月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

ブランド趣味じゃあないけれど。

2014-02-28 00:01:48 | 今日もいい一日


私は特にブランド好きというのではない。
むしろ、ブランドばかりを日常に纏っている人はどんな心理なのだろうと。
もしかしたら、モノばかりに執着して価値観のバランス感覚が欠如している人か、ものすごく孤独な人、または勇者きどり。
そのどれかではないか(あるいは頭が軽いか)などと疑ってみたくなるタイプである。

それでも、実は白状すると縁あって買い求めたブランドもいくつかある。

エルメスの時計。エルメスの皮のブレスレット。
ルイヴィトンの皮製品。バッグ。ティファニーの指輪・ネックレス。
それに、ジョーマローンの香水。
昨年はフルラの仕事鞄も買った。コールハーンの靴に財布もバッグも持っている。





どう考えても美しいから。素晴らしく均整がとれて申し分なく品格がある。
実用的だと
想うから手にいれてきた。無理をして…。

いつもブランドを手にすると、想う。
このブランドをもつにふさわしくなければ。モノが死ぬと。
そして本当に、自分がふさわしくない生活習慣を送っているならば、モノに、み捨てられる。モノから愛想をつかされ、去られてしまうという結末になる。と、いい聞かせてきた。
それは本当だ。そうやって私はいくつかのブランドを失った。
エルメスのブレスレットも、
ティファニーのルビーの指輪も手元から去った。
パパがパリから買ってきた
スワロフスキのブルーとイエローのネックレスも二度と私の首を、華麗に飾ってくれはしなくなった。



そして、この2月。ものすごいブランドものを手にいれることになった。
車である。赤のレクサス。(レクサス車で一番安い可愛い車を手にいれた)。




この車にしたのは、何よりレクサスっぽくないから、というのが購入の決め手だ(笑)。自分が扱える唯一のレクサス。
TVCMでは。歌劇調のオベラが唄われるのをBGMに
ぐるぐると。フランスの坂道を、石畳の道を、白いレクサスから深紅のレクサスへと。車がくるくるまわりながらキキーとダンスし、最後にオペラがハハハ!と笑うCMが流れているあれだ。
はっきりCMはかっこいい。


ただ私はメカに異常に弱いので、車というのは安全に動いて、自分をスムーズに移動させてくれさえしたら、それでいい。とスタイルなどにはあまりこだわるタイプでははっきりない。
その証拠に同じ車に19年も乗っていた。それもファミリーカー。一般大衆車。
しかし、今回の新車は自分の意志とは少しだけ違って、
パパのお兄様がトヨペットから、レクサスに数年前に移動になり昇進、同じ車を買うならお兄様に売り上げを、ということで他の選択肢はなくこの車を入手することになった。

はっきり言おう、
レクサスは値引きがないというのは本当である。
ただ元の車を少し高く下取りしてくれたりして調整するほか手段は若干あるらしい(それも数万程度)、残念ながらうちの元の車は全く価値のないオンボロなのだから…それも無理。



しかし、キャッシュで払うにはあまりある大金であった。ぜえぜえした。
(20年前に家を購入したときは、ローンの額が半端なかったし、こうは思わなかった)
これだけ稼ぐのに、どれほどの目から汗を流したのだろうと呆然とするほどの金額。大枚をはたいた。私もおそらくパパも…。
(以前もお兄様がメーカーも色さえ指定したものを言われるままに購入していた。わたしたちは弟分なので致し方ない)

しかし、今日はじめてレクサスに乗る!
本当は、もうめったなことでは乗らない(小傷を恐れて)と思っていたのだけれど、
あいにくの雨。図書館に急用があってどうにも荷物が重たいので
初乗りをすることになった。
緊張の一瞬。私は試されていると、ドキドキする。

