酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

「硫化水素自殺」は自殺なのか

2008-04-27 16:44:37 | Weblog
 風呂場用の洗剤などを混合して硫化水素を発生させ、自殺を図るケースが続出している。消防庁の調べでは3月27日から4月25日までに12都府県で19件起き、16人が死亡、128人が巻き添えで症状を訴えている(26日付け読売新聞)。

 ブームと呼ぶにはあまりにもおぞましい。なぜこんなことが流行ってしまうのか。硫化水素による自殺者は年齢や男女に関係ない。一時「流行した」車中で練炭を焚く方法は、複数の男女によるケースが多かった。ネットでの呼びかけで、何人かが集まるのも特徴的だった。

 硫化水素は単独が多い。場所は問わない。働き盛りの男性も結構いる。高濃度の硫化水素は毒性が強く、短時間に死ねるという。原料が手に入りやすいのと、簡単・確実に死ねるのがいいということなのか。

 こういう死に方を自殺などと呼んではならないのではないか。何件かのケースでは部屋の外などに「硫化水素自殺中。ドアを開けると危険です」などの貼り紙があったという。周囲に危害が及ぶことを自覚している。未必の故意が適用されるケースだ。警察は自殺で処理するのではなく、周囲の被害状況に応じて傷害罪や殺人未遂罪で調べるべきだろう。当人が死亡した場合でも、被疑者死亡事件としてきちんと処理すべきだ(現にそうしているのかもしれないが、一般には周知されていない)。

 自殺したい人にいくら「死ぬな」と呼びかけても、思いとどまらせることは難しい。だが、「死ぬ前にもう一度考えよう」と言い続けなければならない。自殺は当事者の大事な人を悲しませ、憎くてたまらない人や組織にはその意が伝わらない。端的に言えば犬死だ。その上、硫化水素自殺は犯罪行為にも問われかねない。どんな自殺であれ、割に合わないのだ。

 ネット上では相変わらず硫化水素自殺の呼び掛けが続いている。そうやってどんどん居場所を狭めて、もう死ぬしかないと自分を追い込む。焚き付け屋や騒動師、ブームに乗ったお調子者たちに踊らされてはいけない。生きるのがいやなら、しばらく死んだふりをしていればいい。三年寝太郎という先輩もいる。熟睡すれば頭のもやもやが晴れるかもしれない。
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聖火様のお通りで~す

2008-04-26 05:16:06 | Weblog
 国賓はおろか、天皇の行幸さえも上回る厳戒ぶりだ。警護の対象は北京五輪の聖火である。騒ぎすぎだ。

 NHKに至っては、連日のトップ扱い。しかも、肝心のチベット情勢にはほとんど触れない。「聖火騒ぎブーム」盛り上げの第一人者となっている。

 世界中でこれだけ話題になれば、北京五輪は大成功疑いなし? 中国政府が聖火に込めた意図は見事に開花しつつある。

 それにしても経済力を中心とした中国の存在感はたいしたものだ。自国の問題は棚に上げて、外国の人権問題に口を挟むのが大好きなブッシュ大統領も、ことチベット問題に関しては、モゴモゴ言っているだけだ。

 最初は威勢のよかったフランスのおサルさんは、「開会式に行かないと決めたわけではない」などといい始めている。

 こうした各国の反応に気をよくした? 中国は「ダライ・ラマ」と対話する用意がある」と発表した。五輪前に何らかの接触がある可能性が高まったと見ていいだろう。

 だが、その先は全く不透明だ。中国もチベット派も、五輪以後の戦略を持っているようには見えないからだ。チベット自治区内の封じ込めは、五輪後に強化されると考えた方がいい。世界の関心が遠のくからだ。

 一過性で物事を飛ばしていくメディアの風潮が改まらない限り、中国に限らず少数民族の悲哀は続く。マイノリティーに世界の耳目が集まるのは、悲惨な状況が隠しおおせなくなったときだけだ。

