月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

雲海を下へみて空を行く、前へ

2018-06-30 12:38:05 | どこかへ行きたい(日本)






 本を読んでもシネマをみても、散歩にいっても。その快感にことごとく溺れ、旅に出たい、ここではないどこかへ身をおきたいと思うのに。いざ、明日から旅だとなれば、毎日過ごしてきた「居場所」を離れるのにとても後ろ髪ひかれ、本当は行きたくなかったのに、と家出娘の心境になるのは、今回もやはり同じだった。


 伊丹空港までは、3泊分の荷物を詰め込み、強く頬にあたる雨粒をかわすこともできず、傘を斜めにさして歩行するには、どう考えても自分の力量にたらず重い——。
 今回の「旅」はひとりではなく、東京で暮らす 娘のNと夫の3人での親睦を深めるものだ。ほんの一昨年までは、こうして家族で時間を供にするのが平凡な日常風景であったのに、今、私たちは3人で過ごすという「非日常」を楽しむために、「旅」という機会を利用して楽しもうとしているのだった。


 青い翼にのって機上の人となれば、自分を培ってきた重力がほんの数十キロほど軽くなる。絶対にこうでなければならない、などという偏見やこだわり、昨日までの責任感が音をたててガクンと外れ、私の魂とオブラードのようにとりまく生への執着心だけを引き連れて、空に舞い上がっているようである。
 雲海を下にみて。飛行機の機体が、激しいまでのスピード感でもって、前へ、前へとひた走るあの感じの乗り物としての心地よさが、何度体験しても、やはりとても愛しい。気圧が低く、空気の薄い中で寄り添う搭乗者との、もの言わぬけれど交わされるささやかな交流の糸と、どこか不安定な孤独感も含めて。


 羽田に到着したのは、五時を過ぎていた。
京急線から東急線に乗り換えて、ほんの数十分。
 
 江戸の空気は関西とは全く違う。もっと雑然としていて台湾や韓国に通じるアジア的な色濃さと国際都市としての立ち居振る舞いの中に、東京よりもっともっと東の田舎地味た空気が入り交じった、ぬるさみたいなものがあるのだ。それにしてもいい街だ、東京。

 晩ご飯は、恵比寿に出かけた。













小さな自然と、その時間の先に

2018-06-29 12:33:03 | 随筆(エッセイ)

小さな自然と、その時間の先に



                 
昨年から朝のヨガと瞑想を習慣にしている。

軽く体を動かした後で瞳を閉じて息を吸い、全身に溜まった空気を吐きだす。 繰り返すうちに口中に唾がわいてきて、本当の私・子宮のような小さな宇宙が現れる。

それを俯瞰するもうひとりの私がいる。

瞑想とは本当の私と心を合わせる一日の余白のようなものだ。

瞳をそっと開くと、さっきとは違う生まれたばかりの自然がそこにまぶしく見える瞬間もあって、私は無垢なる心でそれを受け容れて一日を過ごすのである。

瞑想は自然を体感として知る良い修練だ。

私は自然である。

対峙する森の木の幹も、昆虫も。 たゆたう水の流れも、燃える火も、そっと両手で包んだ茶碗も。私を包む布の温もり、いただく一片の魚の皮と身、瑞々しい青菜のツヤもなにもかも。

見えている自然、見えない自然は同じように生きている。どちらが上も下もなく、互いに死に向かって明るく前進しているのだ。

自然とは、弱く美しい。永遠のもの。変わってゆくものである。

自然とともに、私は毎日仕事をする。仕事は私を研磨する大海のようなものだ。

仕事の中で私はいつもAIと共生する。

AIが、あなたなら。私はあなたを信頼しながらも、いつも疑いの目で見なければいけない。

疑うことは考えることだ。

私はいつも考えている。私の感受性が知りたがるその先に何があるのか。自然の中に分け入って必死でみつけようとしているのだ。

自然は私を守る。私は挑む。勇敢な冒険家みたいに。


 




朝4時のブルーモーメントに捧ぐ

2018-06-23 00:15:27 | writer希望を胸に執筆日記

6月22日(金曜日)晴れ






たくさんの想いがどんなにあふれていても、それを言葉という文字に置き換えなければ、想いは風のように。あるいは空気に混じったチリのように、風化してしまうのだろう。たくさん読み、たくさん見て、心がえぐられるように痛烈にたとえ想ったとして、同じことである。それを文にできなれば、たちまち自分の想い、意志なんてものは、ひ弱なもの。どこか遠くの果てに飛んでいってしまうのだ。


