東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

善福寺川4月(2017)

2017年04月24日 | 写真

善福寺川4月(2017) 善福寺川4月(2017) 善福寺川4月(2017) 善福寺川4月(2017) 善福寺川4月(2017) 善福寺川4月(2017) 善福寺川4月(2017) 善福寺川4月(2017)

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青山学院わきの通り

2017年04月09日 | 散策

猿楽橋 八幡坂下 八幡坂上六本木通り 八幡坂上六本木通り 青山学院わきの通り




前回の天狗坂上を直進し八幡通りを左折する(現代地図)。まもなく猿楽橋で下をJR山手線が通っている。前回、この下を山手線に沿って恵比寿方面へ向かい内記坂夕やけ坂を巡った。

さらに進むとちょっと下りになって、明治通りの並木橋交差点にいたるが、向こうに八幡坂の坂下が見える。

明治通りを横断し八幡坂を上る。坂上は神社前を通り過ぎた先で六本木通りに接続するが(現代地図)、その先は、六本木通りを越えて、青山学院わきを青山通り(246号線)へと延びている(三、五枚目の写真)。

東都青山絵図(安政四年(1857)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843))

一枚目の尾張屋清七板の東都青山絵図(安政四年(1857))を見ると、金王八幡宮前の八幡坂の道筋が渋谷川の谷から上り、坂上で北西へとカーブしながら方向を変え、仙石屋敷と松平屋敷の間を延びて、宮益坂上から延びる道につながっている。

この八幡坂上から延びる道筋は、そのカーブの様子から現在の道と同じであることがわかる(現代地図)。二枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))も近江屋板も同じ。 

青山学院わきの通り 青山学院わきの通り 青山学院わきの通り 青山学院わきの通り 青山学院わきの通り




六本木通りを横断し、青山学院の塀に沿った歩道を北へ歩く。左に緩やかに大きくカーブし二、三箇所でちょっとかくっとしているが全体的に弧状になっている。

戦前(昭和16年(1941))の昭和地図でも同じようにカーブしている。

現在の道筋を江戸切絵図などと比べると、そのまま残っているところも多く、江戸時代から続く道筋といってもとくに珍しくはないが、ここは、江戸期から続く大きな弧状の道筋が印象に残るところである。

やがて青山通りに出るので、ここを右折し、表参道駅へ。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)

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天狗坂

2017年04月08日 | 坂道

天狗坂近く 天狗坂近く 天狗坂近く 天狗坂下 天狗坂下




前回南平坂上を左折し、坂を下り、坂下の鉢山交番前の四叉路を左折し、東へ向かう。ここを直進すると、かめやま坂の上りで、そのまま進めば代官山方面にいたる。

ちょっと歩くと、T字路があり、ここを左折すれば、先ほどの鞍部のある四叉路。道なりに歩き、桜丘郵便局前の交差点を越えてさらに進む。この道がこのへんの谷底でないことが、右側に道よりも低いところがときおり見えることでわかる。休日のためか車も人も少なく、静かである。

しばらくすると、右手にまっすぐに下る坂が見えてくるが、ここを下る(現代地図)。一枚目の写真はその坂上から撮ったもので、二枚目は坂下を左折し、ちょっと歩いたところで、右手に小さな公園がある。このへんは渋谷区鶯谷町で、むかしからの地名が残っている。鴬(ウグイス)の鳴いていた谷だったと想像されるが、地名は、直接的にはかつてあった鴬橋に由来するという。

さらに直進し、次を右折し、ちょっと進むと、三枚目のようにかなり緩やかだが上りとなっている。その向こうに四枚目のように通りが見え、その先に食い違っているが、坂下付近が見えてくる。ここが天狗坂である(五枚目)。四、五枚目の坂下の通りは、かめやま坂の坂上の一商前の四叉路を左折してきた道である。

天狗坂下 天狗坂下 天狗坂中腹 天狗坂中腹 天狗坂中腹




天狗坂は、その通りからまっすぐに南へ上る小坂である。渋谷区猿楽町2番と3番との間(現代地図)。勾配も中程度よりも緩やかといった感じで、坂下に車止めが見え、歩行者専用である。かなり短く、30m程度。

以前、初めて訪れたとき、あまりにも単調な上りの小坂で、その意外感からちょっと驚いた覚えがある。もっと風情のある坂でも無名の坂が多いのにと思うが、要するに、それだけで坂名の有無は決まらないということである。

