東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

伊藤匠七段藤井八冠から叡王奪取

2024年06月21日 | 将棋

伊藤匠七段が第9期叡王戦五番勝負第5局で藤井聡太叡王に勝ち、3勝2敗で将棋タイトルの叡王を奪取し、初タイトルを獲得した(2024年6月20日)。藤井は、タイトル戦で初めて敗退し、八冠から七冠(竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖)に後退した。

今回の叡王戦の五番勝負の結果・戦型は次のとおりで、角換わりシリーズであった。

 第1局 藤井先手○ 角換わり相腰掛け銀
 第2局 伊藤先手○ 角換わり後手3三金型
 第3局 伊藤後手○ 角換わり相腰掛け銀
 第4局 藤井先手○ 角換わり相腰掛け銀
 第5局 伊藤後手○ 角換わり先手腰掛け銀

伊藤は、藤井に11連敗(+1持将棋)し無勝利だったが、第2局で勝ち、藤井に初勝利した。これが自信につながったのか、後手番の第3局を終盤で逆転勝ちし、藤井をカド番に追い込んだ。第4局は先手であったが、穴熊を藤井に上手く攻略され、2勝2敗のタイになった。

第5局の最終局は、先手藤井の積極的な攻めで、銀のただ捨てから空いた6五に桂を打ち、二枚の桂で後手玉に迫り、飛車を切って寄せに出て、おまけに持ち時間も藤井が1時間以上多く残し藤井優勢のように見えたが、後手伊藤に5三銀、5二銀の受けの妙手が出て混戦になった。この手は、ABEMA解説棋士や終局後の藤井も好手と認めていた。その後、藤井が7一の飛車を7六龍と引き守りに利かせ、攻守が入れ替わったが、結局、藤井の最後の攻めが一枚足りず、藤井の投了となった。

この第5局の感想戦で、終盤▲8一馬と飛車を取った後の△7六歩に対し、▲3四金、△4二玉、▲4三歩、△4一玉の変化について深浦九段から意見が出たが、藤井は自信がないとのことだった。この変化は将棋AIも示し、その後▲6六銀とかわした後も同じ手順を示していた。藤井は、▲6六銀の思想がおかしかったと悔やんでいたとのことだったので、その変化にしていたらどうなったのだろうか。ちょっと印象に残った。

今回の叡王戦は、挑戦者伊藤が藤井八冠をタイトル戦で初めてカド番に追い込み、これだけで特筆すべきタイトル戦になったと思っていたが、伊藤の初タイトル獲得・藤井の八冠独占崩壊という将棋界のビッグニュースになった。

藤井のこれまでのタイトル戦での対局相手は、同年代の伊藤(両者ともに2002年生まれ)が過去2回挑戦者となっただけで、それ以外は自身よりも年上であった。藤井は、同年代の伊藤を三度挑戦者に迎え、持ち時間が比較的短く勝手が違ったのだろうか、得意の終盤でミスが出たりしたが、伊藤もかなり終盤が強く、ミスが少ないことがわかった。これからの将棋タイトル戦は、この二人が軸になりそうな予感がするが、はたしてどうなるのか、楽しみである。

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藤井聡太八冠達成(2023.10.11)

2023年10月11日 | 将棋
藤井聡太竜王・名人が第71期王座戦五番勝負第4局で永瀬拓矢王座に勝ち、3勝1敗で王座を奪取し、将棋の全てのタイトル(竜王・名人・王位・叡王・王座・棋王・王将・棋聖)を制覇した。弱冠21歳での八冠達成おそるべしである。

今回の王座戦の全局をネット観戦したが、永瀬が負けた第2局~第4局がとくに印象に残った。すべての対局で序盤・中盤を有利に進めたが、終盤に悪手が出て、負けにしてしまった。第2局は、飛車取りの金打ちではなく、4四馬で勝ちだった。第3局は、飛車の王手に飛車の合駒でなく、金底の歩打ちで勝ちだった。きょうの第4局は5三馬ではなく、4二金で勝ちだった。

すべて1分将棋の秒読みの中の出来事で、それまでの努力がすべてご破算になって、永瀬にとっては残酷な結果となった。内容的には永瀬がさきに3勝してタイトルを防衛してもおかしくないシリーズであった。