だって昨日は、初乗りするときにナント何かの手違いで他のレクサス車のkeyが手渡されていて(パパのは正常key)、
私がドアノブに手をふれてもセンサーが反応してくれなかった。
この車に限ってこんなことは100万回に1度くらいだと聞く。
やはりオーナーとしてふさわしくないのね!それもそうだわ。と苦笑い。

しかし、今日のkeyは、私を運転席に誘導するようで。近づいてそっと小指をふれただけで自然にあき、
すべての運転席モニターが自動で動き出した。
サウンドは勝手に私のiPodに反応して、アイルランド人のけだるい女性シンガーのナンバーが流れはじめた。すごいサラウンド。音質最高。
家で聴くよりも音質がのびわたり、どこかの大草原のかなたから響きわたるように爽やかで軽かった。
運転に際してはそう感動はなかったが、サウンドは新鮮。そこに一番満足である。
この車の安全面へのサポートやら、オーナーズデスクのサポートは素晴らしいらしい。

例えば、不審者が侵入したり誰かが持ち去ろうとすると、勝手にオーナーの携帯が鳴り響き知らせてくれるのだという。
走行中、後ろから前から当たられそうになると、警笛音で知らせてくれ、
それを防ぐ。
居眠りをいていても、すぐに関知して知らせ、またオーナーが気分が悪ったんじゃないかと察知したらいちはやく救急車を車が勝手に呼んでくれるのだという。
1年365日24時間オーナーのパートナーとしてサポートをしてくれるというところが、
この車の価値なのだそうだ。

はじめて対峙する、車というブランド。

よく男性はそのひとの趣味趣向を「車」と「靴」が体現してくれるのだというが、
果たして女性はどうなんだろう。
いつまで私のそばで私のパートナーでいてくれる?
いつまで今のピカピカのままで寄り添ってくれる?
仲良く愛し合って、日々を営んでいけるのだろうか。気持よく鼻歌などをうたって軽快に走れる日はくるのか。ゴウカートを運転するような危険さをはらむのではなくて。
不安だ。


今週来週、そしてしばらく仕事はハード。
車と一緒に自分も成長していければいいのだけれど。
(たかが車。大袈裟だ、と感じるかもしれないけれど、バッグや器を買うのとは少しワケが違う気がするから)



金曜の朝、うぐいすの声で目が覚めた。

2014-02-23 00:52:31 | 春夏秋冬の風



金曜日の朝(21日)、うぐいすの鳴き声で目が覚めた。
夢の中かと思ったら本当の(リアルでの)うぐいす。
しゃっくりを何度も連続で繰り返すような、「けきょけきょ」、「けきょ」「けきょ」と4度ほどひいて、思いっきり頭の真上で1オクターブ高い、拡声器で唄うような美声で一息に、「ほーほけきょ」と。
最後にひとつ鳴いて。静寂がもどる。なんて素晴らしい。

カーテンをあけたら光が違っていた。光が踊っていた。

うぐいすは、どうやっても視覚で確認することが難しい。
(わたしは毎年、わが家の木々に止まるうぐいすを何度も何度も探し求め、目をこらしてみてきたけれど)、その瑠璃色の小さな姿を見せてはくれない。
枝につかまる細い爪楊枝のような足を見せてはくれない。
でも今朝。私のベッドの真上にある木の上から、たぶん「春」を告げていた。そう思う。姿は見えないけれど頭のうえで聞こえたから。
なんて、いい日だ。

夕方には、机の上を、ライトの光の真下を
カメムシがウロウロしはじめ、何度もデスクの上まで這い上がってきては、
私に紙で落とされ、また這い上がってきては仕事の邪魔をした。


冬の京都。いにしえの神社とおいしいもん。

2014-02-22 19:14:08 | どこかへ行きたい(日本)



昨日は体調を崩して、終日仕事がはかどらなかった。
一昨日の夜中にフィギュアをみていたら、いきなりものすごい腹痛が。
もしかしてこのまま「死ぬかも」。と思うほどの激痛で冷や汗が出て倒れ込む。

