ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

藤圭子さん

2013-08-22 22:52:16 | Weblog
藤圭子さんが亡くなった。

昔、彼女の歌を聞いた時には、衝撃的だった。

まるで、日本人形のような綺麗な人が、表情一つ変えないで、ジッと一点を見つめ人生を詠う。

今、ユーチューブで彼女の「夢は夜ひらく」を繰り返しを聞いた。

一人、静かに聞いていると、歌詞が胸に沁み入り、胸が一杯になり涙がこぼれた。

夫と姉が亡くなってから、涙もろくなり、直ぐに涙が溢れる。

夫の月命日頃、お花を持って、彼の眠るお寺さんに行く事にしている。

丁度、明日、行こうと思っていた。

彼に、藤圭子さんの悲報を告げて、私達の人生の思い出を語ろうと思う。

夫が亡くなって、2年と3ヵ月。

毎月、夫に会いに行っているが、まだまだ、心穏やかに話しが出来ない。

年を取らなくなった夫の遺影を見つめていると、彼が亡くなったなんて、どうしても信じられなくて、しばらくはタオルに顔を埋めている。

手の届かない所に、声の聞こえない所に行ってしまったのが、信じられない。

私も娘達にも、それでも、彼を看病した時間があったが、こんな形でお母さんを亡くされた娘さんの宇多田ヒカルさんを想うと胸が痛い。

藤圭子さんのご冥福を祈ります。そして、宇多田ヒカルさんのご健康を。








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はだしのゲン

2013-08-22 19:44:23 | Weblog
「はだしのゲン」 が最近、話題になっている。

「はだしのゲン」 は、子供達が、たぶん小学生だったと思うが、学校の図書館で借りて来た。下の娘は 「怖い」 と言いながらも読んでいた。

私も読み、一緒に話し合った思い出がある。

夫の転勤で、下の子が2才から4年生まで、上の子が年長さんから6年生まで、大阪の高槻市に住んでいた。

住んだ所が、ちょっと特殊な地域柄で、小学校の1クラスの人数が30人で、担任の先生が2人いた。

そして、平和教育・平等教育に力を入れていた。ちょっと行きすぎでは、と思う事もあった。

でも、家では、考えが片寄らないように、又、東京に帰る事も考えて、夫と子供達といろいろな話をたくさんしていた。

子供達が大きくなって、「あそこは、ちょっと特殊だったね」 と話した事がある。

娘が1年生だったか忘れたが、学校からの連絡で、近くのコミュニティーセンターで広島原爆の記録映画を上映するから、親と一緒に見るようにと。

娘と一緒に見に行った。

映画が始まって、娘が、「怖い、帰る」 と、それこそ、あっと言う間に逃げ帰って行った。

もう、30年くらい前になるから、内容はほとんど忘れてしまったけど、確かに、子供には刺激的な内容だったと思う。それは、マンガ以上だったと思う。

今でも、その話をすると娘は、「だって、本当に怖かったんだもん」 と笑う。

どんなふうに娘をフォローしたか忘れたが、それが心に影響したとは思わない。

「はだしのゲン」 だって、小学生でも親と一緒に読んで話し合ってほしいな、と思う。

この間も、電車に乗る時に、小学生の二人の女の子と、まだ、幼稚園の男の子の3人を連れたお母さんと一緒だった。

ホームで電車を待っている時、お母さんは、ずっとスマホを見ている。電車に乗る時も乗ってからもずっとスマホから目を離さない。

男の子が 「ママ、ママ、」 と言っても、ちょこっと話して直ぐにスマホ。

男の子も、2人のお姉ちゃんも、つまらなそうに椅子に座ってボーっと電車に揺られていた。

携帯もスマホもパソコンもファミコンもコンビニもファミレスも何にも無かった子育ての頃、今から考えると、毎日が本当にシンプルだったな、と思う。

文明の進歩は、親と子供の関係を幸せにしたのだろうか。



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