酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

北朝鮮の様子がおかしい

2008-03-30 20:48:33 | Weblog
 昨年末には完了する予定だった北朝鮮の核無能力化がストップしている。一部には北は行動を放棄したとの報道もある。アメリカのヒルと北の金が何度となく会っているが、一体何を話しているのだろうか。

 アメリカは死に体ブッシュが方向性を打ち出せず、ライスも中東には関心があるが対北はヒルに丸投げ状態だ。これでは将軍様に足元を見られる。

 だが、金正日の足元もかなり不安定なようだ。

 食料不足はいつものことだが、今年は特に深刻なようだ。国連食糧農業機関(FAO)が最近公表した報告書「北朝鮮の深刻な食糧不足」によると、昨年の穀物生産量は水害などのため2000年以来の低水準となる300万トンでしかなかった。今秋までに不足する穀物量は170万トンに達する見込みだという。

 最近5年間の北朝鮮の年間穀物生産量は平均で370万トンから400万トン。単純に計算しても100万トン前後の不足となる。

 特に米とトウモロコシの落ち込みが目立つといわれ、米の「市場価格」は昨年初に比べ二倍に高騰しているらしい。村部では配給も滞りがちだという。国民を飢えさせるようでは首領失格である。こんなことが何十年も続いている。従順な北の国民もさすがに頭に来ているようだ。

 そのことを端的に示すのが清津で今月はじめに起きた若い女性の抗議行動だ。

 市場に店が出せる女性の年齢を50歳以上としたことに若い衆が怒ったのだ。抗議に立ち上がった若い女性は1万人にも達したという。あの北朝鮮でこんなことが起きるとは信じ難いが、読売新聞でも伝えているぐらいだからほぼ間違いないだろう。

 女性たちは口々に「米をよこせ」「配給をよこせ」などと叫び一時は緊迫した状況になったという。市当局や公安は実力での鎮圧をあきらめ、放置したと伝えられる。衝突すれば暴動になりかねない状況だったのだろう。それどころか、一度布告した年齢制限を撤廃する始末だ。抗議の強烈さと深刻さがうかがわれる。

 ポイントは二つある。まず、1万人もの女性が抗議行動に立ち上がったことは金正日には大ショックだろう。まして海外メディアにまで達したとなれば、将軍様の権威はがた落ちだ。

 二番目は鎮圧に乗り出せなかった点だ。乾いた鉋屑の上では煙草を吸えないということだ。一触即発の状況がそこここにあるからこそ、容易に手出しができない。通常このような格好になると、その権力体制はまもなく崩壊する。短距離ミサイル実験もこの文脈で考えると納得がいく。ずばり、国威発揚である。

 この数ヶ月間、北の動きから目が離せない。
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こんな国会はいらない

2008-03-29 14:17:58 | Weblog
 道路特定財源の暫定税率が3月一杯で期限切れとなることが確実になった。無為無策の上に党利党略だけが渦巻く国会にはもはや何も期待できない。

 どうしてこんなにひどいことになったのか。

 安倍晋三前首相が政権を投げ出した後遺症が悪化したと考えたい。代表質問を前にしての突然の辞任、この無責任さを福田康夫首相も引きずっている。

 福田氏は待望論があった時には「その任にあらず」と出馬を見送っていた。年齢のことにも触れた。本当は勝算を読みきれなかったのだろう。

 安倍辞任で福田コールがこだまし、親子2代総理が確実な情勢と見るや、おっとり刀で手を挙げた。でも、首相になって何をするなどという目標はゼロだった。

 所信表明や通常国会での施政方針演説から明快なメッセージは読み取れなかった。唯一挙げたのは「消費者の側に立つ政治への転換」ぐらいだろう。

 消費者の側をいうなら、暫定税率は大きなテーマだ。特定財源維持は基本的には施工者の論理であり、土建政治継続の意思表示だ。その意味で09年度廃止をぶち上げた提案は一定の評価はできる。だが、民主党に蹴られたことで、提案は白紙に戻ったと考えた方がいい。自民党道路族がこのまま引き下がることはないからだ。

 福田氏には参謀やブレーンがいないように見受けられる。片腕となるべき町村官房長官は、福田氏をなめきっておりどっちが首相か分からない。自民党の伊吹幹事長にしても似たようなものだ。誰も福田氏を助けない。だから、日銀人事も迷走を極めた。いまの政府、自民党はイージス艦「あたご」状態だ。

 指導力と決断力に欠ける艦橋。乗組員は士気が低下しきっており、見張りすら放棄する有様だ。この船が事故を起こしたのは当然といわなければならない。日本丸にも座礁や衝突の危機が迫っている。でも官邸や永田町は花見酒だ。

