東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

小石川氷川坂上(2015)

2015年05月29日 | 散策

氷川神社からの遠景 氷川坂上 氷川坂上 これまでずっと歩き続けたので小石川植物園内でしばしのお茶休憩。

植物園を出て右折し、千川谷の道を植物園に沿って西へ歩くが、この道も御殿坂のように拡幅工事中である。やがてT字路に至り、ここを右折すると、網干坂下であるが、すぐに左手の氷川神社(簸川神社)方面に向かう。

境内の石段を上り、振り返ると、ちょっと南側の展望がよい。神社の裏手から出ると、氷川坂上である(現代地図)。坂上から北へまっすぐに道が延びている。

氷川坂上 大江戸大絵図 東都駒込辺絵図 かなり前、このあたりをはじめて訪れたとき、湯立坂から来て網干坂を上り、坂上を左折し、次を左折し、この坂上に来た覚えがある。ちょうど坂巡りをはじめた頃である。氷川坂を下り、右折し、猫又坂に向かったが、その途中、ずいぶん遠くに来たように思った。網干坂下から氷川坂下まで直線距離にすればきわめて短く、ぐるりと一周しただけであるが、それでも初めての所をかなり歩いたので、いつの間にかそのような錯覚に陥ってしまう。しかし、このような錯覚こそ、初めての土地に未知なる幻想をいだかせ、都市の迷路をますます複雑に感じさせる。

坂上から北へ向かうが、周囲の景色が初めて来たときとずいぶん違っているように感じた。確か右側は工事中だったような気がするが、低層の集合住宅になっている。このあたりは、尾張屋清七板江戸切絵図の東都駒込辺絵図(安政四年(1857))にあるように、江戸時代、氷川台といった。

やがて、四差路の交差点に近づくが、ここは直進(南北)方向に見て左にかなりずれている。このずれた四差路は、江戸時代から続くようで、御江戸大絵図(天保十四年(1843))には誇張して描かれ、東都駒込辺絵図には現在とほぼ同じ程度に描かれている。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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小石川植物園内の消えた坂

2015年05月27日 | 坂道

小石川植物園 植物園案内図 小石川植物園 御殿坂を下り、坂下で右折し、ちょっと歩くと、小石川植物園の入り口である。中に入り、まっすぐに進むと、いきなり上り坂で、となりの御殿坂と同じに坂下の千川谷から白山台地に上る。

坂上を左折すると、平坦な道がずっと延びている。植物園北側は平坦な台地の続きである。

しばらく歩き、中程近くで左折すると、旧小石川養生所の井戸の跡がある(現代地図)。江戸幕府が貧困者のために享保12年12月この地に施療所を開いた。町医者小川笙船の意見によるという。周囲には薬草を栽培した御薬園があった。

御薬園には千川谷へと南に下る坂があった。

大江戸大絵図 東都駒込辺絵図尾張屋清七板江戸切絵図の東都駒込辺絵図(安政四年(1857))の下側に御薬園があり、そのほぼ中央に見える道筋に、ナヘワリ、とあり、その右に養生所がある。ここが鍋割坂で、御薬園坂、病人坂ともいった(横関)。右端に御殿坂、左端に網干坂が見える。

大江戸大絵図(天保十四年(1843))にも、坂名はないが、御薬園の中程に同様の道筋があり、そのわきに施薬園が見える。

この薬園が明治十年(1878)に東京大学附属植物園になった。

小石川植物園 小石川植物園 小石川植物園 この坂は消滅した坂になっているが(石川・岡崎)、横関は坂跡が残っているとしている。

養生所の井戸の跡近くの案内図を見て、この付近の南北に続く道と思ったが、下り坂は横の方に細い山道があるだけである。

ここは、塀の外側のちょうどクランク状になった道を延長した所で(現代地図)、そのむかし、その外側の道が続いていたのかもしれないと思ったが、東都駒込辺絵図では、鍋割坂は、クランク状になった道二ヵ所の中程である。大江戸大絵図にも御薬園の中程にあるが、クランク状の道が示されていない。東都駒込辺絵図のとおり、もう少し奥(西)の方かもしれない。

