、介護の質を高める要素と思います。他方で、外国人による介護は、ニュースなどで散見する限りは、東南アジアにはまだ昔ながら家庭的なサービスが身についている方いるようで、このようなサービスの多様化も期待したいとは思います。

 

外国人の受け入れをする一方で、日本人介護職の低い賃金構造はぜひとも変えてもらいたいと思いますが、最近、話した障がい者支援事業で働く人の情報では、介護職よりさらに低い賃金というのをうかがい驚きました。その方の仕事ぶりはとても熱心で細やかで、点数制ですが、それを超えるサービスを無償で行ったりしています。たしかに福祉は以前ボランティア精神で行われてきたわけですが、介護・障がい者支援は将来に向かって持続性をもつ制度にして行くにはより充実した財政支援が必要ではないかと、改めて思った次第です。

 

安倍政権の消費増税の使途変更は、若い健康な世代への支援に向けた甘いささやきに見えるのですが、それでよいのか、国会での充実した議論を期待したいです。

 

そろそろ一時間になりそうです。今日はこれでおしまい。


治水を考える <台風21号 一夜明け 住宅襲う濁流・・・>などを読んで

2017-10-24 | 紀ノ川の歴史・文化・地理など



171024 治水を考える <台風21号 一夜明け 住宅襲う濁流・・・>などを読んで

 

昨夜かえって毎日夕刊を見て驚きました。<台風21号一夜明け 住宅襲う濁流 大規模停電、鉄道も混乱>は河川の堤防外で冠水が広がっている状態を撮影していました。

 

この写真を見て、すぐに見覚えのある風景と思いました。いつも私が和歌山に通うときに通る紀ノ川南岸道路のT字路付近で、信号待ちでよく止まるところです。この河川は紀ノ川に合流する手前の貴志川です。あの高野山から西方に流れる河川の一つです。堤防の上に大勢のオレンジ色の服を着た人は消防隊の方たちでしょう。小さな消防用ホースをあるだけかき集めて排水しているところでしょう。以前fbで、橋本市学文路地区での排水状態を報告したことがありますが、このときは紀ノ川に排水で、ここでは貴志川に排水です。

 

堤防の下に南岸道路が和歌山市まで走っていて、手前右が病院、その横は運送会社、ずっと引いた左端は浄水場です。それらの背後の土地一帯が冠水しています。そしていわゆるミニ分譲地が冠水した水に浮かんだ状態にありますね。

 

昨日昼の紀ノ川(橋本市内)の様子を見ましたが、河川敷の上まで水嵩がきてなく、さほどの増水ではなかったのかなと思っていました。下流の貴志川合流付近はどうかわかりませんが、おそらく紀ノ川自体はさほどの増水ではなかったのではと思います。

 

で、このような冠水の理由はいくつかありますが、通常考えられるのは、紀ノ川に流入する河川からの排水を樋門を閉めて、紀ノ川自体の水嵩を増やさないようにして、堤防決壊や溢水による大きな被害を回避し、中小河川の氾濫程度に抑える一つの治水策と思うのです。むろんダム放流水の制御も重要な方法でしょう。

 

したがって、紀ノ川に流入する河川は排水できないわけですから、増水する一方で、氾濫することになりうるわけです。従前はそれでもよかったのです。元々氾濫原で、田畑ですから、被害もさほど大きくないのです。むしろ栄養豊かな土壌などが運ばれてくるわけで、いわばアスワンハイダムができる前のナイル川周辺の豊かな土壌による繁栄と似たような、小規模な状態が日本のどこにでもみられたのだと思います。

 

ところで、この紀の川市の冠水の原因は、貴志川の合流付近で生じたいものではなく、また貴志川を原因とするものではないようです。この記事ではわかりませんが、写真で見る限り、貴志川の水量はいつものちょろちょろよりは多いものですが、とても氾濫するような状態ではありません。一夜明けたからといって、急にこれだけ水量が減ることは考えられません。

 

となると、貴志川の少し上流か、別の貴志川に流入する河川が氾濫したのでしょうか。その原因はしっかり調査してもらい、今後の対策に活かしてもらいたいと思うのです。

 

ところで、これからが本題です。治水のあり方と河川付近の土地利用は表裏一体ともいうべきものです。紀の川市ではどのような治水と土地利用を考えていたかを今朝事務所に来てウェブ情報で少しだけ調べてみました。だいたい情報があまりないというのがこのへんの自治体の傾向でしょうか。

 

まず、冠水地周辺の<ハザードマップ>を見ました。案の定、この周辺は浸水5mゾーンとなっています。このハザードマップは、費用の関係で、詳細な検討をした結果により算定したものでないと思いますが、それにしても5mの浸水ゾーンというのは、どの程度この地域の人に周知しているのでしょうか。また、この浸水の原因については当然、想定しているわけですので、その原因対策がどのように講じられてきたかも気になるところです。

 

このハザードマップでは浸水原因から浸水シミュレーションが示されていないので、なんともいえませんが、通常危険箇所などからの洪水を一定予定して避難計画もたて、避難先も確保し、ハザード地区の人たちはそこに非難することが想定されて周知されていないといけないはずですが、今回はどうでしょう。

