ふみさんの日々雑感

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FC東京のACLは終わった Ⅱ

2012-06-01 16:04:11 | FC東京とサッカー
いよいよ、スタジアムに行く時間が来た。

FC東京と分かる物を身に付けてはいけないと言われたので、バックに入れてバスに乗り出発。

途中、2ヶ所のホテルでサポーターを拾い、全員の集合場所のホテルに向かう。

広州は車社会で駐車場があまり無いそうで、それぞれのホテルでもバスの止める場所で、運転手は怒鳴り合っていた。お互いに強引に突っ込みあっていた。人も大通りを平気で渡り、中央分離帯のフェンスを乗り越えて行く。

確かに、信号はあまり無いし、向こうに早く渡るにはそうするしかない。市は、歩道橋を作る事にしたと、ガイドさんが言っていた。

全員の集合場所のホテルは、私達のホテルとは格段の差。本当に高級ホテル。そこでも、バスをどこに止めるかで怒鳴り合っていた。確かに、何台ものバスを止める場所が無い。道路沿いに止まっていたら、中国人が勘違いして乗って来ようとして、バスの運転手に怒鳴られていた。

いよいよ、出発。

北京では、スタジアムに軍隊や公安の人が沢山いた。彼らに囲まれて一台ごとに下ろされて、荷物検査とボディチェックをされて中に入って行った。

でも、広州は、北京と比べて拍子抜けするくらいに警備は緩い。

反日感情が一番強い所だと言われ、東京オフィシャルでの注意事項は北京以上だった。

確かに、徹底した荷物検査、金属探知機、一人一人の身体をチェック。そして、指定されたエリアにいるだけなのは北京と一緒だが、北京と違って、緩衝地帯に軍隊さんが一列に座っていない。

広州は、飲み物だけの販売。食べるものは一切無し。ウロウロ出来ないので、配られたフーセンをふくらましたりして時間を潰す。



そのうちに、広州恒大のサポーターが入って来て応援歌を歌い始める。ほんの一握りの人達で。

日本と違い、出足が遅い。本当に満員になるのかしらと思うくらいに。

選手達がアップの為に入って来たが、私達の前では無く、向こうの方。選手が私達に挨拶しても、センターラインでは遠すぎる。これも、アウェイの洗礼か。もう、ここから戦いが始まっているのか。

目の前で練習している広州恒大の選手達を見ていたが、意外とシュート練習で、シュートが決まらない。

私達の選手達は、向こうでブーイングを受けている。気持的に負けないで欲しいと思った。

試合が始まる頃には、スタジアムは赤く染まっていた。まるで、浦和戦のように。

試合中の応援は凄かったけど、私達には、浦和ほどの圧力は感じなかった。帰ってから、その応援の凄さを知ったが、現地の私達は、「浦和の応援の方が凄いよね」 と話していた。こっちも夢中に応援していたから、あまり気にならなかったのか。

ただ、私達はメイン側に近かったので、彼らの応援が凄かった。時々、こっちに全員が向いて一緒に拳を振り上げて何かを歌っている。Jリーグでは、メインの人達は、大人しく見ているだけだけど。

予想通り、広州恒大は強かった。

本当に強かった時の川崎のようなチームと聞いていたが、本当にそうだった。何とか無失点で前半を終わって欲しかった。

でも、1失点。何とか、追いついてくれるだろうと、私達は悲観はしていなかった。失点した時にも、そんなには落ち込まなかった。

ハーフタイムに、アサヒくんが言った。「柏が負けたから、残っているのは東京だけ。後押しする為に、もっともっと声を出そう。それから、選手達がミスっても、絶対に、アーとかワーとかは言わない。それよりも、選手達に届くように、もっと強く応援しょう」 と言った。

後で、私達の中国人の女性のガイドさんが言った。彼女も私達と一緒の所で応援してくれていた。

「後半の、FC東京のサポーターの応援は凄かったですね。感動しました」 と。

私も、こんなに、必死に声を出し、応援したのは久しぶりだった。蒸し暑くて、流れる汗を拭きながら。喉は痛いし、乾くし、飲み水が無い。でも、そんな事は気にならない。一点取って、ゴールして、と祈りながら声を出した。

最期の方で、何度か足をつっている徳永を見るのは初めてだった。這うように必死に立ち上がる徳っくんに胸が一杯になった。ちょっとビッコをひくように試合に戻る徳っくんをボールを持つヒデトがチラッと見て、別方向にパスをした。