 片や民主党も目を覆う。小沢代表の頭にあるのは「倒閣」の二文字だけ。国民生活など眼中になさそうだ。ガソリン価格が下がれば、国民は歓迎するだろう。でも、本当にそれでいいのか。

 暫定税率がなくなればガソリンの税率は25%前後になる。低い税率でガソリン消費を促すような政策が時代にマッチしているとは到底思えない。むしろ欧州並みに税率を上げ、環境対策などに税収を振り向けるべきではないか。

 国際的要請や時代状況を考えない国会は粗大ごみ同然だ。解散・総選挙になっても顔触れが変わらないと思うとげんなりである。
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続・土浦殺傷事件

2008-03-25 05:35:35 | Weblog
 土浦市荒川沖駅講内での8人殺傷事件は事件そのものより、警察の警戒態勢が問題とされているようだ。

 確かに茨城県警の対応はずさん極まりない。19日の通り魔的事件で一人が死亡した。その容疑者はほぼ特定されており、指名手配までしていた。容疑者は凶器を所持している可能性が高く、第二、第三の凶行も懸念されていた。

 これらの状況を踏まえれば、不特定多数が集まる場所での警戒はもっと厳重にすべきだった。近くの学校でさえ、20日以降は集団登下校させていたというのに、警察は市民一般への広報を怠っていた。配置している警官に受令機や無線を持たせていなかったのは信じられない。

 県警は責められて当然だ。

 だが、事件の本質がそこにあるわけではない(あえて言えば警察批判は結果論だ。犯罪抑止力が警察の最大任務とすれば、結果責任は重大だが…)。

 各紙の社説が捜査態勢の不手際をなじるのは、不可解なこの事件でその点だけははっきりしていたからにほかなるまい。

 24歳の容疑者は、像が浮かんでこない。動機もあるようなないようなものだ。「人を殺したかった」「誰でもよかった」「妹を殺すつもりだった」「卒業した小学校を襲おうと思ったが、人がたくさんいたのでやめた」。真意がどこにあるのかは分からない。おそらく自分でも整理できていないのだろう。

 これからも供述はくるくる変わるだろう。そのたびに大きく取り上げても仕方がないような気がする。

 気がかりなのは、引きこもりや自転車の若者への風当たりがさらに強まることだ。世間の視線が痛ければ、ますます萎縮することになる。町内会あたりが「近所に引きこもっている子がいないか点検しましょう」なんて言い出さないとも限らない。

 怖い、でも自分には関係ない。世間がそう思っているうちはこの種の事件が止むことはあるまい。
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土浦無差別殺傷事件

2008-03-23 21:26:10 | Weblog
 真剣に人を殺そうと思い込んでいる人間がいる。これは昔もいまも同じだ。

 かつては人を殺すには「それなりの」動機が存在した。「金を盗るだけのつもりだったが顔を見られた」「「別な男と付き合っているのは許せん」「この男がいる限り私に将来はない」。
 
 いずれも自分勝手な理由ではあるが、動機には違いない。ところが、最近は違う。人を殺すのに動機は不要だ。「誰でもよかった」「人を殺したかった」。

 23日、土浦市のJR荒川沖駅で起きた8人殺傷事件の容疑者も取り調べにそう話しているという。両手にサバイバルナイフを握り締め、手当たり次第に刺し、切り付ける。そのとき、彼は何を考えていたのか。あるいはいなかったのか。

 引きこもりがちで、ゲームの達人だったらしい。全国大会で入賞するほどの腕前だとか。大会に出るという行動を見れば、重度の引きこもりとも思えない。少なくとも日常生活と事件との関連性はうかがえない。ゲームと凶行がどうつながっているのか、無関係なのか。その点については分からない。

 池田小の事件や今回の事件を一般化して語ろうとする風潮には違和感がある。彼らの人格形成に社会のありようが絡んでいることと、実際に凶行に及ぶことの間には大きな断層がある。その点を軽視してはならない。

 引きこもりやアルバイト、ニートに対する偏見がさらに助長される恐れがある。精神障害者に対しても同様だ。個別の事件を徹底的に検証する必要があるのに、そこが手抜きされている。そもそも、警察や検察は犯罪に動機などいらないという発想がない。だからあれこれ理屈をひねくり回して冒頭陳述で作文することになる。

 捜査手法や考え方が昔のままで、衝動的な事件に対応できるわけがない。今回の事件でも駅構内に複数の私服刑事が張り込んでいたというが、異常察知能力が欠けている警官ではどうしようもない。

