「アマンダと僕」を銀座の映画館へ見に行って来た。
幼い姪のアマンダと、アマンダのお母さんの20代の弟のダビッドとの日常。
アマンダを学校へ迎えに行ったり、アパート経営者のお手伝いをしたり、木々の枝を伐採するアルバイトをしたりして生活を送っている。
ダビッドと姉は、ダビッドが幼い時に両親が離婚し、母は母国のイギリスに帰ってしまい、それ以降会っていない。
父に引き取られ成長したが、何年か前にその父も亡くなり、シングルマザーの姉と姪と仲良く暮らしていた(一緒に暮らしてはいないが)。
ある時、公園で姉と待ち合わせ、その公園に自転車で向かうと、公園の風景がいつもと違う。
自転車を置いて歩いて行くと、明るい太陽に照らされて、血だらけの人々があちこちに横たわっている。その傍で泣き叫ぶ人達。遠くから近づくサイレンの音が。
僅かなそのシーンに、何かがあったと想像する。
その後、TVのニュースでテロがあったと知り、ダビッドの行動でお姉さんが亡くなったのだろうと察する。
学校へ迎えに行ったアマンダになかなかお母さんの死を告げられない。
たまにアマンダは涙を流すが、二人の日常はたんたんと続いて行く。
お母さんを思い号泣できないアマンダに胸が痛む。
ダビッドは、アマンダの事で現実を突きつけられる。
アマンダを施設に預けるか、自分が後継人(15歳以上の年齢差があれば後継人になれるという)か、里親に預けるか。
ダビッドにはアマンダを育てていく自信がない。
でも、一緒に生活しているうちに、「おじさんと一緒にいたい」というアマンダと養子縁組して引き取る事にする。
アマンダとお母さんとダビッドと3人で行く予定だったウインブルドンに二人で出かける。
その試合で、一方的に負けている選手を見て、アマンダがポロポロ涙を流す。
ダビッドは抱きしめながら「どうして泣くの?」
「もう、エルビスは部屋を出たんだよ。だから帰ろう」と号泣する。
この時、母親がエルビス・プレスリーが部屋を出た物語を読んでくれた事を思い出し、初めてアマンダは母親の死を認め受け入れたのだろう。
お母さんがアマンダに本を読んであげる時に、なぜ、エルビスが部屋を出た話なのかと思っていた。ちょっと難しいのではと思ったが、そうだったのかと納得する。
号泣するアマンダを抱きしめ、「大丈夫だよ。最後まで試合は見ようね。」と。
試合は、その選手が大逆転して、二人で抱き合って喜ぶシーンで終わる。
泣けないアマンダに涙し、最後の号泣シーンで涙した。
素敵なフランス映画だった。