前回の白鷺坂上から引き返し、坂中腹で右折し南へちょっと歩くと公園がある(現代地図)。かなり歩いたので、ここで冷たい缶ジュースを飲みながら休憩する。
左の写真はこの公園で撮ったもので、新緑の樹木で日陰となっているのがうれしい。
公園を出て、突き当たりを左折し、次を右折し、しばらく南へ歩く。右手に森が見えてくるが、先ほど訪れた占春園の方向である。
先ほど通った湯立坂下に出て、左折し、次の千川通りで右折する。
千川通りの歩道を南へ歩く。休日のため車は少ない。しばらく歩き、播磨坂下・吹上坂下を過ぎてから、一本目を左折し、小路を通り抜けると、小石川植物園前に出る。ここを右折し、ちょっと歩くと、御殿坂の坂下である(現代地図)。ところが、久しぶりに来て、驚いてしまった。坂の雰囲気がまるきり変わっている。
坂下から坂上側を撮ったのが一、二枚目の写真で、左手(西)が小石川植物園であるが、左手側に広い立派な歩道ができている。以前は、歩道は狭く、歩き難かったような記憶がある。植物園側に道を拡幅したのであろう。
文京区白山二丁目15番と白山三丁目7番との間を北へ上る。
坂下のちょっと上側から坂上側を撮ったのが三枚目で、上の方で右に曲がっているのが見える。 さらにその上側から坂下側を撮ったのが四枚目で、坂下に坂の標識が立っている(一枚目にも写っている)。
そのあたりから坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、上の方でかくっと右に曲がっている。その上の方から坂下側を撮ったのが二枚目である。
そのあたりから坂上側を撮ったのが三枚目で、かくっと曲がってからほぼまっすぐに中程度よりもやや緩やかな勾配で上っている。
その曲がりの上側から坂上側を撮ったのが四枚目である。この坂は、左手(西)が坂下から坂上までずっと植物園の樹木で濃い緑になっている。
この坂は「御府内備考」の小石川之一の総説に次のように説明されている。
『御殿坂は戸崎町より白山の方へのほる坂なり、この上に白山御殿ありし故にこの名遣れり、むかしは大坂といひしや、【改選江戸志】 享保の頃此坂の向ふに富士峰能く見へし故に富士見坂ともいへり、近世木立おひ茂りて富士など見へきにあらず、【江戸志】』
白山御殿とは、五代将軍綱吉が上州館林城主の頃の下屋敷で、後に御薬園になった。
以上の説明は、坂の標識にも引用されている。
富士見坂、大坂の別名の他、御殿表門坂ともいった(横関)。大坂の由来は不明のようである。
さらにちょっと上ってから坂下側を撮ったのが一枚目の写真で、このあたりからだと坂下は見えない。
二枚目は、御江戸大絵図(天保十四年(1843))のこのあたりの部分図で、ヲヤクエン(御薬園)の側にコテンサカ(御殿坂)と記され、多数の横棒からなる坂マークが描かれている。
三枚目は、尾張屋清七板江戸切絵図の東都小石川絵図(安政四年(1857))の部分図であるが、コテンサカと記された道の左側(西)は松平駿河守の屋敷になっている。坂下には現在もある安閑寺が見え、坂下近くに小石川戸崎町の町屋が見える。その東側に太郎兵エ山ト云、とある。この坂の東にある伊賀坂を調べたとき、この太郎兵衛山というのがでてきた。現在の御殿坂下を左折した東側付近であろうか。
また、喜運寺に豆腐地蔵とあるが、永井荷風がこのあたりを訪れたとき、この地蔵のことを記している(以前の記事)。
四枚目は、尾張屋清七板江戸切絵図の東都駒込辺絵図(安政四年(1857))の部分図(右下隅)であるが、ゴテン坂とあり、その左側は御薬園である。
さらに坂を上って坂上側を撮ったのが一枚目の写真、そのあたりから坂下側を撮ったのが二枚目である。
さらに上側から坂上側を撮ったのが三枚目、そのあたりから坂下側を撮ったのが四枚目である。
「御府内備考」の戸崎町の書上には次のようにある。
『一坂 登壹町半程、幅貳間半より四間程、
右町内北の方前通より白山御殿跡え往来の坂にて御殿坂と相唱申候、尤古来白山御殿之有候に付右の通唱来申候、武家方幷當町組合持ちに御座候』
この坂は、上り一町半程(長さ約160m)、幅二間半~四間程(幅約4.5~7m)で、持ち(補修などの負担)は武家と戸崎町組合の共同であった。
この書上には太郎兵衛山も上げられていて、戸崎町の東北山手の方に太郎兵衛という百姓がいたので、太郎兵衛山と称した、約三町(300m)ほどの場所であった、とある。太郎兵衛とは、豪農であったのだろうか。
さらに上るとしだいに緩やかになり、一枚目の写真のように坂上が見えてくる。
さらに進み進行方向を撮ったのが二枚目で、前方に平坦になった坂上が見える(現代地図)。そのあたりからふり返って坂下側を撮ったのが三枚目である。
坂上をさらにちょっと歩き、進行方向を撮ったのが四枚目で、ここをさらに北東へ進むと蓮華寺坂上で、その坂上近くで右折すると伊賀坂方面である。この蓮華寺坂の別名が御殿裏門坂である。
同名の坂(御殿坂)が、日暮里駅近く、築土八幡神社裏手にある。
坂上からもどり、千川通りを横断し、播磨坂を上り、茗荷谷駅へ。
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)