見れば見るほど、読めば読むほどに。それらが自分の体の中に蓄積し続けると澱のように想いの質量はだんだんと重くなって、行き場をなくし、唖のように黙りこくって、生きるのでさえ、億劫になってしまう時もある、
いつか、時がたってそれらの澱を取り出したなら、言葉は魂を宿し、御弁に語りはじめてくれるのだろうか。それとも否、完全に記憶の彼方にいってしまうのだろうか。


書くということは、強い心が伴わなければ絶対にそれを書くことはできない。私自身はこの書くという強さにこそ、もっとも憧れているのかもしれない。精神が脆弱であると、たとえ一行の文でさえ語ることはできないのであるから。


今朝は、3時40分にはっと目覚めてしまった。一日をやりきっていない時には、こうして早く覚醒する。
月曜日の地震(大阪北地震)のせいではないと思う。自分の意志に反してごまかしたり、逃げたりして日々の生活を過ごしてしまっている怠慢さを、私の司令塔(脳)がきちんと覚えて指摘をしてくれているのである。


4時過ぎには郊外へと散歩に出た。
夜明けまぎわのブルーモーメント。一瞬のあの清らかで美しい時をなんと表現したらいいのだろうか。
生気の気配でむせかえる時間帯というのがあるのだ。
道端に咲く花という花、開き、伸び上がった草という草が強烈な生なる匂いを一斉に放ち出し、小さな生き物たちが一匹のこらず朝を告げ始めるので、そこら一面はものすごい濃密なエナジーに充たされた大合唱だ。草の波間で羽と羽をこすらせ、喉をならし、「起きた」「今日もこうやって無事目を覚ますことができた」「新しい朝がきた」「うれしいぞ」と、賛美のコール。ほととぎすも、うぐいすも、つぐみも、スズメもいっしょくたに大声で喜びの声をあげている。


そんな生き物たちの朝を縫うように、大股で散歩するのは、だから、不思議でたのしい。まるで黄泉の国に迷いこんだみたいに自分が自分(人間)でいるのを一時忘れる。小さく頼りなく、弱い動物みたいに。今朝は特に、家々の庭から色々の花がこぼれていて、郊外の住宅街がかもす立体的なハーモニーみたいな波間を、心躍らせて歩いたのである。


5時帰宅。家の中は静まりかえって、活気にみちた外とはうって変わった白々とした動かない空気とともに今日という始まりの朝が横たわっていた。

さあ、いつものアッサムティーを飲んで、1日を始めよう。仕事だ、仕事。



 


物語ではじめる朝は物語で床につく

2018-06-15 01:01:27 | writer希望を胸に執筆日記





 
朝。今日はヨガと瞑想をせずに、お風呂で読書。
こういう一日のはじまりがあってもいい。
せっぱつまった原稿のない日には、一年続いた習慣だって崩してしまえ、となる。

お風呂の中で文を読むと、目からではなく皮膚から、毛穴から、蒸された〝言葉たち〟が自分の体内へと吸収されていく感じが好きでこうやって時々、本を読む。
上がったらしばし、ソファーで続きを読むが、お風呂の中と脳で結ばれる映像がほんの少し違う気も。家の中でのそれはさっきほど熱く言葉は呼びかけてはこない、もっと冷静沈着そして穏やかに言葉(物語)を読んでいるのだと思う。
それじゃあ郊外で本を読むなら、遠い場所から語りかけられているのかといえば、それはどうだろう。ちゃんと意識してみよう。街中で、自然の中で。(旅先で、それも水辺を感じながら本を読むのが好きだから)


何度でも繰り返して読みたい本がある。読み終わってしまうのが惜しい本。時間を共有したといってもいい。


さあ、お湯に浸かろうと体を沈めた瞬間から3分ほどと
さあビールを飲みましょう(ワインを飲みましょうと)喉元から体の中にしみわたっていく最初の一口めはグラフみたいなもので差し示すと、同等の幸せにたどり着くのだ。私の場合には。


今日の仕事は、マカロンのコピー1本と、インタビュー記事1本。電話取材1本。あとは小さな情報誌1冊分の校正の仕事をした。

夕方。「ハンナ・アーレント」(dvd )を先週に引き続いてもう一度観た。 寝る前には、昨年話題になった「ムーンライト」(dvd )を観てから眠る。物語ではじまって物語で終わる一日。

普段は、書けるのかどうかいつもぐらぐら右に左に激しく揺れる吊り橋みたいなところで原稿を書く仕事をしているせいか(自分の不甲斐なさで)、こうはいかない。
とても惜しいことには。



7月号の見本誌が届いています!

