たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

治水を考える <台風21号 一夜明け 住宅襲う濁流・・・>などを読んで

2017-10-24 | 紀ノ川の歴史・文化・地理など



171024 治水を考える <台風21号 一夜明け 住宅襲う濁流・・・>などを読んで

 

昨夜かえって毎日夕刊を見て驚きました。<台風21号一夜明け 住宅襲う濁流 大規模停電、鉄道も混乱>は河川の堤防外で冠水が広がっている状態を撮影していました。

 

この写真を見て、すぐに見覚えのある風景と思いました。いつも私が和歌山に通うときに通る紀ノ川南岸道路のT字路付近で、信号待ちでよく止まるところです。この河川は紀ノ川に合流する手前の貴志川です。あの高野山から西方に流れる河川の一つです。堤防の上に大勢のオレンジ色の服を着た人は消防隊の方たちでしょう。小さな消防用ホースをあるだけかき集めて排水しているところでしょう。以前fbで、橋本市学文路地区での排水状態を報告したことがありますが、このときは紀ノ川に排水で、ここでは貴志川に排水です。

 

堤防の下に南岸道路が和歌山市まで走っていて、手前右が病院、その横は運送会社、ずっと引いた左端は浄水場です。それらの背後の土地一帯が冠水しています。そしていわゆるミニ分譲地が冠水した水に浮かんだ状態にありますね。

 

昨日昼の紀ノ川(橋本市内)の様子を見ましたが、河川敷の上まで水嵩がきてなく、さほどの増水ではなかったのかなと思っていました。下流の貴志川合流付近はどうかわかりませんが、おそらく紀ノ川自体はさほどの増水ではなかったのではと思います。

 

で、このような冠水の理由はいくつかありますが、通常考えられるのは、紀ノ川に流入する河川からの排水を樋門を閉めて、紀ノ川自体の水嵩を増やさないようにして、堤防決壊や溢水による大きな被害を回避し、中小河川の氾濫程度に抑える一つの治水策と思うのです。むろんダム放流水の制御も重要な方法でしょう。

 

したがって、紀ノ川に流入する河川は排水できないわけですから、増水する一方で、氾濫することになりうるわけです。従前はそれでもよかったのです。元々氾濫原で、田畑ですから、被害もさほど大きくないのです。むしろ栄養豊かな土壌などが運ばれてくるわけで、いわばアスワンハイダムができる前のナイル川周辺の豊かな土壌による繁栄と似たような、小規模な状態が日本のどこにでもみられたのだと思います。

 

ところで、この紀の川市の冠水の原因は、貴志川の合流付近で生じたいものではなく、また貴志川を原因とするものではないようです。この記事ではわかりませんが、写真で見る限り、貴志川の水量はいつものちょろちょろよりは多いものですが、とても氾濫するような状態ではありません。一夜明けたからといって、急にこれだけ水量が減ることは考えられません。

 

となると、貴志川の少し上流か、別の貴志川に流入する河川が氾濫したのでしょうか。その原因はしっかり調査してもらい、今後の対策に活かしてもらいたいと思うのです。

 

ところで、これからが本題です。治水のあり方と河川付近の土地利用は表裏一体ともいうべきものです。紀の川市ではどのような治水と土地利用を考えていたかを今朝事務所に来てウェブ情報で少しだけ調べてみました。だいたい情報があまりないというのがこのへんの自治体の傾向でしょうか。

 

まず、冠水地周辺の<ハザードマップ>を見ました。案の定、この周辺は浸水5mゾーンとなっています。このハザードマップは、費用の関係で、詳細な検討をした結果により算定したものでないと思いますが、それにしても5mの浸水ゾーンというのは、どの程度この地域の人に周知しているのでしょうか。また、この浸水の原因については当然、想定しているわけですので、その原因対策がどのように講じられてきたかも気になるところです。

 

このハザードマップでは浸水原因から浸水シミュレーションが示されていないので、なんともいえませんが、通常危険箇所などからの洪水を一定予定して避難計画もたて、避難先も確保し、ハザード地区の人たちはそこに非難することが想定されて周知されていないといけないはずですが、今回はどうでしょう。

 

それ以上に、土地利用計画です。残念ながら多くの自治体では農業振興地域整備計画図といったものがウェブ上で公表されてないため、当該地がどのような土地利用を予定し、変更されてきたかが明確ではありません。

 