それから3時間後には、少しは回復したが出血を伴う急性腸炎のよう。
(インターネットで調べたところ)。
それで昨日はどうにも机の前に座っていられず、誰とも話しもできない状態で。
久しぶりに温かくして安静に。

おそらく、ここのところレギンスを重ね履きして、「冷え取り」を完璧にしていたのを、
連日京都や奈良方面の取材でストッキング&ロングブーツというスタイルで。
それが体に堪えたのだろうか。
昨日は本を少し読んだだけで、仕事はできなかった。
体調不良の不安としんどさを久々に痛感した。
しかし、今は頭もだいぶスッキリ。久々の休養であった。

さて、この間から書きかけていた続きを…。



「日向(ひむかい)大神宮」(蹴上からは徒歩10分)。



その昔(古墳時代、487年頃)。
筑紫の日向の高千穂の峯から、天照大神の神蹟をうつして再建したと伝えられる神宮だ。
冬の弱い日差し、人のいない境内。

南禅寺や永観堂とほど近い距離にありながら、山科・醍醐の方面へ向かうだけでこれほど空気は変わるのか。
東山でも、全く雰囲気が一変する京都である。
それは、木々が深く、厳かで。山の別天地のようで。
ここに足を踏み入れるだけで、黄色のオーラが飛ぶのが見えるという霊能力者は多いそうだが、時間をさかのぼったような昔の社や境内の佇まい。
「京の伊勢」といわれるだけに、伊勢神宮の神聖な森の気配があたりを包む大神宮である。

外宮。



そして橋を渡って、階段の上にあるのが
内宮。

橋の下は、せせらぎが流れている。

そして、影向岩をのぼっていくと、「天の岩戸」が。




大きな岩石をくりぬいた岩穴。
まっすぐ行くとL字型になってて、人が通り抜けられるようになっている。参拝すると「再生」するという言い伝え。
ひんやりとした冷たい霊気にぞくぞくっとしたが、息をのんで進もう。

すると、コーナーを曲がったあたりに、小さな社。
戸隠神社があり、アメノタヂカラオが祀られている。
タヂカラオは怪力の神。入る時は怖々であったが、中は胎内に包まれたように、心が素直に。

このまま抜け出たくない(外界に戻りたくない)と思わせる、不思議な気が満ちた「天の岩戸」でありました。


抜け出た時に、強い光が一気に差してきた時には。しばし言葉が出ず。
神のご加護の元に生かされている自身を感じ、それからは延々と
一日慶びのオーラに包まれた「ありがたい」参拝となりました。

このあとは、南禅寺のインクラインまで鉄道跡を歩き、どんぐりを拾いながら哲学の道へ。




散策の休憩は、ティーハウス「アッサム」で。
森のなかの一軒家。そんなコピーがぴったりの静かな外観。






クラシック音楽に、日当たりのよいガラス張りの店内。
それぞれのコーナー毎に、趣の違うペルシャ絨毯が敷かれているあたり、
大人っぽい。家具は全て北欧調の繊細なソファー&テーブルで。

本格的にポットで煎れたおいしい紅茶を飲むなら、京都ではここが一番ではないかな。まあ他はあまり知らないが。







イギリス紅茶(スリランカの紅茶でディンブラ)と、
いちじくの煮詰めたものが入る自家製のケーキ。
Nはチーズケーキとロイヤルミルクティー。

キャラウエイシードやアニスが入ってちょっとスパイシーなケーキと濃厚なチーズケーキもグッド。お茶好きの大人を満足させる一軒である。


「ティーハウス アッサム」
京都市左京区鹿ケ谷

12:00~17:00LO・17:30閉店

水曜、木曜休み
075-751-5539



このあとは、祇園界隈を歩いて、
あちらこちらで京都のお茶や珈琲、お昆布さんなどを買い求め、
このまま帰るのに後ろ髪を引かれ…。
結局、祇園「おかる」でカレーうどんをいただき、
黄色いスープに、縁起かついで〆。





