酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

メディアとインサイダー取引

2008-05-31 05:25:30 | Weblog
 NHKの元職員らによるインサイダー取引を調査していた第三者委員会が報告書を提出した。

 「職員のプロ意識が欠如している上、組織としてリスク管理ができておらず、情報保護のシステムも不完全だ。報道機関としての危機意識を疑う」。それなりに手厳しい指摘である。

 新聞各社は鬼の首でも獲ったかのように「81人が勤務中に株取引」「調査に非協力 1000人」などと刺激的な見出しを並べ、NHKの危機感のなさに非を鳴らしていた。公共放送の職員がこの体たらくでは、叩かれるのも仕方がない。

 インサイダー取引は、いたるところに蔓延しているのではないか。昨今のマネーゲームの加熱ぶりを考えるとそんな思いがわいてくる。

 野村證券の社員が捕まった。日経の社員もやっていた。監査法人の公認会計士まで摘発された。金融庁はネット証券2社に、「インサイダー防止のシステムがなっていない」と改善命令を出した。

 これらは氷山のほんの一角だろう。

 日経社員が知人らを迂回して株取引に手を染めているのではないかという指摘は以前からある。同社はNHKのような全社員調査を行ったのだろうか。紙面を見る限りそんな報告は見当たらない。是非、きちんと調べていただきたい。

 他の新聞社はどうなのだろう。NHKのインサイダーが報じられた際、各紙は「社内規定で禁じている」などと自社のコンプライアンス充実ぶりをさりげなく自慢していたように記憶する。

 内規がきちんとしていることと、不正が行われているかどうかは全く別次元の話だ。新聞社は自社株の取引を保護されている存在だ。財務諸表の公開もアバウトなものでいい。自社の保有株や社員の株取引に甘くなっていることはないだろうか。

 かつてNTTドコモ株で地方紙が濡れ手に粟状態になったことがある。電通株で共同と時事は大もうけ? した。

 新聞社は自社が買収される心配がないので、株取引に疎い。しかし、社員は違う。さまざまな情報に接する機会も多い。家族や知人名義で株取引を行っている可能性は大いにある。この際、全社が社員の株保有状況を調査してはどうか。

 電通、博報堂などの広告代理店にも是非お勧めしたい。印刷会社社員がインサイダーなどというのもあった。関連する業界は全部やってくれ~。

 こういってしまうと、株取引ができる人というのはごく限られてくる。預貯金から証券市場に資金をシフトしようというのに、これでは困る。

 株の世界は「おいしい話を素早く見つけて買う」という胡散臭さが残る。投資と投機の区分が不分明だ。「さやを抜く」のが株取引の妙味、日経などはこう煽っているように見える。世界全体が投機に走っている。NHK職員だけを責めるわけにもいかない。
 
 超然としていると時代が読めない男、負け組みのレッテルを貼られてしまうかもしれない。そこを踏みとどまるのがメディアのメディアたるゆえんだろう。ちゃらちゃらしないで、筋を通してほしい。

 
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C130中国へ

2008-05-29 21:28:00 | Weblog
 航空自衛隊の輸送機C130が、四川大地震の救援物資輸送のため中国に飛ぶことが確実になった。政府専用機を別にして、自衛隊の航空機や部隊が中国に派遣されるのは戦後初めてだ。何はともあれ、画期的ではある。

 中国政府が何を求めてきたのかいまひとつはっきりしない。自衛隊が保有するテントと毛布を借りたいというのか。テントと毛布が至急欲しい、輸送する飛行機は自衛隊機でも何でも構わない。とにかく急いで、ということなのか。

 町村官房長官と高村外相の話ぶりからは、前者の趣が濃厚だ。運ぶ機材は何でもいいということらしい。

 もう一つ分からないのは、仮に自衛隊機の出動を要請したとして、どこからどこへ飛ばせるのか。日本から北京ないし成都でいいのか、中国国内の輸送も受け持つのか。政府はこうした情報を明らかにしていない。空自のC130を出すと決めている以上、余計な腹を探られかねない情報は秘匿したいということだろう。

 テントや毛布をたくさん運ぶにはジャンボの方がいい。でもそれではせっかくのチャンスを逃すことになる。自衛隊機の派遣を要請されたことにしよう。概ねそんなところではないか。

