酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

鳥越俊太郎の「晩節」

2016-07-13 15:20:05 | 話題
 「ジャーナリスト」の鳥越俊太郎が東京都知事選に野党統一候補として出馬するという。

 《東京都知事選(14日告示-31日投開票)を巡り、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76)が12日、都内で記者会見し、立候補を正式に表明した。鳥越氏は「憲法改正が射程に入ってきた。そうした流れを元に戻すため、首都東京から発信できればすばらしい」と述べた。民進と共産、社民、生活の野党四党は同日、鳥越氏を統一候補として支援することで一致した》=東京新聞。

 鳥越氏は12日の記者会見で「残りの人生はそんなにない。その何分の一かを使って、チャンスを与えていただいたら、東京都のために全力をささげたい」、「外側からウォッチし続けるアウトサイダーであり続けたいと思ってきたが、最後に一回ぐらい責任を果たして見る気はないのかという内なる声に導かれて手を挙げた」などと述べた。いい年をした大人が、出たいというのだから外野がとやかく言うこともないが、どうもこの御仁は胡散臭い。

 鳥越はそのソフトな風貌と語り口でそれなりに人気があった。筑紫哲也のフェイクと言えないこともないが、一応反権力のポーズは取り続けている。がしかし、である。鳥越はテレビのCMや新聞広告にも頻繁に顔を出しているのである。アフラック、損害保険協会、トゥルースリーパー、サントリー…。企業や製品の宣伝を一切するなと言っているわけではない。説得力に満ちた基準、確固たる信念に基づいてその商品なりを薦めるのであればまだ理解できる。だが、鳥越からそれぞれの企業・商品について「能書き」以上の説明は聞いたことがない。タレントは別として学者やジャーナリストは個別のCMなどにかかわるべきではない。もっとも彼は「ジャーナリストではなくニュース職人」と称しているようだが…。

 76歳という年齢やガンの予後のこともある。何よりも問題なのは、いきなり都政にかかわりたいと考えた動機である。「憲法改正の流れを元に戻すため」-ポーズは決まっているが、中身はゼロだ。かつて京都府の蜷川虎三知事は「憲法を府政に活かす」をスローガンに掲げた。蜷川府政の功罪については置くとして、福祉や教育では独自色を発揮していた。鳥越が憲法を叫ぶなら、現行の都政を憲法の視点できっちり点検し、問題点を都民に提示すべきだ。それ抜きに憲法、憲法と言い募っても政治的プロパガンダに過ぎない。

 表題には「鳥越の晩節」と掲げた。だがこのお方に節などはないのだ。それにしても民進党はじめ野党はだらしない。お茶の間に名前が知られた候補でなければ勝てない-と判断した時点で終わっている。それは自民党にも言えることだが…。

 「2020年五輪返上」-泡沫以外で真面目に訴える強者はいないのかねえ。

 

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「ダッカ殉難者」帰国に思う

2016-07-05 08:42:16 | 国際事件
 「ダッカ人質事件」で犠牲となった邦人7人の遺体が5日早朝、政府専用機で帰国した。岸田外相、北岡JICA理事長らが出迎えた。

 専用機近くには白布で覆われた七つの柩が並んだ。花束が手向けられ、黙祷が捧げられた。7人の無念さを思うと胸が塞がる思いである。と同時に、この映像を執拗に流し続けるNHK(ほかは見ていないので分からない)には違和感を覚えた。

 午前7時数分前、ローカルニュースを遮って羽田からの中継が飛び込む。岸田外相が献花するシーンが映し出された。ローカルニュースの前にも十分すぎるほどの時間を割いて専用機帰国を伝えていた。岸田らの献花は地元ニュースをぶった切って流すほどの意味があるとは思えない。そんなことを考えながら眺めているうち、妙な既視感にとらわれた。ベトナムやアフガン、イラクなどで戦死した米兵遺体の帰国シーンである。

 星条旗にくるまった柩。政府や軍関係者が出迎え、儀仗兵が柩を運ぶ。お国のために戦った人々への鎮魂の礼である。

 〝安保法案〟の施行により自衛隊員が海外で戦死する蓋然性が高くなっている。今回の出迎えは、それに備えた予行演習のように見えた。

 途上国支援はJICAの表看板である。脆弱な社会インフラを立て直し、暮らしやすい地域を作り上げる。現地で活動する一線の方々の思いは純粋だろう。だが、巨視的に見れば援助国の海外進出の橋頭堡であることは間違いない。だから中国と競い、欧米と権益争いを繰り返すのである。

 バングラのハシナ政権は野党を力で封じ込め、道路封鎖などのデモを蹴散らした。これに反発する若者らの過激な行為が跡を立たず、昨年は100人以上のテロ犠牲者を生んでいる。こうした流れの中に今回の事件も位置づけられよう。

 事件の犠牲者を悼み、卑劣な犯行を憎むのは当然の心情だが、過度に死者を美化することは慎みたいものだ。

 

 
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