ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

映画「アマンダと僕」

2019-07-11 10:59:19 | 映画・ドラマ・小説・マンガ

「アマンダと僕」を銀座の映画館へ見に行って来た。

幼い姪のアマンダと、アマンダのお母さんの20代の弟のダビッドとの日常。

アマンダを学校へ迎えに行ったり、アパート経営者のお手伝いをしたり、木々の枝を伐採するアルバイトをしたりして生活を送っている。

ダビッドと姉は、ダビッドが幼い時に両親が離婚し、母は母国のイギリスに帰ってしまい、それ以降会っていない。

父に引き取られ成長したが、何年か前にその父も亡くなり、シングルマザーの姉と姪と仲良く暮らしていた(一緒に暮らしてはいないが)。

ある時、公園で姉と待ち合わせ、その公園に自転車で向かうと、公園の風景がいつもと違う。

自転車を置いて歩いて行くと、明るい太陽に照らされて、血だらけの人々があちこちに横たわっている。その傍で泣き叫ぶ人達。遠くから近づくサイレンの音が。

僅かなそのシーンに、何かがあったと想像する。

その後、TVのニュースでテロがあったと知り、ダビッドの行動でお姉さんが亡くなったのだろうと察する。

学校へ迎えに行ったアマンダになかなかお母さんの死を告げられない。

たまにアマンダは涙を流すが、二人の日常はたんたんと続いて行く。

お母さんを思い号泣できないアマンダに胸が痛む。

ダビッドは、アマンダの事で現実を突きつけられる。

アマンダを施設に預けるか、自分が後継人(15歳以上の年齢差があれば後継人になれるという)か、里親に預けるか。

ダビッドにはアマンダを育てていく自信がない。

でも、一緒に生活しているうちに、「おじさんと一緒にいたい」というアマンダと養子縁組して引き取る事にする。

アマンダとお母さんとダビッドと3人で行く予定だったウインブルドンに二人で出かける。

その試合で、一方的に負けている選手を見て、アマンダがポロポロ涙を流す。

ダビッドは抱きしめながら「どうして泣くの?」

「もう、エルビスは部屋を出たんだよ。だから帰ろう」と号泣する。

この時、母親がエルビス・プレスリーが部屋を出た物語を読んでくれた事を思い出し、初めてアマンダは母親の死を認め受け入れたのだろう。

お母さんがアマンダに本を読んであげる時に、なぜ、エルビスが部屋を出た話なのかと思っていた。ちょっと難しいのではと思ったが、そうだったのかと納得する。

号泣するアマンダを抱きしめ、「大丈夫だよ。最後まで試合は見ようね。」と。

試合は、その選手が大逆転して、二人で抱き合って喜ぶシーンで終わる。

泣けないアマンダに涙し、最後の号泣シーンで涙した。

素敵なフランス映画だった。

 

 

 

 

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映画「バハールの涙」

2019-02-10 11:04:58 | 映画・ドラマ・小説・マンガ

新聞での映画紹介で、「バハールの涙」を読んで観に行きたくなり、友達に声をかけてみた。

彼女も映画が好きで、時には一緒に観に行ったり、お互いに一人で観に行ったり。

映画に対して好みが合う事もあるが、会わない事もある。会う時には、一緒に行く。

今回も、「映画の内容はネットで調べてみて。観たいと思ったら一緒に行こう」と誘った。

彼女も「観たい」と言うので、新宿の映画館に行った。

観てからお昼を食べようか、食べてから観ようか、やっぱり早く行って観てから食事をする事にした。

主人公のバハールは、ある日、突然、村に来たISに男達は全員殺され、子供は捕虜とされ、女たちは性奴隷として連れ去られる。

バハールが女戦士の部隊のリーダーとして戦う合間に、彼女が性奴隷としての過酷な生活とそこから逃げ出した事が時々挟まる。

女たちは、点々と持ち主に売られて行く。その途中に妹は自殺をしてしまう。

ある日、女たちとTVを見ていたら、性奴隷として捕まっている女性に訴えかける女性の姿を目撃する。「どんな事があっても死なないで、絶対に生きて。そして逃げて。携帯を盗んで連絡して。どんな方法でもいいから連絡して、絶対に助けに行くから」と。