 世の中、変われば変わるものだ。自衛隊のイラク派遣を批判していた中国が自国への派遣を要請するとは。中国政府も想定していなかったに違いない。

 日本政府は思惑を拝し、粛々と事を運べばいい。

 まずテントと毛布を早急かつ大量に集める。輸送機材はその時点で判断することだ。日中の不幸な歴史を解消する一歩とか何とか、有難そうな理由は付けない方がいい。評価はおのずと定まるものだ。

 いくら気に入らない隣人でも、非常事態ともなれば別だ。助け合う精神を大いに発揮したいものだ。

 
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刑法199条「殺人の罪」

2008-05-28 04:57:32 | Weblog
 刑法26章199条「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する」。

 殺人罪の量刑は懲役3年から死刑までと幅広い。個別の殺人事件にどう適用していくかは裁判官の裁量に任されているようにも見える。それでは判決に揺らぎが出る。判例を積み重ねることで、量刑の妥当性が決まっていく。これが日本の司法の流れだった。

 長崎地裁が下した市長射殺犯への死刑判決は、判例をあえて踏み越えた感がある。午前中に主文を言い渡せないほど長文に及んだ判決理由の朗読は、「民主主義の根幹を揺るがす犯行」「行政対象暴力として極めて悪質」「暴力団特有の身勝手な犯行」などと言葉を重ね、よって極刑は免れないと述べた。

 殺人の前科がない被告が単純に一人を殺したケースで死刑が言い渡されるのは極めて異例である。裁判長が長々と言葉を費やしたのも、この事件がいかに悪質化を際立たせるためといっていいだろう。

 1983年に最高裁が「永山判決」で示した死刑適用基準に照らせば、今回のケースは死刑の範疇には入らない。地裁が最高裁基準を踏み越えたことになる。

 新聞各紙を読んでみると、概ね判決に好意的だ。「選挙妨害によって市民全体が被害者になった」「テロに対する厳しい姿勢はうなずける」(朝日新聞)などと評価している。そんなきれいごとにしていいのだろうか。

 選挙中の候補者を射殺する。この行為が許されないものであることはいうまでもない。民主主義へのテロとの見方もできないわけではない。しかし、これはテロなのだろうか。また、民主主義へのテロなら即死刑となるのだろうか。

 さえない中年ヤクザが自暴自棄になって起こした犯罪と見るべきだろう。仕事がらみで長崎市に恨みをいだいた。「あの市長は勘弁できない」。で、ズドンである。折りしも市長選の最中だった。「選挙テロ」「民主主義の破壊」。ご大層なハクがついてしまった。そういうことではないか。

 ヤクザの存在は許されない。そんな男が市長の命を奪うなんて…。死刑しかない。世間の反応は概ねそのようだ。各紙の報道と論調も異口同音だ。

 キーワードがいくつかある。「民主主義へのテロ」「暴力団」「市長」などだ。民主主義へのテロは暴力をもってしても殲滅しなければならない。これはアメリカが「テロ支援国家」のアフガンやイラクを攻撃した論理だ。声高な正義が幅を利かせる社会は、寛容さとは縁遠い。

 暴力団は撲滅すべきだ。スローガンとしては間違っていないかもしれない。だが、ヤクザの犯行については罪を5割り増しにする、などという論理が妥当なのかどうか。法の下の平等の精神に反することは自明だろう。

 市長が選挙中に撃たれた。確かに大変なことだ。だが、無職の青年がパチンコ店で襲われたのと本質的な違いを見出すことは困難だ。本件は政治テロなどという「勲章」を付けられる事件とは思えないからだ。

 テロを容認する気は毛頭ないが、テロリズムは政治的意思の発露であるはずだ。こんな事件までテロに仕立て上げてはいけない。

 裁判員制度に与える影響は深刻だろう。それでなくても一般市民は報復感情や被害者感情に流されることが懸念されている。厳罰化の流れがますます急になる。司法制度の行く末が案じられる。
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相撲は文化財だ!?

2008-05-27 04:25:56 | Weblog
 大相撲5月場所の千秋楽、結びの一番後の番外戦に非難ごうごうだ。

 朝青龍が倒れた白鵬の背中を突いて駄目を押した。これに激昂した白鵬が肩をぶつけ両者にらみ合いになった。まあ、格闘技の見せ場ですね。

 でも、大相撲は格闘技とは違う。横綱の品格が…、神聖な土俵が…。町村官房長官までコメントを発して苦言を呈している。横綱審議委員会の海老ジョンイルや東北大学相撲部監督を務める脚本家が北の湖理事長に「横綱をちゃんと指導しろ」と申し入れたのはいうまでもない。