2018-06-10 23:04:28 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)








【お仕事しました】
宣伝会議7月号の刷り上がりが届きました。「私の広告論」(放送作家・伊藤滋之氏3ページ)ほか、今年100周年を迎えたパナソニックさんのブランディング戦略などについて執筆でお手伝いさせていただきました。

宣伝会議は、大手企業の広告・宣伝担当者とコピーライターなど広告クリエーターをめざす方々を対象とした専門誌。今号は各企業の宣伝部門の組織体制や未来のマーケティングが導く生活者との関係などを、広告の今をテーマとするコンテンツ満載です。

お仕事しました

2018-06-10 23:03:13 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)










月刊事業構想7月号の刷り上がりが届いています。「地域特集」「発想・アイデア」「特別企画」等、5月は14ページをご依頼頂き、執筆でお手伝いさせていたしました。

この本は大企業・中小企業の経営者、企画部門・新規事業担当、ベンチャー起業家、自治体トップ、政策部門、地域活性の担い手などが読者層のビジネス誌です。







携帯電話は忘れたけれど…大阪→徳島出張の旅

2018-06-09 00:41:02 | writer希望を胸に執筆日記







6月5日(火曜日)晴のち曇、夜半には大雨

この日は朝から徳島に出張。
ぎりぎりの時間まで昨晩の原稿を見直していて、慌てて外出したら携帯電話を忘れた。 

玄関を出て2分で気づいたが、再び取りに戻ると必ず電車に1本遅れる。
地方にでるのだから撮影したい風景やおいしいものも必ずある、それに行き往復の乗り物でみたいSNSもあるのに、と口惜しい気持ちを抱えながら、待ち合わせの梅田へと急いだ。
 
途中ハービス大阪のイタリアンカフェ「アンティコカフェ アルアビス」でサンドイッチとカプチーノを買って高速バスに乗り込む。

明石海峡大橋と鳴門大橋の、2本も大きな橋をわたった。
瀬戸内の海は、この日も穏やかな凪で、水面はキラキラとしたスケートリンクみたいに眩しく優しい色だった。おもちゃみたいな貨物船が細い煙を吹きながら流れていく。
隣はいつものディレクターのおじさんで、次男坊のお見合い話で気持ちよく盛り上がった。


  
「この前、Hさんに紹介してもろた息子の相手のお嬢さんな、そりゃあきれいでなー。背もスラーっと高いし、顔もまぁべっぴんさんやねん。僕なら、こっち向いて笑ってもろただけでドキドキっとするようなタイプや。ほんで11回もデートをしとるんやで」。

「11回ってすごいですね。それで?」

「そやろ。そやろ。ほんで、この前仲人さん入れて、両家の親同士でも合わせてもろたとこやねん」

「すごーー!もうそんなところまでいっているんですか、今度こそ決まるんちゃいますかねー。もう15回目(約6年間のうち)くらいでしたっけお見合い…」

「それがやな。なかな難しいよな最近のお嬢さんというのは。デートに誘ったら毎回来てくれはるんはええねんけど、お勘定は割り勘らしいねん。昨日うちの女房に聞いたんや」

「もしかしたら夫婦になろうかという女の人でしょ。それあきませんわHさん。無理にでも、息子さん男気だしたほうがいいですよ」

「そやねん、わしらやったらそう思うやろ?相手さんとりはらへんねんて。なーー、ほんで、その娘さん。息子と飯食ったりお茶は飲んでくれはるんやど、肝心なことを切りだそうとしたら、またその話はおいおいに、と言いはるんやて」

「えええーーーー。11回も見合い後にデートしてるのに?それって。まだ私は色々な男性の中から選んでる、選別中です、いうことですよ!!」

「ほんでな。聞いてや。むこうのご両親はそれはご立派でな。相手方のお父さんは海外勤務が多く、お嬢さんも小さい頃はアメリカやらヨーロッパやらで暮らしていた方やねんて。まぁうちとは家同士は釣り合わんけど。それでもむこうのお父さんは僕のことえらい、若う見えるし素敵なお父様やと、こう言ってくれはったらしいわ。ありがたいもんやで、ほんまに」

「まぁ、一般的にはそう見えると思いますよ。もちろんですよ」(ここはニッコリ
&苦笑)

「なのにやで、うちの息子ったらな、お嬢さんのこと、みつながちゃんみたいにな「ほんまは僕もう少し目のぱっちりした子が好みやねん』と、昨日電話でぬかしやがんねん。もうどう思うよ。あいつ41才で、お相手35才。本当に最高の相手やねんで。ほんまあいつは…」(と悔しがっているH氏)

