月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

新緑の頃に出会った器たち その2

2013-05-29 18:53:42 | 器を買いに


この間から器のことを少し書きかけていたので、そろそろ続編といこうと思う。





 レギーナ・アルテールさんのティーポットは、一昨年の個展の際にすでに寺町のギャラリー「sophora」で見つけていた。
レギーナさんはスイスで生まれてチューリッヒ芸術学校を卒業。楽焼きを通して日本の焼き物に出逢い、日本の陶芸に興味をもって1979年、海を渡ってこられた。
 私はもう8年ほど前になるのだろうか。陶芸家である前川俊一さん(夫)とレギーナ・アルテールさんのご夫婦を特集記事として取材させてもらったことがあった。
レギーナさんは当時おっしゃっていた。

 「俊一とは京都の陶工の学校へ見学に訪れた際に出逢い、登り窯やギャラリーなどをともに訪ねながら、ものやアートへの感じ方が似ているなあと。
まるで井戸のように深いところで繋がっているように思えました」と。


ご夫婦は今も、あの頃と変わらず、滋賀県の棚田が広がる高島町で静かに暮らし、創作活動を続けられている。
 作品をみると新しい挑戦や新展開もあるようだか、レギーナさんのモノをみつめる時の子供のような好奇心に満ちた瞳や驚き、優しさは変わっていない。
 なんだろう、日本の陶芸家では決して出せないヨーロッパの人がとらえた日本の自然や生物、環境などが作品にちりばめられていて、それがとてもいとおしく思えるのである。

 私は当時の原稿にも書いている。
「微妙な色のバランスや表情のやわらかいものを色土で表現し、光と空気感の一瞬のきらめきを捉えるレギーナさんの作品」。

彼女は工房の窓辺に、笹や石などを大切に置かれていた。そして「石や水、動植物の動き、細胞の神秘的なものなど自然界からインスピレーションを得ている」と、
いわれていた。

 一昨年前にポットを購入し、今回は2つの茶器をあわせて揃えた。私は取材後も、ご夫婦それぞれの作品を、「個展」を通して追いかけては少しずつ買いそろえていた。
ただ、3月にそのほとんどが割れ、今は前川さんのフリーカップ2つと斜めの細いヒビがはいった花器だけ。
まだご健在だし、ふたりにお会いする口実ができたのである。



 続いても、同じくHさんと寺町を歩いた時に「グランピエ」で見つけたの。



栃木県・南窓窯の石川雅一さんの粉引の器。「グランピエ」ならではの、リーズナブルな器。
小さくて、コロンとして、涼やかなグレー地。ピーマン煮やナスと唐辛子を似た惣菜をいれたり、
らっきょうをいれたりするのに重宝している。




こちらは先日と同じく、5月のゴールデンウィークに信楽を訪れた時に「さがら」で購入した。




信楽作家の佐藤源一郎さんの取り皿と中皿。木の棚のなかに沢山の器と溶け込んでいて、最初は目立たなくて気付かなかったけれど、
突然として飛び込んできた、
「私の好きなタイプだわ」と思ったものだった。

ゆるく自然にカーブを描いたフォルムに、海岸でみつけた石と砂が混じったような手触り、自然な色あい。
この器、どんな料理をのせてもハンサムにおさめてくれるし、他の器とも調和をもたらしてくれるとても使いやすい器になっている。






最後のおまけは、「グランピエ」で。
トルコではどこでもみかける茶器らしい。冷茶にいいと店主は勧めてくれたが、アイスクリームなどをいれても可愛いなと思って買った。


今週、来週は少しだけ原稿書きが忙しい。
それで夕食は何にしようかと迷ったあげく(その時9時過ぎ)、結局、暮らしの手帖社が出しているレシピを紐解いて
「ビーフシチュー」にした。2時間以上も煮込んだので、トマトの風味がまろやかで濃厚、酸味が爽やか。
器は、立杭焼の清水圭一さん(かねと窯)で購入した大鉢で。ああ、完全に現実逃避なのであった。