 相撲や柔道は格技と呼ばれる。「闘」の文字が抜けている。単なる闘いではなく格式の高い競技だ、などと考えるのは誤解である。「格」は絡み合うことでありそれだけでもつれる様を表している。本来は手偏に各を書くのだろう。手で組んで争うのである。勝った方が「格上」となる。

 相撲は数ある格闘技のうちでも、最も破壊力が大きいものの一つだ。150㌔の巨体が裸で激突する。勇気と闘志が必要だ。気持ちが昂ぶり体全体が紅潮する。

 両者の気合がぶつかり合う立合い前のにらみ合いは、観衆から大きな拍手や歓声を受ける。派手な動作で自分を鼓舞することで人気のある力士もいる。

 力士が土俵の上で繰り広げるすべての動作はパフォーマンスだと割り切って考えたほうがいいのではないか。

 あの一番、二人にとっては横綱のプライドだけを懸けた相撲だったろう。「二人占め」してきた優勝はない。三つも四つも負けてしまった。ここだけは勝って意地を示したい。そんな思いが交錯したに違いない。

 北の湖が言っているように、朝青龍の駄目押しは流れの中の出来事だ。あまりほめられた図ではないがよくあることだ。白鵬がカッとなるのも分かる。体をぶつけたのは余計だった。でもそれ以上もつれることはなかった。メディアは「一触即発」などと大げさに言っているが、土俵上でパンチの応酬や口論になるわけがない。「覚えていろよ、この野郎」とにらんでおしまいだ。

 横綱の品格とは何だろう。玉の島、北の富士あたりまではこの言葉は通用した。だが、北尾や花田兄弟あたりから実はかなり怪しかった。今の理事長にしたところで、大きなことは言えないはずだ。

 幕の内の上位を占めているのは外国人力士だ。品格だの神聖だのごたくを並べられる状況なのか。大相撲の国際化とは、伝統やしきたりを犠牲にする部分が生じるということだろう。そこを墨守したいのなら、スポーツであることをやめて「重要無形文化財」を目指した方がいい。横綱はさしずめ人間国宝だ。それなら品格だの横綱の体面だのいくら強調してもしすぎることはあるまい。

 なぜ日本人力士が弱いのか。理由は簡単だ。体力と運動能力に恵まれた若い人が相撲界に入ってこないからである。部屋制度や親方や兄弟子との付き合いの難しさが相撲を敬遠させているとはいえないだろうか。

 力士暴行致死事件と今回のにらみ合い騒動は微妙に絡み合うような気がする。稽古や生活面の指導が甘くなれば、本場所の土俵に影響しないわけがない。素質のある外国人力士は上に上がれば甘やかされる。琴欧洲が天狗にならないのは厳しい先代がいたからだ。

 あれもだめ、これもだめでは相撲が萎縮するだけではないか。外国人に門戸を開いている以上、あまり細かいことに目くじらを立てないほうがいい。品格などはおのずと備わるものだ。「横綱の器にあらず」というなら責任を問われるのは横審であり、番付編成会議だ。
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原油と穀物価格はなぜ上がる

2008-05-25 04:27:35 | Weblog
 原油価格の高騰が止まらない。駆け足なんてもんじゃなくて、全力疾走の様相だ。NYM市場で初めて1バレル100㌦を付けたのは1月2日である。いまや130ドル台だ。異様というしかない。

 米エネルギー省が3月に発表した「短期エネルギー見通し」では08年のWTI平均価格は1バレル=100・61ドルと見込んでいた。①世界的な需要増の傾向は衰えることがない②アメリカの景気の減速は避けられず、原油需要は後退する、①>②であり、価格は高止まりする。こうした見立てだった。

 実需を読めばそうなる。でもおきていることは違う。なぜか。

 正直、経済のことはよく分からない。しかし、原油に関しては経済法則とは別のロジックで動いているような気がする。政治の陰を感じるのだ。

 アメリカが意図的に吊りあげを図っているのではないかという疑問だ。ここで言うアメリカとは政府・軍産複合体・経済界の総体である。

 一時ほどではないが、世界的なドル安基調が続いている。アメリカは世界に合弁企業をばら撒いて刈り取る国であり、ドル安で輸出企業が大きく潤う体質ではない。円安大歓迎の日本とは違う。

 海外に進出しているアメリカ企業はドル下落で大きな痛手をこうむる。石油メジャーも手取りが少なくなる。原油価格を上げれば、ドル安の分は補える。

 ブッシュが先日中東に出かけ、サウジでは石油増産の談判を行った。これはポーズくさい。先月のOPECでは「原油高騰は投機によるもの」とし、供給不足を否定している。見込みのないことをわざわざ申し入れる理由は何か。「増産はない」とのメッセージを市場に強く印象付けることだろう。