ああ、あっさりした本物のカレーうどん。
やはり、胃が疲れたなと思ったらこれ、これ!
へんに辛すぎず、安心できる味。チーズや餅入り、肉入りと種類も豊富。
本日は、一番シンプルな、「きつねカレーうどん」をチョイス。





散策の疲れを癒やすのには、

「おかる」のカレーうどん、もしくは祇園花街の「権兵衛 (ごんべえ)」(075-561-3350)がオススメだ。

「権兵衛」は、きつねうどん&親子丼がおいしい。

こういった手軽な麺や丼ものも抜かりなく
きちんとお出汁をとったおいしいもんを食べさせてくれるのが京都の粋なのである。

八坂神社にほど近い「水円」でランチ(1月末)

2014-02-19 12:01:22 | 京都ごはん






今年は、京都に縁がある。
1月末に京都へ行って以来、毎週のように都へ出掛けている。
今日もこれから木屋町で取材だ。(といっても人物取材)

そう、今年最初の京都は開運パワースポットの「日向(ひむかい)大神宮」へ。
ここは昨年秋から友達から勧められていたのだが、ようやく実現した。


その前に、八坂神社にほど近い「水円」でランチ!

このあたりは冬だというのに打ち水を忘れない名料亭が細い路地に続く。
舞妓さんの姿も。
あー京都。その清々しい雰囲気だけで、心がほころぶ。






「水円」である(意外にも奥まった場所ではなく、表通り)。




ここは高台寺「和久傳」さんの総料理長・岩崎武夫さんが20年務められた末に独立された店。
(まっすぐ路地を上がれば高台寺「和久傳」まで徒歩2分)

(そうそう「和久傳」さんの名をよく書くのは、ここの娘さんが私の高校時代のクラスメートだから。
うちの実家は旅館だったので私の父と、Kさんのお父様は交流もあり。Kさんとは何やかんやとその昔、愉しくお付き合いしていたから…。なんとはなく今も気になるという塩梅である)

前置きは、さておき。
本日のメニューは「八坂」(3850円)
大福ゆ でほっこり。梅味だ。
先付けには、鯛昆布〆なます和え、揚げ海老芋ゆばあんかけ。




京野菜を昆布〆して、ほどよい加減の酢で味付け。なます和え、お正月料理だな~。

海老芋のねっとりした甘さと淡いゆば。
これはいい味!やはりおだしの良さが極まっている。温かいほっとする。


本日のお造り 寒ブリ、よこわ。うに。



こちらも、うまく包丁をいれていて、おいしい。
寒ブリが特にいい。


続いて白味噌煮麺、と飯物(私は鯖寿司をチョイス)。
(同伴者はカニのお丼)






1月だからこその出会えた椀・白味噌だ。本場の味はさすが。
カツオのおだしと白味噌のあわせ方がうまい。甘すぎず実に上品で、ニューメンをスルスルッと喉まで運ぶ役割を正統に果たしている。
最後の1滴まで白味噌がおいしい。

こちらのお漬物も。




デザートは「焼きれんこん」&ほうじ茶






夜に比べてお値段が張らないし、
とりたて高価な素材はないが、おだしの勝利だ。
素材の良さとだしだけで十分に満足のいくお膳に仕上がるのだということを証明したようなランチだった。
和久傳さんのお料理は、峰山が母体だけあって冬がよくにあう。
媚びることなくキリッとしていて、素朴ななかに品がある。


