酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

いったいこれは誰の子だ

2008-12-14 11:30:59 | Weblog
 赤の他人の精子や卵子を用い、しかも体外で受精させて出産する。産婦人科の医師らでつくる学会の新方針だそうだが、何とも面妖な話だ。 



 《不妊治療を行う医師らでつくる日本生殖医学会(岡村均理事長)は、夫婦以外の第三者から提供された精子・卵子を使った非配偶者間の体外受精を認める方針を決めた。

 兄弟姉妹や友人からの精子・卵子提供も認める。学会の倫理委員会は来年3月までに実施条件を定めた指針を策定する。

 非配偶者間の体外受精は、厚生労働省の生殖補助医療部会が2003年、「匿名の第三者」に限り精子・卵子提供を認める報告書をまとめたが、その後の法制化は進んでいない。学会による初の指針が策定された場合、国の規制がないまま、非配偶者間の体外受精の実施が医療現場で一気に進む可能性も出てきた》=読売web=

 
 学会の倫理委員長は「法整備の見通しの立たない中、放置することは職業倫理的にも許されないと考える。きちんとルールをつくって対応するべきだ」(共同)と述べている。患者の意向に沿うことが医師の倫理だとの主張である。


 患者をここまで誘導してきたのは、ほかならぬ生殖学会である。子どもを持つことを諦めていた夫婦に「こんな方法もありますよ」と宣伝してきたのではなかったか。長野の根津医師はそのトップランナーだ。



 子どもを持ちたいという男女の悲願に応えたい。医師としてそう思うのは当然だ。だが、技術的に可能だからといって、どんな方法を用いてもいいということにはならない。臓器移植にも通じることだが、一線を越えると社会規範までおかしくなる。


 医学の進歩が暴走になってはいないか。患者に「それはできません」というもの医師の大事な仕事だ。ここがぐらついている。「患者の支持」を盾に手を染めてはいけない分野にまで突き進んでいるように見える。


 人は必ず死ぬ。子どもを産めない人はいる。当たり前のことだ。


 定見のない医師がこの大原則を覆そうとして無謀な挑戦を始めると、とんでもないことになる。精子、卵子とも他人から提供を受け、誰かの腹を借りて妊娠させ、最後に妻の腹に戻して出産する。こんな事態も想定される。ガイドラインを設けるというが、そんなものが守られるはずがない。生殖学会に集う医師らは率先して国や産婦人科学会の指針を破ってきたではないか。



 こうまでして生まれた子どもはいったい、誰の子どもなのか。将来的には子どもに提供者名を告知することも可能だとしている。そこで引き起こされる諸問題にどう対処するかなどについては、考えてもいないようだ。


 不妊治療といえば聞こえはいいが、これが治療に値しないことは誰の目にも明らかだ。治療とは患部と症状をなくすることだ。体外受精のどこが治療なのか。


 医療は手品ではない。不可能を可能にするかのように喧伝してはいけない。

コメント
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