 120ドル台の後半から一気に130ドルまで駆け上がったのはブッシュが中東を訪れた後だ。ブッシュ自身が石油関連企業のオーナーであり、閣僚や側近にはメジャー出身者やエネルギー企業関係者がうようよいる。政権末期、最後の一儲けを企てても不思議ではない。

 穀物は原油と連動して考えるべきだろう。ここでもアメリカのバイオ燃料政策が効いている。

 注目すべきは、アメリカは世界最大の農産国だということだ。トウモロコシ、大豆、小麦。価格を決めるのはアメリカだ。原油が上がれば穀物もあがる。お互いが価格を引っ張り合う出来レースのようなものだ。

 こんなことは各国のアナリストや政府は十分承知だろう。ファンド規制に踏み切らないのは、容認しているということだ。

 食料とエネルギーをファンドが食い荒らすのを放置する世界の指導者とは、一体何者か。そういえば福田さんも、丸善石油(現コスモ)に勤めていたんだっけ。
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「朝日」社説の奇々怪々

2008-05-23 21:19:24 | Weblog
22日と23日の朝日新聞社説が「宇宙基本法」を続けて書いていたのにはびっくりした。選挙や先に終わった「提言シリーズ」を除いて極めて異例の出来事である。

 「続」を書くくらいなら、22日をワイド版にすれば済んだ話だ。22日の相方は「成田空港30年」だ。はっきりいって書いても書かなくてもいい代物だ。この時点で「宇宙」の続編を書く意図があったとは信じがたい。

 22日の社説に何か不都合な点があったのだろうか。読み直してみても問題になりそうなところは見当たらない。軍事の側面が強調されているが、法律の性格上そういう論調になるのはやむを得まい。

 23日の社説は意図不明だ。書き出しからしておかしい。前日も書いたと述べた上で、「この法律はさらに幅広く、官民の宇宙開発の進め方全体にかかわるものである」と説く。
 
 「さらに」は強調の副詞だ。それをいうならなぜ前日に書いておくべきだった。
 
 以下グダグダと書いているが、結局何を言いたいのか分からない。「科学研究で世界をリードしよう」といったかと思えば「だからといってあれもこれもやるわけにはいかない」などと泣き言を並べる。これでは福田首相の弁明と選ぶところがない。

 スポンサー絡みで社説を捻じ曲げるほど朝日も落ちぶれてはいまい。ならば、前日欠勤した論説委員が文句をつけて「俺にも書かせろ」とねじ込んだか。これも考えにくい。

 強いてあげれば、今の朝日が混乱しているということだろう。村山家との確執が再燃し始めたとも伝えられる。H氏とW氏のさや当て説も漏れてくる。編集局内もがたがたしているらしい。要は統制が取れなくなってきているということか。

 各人がてんでに書く。そういう朝日もまた楽しからずや、である。
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中国地震と援助の意識

2008-05-23 04:18:13 | Weblog
 中国四川大地震に派遣された日本の緊急援助隊と医療チームの活動場所をめぐって、日中間で軋轢が生じた。送り込む側と受け入れ側の微妙な立場の違いから生じた現象だろう。国際的な援助活動の難しさをあらためて教える出来事といえる。

 ①16日に青川省入りした緊急援助隊は当初、経験や装備と現場がミスマッチ、初動がさらに遅れた。実質的な救助が始まったのが、地震発生から5日目では生存者の救助がなかったのはやむを得まい。

②20日夜、成都に着いた医療チームは、病院での活動を要請されたが、現場での行動にこだわった。このため、翌21日をまるまる空費する結果となった。結局、活動は四川大学華西病院に落ち着いたが、行動開始は22日の夜にずれ込んだ。

 緊急援助隊の救出チームが威力を発揮できなかったのは、初動の遅れがすべてである。これは受け入れ側である中国の責任だ。外国の援助隊を、チベット人らも住む被災地に入れたくなかった。海外の反応に驚き、慌てて対応した。その結果が、近隣の日本、韓国、ロシアからの受け入れだ。

 救出可能性が高い72時間はとっくに経過していた。各国とも無駄足になることは承知で、中国が面子を立てることに協力した、ということだろう。これは政治の話だ。実際に派遣される方はこれではたまらない。

