月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

まず一つ行動する。階段を一段あがること

2020-10-28 00:56:00 | コロナ禍日記 2020

 

 




(奈良 大神神社⛩ 三輪山内)

 

 

7月26日(日曜日)晴れ

 

2020年7月の4連休だ。新型コロナウイルス感染拡大が、連日東京では230から300人の間で推移し、大阪でも100人を超えている。

 

全国各地への市中感染が深刻だ。

「Go To Travel」!ひとが移動し、お金をおとす。もれなく、都心部から地方へ、新型コロナを落としていないか、それも心配だ。自分の健康は自分で守らなくては、と爪を噛む。

 

きょうは芦屋のグランドフードホールに、 水(エデンの硬水)と米、あんみつ、豆腐、キムチなどを買いに。生鮮食品をイカリスーパー本店で買う。篠山の西村牧場で、すき焼き肉、焼き肉用、切り落とし、同じく篠山の農協(味土里館)で地元の野菜、マグナム珈琲で珈琲豆を2種買う。長く仕事をするためには、生活の基本が大事。

 体の土台がしっかりしていないと、よいものは書けないし、7〜8時間の睡眠、添加物のできるだけ少ない、生きたものを食べる(加工食品は極力避ける)こと。散歩やヨガ、瞑想など。負担にならない程度にできたらいいなと、いつも思っている。

 それでも、忘れてしまうのが世の常、だ。

 

このところ、一日の終わりに、ベッドのスタンドライトをつけ、スケジュール帳をひらき、簡素な日記をつけている。

 

  •  一日で感謝したいこと。うれしかったこと。
  •  自分らしくないこと。反省。
  •  明日の抱負、目標

 

簡単に1行くらいで書いている。

 以前は、お風呂でポメラをひらいて、その日一日の日記を書くことが多かった。が、最近は簡素化した。

 

 作家の辻仁成氏が次のように書いていた。コロナ禍で、不安を感じ、自分が押しつぶされそうになったら、一番は家中のゴミを捨てろ。親友に電話をかけろ。トイレットペーパーに不安な事柄や嫌いな人の名前を書きなぐって〝大〟(小でない)で流せ。部屋の窓をあけて光の中を歩け、そして走れ。爆睡しろ!

なにはさておき、行動は大事だ。考えるよりやってみる、そうすれば階段を一段あがることになる。

 

 

 

 

 


朝食にはグラノーラがおいしい

2020-10-23 00:06:24 | コロナ禍日記 2020

 

 

7月23日(木曜日)曇

 

 文章を書くというのは、「生(なま)もの、いきもの」だと思う。

 いつ、どこでも、どんな時でも、書けるものじゃない。その時々の、旬がある。あの時、あれほど、それについて書きたいと思ったのに、数日後には関心は薄れているし、毎日1日に3本、4本の原稿を平行してやれていたと自信すらもっていたつもりでも、3日も続けてNと遊び歩いているうちに(締め切りがある原稿はどうにか書いていた)書く虫はどこかへとんでいってしまって、ふぬけた自分がいる。これは困った。

 

 大事なことは、毎日毎日、続けることである。

 

 ところで、最近、少し凝っているのが朝のグラノーラだ。ヤタロウズ・グラノーラというのが名前だそうで、エッセイストの松浦弥太郎さんが、十数年こだわって研究したというグラノーラ(プレーン・抹茶)という。(松浦氏は「暮らしの手帖」の編集長を2006年から15年まで務めたひとだ。中目黒にCOW BOOKSという古本屋の店長でもある)



 

 今朝食べたのは抹茶だ。有機オーツ、ピーカンナッツ、有機ココナッツオイルやシナモンパウダーなどが入っていて、かなり濃厚な抹茶味のさくさく感に、ごろつと丸ごとはいったピーカンナッツが、機嫌のよい時に顔を出すとやった!と思う。食感が楽しい。

 

 大さじ2杯の抹茶味にケロッグのグランフレーク(食物繊維が豊富)を大さじ1杯、加えて牛乳をかけて。完熟バナナと台湾マンゴーをデザートに食べる。

 



 

 おやつタイムには、ヤタロウズ・グラノーラの抹茶味に、ハーゲンダッツのアーモンドミルクとのコラボで食べてみた。舌につめたい甘さと抹茶のサクッとしたグラノーラが以外に合う。