イラストレーターのHさんと寺町を歩く

2013-05-27 00:54:16 | ご機嫌な人たち


少し前のことだが、10年来の友人であるイラストレーターのHさんと京都でごはんを食べに行った。

その彼女こと、Hさんとは随分前のことだが、あまから手帖でも一緒に仕事をしたことがあって、編集の学校時代にも、ごく自然と言葉を綴るだけで独特のユーモラスに満ちた原稿をかけるすごい人だ。また、彼女の描くイラストは空気をすくいとって描いたようにはかなくて、きれいで、それでいながら芯のようなもの(強い魂)をちゃんと込められているところが好きだ。
あまり意図して完成度を求めないところ、もうここらで止めときましょうか、と力をぬいたペンの運び方の中に、不思議なアンバランスさもあって、そんなところもまた彼女らしいニュアンスの絵となるのだった。

わたしのブログの表紙にも彼女のイラスト画をお借りしている。


待ち合わせは、京都のホテルオークラのロビーで。

そこから「パスタコレクション道月」でランチ。
ここは築100年の町家を改修した佇まいで雰囲気はぼちぼちいいし、
寺町の骨董めぐりをする途中に立ち寄るには、いい位置にある。

この日はシャンパンで乾杯して、一番簡単なランチを食べた。

水菜ほか季節の野菜たっぷりの前菜。




歯ざわりがしこしこしていて面白い、肉とトマトのショートパスタ(生パスタ)。




アッサリ塩味の魚介パスタ。そしてドルチェとハーブティー。






あわせて1500円とリーズナブルである。
まだ発展途上という感がしないでもないが、
気軽に立ち寄れる店である。


彼女とは久しぶりにお会いしたので、いろいろな話をした。


Hさんは私のことを
「自分らしく肯定的なことや明るいものに向かっている人なのだとずっと思っていた」そうだ。
それは衝撃だった。出来ればそうありたいとは思っているが、
ひとには誰だって光と影の部分があるだろう。自己嫌悪があったり、自問自答するがゆえに前進できないところ、はがゆい思いも多いのである。
取り巻く環境の悩みもある。

でも、Hさんからみて私がそんな風に映っていてよかったとなんだかうれしかった。


それからせっかくの京都・寺町なので、 セレクトショップ&クラフトギャラリー「sophora」、
その目前にあるアンティークの器やランプがすばらしい「WRIGHT商會(二条店)」、
古伊万里や豆皿を多く扱う「大吉」や、
「京都アンティークセンター」などなど、寺町を訪れると必ずといって立ち寄る、
古美術・骨董店、ギャラリーのコースを歩く。


一人で散策するのと違って、一緒に眺めたり感想を話しあったりしながらの散策は愉しかった。
Hさんは絵を描く人なので、そんな人にはどのように見えるのだろう、というのも興味深かった。


この日は、「sophora」で、
長年のファンであるレギーナアルテールさんの茶器を購入し(改めて書きます)、
「グランビエ」 でも小さな器を少しだけ買った。





「グランビエ」は昔、岡崎にあった。そして、5年ほど前には足繁く通った「丁字屋」を開店されていた系列の店である。
丁字屋は、築140年の町家のなかに古今東西の工芸・雑貨のアンティーク、ランプ、器、照明など選び抜かれたものだけがさりげなく置かれ、
小さな虫籠窓、赤と白の大きな椿の木がある坪庭があって、
広縁や、庭に面した1階・2階の座敷に並べられた、ため息をつくほどの
、確かな器や雑貨などがレイアウトされたとても素敵な店だった。
確か、平松洋子さんがエッセイのなかでよく登場してらした。
(丁字屋は今は閉店し、その場所は何も利用されていない。残念)

「グランビエ デ アリィーバ」(寺町通り)も、丁字屋と同じように1階・2階に分かれていて、中国やベトナム、ラオス、トルコなどのアンティーク雑貨、
布モノ、洋服、生活道具などをとても買い易い値段で揃えている。








そして丁字屋よりもだいぶカジュアルで、若い人でも入りやすい店づくりになっている。
この日もレジ付近の天井からつりさげられた彩どりのランプが印象的だった。
ほしいなあ、寝室にもあいそう。仕事部屋でもよいかなあ。