そして、バハール達は、たった一回のチャンスを逃さす迎えの車に乗って逃げる。全身を黒の服で覆って。

やっとたどり着いた、30メートルの干渉地帯を自力で歩いて行かなければならない。今にも子供を産みそうな妊婦を連れて。

「もう、生まれる」という妊婦に「生んではダメ。ここで産んだら殺される。ほら、あと20歩だよ。1、2、ほら数えて」

思い出しても胸が詰まるシーンだった。土埃で霞む画面を黒ずくめの二人が抱き合いよろめきながら生きるために歩く姿。

先にたどり着いた女性達と助けに来た人と米軍人達が、「早く早く」と見守る。

引きずられるようにたどり着いた所で、女の子を産み落とす。

女兵士たちが歌う歌詞に、たとえ血を流して死んでも女達は未来を生む、女、自由、平和・・・というような意味で、彼女達は、大声で時々、歌う。女に殺されたら、天国へ行けないと信じるイスラムのISに向かって「女が行くぞ」と。

辛い思いを経験した女たちは、勇敢だ。司令官が、「米軍が空爆してから攻める」と何回も反対するが、「今、攻めた方がいい」と何回も進言し、そして、先頭に立ってトンネルに入って行く。

素手での戦いなら絶対に男が勝つが、訓練を積んで機関銃を持つなら、女だって男には負けない。

誘拐された子供を助けるために戦う女は強い。

そして、女性武装部隊「太陽の女たち」に密着取材している、もう1人の主人公の戦場ジャーナリストの女性。

戦場には沢山のジャーナリストが入っているという。彼等がいなかったら、戦場で何が起きているのか、世界は知らない。真実を知らせる事が大切なんだと。

そして、彼女はバハール達の後に付いて写真を撮りながら戦場に入って行く。

彼女のカメラの中のバハールが美しい。

バハールは自分の息子を助け出し、女性ジャーナリストは負傷して国へ帰って行く。

どうして世界は戦い(憎しみ)に満ちているのだろう。

 

 

 

 

 

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映画「蜘蛛を払う女」

2019-01-29 10:54:11 | 映画・ドラマ・小説・マンガ

「ミレニアム」三部作の続編だと言うので、観に行って来た。

ミレニアム三部作を、TVのミステリーチャンネルで、何年か前に観た。

謎が謎を呼んで、最高に面白かった。

本屋さんに並んだ平積みの本を買って読もうかなと考えた。字幕を読むのとストーリーを追うのが大変で、細かい部分で分からない所があったので。

その後、ミステリーチャンネルで再放送があったので、もう一度、観た。

今度は、ストーリーが分かっているので、じっくりと見る事が出来、もっと面白かった。

私は、海外ドラマが大好きだ。以前は、アメリカ物が好きだったが、今はヨーロッパの、そして北欧のミステリーが最高に面白い。荒涼とした風景に魅力的な刑事たちの極上のミステリー。