 現にアフリカや東南アジアでは、苛烈な軍政や虐殺、内紛が多発しているのに、日本国内では無視されるか、新聞のベタ記事どまりだ。人の目に触れないということは、事実がないというに等しい。

 北京五輪開幕までの主役は聖火様である。会期中のそれは、何だろう。もちろん選手もその候補であることは間違いない。だが、本当の主役は「騒動」だと見る。何か起きるのが期待されている。困った風潮だね。

 これではオリンピックがかわいそうだ。
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学テに塾費支援 教育は大変だ

2008-04-24 05:27:43 | Weblog
 昨年に続いて今年も小中学生対象の「全国一斉学力テスト」が22日に行われた。費用は約60億円。テスト結果の分析や教育現場へのフィードバックなどは「検討中」で、要するに何のための学テかは、今のところよく分からない。

 渡海文科相は「最低5年は続けたい」と寝ぼけたことを言っててい。いまのところの「効用」は学校の序列化を進めることぐらいのテストを、あと3年も続ける意味はどこにあるのか。私立学校は「何のためにもならない」とそっぽを向き始めている。犬山市のように離脱する自治体が増える事態も予想される。

 子どもの学力が低下しているというのは本当だろうか。思考力や社会事象に対する反応は、昔と比べると格段に向上している。会話してみれば分かる。切り返しの速さなどは驚くべきものだ。

 低下しているのは好奇心であり、関心を向ける領域である。蛸壺化が進んでいると言い換えてもいい。他とかかわったり、興味を向けたりすると変なことに巻き込まれやしないか。そんな心理が働いているのだろう。

 ここをほぐしてやらなければ、いくら勉強を詰め込もうとしても頭の中までは入っていかない。そもそも疲れきった教師が生き生きした授業など出来るはずがない。テスト結果は教師の評定にもつながる可能性がある。ストレスがまた増える。


 公立の学校には期待できない。学力を手っ取り早くあげるには塾だ。というわけで!? 東京都は全国で初めて、生活保護を受けている世帯の児童生徒が学習塾に通う費用を援助する制度をスタートさせた。

 小金井市などは既に同様の制度を持っている。所得格差が教育格差にならないようにとの配慮で、一定の評価は出来るだろう。金額は一人年間5万-15万円で、対象者は約1万人と推定される。都保護課は「一般家庭の塾費は平均26万円。都の補助は最低限のサポート」と話す。

 でも、何か変だ。塾に行かなければ学校の授業についていけないということなのか。中学や高校入試を見込んだ措置なのか。

 地方の中山間地で、学習塾に通ったり家庭教師に付いたりしている子どもはまれである。都の方針は、学力競争でも地方を蹴散らそうということなのかもしれない。

 順序と方法が違う。優秀な教員(もちろん人間的にも)を増やす。子どもの好奇心を引き出すための教育法を研究する。学習到達度ではなく、問題発見能力を重視する。地域に子どもたちが何をやってもいい広場を設ける。

 新学習指導要領が「ゆとり」を排して、詰め込みに走ったのは大きな間違いだ。このツケはやがて出てくる。

 教育期間を20代前半までの狭い範囲に押し込めたり、新卒以外の採用に二の足を踏んだりしている社会環境から変えなくては、教育は変わらない。小手先の技術論に走っている限り、教育再生などあり得ない。


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「シーレーン防衛」の合唱が始まる

2008-04-22 04:32:38 | Weblog
 日本時間の21日午前10時すぎ、中東イエメン・アデンの東約440㌔の沖合で、日本郵船所有の大型タンカー「高山」(15万トン)が海賊と見られる小型船舶の銃撃を受けた。被弾した船体の一部に穴が開き、燃料漏れを起こしているが航行に支障はないという。(共同)

 これはなかなかインパクトがある事件だ。サウジと極東を結ぶ大型タンカーが海賊だかゲリラだかの襲撃を受けた。当初、小型船はロケットランチャーを撃ち込んできたとも伝えられた。

 アデン湾は中東原油のメーンルートではないが、スエズ運河経由の船舶が多く集まる海域だ。今回の襲撃はソマリアの海賊と見られる。「アフリカの角」が凶暴さをむき出しにしたということなのだろうか。

 日本国内ではシーレーン防衛の重要性を訴える議論が高まるに違いない。現に今回の襲撃では周辺に展開する多国籍軍の艦船が出動した。わが海自はこれらへの給油などを行っている。襲撃によって任務の必要性が裏打ちされた格好だ。補給艦を警護する護衛艦の増強などという意見も出てきそうだ。

 全く的外れな主張ではないだろう。ただ、襲撃の意図や背景が不明のうちから、大騒ぎするのは考え物だ、事の真相を見極める慎重だがあっていい。

 日本やアジアに与える影響は軽視できない。こうした事態が続けば、ドバイ原油の価格や船舶保険が一段と跳ね上がる恐れがある。ペルシャ湾やマラッカ海峡も含めて船舶の安全航行をどう確保するか。国際社会の難題がまた一つ増えた。

 世界の耳目が中東に向けられている間に、アフリカがとんでもないことになっている。ソマリアは無政府状態だ。紅海に面したエリトリアも紛争が絶えない。エチオピアの内紛も収まらない。いまやアフリカ中にゲリラが跋扈している感がある。

 これらは米国主導のアルカイダ掃討作戦と無縁ではない。アフガンなどを追われたゲリラはアフリカの貧困地帯に逃げ込み、拠点づくりに励んでいるらしい。こうなると対アルカイダ戦は、もぐらたたきのようなことになる。米国の戦略ミスが招いた混乱といってもおかしくはない。

 さて、こうした地学リスクの高まりにわが国はどう対処するのか。

 国際海事局の調べによると、昨年世界で起きた海賊襲撃事件などは計263件、海賊銀座のマラッカ海峡が中心で、紅海・アデン湾は13件、ソマリア沖は31件となっている。

 船会社は「警戒態勢を強化するしかない」と話すが、自前の護衛隊を雇いでもしなければ無理だろう。

 そこで浮かび上がるのが、先に述べた海自による護衛活動の強化である。日本のエネルギー確保という重要任務を帯びる。多国籍軍への給油よりは国民の理解も得やすい。沿岸国の了解さえ取れれば、派遣に問題は少ない。概ねこのような論議が交わされることになろう。

 それこそ、海自の海外独自展開につながる行動であり、「油のためには」などと容認すると一気にエスカレートしかねない。しっかりと推移を見守りたい。
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松沢クン、考え直そう

2008-04-20 06:31:12 | Weblog
 神奈川県の松沢成文知事が、不特定多数の人が利用する施設での喫煙を禁じる条例の制定を検討しているという。

 喫茶店や居酒屋、パチンコ店なども含む徹底したものだ。罰則規定もある。県民やメディアは概ね歓迎の方向らしい。

 たばこの煙が周囲の人の健康を損なうのはよろしくない。これは当たり前の話だ。二人しかいない屋内空間で、一方が喫煙を容認した場合、小生なら「ありがとうございます」と応じてやおら吸い始めるだろう。

 松沢クンは年度内に制定したい意向らしい。規制する場所は、屋内だけでなく球場や駅なども対象だ。工場や会社内は除外される見込みだ。

 朝日新聞は20日の社説で「松沢さん 頑張れ」なる見出しを掲げて支持の姿勢を明確にした。(この原稿を書き上げて「仕事の後の一服はうまいなあ」とか言っていたら可笑しいが)

 考えてみると、大いに問題がある条例だ。

 県の施設を禁煙とすることは県の裁量である。道路については管理者に権限がある。公園や広場も同様だ。禁煙ゾーンにするというなら「ご勝手にどうぞ」と折れましょう。

 でも、居酒屋や料理屋、パチンコ店など店内で客の行動を規制する権限を県は持っているのだろうか。店には店の流儀がある。一律に「店内でたばこは吸うな」などと強要するのは、権力の濫用だ。違法行為を取り締まるのとは訳が違う。

 そんなことより、路上のたばこ自動販売機の撤去が先だ。タスポなど導入しなくても、たばこを対面販売しか認めないようにすれば済む話だ。電力の節減にもなるし、街の美観も向上する。なぜ自販機を放置しておくのか。

 「屋内禁煙条例」なるファッショ的な条例で人の気を引くより、青少年の喫煙防止に直結する自販機対策に取り組むべきだ。

 こういう条例を許すと、次は家庭内まで禁止と言い出しかねない。朝日新聞は拍手を送っている場合か。健康問題に関心を向けるあまり条例の持つファッショ性を軽視してはいけない。

 増長した人物が、世論の追い風に乗ろうとこんなことを言い始めている。

 大阪府の橋下徹知事だ。「職員は勤務時間中喫煙してはならない」「全面禁煙実現のため休息時間をなくする」

 休息条例がなければ休息できない。こんな杓子定規な人事管理が公務員を駄目にしている。メリハリを付けなければ仕事の効率は上がらない。根を詰めるときと息抜きするときの配分は個人が差配することは言うまでもない。

 煙草を吸う場所や息抜きの仕方まで県や知事が管理したがる社会はろくなものではない。

 松沢クン、考え直すのは早いほうがいい。橋本クンはさっさと辞めよう。
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聖火騒動が教えるもの

2008-04-19 21:46:41 | Weblog
 善光寺さんが五輪聖火リレーの出発地点となることを辞退した。たった!?これだけのことがテレビや新聞のトップ扱いになる。なんか変だ。

 事の発端が3月中旬のチベット暴動にあるのはご承知のとおり。チベット独立派(ダライ・ラマの直接的影響力は低いと思われる)が、1959年のチベット大暴動49周年を期して計画的に仕掛けた騒動であることはほぼ間違いない(この計画が中国の権力闘争とリンクしているかどうかは現時点では不明だ)。

 中国の情報・公安当局はチベットでの不穏な動きをなぜ察知できなかったのか。数日前には、インドで亡命チベット人の大規模なデモが行われているにもかかわらず、だ。

 以後一カ月、ここまではチベット側の完勝である。国際世論で中国支持は皆無の状態だ。中国は経済大国となり、途上国では存在感を示しているが、情報発信力は極めて脆弱だ。そのアキレス腱を見事に突かれた格好だ。

 中国が五輪を国威発揚や国民意識の統合に利用しようと焦りすぎたことが、騒動をこれだけ大きくしてしまったのではない。まあ、そうした考え方は、中国に限らず五輪開催国なら多かれ少なかれ意図しているところではあるが…。

 オリンピックそのものが肥大化し政治や商業主義に利用されている。聖火問題を突き詰めていくと、そんな思いが募る。特異な国家であればあるほど、五輪の政治利用に熱心になる。典型はナチスドイツである。

 五輪が平和の祭典だというのは、虚構である。大半の日本人はそう考えているだろう。同時に、平和の祭典にしなければとの思いも抱いているに違いない。

 現実はどうか。モスクワ五輪は西側諸国の多くがボイコットし、ロス五輪では旧ソ連、東欧諸国がお返しのボイコットを食らわせた。そして、今回の騒動だ。

 五輪が世界の不和を煽っているように見える。これ以上の皮肉はない。でも、良く考えてみると、五輪はナショナリズムを高揚させる最高の舞台だ。その前哨戦で各国がバトルを繰り広げるのに何の不思議もない。