席からは坪庭がみえた。
小さな京の自然。







食事のあとはいよいよ、「日向(ひむかい)大神宮」へ。
そして、哲学の道を歩く予定だ。





Locus of my days

2014-02-16 20:37:36 | 春夏秋冬の風



昨日の雪は降り止んでも、今日も風が冷たい。
それでも山は、もう春の準備を始めている。
木々がピンク色にぼんやりと色づいてきたから。

昔、学校の卒業式とかで、誰かがいっていらした。
「サクラという花を染めるには、
あの可憐な花びらをどれだけ集めても染めることはできないのです。
サクラの花が咲く前の1・2カ月前。
冬の最中にあって、サクラの木々は花の準備をはじめています。
木々がピンク色に。ほんの少しの時期。色が入るんです。
枝の中に、そうサクラ色の準備がはじまるんです。
それを染料として採ってサクラ色に染めています」と。

私はこれを聞いた時に、驚きとともに
サクラの花だけではなく、木々そのものを見るようになった。
桜の木、樹皮や芯材、小枝、花芽。樹齢150年もいきた木々でも「若さがあって素直」な枝でないといい色には染まらないそうだ。



さて、Nがイギリスに旅立ってからもう6日目になる。

仕事はそれなりにあって忙しくしているのだが、
それでも、なんて日々が味気ないんだろうか。
一日のうち、僅かな時であっても
「キャッキャ!」と盛り上がる相手がいないというのは、やはり味気ない。

そういえば、Nがお腹にいた時(妊娠中)それはもう、幸福で幸福で。ばかばかしいくらいに、世界が美しく見えた。

夏の楓の色、土のにおい、通り雨、夏の花火…。
お腹が前にどんどん迫り出してくる10月10日まで、ものすごい元気で。あちらこちらに行きたくて仕方なくて、めちゃくちゃ、いろんな人にあつたし、活動的な妊婦だった。

食欲もすごく旺盛で。
たった今、自分がおいしいものを食べていながら、次に何を食べようかと想像を巡らせて、ともかく食べたくて。食べられることがうれしくて、仕方がなかった。

体の中に「生命」を宿すというのは、これほどに
自分が生命力をおびるのかと、とても神秘的なものを感じた。

そういえば出産の前日。陣痛がやってきているというのに、
入院中のベッドのなかで
「いちじくと、苺のショートケーキ、プルーン…。それから、ま、なんでもいいから私の好きそうなもの買ってきて。
出産を終えたら食べたいの。お願いね!」とパパに張り切ってリクエストしたのを思い出す。

それが、実際にNが私のお腹から抜けて出た途端に、
一気に夢が覚めた。
まわりの景色はそれなりにキレイには見えるけれど、浴びるほどの幸福な気持ちが、消えた。
Nがすぐ横にいて、わくわくはするのだけれど
Nがお腹にいた時のような活気が消え失せた。

出産後、ものすごい好物オンパレードを持ち運んだパパは、
「ごめん、もう欲しくないの…」と私がいうのを聞いて、肩を落とし、ため息をついた。

今、ふとそんなことを思い出す。
あれは、Nがお腹にいて、私の中から食欲をかきたて(食べ物を欲求し)。
Nのパワフルな好奇心!元気が、あれほど私を突き動かしていたのだろうかと思う。


毎日、淡々と仕事をして、充実はしているのだけど。
世の中がえらくシーンとしている。盛り上がらない日常である。

それでも最初はえらくNのことが心配で仕方がなかった。
3日もSNSが繋がらず音信不通だと、あれこれよくないコトも思ったりして。
だけど、3日目の朝。NからLINEが。
それから彼女のブログアドレス(留学を機会に開設した、Nのブログ「Locus of my days」 )が私とパパのもとへ送られてきて、不安は安心に変わる。



一日目から、すでに五日進んでいる。


すごいなぁ~。世界は近い。
イギリスのノリッジまでは、9時間も時差があるのに、
その時差を飛び越えて、「今」にすぐ繋がる時代なのである。

縦書き原稿と横書き原稿について、のモノローグのようなもの。

2014-02-13 22:32:21 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)




縦書きの原稿と横書きの原稿。
同じテーマ、同じ人の書く文章なら、横書きも縦書きも変わらないと思う人も多いだろう。
しかし、私はどうもこの両刀使いがうまくない。
コピーライター時代が長かったので
どうしても横書きで原稿を書くクセがある。
今もこのブログも横書きで書いている。
なぜ? 文字を左から右に読むのはすごく自然な気がする。気楽だ。
おそらく「慣れ」だけの問題なのだろう。

私が担当する仕事はほとんどが広告代理店か広告プロダクションから、もしくは企業から直接依頼されるものばかりなので(出版社ではない)、
やはり広告媒体系の仕事が多い(情報誌であっても広告主発行のPR誌となる)。
しかし、最近どうしたことか新聞社系からの依頼とか、
もしくは企業でも冊子系のものが重なった。

第1章、第2章だけで提出する原稿量が1万5千文字とか。
見本をみると、縦書き原稿のフォーマットだった。

そういえば、本は全て縦書き。作家というのは、たいていが縦に文字を埋めていく。

しかし、どうもこれがまだ慣れない。
それで、横書き(ワード)で書いたものを、縦書きフォーマットに変換して、提出する。ということをしている。

横書きで、いったん完結させたものを、
縦書きのフォーマットにすることで、横書きでは見えてこない違和感が
みえてくるようになる。そこで修正を。そうやって提出の日に2度ほど推敲・修正を繰り返して提出した。

一度書いたものを、今度は読み手の立場で読み。置き換えて原稿をつくる。
どうも私はいろいろなところが不器用なので、
TPOに合わせて、うまく切り替えるということができにくい体質である。
いくつかの手順を踏まないと、1本の仕事すら仕上がらない。
仕事が重なってきて、1本にかける時間が少なくなると、だから大変だ。
どうしても、手順をすっとばすことが不安。
時間がなかったがために、不完全なもの(最善でないもの)を提出すると、
うまくいかなった時に、ものすごく申し訳ない気がするからだ。

話しはそれたが、先ほどの縦書きと横書きの話である。
横書きのほうが、気持ちが楽で自由な気がまだ抜けない。
縦書きフォーマットの真っ白な用紙を前にすると、
途端に、緊張。怖い。言葉を埋めていく作業のひとつひとつが、
(正解でないような気がして)自信がない。恐れ多いのだろうか。

なぜだ?
なのに、横書き原稿を縦書き原稿のフォーマットに切り替えた時…。
ほっとする。美しい。
そして、先ほどもいったが横書きでは見えなかった、文章の弱点のようなもの、「穴」が
浮き彫りに。
「ごまかしは、通用しませんよ」
といわれているような気持ちに。
それに、文章を読む時には横書きよりも
縦書きのほうが絶対に読みやすい。
なんとも不思議。どうしてなのか理由も不思議である。

一度、気合いをいれて恐怖を乗り越えて最初から縦書きにチャレンジしてみようか。
すると、まったく違う人の文体のようで、違う内容のものになったりして。
(それじゃあ、思いつきで文字を埋めているみたいじゃないか、こら!)
文章って、面白いなあと思う。
(どうでもいいことを、私はよく関心する)


原稿がうまくいった時には、文字の羅列(配列)がすごく美しい。
これも不思議。
簡潔で、無駄がない。
レイアウトをしていないのに、文字の流れ自体がすごく
安定しているし、
シンプルである。

いつまでこの仕事をしていても、
下手くそなままだが、やはり面白い(いろいろな些細なことも含めて)!
と思う以上は、この仕事を続けていくのだろう。
おそらく、ね。そう出来れば幸せである。

ほんの1カ月ですが、旅立ったNのこと。イギリス留学渡航の日の朝。

2014-02-10 22:12:21 | 春夏秋冬の風

昨日は、一昨日の雪とは、うってかわって暖かいぽかぽか陽気だった。

そして、娘のNがイギリスのイースト・アングリア大学(ノリッジ)での語学留学のため、
旅立っていきました。





関西国際空港から、アムステルダム経由でノリッジまで。約13時間の渡航。
飛行機は、オランダ航空。白と水色が鮮やかな、さわやかなカラーの飛行機。





本当はこのところずっと取材やら打ち合わせやらが続いていて、
原稿提出までの時間が迫ってばかり。なのでママは玄関で
「いってらっしゃーいね!」「パパが張り切っておくってくれるよ」と
念押ししていたのですが、
朝。目覚めると心がざわざわ。目がパッチリ。
オリンピックもなんのその。
結局、夫婦そろって1人娘を空港までおくっていき、
大学の先生への御挨拶まで済ませて、



展望ロビーに車で異動。





2時間半も待って。
結局、Nが乗り込んだ飛行機のお腹をほーっと確認して、
あ~、いっちゃったよ…と、関空から車で帰ってきたということなのでした。











それからの気分は。小春日和を感じながら
光がキラキラしているのに、
めちゃくちゃ、ぼけーとした空気感。
そこで、逆瀬川の「高山」という焼肉屋さんで、夫婦で肉をたっぷり食べて、景気づけをしてから帰宅となりました。

ここはまた、おいしい店コーナーで紹介しますが、
伊賀牛が1700円で食べられるランチが好評の店。

1度、Nと夜に焼肉を食べにいってからの2回目の来店。

伊賀牛。神戸牛とはまたひと味違って、
肉質がしっかりしてジューシー。自然な甘さがたまんない。




売布の「ぷるこぎ」より、もしかしたら美味しいかも。
以前の夜よりも、なぜかロースの柔らかさというか肉質の味に
おー!となったのでありました。
(私はロース定食。パパはバラ定食)、

ほか、キムチやナムルのお漬け物、わかめスープやサラダ、デザート付きなうえ、



普通によい伊賀牛がで食べられるので、満足(おそらく伊賀牛かと)
また行こうと思います。
国産のブランド肉はうまいです。


さて、今日は一日静かだった。1人だとどうも盛り上がらない。
Nとボケあうことも、はしゃぎすぎて踊ったり、笑い合うこともないので、
一人で黙々と仕事していました。


これから淋しくなるのか、お気楽になるのか、サッパリ見当つかない。
けれど、本人はといえば、のびのびとした笑顔、愉しそうでした。良かった!

1月中旬頃には、私へのサービスのためか、赤ちゃんのように
すりよってきたり、「ママー」」「ママー」が続いていたので(あの年で赤ちゃん返りか!)
(お風呂も5日連続で一緒に入って…。)

前日にはホストマザーにつくるからと、
肉じゃがや温野菜、などのお料理もふるまってくれて、
性格のとても、とてもよい子なのであります。

昨日は、オランダ航空のフライト状況を仕事中に5回目くらいチェック。
(あー、そろそろアムステルダムね、とか)。
そして、深夜の2時40分頃「無事ノリッジ着陸」という
テロップをみてから安心してベッドに入ったのです。
いやー、大丈夫と思ってもやはり心配で。

しかし、わが娘とはいえ、いいなー。
ロンドンから1時間半。治安最高のノリッジだなんて。
さぞ、英国のアフタヌーンティーはおいしいことでしょう。
月曜日は朝9時から授業~5時半までビッシリ。土曜日は観光がスケジュールのなかに。
最終日は2日間、ロンドンの古城や博物館を訪ね歩くとか。

そして、ホームスティ先のマザー(一人暮らし)は大きなお庭がご自慢。
「マーガレットハウエルさんの家」
などの本を書棚からだし、なるほど、と思いを馳せております。疑似体験です。

それより、私もNに負けないくらいのびのびと羽を伸ばして、
いい時間にしなくっちゃ!
そしてちょっと本気で稼がなくっちゃねー。



2月の雪が降る、さよならの時。

2014-02-06 23:48:46 | ご機嫌な人たち

今週は原稿書きに、取材、打ち合わせが交互。
その合間を縫って朝いちばんの電車に乗って、103歳の祖母の告別式へいってきました。

あんなに暖かい春のような日に逝ったのに、その日は、雪に。




告別式では、何年ぶりかの親戚や
いとこ達とも顔をあわせ。
久しぶりに、たくさん、たくさん話しました。
そして、全力で引きとめられたので、娘のNと一日実家へ泊まりました。


2月4日。
天からは、白い雪がふわふわと降り続ける寒い日でした。
山々も田んぼも白く、光景のひとつひとつが印象に残る静かな日に思えました。

棺のなかのお顔は(さすがに写真には撮らなかったけれど)、
灰にしてしまうのが惜しいほど、お釈迦様のように美人で、清いお顔で。
いつも見るおばあちゃんではなくて、不思議なほど、若返ったお顔になっていました。

あんなにキレイだった?

その姿に、ホントは誰もが驚いたけれど。
103歳は天寿、もう仏様に近かったのですね。

お骨は、折れもせずに真っ白。

薬を飲んでいたり、どこか悪い所があると灰色や黄色くなっているそうなのですが、おばあちゃんの骨は、真っ白。
ちょっとサンゴに間違ってしまいそうなほど、きれいなままでした。
ちっとも怖いとも、目をそむけたいとも、思わなかった。
こんなにしっかりした「のど仏」は初めてみたと、焼き場の男性が
ビックリされていたほどでした。

普通に生きることの、強さを教えてくれた明治の女性の生きざま。
長い間、一緒に過ごせて、
私達こそ幸せだったのだと、その真実を思い知ったひとときでした。

祖母の最後の言葉は、私が会いにいった、その晩に叔父にそっと告げたという、
「きょうN(私の娘の名前)ちゃんに会えた」…。
(大晦日にもNちゃんに会いたい!といっていたそうです)

そして、この日からは悪くなるいっぽうだったと。
これを聞いて涙が止まりませんでした。

私とNと、よく間違う人も多いけれど、またしても幸福な錯覚をしてくれて、良かったのだと慰めます。
祖母と母と私と娘の4人。祖母は娘のNが書いた手紙や作文をいつも、大切に読んでいてくれたそうで
告別式のあと、親戚一同がアルバムを振り返っていると、祖母の写真の中から沢山のNの可愛い手紙が出てきたのです…。
スライドでは父と祖母が並んで笑っている写真も…。
祖母もこうしてあっちの國へ、いってしまったのだね。


翌朝もやはり寒くて 目が覚めると庭には重い雪がどっさり。







そして、私たちは雪国から帰還するような妙な気持ちに。
いつになくアタマばかりが冴えるこの頃。
この日のことはきっと記憶の奥深くに吸り込まれるはず。そう信じられる祖母とのお別れの時でした。



「トイレの神様」を聞いた翌朝に。

2014-02-02 19:58:11 | ご機嫌な人たち




2月2日(日)朝の5時半頃に祖母が永眠したよ、と母から電話がありました。

今日は、4月中旬のように良いお天気で。春のようなぽかぽか陽気。
なのに、朝、訃報を聞いた1時間ほどだけ雨が降りました。
にわか雨でした。
おばあちゃん、ゆっくりとお休み。
キレイな顔で、まるで生きているみたいな表情で、苦しまずに逝ったそうです。

昨日、たまたま居合わせたショッピングモールで、
植村花菜さんのインストアライブがあり、



「トイレの神様」を聞きながら、家族全員で泣いたのを、
不思議な感じで思い出しました。

祖母は時刻的には、その頃から意識がだんだんと途切れていったそうです。
明日は早朝から取材ですが、帰宅したら祖母のキレイな顔を見に行くつもりです。

(今日は午後からイヤホンで「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第1番、第2番」を聞きながら
用事をしています)