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スウェーデン滞在が長く、その間にストックホルム大学社会福祉学部大学院研究員であられた訓覇法子(くるべのりこ)さんは15年以上前に出版した 『スウェーデン人はいま幸せか』 (NHKブックス 1991年4月)の中で、スウェーデン人のイメージを次のように述べておられます。
(1)争いや対立を避けようとする意識が高く、理想として同じ考え方や意見でもってまとまれるよう、話し合いを通してできる限りの努力をする。
(2)スウェーデン人はどちらかというと芸術家タイプというより、自然科学的思考をし、合理的かつプラクティカルなタイプである。
(3)不法・不正に対して妥協せず、高度の遵法精神を持つ人道主義である。
(4)個人尊重と連帯思想の見事なバランス。日本人における「個」というものが全体あっての「個」として存在するなら、スウェーデン人の場合は、独立した「個」があって、全体が存在するといえる。この国の人々は嘘がなく、意見が異なっても感情を害することなく、相手を尊重しようとする努力をおこたらない。そのうえで意見を尊重し、全体としての見解および結論にできる限り歩み寄ろうとする。
訓覇さんによれば、今から120年以上前の1884年(明治17年)に設けられた労働者保険委員会が1888年にスウェーデンで初めての階級分析を行っており、このときの調査分析の結果はなんと国民の94.4%が労働者階級あるいはそれに等しいというものであったそうです。つまり、当時のスウェーデン人のほとんど全部が労働者階級に属していたというわけです。この事実が基礎になって、年金などの普遍的供給の原則が打ち立てられたのだそうです。
訓覇さんはさらに続けます。
(1)スウェーデンでは首相、大臣だろうが、会社の社長だろうが、地下鉄に乗ったり、自分の車を運転して通勤するのである。国王もプライベートの旅行の時は自分でカバンを持って歩き、迎えもなしに自分でサッサと車を運転して帰る。首相官邸などなく、ごく普通のアパートに住んでいるし、フットボールだって、映画だって、お供なしでバスや地下鉄に乗って気軽にでかける。つまり、必要でないものは必要でないのである。
(2)生活困難などの問題は個人の責任によって起こるのではなく、社会構造が引き起こすものだとして、個人レベルでの問題解決よりも社会変革という構造的視野からの問題への取り組みに焦点があてられる。つまり、問題として表面にあらわれた個々の現象を見るのではなく、その背後にひそむ根本的問題への対処を重視すべきであるというものである。
(3)共通の問題に対してこれを個人的に解決しないで、集団的に、あるいは共同体として解決する方法を選択し、それをシステム化していく。
資本主義社会の貧困についての1991年6月3日付けの朝日新聞のインタビュー記事の中で、「日本では、生活保護の厳しい運用が続いています」というインタビューアーの発言に対して、東大教授の岩井克人さんは「レーガン、サッチャー流の『貧乏は本人の責任だから自助努力で立ち直れ』というイデオロギーを、中曽根臨調路線が単純に輸入したあらわれだ。この結果、日本ではそれでなくとも隠れている貧困が、さらに見えにくくなっている」と答えています。
この記事の岩井さんの応答と(2)と読み合わせると、スウェーデンと米国、英国および日本との間に「生活困難」という共通の問題に対する対応の仕方の相違があることがわかります。
それにしても、日本の現在の状況は1991年の状況より改善されたのでしょうか。私にはインタビュアーへの岩井さんの応答が今でも妙に新鮮に感じられます。
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