将棋は、最後に悪手を指した方が負けとか言われるが、それがあからさまにトッププロのタイトル戦で連続して出現したことに驚いた。それにしても藤井は、終盤の不利な局面で、相手のミスを決して見逃さない。藤井の高勝率は、終盤力によるところが大きいような気がする(中盤で有利になれば、そのまま勝ちきり、また、終盤で不利になっても粘っているうちに相手にミスが出て逆転する)。

永瀬ファンというわけではないが、藤井があまりにも強いので、観戦の気分上相手側をつい応援してしまう。これは、大山、中原、羽生のときも同じであった。

最近は、ソフトの形勢判断が表示されるので、へぼ将棋ファンでも、何かわかったつもりになるが、それでも指し手の優劣が一目でわかり楽しめる。以前は解説がないと、突然の大逆転でもわからないことも多く、そういった意味では、よい時代になったものである。
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佐藤天彦新名人誕生(2016年第74期将棋名人戦)

2016年06月02日 | 将棋

第74期将棋名人戦七番勝負第5局(2016年5月30,31日)で挑戦者の佐藤天彦八段が羽生善治名人に勝ち、通算4勝1敗となって、新名人となった。

今期のA級順位戦では二十代の若手佐藤天彦八段が8勝1敗のぶっちぎりで名人挑戦を決めた。A級に昇ったばかりの勢いでそのまま突っ走った感じであった。

全局をネット中継で観戦したが、羽生先勝後の第二局がとくに印象に残った。先手佐藤が早囲い矢倉であるが、7八玉のまま6八金と囲い、天野矢倉にした。幕末の棋聖といわれる天野宗歩が用いたからという。通常の金矢倉よりも一手早く囲うことができる。

佐藤の攻めで終盤戦が続くが、▲8八玉のような早逃げの手や、羽生の強い受けの手などがでて、へぼ将棋ファンにはどうなっているのかさっぱりわからないが、形勢不明の熱戦であることは伝わってくる。羽生がようやく攻めに転じた後、佐藤が▲2四飛と後手王に詰めろをかけたとき、解説によれば、先手王に詰みが生じたのだという。だが1分将棋の中、それに気がつかなかった。そのときの羽生の心理状態に大いに関心をそそられる。途中の△6八馬が妙手だったらしいが、それに気がついていなくとも詰ましにいけば、などと思ってしまう。

第二局は七番勝負では大事な一番とされるが(プロ野球日本シリーズのとき元巨人軍川上哲治監督も同じことをいっていたような憶えがある)、今期の名人戦はまさにこれで、挑戦者は二連敗を免れ、1勝1敗のタイにもどすことができ、これから怒濤の三連勝で、名人位についた。

佐藤天彦新名人は、後手番の横歩取りを得意とすることが特徴の一つらしいが、これはへぼ将棋ファンには難しくてよくわからない。新名人のことで憶えているのが、瀬川晶司五段がプロになるときの特別の試験で何局か対局をしたが、そのときの対局者の一人で、まだ奨励会三段だったが、勝ったことである。ずいぶん自信たっぷりだったことに驚いたものである。

今期の名人戦は、羽生世代同士の対決ではなく、若き挑戦者ということで、ちょっと名人戦に興味を失いかけていた私も大いに関心をもった。羽生から名人位を奪取したのが羽生世代ではなく、二十代ということで、とくに若い棋士にかなりの刺激を与えたと思われ、今期の順位戦がどうなるかいまから楽しみである。また、永瀬拓矢六段が羽生棋聖に挑戦する棋聖戦がすぐにはじまる(6月3日)が、これもどうなるか興味がつきない。

