東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

善福寺川1月(2022)

2022年01月30日 | 写真

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なかにし礼「血の歌」

2022年01月08日 | 森田童子

森田童子の出自に関し、2021年末に衝撃の本が出版された。新年早々これに気づき、電子書籍で購入し、短編なのですぐに読み終えた。

「血の歌」本カバー

なかにし礼は2020年12月に亡くなったが、この短編小説「血の歌」は、巻末の子息の説明によれば、その原稿を2021年夏父の遺品を別荘で整理していた母・中西由利子が父の机の引き出しから発見したが、1995年に執筆されたと推定している。本文では、森○△子と、○△に別の漢字を当てているが、本カバーにサングラスをかけた森田童子の写真が使われているのが暗示的である。

ネット上では、以前から、森田童子が作詞家なかにし礼の姪(兄の娘)である説が流布されていたが、これが立証されたことになった。もっともそれが明らかになったもののまだ不明な点が多く、また、この本によりさらなる疑問点も出てきた。

岩波現代文庫「赤い月(上)」カバー 岩波現代文庫「赤い月(下)」カバー 私も「なかにし礼の姪」説の存在を知って興味を覚え、1~2年前、なかにし礼の本を何冊か読んだが、読んだ範囲ではそのことに言及した記述はなかった。ただ一つ関係しそうなことは、生まれ故郷の中国旧満州を背景にした小説「赤い月」(2001年5月新潮社発行)の主人公一家の姓が「森田」であったことだけ。やはり姪の芸名を意識したのだろうか。

1938年なかにし礼(中西禮三)は中国黒龍江省牡丹江市で生まれ、中西一家は、父政太郎、母よき、兄正一、姉宏子、弟禮三の五人家族となった。1934年中西一家四人は小樽から満州に渡り、牡丹江で造り酒屋を始めていた(「翔べ! わが想いよ」参照)。

小説「赤い月」は、父母が中国満州で創業した森田酒造を中心にして展開する。酒造経営は軌道にのって順調に業績を伸ばし、経営者の父は当時満州でも指折りの成功者となり、一家は裕福であった。しかし、それも1945年8月ソ連軍の満州侵攻で終焉し、今度は、母子の壮絶な逃避行が始まる。避難先のハルピンで母は生活のため大福餅をつくり路上で売ったりもした。父は栄養失調で死んだ。つい数ヶ月前までは想像もできなかったことである。そんな子供の時の体験に基づく激動の時代を背景とした物語であるが、どこまでが実際に経験したことでどこから物語としての創作であるか分からないほど両者がとけ合って読み応えのある長編小説となっている。作詞家なかにし礼は、ヒット曲をたくさんつくり、戦後の歌謡曲全盛時代を築いた立役者といってよさそうであるが、作家という別の才能を感じさせる。

(以下、若干のネタバレがあるので、ご注意!)

「跳べ! わが想いよ」(新潮文庫)カバー 「兄弟」(文藝春秋)」カバー なかにし礼が兄との壮絶な確執を描き話題となった小説「兄弟」(初出「オール讀物」1997年6-8、10-12月号)に兄の次女(姉、本人、弟の3人兄弟)として「美以子」が出てくるが、これが森田童子。今回の「血の歌」では「美納子」となっている。

「血の歌」では、誕生は、青森、1953年1月15日夜9時、厳寒の日。礼三が吹雪の中助産婦さんを迎えに行っている間に生まれた。「兄弟」(第4章)には、戦後の一時期、礼三(なかにし礼)が母や姉と青森市に住んでいた頃、米軍三沢基地に勤務する通訳という設定で兄が登場するが、このとき誕生した。しかし、「兄弟」にはこれと矛盾する記述があることに驚いてしまう。「第5章 大井町」の冒頭すぐに、「上京してすぐに生まれた美以子はまだ三歳・・・、」とある。青森か東京か、どちらが本当の出生地なのか。同章のその後に、昭和28年(1953)10月に兄は私たちを引き連れて青森から東京に出てきた、とあるが、「血の歌」のとおりであれば、このとき生後9ヶ月の赤ちゃんであった。「兄弟」のとおりであれば、1954年生まれになる。いずれが正しいのかにわかにはわからないが、兄の次女について「兄弟」は「血の歌」と違うように意図的に書かれたような気もするが、たんなる思い違いかもしれない。

「血の歌」は、兄が実名で登場し一人称で語り、その次女「美納子」との関わり合いについてかなり書かれてあることから、なかにし礼の「美納子」に対する関心の深さが見て取れる。これに対し、「兄弟」は兄との関係・確執が主題で「美以子」の記述はきわめて少ない。誕生について「血の歌」はかなりリアルに描いており、これが本当であろうと思ってしまう。