この蒸し暑さと、強力な赤い声の中、必死に、まず同点へと走る選手達、そして、選手達に届けと、必死に声を振り絞る私達。

シュートが枠外にそれるたびに、「アーー」 と言いたくはなるが、私達は、最期まで選手達と一緒に戦った。

無情の笛は聞こえなかったが、ガックリと座り込む選手達、うずくまって拳をピッチに打ち付けて泣くゴンちゃんに、負けた事は残念だが、たとえようもない感動を覚えた。

隣で、東京の家に電話している友達は、溢れる涙をタオルで押さえていた。私も鼻の奥がツーンとしてくる。

挨拶に来た選手達に、マフラーを掲げ、ユルネバを歌う。終わってしまったけど、楽しかったと、ありがとうと。

勝った喜びをサポーター達と分かち合っていた広州恒大の選手達がやっと、ピッチを去る。私達も彼らに拍手で激闘を労った。そして、勝ち進んでねと。

気が抜けたように椅子に座り、誰もいなくなったピッチを見つめる。



ああ~、終わったんだな。でも、何かやり切った後のような、全てを出し切ったようなスッキリした気持だった。

皆で、又、此処に来たいねと話し合う。来年もACLで戦いたい、と誰もがそう思った。それほど、アウェイのACLは楽しく魅力的な冒険だった。

やっと帰る事になり、スタンドから下のコンコースに降りたら、広州恒大のサポーターがコンコースの柵の向こうにいてユニフォームを交換してと群がっている。

ユニフォームはダメだけど、マフラーならと、交換していた。友達も、マフラーと交換した。「家へのお土産。汗でグチョグチョのマフラーだったけどね。」 

外に出ても、彼らは私達のACLレプリカユニと交換したがっていた。モチロン、それは誰も応じない。やっと手に入れた高価な物だもの。

しかし、この友好的な雰囲気は何?聞いていたのと全然違う。モチロン、彼らが勝ったからかもしれないが。

バスが出る時だって、彼らはマフラーを掲げて手を振ってくれた。沿道の彼らも私達のバスだと気が付くと、足を止め手を振ってくれた。私も、大きく手を振る。

帰りのバスの中で、中国人のガイドさんに、聞いていたのと全然違うと話したら、ガイドさんは柏の時にもガイドしたそうで、裏話しを聞かせてくれた。

私達が聞いていた以上に柏サポーターにはトラブルがあったそうだ。詳しくは書かないが、理由を聞いて、それはしょうが無いと思った。

日本では、サポーターは少しぐらいの我がままやヤンチャは通るが、国が違えばルールも違う。やっぱり、その国のルールには従わないといけないと思う。たとえ、理不尽と思ったとしても。

北京で経験していたから、柏の事も聞いていたので、北京よりも大変かもと覚悟をしていたが、ハッキリいって拍子抜けした。

でも、話を聞いてみると、それなりに事前準備が大変だったそうだ。柏の事もあったので、話し合いを何度も重ねたそうだ。

もっとも、東京のゴール裏の人達は、日本代表の応援に世界中を駆け回り、いろんな国で大変な経験をしているから、守るべき事は守るといる事を心得ている。私達未経験者は、言われた事を守って行動する。だから、今回は何事も無くスムーズに行ったのだろう。

ガイドさんが言っていた。「私達も、旅行会社も、柏とFC東京との経験は、本当に勉強になりました。今後に生かして行きます。」 と。

FC東京にとっても、私達にとっても本当にいい経験だった。そして、それは一回きりではなく、何回も何回も経験したい。本当に楽しかったから。

お弁当が出たので、又、私達の部屋に集まって、お疲れ様会をした。

帰りの飛行機を降り、入国手続き向かって歩いている時、前を歩くサポーターの集団が話すのが聞こえた。

「俺達、普段は倹約して貧乏だけど、考えてみれば、一番、裕福なのかもしれないな」 と。

本当にそう思う。たった2時間の為に、お金と時間を使って、勤め人は会社に頭を下げて、もしかしたら出世も諦めて、至福の2時間を一生懸命に楽しむ。

何と贅沢な!!

私もあなた達も、心はお金持ちです。これからも、頑張って太鼓を叩いて、私達を引っぱって行ってね。

本当に、ACLは終わってしまった。本当に、楽しかった。

又、来年もアジアへ、そして、世界に行こう!!



<余談>
広州は北京とは違い本当に緑が多くて綺麗な町だった。沿道には花壇が並び、花が咲き乱れていた。綺麗なビルが一杯、立っていた。



古いアパートは9階まではエレベータは無いという事だ。そのせいか、9階までのアパートが多い。モチロン、最近のアパートは、エレベーターが完備しているそうだ。



400元のチケット



自慢の広州タワーをバスの中からパチリ。



友達と一緒に写真を取ろうとしたら、公安の人がニコニコして傍にいる。一緒にどうぞと言ったら、うれしそうに一緒に入った。













コメント (1)
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