「(絶句)! … 」




というような下りを延々と話し、バスは徳島着。2時間の取材を終了、3人のインタビューをとり、駅前で郷土料理の居酒屋で軽くを食べて、再び高速バスに。帰りは、ディレクター氏とは別々のバスに乗った。行きと同様、梅田経由のバスでも良かったのだが読書もしたかったので、三宮行きに乗車する。

神戸の夜景はすばらしい。 真珠色にライトアップした明石大橋を瞳の中に映しこんだまま、神戸の夜景の泉にだいぶするときのワクワク感は、やはり何度味わっても楽しい。醍醐味だ。

あのものすごい煌めきの小さな一点の中に、自分たちの日々の営みがあるのだ。



生き物たちの希望の朝に

2018-06-06 00:33:37 | writer希望を胸に執筆日記




朝は、とてもいいと思う。

一昨日は朝四時半に目を覚まして、(その日提出予定の案件が昨晩までにできなかった)家の周囲をぐるりと散歩。たくさんの良いものを見た。

例えば、鳥が、姿のみえない鳥と交信しあっている様子。こちらの鳥が鳴いたら、8秒ほど遅れてむこうの鳥がよく似た調子の鳴き方で応える。その声を確認したら、こちらの鳥がその交信に応えていた。朝っぱらから求愛、かしら。
呼びかけるほうの鳥の、鳴き方がか細かったり遅れたりして、不安げな様子も見てとれるのが切なくてよい。

家に戻れば、神棚のおさがりの生米を、雀が5羽ほどでついばんでおり、口を大きくあけてぎゃーぎゃーと鳴きながら、別の雀に入れてやっていた。
最初、くちばしとくちばしを合わせていたので朝っぱらから接吻だ、と思いながら、どうしても観なければいけない仕事のdvdを観ながら、ちらっ、ちらっと横目で雀の様子をみていたのだが、どうやらキスしまくりではなく、口に何か入れているのじゃないかと、いう考えに至る。

いや、もしかしたら、おいしい生米に興奮しながら、愛を確認しあっているかも、とか。ともかく昼間は聴いたことのない声で鳴くので、びっくりして、しばらくは目をそらせることができずにいた。

早朝での主役は、人間ではない。鳥や昆虫、花々をはじめとする、すべての生き物たちの「あらたかな」時間が流れているのだなと知る。
  
紅茶と宇和島柑橘フルーツ、青い系のサラダを食べて、さ、仕事。原稿を書いている最中で、一度頭を冷静にするため必要がありシャワー。ひときわ香りのいい石けんで体を洗った時に幸福を感じた。強烈なプルメリアの香り…か。ジャスミンだ。嗅いだ途端に本物のジャスミンの花びらや咲いていた花壇ね情景が瞼の中に迫ってきた。
客室乗務員をするNが世界各地の石けんとおいしいお茶を帰省のたびに持ち帰ってくれるおかげだ。ありがとう。



執筆日記のほうは、少し時間があいてしまったが、先週と今週、依頼原稿のほうは毎日なんらかの締め切り案件をこなしている。かわりなしだ。

先週は、j社さんの少しまとまったページを頂いて、取材を補うために大量の資料をコピーしてそれらを元に、どうにか記事を仕上げた。
その間、飛び込みで入った単発も同時に進めたり、観たかった「ペンタゴンペーパーズ」を観たりと間にいろいろ、突発的なものを挟みながら書き進めると、提出する段階になってこれで良いのかどうかもあやしい状況になってしまって。大いに焦ったが、ぎりぎりの段階でかたちにして提出。

引き続き、定期刊行物のほうにとりかかる。取材が入るので書くのは夜。もしくは朝。
企画から、編集・ライティング・校正段階まで携わっており、それを何十年とやっているので慣れているとはいえ、版元のクライアントさんとはよく顔を合わせる案件なだけに質を落としてはいけないと自戒する。
 
ゆとりなどないくせに、すぐに余裕しゃくしゃくとこの仕事をタスクを後ろへ後ろへと押してしまう。
短い時間での案件を優先するためだ。昔から優先順位のつけ方が下手である。

着手をもっと早く。もっと瞬発力を。
いったん書いてしまって。そして時間を置いたものを改めて推敲の段階でまっさらな目で確認する。これを課したいのに、ここ1カ月ほどは、最初の段階でうんうんといったり、あーーといったりする書き始めるまでの時間が長すぎる。


自分で決めた約束事を、守れないと。
自分が自分にだって信用を落とすというよくない連鎖に陥るのでそれをどうにかせねば。
ペナルティでも課そうか。