 

 

 ということで。(何が、ふむ)

 夕食には、ゴーヤチャンプル、グランドフードホールで購入した「国産寒さば、木頭ゆず水煮」の缶詰を温めて。トマトサラダ。

(一杯目は冷やしおかゆに、南和歌山の梅干しをいれる)(二杯目は炊きたてごはん)

 

 今年は、セミの鳴き方が中途半端だ。30分も鳴いたら、すぐ止んでしまう。お陽さまが照りつけないとセミは鳴かないのである。

 

 

 

 


喪失感には慣れない

2020-10-22 00:44:00 | コロナ禍日記 2020
 
 
 

 

 

7月22日(水曜日)

 

ヨガ、瞑想20分。松浦弥太郎さんのグラノーラ(プレーン)(抹茶)をヨーグルトで。紅茶はウーフのダージリンにした。   

 
 

昼ごはんは、ポークチャップ、野菜サラダ、ニラの味噌汁。

夕ごはん、ステーキ肉に、ピーマン、パプリカ、万願寺唐辛子、もやしなどなどの付け合わせ。ポテトサラダ、京のおつけもの、みそ汁、デザートには冷やしパイン。

 

お昼3時にNが東京へ帰るので、車で駅まで送る。

 いつものことだが、なにもする気になれない。本を読んでもどうでもいい話しに思えてくる。ぼーーーっと何時間も、揺れているベランダの植栽をみて過ごす。

 今年4度の帰省だった。5月2回(約10日間)、6月(18日間)、7月(5日間)、

 

 ついさっきまでいた人の姿がないことの喪失感だ。ふわふわ明るく、笑っていたものが消えてしまった。わたしは、なんど経験してもこれになれない。いつも同じように、喪失感で身動きができなくなり、気が抜ける。

 夜、机の前に座って何か書き始めようとしたら、少こーし、落ち着いた。ここがあってよかった。就寝は1時30分。

 

 


神戸居留地「Dick Bruna TABLE」に行く

2020-10-20 21:52:13 | 兵庫・神戸ごはん
 
 


 

7月21日(火曜日)晴

神戸居留地。この街の夜が好きなのは灯りがつき始めると、いきなり大人の街になる。シャンソンを謳いはじめるから。洋館の建物やレリーフの深い中高層ビルの影と光の当たりぐあい、交錯の仕方がちょっとだけ巴里に似ていなくもない。

Nが東京の帰る前日には、「Dick Bruna TABLE」に行った。





 


 

 

丸い顔、しっぽのような長いお耳、不思議そうな瞳にバッテンのお口。

ディックブルーナの描くモチーフは、温かみのある手書きの線が美しい。子供が安心する黄金のバランスだ。


1階、2階、3階、4階まである積み木のような小さなビル。それぞれキャラクターグッズ、ディックブルーナのアトリエをイメージした教室風カフェ、ちょっと大人のワインバル、VIPな個室という構成(私たちは3階)。

    


 




 


 
私たちは3階に。

イタリア・マルケの人気ワイナリー「モンテカルロ社」の手掛ける白ワイン入りのビール「キッカ・ビオンタ」を飲んだ。ワインの華やかな香りと爽やかな酸、飲み口がフルーティでビールのような余韻。なかなか面白かった。2杯目は、店のお兄さんオススメのスパークリングワイン白。ほか。

前菜数種の盛り合わせに、手づくりウンナーや煮込み料理などをつまみながらワインを飲む。混んでなければ気軽なバルだ。


カウンターの端にいた眼鏡の中年女性が、一人できていて写真を撮りながら熱心にカウンターのお兄さんにメニューの作り方やワインについて質問していらした(同業者にはみえなかったけれど)。


 首を横にずらして窓外をみると三宮の街の動きや時間の進む流れがチラチラ垣間見える。

 

遊びつづきに、もう一件はしごをしたくなる。

ハーバーラインドのそばにある「メリケンパークオリエンタル」。最上階の「VIEW BAR」まで徒歩で。

Nは西瓜のカクテル。わたしは赤ワインとローズのカクテルをお願いした。

 



 

 神戸の海の夜景を久しぶりにみた。ふとNが中学に入る前の夏、「メリケンパークオリエンタル」の船型のプールに泳ぎに来て、夜からの塾をさぼらせ、そのまま一泊したことがあるのを思い出した。その日たまたま算数の授業だったらしく「おかげで鶴亀算がいまだにわからないの」といまでもNはいう。確か、彼女が大学3年生の時に付き合いはじめた頭のいい男の子に教えてもらえる機会があったとか、なかったとか。まあ、大人になれば絶対的に必要な記憶以外は、たいてい忘れてしまうことになるのだから。(と、いうことにして。でも申し訳なかった)。

それにしても、神戸の夜は色々な物語がつまっていて懐かしい。強烈すぎる白い蛍光灯の電車に揺られて夜11時半に家路につく。





 

 

 

ダックワーズの場合には

2020-10-17 23:52:00 | あぁ美味礼讃
 
 京都寺町で骨董の大吉やグランピエ、鳩居堂で紙物をみたら、ここ。明治創業のお菓子の店「村上開新堂」(京都で一番古い)


 朝ドラにでも、出てきそうな雰囲気のある駄菓子屋風の店内。小さなショーケースの中はジュエリーみたいな美しい焼菓子がならぶ。

 ダックワーズ、ロシアケーキ、ガレットをおみやげに。買ってよし。食べてなおよし。お茶の時間が待ち遠しくて、わくわくする。

 お気に入りはダックワーズ。ふわっとしっとりしてデリケート、キャラメル風味のバタークリームがメレンゲ生地の中にはいる。和三盆のような甘さの洋菓子。




リーガロイヤルホテル大阪「リーチバー」でカクテルを

2020-10-17 00:13:00 | コロナ禍日記 2020

 7月20日(月曜日)晴

 

14時まで仕事。

 ディーン・デルーカーで、グラノーラを買い、リーガロイヤルホテル大阪の「リーチバー」へ行く。来訪は2度目。

 

 陶芸家バーナード・リーチ氏が着想し、数寄屋建築が得意な建築家、吉田五十八が設計したというバーがある。1965年のオープンから改装はなく、デザインは当時もまま(?)というのが一番の魅力に思う。

 

 店内にはBGMはなし。あちらこちらから、聞こえる小さな笑い。声を落として語るひそひそとした話し方や、グラスの音、バーテンダーがシェーカーをシャカシャカとふる錫や金属音たちが反響し、なんとも静かなのが似合う空間である。コロナ禍なので3組か。入れる人数を半分に制限して営業していた。










 バーナード・リーチほか、棟方志功、河井寛次郎、濱田庄司らの作品が今も飾られているらしい。民芸という舟の中に(自分が小さくなって)揺られているような不思議な感じが、実によいのかもしれない。


多彩なのは壁面。

 細い竹を斜めに揃え嵌め込んである壁、葦材の額縁。また、ニスの塗られた木の床、イエローの球体が美しいロンデル窓も、空間に馴染んでいると思う。重々しいのに軽やかである。

 

 この日は夏らしくローランペリエのシャンバンを。ああ、好きな味。




 2杯目はパイナップルインフュージョンをいただく。あまりにおいしいので、作り方を聞くと、








「ごく普通のウォッカにバイナップルを長く漬け込んでいるだけです。ご家庭でも簡単にできますよ」とのこと。

 ウォッカの情熱的な味を甘酸っぱく締めるフルーティさ。これ1杯のむだけにここに立ち寄るのも粋…などと、想像を膨らませられる大人のカクテルである。

アテによく注文するのがレーズンバター。砕かれた氷の上に乗ってくる。

 

 こういう空間では、ぜひとも大人の話がしたい。Nの恋の話しでも聞き出そうかと持ち掛けてみたが、途中でやめにした。悪酔いするには勿体ない。高価でおいしいお酒なのだから。

 次は気のおけないのんべえさんと来たいなあ。誰でもいいというわけにはいかない。ちょっと好きな人としか使いたくない。

 

  






神戸の弓削牧場「ヤルゴイ」から「神戸森林公園」へ

2020-10-15 00:50:39 | コロナ禍日記 2020

  7月18日 (土曜日)晴れ

 

 

 風は葉の間をぬけて清々しい、暑い一日。今月のNの滞在は4泊5日という。朝起きると「一日たりとも無駄にはしたくない。ね、どこ行く」と朝食の間、3回は聞くのでとりあえず家族そろって車で出発した。

 

 スマートフォンから顔をあげて、道路標識へ目を移した瞬間に、あ! と閃く。うん、「弓削牧場」へ立ち寄ろう。六甲山の北側(神戸市北区)、標高400メートルにある(正式には箕谷酪農場)個人経営の牧場だ。ちょうどそのあたりを走っていたのだ。

 

 ラジオやテレビでおなじみのパーソナリティ、豊島美雪さんをインタビュアーに、神戸製鋼所の情報誌「smile」巻頭特集の連載(5ページ)を私が3年担当。「弓削牧場」の弓削忠生さん和子さん夫妻をふと思い出す。いまの季節、きれいに違いない、と思ったわけである。

 



 


 

 


 カラフルな家が並ぶ住宅街の角をいくつも曲がると、細い山道へ入る。風が、山の風へと変わった。おー!この景観だ!

 

 

 

 牛舎にチーズ工房、牛や羊の小さな放牧場、ハーブの畑、果樹園。こんな緑の里山が神戸から車で20分たらずとは。

 

 弓削さん夫妻の経営されている山小屋風の人気レストラン「ヤルゴイ」へ。コロナ禍、4組の来客がいた。通常なら、予約がとれないくらいの混雑と言ってらしたが、このとおり。外のテラス席もいいが、きょうは日差しが強い。

「おすすめランチセット」と、「マルゲリータピザ」を注文。

 



 




 



 

 前菜である3種のフロマージュ、深い生乳のコク。いきているミルクを食べているような感覚。湿気のある神戸の風土が育む丘陵に咲くハーブや山野草のニュアンスさえ、感じられる。

 ハーブで焼いたチキン、フロマージュフレ(原乳を絞ってから2、3日でできる熟成前の生チーズ)、ホエーのシチュー、チーズたっぷりのピザ、ブルーベリーのアイスクリームなどを味わった。

 店内には馬の鞍が飾られていた。朝ドラ「エール」の馬具職人の仕事風景が頭をよぎる。おそらくご主人の忠生さんのものなのだろう。南アメリカのカウボーイ的な鞍、ログハウスに調和している。

 

 食事のあと、Nはヤギにクローバーを食べさせていた。

 

 牛舎から出て、ひなたぼっこをしている牛たち。日差しが暑そう。ここの牛たちは競りにかけられて神戸霜降り肉になるのではなく、乳を搾る牛だというところで、安心して見ていられる。居心地がよいとみえて、ぼーと考えごとをしているつぶらな眼の牛や親牛に甘えている仔牛もいた。ふんの上で脚を45度に折り曲げて眼をつむっている仔牛もいる。

 







 

 

 ここ「弓削牧場」から車で15分も走れば、神戸森林公園だ。6月、Yちゃんとアジサイ散策をしたばかり。

花は若干、弱っているがあじさいが残っていた。あじさい園から、長谷池のスイレンをみにいく。葉の表面が半分化粧をしているように白い「半夏生」が幻想的でよい。

 







 






 

 特別天然記念物のニホンカモシカをみる。名前はさちこ、という。山の神といってもいい威厳。じっと立ち止まって岩のところから人間を観察していた。なにを思っているのだろう、人間と共生し、見せ物になるべく動物ではないという気がする。雄々しい角のせいだ。あぁ、宮崎駿監督の映画「もののけ姫」のシシ神の顔立ち。有り難いものに出会えた。なんとも不思議な気持ちになった。

  





 

 そこから、最短距離で「うさぎの国」を目指して森林の中15分〜20分近く歩く。鬱蒼とした森林の空気。もはや遊歩道ではない。人を隠してしまおうとする山の強い気を感じる。足があがらない。無言で黙々と歩いた。へとへとに疲れて、うさぎの国へ到着(Nの強い希望で)。思わぬ登山になる。

 檻にいれられたウサギの群れ。かわいそうに、こんな大自然の中にいて(鍵のかかった小動物園)閉じ込められ、つまらなそうにじっとしている。やることがないので幾つもの穴々を掘っていた。40羽はいただろうか。可愛いなど、思わない。餌は固いカボチャが転がっているが、食物に飛びついて食べているウサギは一匹たりともいない。観覧者のいない、置き去りにされたウサギたち。こんな山の中でひっそりと飼われて、冬はどうしているのかと気になった。神戸森林公園、またゆっくりと野鳥ウォッチングに出かけたい。

 

 

 

 


月が見ていた

2020-10-10 00:17:00 | コロナ禍日記 2020





  

7月17日(金曜日)晴れ

 

ヨガと瞑想5分。

ヨーグルトにジャム。トースト、紅茶。

 

朝1時間だけ原稿をかいて、すぐに取材へ出た。約1年かけて仕上げる(予定)のブックライティングのための取材第1回目。

 

電車にのっている最中。携帯電話を忘れたことに気づいて、慌てた。四六時中、SNSをみるタイプでもないので問題はないが、きょうはNが帰省するので、連絡を取り合う必要があった。困った。どうしたら連絡をとれるか。同行のディレクターから連絡をとってもらう、Nの友人に連絡をとり(人の携帯をつかって)携帯のないことを知らせてもらう、などあれこれ考えるが、どれも具体的にはならない。もはやギブアップ。

 

取材終了が3時半。スタートとしてはまずまず、面白い取材となる。次回はもう少し、心情面を掘り下げて(根堀葉堀)聞こう。

久しぶりの大阪の人出は多い。きょうは東京で298人の感染確認。

全国的にコロナ禍がひろがっている。大阪も60人。

GO TO ペーンが今月22日からスタートするそうだ。(ただし首都圏は除外)。取材後はお茶も飲まないで、イカリスーパーで買い物をして帰宅。

 

15時半着。疲れたので水素ガスを吸入して、本(昨晩の続き)をよむ。Nは14時の飛行機にのるはずが、19時になったとのこと。

もう1本仕事をしたいところだが、疲れてどうも机に座る気にならない。コロナで家にいることが多いので体力不足なのだろう。

 

のろのろと夕食準備をする。きょうは酢豚と、蒸し野菜料理(ブロッコリー、ジャガイモ、パプリカ、キャベツ、ニンジン)お味噌汁。

Nを駅までむかえにいき、夕食とする。

 

仕事はやはりできない。お茶とお菓子のじかん。1時間。あとおしゃべり。寝室へパソコンを持ってはいるが、Nがすぐやってきてたまっていた17日分についてしゃべりだし、あいづちのつもりが、返事を返して12時に。

原稿はあきらめ、本をよみながらNの話しを聞く。寝室のカーテンを閉めようと空を見上げると月と眼があう。思いのほか吸い込まれそうな月のエネルギーよ。

夜1時半に就寝。

 


例年なら京都 祇園祭の宵山

2020-10-09 00:55:00 | コロナ禍日記 2020

 

 

7月16日(木曜日)

 

遅い時間に目覚める。二度寝をするときまって強烈な夢をみる。登場人物が30年前の面々で、わたしは彼ら彼女らに必死に語り、説得をしようと声を荒らげていた。起きてすぐ書き出さないと、秒針が進むごとに記憶が失われる。潜在意識が示すところのメッセージを考えていた。

 

ヨガ、瞑想を10分。朝食にはヨーグルトに、リュバーブのジャム。紅茶。

昨晩の日記を書いて、昨晩の原稿の推敲。提出。

 

2本めの仕事に取りかかり、資料収集をし、なんとか最後まで原稿をアップ。

3日かかる仕事の場合なら、一昨日、昨日、きょうと、少しずつでもブラッシュアップし、それによって推理小説の謎が解けるように少しでもよいものに近づけることがうれしい。自分が成長していると感じられる。

 

7時半。暗い幕がおりるまえのほんのひととき、散歩にでる。いつもの通りをくるっと歩くも、あれ? 空気がかわった。昨晩と違う。虫の気配が強い。あ! 例年なら祇園祭の宵山へでかけているところだ。どうりで、だ。すぐに真夏がくると悟る(祇園祭の山鉾巡行が終わればきまって関西は夏が来るのだから)

 











散歩から帰宅後。明日の取材準備。これまでの資料をよみかえす。

 

きょうはパパさんの出張なので、簡単にチキン1枚を焼き、タマネギのソテー、パプリカやブロッコリーをオリーブオイルで調味して頂いた。掌にすっぽりおさまる南米のグラスに赤ワインを1杯。

 

少し本を読む。このところ千早茜さんの「透明な夜の香り」の終盤にさしかかっていて、少しのすきま時間も読んでいる。1章1章を貴重に。もうわたしの頭の中では調香師小川朔の研究所(洋館)の情景が手にとるように記憶されている。

 

 

明日の取材準備。これまでの資料をさーっと読み返す。


11時からふたたび原稿にかかり、1時まで書く。そのまま倒れるように就寝。

 

 


溺れそうでも泳ぐのだ

2020-10-06 21:29:00 | コロナ禍日記 2020

 

          (画像は、東京ステーションホテル「とらや」のあんみつ)

 

 

ある日。7月15日(水曜日)曇り

 

いつものシリカウォーターを飲み、昨晩の日記。

そのあとヨガ、瞑想。少しだけ本を開く。

 

きょうも時間がない。スケジュール帳にかかる時間を書き入れて、朝から3時まで書く。

(お昼は、卵焼き、ごはん、きゃべつの酢漬け、味噌汁)

 

次の原稿に入るまえに、昨日玄関先の雑木林の入り口のところにある、土の上においたセミが、まだのたのた敷地にいるのだろうかと見に行く。本当は恐い、干からびて死んでいるのではないか、それともカラスか野鳥に食べられて、無惨な姿(片身など)ではないか、と思いながら怖々みる。

 

勇気をだして目をあける。が、姿はなし。あれ。一心不乱に目を土のところまで近づけるがなし。ホッとして喜ぶ。跳べた!飛びたった! (本当か?)ただ自分より強いものに食われたのではないか。

それとも、ここ数日の大雨で羽がびしょぬれだったから飛べなかっただけで、土の上で休息したら、好きなところへ移動できたのかもしれないと良いふうに思おうとも努める。どちらにせよ、自然に還っていったのだから。セミにとってはよかったのだと、言い聞かせる。部屋にかえってもセミのことが頭から消えない。セミの一生に思いをめぐらせた。

 

 

3時半から19時まで、月刊雑誌の原稿を書く。

昨日は難航していておぼれそうだったが最後までなんとか上がる。

ちゃんと、取材相手のいう心の奥の深いところまでとらえながら、彼が(対象者)いっている言葉を整理し、関連の資料にあたれば、そう難しくはない。自分の自信のなさがよけい難しくしていたに違いないのだ。

 

自分への褒美に、セブン−イレブンまでテクテク階段を下りて、歩いて、ハーゲンダッツのアイス(新作のパインマスカルポーネ)を買いに。雨上がりの散歩が心地いい。

 

夕ご飯は、カレーライスとサラダ。

夜は別の原稿を書く。夕方の原稿の推敲。

10時50分からNHKのネコメンタリー最終回(井上荒野さんの回)をみる。いい番組だったなーー。最終回とは。頭を真っ白にして猫と小説の暮らしのドキュメンタリーに見入っていた。しあわせな時間。エッセイを映像にしたようなある作家の時間。

 

12時からお風呂で本をよみ、布団の上でヨガをして就寝。


雑記 仕事のちセミの観察

2020-10-06 00:32:00 | コロナ禍日記 2020

 



 

 

7月14日(火曜日)曇りのち晴れのち曇り

 

朝6時半に起きる。

ヨガと瞑想のあと、日記。しばらく本をよみ、Uf-fu(ウーフ)ダージリンでゆっくり。きょうはパパさんが4日ぶりに出勤し、芯からリラックス。

11時から3時まで1つめの原稿。3時半から資料読み。夕方5時から深夜1時まで2つめの原稿に。

 

お昼は昨晩の残りのジンギスカンに目玉焼き、京都のおつけものでサッと食べる。

 

夕ごはんは、夜9時から1人でとる。ピーマンと万願寺唐辛、たまねぎ、牛肉などを中華味に炒め煮にした。大葉入りゴマ油と醤油のトマトサラダも猛スピードでつくる。

なんども、ソファのところでちょこちょこ読書をし、息ぬきをした。そのせいでもないと思うが、提出の原稿が2本目3分の1までしか仕上がらない。雑でもよいのでラストまで一気に書く習慣をつけたいと節に思う。

このところ気になるセミについて。

 

(一昨日)

 大雨の日のことだ。玄関を出てすぐコープの宅配の発砲スチロール(白)に細い糸のような脚を震わせてかろうじて捕まっていたセミをみた。ようやく地上にでられたのに雨ばかりで羽が乾かないのだろうか。からだがよわいのか。全くうごかない。最初、ごきぶりかと思ったほどだから。

 ウォーキングのあともう一度同じセミを探す。発砲スチロールを下向きの直線につかまっていた。おーー動けたではないか。死んでいなくて良かった。

 

(昨日)

 翌朝、玄関のドアを開くもセミはみあたらない。あれ?と思うまもなく、すぐ足下に雨にびしょびしょになり白い腹をむけてころがっている。あーーやはり死んでしまったのだと思う。夜。寝る前にセミを見に行く。あまりのどしゃぶり、同じ姿勢で大雨の洗礼をうけている・・・。

 

(きょう)

 今朝、ようやく晴れ上がったので弔ってやるつもりでシャベルで救いあげると、なんと触覚も脚もぴくぴくと動く。反射神経かな。動いているまま土にうめるのもなんだかと思い、そのまま(敷地のなかの)土の上にそっと置く。

  夕方。ウォーキングから帰ってくると、あれ、土のうえにくたばっているセミがいない。目を近づけてみたら、そこから数センチの水栓のところでとまっていた。わずかものさしにして5センチほどだが、自分の脚で歩くことができたのだと、すごい!と歓声をあげたいほどの気持ちになり、その場をさった。夕方7時半のことである。

 


果てしない砂丘に埋まってしまわないように

2020-10-02 01:00:00 | コロナ禍日記 2020







 

7月13日(月曜日)雨のち曇り

 

朝8時に起きる。

ここ2週間くらい起き抜けには、eedunのシリカミネラルウォーターを飲む。(ここしばらくお白湯はおあずけ)


ニュージーランド生まれの軟水でとろりとした甘みが感じられる水でなめらかに喉をすべる。体に必要なケイ素が補えるし、おいしい。

ベランダへ出て、ヨガと瞑想をした。朝の空気は新鮮だ。お香を炊いて、ケヤキの木を仰ぎみながらする。けやきには目があり、自分をみていてくれるような確信を覚える。

 

本を広げつつオールブランのフレークと、岩手のプレミアム湯田ヨーグルトで朝食をとる。すぐに締め切りの原稿を推敲、2度、こまかいところに訂正をかける。キャッチフレーズがどうもうまくいかない。

 

昨日の夜ほぼこれでいこうと思っていた原稿も、全く見当違いな表現をしている箇所をみつけて、恥ずかしい。パパさんがリビングで仕事中なので、寝室の部屋と仕事部屋を何度か行き来して、その都度あたらしい目で、みて書く。

 

提出後、お昼ごはんの準備。きょうは簡単に。昨晩のかぼちゃの煮つけ、目玉焼きとレタス、納豆に大根のすりおろし (以上)

 

 

午後から取材。昼1時から17時まで大阪へ。

帰宅後、ようやく休憩して、1時間半、朝書きかけの原稿についておもいをめぐらせ、続きを書く。

 

夕食は、ジンギスカン鍋とビールにした。仕事がある日は飲まないが、これからは大丈夫か。

 

20時半から深夜1時まで、明日から書き上げていく原稿のテープおこし。

長野のジビエ振興協会さんの会長さん、フランス料理を営むオーナーシェフが語ってくれていて、野畑をあらす鹿や猪を長野ならではの名物料理に仕立てる話など非常に興味深かった。

 

ただ4案件の原稿を並行するのは疲れる。大いに疲労。テープ起こしをしていながら、主題を模索し、今日は自分がどこか(果てしなく広い乾燥した砂漠だ)埋まりそうになる。充実にもいろいろだ。明日はもっとコントロールして、軽くいこう。気をぬくのではない精神を軽く、だ。力が湧く仕事、力を吸い取られる仕事をバランスよくおきたい。

集中力がないから、こうなるのだ。ぐっとのめりこめば面白くなれるはず。

 

2時に就寝