羽生が52期(1994)で新名人になってからの名人戦7番勝負の結果は次のとおり(将棋連盟HP)。

52 1994 羽生善治 4-2 米長邦雄
53 1995 羽生善治 4-1 森下 卓
54 1996 羽生善治 4-1 森内俊之
55 1997 谷川浩司 4-2 羽生善治
56 1998 佐藤康光 4-3 谷川浩司
57 1999 佐藤康光 4-3 谷川浩司
58 2000 丸山忠久 4-3 佐藤康光
59 2001 丸山忠久 4-3 谷川浩司
60 2002 森内俊之 4-0 丸山忠久
61 2003 羽生善治 4-0 森内俊之
62 2004 森内俊之 4-2 羽生善治
63 2005 森内俊之 4-3 羽生善治
64 2006 森内俊之 4-2 谷川浩司
65 2007 森内俊之 4-3 郷田真隆
66 2008 羽生善治 4-2 森内俊之
67 2009 羽生善治 4-3 郷田真隆
68 2010 羽生善治 4-0 三浦弘行
69 2011 森内俊之 4-3 羽生善治
70 2012 森内俊之 4-2 羽生善治
71 2013 森内俊之 4-1 羽生善治
72 2014 羽生善治 4-0 森内俊之
73 2015 羽生善治 4-1 行方尚史
74 2016 佐藤天彦 4-1 羽生善治

次期(75期)のA級順位戦で誰が名人挑戦者になるのか、ちょっと気が早いが、羽生や森内等がふたたび名人戦の舞台に立つのか、それとも、若い渡辺や広瀬や稲葉新八段等が初挑戦者となるのか、いまから楽しみである。そして、次期以降、佐藤新名人またはその同世代が名人をこのまま保持するのか、それとも、羽生世代が巻き返すのか、興味深い。

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「運が勝ちを呼んだとしても負けには必ず原因がある」

2016年05月13日 | 将棋

「負けた対局を後から振り返ると、必ずといっていいほど敗因が見つかるものだ。逆に言えば、人間にとってはとても難しいことだが、ミスをしなければよほどのことがない限り負けることはない。」

「ビジネスでも、将棋でも、勝負に勝った時、それが自分の実力だったということはあるだろう。しかし私は、いくばくかの幸運に恵まれて上手くいったという考え方の方が好きである。実力が全てのように言われる将棋の世界でも、相手の指し手には関与できないし、自分自身それほど将棋を理解できていないことがわかっているからだ。」

将棋棋士・森内俊之(十八世永世名人資格保持)の『勝負の勘どころ』(「中退共だより」15 April 2016)から

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森内名人防衛(2013年第71期将棋名人戦)

2013年06月08日 | 将棋

第71期将棋名人戦七番勝負第5局(2013年5月30,31日)で森内俊之名人が挑戦者羽生善治三冠(王位・棋聖・王座)に勝ち、通算4勝1敗となって、名人位を防衛した。

今期の名人戦は、第一局で後手森内名人が勝ち、これが今回の名人戦の流れを決めたようだ。その後、第二、三、四局は、先手(森内、羽生、森内)が勝ち、昨年までのような先手必勝パターンが続いたが、第五局で後手の森内名人が勝って防衛を決めた。

勝敗と戦型は次のとおり。

1 後手 森内○(相懸かり)
2 先手 森内○(相懸かり)
3 先手 羽生○(角換わり・相腰掛銀)
4 先手 森内○(変則的相矢倉)
5 後手 森内○(相矢倉)

問題の第一局は、先手羽生の攻め・後手森内の受けから難解な終盤戦に突入し、羽生の方に詰めろ逃れの詰めろの筋がでたりしたが、森内がしっかり読み切って勝った。(羽生の2七銀が働かなかったのが敗因?)。森内にとっては後手番で先勝というよいスタートであった。

第二、三、四局は、先手の森内、羽生、森内が勝ち、いずれも先手が圧倒的な内容で勝った。これで、森内の3勝1敗。

第五局は、BSでの渡辺三冠(竜王・棋王・王将)の解説によると、後手森内の△3七銀が新手で、これまでもこの銀打ちは別の局面で指されたが、この局面では初めてで森内の研究手順であろうとのこと。この解説は、素人にもわかりやすく現在のプロ棋士の研究の内容を紹介し(ほんのさわりであろうが)、秀逸であった。結局、この銀打ちと、その前の△6五歩との組み合わせが好手だったようで、後手が危なげなく勝ちきった。これで昨年と同じように後手番で防衛を決めた。

森内・羽生戦は、先手の勝率がよいことで有名で、前期は先手の5勝1敗、前々期は5勝2敗であったが、今期は先手の3勝2敗。森内は、先手番で確実に2勝し、前期から先手で負けなしで、後手番でも2勝し、充実した戦いぶりであったが、これとは対照的に、羽生が元気なさそうに見えたのが印象的であった。