そして、ミレニアムの続編。

凄く期待して観に行った。ほどほどに埋まった観客。私のように期待して観に来た人が多いのだろう。

見終わって、はっきり言って私には期待外れだったし、違和感を持った。

俳優が変わったのはしょうがないが、特にミカエル役には、特に違和感を持った。前作の彼には、北欧の地に根付いたどっしりとした風格を私は感じた。

でも、映画のミカエルはアメリカ風な雰囲気だった。

それに、映画そのものがハリウッド的に思える。

ストーリーが、よくある内容で、爆発ありアクションありでハリウッド的で、ええっそれありっと突っ込みたくなった。

前作に比べて、物語にも人物にも深みがない。

単なるアクション映画になってしまったのが、寂しかった。

人間的に複雑で難しい心情を持ち、天才的に頭が良くて超人的なハッカーの魅力的なリスベットが描かれていなかった。

そして、勝負所での、ヘアスタイルと化粧と服装も見たかったなア。

単なるアクション映画になってしまったのが残念。

もう一度、ミレニアム三部作が見たい。

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2回目の、ボヘミアン

2018-12-08 19:43:48 | 映画・ドラマ・小説・マンガ

一回目の友達とは、違う友達と「ボヘミアン・ラプソディー」を観に行って来た。

その彼女は、日本人、外国人とを問わずに結構、ライブに行っている。

XJAPANやエグザイルなら分かるが、外国のミュージシャンは聞いても私には分からない。

観てから昼食にするか、昼食を食べてから観るかと聞いたら、観てから食べるというので、朝早く出た。

この間もそうだったが、平日だったので年配の人が多い。

2回目なので、今度はストーリーを追わなくてもいいので、余裕で観ていたが、それでも引き込まれて行った。

フレディ役の俳優が、段々、本物になって行くのが凄いなと思った。もう、フレディその人として見ている自分がいる。

彼は、TVドラマでは、細くて小柄なちょっと精神的に不安定な変な主役をやっていた。

でも、最後のライブシーンで、開場に入って行く後ろ姿は、フレディそのものになっていた。

そして、2回目の方が、泣けた。

映画として、本当に良く出来ていると思う。

彼が、男との事も、何となく匂わせるだけ。だから、どんな人達でも素直に見れるのだと思う。

そして、彼がエイズで医者の診察を受け、帰る夕方(の日の光だと思う)の廊下を帰るシーンがいいなと思う。エイズ患者との小さな心の触れ合い・・・何か、そこから私の心が、彼のクライマックスへと盛り上がっていったように思う。

この映画は、ドキュメンタリーでは無い。

観客を楽しませてくれるエンターテイメントとして最高!

娘にも勧めた。もし行くなら一緒に行ってもいいよ、と。

「なら、行こうかな」と娘は笑っていた。

 

 

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映画 「カメラを止るな!」

2018-09-07 19:17:22 | 映画・ドラマ・小説・マンガ

見たい見たいと思っていて、やっと見て来た。

いや~、面白かった。思っていた事と全然違って、裏切られた面白さ。

笑った、笑った、涙が出るほど笑った。周りで見ている人達の笑い声があちこちから聞こえる。

私は、ゾンビものが大好き。

古典物から、ブラピのゾンビ映画、そして最近の韓国映画の「新感染ファイナルエクスプレス」。

ブラピのゾンビ映画は、ゾンビの行動が面白くて、娘と笑った。

でも、後半が、さもアメリカ映画だなと思った。どうしても、原因を突き止め、そしてワクチンを開発してハッピーエンド・・・。

韓国映画のゾンビは、もろ、プラピの映画の中のゾンビ。だから、その行動は笑った。

でも、今、何と言っても怖くて面白いのが、テレビドラマの「ウオーキングデッド」「フィアーザウオーキングデッド」

この、ゾンビは怖い。始めの頃は、録画して昼に見ていた。夜見たら眠れなくなる。さあ、見るぞ!と気合を入れて正座して見ていた。

そして、本当に怖いのは、ゾンビではなく人間かもと最近は思える。

「カメラを止めるな!」は、ずっと以前、冬だったような、テレビでドキュメントでやっていた。

低予算で、ゾンビの映画を撮っていたら本当のゾンビが出て来たと、主人公の女性が暗い地下道(?)をキャーキャー逃げるシーンを少し流していた。

何かをしながら、真面目に見ていたのではないので、学生が卒業作品に映画を撮っているのかな、と思っていた。

ただ、ゾンビ映画というので、頭の片隅に残っていたのかも。

映画を見終わって「あ、そういえば、あれだったのか」と思い出した。

娘も映画が大好きで、よく一緒に見に行くけど、これは、あまり見たそうでなかったので一人で見に行った。

「映画どうだった?」と聞かれ

「凄く面白かった。笑ったよ。口コミで広がったのが分かるよ。だって、見終わったら誰かに話したくなるもの」

「じゃあ、私も見に行って来ようかな」

もう一度、娘と一緒に見に行こうかな。

今、思い出しても、思わず笑ってしまう。

 