 最初から救助隊ではなく、医療チームを派遣すべきだった。しかも、もっと数を多く。

 今回派遣された医療チームは、調整官の能力に問題がありそうだ。活動場所に固執して40時間も浪費するなど、危機意識を疑う。現場に出るのも、病院で手当てするのも変わらないはずだ。違いがあるとすれば、「現場で役に立っている」という感覚の問題ではないか。

 被災者が1300万人という桁違いの災害である。自分の常識にこだわっていてはボランティアなどできまい。

 国際支援と簡単に言うが、実際に役立つには大きな壁が横たわっていることがよく分かった。

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年金財源試算は信頼できるか

2008-05-22 04:48:30 | Weblog
 公的年金の基礎年金財源をすべて消費税に置き換えると税率はどれほどになるか。こんな試算を政府が社会保障国民会議に示した。

 09年度から税方式に移行すると現行5%に加えて3.5─12%の消費税が必要になるという。トータルの消費税率は8・5─17%に跳ね上がる。

 一目見て「これは大変だ」と感じる国民が大半だろう。これが試算の狙いなのか。つまり、年金を消費税で賄うとこんなにあがりますよ、というメッセージだ。民主党は税方式への移行を主張している。しかも、消費税は上げなくてもできるという。これに冷や水を浴びせたと見ることもできよう。

 もっとも、福田首相も民主党との政策協議をにらみ「税方式への移行も検討対象になる」と発言している。首相にとっては必ずしも歓迎できる試算ではあるまい。誰が何のために試算したのか、今ひとつピンとこない。

 計算はきちんとできているのだろう。ただ、経済成長率や利回りの見込みはかなり高めだ。年率3・5%成長など考えられない。

 さらに問題なのは、年金の骨格を現行どおりとしていることだ。年金問題の本質は国民、とりわけ若い人たちが「将来年金など当てにできない」と見切ってしまっている点だ。納付率が低下の一途をたどることは間違いない。一方で、年金だけでは暮らせない実態がある。

 ここにメスを入れないで、数字だけ示しても反感を募らせるだけだ。

 国民皆年金は「国是」だろう。しかし、その趣旨は必要な人には必ず行き渡らせるということだろう。しかも、それだけで暮らせる額を、である。

 こう考えると、基礎年金額の大幅引き上げが必要だ。現行の6万6千円では夫婦二人でも暮らせない。資産が1億円以上ある人やほかに多くの収入源をもつ人に年金が必要なのか。こうした根本的な論議を先行させるべきだ。

 年金の信頼性を回復させるには税方式がベストである。世代間対立の緩和にもなるはずだ。今回の試算が税方式移行へのブレーキにならないよう、注意して見守りたい。

 全国紙の大半がこの試算を「論議の土台になる」と歓迎の論調を掲げた。朝日、読売、日経はそれぞれ独自のプランを示しており、当然の評価だ。でも、読売には笑うね。「わが社のミックス方式では消費税上げは2%。一番お徳です」というような雰囲気で得々として書いているのがほほえましい。

 大新聞社の方々は比例報酬部分がたっぷりあるし、企業年金も充実している。基礎年金の充実に興味があるのかどうか。聞いてみたい。
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大相撲 しごきと暴力の間

2008-05-20 05:56:45 | Weblog
 時津風部屋のリンチ致死事件は、親方の資質がない人物が弟子を巻き込んで引き起こしたれっきとした傷害致死事件だ。日本相撲協会は再発防止委員会などを立ち上げて形を繕おうとしているが、そう簡単にはいかないだろう。

 そんな折、また新たな「暴行事件」が明るみに出た。協会理事の要職にある間垣親方(元横綱二代目若乃花)が、昨年夏場所の朝げいこで弟子を竹刀で殴ってけがを負わせたというのだ。

 当初、間垣親方は「しごきは当たり前。かわいがりがなくなったら、相撲じゃない」と述べ、暴行としごきは違うと言いたげだった。それが、一転して全面降伏である。「やりすぎたなと思って(弟子に)謝った。これからは口で言って聞かせないといけない」。民主的な大相撲ということか。

 一方、現役力士も相変わらずよく殴っているようだ。たとえば陸奥部屋の十両豊桜。弟弟子の宅配便の扱い方ぞんざいだと腹を立てて、「お玉」で頭を10回も殴りつけて8針縫う傷を負わせたと言う。

