東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

玉川上水~神田川(2020)

2020年12月31日 | 森田童子

最近、めっきり、遠出も長めの散歩も縁遠くなってしまったので、ちょっと奮起して近くだが長めの散歩に出かけた。玉川上水と神田川を結ぶコースである。
神田川12月(2020) 玉川上水12月(2020) 玉川上水12月(2020) 玉川上水12月(2020) 午後井の頭線富士見ヶ丘駅近くの神田川にかかる月見橋から出発(現代地図)。そこから上流側を撮ったのが1枚目の写真。

橋を渡って南側にしばらく歩くと、やがて、上に中央高速が見えてくるが、その近くで右折してちょっと歩き、横断歩道を渡ると、玉川上水が暗渠となる浅間橋である(現代地図)。 ここから上流に歩く。

これまで何回か歩いているので、私的にはスタートからしばらくはお決まりのコースだが、晩秋~初冬の季節はちょっと久しぶり。暖冬のせいか紅葉・黄葉がまだ残っていて、色鮮やかであった。冷えていたので、緑道散歩に適した日であった。
玉川上水12月(2020) 玉川上水12月(2020) 玉川上水12月(2020) 玉川上水12月(2020) このあたりは、太宰治や森田童子を偲んだりして歩き、ブログ記事にもしたが(ここここここ)、太宰はともかく森田童子についてはまだ書き足りない気分が残っている。

二年前その訃報に接したとき、その享年にちょっと驚いた覚えがある(自分の歳を考えれば少しも驚くことがないのに)。引退してからの年月の長さを改めて思い知ったのである。1970年代のFMライブの録音を繰り返し聴き、1983年12月の引退(以前の記事)の後1993年までにアルバムがCD化されたようで、その頃、1~2枚購い、その後中古品で何枚か手に入れてから携帯CDプレーヤーで聴いていた。

音楽は、誤解を恐れずにいうと、音源の中にしかない。音源から再生装置をとおして聴いてはじめて実在を感じる。森田童子の音源は、すでに数十年前のもので、その実在を感じるのは、そのような音源からだけといってよい。むかしから聴いている者にとってそのときから時間が止まっている。そんな中での突然の訃報で、時間の断絶がすざまじく戸惑いを感じるのはある意味当然であった。

かなり前に週刊誌(いま具体的に挙げることはできないが)に大切な人が大変な状態であるというような意味の記事があったかすかな記憶がある。いま想像するに、音楽活動に別れを告げて普通の生活に戻り、日々の生活の中でときに苦しいことや悲しいことがあったかもしれないが、そればかりでなく長い時間を経る中でいろんな楽しみやうれしいこともあったはずである。それらはたぶん程度の軽重はあっても誰もが経験することであろうが、そのようにして後半生を送った。そう思うとその断絶した時間をわずかであるが埋めることができるような気がしてくる。後半生を全く市井の人として過ごすことで本名素顔不明歌手としての存在をまっとうしたのである。(どこにでもあるがどこにもいない。)

玉川上水12月(2020) 玉川上水12月(2020) 玉川上水12月(2020) 玉川上水12月(2020) 浅間橋から人見街道の牟礼橋まで玉川上水の両岸に沿ってできた道路は、東八道路の延長で、上流に向かって右側が東行き、左側が西行き。ときおり車の音が聞こえてくる。玉川上水が両脇の緑道を含めて自動車道路に挟まれた形になってしまって、ちょっと窮屈な感じである。緑道の道路側に植栽があるので視覚的には遮られるが、音はそうはいかない。でも高架よりましである。

人見街道を過ぎると以前と同じ散歩道が続く。

しばらく歩くと、幸橋の右側にちょっと大きめの公園が見えてくる。ここはもう井の頭公園の一部である(現代地図)。
井の頭公園12月(2020) 井の頭公園12月(2020) 井の頭公園12月(2020) 井の頭公園12月(2020) この公園を通り抜け、住宅街を通って井の頭池に出ると、たくさんの人が繰り出していた。池にもボートやスワンがけっこう浮かんでいる。

池の脇を通り抜け、井の頭線の高架下を通り、広めの公園のそばの川沿いをちょっと歩くが、ここは、下の1,2枚目の写真のように、神田川の源流にふさわしい風景である(現代地図)。

ここを過ぎると、川は住宅街の中を流れ、両側に遊歩道ができているが、左側を下流に歩く。

神田川12月(2020) 神田川12月(2020) 神田川12月(2020) 神田川12月(2020) 神田川沿いの遊歩道は、所々で一般道で分断されるが、三鷹台駅近くの道路を右に行けば、先ほど通った玉川上水の宮下橋に至る(現代地図)。ここから先は遊歩道が行き止まりになるので、踏切を渡りいったん一般道に出て三鷹台駅を左に見て歩くが、ちょっと先を左に入ると遊歩道に戻ることができる(現代地図)。

やがて久我山駅に至るが、ここも駅前の人見街道を右(西)に進めばやがて先ほどの玉川上水との交差地点(牟礼橋)に至る。また、駅前の街道を横断して岩通通りを南へ行けば玉川上水の岩崎橋である(現代地図)。

森田童子のライブ盤(東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤(1978))の曲間の友のおもいで語りに高校時代の女子大学生の先輩が出てくるが、その人の住んでいたアパートが久我山でそこを訪ねたと話していたので久我山の辺りには土地勘があったようにおもえる。久我山からは玉川上水も近い。

神田川12月(2020) 神田川12月(2020) 神田川12月(2020) 神田川12月(2020) 久我山駅前を横断し、川沿い遊歩道をさらに進むが、やがて左手が井の頭線の車両基地、対岸が竹林で遊歩道なしのところに至る(3枚目の写真)。これまでの住宅街の風景から一変してかなりさみしい雰囲気である。

やがて次の橋(京王管理橋)に至りここを過ぎると、もとのように住宅街になる(現代地図)。

ちょっと歩くと先ほど出発した月見橋が見えてくる(4枚目の写真)。

以上のように、月見橋を渡って南に歩き玉川上水を浅間橋から幸橋まで歩き、そこから井の頭池に出て、神田川の源流から下流へ月見橋まで歩くようにしてぐるりと一周した。要した時間は2時間程度(途中5分程度の休憩一回)。

今回歩いた玉川上水沿いも神田川沿いもこれまで何回か歩いているが、玉川上水と神田川を井の頭池経由で結ぶ周回コースははじめてであった。これは、また、森田童子を偲ぶ街散策のコースにもなる(と勝手に思っている)。

自宅と月見橋との間の往復も徒歩であった(人見街道経由)ので、かなり歩いた気がしてちょっと疲れた。

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善福寺川12月(2020)

2020年12月26日 | 写真

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