疲れたので近くの一保堂茶舗のなかにある嘉木で「嘉木」という煎茶と和菓子をいただく。






正しい煎れ方をレクチャーしてくださり、
ゆっくりと低温にさましてから器に注いで四煎ほど飲む。

一保堂の煎茶は少し値段のはるものはおいしい。
この日の「嘉木」は、まず塩味がさきにたって次に甘味、苦み、フレッシュ感などが複雑に味わえるいいお茶だった。





友達が話してくれたエピソードや私になげかけてくれた言葉などを思い起こしながら話していると、
「あなたの周りはいい言葉をつたえてくれる人がいてますね」。そして近況の相談事、これからどうして生き抜いたらいいのかしらなどと話をしていると、
「まず環境から。自分の環境を大切に整えてていかれたら、乗り切れるものかもしれませんよ」といってくれた。


大学時代にインド哲学を学んだという彼女の思考は深くて、あとで思い直すほどになるほどなあ、と推敲できるいいメッセージを沢山もらった。
いつも会えないけれどちょっとだけ懐かしい、そんな春の再会となった。


乳房予防切除、について思うこと

2013-05-23 01:25:41 | 腹腔鏡下 子宮全摘術




早いもので子宮筋腫の腹腔鏡手術(子宮全摘出)からもうすぐ1年になる。

来月1日には、大阪中央病院でともに院内生活をおくった友人たち6人
(1人は家庭の事情で不参加)と
術後1周年を記念して「同院会」も開催予定。
おいしいフレンチを食べに行くことになっている。
早いものだ。あれから、めまぐるしくお互いの人生や環境は変わった。というようでもあるし、
もう1年か、自分はどれだけ前進できたのだろうか、というようでもある。

実際に体調はどうなのかしら…。
正直にいおう!一番歓喜にみちて快調に思えたのは術後3日目、10日目、もしくは2カ月目かな。
こういえば、えっ~~!とどこかから雄叫びが聞こえてきそうである。

こう書いた理由は、それほどこの時期の体調は一日一日が良好に向かっていて、
回復しているなあ、傷、癒やされているなあと身をもって実感出来たのがその頃だったという意味。
もう生きて、日常を送れていることがうれしくて誰かれ構わずに感謝!したいくらいだった。

もちろん、今も体調的に悪いわけではない。しかしすこぶるスッキリ!
でもないのが私の場合、正直な感想なのである。

まあ新生児ほどの異物(子宮筋腫の瘤)のほか無数に瘤を取り除いて、その結果、時間さえ経過したら身も心も晴れやか!術前・術後で全く何もなかったように忘れて、これまでの私に戻ることができましたよ!
というのとは違うのだ、ということをここであえて告白しておこうと思う。

本当のことを言おう。まず寒いとズキっとうずく。えっ?いやホント。
痛点とは明らかに違う、重たいような、だるいような不思議な違和感が体のなかでざわめいている。主張している。
忘れている時も多々ある。これも事実。全く感じない日もある。
でも一番でっかい筋腫のあったあたりがつっぱる、という感覚は術後3日後くらいから確かにあった。
ないはずのものが、ある時よりもむしろ時に主張なさっているのである。
あまりに主張されるので今度は本格的なガンか、新しいカタの腫瘍でもできたかしら、と錯覚するほど…。

コロンとした何かを体の中に抱いているような。前かがみになっても体が自然と折りたためないほどの
ちょっと変な感じが続いている。日を追うごとに薄れてくるのではなく実はより鮮明になってきている。
こう書けば、え~!怖い!と思う人がいらっしゃると思うが、
勿論人ぞれぞれで個人差があることなんだろうと思う。全くもって私の場合はこうであるが、
人によっては、スッキリ!爽快!真っ新同然であるよ、という方も
いらして不思議はないんだと思う。

ただ私の場合には、あまりに
それが生き物のようにしくしくしたりして、スパッツを一年中はいていないと、そんな感覚がまた少~し倍増するから
たいていの場合に何かその類ものを身につけた状態でいるのだ。

変だよなとも思うけれど。折をみて病院で検査してみようかしら、とも思うけれど。じぶんの一部を取り除くというのはこんなものだと、半ばあきらめに似た気持ちでいるのかもしれない。

精神的にはどうだろうか。

貧血も解消されて、胸の鼓動が早打ちしたり、
階段を上がると呼吸が乱れることもない。また、いつも病院の存在を身近に感じなければならないこともないので、助かっているし、比較的安静なほうだと思う。自分の体調以外のことに十分目をむける余裕もある。

