東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

玉川上水(2013)新緑

2013年04月30日 | 写真

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善福寺川(尾崎橋~宮下橋)2013(4月)

2013年04月21日 | 写真

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中山坂

2013年04月11日 | 坂道

中山坂上 中山坂上 中山坂上 中山坂上 前回の別所坂上を直進し、道なりに進む。しばらく平坦であるが、やがて緩やかな下り坂となる。このあたりが中山坂の坂上である。

一枚目の写真は、坂上のあたりから坂下側を撮ったもので、この坂は北に恵比寿駅方面へと延びている。二枚目はちょっと下ってから坂下側を撮ったもので、中腹にある緩やかに大きく曲がるカーブが見える。三枚目はそのあたりから坂上を撮ったもので、かなり緩やかである。四枚目はカーブのあたりから坂上を撮ったものである。

一枚目の写真に左へ曲がる道が見えるが、ここを左折し西へ進むと、やがて鎗ヶ崎の交差点(旧山の手通りが駒沢通りに突き当たる)に至る(現代地図)。そのむかし、このあたりの地名は三田鎗ヶ崎別所坂上であったというが、この小路から鎗ヶ崎の交差点あたりまでの一帯をそう呼んだのだろうか。このあたり一帯は、目黒川流域に広がる田園地帯を南西方向に見下ろす台地であった。

中山坂中腹 中山坂中腹 中山坂中腹 中山坂中腹 一枚目の写真は、大きなカーブを曲がってからふり返って撮ったもので、二枚目はそのあたりから坂下側を撮ったものである。三枚目はさらに下ってから坂上側を、四枚目はそのあたりから坂下側を撮ったもので、ほぼまっすぐに下っているが、緩やかである。

坂上は、目黒区中目黒一丁目と二丁目の境であるが、上記の小路から北側は渋谷区恵比寿南三丁目で、坂下側の交差点の信号には恵比寿南三丁目とある(現代地図)。

坂下を直進すれば恵比寿駅西口で、ここをさらに北へ向かえば、渋谷川であるので、この坂は別所坂上から渋谷川の流域に発達した谷へと下る坂であるが、別所坂とは違ってかなり緩やかである。

この坂は、いつもの標柱や標識が立っておらず、また、横関や石川にはのっていないが、岡崎、山野に紹介されている。

中山坂下 中山坂下 中山坂下 中山坂下 一枚目の写真は、坂下の交差点の上から坂上側を撮ったもので、二枚目は交差点近くにある祠から坂上側を撮ったものである。三枚目は交差点を渡ってから坂上側を撮ったものである。

交差点近くにある祠は、そのわきに立っている説明板(四枚目の写真)によれば、当時の道しるべで、中央に南無阿弥陀仏、右側にゆうてん寺道、左側に不動尊みち、とあるというが、右側の道とは、この坂から別所坂上へと上り、そこから下って祐天寺方面に至るのであろう。同じような道しるべが目切坂上にもある。

下一枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図に新富士で二股に分かれた道が一本になって右に延びる道が見えるが、これがこの坂と思われる。二股から左の上の道が別所坂で、祐天寺方面へと延びている。

御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 渋谷・宮益・金王辺図(嘉永四年(1851)) 目黒白金図(安政四年(1857)) 二枚目は、近江屋板江戸切絵図 渋谷・宮益・金王辺図(嘉永四年(1851))の部分図で、元富士と新富士が見える。新富士の下の道に中目黒道とあり、そこに、中山勘右衛門の屋敷が見えるが、坂名はこれに因む(岡崎)。お留め山一帯の地守であったというが、この切絵図の中山邸に「地守」と記されている。

この屋敷から左下への道がこの坂で、新富士の方へ延びる道が別所坂と思われる。この切絵図ではこの道が中目黒道であるが、上記のゆうてん寺道のことであろう。

三枚目の尾張屋板江戸切絵図 目黒白金図(安政四年(1857))の部分図にも新富士の右わきから二股の道筋があり、上側が別所坂で、そこから右へと延びる道がこの坂であろう。

そのむかし、渋谷川流域の低地から南西方向を望めば、緩やかな丘陵地帯が続き、その台地へと上る道がこの坂で、その頂上から目黒川方面に下る坂が別所坂であった。この台地の頂上から見れば、目黒川方面は急な崖で、渋谷川方面は緩やかであったが、この地形は、この二つの坂を歩けば、もちろん現在でも実感できる。