これで、両者の対戦成績は森内の56勝66敗、名人戦での対戦成績は森内の23勝23敗。名人戦七番勝負の成績は森内の5勝3敗。

名人獲得数は、森内8期、羽生7期となって、森内が1期リードし、木村義雄と並んで、歴代第三位となった。

歴代名人獲得数は次のとおり。

大山康晴 18期
中原 誠  15期
木村義雄  8期
森内俊之  8期
羽生善治  7期
谷川浩司  5期
塚田正夫  2期
升田幸三  2期
佐藤康光  2期
丸山忠久  2期
加藤一二三 1期
米長邦雄  1期

これを見ると、大山18期、中原15期は、大記録であるとあらためて感じる。森内と羽生を足してようやく中原の記録である。森内、羽生がどれだけ、中原の記録に迫ることができるのか、これからの興味の一つである。

この40年間の名人戦7番勝負の結果は次のとおり(将棋連盟HP)。

31 1972 中原 誠 4-3 大山康晴
32 1973 中原 誠 4-0 加藤一二三
33 1974 中原 誠 4-3 大山康晴
34 1975 中原 誠 4(1持)3 大内延介
35 1976 中原 誠 4-3 米長邦雄
36 1978 中原 誠 4-2 森 雞二
37 1979 中原 誠 4-2 米長邦雄
38 1980 中原 誠4(1持)1 米長邦雄
39 1981 中原 誠 4-1 桐山清澄
40 1982 加藤一二三 4(1持)3 中原 誠
41 1983 谷川浩司 4-2 加藤一二三
42 1984 谷川浩司 4-1 森安秀光
43 1985 中原 誠 4-2 谷川浩司
44 1986 中原 誠 4-1 大山康晴
45 1987 中原 誠 4-2 米長邦雄
46 1988 谷川浩司 4-2 中原 誠
47 1989 谷川浩司 4-0 米長邦雄
48 1990 中原 誠 4-2 谷川浩司
49 1991 中原 誠 4-1 米長邦雄
50 1992 中原 誠 4-3 高橋道雄
51 1993 米長邦雄 4-0 中原 誠
52 1994 羽生善治 4-2 米長邦雄
53 1995 羽生善治 4-1 森下 卓
54 1996 羽生善治 4-1 森内俊之
55 1997 谷川浩司 4-2 羽生善治
56 1998 佐藤康光 4-3 谷川浩司
57 1999 佐藤康光 4-3 谷川浩司
58 2000 丸山忠久 4-3 佐藤康光
59 2001 丸山忠久 4-3 谷川浩司
60 2002 森内俊之 4-0 丸山忠久
61 2003 羽生善治 4-0 森内俊之
62 2004 森内俊之 4-2 羽生善治
63 2005 森内俊之 4-3 羽生善治
64 2006 森内俊之 4-2 谷川浩司
65 2007 森内俊之 4-3 郷田真隆
66 2008 羽生善治 4-2 森内俊之
67 2009 羽生善治 4-3 郷田真隆
68 2010 羽生善治 4-0 三浦弘行
69 2011 森内俊之 4-3 羽生善治
70 2012 森内俊之 4-2 羽生善治
71 2013 森内俊之 4-1 羽生善治

むかしからの将棋ファンだが、上の表を見ると、記憶にない名人戦も多く、いつも関心を持っていた訳でないことがわかる。そんな中で、第36期(1978)中原対森の名人戦はよく憶えている。仙台での第一局目の朝、森が剃髪姿で登場したからである。そのためかわからないが、森が中飛車で快勝した。しかし、結果は、4勝2敗で中原防衛。この名人戦はNHKの特集番組で放送されたこともあって記憶に残っている。

次は、なんといっても第40期(1982)加藤対中原戦である。持将棋、千日手を含む激闘の末、加藤が4勝3敗で中原から念願の名人位を奪取した。持将棋一回、千日手二回であったように憶えているが、このため、決着がついたのは、7月も終わりごろであった(たぶん)。その最終局の終盤、秒読みの中で中原玉の詰みを発見した加藤は、その後、その局面をあちこちで何回も解説していた。まさに会心の一局であった。

この頃、中原(その前は大山)が余りにも強すぎ、私は、どちらかというと、判官びいきから大山や中原に番勝負で挑戦しては負け続けた加藤や米長のファンで、この結果に独り拍手喝采をした。