 

それ以上に、土地利用計画です。残念ながら多くの自治体では農業振興地域整備計画図といったものがウェブ上で公表されてないため、当該地がどのような土地利用を予定し、変更されてきたかが明確ではありません。

 

代替として、残念ながら法規制のない、<都市計画マスタープラン>を参考にします。これによると、農業振興整備地域の農用地区といった土地利用になっているように見えます(20p)。航空写真でも、また、私が毎回通る道路周辺の景観からも、まさに道路の後背地は田んぼ・畑の農地です。おそらく農用地区規制がかかっていて、道路周辺は適用除外になって病院等が立地できるようになったのではないかと思うのです。

 

では田んぼなど農用地のど真ん中に、ミニ分譲地が散在しているのはなぜか。それは<紀の川農業振興地域整備計画書>の中で、「農地共存住宅地」となっているように見えるのです(1p)地図が概況しか示していないので正確ではないですが、おそらくそうかと思うのです。農用地の利用がどんどん減少していく中の、一つの政策として市民の協賛がえられたのであれば、それも尊重されてよいと思います。

 

しかし、ハザードマップで示されたとおり、当該地域は氾濫原で重大な浸水被害のおそれがある場所です。その対策が適用除外のときに法的に条件化するのは無理としても、指導をするなり、また、都市計画許可対象であれば、一定の条件をつけるなり、対応すべきではなかったかと思うのです。

 

なぜそういうかといいますと、冠水した中に取り残された住宅の敷地はあまりかさ上げしていないように思います。それがいいかどうかも問題もありますが、たとえば東京足立の綾瀬川周辺は氾濫原で、昔はたいてい塚の上に家を建てていたと言われています。それで竹の塚とか地域の名称としてもいまだ多く残っています。

 

今回については、なぜ洪水になり冠水したかの原因調査を待たないといけませんが、貴志川の様子を見る限り、さまざまな洪水発生要因が潜在的にある場所かもしれません。こういったことを適切に周知するような土地利用策、住宅販売へのコントロールも必要かと思います。

 

そして、さらにいえば、紀ノ川全体の洪水対策の現状がはたして適切有効になされているか、源流から吉野川、紀ノ川、そして多くの流入する中小河川、膨大なため池、そして堤防や樋門の管理など、全面的に見直しを検討してもいいかと思うのです。それは流域住民との共同で行われる必要があると思うのです。

 

そんなことをふと思ったので、一時間くらいかけてブログを朝早く書きました。夕方元気があれば、もう一つ書くかもしれません。


171025 補足 洪水対策の統合化の必要(用水路管理)

 

昨日は成年後見事務などで少々疲れてしまい、もう一つのテーマでのブログを書く元気もなく早々と帰宅しました。

 

するとニュースで再び紀の川市の冠水が取り上げられていて、用水路が氾濫したといった情報が流れていました。

 

国交省・近畿整備局の和歌山河川国道事務所のHP紀の川河川事業概要>で、水防対策を少し見ました。すると今回冠水した貴志川は要注意とも言うべき位置付けであることがわかります。

 

90年代から2000年代にかけて盛り上がった流域協議会も審議を繰り返しているようですが、審議内容を確認するのに時間がかかりそうなので、今回はパスしました。

 

代わりに<紀の川下流部大規模氾濫に関する減災対策協議会>を見ましたら、基本的な事項は審議されていることが窺えます。

 

ところで、紀の川の当時の水位をチェックしてみますと、貴志川流入口の少し上流部<紀の川にある竹房水位観測所のデータ>も少し下流部の<紀の川にある船戸水位観測所のデータ>も、さらに流入河川である貴志川の<観測所:貴志(きし)>も、流入河川の排水を制御する状態であったとは言いがたいように思えるのです。

 

毎日記事写真で明らかなのは貴志川がいつも通りのように水流がわずかです。氾濫を心配するような状況ではありません。

 

では用水路はどうか、これは農水省、ひいては地元自治体が管理している準河川扱いではないかと思います。河川水防において、縦割り行政の弊害が如実に表れた事例といえるかはまだはっきりいえませんが、慎重に検討されるべきです。

 

用水路の排水は当然、この周辺では中規模河川である貴志川に、そして紀ノ川に到達することが予定されているはずです。その場合、どうして末端の紀ノ川も、そこに流入する貴志川も容量的には十分余裕があったと思えます。なお、紀ノ川下流域の心配があったかもしれないのでその点の考慮が必要でしょう、何年か前下流の住宅街が幅広くかん水した反省はあるでしょう。

 

いずれにしても、用水路の制御は、国交省河川局が担当する河川同様に、一元的な管理が求められているように思うのですが、その場合にデータ観測・集積・分析を統合的に行う体制の確立も必要ではないかと思うのですが、そういった検討が先の減災対策協議会で視野に入っているようには見えないのですが、そうなると、これまでと同じような災害の繰り返しにならないか、懸念が残ります。