筋腫があった時に比べると、よくなった。うん。

でも、自分の精神にもう少しだけ丁寧に耳を澄ますとしたら、
なんだか感覚が少し鈍くなった気がする…。え~!これも正直なとこ。素晴らしいものをみても、
美しいものや気持ちいいものを感じても、ある薄い1枚のオブラードのようなものを通して感じてから、
ゆっくりと自分の内側に溶けてくる感じ。走りくるような俊敏さというものに欠けてきた。
おっとりしていた私が、困ったことにさらにぼんやりしはじめたということだ。

そんな自分に慣れ、コントロールしつつ日々生きているのである。

おそらく年齢の影響も大きいのだろうな。
いつまでも、5年前、10年前と同じ自分じゃあないということを、
そろそろ正面から受け入れる時期なのかもしれない。

いや、もっと積極思考で考えてみよう。今現在のわたしが最悪の事態ではないということが一番幸せな選択だったことである、
これを一番にいわねばならない。
だから微塵も後悔はしていないけれど。


ただ昨日、今日と新聞に掲載されていた 「乳房予防切除」の記事をみて、
どこか自分の中の何かがピクリ!とうずいたのある。

遺伝性乳がんになる率を防ぐために乳房を事前に切除する手術を受ける人が、
女優・アンジェリーナ・ジョリーさんだけではなく、国内でも希望者が着実に増え始めているようだ。

私の父もガン末期で他界したので、ガンの壮絶な戦いは十分に目にして思春期を過ごしたひとりだ。
ガンはその響き以上にあらゆる感覚をマヒさせ、ダメージをうける病である。
遺伝性乳がんがみつかっての、家族や自分の苦悩を思ったら、それは乳房を自ら切除しても
そのリスクを回避するほうを選択し、シリコーンなどを注入して乳房再建する、という考え方も間違った選択ではない。むしろ、建設的で明るい現代的な考え方だと思う。

事実、遺伝子検査をうけて異変があった場合に、70歳までに乳ガンのリスクは約45~65%とされているというからかなりの確率。大変な葛藤の末に乳房切除という選択をした人を、勇気ある行動だと温かくたたえる
べきだと思う。そんな社会が素晴らしいと思う。

そうわかっていながら一方では、切除してそれでおしまい!ではないという真実もあるということだけは
しっかりといい含めて間違いではないのだと思う。
美容整形と同じ感覚でその行為を行ってはいけない(そんな人は希だと思うけれど)と。
あとで自分を立て直すことができないほどの後悔と感覚が伴うかもしれないということも考えあわせて、天秤にかけ自分の人生を選択してほしいと思うのだ。

もうひとつ最後に告白すれば、
私の母も祖母も、子宮筋腫だった。
彼女らのカラダには子宮は存在しない。そしていまなお元気で生き延びているという幸福がある。

そのあきらかに、明るい未来予想とともに女性にとって子宮や卵巣や乳房、それはとても言葉では説明できないある鋭敏な感覚と
感受性を伴う特別な臓器であるということだけは絶対に忘れないでほしい。
切除して、さばさばと意気揚々と生きているかのような人も、
その内面には、決して人にはいえないような、ある陰を背負って生きることになる、という真実を、
あえてここで捧げたいと思う。
そのうえでより自分らしい選択をされることを節に望むのである。

5月の蓮華寺 青もみじの庭へ

2013-05-18 22:06:36 | どこかへ行きたい(日本)



5月は新緑がきれいなので何かと理由をつけて外へ出たくなる。
先日の日曜日もいいところへ行ってきた。娘のNと一緒である。

京都の出町柳から叡山電車(1両だけ)に乗ってゴトゴトと6駅め。「三宅八幡」駅で下車。私の一番好きな沿線かもしれない。
一乗寺駅や修学院駅、茶山駅、八瀬比叡山口、貴船口…。詩仙堂や曼殊院門跡など好きな寺、瑠璃光院やおいしいパン屋や趣味のいい書店、
名園、大学などを抱えた品のいい小さな町が集まっている。川も山もある。比叡山や鞍馬寺のすそ野というのが、なお良いではないか。

行き先は「蓮華寺」だった。



大原街道に沿って車通りを歩いていると、突然、山寺の古い門跡がみえる。


寺のなかにはいるなり、柔らかい緑、緑、緑。



5月の苔はふかふか。冬の栄養分をたっぷり蓄えているのか、やさしい色だ。
彫りのうすい地蔵たち。鐘楼堂。
手入れが行き届いた素朴な山寺は、ほっとする。来てよかったといつだって思う。
まっすぐに進むと拝観入口があり、寺のなかに入った。