 裁判でも真相には迫れまい。今の裁判所は真実の発見より、審理速度を上げることに熱心だといわれる。これで裁判員制度などが始まったらどうなるのだろう。1週間足らずの審理で何が分かるのか。「2人殺して7人に怪我を負わせた。これは死刑ですね」。

 動機なき殺人が繰り返される社会も怖いが、陳腐な正義が司法を騙る社会はもっと怖い。
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アメリカ兵もピンからキリまでいる

2008-03-22 05:42:13 | Weblog
 米軍がいまだ日本に駐留しているのはおかしい。これは正論である。

 同時に米軍は世界の至るところに軍事基地を置いているのも事実である。在日米軍が日本防衛のために存在するなどと思っている人は、おそらく少数派だろう。

 沖縄をはじめ、米軍キャンプ所在地での米兵の犯罪が大きく報道されている。確かに由々しき問題ではある。だが、米軍が存在するから起きた事件や事故と、たまたま米兵が起こした事件とは分けて考えた方がいいのではないか。

 横須賀のタクシー運転手殺害事件の真相はまだ不明だ。でも、一連の報道ぶりからすると、イージス艦から「脱走」した米兵による犯行の疑いが濃い。料金の支払いをめぐってトラブルでも起きたのか。

 仮にこの米兵による凶行であり、その動機が何であれ、きわめて個人的な犯罪だ(苛烈な従軍経験が兵士の精神状態に影響しているとしたら、米軍組織内の問題である)。「米軍基地があるからこんな事件が起きる」という反応は短絡的、感情的すぎると思う。在日米軍問題を真正面から見据えることにもつながらない。

 一人の人物の行為をその属性から評価したりする風潮が広がったのはいつごろからだろう。教師、警官、公務員、政治家…。もちろんその地位を悪用した犯罪や行為は関連付けて厳しく指弾されなければならない。政治家の汚職や教師のセクハラなどはその典型である。

 話は飛んでしまうが、「また中国人妻が保険金殺人」「日系ブラジル人が少女に暴行」などの報道も、中国やブラジルの文字が必要なのか疑問だ。

 個人の行為と組織とを峻別しないと、組織悪そのものへの切り込みが甘くなる。「総ざんげ方式」のいい加減さはいやというほど味わった。

 在日米軍問題は「番犬様(金丸信?)」が主人の命令を聞かないほど利口になり力を付けたということだ。気に入らない犬がいると、すぐに飛び出して行って噛み付く。飼い主は後始末に大童だ。気が付けば、いまや番犬が主人を引きずりまわしている。えさ代は高いし、世間からは文句のつけられ通しだ。戯画化すればこんな構図である。私ならこんな犬は飼わない。

 

 
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裁判は難しい

2008-03-20 05:10:17 | Weblog
 秋田二児殺害事件の畠山鈴香被告に、秋田地裁は無期懲役の判決を下した。「結果は重大だが、計画性のない衝動的な犯行だった」というのが、罪一等を減じた理由だ。

 判決に対する評価はさまざまだろう。世間の相場は「何の罪もない子ども二人を殺して、なぜ死刑にならないのか」というあたりと推察される。

 一方で、人格障害の疑いは濃厚で、精神鑑定をもっとしっかりやるべきだった。とする声もある。ことほど左様に、事件や人を裁くのは難しい。プロの裁判官や法律家でも悩む。いわんや素人の裁判員おや、ということだ。

 渋谷の「セレブ妻」による夫ばらばら殺人事件は、被告の精神状態が最大の争点として浮上してきた。鑑定は「犯行時には心神喪失状態だった可能性が高い」と述べる。再鑑定の要求も出ているようだが、このまま推移すると無罪の可能性もある。

 殺人や暴行などの犯罪は、計画的なものより刹那的なもの、つまり「カッとしてやってしまった」「気がついたら相手を刺していた」というケースが圧倒的に多い。カッとする、頭に血が上る、いまふうに言えばキレる。こういう状態は程度の差はあれ「心神喪失」といえるのではないか。

 職場や学校でのストレスはたまる一方だ。上からはノルマを押し付けられるし、下は調子モノだけで、厳しく言うと「パワハラ」呼ばわりされる。給料が上がらないんで、母ちゃんはご機嫌がよろしくない。