代替として、残念ながら法規制のない、<都市計画マスタープラン>を参考にします。これによると、農業振興整備地域の農用地区といった土地利用になっているように見えます(20p)。航空写真でも、また、私が毎回通る道路周辺の景観からも、まさに道路の後背地は田んぼ・畑の農地です。おそらく農用地区規制がかかっていて、道路周辺は適用除外になって病院等が立地できるようになったのではないかと思うのです。

 

では田んぼなど農用地のど真ん中に、ミニ分譲地が散在しているのはなぜか。それは<紀の川農業振興地域整備計画書>の中で、「農地共存住宅地」となっているように見えるのです(1p)地図が概況しか示していないので正確ではないですが、おそらくそうかと思うのです。農用地の利用がどんどん減少していく中の、一つの政策として市民の協賛がえられたのであれば、それも尊重されてよいと思います。

 

しかし、ハザードマップで示されたとおり、当該地域は氾濫原で重大な浸水被害のおそれがある場所です。その対策が適用除外のときに法的に条件化するのは無理としても、指導をするなり、また、都市計画許可対象であれば、一定の条件をつけるなり、対応すべきではなかったかと思うのです。

 

なぜそういうかといいますと、冠水した中に取り残された住宅の敷地はあまりかさ上げしていないように思います。それがいいかどうかも問題もありますが、たとえば東京足立の綾瀬川周辺は氾濫原で、昔はたいてい塚の上に家を建てていたと言われています。それで竹の塚とか地域の名称としてもいまだ多く残っています。

 

今回については、なぜ洪水になり冠水したかの原因調査を待たないといけませんが、貴志川の様子を見る限り、さまざまな洪水発生要因が潜在的にある場所かもしれません。こういったことを適切に周知するような土地利用策、住宅販売へのコントロールも必要かと思います。

 

そして、さらにいえば、紀ノ川全体の洪水対策の現状がはたして適切有効になされているか、源流から吉野川、紀ノ川、そして多くの流入する中小河川、膨大なため池、そして堤防や樋門の管理など、全面的に見直しを検討してもいいかと思うのです。それは流域住民との共同で行われる必要があると思うのです。

 

そんなことをふと思ったので、一時間くらいかけてブログを朝早く書きました。夕方元気があれば、もう一つ書くかもしれません。


171025 補足 洪水対策の統合化の必要(用水路管理)

 

昨日は成年後見事務などで少々疲れてしまい、もう一つのテーマでのブログを書く元気もなく早々と帰宅しました。

 

するとニュースで再び紀の川市の冠水が取り上げられていて、用水路が氾濫したといった情報が流れていました。

 

国交省・近畿整備局の和歌山河川国道事務所のHP紀の川河川事業概要>で、水防対策を少し見ました。すると今回冠水した貴志川は要注意とも言うべき位置付けであることがわかります。

 

90年代から2000年代にかけて盛り上がった流域協議会も審議を繰り返しているようですが、審議内容を確認するのに時間がかかりそうなので、今回はパスしました。

 

代わりに<紀の川下流部大規模氾濫に関する減災対策協議会>を見ましたら、基本的な事項は審議されていることが窺えます。

 

ところで、紀の川の当時の水位をチェックしてみますと、貴志川流入口の少し上流部<紀の川にある竹房水位観測所のデータ>も少し下流部の<紀の川にある船戸水位観測所のデータ>も、さらに流入河川である貴志川の<観測所:貴志(きし)>も、流入河川の排水を制御する状態であったとは言いがたいように思えるのです。

 

毎日記事写真で明らかなのは貴志川がいつも通りのように水流がわずかです。氾濫を心配するような状況ではありません。

 

では用水路はどうか、これは農水省、ひいては地元自治体が管理している準河川扱いではないかと思います。河川水防において、縦割り行政の弊害が如実に表れた事例といえるかはまだはっきりいえませんが、慎重に検討されるべきです。

 

用水路の排水は当然、この周辺では中規模河川である貴志川に、そして紀ノ川に到達することが予定されているはずです。その場合、どうして末端の紀ノ川も、そこに流入する貴志川も容量的には十分余裕があったと思えます。なお、紀ノ川下流域の心配があったかもしれないのでその点の考慮が必要でしょう、何年か前下流の住宅街が幅広くかん水した反省はあるでしょう。

 

いずれにしても、用水路の制御は、国交省河川局が担当する河川同様に、一元的な管理が求められているように思うのですが、その場合にデータ観測・集積・分析を統合的に行う体制の確立も必要ではないかと思うのですが、そういった検討が先の減災対策協議会で視野に入っているようには見えないのですが、そうなると、これまでと同じような災害の繰り返しにならないか、懸念が残ります。