東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

善福寺川6月(2016)

2016年06月25日 | 写真

善福寺川6月(2016) 善福寺川6月(2016) 善福寺川6月(2016) 善福寺川6月(2016) 善福寺川6月(2016) 善福寺川6月(2016)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜桃忌(2016)

2016年06月20日 | 文学散歩

三鷹駅南口 本町通り 本町通りわきの畑




6月19日(日)は桜桃忌というので、三鷹駅で下車し、駅前で昼食をとってから、禅林寺に行った。この日に太宰の墓を掃苔するのははじめてである。

前日は梅雨の季節というのにかなり暑かったが、この日は曇りでさほどでもなく助かった。

駅前南口から左手に玉川上水の樹木を見ながら歩き、すぐ右折し本町通りに入る(現代地図)。南へまっすぐに延びる道を歩き、千草跡の金属板や野川家跡の説明パネルなど見ながら進むと、まもなく、左手に太宰治文学サロンが見えてくる(以前の記事)。

さらに歩き、途中、前方を見ると、まっすぐな道がわずかであるが上下し、縦にうねっているのがわかる。かなり進むと、通りの両側に畑が広がっている。太宰が生きていた頃はもっと広かったのであろう。 

禅林寺 太宰治の墓 東京人増刊(太宰治特集)表紙




連雀通りに出て右折し、ちょっと歩くと、禅林寺前の交通標識がある(現代地図)。ここを右折し、進むと、禅林寺の山門が見えてくる。山門から入って森鴎外の遺言碑(以前の記事)のあたりに咲く紫陽花が梅雨の季節であることを感じさせる。

たくさんの人が来て行列をなしているのだろうかと、左の方から墓地に入り、小路の先を見ると、人がかたまっているがさほどでもなく、ちょっと拍子抜けした。それでも老若男女が来ており、いまでも幅広いファンがいることがわかる。お参りをしてまもなく引き返した。

次に、三鷹駅近くにある、太宰がよく通ったといううなぎ若松屋跡を訪ねた。ここで吉本隆明が太宰に会っているが、その内容は東京人12月増刊(2008)に詳しい(以前の記事)。

駅前から線路西側に歩き、太宰がよく行ったという跨線橋に向かう(以前の記事)。ここは、三鷹に太宰散歩に来たときの最終を飾る定番の地になっている。

若松屋跡 若松屋跡標識 三鷹駅西跨線橋




二十代のころ失恋や仕事などの悩みがいずれも解決不能なようにのしかかってきたことがあった。いまふり返ると多かれ少なかれ誰にでもあるという程度の意味しかないことだけど、実時間ではどうしてもなにかに救い(心の支え)を求めてしまう。それが吉本隆明と太宰治とそのころちょっと流行ったいくつかの歌だった。

太宰は一時期貪るように読み耽る一方、山崎ハコ・中島みゆき・森田童子などの歌声が心にしみた。どれもどちらかといえば明るい世界ではないが、太宰が「右大臣実朝」で実朝にいわせた「平家ハ、アカルイ。」「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」を信じて暗い孤独の中に沈んでいた。

当時、一回だけであるが、太宰治の研究会みたいな集まりに出かけたことがあった。かなり記憶が薄れているが、いまのようにインターネットがあるわけではなく、新聞や雑誌などの案内を見たのであろう。出席者の多くは私などよりもかなり年配の人たちであった。わずかであるが宗教的な雰囲気がし、ちょっとなじめなかったようなかすかな記憶がある。太宰を好む人はそういった傾向に陥り易いのかもしれない。思い入れが前面にでてしまうから。それでもいまならばどう感じただろうかとちょっと懐かしい。

同じころ、山崎ハコのコンサートに出かけたことがあった。たぶん、新宿厚生年金会館ホール。かなり離れた二階の席だったように記憶するが、声量のある歌唱をたんのうした。

吉本の太宰好きは当時から知っていたが、後年、中島みゆきファンとも知って、ちょっとうれしく、両者の感性があうのだろうとかってに肯いた。

参考文献
東京人「三鷹に生きた太宰治」12月増刊2008 no.262(都市出版)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治神宮花菖蒲(2016)

2016年06月12日 | 写真

明治神宮花菖蒲(2016) 明治神宮花菖蒲(2016) 明治神宮花菖蒲(2016) 明治神宮花菖蒲(2016) 明治神宮花菖蒲(2016) 明治神宮花菖蒲(2016) 明治神宮花菖蒲(2016) 明治神宮花菖蒲(2016) 明治神宮花菖蒲(2016) 明治神宮花菖蒲(2016)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妙法寺6月(2016)