 というわけで、一億総ストレスの犯罪予備軍状態だ。犯罪、とりわけ殺人や強盗など凶悪犯罪の「相場」が下がっているのもそれを証明している。

 当座の生活費に事欠いて5万や6万のカネで人を刺す。電車の座席争いが暴行致死になってしまう。社会が壊れているのに、個人がまともでいられるわけがない。

 壊れた社会を象徴するのが、政治の世界や大学での倫理の崩壊振りだ。日銀総裁後継については、いまさら触れない。福田首相は度し難いとだけ言っておこう。

 大学は崩壊の速度を速めている。横浜市大や名古屋市大の大学院博士課程論文審査と謝礼の関係は何を物語るのか。日本中の大学に似たり寄ったりの慣行が存在すると考えても、大きく的を外れてはいまい。

 教師のセクハラ、パワハラは日常茶飯事だ。総長自らせっせとわいせつ行為に及んでいるケースもあった。一方で、学生は就職活動に急き立てられ、「学問」の入り口に立つことさえない。

 このように乱造された学生がやがて社会の中枢を占める。裁判員にもなるだろう。それまでに、日本社会は常識を取り戻しているかと自問してみたが、答えは悲観的にならざるを得ない。あーあ。
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日銀総裁人事に見る首相のお粗末

2008-03-17 20:51:15 | Weblog
 福井俊彦日銀総裁の任期が19日に切れるというのに、政府は後任を再提示できないでいる。報道によれば、福井氏の続投を民主党に打診したという。話にならない。

 福井氏は富士通総研の理事時代にあの村上ファンドに1000万円出資していた。仲介者はオリックス会長の宮内義彦氏とされる。

 新興ファンドの広告塔に利用され、日銀総裁に就任してからも資金はそのまま、利益も得ていた。中央銀行総裁としては脇が甘すぎる。これは本人も国会答弁などで渋々認めているところだ。福井氏はこの責任を取って辞任していてもなんらおかしくはない。
 
 そんな人物をなぜいま再提示するのか。ほかに人はいないのか。

 福井氏や松下氏が務まる日銀総裁である。いないわけはない。だが、参院で不同意となった武藤敏郎氏の立場に配慮して新しい人を提示できなかった。これが真相ではないか。財務次官といえば官僚の中の官僚、しかもそのトップである。

 恥をかかせられた武藤氏を納得させる人選となれば、福井氏の続投しかなかったということだ。財務省も省を挙げて抵抗したに違いない。「こんなことではこれからは金融政策には協力できません」ぐらいのことは言ったかもしれない。

 ドルは崩壊状態である。80円台突入もあり得る。東証も1万円割れが現実味を帯びてきた。危機的状況下で中央銀行総裁が不在などということが許されるはずもない。

 福井続投で何とか。首相がそう考えていたとしたら政治音痴もきわまれり、である。相手(民主党)が何を考えているかを察知できないようでは、とても一国のリーダーは務まらない。

 近頃の福田氏は顔に覇気がないし、言動にもキレがない。相変わらず評論家風の対応だ。道路特定財源を継続できる見通しもない。お先真っ暗とはこのことだ。
 
 もうお辞めになったほうがいい。洒脱な皮肉屋は野にいるに限る。
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ラサ暴動はなぜ起きた

2008-03-16 05:46:53 | Weblog
 チベットのラサで起きた暴動でかなりの死者が出た。自治区政府の公式発表は10人、アメリカのラジオは80人以上と伝える。足して二で割った近辺の50人前後は亡くなっていると見ていいだろう。

 中国のテレビ映像には軍や警察の姿が映っていない。暴徒が店を壊し火を着けて回っている様子はよく分かる。だが、これで多数の死者が出るわけがない。

 「カメラの視野外」で激しい鎮圧行動がなされたのだろう。放送には発砲音もなかった。デモをしている坊さんの数も少なかった。ひょっとするとテレビ向けの演出かもしれない。

 中国政府は「暴動はダライ・ラマ14世を支持するグループが組織的に起こした」と非難している。一方、ダライ・ラマは「圧制に対する人民の怒りだ」という。

 中国からの独立を求めるグループが暴動をリードしたのは間違いあるまい。五輪前に騒乱を起こし、中国の国際的イメージを低下させる。あわよくば、欧米各国の北京五輪ボイコットまで引き出したい。狙いはそんなところだろう。

 中国は少数民族に対してきわめて厳しい封じ込め政策を採っているといっていい。自治区とか独立区と称してはいるが、実際は北京による直接支配だ。台湾問題があるため、チベットなどの分離独立は決して認めるわけにはいかない。これが中国の少数民族支配原則である。

 ラマ派の狙いは、とりあえずは中国の威信低下だろう。したがって、暴動は手を変え品を変えて、続くはずだ。五輪が近くなるほど過激化する恐れがある。期間中も目が離せない。

