東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

善福寺川2月(2018)

2018年02月27日 | 写真

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大黒屋(京成線八幡駅近く)

2018年02月26日 | 荷風

先日、市川市文学ミュージアムで開催された永井荷風展に出かけたとき、京成線八幡駅近くの大黒屋という食堂に寄ってみようと思った。ここは、荷風が最晩年に食事によく来たところで、それにあやかってか、メニューに荷風セットというのがあった。以前にそれを食したことがあったが、今回も、そこで昼食にしようと思い立ったのである。

荷風の日記「断腸亭日乗」を見ると、昭和33年(1958)7月23日に次の記述がある。

「七月廿三日。風雨歇まず。小林来話。正午近く風雨も静になりたれば駅近くの大黒屋に飰す。」

荷風は、前年(1957)三月に京成線八幡駅近くの新居に移転し、大黒屋はすぐ近くであるため、よく訪れたようで、昭和33年、34年の日乗にもかなり登場する。なにを食したかは記していないが、たとえば、昭和33年(1958)「十月二日。隂。正午浅草。大黒屋晩酌。」とあるように、荷風は、この頃、夕飯のとき、少しだが酒を飲むようになっていた。

大黒屋跡 大黒屋跡 大黒屋跡 大黒屋跡 大黒屋跡




ところが、今回、出かける前にネットで検索をすると、大黒屋は昨年に閉店したとの情報に接した。それを確かめようと、当日、地下鉄新宿線の本八幡駅から京成線方面に向かった。駅出口から出るとまもなく京成線の踏切で、超えて右折すると、すぐに大黒屋の建物があるが、四枚目の写真のように、やはり、昨年(2017)7月に閉店した。一、二枚目のように、「大人の学び舎 大黒屋」というのに変わっていた。学習塾らしい。

三、五枚目は、大黒屋を入れて八幡駅、京成線方面を撮ったものであるが、それは、看板がまだ残っていてももはや荷風の通った食堂の大黒屋ではない。荷風にちなむ風景がまた一つ失われた思いである。こうして想い出の場所が次第に姿を消していく。これも時の流れなのであろうか。

大黒屋の荷風セット 大黒屋 大黒屋 大黒屋近くの踏切 大黒屋




荷風は、昭和34年(1959)4月30日の朝自宅で亡くなっている。その前日の日乗は「四月廿九日。祭日。隂。」と簡単に終わっているが、ここで食事をした。カツ丼に上新香と菊正一合を頼むのが常であったが、この日も午前11時ごろ、大黒屋に赴き、一級酒一本とカツ丼をきれいに平げて帰宅した(秋庭太郎)。これが荷風最後の食事・飲酒であったかもしれない。

一枚目の写真は、十年ほど前、大黒屋で食べた荷風セットである。カツ丼と酒一本にお新香と味噌汁がついていた。カツ丼と酒一本の組み合わせは、ちょっとユニークであるが、荷風がよく注文したのを店がよく覚えていたからできたメニューであろう。荷風最晩年の好みであった。大黒屋の閉店に伴い、これを再現したメニューも消滅した。

二、三枚目の写真は、そのときに撮った店のショーウインドー、四枚目は近くの京成線の踏切、五枚目は、二枚目にも写っている荷風が通っていた頃の大黒屋である。

参考文献
「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
秋庭太郎「考証 永井荷風」(岩波書店)

コメント (3)
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永井荷風展(市川市 2018)

2018年02月19日 | 荷風

荷風展チラシ(表) 荷風展チラシ(裏) 市川市文学ミュージアムで開かれていた永井荷風展に行った(一、二枚目の画像は、そのチラシの表・裏)。

知ったのは昨年(2017)の東京人12月号に載っていた広告からだが、このところの寒さにかまけて延び延びになっていた。昨年秋から開催されていたが終わり近くになってようやく出かけたのである。

「荷風の日記「断腸亭日乗」起筆百年を記念して」、とあるが、たしかに断腸亭日乗は大正六年(1917)9月16日から始まっている。その第一巻のはしがきに次の一文が載っている。

『此断腸亭日記は初大正六年九月十六日より翌七年の春ころまで折々鉛筆もて手帳にかき捨て置きしものなりしがやがて二三月のころより改めて日日欠くことなく筆とらむと思定めし時前年の記を第一巻となしこの罫帋本に写直せしなり以後年と共に巻の数もかさなりて今茲昭和八年の春には十七巻となりぬ
 かぞへ見る日記の巻や古火桶
 五十有五歳 荷風老人書 (荷風印)』

荷風の手帳が展示されていた。そこまでは確かめなかったが、上記のような手帳だったのであろうか。

市川時代の荷風が愛用していた買物カゴも展示されていたが(二枚目にその写真がある)、戦後の物不足と、見かけはもう余り気にしなくなった荷風の心情がしのばれる一品である。

荷風展は、たしか十年ほど前に世田谷文学館で開かれたと思うが、それ以来の企画のような気がする(記憶に誤りがなければ)。こういった展示会では、様々なものが展示されるため、あまり記憶に残らないが、そのときは、昭和11年(1936)一月三十日の断腸亭日乗の該当部分が開かれて展示されていたのが記憶に残っている。過去に関係のあった女性を列挙した有名な箇所である。

今回のサブタイトルが「荷風の見つめた女性たち」であるが、その女性たちの多くはそこに記載されている。中でも断腸亭日乗にもっともよく登場し、荷風のこころを捉えたのは、関根歌であろう。

戦後、荷風は、市川に住み、随筆「葛飾土産」などからわかるように、散策好きをここでも発揮し、あちこち歩いている。市川での住居は四箇所にわたっているが、京成線八幡駅近くが終焉の住まいである。

参考文献
「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
「荷風随筆集(上)」(岩波文庫)
「東京人 特集 永井荷風」⑫december 2017 no.390(都市出版)

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