Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

天津10

2013-04-11 09:37:24 | Weblog

天津10         2002-12-16

昨日、天津市へ行ってきました。私には
寒い日で,空は曇っていました。歩いて
15分の開発区中心からマイクロバスが出
ています。始発と終発が決まった時刻に
発車する以外は、客が貯まると出て行く
ような感じです。会社の台湾の人達は、
taxiで行った方が良いよと言ってくれま
したが、時間潰しに行く訳ですから、い
くら長くかかろうと構いません。バスな
らいろいろな所を見れますから。

1時間半かかって途中あちこちに止まっ
て、満席(但し立ち客はいません、補助
席も全部使って座る)で走ります。天津
駅に近づくと、ぽろぽろ降りはじめて、
駅で大半が降ります。バスはその先の広
場まで行って終点です。これで5元(日
本円で75)です。私はtaxiを拾って海光
寺へ。日本の知人から頼まれた、その人
が生まれた家を探しに行きました。その
寺が基点で、昔の日本人租界の跡を訪ね
たのです。

結果的に、私は大きな間違いをしてしま
い、全然違う場所を彷徨い歩いていまし
た。間違いの基は、戦前の地図では両側
に水路がある細い道が、今は水路を潰し
て大きな道になっており、それを戦前の
地図にある、太い道と信じ込んで歩き出
しましたので、完全に1ブロック隣りを
探していたのです。おまけに、そのあた
りは再開発されて巨大ビルと昔のレンガ
作りの今にも崩れ落ちそうな建物が混在
して、どっちもが日本人租界のあったこ
とを否定しているかのように思えました。

午後から冷え込んできて、雪も降ってき
ました。道端で、お好み焼きをホット
ケーキ状にして売っていました。それを
買い(1元)歩きながら食べました。
もうこれまでと、諦めて、taxiを拾い、
駅に行きました。

駅は人で溢れており、私が帰る方向の汽
車は、1時間以上も後です。切符を買お
うにも、どの窓口に並べば良いのか判り
ません。私はスプリングバインダーの
メモ帳に、自分の乗りたい列車の番号、
行き先、発車時刻、プラットホームNo.
を大きめに書いて、並んでる人に見せて、
ここか?と身振りで訪ねます。片っ端
から(それ程切符売り場が並んでいます)
聞いて行くうちに取っ組み合いの喧嘩を
している所に遭遇しました。切符を買う
列の奪い合いの喧嘩なので、皆がそっち
に気を取られ、列が開いたすきに、メモ
を切符窓口の駅員に見せると上に行けと
教えてくれました。

上に行くと商店街があり、いろいろ売っ
ています。時刻表や地図・雑誌の売り場
で、天津の詳細地図を買い、インスタン
トラーメンとオレンジを買い、自分が乗
るプラットホームの階段の所に行くと、
駅員が切符を売っていました。ローカル
電車ですから、これで良いんですね。

会社の人から、汽車に乗るのはよせと
言われていましたが、もう大丈夫、次回
もこれにします。

汽車は定刻どんぴしゃに発車して40分
で塘沽駅に到着しました。ここから開発
区までの道はもう大丈夫覚えました。汽
車賃が4.8元、バスの5元と釣り合う。私
が租界探しの間違いに気づいたのは、寮
に帰って、じっくりと、買ってきた地図
と、戦前の地図を、見比べた時でした。
もう一度あそこに行かなくてはいけない。

◆筆者Aruiは、
以前、中国天津に駐在しました。
2002年12月から2006年1月まで3年
2か月、64歳から67歳まででした。
その時の日記を挿入します◆