月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

毎月1日の映画の日に。

2014-07-01 19:57:29 |  本とシネマと音楽と


朝10時から2時間トップインタビューを終えて、それから中央線と御堂筋線を乗り継いで梅田まで戻る。
その足で食事もとらずに、映画館へ向かった。

1日は映画の日。1,100円で映画が観られる、ありがたい日なのだから。
水曜のレディースデーや1日に外出した日は、できるだけ映画館に足を向けるようにしている(昨年あたりからね)。

今日観たのは、テアトル梅田で上映されていた「ブルージャスミン」。
ウッディ・アレン監督の思惑に期待して。
会場につくや、箕面の地ビール×ベーグルを購入し
いつもの真っ赤なビロードのシートに座って、予約編を見ながらランチ。
ワクワクする思いで映像をみる。

結果からいうと、先月DVDで観た、「ミッドナイト・イン・パリ」のほうが、
はるかに私好みの映画だったように思う。
最後にいくに従ってどんどんイメージが悪くなり、そのまま救いようのない終わり方で幕を閉じた。
きっと、もうひとひねりあるんじゃないかな、という期待も叶わず、なんともいえない喪失感。そして席を立つ。

でも、帰り路。茶屋町のブティックに立ち寄ったりしながら、あれこれ考えるに
これこそ、アメリカ社会におけるミセスの悲哀なのだ、と思えてくる。
自立した女性とは何か?女性の幸せって一体何だろう、その答えをおのおのに、問いかけられている映画だった。
あなたならどんな台本にし、どんな人生を歩むことが、一番しっくりくるのか、
というのがこの作品のテーマなのだ。そんな想いとともに、
夏のキラキラした都会の街と雑踏のなかを、お気に入りの日傘をさして歩く。


先週の金曜日に観た、「グランド・ブダペスト・ホテル」(ウェス・アンダーソン監督)は、それに加えても刺激的な作品だったなとふと想い返した。


舞台は、リトアニアとしていたのは違ったみたいで、
「グランド・ブダペスト・ホテル」は、ヨーロッパのハンガリー共和国のひとつ、ズブロフカ共和国にある。もちろん、架空の国。
時代は、1910年~1930年である。






ミステリー仕立ての作品なのだが、
映像そのものがしっとりとして、艶感にあふれて、そのうえコミカル。独特の世界感だった。
その昔、ウォン・カーウァイ監督の、「恋する惑星」とか「欲望の翼」を観たときのような(全く別の次元のものだが)驚きがあった。


どこを切りとっても迫力満点だし、華麗だし、
広告的視点でみても、美しい仕上がり。だけど、ひとつひとに毒がある。
世紀末の古き良きホテルへの憧れや
当時の生活様式への郷愁がちりばめられ、
1幕ごとに、中欧、東欧の悲しく残酷な悲劇の歴史が織り込まれ、
恐怖もはらんで(人がどんどん死ぬので)。
それなのに、目が離せないくらいに美しく幻想的な映像の数かずがスピーディーに展開していく。


ホテルを切り盛りするコンシェルジュの生涯が、描かれている作品なのだが
どこがミステリーなのかといえば、
この優れたコンシェルジュ目立ての上客で賑わっていたホテルの馴染みの顧客、伯爵夫人が殺されるところからミステリーは始まる。犯人は分からない。
遺産として名画が一枚、グスタヴに遺贈されるのだが、これが遺産目当ての殺人容疑へと発展し
コンシェルジュ、グスタヴは、そこからずっと追われる身となるのだ。
1933年、ドイツでヒトラーが政権を握り、不況にあえぎなら、
忍び寄る戦争さえもギャグのように、風刺的に描かれている。
映画の中で、ズブロフカ共和国は、ファシストたちによって、消滅し、そしてコンシェルジュのグスタヴは……というようなストーリー展開。

この作品。ウェス・アンダーソン監督自身は、戦争に絶望しながら、
希望をもって、この時代を生き抜いたある人々へのリスペクトとして、本作を捧げられたのではないか、といわれている。

ふむ。出来れば、もう1度じっくりと観てみたい。
ドイツとイギリス合作というだけあって、
あまりに、残虐なシーンが多かったが
本編のなかに気高さみたいなものは、始終失われなかったのは、さすがヨーロッパ映画。
この作品のコミカルな仕掛けを、もう一度よく観てみたい。

私の目前に座っていた外国人は、エンディングの音楽で
体をくねらせて、ノリノリに踊っていらした(上半身だけで)。最後のご機嫌のハンガリー音楽がまた良かった。


映画を観た後で、

いつものニュータウンの街に到着する。
暑いなぁーと「もう夏じゃないの」と思いながら、1人でとぼとぼと歩いていると、いつもの道路脇にある大きな銀杏の木の下で、
突然、セミが鳴き始めた!えっ!セミだ。と耳を疑う。
ハッとした想いで、目の前の街路樹の緑に慌てて目をやると、


いつもの緑の色が、したたるような濃さに変わっていて、
ふっくらとして丸みをもって、私の目前に差し出されていた。
キラキラ、クルクルとした明るい色の緑。
それは紛れもなく夏のはじまり。

まさに、生まれたばかりの夏といった感じ。

いつも見おろす高速道路といえば、もやっとしたなかでやっぱり煌めいていて、わーとびっくりした。


仕事へ行って映画館へ入って、ビールを飲んでいる間に「夏になっちゃったんだわ」。

夏の訪れは毎年のように、こうして驚くことになる。
部屋に帰ってもやはりそうだった。夏の部屋の色に変わっていた。
今朝とは全く違うじゃないの。
梅雨空けは確かまだ、だよね。これから祇園祭だもの。
でも、なんだか不意うちみたいで、うれしい夏が今年もやってくる!

雨にとじこめられた一日も、なんだかとてもホッとするのだけど。
夏の雨もきれい。
神戸森林植物園であじさいは、緑の海の中に浮かんでいるのかな。
紫陽花の森も、もうそろそろおしまいだろう。




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2 コメント

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あじわいと紫陽花のあとに… (しろくま)
2014-07-05 19:25:26
爽快な映画もいいですが、ちょっと余韻を残してくれる映画はいいですねー
主人公がどこかへ向かうところで終わるとか、
ひとしれず去って行くところでおしまいとか、
あとはご想像に…という映画は上映がEndになっても心の中で続いていきますね…
2枚の映画の写真は刺激的なビジュアルですね!機会があれば是非見てみたいです。

紫陽花の森良いですね!森林植物園どんな感じかな~小鳥のさえずりも楽しめそうですね。
祇園祭。この言葉の響き…毎年この時期になるとああ夏なんだとあらためて感じます。
今年は後祭りというのもあるようですね。
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 紫陽花、きれいですね (アンデル)
2014-07-08 00:20:36
映画はよいですね。1本いい作品をみると、クセになって、またまた観たくなる。私のある友達は今年すでに500本もの映画をみた人がいます。
紫陽花もいいですね。この季節だけの花と思えば、なおさら大切な花に思えてきます。神戸森林植物園は、野性のウサギが飼われていたりして、森みたいなとこころに紫陽花がそれは沢山、あります。うちの玄関にも、実は紫陽花の絵が飾られています。
確かにもうすぐ祇園祭、そして本格的な夏ですねーー。
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