 

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映画「万引き家族」

2018-06-16 12:54:46 | 映画・ドラマ・小説・マンガ

友達と、映画「万引き家族」を見て来た。

是枝監督の「誰も知らない」は映画館で見てテレビでも見て、すごく考えてしまった。

あの映画から、時は過ぎて日本は景気が凄くいいらしい。でも、貧富の差は広がっているという。

この、「万引き家族」も社会の底辺の、本当にこんなに極貧の家族達がいるのかと思える毎日。

でも、何の血の繋がりのない子供から老人までが、家族として生活している。それぞれ、訳ありの人達が。

家族とは何だろう。特に、親の家庭内暴力と親からの虐待から逃れて家族の一員として住み着いた女の子。

言葉を出さなかった女の子が、「おにいちゃん」に毎日ついて歩いて、家の中はカオスだけど、今まで味わった事がない「家族」の触れ合いに笑顔を見せる。

入れ歯も外して老婆を演じていた樹木希林さんが急死してから、疑似家族が終焉に向かって行く。

そして、法律通りに、家族が解体して行く。

全ての罪を被って刑務所に行く妻は夫に、「あんたは、もう刑務所に入っているし罪が重くなるから、今度は私の番よ。」と。

あの女の子は、また本当の名前に戻り、家庭内暴力と虐待の家に帰された。笑顔の無い生活。

自分を見付けて連れて行ってくれた外廊下の鉄格子から、外を見つめ続ける。

そして、期待を持って伸び上がった姿に、思わず涙が込み上げて来た瞬間、突然、画面が黒くなり映画が唐突に終わった。

クレジットが流れる画面を、何か脱力感いっぱいに呆然と見つめ続けた。

あの「誰も知らない」と同じ空気が流れる映画だった。

どんな人生でも、誰もが必ず死を迎える。それまでは食べて生きて行かなけらばならない。

そして、普段気が付かない所に貧しさや家庭内行力、虐待が存在している。

日々、新聞に載っている事なのに、ただただ、ため息をつく事しか出来ない・・・。

 

 

 

 

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映画 「新感染 ファイナル・エクスプレス」

2017-09-15 20:41:58 | 映画・ドラマ・小説・マンガ

韓国の映画、「新感染 ファイナル・エクスプレス」 を娘と見て来た。

韓国の映画を見るのは初めて。

韓国のドラマも見た事が無い。私の知り合いには、韓国ドラマにはまっている人が何人もいる。

私は、海外ドラマは大好きだが、韓国ドラマには興味が湧かない。今、ヨーロッパのドラマが面白い。

私と娘は、映画大好きで、娘と週1で映画を見に行っていた頃がある。

今のように、全席が指定ではないので、座っていい席で見たくて1時間くらい並ぶのはよくあったし、面白くてもう一度見たい時には、本当は出ないといけないが、頑張って座っていても係の人は何も言わなかった。

私は、パニック映画は大好き。怖い映画が大好き。

昔、怖くて怖くてどうしょうもない映画を見ていて、ラストに、「何、この終わり方は?」 と怒るほど笑った事がある。今までの怖さは何だったの?損した、と。

その映画のリバイバル上映のパンフレットが置いてあって、娘と、「本当にラストがダメだったね」 と。

新感染→シンカンセン→シンゴジラと重ねたのかな、と思ったが、娘に言わせると 「新幹線の中でのウイルス感染だからだって」 との事。ちょっと深読みだったか。

シンゴジラのようにスピーディーに実況中継のように進んで行くのかと思った。実際はそうだったけど。

韓国映画だから、ちょっと迷った。それで、ネットで調べて、純粋にゾンビ映画との事で見に行く事にした。

以前、ブラット・ピットのゾンビ映画を娘と見に行った事がある。

とにかく面白かった。あの、ゾンビの群衆が圧倒的なスピードで人々を襲うシーンが面白かった。涙が出るほど笑った。

そのゾンビが、高い塀で囲まれたイスラエルを襲うシーン。そびえ立つ塀を登ろうとするゾンビ。でも、手も足も出ない。でも、その上にゾンビが乗り、その上にゾンビが乗り、その上にゾンビが乗り・・・。

