年末に神田川に沿って善福寺川との合流地点から上流へ月見橋まで歩いた。途中、寄り道をした。
青梅街道から鍋屋横丁を南へ歩き、中野通りを横断し、十貫坂に向かう。坂を下り、直進すると、右手に和田さくらの坂公園とそのわきの上り坂が見える。
さらに進んで左折し、南へ歩いていくと、交差点があり、そこを横断すると、神田川沿いの道で、ここを右折し、上流に向かう(現代地図)。
まもなく善福寺川との合流点である。昨年の年末に、青梅街道の淀橋から神田川に沿ってここまで歩き、それから善福寺川に沿って上流へと歩いた(以前の記事)。
合流地点のすぐ上流の善福寺川にかかる和田廣橋から神田川の上流を目指す(現代地図)。
しかし、ここから神田川沿いの道はなく、橋から延びる道をちょっと南に歩き突き当たりを左折すると、川沿いの塀が見えてくる。ここをまっすぐに歩くが、その途中で撮ったのが一枚目の写真である。
まもなく方南通りに至るが、そこを横断する前に撮ったのが二枚目で、川は通りを越えてさらにまっすぐに南へと延びている。
やがて環七通りに至る。三枚目は通りのすぐ下流側の上水橋から撮ったもので、このあたりで川は西へと延びている。通りを横断すると、川沿いの道に車止めがあり、ここから上流は遊歩道となる。
ちょっと歩くと、四枚目のように右に公園風の広場(泉南緑地)があり、このあたりでこれまでの道とはっきりと違うことを実感できる。川沿いの道は、この方が断然よい。
やがて弁天橋の近くになるが、一枚目の写真は橋から上流側を撮ったものである(現代地図)。
このコースは、たしか5~6年ほど前に同じ方向に歩いた覚えがあるが、このあたり(環七の前後?)は工事中であったような気がする。このためはじめて歩く部分もある。
しばらく歩いて、和泉小のところで宮前橋の西側を見ると、二枚目のように、熊野神社のわきを西へ上る坂が見える。このあたりになると、川に向かう道は下り坂になっているところが多い。
ここからちょっと歩くと、井の頭通りの手前が工事中で、そのわきを通り抜け、横断歩道手前から撮ったのが三枚目で、その向こうに井の頭線が通っている。
この先をしばらく歩くと、永福橋であるが(現代地図)、四枚目はその手前の橋から撮ったもので、左右の道が永福通りで、右折していくと、井の頭線を越え、井の頭通りで、わきに永福駅がある。左折すると、甲州街道。
永福橋で左折し、甲州街道方面に向かうが、橋から進行方向南側を撮ったのが一枚目の写真で、上り坂となっている。
坂を上りしばらく歩くと下高井戸橋に至るが、その下がかつての玉川上水で、いまは、玉川上水公園となっている。
橋を渡ると、眼の前が甲州街道で、ここを左折し、ちょっと歩くと、公園に入ることができるので、ここを東へ歩く。途中で撮ったのが二枚目の写真である。
歩道に出てしばらく歩く。ここは上に高速道路が通っているので、ちょっと騒がしい。しばらくすると、築地本願寺和田堀廟所である(三枚目の写真)。
来春から2012(平成24年)3月16日に亡くなった吉本隆明の全集が晶文社から刊行されるが、その広告パンフレット(HP版)に石関善治郎作成の略年譜(秀逸である)が載っている。これの最後に、同年9月15日に和田堀廟所の吉本家の墓に納骨とある。法名・釋光隆。同年10月9日に亡くなった夫人・和子の法名は釋清和。
吉本は、晩年、墓について糸井重里との対談で次のようなことを語っている。
『ぼくんちのお墓は、浄土真宗で、明大前にあるんですよ。
とても小さいお墓です。
親父が無理して、きっと郷里から持ってきたんですね。
親戚の人とかが、ときどきおまいりに来たりしますけど、そういうときは明大前で電車を下りてそこの墓地のいちばん小さいお墓を探すと出てきます、と案内します。
だけどぼくらも、もう何年も行ってるのに、お墓に着くまでに迷ってしまいます。 』
『そうそう。 それで、のちに食料品の佃煮屋さんに商売替えしたんですけど、その兄貴には、息子がいました。
いまは大きくなってるけど、その子が小さいときに親父が亡くなったんですよ。
そのときみんなでいっしょにぞろぞろ、お墓に行ったわけです。
そして、その息子がお墓を見て、「ちいせぇ墓だなぁ」と言ったんです。
「もっと大きいの、建てればいいじゃねぇか」とか、言ったんですよ。
そしたら、兄貴の商売関係の、商店街の会長さんみたいな人がそこにいて、こう言ったんです。
「ぼうず、お墓っていうのは小さいほどいいんだぞ」』
これから小さい墓であることがわかる。また、同廟所の案内板には佃墓地のエリアが表示されている。これらを手がかりにして以前に来たとき探し当てたが、今回、近道をしようとしたら、ちょっと迷ってしまった。四枚目のように墓には花が供えられていた。お墓参りをしてからコーヒー缶で一休み。
上記の「小さいほどいいんだぞ」の話は、吉本隆明作超短篇小説「ヘンミ・スーパーの挿話」にも登場する。
和田堀廟所から永福橋までもどり、左折して川沿い散歩を再開する。
一枚目の写真は橋の上流ちょっとのところで上流側を撮ったものである。寄り道をしたためかなり暮れかかってきて、ちょっと心細くなる。寄らなくてもよかったのだが、つい引き込まれるように訪れてしまった。これは吉本思想に引き込まれるようにしてのめり込んだのと似ているような気がしてきて、歩きながら一人苦笑いをしてしまう。
二枚目のように、やがて鎌倉橋に至る。ここを右折して行けば浜田山駅方面であるが、目的地を目指す。
やがて高井戸駅に近づいてくるが、三枚目は、駅近くの環八通りの手前にある高井戸橋から上流側を撮ったものである。ちょっとずれた位置の横断歩道で渡り、環八にかかる佃橋にもどり、そこから撮ったのが四枚目である(現代地図)。
ほとんど暮れてしまったが、川沿いの道をひたすら歩くと、遠くに交通量がちょっと多い橋が見えてくる。ここが月見橋である。かなり疲れたが、ようやく目的地についた。
一枚目の写真は、橋の手前から撮ったもので、二枚目は、橋から上流側を撮ったものである。
ここから井の頭線富士見ヶ丘駅へ。
月見橋から神田川の水源の井の頭池までは以前の記事参照。
参考文献
「文藝別冊 さようなら吉本隆明」(河出書房新社)