同名の坂(鍋割坂)が隼町千鳥ヶ淵近くにもある。

ところで、永井荷風の「断腸亭日乗」昭和3年(1928)4月19日に次の記述がある。

「四月十九日 晴れて風あり、午後小石川原町阿部病院に赴き電気治療を請ふ、帰途病人坂を下り安閑寺門前を左に曲りて指ケ谷町電車通に出づ、途次豆腐地蔵の門前を過ぐ、むかし見覚えたる門前の古碑依然として路傍に立ちたり、供物の豆腐をひさぐ豆腐屋も今猶在り、・・・」

荷風は、病人坂(鍋割坂)としているが、この日、荷風が下った坂は、鍋割坂ではなく、御殿坂のような気がする。御殿坂下がちょうど安閑寺の門前で、その門前を左に曲がった、とあるからである。また、植物園の塀がいまのようにあれば、鍋割坂は通行できない。

ただし、その四年前の大正13年(1924)4月20日の日乗に次の記述がある。

「四月二十日。午後白山蓮久寺に赴き、唖唖子の墓を展せむとするに墓標なし。先徳如苞翁の墓も未建てられず。先妣の墓ありたれば香花を手向け、門前の阪道を歩みて、原町本念寺に赴き南畝先生の墓を掃ひ、其父自得翁の墓誌を写し、御薬園阪を下り極楽水に出で、金冨町旧宅の門前を過ぐ。・・・」

ここでは、御薬園坂となっているが、上述の病人坂と同じ坂と考えていたように思われる。御殿坂を、御薬園坂・病人坂と勘違いしていたのかもしれないが、その当時、植物園に塀などなく、自由に出入りでき、中程に南北に延びる鍋割坂が残っていたとすれば、一概にそうはいえない。

小石川植物園のHPを見ると、年譜に、1888年 (明治21年)植物園規則を改め、入園料を徴収、とあるので、自由に出入り説はなさそうで、やはり勘違いかもしれない。

石川は、荷風の『礫川徜徉記に「白山御殿町を過ぎ、植物園に沿ひたる病人坂に出づ。」とあるのを引用して、明治以降、御殿坂を病人坂と別称したようである、としているが、御殿坂を病人坂ともいう旨の説明は他の文献にはないようである。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「新版断腸亭日乗」(岩波書店)
「荷風随筆集(上)」(岩波文庫) 

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小石川植物園の脇(2015)

2015年05月26日 | 散策

一行院坂上 小石川植物園の塀 暗闇坂を下り、白山通りを横断し、白山台地への坂をちょっと上り、突き当たりを右折し、しばらく歩くと、ちょっと見覚えのあるところと思ったら、一行院坂上である(現代地図)。

ちょっと引き返し、南西へ向かう。途中、右折していけば、網干坂上方面である。そのまま直進すると、小石川植物園の緑が見えてくる。突き当たりを左折し、植物園の塀に沿って進む。

このあたりの旧地名は原町であるが、永井荷風の日記「断腸亭日乗」にときたま登場する。昭和3年(1928)3月20日の日乗に次の記述がある。

「三月二十日 南風烈しく暴暖初夏の如し、午後小石川原町なる阿部病院に赴き電気治療を請ふ、余年来淋巴線に疾患ある由、大石国手の注意により去年も春暖の季節を待ち阿部病院に通ふこと数回なりき、本年も亦桜花の候を幸に赴きて治療を請ふつもりなり、・・・」

このころ、荷風はこの病院でさかんに電気治療なるものを受けている。

小石川植物園の塀 小石川植物園の塀 御殿坂上 植物園の塀に沿って南東方面に歩く。白山台地の延びる方向に沿う道であるので、平坦で凹凸はないが、かなり長い。

途中、二ヵ所クランク状に折れ曲がるところがある。二つ目のところを通り過ぎると(現代地図)、一本道で、ひたすら歩くと、御殿坂上に至る。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「新版断腸亭日乗」(岩波書店)

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白山五丁目旧道(2015)

2015年05月25日 | 坂道

白山五丁目旧道 白山五丁目旧道 白山坂(薬師坂)上の旧白山通り(旧中山道)の交差点を横断し右折し、次の小路を左折すると、ちょっとした下り坂である。下りきってからまたちょっと長めの上り坂となっている。坂下は寺院の裏手で窪地である(現代地図)。

坂を上りそのまま進み、突き当たりを右折すると、まっすぐに道が延びている。このあたりの右手一帯は東洋大学の敷地である。

途中、左手に見覚えのある小路があったので行ってみると、階段の上で南西方向の眺望がちょっとある。このあたりは、ちょうど白山通りのある谷地を望む本郷台地の縁である。

白山五丁目旧道 東都駒込辺絵図(安政四年(1857)) やがて、直進と右折に別れるT字路にさしかかる。右折する道は大学のわきを延びるが、直進すると両側が住宅街となる。

旧中山道(旧白山通り)から入ってここまでの小路は、江戸切絵図からもわかるように、江戸時代から続く旧道で、大学の敷地を右手に見てずっと続いていたが、T字路の角でそれに別れを告げ、旧道はさらにほぼまっすぐに延びている。

江戸切絵図には、旧中山道からすぐの小路に、アイノミチ、とあるが、どんな漢字があてられるのか不明。

白山暗闇坂上 白山暗闇坂下 T字路からちょっと歩くと、暗闇坂(白山)の坂上である(現代地図)。

以前、ここに来て白山暗闇坂の記事を書いたとき、白山坂(薬師坂)上近くの旧中仙道(旧白山通り)からこのあたりまで江戸時代から続く道筋が残っているのに気がつき、それ以来、訪れてみたいと思っていた。

旧道はさらに続き、突き当たりを右折し、そのまま直進すると、旧白山通りにもどるようである。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「東京の道事典」(東京堂出版)

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善福寺川5月(2015)

2015年05月24日 | 写真

善福寺川5月(2015) 善福寺川5月(2015) 善福寺川5月(2015) 善福寺川5月(2015) 善福寺川5月(2015)

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大観音通り(2015)

2015年05月23日 | 散策

大観音通り 大観音通り 森鴎外記念館を出て左折し大観音通りを西へ向かう。二車線の広い通りで、人も車も多めであるが、そのわりには静かな感じがする。

途中の駒込学園前の交差点を左折し南へ向かえば、夏目漱石の旧居跡、さらに直進すると願行寺方面に至る。

この通りの名は、交差点近くの光源寺にある駒込大観音に由来する(現代地図)。江戸切絵図御江戸大絵図にも見える。ここを進むと、北側に寺院が続いている。

大観音通り 白山坂(薬師坂)上しばらくすると本郷通りであるが、ここを横断すると、白山坂(薬師坂)上の交差点まではすぐである。坂の途中に都営三田線の白山駅があり、坂を下ると白山通りにつながるので、車も人も多く、にぎやかである。

最近亡くなった作家の車谷長吉は、この坂上近くに住んでいたことがあった。

以下は、東京人(坂道特集号)の記事からの引用である。

『昭和五十八年夏、作家になる決心をして、ふたたび東京へ出て来た時、白山薬師坂の上に1DKの部屋を借りた。台所の窓を開けると、下は薬師坂の崖で、雑草が生い繁っていた。ある日、そこから縞蛇が部屋の中に闖入して来て、板の間を這い回った。蛇の首を摑んで、ぽいと崖へ捨てた。ここは森鴎外の史伝『伊沢蘭軒』の蘭軒の屋敷跡だった。・・・
 薬師坂の上から、本郷台地を谷中墓地の方へ抜ける道が大観音通りで、いったん団子坂を下りて、また三崎坂を上ったところが墓地である。団子坂上には鴎外記念本郷図書館(鴎外観潮楼旧居跡)があったので、会社が休みの日は終日、この図書館内で本を読むのだった。樋口一葉全集や和辻哲郎全集を全部読んだ。一葉日記の貧乏生活が心に沁み、哲郎の小説のへた糞が頭に沁みた。いずれも真率な文章だった。・・・』

休みのたびにこの通りを通って鴎外記念本郷図書館を往復したのかと思うと、ちょっと感慨深い。最初の・・・の部分に、おかしい話を書いている(別のエッセイにも書いている)。いかにも、ちょうきっちゃん(親愛を込めて)らしいエピソードである
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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森鴎外記念館(2015)