 4年ごとにこんな騒ぎが起きるのは進歩がなさ過ぎる。各国がメダルの獲得数を競い合うのも馬鹿げている。

 五輪開催地を持ち回りにするのをやめたらどうか。アテネで固定すればいい。五輪を都市改造の口実に利用したり、国民団結の道具に使ったりする悪弊が排除されるだけでも大きな前進ではないか。

 施設改良費などは各国が分担すればいい。冬季五輪は廃止だ。もともと、冬の五輪は北半球の先進国しか活躍できない。南半球でスキーができるのは、高緯度の数カ国に限られる。世界選手権とW杯で十分だ。

 古代オリンピックは個人競技だけだった。勝者に与えられるのは月桂冠だけだ。このシンプルなスタイルに立ち返るべきだ。

 でも、無理なんだよね。競技開始時間がテレビの意向で決まってしまうのが現実だ。五輪を競技者の手に取り戻す。政治からの独立とはそういうことだろう。

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「空自イラク派遣は違憲」、胆の坐った裁判長だ

2008-04-17 22:33:36 | Weblog
 正直びっくりものの判決だ。

 名古屋高裁で争われていた自衛隊のイラク派遣差し止め請求訴訟控訴審のことである。青山邦夫裁判長は、控訴自体は棄却したものの「イラクで活動する航空自衛隊の活動は多国籍軍の武力行使と一体であり違憲。バグダッドは戦闘地域であり、空自の派遣はイラク特措法にも違反する」との判断を示した。

 明快な判断である。一審が憲法判断を避け、「自衛隊員でない原告には訴える利益がない」と門前払いを食わせたのとは対照的である。

 最大のポイントは「空自活動が多国籍軍の武力行使と一体化している」という点にある。物資輸送は戦争継続には欠かせない。むしろ、兵站が戦局を規定するといってもいい。これは軍事の常識でもある。「軽装備の兵を運ぶのは問題ない」「直接戦闘にに使う武器弾薬を運んでいるわけではない」。政府のこれまでの説明である。かなり苦しい論理だ。3年前の国会で小泉首相が脂汗を流したのも当然だろう。

 水や食料は当然にも戦略物資である。燃料も同様だ。それなくしては戦争ができない物資を運ぶことは、当該の軍の行動と一体化している。こうみなすべきだろう。

 自衛隊の行動を憲法9条違反と認定したのは、1973年の長沼ナイキ基地訴訟判決以来である。高裁段階での違憲判断は初めてだ。

 政府の反応は噴飯モノである。首相は「傍論でしょ、関係ない」。官房長官も「空自おりの活動に影響を与えるものではない」という。気分は分からないでもない。

 でも、わが国の行政のトップが高裁判断を公然と無視するコメントを発するのはいかがなものか。「判決内容を仔細に検討し、しかるべく対応する」。せめてこれぐらいのことを言えないのか。あからさまに司法判断を否定しては、法治国家の長たる資格が疑われる。

 それにしても、この青山さん。どこに異動されたのでしょうか。戦後の裁判史上に残る判決言い渡しを他人に委ねることになった感想もぜひ聞いてみたい。

 長沼訴訟の際は、札幌地裁所長が担当の裁判長に圧力を掛けていたことも明らかになっている。本件裁判長も今後、さまざまな圧力にさらされるだろう。

 青山裁判長はきっと硬骨漢に違いない。イラクでの空自の活動が違憲だというのは、かなりの市民に定着した考え方だ。半ば常識である事態について、あらためて「違憲だ」と言わねばならないところに今日の日本の不幸がある。

 違憲は違憲なのだ。政府自らが司法判断を無視していては、中国の「人治」を笑うどころではない。国会も違憲判断にどう従うかが問われている。
 

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学校裏サイト38000件

2008-04-16 21:46:14 | Weblog
 文部科学省が初めて行った「学校裏サイト」の実態調査結果を公表した。「裏サイト」の定義は、学校の関与なしに学校生活について書き込みされているサイトだそうだ。

