東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

大黒屋(京成線八幡駅近く)

2018年02月26日 | 荷風

先日、市川市文学ミュージアムで開催された永井荷風展に出かけたとき、京成線八幡駅近くの大黒屋という食堂に寄ってみようと思った。ここは、荷風が最晩年に食事によく来たところで、それにあやかってか、メニューに荷風セットというのがあった。以前にそれを食したことがあったが、今回も、そこで昼食にしようと思い立ったのである。

荷風の日記「断腸亭日乗」を見ると、昭和33年(1958)7月23日に次の記述がある。

「七月廿三日。風雨歇まず。小林来話。正午近く風雨も静になりたれば駅近くの大黒屋に飰す。」

荷風は、前年(1957)三月に京成線八幡駅近くの新居に移転し、大黒屋はすぐ近くであるため、よく訪れたようで、昭和33年、34年の日乗にもかなり登場する。なにを食したかは記していないが、たとえば、昭和33年(1958)「十月二日。隂。正午浅草。大黒屋晩酌。」とあるように、荷風は、この頃、夕飯のとき、少しだが酒を飲むようになっていた。

大黒屋跡 大黒屋跡 大黒屋跡 大黒屋跡 大黒屋跡




ところが、今回、出かける前にネットで検索をすると、大黒屋は昨年に閉店したとの情報に接した。それを確かめようと、当日、地下鉄新宿線の本八幡駅から京成線方面に向かった。駅出口から出るとまもなく京成線の踏切で、超えて右折すると、すぐに大黒屋の建物があるが、四枚目の写真のように、やはり、昨年(2017)7月に閉店した。一、二枚目のように、「大人の学び舎 大黒屋」というのに変わっていた。学習塾らしい。

三、五枚目は、大黒屋を入れて八幡駅、京成線方面を撮ったものであるが、それは、看板がまだ残っていてももはや荷風の通った食堂の大黒屋ではない。荷風にちなむ風景がまた一つ失われた思いである。こうして想い出の場所が次第に姿を消していく。これも時の流れなのであろうか。

大黒屋の荷風セット 大黒屋 大黒屋 大黒屋近くの踏切 大黒屋




荷風は、昭和34年(1959)4月30日の朝自宅で亡くなっている。その前日の日乗は「四月廿九日。祭日。隂。」と簡単に終わっているが、ここで食事をした。カツ丼に上新香と菊正一合を頼むのが常であったが、この日も午前11時ごろ、大黒屋に赴き、一級酒一本とカツ丼をきれいに平げて帰宅した(秋庭太郎)。これが荷風最後の食事・飲酒であったかもしれない。

一枚目の写真は、十年ほど前、大黒屋で食べた荷風セットである。カツ丼と酒一本にお新香と味噌汁がついていた。カツ丼と酒一本の組み合わせは、ちょっとユニークであるが、荷風がよく注文したのを店がよく覚えていたからできたメニューであろう。荷風最晩年の好みであった。大黒屋の閉店に伴い、これを再現したメニューも消滅した。

二、三枚目の写真は、そのときに撮った店のショーウインドー、四枚目は近くの京成線の踏切、五枚目は、二枚目にも写っている荷風が通っていた頃の大黒屋である。

参考文献
「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
秋庭太郎「考証 永井荷風」(岩波書店)

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3 コメント

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Unknown (井頭山人)
2020-03-04 13:00:50
荷風がカメラマニアだったとは初耳でした。ある意味では荷風の作品も好いのですが、彼の生涯も面白いものです。大金を持ち、かつ丼が好きでしたね。いつもこの大黒屋で食べていたのでしょうか?
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荷風と大黒屋 (asaichibei)
2021-06-14 21:41:52
井頭山人様
当ブログの管理人です。
荷風は、昭和33年(1958)3月市川市八幡町の京成八幡駅近くに新築した家に移転しましたが、この頃、昼飯夕飯を浅草に出かけたときはアリゾナなどで、外出しないときは駅近くの大黒屋などでとっていたようです。断腸亭日乗にはじめて大黒屋が出てくるのは、同年7月23日で、その後もしばしば登場しますが、最後は、昭和34年(1959)4月19日で、その日の日乗は次のようになっています。「四月十九日。日曜日。晴。小林来話。大黒屋昼飯。」
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Unknown (井頭山人(魯鈍斎))
2021-10-20 18:06:48
お答え頂き、誠に有り難う御座います。
荷風の生涯は面白いのですが、その終焉には、何かやるせない物があります。それにしてもこう云う、世界を股にかけて遊び歩いた通人は余り居ないでしょう。フランス物語やアメリカ物語、それにしても荷風の変人ぶりは人間不信の為に起きた物なのだと想います。若い頃に噺家に成ろうとして入門までしたのですから、学者か落語家か分からない所があります。女好きは当時の文学者の共通性です。
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