坂下から恵比寿駅へ。

携帯による総歩行距離は13.8km。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「大江戸地図帳」(人文社)
種村季弘「江戸東京《奇想》徘徊記」(朝日新聞社)

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別所坂

2013年04月04日 | 坂道

別所坂下 別所坂下 別所坂下 別所坂下 前回の新道坂下の四差路を左折し東へ進む。駒沢通りのガード下をくぐり抜け、さらに歩くと、やがて、ほんのちょっとの上り坂となって前方に左へ曲がるカーブが見えてくる。このあたりが別所坂の坂下である(ただし、後述のようにむかしは違っていたようである)。

この坂も曲がりくねっていて、この曲がりを第一カーブとすると、第五カーブまである。

一枚目の写真は、第一カーブの手前から坂上側を撮ったもので、まだかなり緩やかである(現代地図)。二枚目はそのちょっと手前から坂上側を撮ったもので、左へかなり大きく曲がっている。三枚目はそのあたりから坂下側を撮ったもので、このカーブの坂下側にちょっとしたカーブがあることがわかる。

四枚目はカーブをほぼ曲がってから坂上側を撮ったもので、先ほどよりもちょっとだけ勾配がついている。左側が中目黒一丁目1番で、右側が中目黒二丁目1番である。

この坂は、住宅街の中にあるが、かなり大きな曲がりと、小さい曲がりが混在していて、しかも坂上側は急であり、きわめて変化に富んでいる。坂上は階段となっているので、車の通り抜けはできない。このため、車の通行はほとんどない。

別所坂下 別所坂下 別所坂下 別所坂下 第一カーブを曲がると、左端に坂の標柱が立っている。一枚目の写真は標柱を入れて坂下側を、二枚目はそのちょっと上側から標柱を入れてカーブを撮ったものである。

三枚目はそこからちょっと上ってから坂上側を撮ったもので、左へ曲がる第二カーブが見える。四枚目は、第二カーブから坂上側を撮ったもので、その上に右に曲がる第三カーブが見えてくる。このあたりになるとちょっと勾配がある。

目黒区HPの目黒の坂にこの坂が紹介されているが、これによると、「渋谷区境から中目黒一丁目、二丁目境を目黒川田楽橋に下る」とあるので、むかしの坂下は、二枚目の写真に写っている第一カーブの下側でまっすぐに延びる小径と思われる。この小径を進むと、やがて田楽橋に至る(現代地図)。

別所坂中腹 別所坂中腹 別所坂中腹 別所坂中腹 一枚目の写真は、第二カーブの上側から坂下側を撮ったもので、ちょっと暮れかかってきた感じになっている。二枚目は、第三カーブを撮ったもので、弧状にきれいに大きく曲がっているが、この坂でもっとも大きなカーブである。

三枚目は、そのあたりから坂下側を撮ったもので、第三カーブの下側が写っている。四枚目は、第三カーブの上側を撮ったもので、円弧がまだ続いていて、大きなカーブであることがよくわかる。第三カーブのあたりではかなりの勾配になっている。

坂下に立っている標柱に次の説明がある。

「別所坂(べっしょざか)  この辺りの地名であった『別所』が由来といわれる。別所坂は古くから麻布方面から目黒へ入る道としてにぎわい、かつて坂の上にあった築山『新富士』は浮世絵にも描かれた江戸の名所でもあった。」

坂名の由来は、このあたりの古い地名であるとのことだが、目黒区HPの目黒の坂にも同じ説明がある。石川によれば、別所とは、そのむかしに開墾地の集落を意味した地名であったという。

別所坂中腹 別所坂中腹 別所坂中腹 別所坂中腹 一枚目の写真は、第三カーブの上から坂上側を撮ったもので、第三カーブがこのあたりでようやく終わるが、この上あたりからかなり急になる。二枚目はさらに坂上側に歩いてから坂下側を撮ったもので、第三カーブがよく見える。