 中国政府は力による封じ込めを基本とするが、そう簡単にいくかどうか。ダライ・ラマはチベット人の心の拠り所だけに、力で押さえ込むには無理がある。チベット問題の処理を誤れば、中国は激しい国際的非難にさらされよう。とりあえず? 対話で収めるしかあるまい。

 日本や米国の対処法もきわめて難しくなる。経済大国相手だけに「口先介入」にとどまるんだろうな。

 
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大学教授が壊れる

2008-03-14 05:14:36 | Weblog
 横浜市大の医学部長が博士論文審査に絡んで現金を受け取っていた。大学側の発表では「金額はいくらになるか分からない」。ひどい話だ。当の学部長は「毎年の研究報告会、懇親会、学位取得の記念品など教室員の研究、厚生のために医局で積み立てて使用したもので、個人で受け取ったものはない。金品授受は誤解を受けると考え、返還している」と説明している。

 論文審査で謝礼を求めたことの重大性が理解できていない。このような人物が学部長を務め、学長選にまで出ていたのだ。医学部総体が腐っていると見るべきだ。何の審査であれ、そこに情実や金銭が絡んだのでは公平な審査とはいえない。まして、医学博士が掛っている論文審査においておや、ということだ。

 同様のケースは名古屋市大大学院でも明らかになり、元教授が贈収賄に問われている。初公判で元教授は起訴事実を認めている。

 この二例が特殊なのか。それとも氷山の一角か。後者だとにらんだ方がよさそうだ。このところの大学教授、経営者らのモラルハザードが目に余るからだ。

 東京福祉大では学長自らが猥褻行為を繰り返し逮捕されている。地方国立大学や私立大学でもセクハラ事件やわいせつ事件、窃盗事件など教育者の不祥事がとどまるところを知らない。

 高校の校長は教え子に付きまとい、脅迫メールまで送りつけている。小学校から大学にいたるまで、教育現場の倫理は崩壊寸前といっていいだろう。

 教員個人の資質の問題は当然ある。同時に教育を取り巻く環境の悪化も指摘しておかなければ片手落ちだろう。管理が強化され余裕がない。社会科学、人文科学系の教師の多くは、科研費を削られやる気を失っている。学部自治などはるか昔の夢物語だ。

 その一方で、各大学は生き残りのために懸命だ。教育ではなく経営の論理が優先しているといえよう。
 新潟産業大は資産運用と生活設計に関する講座を創設するという。一応、ファイナンスの資格取得を目指すことになっているが、そういうレベルの学生が一体何人いるのか。提携するのは地場の証券会社だ。デイトレーダー養成講座にならないようにしてほしい。

 大学で資産運用を学び、3年生になれば就活に奔走する。大学はどこへ行こうとしているのか。
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自転車3人乗り 容認という名の規制強化では

2008-03-07 04:49:26 | Weblog
 警察庁が自転車の3人乗りを容認する方向で検討に入ったという。産経をはじめ各紙が伝えているが、要領を得ない。
 
 問題意識の足りない警察担当記者が警察庁の言い分を垂れ流したような記事になっているように見受けられる。一体、警察庁に方針があるのか。伝えられる方向は果たして「容認」なのか。新しいタイプの自転車を開発するなどと警察が発言することに胡散臭さを感じないのだろうか。

 どの新聞を読んでも、隔靴掻痒である。自転車の正しい乗り方などを定めた交通教則を30年ぶりに改定するというが、いつから実施するのか。肝心なことが分からないようでは困る。

 警察庁は走行安定性が高い低重心の自転車で、危険防止策が取られている自転車に限って3人乗りを容認するという。そんな自転車はまだ存在しない。いつまでに開発し、販売がいつになるのか皆目検討もつかない。その間は、これまでどおり3人乗りを黙認するのか。うーん、分からないことだらけだ。

 警察庁の真意は、3人乗りは厳しく取り締まりますよ、ということだろう。ただ、世間の反発が予想以上だったので、「安定した自転車なら認めましょう」といったに過ぎない。容認というより、取り締まり強化いうべきだ。

 注目すべきは、自転車業界に新しいタイプの自転車の開発を促していることだ。強度や安全性に条件が付いた商品が出てくると、そこには必ず検査機関が介在する。警察庁の狙いは「自転車安全審査・管理機構」(命名は筆者)のポスト確保にある。とみるのはうがちすぎだろうか。

 3人乗りが特に事故を多発させているようには感じられない。幼稚園や保育園への送迎という短距離使用が大半だからではないか。こんなのに目くじらを立てるより、やることは山ほどある。本務を一生懸命頑張ってほしい。
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