しかし、次の年、加藤は若き挑戦者谷川に負けた。これで、谷川時代と思われたが、そうでもなかったことが上の表からわかる。谷川は二期保持しただけで、第43期(1985)に挑戦者中原に負けた。その後、中原が三期連続して保持し、第46期(1988)に谷川が中原から奪い返し、二期保持したが、第48期(1990)に中原が谷川からふたたび奪取し、三期保持した。このように、中原は、加藤に名人位を奪われた後、復活し、計六期保持したことからもわかるように、加藤に負けたときまだ絶頂期にあったと思われる。それを負かした加藤もまた絶頂期であった。

その後、第51期(1993)に米長が中原にようやく勝ち、悲願の名人位を獲得したが、次の年、羽生が奪い、これで世代交代し、以降、羽生世代がいまに至るまで名人位を独占している。途中、第55期(1997)に谷川が羽生から奪取し、一期だけ復位している。

谷川については、名人戦で中原と羽生(世代)との間に挟まれて双方から苦しめられ、不運であったような印象を受ける。よくいわれる谷川の悲劇性である。しかし、谷川が中学生で四段となったときのことは、羽生のときよりも鮮明に憶えている。四段になってすぐの頃と思うが、東京12チャンネルのお好み将棋対局で加藤一二三と対戦し、先手谷川がひねり飛車でがんがん攻め、結果は負けだったが、鮮烈なデビューで、一将棋ファンの記憶にけっこう強烈に残っている。

時代は変わって、今年、プロ棋士五名とコンピュータソフトが対戦する第2回電王戦が行われ、結果、一勝三敗一引き分けでプロ棋士側の負けとなった。何局かをリアルタイムで観戦したが、第一局目の阿部光瑠四段がよかった。阿部四段は、明らかに序盤でソフト側の無理攻め(桂はね)を誘う指し回しを見せ、快勝した。結果的に、これがプロ棋士側の唯一の勝ち星となった。この時点で、プロ棋士側がやはり勝ち越すのではないかと思ったが、第二、三局目が負けとなった。第四局目の塚田九段はガッツのあるところを見せた。双方入玉模様となり通常なら駒の点数で勝敗が決まるところ、ソフト側が勝っていたが、ソフト側にその対策がなかったようで無意味なと金づくりを始めてしまい、これを機に塚田九段が攻めて大駒をとって持将棋に持ち込み、引き分けにした。

勝敗は最終局に持ち込まれたが、結局、A級棋士三浦弘行八段も負けてしまった。後手番のソフト側がプロ棋士も驚くような無理攻めをし、勝ちきったが、解説によると、三浦八段の方にこれという悪手はないとのことだったので、無理攻めではなく、細い攻めをつないで勝ちにつなげたといった方がよいようである。

しかし、この第5局目のソフト側のハードウエアは異常な構成であった。なんでも東大にあるコンピュータ700台ほどをつないだらしいが、そんなにしてまで勝ちたいのかと思った。プロ棋士側は気にしていないようであるが、不公平感が残った。二、三年前に清水市代女流棋士がコンピュータと対戦したときもソフト側は何十台かのコンピュータにより合議制で指し手を決めたが、そのときもおかしいと感じ、重量制限にすべきなどと思ったりした。

人間側は合議制ではなく一人であるから、ソフト側もハードウエアは物理的に独立した一個のマシンとすべきである。ただ、将来、CPUの発達などから、現在の700台のコンピュータの性能を持つ同サイズの1台のコンピュータが登場するかもしれないが、それは技術の進歩であり、仕方のないことである。

以上、電王戦に対する人間側びいきからの感想である。

ところで、電王戦第五局目の立会人の田丸九段がニコニコ中継でおもしろいことをいっていた。羽生と森内が、二十代の頃(二十年ほど前)、将来、人間はコンピュータに負けると予想し、その時期は、2010年、2015年頃としたとのことで、今年(2013)は、ちょうど、その中間にあたる。

今回の結果からいうと二人の予想がほぼ的中したことになるが、このことは、二人ともコンピュータの「読み」と人間の「読み」とがそんなに違うものではなく、正確性ではコンピュータが勝ることを直感的に見抜いていたように思えて、はなはだ興味深い。