「蓮華寺」は浄土教系の古寺で応仁の乱後荒廃していたのを、
加賀前田家の老臣・今枝民部近義が祖母の菩提のために再興したのだそうだ。
仏さまに手をあわせてから、庭園のみえる奧の間で休憩する。




外の緑が軒先の板間に映ってきれいだ。
池には鯉にまじって稚魚がたくさんいるらしく、勢いよくぴちゃりぴちゃり、はねるさまが面白い。
水面にいくつもの波紋。
「雨が降りだしてきたのかと思うけれど、違うんだね」とNがいう。
外履きのスリッパに履き替えて、尚本堂へ。
燃える緑と小動物と昆虫と、仏さまだけのほんとに小さい静かなよい世界だった。






せっかくなので、このあと次の駅の八瀬比叡山口駅まで遠足気分で歩きながら、
新しい学校の話などをあれこれ聞けたので面白かった。
10代の話は実に興味深い、耳の保養である。
瑠璃光院は拝観時間が4時までなのでこの日は足をのばせなかったが、
風をうけた、貴船に続くせせらぎや青もみじを沢山みられてよかった。





帰りには一乗寺駅で降りて、学生街のようなあったかい通りを散策。
いつも必ず立ち寄る「けいぶん社書店」で本を見る。
この日は緑色の手頃なサイズの手帖と




内田百聞「ノラや」等を購入。

「パティスリータンドレス」でケーキとお茶にする予定だったが
夕方6時過ぎていたので生菓子は全て終了なり。こうなると、猛烈にお腹が減ってきたことに気付く。

ふと歩いていると玄関口が解放されていて、奧に長い鰻の寝床に満席の客席。
次から次へ、人が訪れては並んでいくのをみて、これは!と期待して店へ侵入する。地元で評判のとんかつ屋さん「とん吉」である。
周りは常連さんと家族づれでいっぱい。カウンターに置かれた冷蔵ショーケースにはものすごい厚切りの豚肉が!
とんかつは好きなので興奮するが、私の心はもうひとつ響かなかったのである。残念。(ファンの人にはごめんなさい)。
「ヒレカツとエビフライ」を注文。
写真はNのとんかつ定食より。




オリジナル中濃ソースの味がきつすぎて、肝心の豚肉の味がよくわからなったのだ。
脂身も甘いのか、肉質もよくわからかった。

好みからすればもう少し衣がサックリして、中から肉汁がじゅわっとしみる、脂身のよい香りがする豚肉が好きでした。
しかし、男性客はうれしいボリュームだ。ごはん、豚汁、付け合わせのカレー風キャベツ煮やスパゲティ、ポテトサラダもお皿からはみ出るほどの量。
B級グルメファンが通いつめるだけある。

帰りには河原町のフランソワ喫茶室でおいしいウインナー珈琲を飲んでから帰る。



昭和7年から営業しているバロック調の店内は、
いつ訪れても変わらず夜にくるとなおいい。ほんとうに落ち着く。
クラシックの流れる喫茶店は先頃では珍しいが、これみよがしにうるさくないし、選曲も悪くない。珈琲の味もいい。
ケーキは、レモンパイやザッハトルテなどもおいしい。


あたらしいお茶椀を買いました その1

2013-05-14 23:48:58 | 器を買いに



長い間、更新を滞っていたら初夏になっていた。
緑の風吹く5月、などとよく形容されるが、ほんとうに最近は光る緑がきれいだ。
ああ。ゴールデンウィーク中のこと、その前の数週間のこと、いっぱいネタはたまっていく一方。
落ち着いてから、今なすべきことが片付いてから、書きたい気持ちになってから、などとその「時」がくるのをひそかに待っていても、
いつまでたってもその「時」は訪れないのである。

そこで強引にこちらから迎えにいくことにした。

そろそろ、まとめておかないと、もう書く気もうせてしまうのが怖くなったのである。

まず「器」のことから。

3月、母を伴って山代温泉に旅行した。
山代温泉といえばすでに書と篆刻で世の一定の評価をうけていた福田大観(後に魯山人)が金沢を訪れて細野えん台に自作の器でもてなされ、
料理と器の美しさに目覚めたのが、彼の芸術家としてのはじまりだったといわれている、ゆかりの地なのだ。