ついに塀の上にゾンビが辿り着き、後は、押し出されるように、ボロボロと無数のゾンビが塀の内側にこぼれ落ちて走って行くシーンは、今でも思い出して笑える。

そして、今、夢中になっているアメリカのテレビドラマの 「ウオーキングデッド」。

こっちのゾンビは、ゆっくりと歩くスピードでしか移動しないが、怖い。

最初の頃は、見た日の夜は目が冴えて眠れなかった。だから、ビデオを撮って昼間見るようにしていた。

怖いから、気合を入れて正座して、時には片目(?)で。でも見終わると、早く次が見たい。

長く続いているが、今でも怖い。そして、その怖さが、生き残った人間の方が怖いと思うようになって来た。せっかく生き残った人間同士が、争うなんて。

そして、新感染のゾンビはどっちだろう、と比較して見ていた。

映画としては純粋に面白かった。

日本の映画に、ゾンビではないが感染物のパニック映画があったが、正直、つまらなかった。

そして、韓国のゾンビは、プラット・ピットのゾンビ映画のゾンビだった。

同じように、あの大量のゾンビが猛スピードで迫って行く。

そして、ラストシーン。あのトンネルを抜けるシーンは、ウオーキングデットにあったような・・・。

でも、初めて見た韓国映画だけど、あまり、ひねったり凝ったりしないで、単純に娯楽映画として面白かった。

映画と関係無いけど、韓国の新幹線と日本の新幹線のハッキリとした違いがあった。

日本の新幹線は、ホームと電車の入り口がフラット。

韓国の新幹線は、ホームと電車の間が空いていて、乗り口が高い。電車が止まると、ドアが開き、床の下の方から板が出て来て、乗客は踏台のようにして乗り降りする。

名古屋から、車椅子の母を新幹線で連れて来たことがあるが、韓国の新幹線で車椅子はのれるのだろうか。

車椅子の母は、新幹線を新横浜で降りて、横浜戦に乗り換え、京王線に乗り換えて、何の不自由も無く我が家までたどり着いた。もう、10年以上も前の事である。

 

 

 

 

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池田理代子さんの原画展を見に行って

2017-03-15 09:18:47 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
何年か前にも、池田理代子さんの原画展があって、その時には娘と見に行った。