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森内名人防衛(第70期将棋名人戦)

2012年06月14日 | 将棋

第70期将棋名人戦7番勝負第6局で森内俊之名人が挑戦者羽生善治二冠(王位・棋聖)に勝ち、通算4勝2敗となり、名人位を防衛した。

今期の名人戦は、第五局まで先手が勝ち、先手必勝パターンが続き、この第六局で先手(羽生)が勝つと、第七局目の振り駒で結局名人が決まるのか、などと思っていたが、後手の森内が勝ち、これで防衛を決めた。後手で勝って防衛を決めたのだから、気分的には快勝であったと想われる。

今期の名人戦の勝敗と戦型は次のとおり。

1 先手 森内○(相矢倉)
2 先手 羽生○(角換わり)
3 先手 森内○(急戦矢倉)
4 先手 羽生○(相矢倉)
5 先手 森内○(横歩取り)
6 後手 森内○(角換わり)

今期は、先手の5勝1敗(前期は先手の5勝2敗)。
過去の対戦成績は森内52勝64敗(勝率0.448)で、先手が51勝21敗(勝率0.708)。羽生先手で25勝9敗、森内先手で26勝12敗。

この20年間の名人戦7番勝負の結果は次のとおり(将棋連盟HP)。

51 1993 米長邦雄 4-0 中原 誠
52 1994 羽生善治 4-2 米長邦雄
53 1995 羽生善治 4-1 森下 卓
54 1996 羽生善治 4-1 森内俊之
55 1997 谷川浩司 4-2 羽生善治
56 1998 佐藤康光 4-3 谷川浩司
57 1999 佐藤康光 4-3 谷川浩司
58 2000 丸山忠久 4-3 佐藤康光
59 2001 丸山忠久 4-3 谷川浩司
60 2002 森内俊之 4-0 丸山忠久
61 2003 羽生善治 4-0 森内俊之
62 2004 森内俊之 4-2 羽生善治
63 2005 森内俊之 4-3 羽生善治
64 2006 森内俊之 4-2 谷川浩司
65 2007 森内俊之 4-3 郷田真隆
66 2008 羽生善治 4-2 森内俊之
67 2009 羽生善治 4-3 郷田真隆
68 2010 羽生善治 4-0 三浦弘行
69 2011 森内俊之 4-3 羽生善治
70 2012 森内俊之 4-2 羽生善治

名人戦で二人はこれまで7回対戦しており、今回で、森内の4勝3敗。森内が勝ち越した。

上の表からわかるように、第60期将棋名人戦(2002)で森内が当時の丸山名人から奪取して以来、森内(7期)・羽生(4期)の二人で名人を独占している。トータルの名人獲得は、二人とも同じで、7期。

20年前、中原・米長戦で米長が悲願の名人になったが、翌年、羽生に奪取されてから、名人は、羽生、佐藤(康)、丸山、森内という、いわゆる羽生世代が独占している(ただし、谷川が1期獲得)。

こうしてみると、森内は、羽生世代の中でも大器晩成型であることがわかる。

その森内は、将棋は先手必勝の信念があり、いつか、タイトル戦のテレビ解説で登場したとき、先手・後手のことを聞かれると、先手が断然いいです、とうっとりとしたような表情で語っていたことを思い出す。

森内・羽生戦は、特に先手の勝率がよく、上記のように7割を超えている。

先手・後手のごくわずかな微差をごく少しずつ広げていき、途中、誤らずに勝ちにつなげるのであろうか。極小微差をわずかずつ拡大する技術を身につけたのであろうか。そんなイメージがあるが、へぼ将棋ファンからみると、実に不思議な世界である。

将来、もし、将棋の先手必勝パターン(たとえば先手▲7六歩からはじめると、どんな変化でも先手が勝つ)が確立されると(あり得るかどうかは別として)、先手▲7六歩で、後手投了ということになる。それはまったく味家のない世界に違いないが、そういったつまらない妄想に陥ってしまう。