 相撲部屋のこうした不祥事が次々を暴かれるのは違和感がある。いささか極論だが、相撲部屋で殴る、蹴るは常識だろう。

 本場所の土俵では張り手の応酬はあたり前だ。頭突きもかます。足も蹴る。150キロの巨体に押しつぶされる。これらの衝撃に耐える体をつくるのが稽古場だ。相手の圧力や気迫に負けない精神力もここで培われる。

 プロになるには血と反吐にまみれる修行が必要だろう。まして大相撲は単なるスポーツというより、神事の一種だ。土俵に上がるにはそれだけの覚悟と裏づけが要る。

 北の湖理事長が「暴力はよくない」などとぼそぼそ言っているのを見る(聞く)と情けなくなる。しごき、稽古、修行と世間で言う「練習」は全く違うとなぜきちんと説明できないのか。

 もちろん、親方や兄弟子が「キレテ」暴力に及ぶ行為は許されない。

 怒るのと叱ることの区別ができない。しごきの伝統を受け継げない。こうした相撲部屋のだらしなさが、「暴力」事件などを生んでしまうのだ。


 稽古とは、神の教えをたどることである。体力と精神力の限界に達し、朦朧とするころに神が見えかかる。この境地まで追い込まないと、真の強さは身に付かない。

 近年、大相撲で活躍する力士は外国人ばかりだ。確かに体力面では欧州勢は優れている。モンゴルの力士は日本人と大差はない。相撲は力だけで勝てるものでもない。

 外国人のほうがハングリー精神が旺盛なのではないか。彼らは部屋で暮らすこと事態がいじめのようなものだ。それにひきかえ、ということだ。

 親方が手も上げず、竹刀や箒で殴られることもない力士が強くなるとは思えない。要は「こいつを何とか一人前にしよう」と心を込めてしごいているかどうかだ。愛情抜きのしごきは単なるいじめだ。

 
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朝日、毎日と高校野球

2008-05-16 04:32:56 | Weblog
 昨年の春のセンバツを制した常葉学園菊川高校野球部の監督や選手らが朝日新聞と毎日新聞の女性記者に対して「セクハラ」行為を行っていたらしい。週刊文春の5月15日号が報じている。

 一般紙でも読売新聞が5月8日付けで文春を紹介する形で掲載している。セクハラそのものは当該機関の調べに任せるとして、解せないのは朝日と毎日の対応だ。

 昨年、高野連は例の推薦入学問題ですったもんだした。今回のケースは甲子園優勝校が、その優越的な地位を利用して女性記者に迫ったとされる疑惑だ。こちらの方がはるかに悪質だ。高野連の動きは鈍すぎる。

 それにも増して、朝日が読売の取材に「答えられない」と返答しているのは許しがたい。朝日の編集当局がこの一件を知らないはずがない。女性記者からの訴えもあったはずだ。どのように処理し、学校とはどう交渉したのか。

 ノーコメントの理由が記者のプライバシーにあると主張するのならメディアとしての資質を疑う。文春によれば、朝日記者は夏の大会で同校と同宿していたという。朝日は基本的に支局の記者がその県の代表校と同宿する。今回に似た事例が過去に起きていないか。朝日はそこから掘り起こして報告すべきだ。

 毎日も同様だ。「適切に対応した」(J-CASTニュース)などと言われても何のことやら見当も付かない。大学のセクハラなどに対する反応となぜこれだけしてはもっと敏感に反応していたはずだ。

 朝日の新人記者にとって夏の甲子園は登竜門だ。誰もが野球に興味があるわけではない。だが、甲子園は別格だ。ここで朝日魂が磨かれるとの説もある。プレッシャーで体調を崩す記者も少なくない。

 そこでセクハラが起きたと指摘され、高校も監督の処分を行っている。朝日は処分が出た段階でようやく報じた。だが、処分が行われたことを伝えるだけで、セクハラ問題の真相は全く分からない。

 新聞社が人権感覚を失ったら存在価値がない。高野連や夏の大会への影響を考慮して「穏便に」などと考えているとしたら勘違いもはなはだしい。両紙の取材力を生かし「甲子園強豪校の無軌道ぶり」を暴き出してほしい。甲子園は聖地であり清く正しい場でなければ、と日ごろ伝えていたのではなかったか。

 毎日は先年、名古屋ビルの大宣伝を生面で展開した。朝日は今年、大阪ビルの再開発を一面で報じ、14日付けではフェスティバルホールを1ページで特集している。従来なかった対応だ。

 新しいビルの宣伝にページを費やす経営感覚より、新人記者が受けた屈辱を共有するメディアの感性を求めたい。
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