東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

3・11~桜~新緑

2011年04月26日 | 日記

何とも無惨な春である。例年、この季節は花粉症で悩まされ鬱々(うつうつ)と毎日を過ごすのであるが、ことしは、数年ぶりの花粉大飛散の年ということで、2月下旬から影響が出始めていた。しかし、3月11日の大地震による衝撃でその気分は吹き飛び、別のもっと大きな暗澹たる気分に陥った。

当日、新宿区内の事務所でいつものようにパソコンに向かっていた。最初の揺れがきたとき、これまでにない激しい揺れだったので、ついに関東大地震がきたのかと思ったが、すぐにラジオをつけたら震源が宮城県沖ということだった。その後、かなり強い余震が何回かあったが、インターネットの地震情報に、茨城県沖が震源地となっている余震があり、不思議に思った。地震のマグニチュードが大きい方へと二回ほど変更された。そして、次第に、この地震の規模が明らかになっていった。

新宿西口から青梅街道に沿って2時間ほど歩いて帰宅した。歩き始めの7時半過ぎ、エルタワー北側の歩道橋のあたりは人の波でごった返していた。歩道は人であふれ、車道は渋滞で車はほとんど進まない。歩道沿いのコンビニやラーメン店やレストランや飲み屋はどこも混んでいる。一緒に歩いて帰った娘がスナック菓子などを買うためコンビニに寄るので、わたしも元気づけにと栄養ドリンクを買う。歩道を歩く人はずっとあまり減らずに多かった。

以上が当日の帰宅までだが、同じような体験をした人は多かっただろうと思う。

衝撃は、帰宅後も続いた。テレビの津波映像に息をのんだ。仙台市若林区荒浜のあたりと思うが、空からの映像で、津波が田園地帯をかなりの速度でまわりのものをのみ込みながら広がっていく。ビニールハウスなどもあっという間にのみ込まれる。やがて、自動車専用道路に近づいていくが、車が何事もないかのように走っている。このあたりで映像は終わるが、その後、津波がその道路を乗り越えたのかわからない。この映像(たぶんNHK)が当日の夜、繰り返し流された。

次の日になると、津波被害地の映像とともに、福島第1原子力発電所の事故を報じる映像が続いた。午後には1号機の建屋が爆発し吹き飛んだ。そして、一ヶ月以上を過ぎた現在でも原発事故は収束していない。なにかあっという間の出来事のような気がしてくるが、地震の前後でなにかが変化している。

地震の後しばらく、朝いつものように眼が覚めると、大地震の後で原発の事故が発生していることに覚醒していく。一瞬、違う世界にいるのかもしれないと思う。アナザーワールド。村上春樹「1Q84」のように天に月が二つ浮かんでいる世界。ひょっとしてあの日午後2時46分、別の世界に入り込んでしまったのではないか。以前のまま過ぎているもとの世界があるのではないか。妄想が通り過ぎると、やはり、現実は原発事故の発生した世界。別の世界に入り込んだのではなく、もとの世界がアナザーワールドへ変わってしまったのだ。

4月はじめの休日、いつものように、善福寺川へ出かけ、桜を見た。寒い日であった。例年よりも開花が遅く、満開前で人出も少なかった(前回の写真)。次の週は暖かくなり桜も満開で、たくさんの人が花見に繰り出していた。桜が咲き、それを愛でる人たちがあふれる。ことしの花見はいつものようではあったが、その感慨は千差万別ではあれ、例年とは違ったのではないだろうか。ことしは人出の割には静かな感じがしたのは気のせいではないだろう。直接的な被害はなかったかもしれないが、人それぞれに大なり小なり精神的な打撃を受けている。

善福寺川相生橋近く 善福寺川相生橋近く 善福寺川尾崎橋 善福寺川尾崎橋 一昨日の休日も善福寺川に出かけてみた。川の水が前日の雨のせいか少し濁っている。桜はもうすっかり散って新緑でいっぱいとなっていた。人出ももとにもどり、川沿いは静かになっている。同じように散歩を楽しむ人がいて、ジョギングをする人が追い越していく。

ときとして人間に牙をむける自然ではあるが、樹々が花から新緑へと移り変わるその自然の営みに心が洗われる思いである。

一方で災禍をもたらし、他方で心を救う。どうやら自然とは残酷と救済の両方をもたらすものらしい。
この二律背反の世界で生きるしかないようである。

善福寺川尾崎橋近く 善福寺川尾崎橋近く 善福寺川成田上橋 善福寺川白山前橋

コメント
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