2015年05月22日 | 散策

団子坂上 団子坂上 藪下通りの北の端はちょっと下り勾配となっているが、ここから出ると、団子坂上である(現代地図)。

ここは、このあたりを散策する際の重要なポイント地点と思う。

これまでの藪下通りを背にして左折すれば、すぐに森鴎外記念館、そのまま直進し左折して行くと夏目漱石の旧居跡、そこから根津裏門坂上を横断し直進すると願行寺方面。右折して団子坂を下って左折すると須藤公園、不忍通りを横断しそのまま東へ向かうと三崎坂、谷中墓地方面、横断してすぐに左折するとよみせ通り、谷中銀座方面。団子坂上を横断して北へ向かうと、本郷保健所通りで、途中右折すると大給坂、さらに北側で右折すると狸坂、そのまま進むと動坂上。もちろん、この藪下通りを反対に南へ向かえば、根津裏門坂根津神社

私の好みは、坂上を北へ進み本郷保健所通りを動坂上まで歩くことで、藪下通りから気持ちのいい散歩道が続く(こちらはちょっと広い)。途中、飽きたり、気が変われば、右折して坂を下り不忍通りへ出ることができるし、動坂上からまたあちこちへ行くことができる。

森鴎外記念館 森鴎外記念館 左折して森鴎外記念館へ行く。ここは、むかし、鴎外の住居であった観潮楼跡につくられた森鴎外記念本郷図書館で、二三年前に改築された。

以前、願行寺からこのへんにきたとき、ちょうど営業開始直前で、入館できなかった。

展示物をちょっと見てから、入口の方から庭に出ると、建物の壁に荷風書の鴎外の詩「沙羅の木」の詩碑がちゃんと埋め込まれていた。以前も庭に面した図書館の壁にはめ込まれていたが、これが改築でどうなったのかちょっと心配だった。

このあたりは、江戸時代には、江戸切絵図御江戸大絵図にも見えるように、世尊院の敷地であった。鴎外がこの地に居を定めるまでの顛末は、史伝「細木香以」に詳しい。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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藪下通り(2015)

2015年05月21日 | 散策

藪下通り" 藪下通り 根津神社裏の根津裏門坂のある通りを横断し、日本医科大学付属病院のわきに沿って延びる藪下通りに入る(現代地図)。

ここは、根津裏門坂の中腹と、団子坂上とを結ぶ幅狭の道で、裏門近くからしばらくほぼ平坦、坂上側もほぼ平坦、その途中、団子坂上に向けて上り勾配となっている。

途中、西側へ上る階段坂(解剖坂など)や、谷側の不忍通りの方へ続く小道があったり、傾斜地に雑木林が残っていたりして、けっこう変化に富んでいる。中ほどの坂のあたりで適度にうねっているのもよい。

小学校のグラウンドが見下ろせる所まで上ると、かなりの高低差を感じる。

藪下通り 藪下通り 裏門近くではさほどでないが、団子坂上近くになると、近くに鴎外記念館があるせいか、私のようなビジターらしき人が多くなってくる(現代地図)。

江戸切絵図御江戸大絵図にも見え、森鴎外の「青年」や永井荷風の「日和下駄」にも登場する。

本郷台地の東縁に沿った崖にできた、静かな散歩を楽しめる小径である。

道の細さ・静けさ・眺望・歴史などの点で東京随一の名散策路と云って過言ではない(と勝手に思っている)。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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根津神社(2015)

2015年05月20日 | 散策

新坂(S坂) 根津神社 お化け階段下を直進し、右折し、次を左折すると、根津神社前の道に出る(現代地図)。

神社を右に見て進むと、やがて大きく右に曲がりながら上りとなるが、ここが新坂(S坂、権現坂)である。かなりの勾配で神社のわきを上る。

ちょっともどって神社の中に入ると、つつじ祭りでかなり混雑している。つつじが植えられたわきの小高い丘の方へ行く。そのまま進むと、やがて裏門から出てしまう。

根津神社

根津裏門坂

裏門から出た所の道の左右が根津裏門坂である。根津谷から本郷台地へ緩やかに上っている。

坂上の交差点を右折し、ちょっと歩くと、夏目漱石の旧居跡がある。

異人坂の記事で触れたが、17日に亡くなった作家の車谷長吉の住まいは、東京人の記事によれば、この近くで、根津駅に出るには、かならず根津権現の境内を通るとある。自宅を次のように書いている。