中西一家は青森から東京に出てきて大井町に住んだが、「血の歌」に、その頃5歳の美納子が父と一緒に夏祭りに出かけたときに起きた、ちょっと悲惨な出来事が描かれている。父はそのせいで美納子の声が変わったなどと回想する。

「兄弟」(第6章)によれば、なかにし礼が浅草にいた頃、兄の家族5人と母が住んでいた田無の家に行くと、12歳の美以子など3人兄弟は「兄ちゃん」と呼んで実の兄のように慕った。なかにし礼は兄と14歳も違い、兄の子供たちにとってはまさしく兄のような存在であったのであろう。

なかにし礼がヒット曲を連発し収入も増えたことから30歳のとき(1968年)、中野区江原町に大きな家を新築し、兄の家族5人、母、弟子4人と一緒に住むようになった。この頃のことであるが、「血の歌」に美納子(15歳)とは気が合い、歌を書くことについて自分なりの秘密を話して聞かせたとある。歌をつくることについてなかにし礼からの影響があったかもしれないと想像させる場面である。

中野時代は短かったが平穏な暮らしで、美納子はギターをおぼえ、ピアノも弾けるようになっていた。兄はアコーディオンの名手で、音楽的才能があったようでそんな父の血を受け継いだのか。

この後、「兄弟」(第7章)によれば、兄の会社が倒産し、個人にとっては莫大な負債をなかにし礼が肩代わりしたなどのことがあって、兄一家は1971年10月に母を連れて中野の家を出て、逗子の久木の高台にある借家に移った。森田童子は18歳、一緒に移らなかったらしく、今回の「血の歌」には、父が引き起こした家庭崩壊の混乱の中で、家を出て恋人と同棲を始めたとある。相手や住居は不明だが、後に結婚することになる人(前田亜土)で、中央線沿線と想像される。この前後、これまでいわれてきた高校中退や友の死などがあったのであろう。

さらに兄一家は1973年10月に鎌倉の今泉に移った。「兄弟」(第8章)によれば、この家で1977年9月、中西兄弟の母が亡くなったが、子供たち3人(中西兄弟)とその家族全員がその死を看取り、火葬のとき、兄夫婦と3人の子供たち、姉夫婦、・・・全部で20人ばかりで骨拾いをした。森田童子も祖母の死に立ち合い、葬式に出ている。

「血の歌」には森田童子のデビューのときの話も出てくるが、なかにし礼や女性音楽プロデューサーも深く関わっていて、芸名も語っている。昭和49年(1974)の秋の終わり頃のこと。その次の年にデビューし、西荻のロフトとされているが、そのときのことをロフトオーナー(平野悠)が伝える雰囲気とはかなり違っている(週刊朝日記事)。ここからは想像であるが、恋人である前田亜土が森田童子となかにし礼や女性プロデューサーとの間に立って、いろいろと調整していたのではないだろうか。その初期が上記のデビュー話ではないのか。森田童子は、メジャーなデビューなど望まず、コンサートに集まってくれる観客の前で思いを込めて歌えるシチュエーションがあれば満足であったのではないか。そう考えないと、全国各地でミニコンサートを開いたことなどを理解できない。

前田亜土は、恋人で、マネージャーであったが、やはり森田童子の望みや好みを無視できず、ほぼその望み通りになるよう音楽活動をサポートしたのであろう。

森田童子は1983年12月に引退したが、1993年1月、「ぼくたちの失敗」(1976年発売)がテレビドラマ「高校教師」の主題歌に採用され、そのシングルCDが100万枚に迫る大ヒットとなった。このことに関連する記述が「血の歌」にある。

「血の歌」は1995年に、1997年執筆の「兄弟」の習作として書かれたとあるが(巻末の説明)、その間の1996年に兄正一が亡くなっている。「兄弟」(第8章末)に、兄は1年の闘病生活のすえ死んだとあることから、想像するに、そんなことに誘発されて「血の歌」を書いたが、まだ習作の段階であった。そして、兄の死後、ようやく本格的に「兄弟」の執筆に取りかかった。

「血の歌」の巻末の子息の説明に、なぜ父がこの作品だけをすぐに見つかるようなところに置いていたのかをこれからその意味を考えていきたいとある。2018年4月に森田童子が亡くなったことと関係するような気がするが、どうなのであろうか。私的には、他にも解明を期待したいことがある。たとえば、上記の誕生のことや引退後に大ヒットした姪の曲を想起させるような作詞を載せていることの意味など。

今回の「血の歌」の発表に続いて、新たな資料や情報が明らかになることを期待したい。

参考文献
 なかにし礼「血の歌」(毎日新聞出版)
 なかにし礼オフィシャルサイト
 なかにし礼「赤い月(上)(下)」(岩波現代文庫)
 なかにし礼「翔べ! わが想いよ」(新潮文庫)
 なかにし礼「兄弟」(文藝春秋)平成11年3月10日第21刷
 「週刊朝日」2018年6月29日号

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