戦前(昭和16年(1941))の昭和地図を見ると、先ほど下った坂から公園わきを通りこの坂上までの道筋があるので、戦前からできていたことがわかる。 

天狗坂上 天狗坂上 天狗坂車止め 天狗坂上 天狗坂標識




坂上近くの車止めにこの坂名が刻まれている(一、三枚目の写真)。坂上右側の塀わきに坂の標識が立っていて、次の説明がある(五枚目の写真)。

『天狗坂  猿楽町5番
 この坂を、天狗坂といいます。岩谷松平(号を天狗、嘉永二年~大正九年 一八四九~一九二○)は鹿児島川内に生まれました。明治十年に上京し、間もなく銀座に、紙巻煙草の岩谷天狗商会を設立し、その製品に金天狗、銀天狗などの名称をつけ、「国益の親玉」「驚く勿れ煙草税金三百万円」などの奇抜な宣伝文句で、明治の一世を風靡しました。
 煙草の製造に家内労働を導入するなど当時としては画期的、独創的な工夫をしました。
 明治三八(一九○五)年煙草専売法が実施されると、この付近の約四万三千平方メートル(一万三千坪)の土地に、日本人の肉食による体質の向上を考えて、養豚業を始めるなど、国家的な事業に貢献しました。晩年、岩谷天狗がこの地に住んだことから、この坂の名が生まれました。  渋谷区教育委員会』

坂名は、明治時代に紙巻煙草で有名な岩谷松平(天狗)に由来する。晩年にこの地に住み、その旧居跡を岩谷天狗山とよんだが、この坂の近くなのであろう(明治のたばこ王 岩谷松平)。

坂上はT字路になっていて、そのまま直進すると八幡通りで(ここを右折すれば代官山方面、左折すれば並木橋方面)、すぐに右折したところに庚申塔などの案内標識が立っている。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
竹内誠編「東京の地名由来辞典」(東京堂出版)
「東京地名考 上」(朝日文庫)

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間坂上~南平坂上

2017年04月03日 | 坂道

間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上




前回の間坂の坂上から南平坂を目指す(現代地図)。ここから先、この坂上からどんな道筋が南平坂まで延びているのかと想うとわくわくした。こんなふうに感じながら街歩きをするのも久しぶりである。

いきなり坂上からほぼまっすぐに中程度の勾配で下る坂になっている。やがて左に曲がるが、やや大きいカーブでその先も下りながら曲がっているようでその先が見えない。くねくねと曲がっていて楽しい。

間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上




左に曲がり次に右に曲がって下っていくと、やがて坂下が見えてくるが、驚いたことにここが鞍部で、おまけに四叉路になっている。つまり、間坂上から下ってきた道が直進方向(西側)の南平坂に向かってふたたび上り坂になっていて、左右の道は左(南)から右(北)へ緩やかであるが上り坂になっている。間坂上から南平坂上までの途上には二つの無名の坂とその間に鞍部が存在し、そこを緩やかな勾配の坂道が横切っている。この坂も無名である。

上五枚目の写真は四叉路を右折し、坂上側から坂下を、下一枚目は左折し坂下側から坂上を撮ったもので(今年になってから撮影)、坂上を進むと246号線である。

この鞍部に直交する坂は、道玄坂の坂上周辺に広がる台地からちょっと傾斜した南緩斜面にあり、ここに間坂上からと南平坂上から二つの坂が下ってきて合流している。ここはかつて南へと延びていた谷筋であったように思われてくる。

間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上




四叉路を通り過ぎるとふたたび上り坂で、まっすぐに緩やかに上っている。南平台町5番と6番との間を西へ上る(現代地図)。

途中、ふり返ると、さきほどの間坂上から下ってきた坂下と四叉路が見える。

戦前の地図(昭和16年)や戦後の地図(昭和31年)には、間坂上から南平坂上までの道があり、渋谷駅近くの間坂下から南平坂上まで戦前から続く道筋であったことがわかる。

間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 間坂上~南平坂上 南平坂上 南平坂中腹




やがてかなり緩やかになって、ちょっと右へ左へとカーブすると、坂上で、正面に聖ヶ丘教会が見える(現代地図)。ここで南平坂の坂上と合流し、四枚目の写真はその坂上を、五枚目はその中腹を撮ったものである。

岡崎が南平坂の項で『南平台町四、五の間をカーブしながら下る無名坂がある。坂上に溢れる木の繁みが美しい。』と記述しているが、その無名坂がこの坂と思われる。

渋谷駅近くの246号線わきから間坂を上り、その坂上からいったん下り、ふたたび上って南平坂上にいたったが、期待にたがわずはなはだ興味深い道筋であった。

前回、道玄坂経由で南平坂を訪れたが、今回の道筋でアクセスすると、かなり静かな坂道散歩となる。賑やかで騒々しい道玄坂を避けたいときにはこちらがよく、しかも凹凸の変化に富んだコースである。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)

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善福寺川桜(2017)

2017年04月02日 | 写真

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