ずっとずっと昔の若い頃、「ベルばら」を何回読んだことだろう。

そして、何回感動して涙した事だろう。

娘が年頃になり、お互いに物語の想いを話し合ったっけ。

でも、私が一番好きなのは「オルフェウスの窓」だ。

ベルばらよりは、もう少し大人の物語かな、と思う。

始めて読んだ時に、胸が締め付けられるような想いで涙が止まらなかった。今でも、読めばウルウルする。

知り合いや友達が、ウチに来ると皆がビックリする。

なんといっても、漫画本がいっぱいあるからだ。市販の本棚や、夫が窓下やカウンター下に、ピッタリと合うように作ってくれた本棚は、全部漫画本が詰まっている。

自分でもよくもまア、こんなに集めたものだなと思う。

夫も本好きで、自分の部屋に入りきらないほどの本があって、「トランクルームでも借りようか」 と言っていた。

その夫が亡くなり、その膨大な書籍を処分するのは大変だった。

文庫本も買ってよく読むけど、それは、娘が読みたい本は娘が読んでから、そうでないのは、ある程度溜めてから古本屋に持って行く。小説は一回読めば、もう読まないから。

でも、なぜか、漫画だけは捨てられない。時々は、読みたくなるからだ。

最近は、買って読みたい漫画本が見当たらない。私の好きなジャンルの本を書く漫画家が、あまりいないからかな・・・。

小説もそうだけど、ちょっとマニアックな所もあるのかな・・・。

今人気で、外国でも人気の男性の漫画は好きではないから、読んだこと無い。

去年は萩尾望都さんと浦沢直樹さんの原画展に行った。

ずっと以前に、大友克洋さんの原画展に行った時には、「アキラ」の中で金田が乗り回していた真っ赤なオートバイにまたがって写真を撮ったっけ。

今度は、清水玲子さんの原画展をやってくれないかな。

Eテレで放送している、浦沢直樹さんの漫画家へのインタビューをいつも楽しみに見ていて、清水玲子さんの放送を見ていたら、本当に彼女の原画が見たくなった。





















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映画「息の跡」

2017-03-14 10:25:34 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
これは東北震災後に、陸前高田の車が行きかう道路の傍に、自力でプレハブを建て、井戸も自力で掘り、種と苗を売っていた人のドキュメンタリー映画である。

周りに人家は見えず、遠くに土地の造成工事が行われている。

たまに来るお客さんを相手に、空いた時間にパソコンに向かい津波の記憶を書き連ね、それを自費出版している。

映画の冒頭に、その立派な写真入りの本が出来て届いたシーンがある。

なんと、それは英語で書かれているのだ。これで3巻目だと言う。

日本語だと、感情が込み上げたり、あいまいな言い方になったり、言葉が続かなくなったり、だから英語にしたんだと。英語なら客観的に事実を書き連ねられるからと。

震災が来る前には英語なんて知らなかった、震災後に独習したと言う。時々、自分の書いた本を朗読する。そして、パソコンで発音を確かめながら。

なんのナレーションも音楽も無い。

あるのは、店の前をひっきりなしに通る車の音、雨の音、風の音、ホースから滴る水の音、たんたんとカメラを向ける監督に話す彼の言葉。

そして、今は、中国語とスペイン語で本を書いている、と言う。

佐藤たね屋さんの3年間を撮った映画だ。

その3年間の時間の流れは、遠くに見えている造成工事が着々と迫って来るので分かる。

「このたね屋も、12メートルの土の下になるんだよ。凄いよね、12メートルだよ。こんなたね屋があったなんて信じられなくなるよね。井戸まで手で掘ってさ。津波の事もみんな忘れて欲しくないんだよね。だから、書くのかな」
「造成工事、大丈夫なんでしょうか」 と監督の声。
「大丈夫じゃないと思うよ。工事の人も言っているから。でも、役人は大丈夫としか言えないよね。役人は大変だよね」

私は、3年ほど前に東北地震の津波で被害にあった被害地に、夫の眠るお寺さんが主催した慰霊のための旅行に参加したことがある。何か所かで住職さんのお経に手を合わせた。

そういえば11日の新聞に、その時、お話をお聞きした陸前高田のお寺のお坊さんの記事が載っていた。両親と奥さんを亡くされている。

その時、山を崩して、長大なベルトコンベヤで平地に土を運ぶ作業を見た。

土地の造成工事というが、土を盛り上げているだけにしか見えない。大丈夫なのだろうかと思った。

もちろん、擁壁を強固なものにするのだろうが、あの、大きな頑丈な防波堤をなぎ倒して襲って来た巨大な津波に、抵抗できるのだろうか。

今、津波が来ないことを祈る。

ラストシーン。

彼のお店も、とうとう造成工事が始まるために取り壊すときが来た。

彼が手掘りで掘った井戸の管を引き抜くシーン。

長い長い管が、真っ青な空に向かって伸びながら揺れていたシーンで終わった。

ただ、何の変化も無いようなドキュメンタリーだったが、私は淡々と映像を見ながらも退屈はしなかった。

彼の話を聞きながら、あの震災に遭われた人たちに思いをはせ、そして、あの震災の2か月後に亡くなった夫の事を思った。





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映画「アイ・イン・ザ・スカイ」

2017-01-24 20:41:18 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
映画、「アイ・イン・ザ・スカイ」 を見に行って来た。