2016年06月04日 | 写真

妙法寺6月(2016) 妙法寺6月(2016) 妙法寺6月(2016) 妙法寺6月(2016) 妙法寺6月(2016) 妙法寺6月(2016)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤天彦新名人誕生(2016年第74期将棋名人戦)

2016年06月02日 | 将棋

第74期将棋名人戦七番勝負第5局(2016年5月30,31日)で挑戦者の佐藤天彦八段が羽生善治名人に勝ち、通算4勝1敗となって、新名人となった。

今期のA級順位戦では二十代の若手佐藤天彦八段が8勝1敗のぶっちぎりで名人挑戦を決めた。A級に昇ったばかりの勢いでそのまま突っ走った感じであった。

全局をネット中継で観戦したが、羽生先勝後の第二局がとくに印象に残った。先手佐藤が早囲い矢倉であるが、7八玉のまま6八金と囲い、天野矢倉にした。幕末の棋聖といわれる天野宗歩が用いたからという。通常の金矢倉よりも一手早く囲うことができる。

佐藤の攻めで終盤戦が続くが、▲8八玉のような早逃げの手や、羽生の強い受けの手などがでて、へぼ将棋ファンにはどうなっているのかさっぱりわからないが、形勢不明の熱戦であることは伝わってくる。羽生がようやく攻めに転じた後、佐藤が▲2四飛と後手王に詰めろをかけたとき、解説によれば、先手王に詰みが生じたのだという。だが1分将棋の中、それに気がつかなかった。そのときの羽生の心理状態に大いに関心をそそられる。途中の△6八馬が妙手だったらしいが、それに気がついていなくとも詰ましにいけば、などと思ってしまう。

第二局は七番勝負では大事な一番とされるが(プロ野球日本シリーズのとき元巨人軍川上哲治監督も同じことをいっていたような憶えがある)、今期の名人戦はまさにこれで、挑戦者は二連敗を免れ、1勝1敗のタイにもどすことができ、これから怒濤の三連勝で、名人位についた。

佐藤天彦新名人は、後手番の横歩取りを得意とすることが特徴の一つらしいが、これはへぼ将棋ファンには難しくてよくわからない。新名人のことで憶えているのが、瀬川晶司五段がプロになるときの特別の試験で何局か対局をしたが、そのときの対局者の一人で、まだ奨励会三段だったが、勝ったことである。ずいぶん自信たっぷりだったことに驚いたものである。

今期の名人戦は、羽生世代同士の対決ではなく、若き挑戦者ということで、ちょっと名人戦に興味を失いかけていた私も大いに関心をもった。羽生から名人位を奪取したのが羽生世代ではなく、二十代ということで、とくに若い棋士にかなりの刺激を与えたと思われ、今期の順位戦がどうなるかいまから楽しみである。また、永瀬拓矢六段が羽生棋聖に挑戦する棋聖戦がすぐにはじまる(6月3日)が、これもどうなるか興味がつきない。

羽生が52期(1994)で新名人になってからの名人戦7番勝負の結果は次のとおり(将棋連盟HP)。

52 1994 羽生善治 4-2 米長邦雄
53 1995 羽生善治 4-1 森下 卓
54 1996 羽生善治 4-1 森内俊之
55 1997 谷川浩司 4-2 羽生善治
56 1998 佐藤康光 4-3 谷川浩司
57 1999 佐藤康光 4-3 谷川浩司
58 2000 丸山忠久 4-3 佐藤康光
59 2001 丸山忠久 4-3 谷川浩司
60 2002 森内俊之 4-0 丸山忠久
61 2003 羽生善治 4-0 森内俊之
62 2004 森内俊之 4-2 羽生善治
63 2005 森内俊之 4-3 羽生善治
64 2006 森内俊之 4-2 谷川浩司
65 2007 森内俊之 4-3 郷田真隆
66 2008 羽生善治 4-2 森内俊之
67 2009 羽生善治 4-3 郷田真隆
68 2010 羽生善治 4-0 三浦弘行
69 2011 森内俊之 4-3 羽生善治
70 2012 森内俊之 4-2 羽生善治
71 2013 森内俊之 4-1 羽生善治
72 2014 羽生善治 4-0 森内俊之
73 2015 羽生善治 4-1 行方尚史
74 2016 佐藤天彦 4-1 羽生善治

次期(75期)のA級順位戦で誰が名人挑戦者になるのか、ちょっと気が早いが、羽生や森内等がふたたび名人戦の舞台に立つのか、それとも、若い渡辺や広瀬や稲葉新八段等が初挑戦者となるのか、いまから楽しみである。そして、次期以降、佐藤新名人またはその同世代が名人をこのまま保持するのか、それとも、羽生世代が巻き返すのか、興味深い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする