月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

何事も一進一退。そこには必ず原因が潜み、学びがある

2018-04-30 19:00:16 | カラダの声に耳を澄まして

(昨晩就寝前に書いていたBlog記事を更新)



病というのは一進一退だ。
しかし、良くなろう、良くなりたいよ、と自然治癒力を懸命に身体の内から開花させようとしているのは、実感できる。

今朝も朝食を食べ終わって、生岩茶を飲もうとしたら、肩に置かれた重い手がすーと払われたような感覚(軽くなる)があって、あらっと思ったら身体を抑え込まれていたような重力がなくなった。これだけ身体が金縛りのように緊張していたのだと改めて知る。

シャワーの熱い湯が全身全霊で爽快である。その圧力も温度も。

白いお米のごはん、その一粒一粒が甘くやさしい味がする。
ああ、治った。と心から安堵する。

だって金曜の朝は、どうしても出席したい集いがあって、前日は10日ぶりに7時間眠れたから。
(前日に医者から渡された吸入ステロイドなどの吸入薬を初めて使用。水素吸入を90分)

それでも、京阪電車では大事をとってプレミアムカーに乗車。落ち着いて化粧を治し、ミネラルウオーターをたっぷりと飲んで、そうやって出町柳駅へ着いた。




「糺の森」ではぐんぐんと新緑の力が勢いをましていて、
 緑のエネルギーが降り注がれるのを感じた。 

もう大丈夫だ。

催しの中でもこれだけ話せたら問題ない。2杯も飲み物を飲んだからか、それとも話の内容に高揚したのか、汗まで出てきたほど。

それがその晩にはえずくような咳をして全身疲労感へと押し戻されるわけだが、それでも、もう「出口」は近い気がする。大丈夫だ。もう少し。
もうすぐ新しい月がはじまる。




(後日談。来週次検査はあるし、喘息の数値は低い。問題ないということだが、今朝、サイトを読んでいたらわたしもこういうことではないのかなと思う。)

長引く咳との格闘はつづくよ

2018-04-26 23:38:48 | カラダの声に耳を澄まして





睡眠、食事、運動の3要素が健康へのバロメーターだというが、人の体にとって睡眠というのは、とてつもなく重要な生きる糧であり、大仕事なのだと改めて思う。


一昨晩はおそらく5日ぶりに朝が来る前に4時間眠ることができた。
昨晩は、床についてから2時間で目さめてそこから朝まで、まんじりともできなかった。

なにをしているのかって? 寝付こうとすると胸がチクチクとかゆくなり、咳が腹の奥からこみあげてくるので、最後はえずくような咳になってしまう。
涙もでるし、胃が口から飛び出そうに辛いので起き出して洗面所やリビングにかけこんで、養生する。繰り返すうちに、頭が覚醒して眠れなくなってしまうのである。咳はつらい。

眠れないと日中は地の上ではなく、雲の上をふわふわっと歩いているような感覚になり、何もかもがいい加減な塩梅に過ぎていってしまうのである。

仕事案件も先週からセーブしはじめ、申し訳なくお断りしたものもあった。
ざんねんだが、仕事の品質に支障がでたらそれこそ申し訳ないので致し方なし。

思うに1月中旬から4月まで、「OFF」の日が東京にいた1日しかなかったのだから、じわりじわりと疲れやストレスが溜まっていたのかもしれない。

今日は1日も早く治りたい一心で、大阪の「中津済生会病院」に再診へいく。
今週は2度目の病院通いだ。
最初は風邪からの咳だと言われていたが、症状を話すうちに検査が1つ1つと増えていく。
肺活量の検査3種類。レントゲン、血液検査。たかが気管支炎だと侮るなかれ、と友人がいっていたがそのとおりだ。

「ウイルス性の炎症から、アレルギー体質へと変わり、ともかく咳をして何かを排出してしまいたくて、とても過敏反応が起きている」という医師のみたてがわたしには一番適しているとも思うが、それでも万が一の場合を考えて、
咳喘息、気管支喘息、あるいはキャンサーなども疑って色々検査は進む。
なんといっても、この咳が辛そうだから致し方ない…という。