一人の命か、大勢の命か、と問われた時に世界はどう考えるのだろう。

日本は、以前、「人の命は地球よりも重い」 と世界の人々の非難を受けながら、ハイジャックの要求を呑んで人質を解放させたことがあった。

「シン・ゴジラ」 を見た時にも、まだ、強大な大人になっていないゴジラを、もしかしたら倒すことが出来たかもしれないシーンがあった。

全ての人が避難したはずの所に、おばあさんを負ぶった男性が歩いているのが目に入り、首相はミサイル発射を指示する事が出来なかった。

その為に、ゴジラを退治することに困難を極め、多大な破壊がもたらされた。

本当に日本らしいと思い、アメリカだったらどうしただろうと思ったものだ。

特に、無人機の遠隔操作での攻撃なら、ボタン一つでゲームのように標的を破壊できるのだから。その爆撃の元でたくさんの人が死んでも、想像は出来ても目にしなければ、よそ事のようにそんなに心は痛まないかもしれない。

テロリストを抹殺するためには、そこから生ずる悲劇は、多数の人達を救うためには仕方がない事と政治・軍のトップは考えるのだろうか。

空のずっと上の方から、追跡して来たテロリストが一軒の家に入るのを攻撃用のドローンが確認する。そして、その周りの状態も映像で映す。

その映像を担当する若い女性が、たまたま、その隠れ家の近くの家の庭でフラフープで遊ぶ赤い服の少女をアップにしてしまう。

上空から、全体を映していた映像では、人間は、ただ、動く小さな何かにしか思えない。でも、ズームインして画面にアップした少女は、生きている人間として、映画を見ている私達にも確認されてしまった。

小さな鳥のドローンの目で、その家に入って行く人物を確認し、虫のドローンの目で家の中の様子を確認する。

その家の中では、テロリストとして世界に指名手配をしていた重要人物がいた。そして、自爆テロを起こすための準備をしていた。

その家の攻撃の準備が始まる。

その時、攻撃用のドローンの映像を担当していた女性が、たまたま、小さな赤い点が、その、ターゲットの家に近づいて行くのを見つけ、ズームインしてアップにしてしまった。

画面いっぱいに広がる赤い服を着た少女。その子は、そのテロリストの家の傍でパン売りを始めたのだ。

もし、その赤い点に気が付かなかったら、ミサイルは発射されてしまっただろう。

でも、その画面を、見つめるトップの政治家や軍人やドローンのパイロット達は、認識してしまった少女の存在に対し、苦悩が始まる。

ミサイルが発射されれば、それなりに多数の死傷者が出るだろう。

でも、彼らには、その赤い服の少女の事しか頭にない。少女の顔を見てしまったのだから。

その、少女を救うには・・・、でも、ここで彼らを見逃してしまえば、自爆テロでどれだけの人々が死んでしまう事か。

その緊迫感に映画ながら、ドキドキした。

映画のラストで、政治家の女性が、ミサイル発射を指示した高官の元軍人に、「あなたは安全な場所にいて見殺しにした」 と非難した。

それに対して、「確かに、コーヒーやクッキーのある所で、指揮を執っている。でも、私は軍人として何回も自爆テロのあった現場に行って、たくさんの散らばった死体を片づけた。その惨たらしさをあなたは知らない。あなたが軍人を非難することを、私は絶対に許さない」 絶対に絶対にと、強く言いながら作戦室から出て行った。

これからは、無人兵器を投入しての戦いになるのだろう。正義の名の元に。

映像の中の戦争。でも、現場では現実の人間の死なのだ。

コタツに入ってこれを書いている私には、いろいろと考えても難しい。







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