 大体、誰がこうしたサイトを「裏」などと名付けたor呼んだのか。裏とは表の反対側である。学校の公式HPが表でそれ以外は裏だ、などと定義付けること自体おかしい。マスメディアか教育委員会のミスリードである。

 公式ではないサイトが裏だということなら、当ブログも当然裏である。ネット上に存在するほとんどすべてのサイトも同様だ。裏と名付けている限り、いくらここが「悪の巣窟だ」などと悪罵を投げつけたところで、何の解決にもならないだろう。

「裏」とは何か。裏でないものなどあるのか。ここをきちんと整理する必要がある。

 フロイトらは、夢の世界をもう一つの人格が現れる場と考えた。人生の3分の1近くが夢の世界であることを考慮すれば、傾聴に値する論であろう。いささか意味は違うが、現代は夢を喪失した社会といわれる。となれば、ネット社会がそれに取って代わってもなんらの不思議はない。

 裏とは、もう一つの夢の世界なのではないか。そう考えると合点がいくことが多い。裏の特徴の一つは、現実の人格とは全く違った自分を演じることができる点にある。(もちろん、当ブログがそうだといっているのではない)。

 このケースで「裏」に書き込んでいる主体は、現実世界では思ったことを言えないのだろう。ひょっとすると、誹謗中傷の書き込みを繰り返している当人こそ、現実世界ではいじめの対象になっているのかもしれない。

 言いたいことが言えない。思っているとおりにならない。でも、直接苛立ちをぶつける勇気はない。こうした子どもたちが「裏」に逃げ込んでいるような気がしてならない。2ちゃんねるの少年少女、青少年たちはその「成長」した姿だ。

 ひどい書き込みをされた子どもには「『裏』など気にするな」といってあげたいのだが、きょう日の子どもはそれほど無神経では生きていけない。ここが難しいところだ。どこかで誰かが悪口を言っている。きちんと反論や否定をしたいけれども、言うべき相手が誰だか分からない。「ウザイ」「逝け」の言葉が耳鳴りとなって頭にこだまし、部屋から出られなくなる。最悪のパターンである。

 「裏」を表にしてしまえばいい。方法はその道の専門家が考えることだ。裏表の二元論は、勝ち組VS負け組み論と通じるところがある。問題は「表」と勝ち組にある。強い方、勝った方が譲るのが昔からのしきたりだ。これを忘れてしまっては、社会が成り立たない。

 だいぶ話が脱線したが、裏がはびこる要因は表にあるのは間違いない。学校自体、子どもたちの人間関係自体が崩れているということだ。小手先の対応策で乗り切れるほど事態は簡単ではない。
 
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問題は量刑より有罪無罪の評決だ

2008-04-15 05:24:11 | Weblog
 来年5月21日から裁判員制度が始まる。実際に裁判員が加わった公判は7月ごろから始まりそうだという。

 先だっての最高裁の世論調査をみても、一年後の実施は無理だ。裁判員として呼び出されることについて、ほとんどの人が「仕方がないから参加する」と答えている。これで十分な審理が担保できるのだろうか。

 また、多くの人が「人を裁く資格があるか」と自問している。こうした真摯な声に司法はきちんと答えなくてはいけない。さるお方も「罪なき者、まず石を擲て」とおっしゃっているではないか。

 それなのに、裁判所のやっていることはどうだろう。14日、東京地裁は、五つのグループに同じ事件の判決を出させ、量刑がどう違うかを比較する模擬裁判を行った。量刑にどの程度の差が生じるか検証する初の試みだという(毎日新聞)。

 以下同紙
   被告人質問や証人尋問などは共通の法廷で行われ、
   検察側は懲役6年を求刑。弁護側は起訴事実を認
   め、夫の日常的な家庭内暴力(DV)などを挙げ
   て情状酌量を求めた。この後、5グループは別々
   の会議室で約3時間、量刑を評議した。