数日前まで早く完治して、仕事のことやプライベートへの野心で一杯だったが、少し腹をくくってなるようになれの心境に。
それでも5月上旬からは仕事は入れている。
時と財はふんだんに使ったが、なに、過ぎてしまえばさっぱりしたものに違いない。

                    ps 水素吸入(70分)しながらBlogを執筆する。



野蛮なわたし、でもよいのでしょうか。

2018-04-24 23:11:39 | カラダの声に耳を澄まして



昨晩も朝まで一睡もできなかった。
咳と不眠の関係性も、思考性(考え方の癖)と同じようなものなのかもしれない。昼間は普通の風邪引き程度の咳なので、どうにかやり過ごせるが、辛いのは夜だった。

ただ水素吸入器は昨夜1時間。本日2時間吸入すると、少し体に変化が訪れた。
吸引するたびに感覚が鋭敏になっているのを感じる。
まず「味覚」。
打ち合わせ先の琵琶湖博物館から早々に直帰して、6時にはテレビの前でおやつを食べていた夫が、あまりにおいしそうにカッパえびせんを食べていたので、「頂戴」と小皿にいれてもらったものを食べた瞬間に、エビの風味と味がこれほどダイレクトにするスナックだったのかと驚いた。
(水素吸入器中)

「かっぱえびせん、おいしいね。こんな味だった?新製品なの?」と
聞き直したくらいである。

いただきもののタケノコをサッと若竹煮にしたが、これまた料亭の味かと驚くほどに美味しいのだった。




夕方シャワーを浴びたら、十数年ぶりにムラムラっときた。なんだこの感覚は。
欲情しているのか。
自分が野蛮になっているのかもしれない、とハッとする。
女も何十年といきると不思議なことが起こるものである。
単に病み上がり時にくる清浄な感覚だけなのだろうか。

気を取り直して、今夜も夜の睡眠に備えよう。


春咳との格闘、その後

2018-04-23 23:34:41 | カラダの声に耳を澄まして

病身日記をするつもりはないのだが、咳の調子はどう?と何人かに聞かれたのでその後の経過を…。
病気自慢する気はさらさらないのですが、参考になれば幸いです。

その後、日中はだいぶマシになってきましたが夜は1時くらいに床につくとしばらく寝付かれず。1時間ほどは眠れるのですがきっちり1時間後に咳で目覚めてしまう習慣がついてしまったのであります。

家族に迷惑をかけたくないので喉のうがいをしたり、ハチミツを舐めにいったりして、さぁ寝ようとするとまた咳で目覚める。その繰り返しで3時間くらい眠れない。朝まで一睡もできないうちに小鳥たちのちゅんちゅんという声で、これはいかん寝なくてはと、必死に枕にしがみつくという変な癖がついてしまい、はや4日目でございます。

朝方、4時間ほど睡眠をとるのですが、体力も消耗するし、集中力も衰えるばかりで、いよいよ焦ってきました。

おそらく、風邪が引き金となって黄砂などの影響で軽いアレルギー症状になっているのかもしれません。
今朝は市内の大型病院に診察へ行きました。その後、健康雑誌のライティングでお手伝いしている某企業に立ち寄り、良い良いと執筆し続けたセレブ御用達の「水素吸入器」を手にいれました。

今日のチャレンジはこんなとこです。


一、 濃い塩水でのうがい
一、 菊花茶、岩茶を混ぜて飲む
一、 マヌカハニー
一、 水素吸入器で、水素吸入する



結果をまた報告いたします。

春咳との格闘

2018-04-20 11:59:00 | カラダの声に耳を澄まして

昨日の朝。ゴミ捨てに行ったら新芽の明るい緑、鶯色の空気がみちあふれていた。

すっかり初夏だ。こちらは風邪で咳こむ日々。それでもなんとか気力で治したい。
それに昨晩夜には、ついに案件も入ってきた。

風邪のひきはじめは、先週の木曜日頃から。
朝起きて、喉の痛みを覚えたのだが、早めの対処をしようと思い、全薬「ジキニン」と「リコリス」を湯に入れて飲むで2日やり過ごし、
それもなくなったのでハワイで購入した薬を飲み、
治ったのかなと思うと3日後に、ドカン!ときた。晩に病院へ駆け込む。
(週末実家と家を往復し、環境が変わったのが良くなかったのだろか)。