渡辺明二冠(竜王・王座)が自身のブログで、今期名人戦第4局の後、次のコメントを書いていた。

『名人戦第4局は▲羽生二冠が勝って2-2のタイ。ここまで先手番4連勝。その有利さを説明するのは難しいのですが、先手の時は「一度間違えてもまだ大変」という実感はあります。すなわち「ミスの数が同じなら先手勝ち」ということは言えるかもしれません。判定ドローならチャンピオン防衛、みたいな。加えて「トップ同士+持時間9時間」という条件だとミスが最小限に抑えられるから、より先手が勝ち易い、ということなのでしょうか。同じ2日制でも8時間の竜王戦、王位戦、王将戦でここまで先手有利と取り上げれられることは少ないので8と9の1時間の違いが大きいのかもしれません。』

先手有利に関し、これがトッププロの平均的な見方なのであろうと思った。持ち時間の長い将棋では、ミスが最小限になるというのは、やはり、先手必勝的なイメージをトッププロは持っているようである。どちらかといえば先手の方がよい程度のことかもしれないが、要するに、「最善手」を指し続ければ、先手が勝つということであろう。

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森内将棋名人位に復位(2011)

2011年06月23日 | 将棋

森内俊之九段が羽生善治名人に挑戦中の第69期将棋名人戦7番勝負の第7局で勝ち、通算4勝3敗となり、名人位に返り咲いた。

今期の名人戦は、挑戦者がはじめ三連勝し、すぐに復位を決めると思われたが、名人がそれから巻き返し三連勝し、名人位の行方は、最終局に持ち越されていた。

第七局目は振り駒で先手後手が決められるが、振り駒の結果、森内九段が先手で、横歩取りとなった。私的には、森内が封じた51手目が印象に残った。2時間に及ぶ大長考であったからである。5三桂左成。これと8二歩の二択とテレビでは解説していたが、感想戦で8二歩はまずい変化があると森内が云ったとのこと。封じ手は、その後の4五銀を期待したものらしく、その後の変化を読んで大長考となったのか。森内75手目の4四角が好手だったらしい。

この二人の対戦成績は先手の勝率がよいとのことで、先手となった森内九段が有利かと思ったが、そのとおりとなった。

今期の名人戦の勝敗と戦型は次のとおり。

1 先手森内○(横歩取り)
2 後手森内○(急戦矢倉)
3 先手森内○(ゴキゲン中飛車)
4 先手羽生○(相矢倉)
5 後手羽生○(横歩取り)
6 先手羽生○(相矢倉)
7 先手森内○(横歩取り)

先手の5勝2敗であり、上記の定説のとおりとなった。戦型では、先手が森内のとき、横歩取りで2勝1敗、対ゴキゲン中飛車で1勝。先手が羽生のとき、矢倉で2勝1敗。という結果から、森内は後手のときの矢倉対策、羽生は後手のときの横歩取り対策に課題を残した(へぼ将棋ファンの感想)。

二人の名人戦7番勝負における対戦成績は次のとおり。

54 1996 羽生善治 4-1 森内俊之(羽生防衛)
61 2003 羽生善治 4-0 森内俊之(羽生奪取)
62 2004 森内俊之 4-2 羽生善治(森内奪取)
63 2005 森内俊之 4-3 羽生善治(森内防衛)
66 2008 羽生善治 4-2 森内俊之(羽生奪取)
69 2011 森内俊之 4-3 羽生善治(森内奪取)

名人戦7番勝負で二人はこれまで6回対戦しており、3勝3敗の五分。二人の間での名人位の奪取、防衛は、奪取4回、防衛2回で、奪取、すなわち、挑戦者勝ちの回数が多い。

森内は、第65期名人戦で名人位を防衛し、通算5期獲得ということで、18世名人の称号を得ている。羽生は、次の年の名人戦で名人位を奪取し、19世名人の称号を得ている。

他棋戦では羽生が圧倒的な成績を残しているが、名人戦に限っていえば、羽生と森内は五分五分の対戦成績である。森内の順位戦・名人戦での活躍が目立つ。

クリックすると拡大します 左は、「将棋世界」付録の2000年棋士名鑑にある森内のプロフィールである。11年前のもので、森内はまだ無冠であった。当時のタイトル保持者は、佐藤康光名人、藤井猛竜王、谷川浩司棋聖、羽生善治四冠(王位・王座・王将・棋王)。三十代になってから名人などのタイトルをとった。