三、四枚目はそのあたりから坂上側を撮ったもので、突き当たりでほぼ直角に左に曲がる。ここが第四カーブである。

昭和16年(1941)の目黒区地図を見ると、この坂名がちゃんと記されており、大きなカーブが見えるが、これが第三カーブであろう。坂の東側に海軍技術研究所があった。

目黒区HPの目黒の坂に戦前から住む人の話がのっていて、子どものころは暗くてうっそうとした森の中にあり、とてもさびしいところで、坂下は、目黒川をはさんで田んぼが続き、水車小屋もあったという。このあたりのgoo地図で昭和22年の航空写真を見ると、確かに、この坂のあたりは樹木がいっぱいで上空から見てもはっきりわからない。現在とずいぶん違うが、昭和38年になると、そうでもなくなり、道筋がはっきりわかる。

別所坂上 別所坂上 別所坂上 別所坂上 一枚目の写真は第四カーブでほぼ直角に曲がってから坂上側を撮ったもので、まっすぐにかなりの勾配で上っている。二枚目はちょっと上ってから坂下側を撮ったもので、第四カーブがよくわかる。

三枚目は坂上を撮ったもので、突き当たりから右に階段が上っている。四枚目はこの階段を下から撮ったものである。この突き当たりでふたたび直角に曲がっているので、ここを第五カーブと呼ぶ。坂上が階段になっているが、この点だけでもユニークな坂である。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、228m、19.3m、7.86で、かなりの勾配である。高低差もかなりあるが、このため、勾配が大きくなっている。

この坂は、第一カーブ~第五カーブとたくさんのカーブが続き、とくに、上側の第三~第五カーブは、みごとに曲がっている。くねくねと曲がっている目切坂と比べるとカーブが多い点で似ているが、こちらのカーブの方が大きく曲がり、方向が一定せず、しかも勾配がかなりある。このため、かなり上りがいのある坂で、下るのではなく、上って欲しいところである。目切坂はちょっと昔ながらの雰囲気を残しているが、こちらは住宅地の中にすっかり収まっている。ただ、まっすぐに第四カーブから上る坂上は両側にコンクリート壁や樹木が続き、ちょっとそれまでとは雰囲気が違っている。

別所坂上 別所坂上 別所坂上 別所坂上 庚申塔説明板 一枚目の写真は階段上から下側を撮ったもので、階段下の突き当たりに、庚申塔が祀られている。二枚目は坂上の左手後方にある坂下を見下ろせるところから坂下側を撮ったもので、第四カーブまでのまっすぐな下りが見える。

三枚目は、坂上の庚申塔で、四枚目はその説明板である。庚申信仰によるもので、寛文五年(1665)~明和元年(1764)に建てられたとあるから、江戸時代前半のものである。

一枚目に写っているが階段の途中に「新富士」の標識が立っている。それを撮ったのが下一枚目であるが、このあたりに、文政二年(1819)に築かれた「新富士」と呼ばれた富士塚があった(これに対し目切坂上の富士塚は「元富士」と呼ばれた)。

この目黒新富士は、北海道、樺太、千島を探検して有名な近藤重蔵が築造したため、近藤富士ともいわれた。近藤は熱狂的な富士構の信者であったという。重蔵の本宅は王子滝野川にあったが、御書物奉行に抜擢されたほどの好書家で、この地に書を読むための別宅があった。正式な地名は三田鎗ヶ崎別所坂上。

別所坂上 説明板 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 渋谷・宮益・金王辺図(嘉永四年(1851)) 目黒白金図(安政四年(1857)) 二枚目は御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図で、中央に新フジとある山が近藤富士で、そのちょっと右側のヒロヲ丁とある町屋のあたりがいまの恵比寿駅と思われる。新富士の右に二股に上下に分かれた道筋が見えるが、上の道がこの坂であろう。この地図で、このあたりは西の端であるので、その西側は不明である。

三枚目は、近江屋板江戸切絵図 渋谷・宮益・金王辺図(嘉永四年(1851))の部分図で、元富士と新富士が見える。新富士の下の道に中目黒道とあるが、これがこの坂といえるのかちょっとわからない。

四枚目は、尾張屋板江戸切絵図 目黒白金図(安政四年(1857))の部分図で、これにも新富士が見え、その右わきで二股に分かれている道筋のうち、上側がこの坂かもしれない。この地図もこのあたりが右上角で、この西側が見えない。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「大江戸地図帳」(人文社)
種村季弘「江戸東京《奇想》徘徊記」(朝日新聞社)

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