   各グループは裁判官3人と裁判員役6人で構成。
   20~70代の会社員、自営業、主婦らが裁判
   員役を務めた。評議では、過去の類似事件の量
   刑データを一覧にした裁判所作成の資料を参考
   にしながら、議論を進めた。その結果、4グル
   ープが懲役3年、執行猶予5年(うち一つが保
   護観察付き)、残る1グループが懲役2年6月
   の実刑だった。

   評議に参加した登石郁朗裁判長は「もっとばら
   ばらになると思ったが意外」、
   角田正紀裁判長は「突き詰めた議論をすると、
   ある程度、結論が集約されるのでは」と話した。
   裁判員役の会社員は「(人を裁くのは)かなり
   不安でした。もっと大きな事件だと(判断に)
   二の足を踏むかもしれない」と感想を語った。

 確かに量刑も裁判の重要な要素だ。だが、最初に評決を行うのは有罪か無罪かについてである。被告が罪を認めている案件は、比較的短時間で済むかもしれない。

 問題は否認事件である。行為に違法性があっても可罰性を巡って争いになるケースも多い。物的証拠がなく状況証拠を積み重ねたケースはどうか。裁判員の心証形成に検察官、弁護人の「演技」はどう影響するか。

 これらの前提がクリアされて有罪、無罪が決まる。まず、ここをきっちり検証すべきだ。

 この日の模擬裁判について某裁判官がテレビで「大体このへんって相場もありますから」みたいなコメントをしていた。裁判官の「常識」に基づく相場が問題だというので裁判員制度が始まるのではなかったか。裁判員制度に切り替わっても、「合議は職業裁判官がリードするので間違いない」、では何のために新制度になるのか分からない。
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こんな公立高校もあるのか

2008-04-13 17:55:24 | Weblog
 「入学金をまだ払ってないので、入学式には出席できません」。千葉県立八千代西高校が入学式に出席しようとした新入生二人をこんなせりふで押しとどめ、別室で待機させていたという。

 それなら、式に呼ばなければいいではないか。入学式の日に登校しないと、入学辞退とする規定でもあるのだろうか。とんでもない判断だ。公教育の場でこんなことがまかり通るようでは、日本はいよいよ危ない。

 大迫太校長は「授業料滞納が目立ち、未納は負担の先送りと思った」と話しているという(毎日新聞)。在校生の授業料滞納と入学金未納は違うはずだ。未納の二人は「きょうは用意できなかったが、後で払います」と理由も述べている。低賃金と物価高が進行するご時世だ。ほぼ全入の高校で生活に苦しい家庭が広がっているのは容易に想像できる。この校長の社会常識を疑う。

 払えなかった金は入学金と教材費など合計9万円である。校長の感覚ではたいした金ではなかったのだろう。「これぐらいの金が用意できないわけがない。ここで甘い顔をすると授業料滞納につながる」。おそらくそんな発想だ。「苦渋の判断だった」などと釈明しているが果たしてどうか。

 二人は保護者がお金を持ってくる(一人は一部)まで入学を許可されなかった。15歳の少年と少女である。「親は金を持ってきてくれるだろうか」と不安でたまらなかったに違いない。こんな思いを味あわせてはいけない。教育の何たるかを心得ない教師に教えられるのでは、入学後も悲劇が続くことになる。

 問題なのは、二人が他の生徒から特定されてしまったことだ。「入学金も払えないヤツ」と陰口を叩くようなことは絶対に許されない。教師全員で二人を守り抜く覚悟が問われる。

 校長も校長だが、他の教師は何も言わなかったのか。県教委もひどい。「保護者と生徒にはつらい思いをさせてしまった。事前に入学金についての十分な説明をしており、学校としてはやむを得ない判断だったと思う」(毎日新聞)。

 教委が滞納を少なくするよう指導を強めていたから校長がこういう反応をしたのではないか。教育より管理が優先する高校の在り方が問題になっているという認識に欠ける。どちらも教育を語る資格がない。
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