『漱石の「漱石山房」に倣って「蟲息[ちゅうそく]山房」と言う。昭和二年に建てられた、あばら屋である。平成十年夏、直木賞をもらって、銭がどっさり入って来たので、嫁はん(高橋順子)まかせに買うた家である。路地の奥で、家の前は自動車も走らず、東京の昔を思い出させてくれる、静けさだけが取柄の家である。』
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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お化け階段(2015)

2015年05月19日 | 坂道

お化け階段手前 お化け階段上 異人坂上を直進し、突き当たりを右折し進み、さらに右折すると、階段の上に出るが、ここがお化け階段である(現代地図)。

ここは、数年前まで、その名にふさわしい雰囲気が残っていたが、現在、階段が大きくりっぱに改修され、もうその名残りは名前にしかない。むかしの雰囲気を残さず、名だけ残った幽霊坂や暗闇坂などと同じである。

本郷台地のちょっと下段から根津谷の奥まった所に下る、かなり勾配のある階段である。この階段がいつころできたかは不明(明治~大正の頃だろうか)。

お化け階段上 お化け階段下 階段上側で左に曲がっていて、ちょっと下ると階段下が見えるが、その下側から年配者らしきご婦人がなにか大声でどなっている。私に向けられたものらしい。要するに、階段の上側の曲がった先も長いのかどうかを尋ねているようなので、短い旨を答える。階段を下りていくと、案内図のようなものを見ながらここがお化け階段などといいながら上っていく。

むこうもビジターで、しかも坂巡りをやっている様子である。こういった同好者に遭遇するのは、これまでの経験上、きわめて珍しい。この階段の上から先ほどの異人坂に行くのだろう。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
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異人坂(2015)

2015年05月18日 | 坂道

今回は、千代田線根津駅から異人坂へ行き、団子坂上、薬師坂上、御殿坂、氷川坂上などを通過して猫又坂に行き、それからもひたすら歩き、雑司ヶ谷方面に至った。

異人坂下手前 異人坂下 午後千代田線根津駅下車。

一番出口から出て不忍通りの歩道を北に歩き、すぐに左折する。突き当たりまで歩くところを、一本手前を右折してしまい、根津小学校の方へ行き、途中で気づき、ぐるりと一周し、もとにもどる。

突き当たりを右折し進むと、左手に見覚えのある壁が見えてくる。 壁に沿って歩き、左折すると、異人坂の坂下である(現代地図)。

このあたりまで来ると、いつもそうだが、ほとんど人通りはない。根津谷のちょっと奥に入り込んだところから本郷台地へ上るが、坂上は台地から一二段低いため、短い小坂である。

異人坂下 異人坂上 この坂は明治の新坂で、お雇い外国人がこの坂を上下したからであるという。

「異人」と云う語は、同じ語が歌詞にある童謡などでもそうだがちょっと変わった異な響きがある。主に西洋人を意味して使われたが、稀人(まれなひと)と同義と考えると、鎖国が終わってやって来た異国の人に人々が感じた感覚が伝わってくる。

坂上に立ってふり返ると、そんなに眺望はよくないが、ちょっぴり遠くの建物が見える。右側の道を進めば、弥生坂の中腹である。

これを書いている途中、ネットに寄り道をすると、車谷長吉の訃報記事に接した。確かこの近くに住まいがあって、東京人(坂道特集号)にこのあたりの坂について書いていた。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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玉川上水新緑(2015)

2015年05月05日 | 写真

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井の頭公園新緑(2015)

2015年05月04日 | 写真

井の頭公園新緑 井の頭公園新緑 井の頭公園新緑 井の頭公園新緑 井の頭公園新緑 井の頭公園新緑 井の頭公園新緑 井の頭公園新緑 井の頭公園新緑 井の頭公園新緑

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善福寺池新緑(2015)

2015年05月03日 | 写真

善福寺池新緑 善福寺池新緑 善福寺池新緑 善福寺池新緑 善福寺池新緑 善福寺池新緑 善福寺池新緑 善福寺池新緑 善福寺池新緑 善福寺池新緑

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清澄庭園

2015年05月02日 | 写真

清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園

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