ところで、題名は忘れたが、以前、将棋に関する本を読んだら、森内は、将棋は先手有利という信念を持っているらしく、また、将来もし先手必勝の定跡ができたらつまらなくなると思うが、それに対して、羽生は、そのときはルールを変えて打ち歩詰めありにすればよい、などと云ったとか。

このへんのはなしになると、神の領域で、ただ畏れ入るしかなく、へぼ将棋ファンとしては、そういうことを論じる時代になったのかと感心するほかない。中原・米長・加藤が活躍していたころには、先手有利云々というはなしは聞いたことがなかったような気がするからである。ただ、昨年度のプロ棋士の公式戦通算で後手がわずかに勝ち越した(これまでは先手の勝ち越しが続いていた)そうなので、先手必勝は、まだまだ先のことであろうか。

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升田幸三

2010年01月19日 | 将棋

世田谷区北烏山の常栄寺に将棋名人の升田幸三のお墓を訪ねてきました。

午後井の頭線久我山駅下車。南口から出ると、すぐ前に神田川が流れている。信号を渡り、商店街を南に進むと、まもなく、玉川上水の岩崎橋。これを渡り、さらに行くと、途中、右側に細い道があったので、歩いてみる。散歩道によさそうであるが、左側は倒木などもあって、ちょっとあれた感じがするところもある。

引き返し、さらに行き、右折して進むと、左手に畑が広がっている。田舎生まれのわたしには懐かしい風景である。さらに進んで、寺院通りを左折すると、まもなく、常栄寺である。門に、浄土真宗本願寺派 常栄寺とある。中に入ると、意外に広く一瞬どうやって探そうかと迷うが、墓地の奥に進み、端から探し始める。4~6往復程度で見つかる。

駒形をした墓碑に「新手一生」と刻まれている。右側に、「升田幸三 名人に香車を引いた男」と題する、升田の経歴を記した石碑が建っている。大正7年(1918)3月広島県生まれ。わたしの亡父と同年同月生まれである。そんなこともあっておもわず合掌する。

昭和27年(1952)、時の名人木村義雄と第1期王将戦で七番勝負を戦い、4勝1敗とし、次の対局が香落ちとなり、名人に香車を引く対局が実現したが、対局拒否事件を起こし不戦敗となった。これが有名な陣屋事件である。次に、昭和30年(1955)、第5期王将戦で弟弟子の大山名人と王将戦を戦い、3連勝し、名人を香落ちに指し込み、これも勝ち、「名人に香車を引いて勝つ」を実現した(Wikipedia)。昭和32年(1957)第16期名人戦で大山から名人位を奪取し、九段戦(竜王戦の前身)でも大山に勝っており、史上初の三冠を達成した。

柳田國男写真集(岩崎美術社)という写真集がある。以前、古本屋の閉店セールで買ったものだが、それを眺めていると、たくさんの文人連中が料亭に集まって歓談している写真に、一人異体な様子のひげの男が写っていた。よく見ると、升田幸三であった。写真の註に、「神戸新聞社・随想同人懇親会 福吉町あかはねにて 志賀直哉、長谷川如是閑、梅原龍三郎、辰野隆、升田幸三、網野菊らが同席(昭和33年2月4日)」とある。三冠を達成して得意の絶頂の時であったのだろう、将棋と全く関係のない連中と楽しそうな雰囲気である。

升田幸三と大山康晴は大阪の木見一門の兄弟弟子であるが、終生のライバル同士でもあった。升田は強いときは抜群であったが、持続力は大山の方が上手で、タイトル獲得数もかなり上回っている。升田は平成3年(1991)4月に73才で亡くなり、追うようにして大山も次の年7月に69才で亡くなっている。

わたしはへぼだが長年の将棋ファンである。むかしからテレビ将棋をよく見ていた。升田のテレビ将棋の解説は聞いたことがなかったが、大山のはユニークであった。棋士の表情や姿勢などをみて、○○さん苦しそうですね、などという解説をよくしていた。盤面以外でもそういうところで相手をよく観察していたのであろう。

いまから25年ほど前、わたしは山口宇部空港で升田幸三を見かけたことがある。空港発のバスに乗り、最前列の席に座って出発を待っていると、バス停にひげの老人が立っていたが、それが升田だった。だれかを待っていたような感じで、杖を突いてじっとしていた。ただそれだけのことだが、記憶に残っているので、ここに記した次第である。

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