そうなると、
どうしても魯山人が同じ陶芸作家として影響をうけ、手ほどきをうけた初代須田菁華さんの窯を訪れてみないわけにはいかない。
旅行の2日目「須田菁華」4代目・3代目の器に会いにいく。

小さな日本家屋、玄関先からおびただしい器の数かず。
色、モチーフともに華やかで圧倒される。
どちらかといえば地味な器を好む私は、少々めんくらった。
2周、3周して器を見て歩いて、ようやく目が須田さんの器になれたころに、
目に飛び込んできたのがこれだった。

「矢啓赤絵花網文茶碗」(須田菁華)






編目文のなかの梅が赤く咲いていたり、白かったり。
まっすぐに前から見ても、上からのぞいても、花がきれい。




かたちもごく自然としぼんでいく様が、上品だし、
見たり、触ったりしているだけで幸せな気持ちになる器だと思った。
この花々には、煎茶の緑が美しく映えるに違いない。いまの季節にぴったりだ。

そう思ったが、値段は1万円以上も(9千円以下のものはほぼない)。
茶碗は1客あっても寂しい。
客人と一緒に同じ茶碗で飲みたい。
それで一度は諦めて、菓子を盛る小ぶりの器や刺身などを盛る鉢を見て歩く。
これは、と思うものは1客2万円以上である。
母も娘のNもいて、「早く、早く」と急かされる。
これ以上、ゆっくり器買いを愉しめそうになかったのでこの日は何も買わずに断念。
結局、帰る電車の中でも後ろ髪をひかれて、家についてからすぐ店へ電話して2客送ってもらったのである。
私の小さな頭は、ひとつのことで
よくよくいっぱいになることが多い。





続いてゴールデンウィークに信楽陶器市にでかけ、
「さがら」さんで購入したのがこのそば猪口。(柴垣六蔵)






そば猪口は手に持った時のおさまりが大好きで、よく買う器のひとつだ。
日本酒のほか、日本茶や紅茶などをいれるときもよく使う。
和総菜などを盛ってもいい。
シンプル極まりのないかたちが大好きなのである。

この器を購入した日も実に新緑がきれいな日だった。
あまりに品のあるウグイス色。
茶碗の肌色も透明感があって、ぽってりした印象なのに、ツルンともしている。
持った感じも手にほどよい重みがあって、中国のアンティークぽさが漂う。

おしりの六。柴垣六蔵さんの六。いいなあ、こういうの。



「さがら」には柴垣六蔵さんの器がいくつも展示してあり、
真っ白な取り皿や六号皿、湯飲み、
どれも色や重量感、空気感ともに素敵だった。
洋食器のような和食器のような。
アンティークのような近代もののような。その曖昧さが好きで買った。
この日はもうひとつ、取り皿と大きめの鉢も一緒に買った。


これは、河井一喜さんの器(珈琲茶碗)。



2年ほど前に友人のかおりさんに教えてもらった。
京都烏丸の「北欧. スタイル+1アンティカ とモダン」で買う。

雑貨店というか家具店で器を買うなどというのは、かつて経験なかったが、
一昨年前のじぶんの誕生日に、河井一喜さんの珈琲茶碗を購入し、これが見事に割れてしまったので
どうしても同じようなものがほしくて、行った。それでも薄ピンク色の、同じものはなくてガックリ。
このまま帰る気になれなくて、ぐるぐると何度も見渡し、この器を見つけた。

ほんとうはお皿とカップは別ものである。
でもよく合う。
青と紫、赤の独特な釉薬使いに惚れこんで購入する。
土もの茶碗なのにガラスのようにも見えて美しい。珈琲が映える器だ。

京都五条坂に記念館も有する河井寛次郎さんは、河井久(父)さんの叔父にあたる人。
久さんの器も素晴らしいが、息子である河井一喜さんの器も、
民藝の伝統をしっかり受け継ぎながらも、新しい次代の感性を作品に反映させ、モダンさを上手に表現される。

ほか、春から初夏のこの頃まで、もう少し器を買っている。
壊れたものを追い求めて、きょうも器屋さんをこっそりとのぞいているのかもしれない。