たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

熱い思い <なぜボランティアを支援 「風に立つライオン基金」設立者、歌手 さだまさし氏>を読んで

2017-10-02 | 心のやすらぎ・豊かさ

171002 熱い思い <なぜボランティアを支援 「風に立つライオン基金」設立者、歌手 さだまさし氏>を読んで

 

さだまさし氏を知った経緯は以前ブログでも書いたように思います。京都でした。その頃知り合った仲間たちと丹後半島に車で出かけていったことを思い出します。たしかグレープ時代のカセットを買ってようやくさださんのことを知りだした頃でした。車を運転する人、同乗者みんなが歌い出したのです。さださんの歌を。ずっと長いドライブの間次々と。それがとても心地よいのです。それ以来さださんと勝手に呼びますが、彼の歌に魅了されてきたように思います。

 

さださんには一度もお会いしたことがありませんが、東京弁護士会で毎年開催していたチャリティーコンサートで、だれを呼ぶかといったときも私自身はお呼びしたい人でしたが、チャンスがありませんでした。南こうせつさんや椎名誠さんなど、いろいろな方が毎年参加されちょっと話す機会もあっていい思い出となりました。ただ、さださんとお会いすることができなかったのは少し残念な思いが残りましたが、TVCDなどで声や姿をみるだけで十分かもしれません。

 

私はさださんの長い間隠れ?ファンなのかもしれません。コンサートに行ったり、ラジオ番組を毎回聴くといったこともありませんが、40年近く心の片隅には彼の歌が残っているように思えます。

 

10数年くらい前だったと思います。「風に立つライオン」というタイトルのCDだったと思いますが(引っ越しの際どこかにいってしまった)、買って時折聞いていました。子どもたちはさださんの歌、グレープ時代の歌なんかはまったく興味を示しませんし、このCDも早く消してといわれるくらいでした。ところがなぜか「風に立つライオン」になると黙って聞いているのです。そしていつのまにか、たしか9番目だったかで、9をまた聞きたいと、繰り返しを要求するのです。ついには一緒に歌い出すようになりました。

 

私自身いつ、さださんがこの歌を発表したのかもしりませんでした。でもこの歌にはなんともいえないほど強烈に感性を揺り動かされるものがあるように思います。それが子どもたちにもわかったのでしょうか。自分たちが普段聞いている若い人たちの歌とは違うものを感じたのでしょうか。

 

毎日朝刊の見出し記事で、この歌に関するさださんの思いの一端を理解することができました。モデルの医師がいたのですね。72年の話ですか。<アフリカでへき地医療に取り組む実在の医師>が70年代初頭にすでにいたのですね。たしかに60年代から多くの若者は当時の政治に反発を感じ、体制の在り方を議論して自分がなにかをしようという高揚した意識があったと思いますが、実際に世の中で実現した人はどのくらいいたのでしょう。気持ちだけで実社会の中で高い思想といったものが埋没してしまったのが大半ではないでしょうか。

 

さださんが<曲を発表したのは1987年、バブルの絶頂期です。>私自身、この当時ボルネオ島での日弁連の熱帯林調査に参加していました。そのとき一緒に行ったのが<日本国際ボランティセンター>(JVC)の医師たちです。彼らの先住民に対する健康調査は真摯で熱心でした。さださんが感銘を受けた柴田紘一郎医師に匹敵するような、悪環境での調査を黙々と行っていました。このさださんの話を伺い、改めて「風に立つライオン」に私が感動を受けた一因がわかったような気がします。

 

当時の80年代後半は世の中バブルで金が一番のように思われた雰囲気がありました。大量消費・大量廃棄と環境破壊は、その一つとしてボルネオの原生林を大量に伐採し、コンパネなどの用途のため原木で大量輸入され、建設廃材は山のように日本各地の自然を破壊するように不法投棄されていました。


それでもJVCの医師たちはヒルに血を吸われながらも、泥水の中を先住民の目指して歩いて行き、調査をしっかりやりとげていたのです。そこには先住民だけの隔離されたがあり、先住民の多くは栄養失調、皮膚疾患、赤痢、結核などに罹患しほとんど疾病対応がされていない状態が明らかにされました。

 

当時、熱帯林伐採による自然破壊については、テレ朝などで放映され、大きなインパクトを与え、国際的な批判が起こり、環境保護と輸出規制がその後確立しました。それに対し、先住民の健康被害に対してどこまで取り上げられたでしょう。

 

この「風に立つライオン」も30年近く経って評判になったというのですね。そういえば最近TVなどでも時折耳にするようになったのは、そういう社会的評価が熟成されてきたからでしょうか。

 

さださんといえども、これだけのいい歌が評判をかちとるのは大変だったのですね。でも私はもちろん、私の子どもまで一度きいただけでえもいわれぬ感動を受けました。この歌が影響したかどうかは知りませんが、一人はいま医師の道を目指しています。はたしてボランティア精神をもった医師になるのかはわかりませんが、人に喜んでもらえる人間の一人になってもらえればと思うのです。

 

さださんは風に立つライオン基金について<「ボランティアの人たちをボランティア(支援)したい」ということ。災害が起きた時に被災地に入るボランティアを裏から支える。>と話しています。そして<このバトンがずっと続いていけば、この国の一部は確実に良くなる。国(全体)を変えようなんて気持ちはさらさらないけれど、一部でも変えたいと思います。>と述べていますが、ほんとうに心を動かすバトンは是非ともつないで欲しいと思うのです。

 

今日はこの辺で。