酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

小川淳也と朝日新聞

2011-10-20 06:15:37 | Weblog
 20日付けの朝日「オピニオン」を見て驚いた。デモを称揚する3人の登場人物の一人が、民主党衆院議員の小川淳也だったからだ。

 小川の主張がどうのということではない。朝日の「小川好き」にたまげてしまったのだ。

 先月の朝日「ザ・コラム」では編集委員の根本清樹が「政治家の宿命」と題した一文で小川を取り上げている。政治家の言葉について述べた駄文だが、他人の著書を借りてこう言う。

 《「しかるべき言葉を感じたのはわずかに二人だった。ともあれ二人はいたというべきか」。

 その一人、民主党の小川淳也衆院議員は当選2回。現在党政調副会長。
 正規、非正規に二極化した雇用や複雑な社会保障制度を、みなが生きやすくなるよう一元化し、真っ平ら(フラット)な社会をつくりたい。そんな小川氏の持論が書名にもなった」》

 《10月2日、地元高松市で開く講演会が勝負どころになる。(中略)
  政治の言葉は一筋縄ではいかない。明快さや力強さだけでものごとが進むわけではない。(中略)しかし、ときには身にしみじみと実のある言葉を聞いてみたい。おそらくそれは、一人一人の政治家がそれぞれに煩悶し、懊悩する中から絞り出してくるしかない》

 搾り出してくる政治家の一人が小川だと言っているのだ。ここまで露骨なヨイショはあまり見たことがない。でも、これだけではない。いまや朝日を代表する政治記者といっていい星浩が2月の「記者有論」で小川を持ち上げているのだ。

 同じ政治家を1年に3度もコラムや投稿で取り上げるのは尋常ではない。小川君、「朝日御用達」はそんなに売りになるとも思えないのだが…。

 
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「世田谷騒動」と取材力

2011-10-16 09:58:59 | Weblog
 世田谷区弦巻の歩道脇で高線量の放射線が検出された1件は、瓶詰めのラジウムが原因と分かり一段落した。

 13日の検出時点で大きく取り上げたのはNHKと共同だ。NHKは19時のニュースのトップで報じ、「いったいなぜ?」と不安がる住民の声を紹介した。千葉でも高い線量が検出されていた。福島由来なら汚染の拡散の深刻さを裏付けることになるだけに、警戒心を持つのは当然だろう。

 しかし、朝日や読売はきわめて地味な扱いだった。発生源が福島ではなく、歩道脇の空き家だという感触を得ていた可能性が高い。

 高圧洗浄機で除洗しても線量は大して下がらなかったという。空から降り積もったものでなく、空き家のどこかから出ている。NHKの記者らは、なぜこうした推理を働かせなかったのだろう。家の持ち主や直近まで住んでいた人の職業を調べるなどの基礎的取材はしていたのだろうか。

 放射能→福島と短絡してはいなかったか。

 なぜと問う取材の基本が問われている。こういう報道が風評被害を引き起こすのだ。記事や放送で「風評被害が懸念されます」と訴えるなら、まず自らの取材姿勢を反省してもらいたい。
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小沢一郎とは何者か

2011-10-07 05:31:51 | Weblog
 政治資金の虚偽報告で強制起訴された小沢一郎の初公判が行われた。予想通り、小沢は起訴事実を全面否認、約8分間にわたって「法務・検察官僚が違法な捜査で議会制民主主義と国民主権を踏みにじった」などと熱弁を振るったらしい。

 《今、指定弁護士が話されたような事実はない。裁判長のお許しをいただき、起訴状に対する私の見解を申し上げる。検察の不当、違法な捜査による調書に基づき、検察審査会が誤った判断で強制起訴したものであり、裁判を打ち切るべきだ。百歩譲って裁判を続けるとしても、罪に問われる理由はない。虚偽記載の事実はなく、共謀も断じてしていない。

 今回の検察の対応は、検察官が議会制民主主義を踏みにじったものとして日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものだ。政治資金規正法は、間違いや不適切な記載があった場合、会計責任者が自主申告して修正するのが原則だと思う。贈収賄などの実質的な犯罪を伴うものでない限り、そうしなければ議会制民主主義を阻害し、国民の主権を侵害する恐れがある。これまで数え切れないほどの間違いがあっても、例外なく全て修正で処理されてきたし、今回の件が立件された後もそのような処理で済まされている。

 私が実質的犯罪を犯したというような証拠はないのに、東京地検特捜部により強制捜査を受けた。なぜ私のケースだけ強制捜査を受けなければならなかったのか。公平公正な捜査とはいえない。西松建設事件、陸山会事件と捜査を続けたのは常軌を逸している。検察の捜査は私、小沢一郎個人を標的にしたものだ。社会的、政治的に抹殺するのが目的と思われ、明白な国家権力の乱用だ。オランダ人ジャーナリストのカレル・V・ウォルフレン氏は、著書「誰が小沢一郎を殺すのか?」の中で今回の件に関し「人物破壊は類を見ない」と言っている。人物破壊とは徹底的な攻撃で社会的に抹殺することだ。

 それ以上に許せないのは、国民の負託を受けていない法務・検察官僚が、違法な捜査で議会制民主主義、ひいては国民主権を踏みにじったことだ。いきなり当時の野党第1党の代表だった私を狙って捜査対象にした。2年前の総選挙は、当時の世論調査などを見れば政権交代が予想されたものだった。そのような時期の恣意しい的な捜査が許されるならば、日本はもはや民主主義国家とはいえない。

 戦前も政党政治が破壊され、その結果は無謀な戦争への突入と敗戦だった。今回も同様の過ちが繰り返される恐れがある。東日本大震災の復興や原発事故の収束が見えない中で、これ以上政治の混迷が深まれば国民の不満が高まり、偏狭なナショナリズムの台頭やテロリズムによって日本の将来は暗たんたるものになる。だが、今ならまだ間に合う。真の民主主義を確立する以外に方法はない。裁判官の見識ある判断を求めたい》中国新聞web=。

 悲壮感さえ伝わってくる「演説」である。でも、何か変だ。どうして検察が全体重を掛けて「小沢抹殺」に乗り出すのか。小沢は近づきつつある総選挙と絡めて、政治的弾圧だという。しかし、選挙の結果はどうだったか。民主党は圧勝、政権交代が実現したではないか。選挙に影響を及ぼすほどのことではなかったのだ。小沢の存在もその程度ということである。

 しかし、この件で小沢は代表の地位を失い、栄えある民主党政権の首相には鳩山が就いた。小沢失脚で一番得をしたのは鳩山である。小沢は検察を疑うなら、鳩山にも疑いの目を向けたほうがいい。

 小沢は師匠である田中角栄と自らをダブらせたいようだが、格が違う。田中にはエネルギー政策などで米国の虎の尾を踏んでしまったという「つぶされるべき理由」もあった。小沢にはそんなものは何もない。

 都合が悪くなると雲隠れする気の小さい男で、それを隠すために記者連中に高圧的な態度を取る。これが素顔ではないか。

 初公判での陳述も相当気を使ったに違いない。精一杯の強がりを並べ立て、記者会見でも気丈に振舞った。ここまでで気力を使い果たしたらしく、腰痛?で入院なされたとか。いまごろベッドで「あれでよかったんだろうか」などと思い巡らせているに違いない。お大事に。
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