病院の咳止めや総合感冒を含む計3種の薬。それらをきちん、きちんと飲むうちに
仕事もうまい具合に提出が全て済み、ここからは長い咳の旅とのはじまり。

今日で5日経つが、日に日に悪くなる一方。
胸の奥から腹まで前身の筋肉を使って咳くので、体力を消耗する。
一度喉がイガイガとはじまると、5分は咳込む。夜中に睡眠がとれない。その悪循環。
全身をつかって咳くと腹筋、背中の筋肉も首も痛い。

1番辛いのが睡眠タイムで、2時間眠ると吐くような咳で目覚めてそこから毎晩2時間は寝れないのが辛い。

咳というのは副交感神経に切り変わるとよくないらしい。
・喉の消炎スプレーをさして、マスクをして寝る。
・ハチミツを紅茶に入れて熱いうちに飲む。
・ハチミツを、スプーンで喉に直接入れて飲み込む。
・正岩茶を飲む。

今日は、いよいよ薬局でスプレーを買おうと白衣の人に聞くと


「咳はこじらせたら何をしてもダメです。こじらせる前に治さなきゃあ。
 この季節は10日から2週間くらいはかかりますよ。咳は体力を消耗しますので睡眠をとって体力をつけてくださいそれくらいしかやることありません」



あらら。ぐったりとなる気持ちを奮いおこして、原稿と苦戦中。
それでも、パソコンに向かっている時が咳もおとなしくしている(交感神経に切り替わるから)
治った!と万歳したくなるくらい。

だけど、いざパソコンを閉じると、その引き戻しが信じられないくらい長い。これじゃあ、胸を病んでいる人だ。

さて、今晩は…どうだろう。

わたくし、風邪ひきさん。

2018-04-17 23:58:20 | カラダの声に耳を澄まして

仕事が一段落したら、あれもこれもしようと紙にまで書き出して計画を練っていたのに、残念なことに風邪をひいてしまいました。
先週金曜日から、母の要請で実家にかえり、その前後から起きたら喉が痛く「ジキニン」やサプリをがぶ飲みして、だましだましで過ごしていたのですが、ついに昨晩、病院へ行きました。

風邪の前は気弱になりがち、いろんなことに自信が失われ、思考が凝り固まっているなぁと。
実家にかえって母の顔をみたら、さらに怠惰になり、もう何もしたくなくなってしまって。日曜日に西宮に戻るといよいよ風邪は本格的に。
それから日に日に、咳などがキツくこぼれるようになり、こりゃあ、いかんという塩梅。風邪をひくのはおそらく3年ぶりくらい。

咳がひどいと、電話でしゃべるのもひと苦労…。
鼻づまりだと頭がぼーっ…。
パソコンを叩く手にも力が入りきれません。

それでもひとつだけ良いことには、「読書」が進みます。
普段は読みかけの本がテーブルの上や横に山積みですが、風邪であまり動きたくないので、読書(今読んでいるのは吉田修一)だけははかどるのです。

さて、こちらは京都のカフェ「木と根」さんの読書スペース。

素敵な器や洋服などを置く小さな店で、奥ではおいしいお茶やコーヒーなどが飲めるのですが、
木のカウンターの隣には、本棚があって好きな本が揃っているのがお気に入りです。

















シネマと、本屋と。

2018-04-16 23:27:55 |  本とシネマと音楽と

4月6日(金曜日)晴れ

金曜日は、朝のうちに1本原稿を仕上げて提出し、午後からは大阪・西梅田のジュンク堂と茶屋町のジュンク堂をはしご。
気になっていた資料を探し、ついでに新刊の雑誌にも目を通した。

夕方。交通量は増え、喧噪の時間帯がやってくる。

私が会社勤めをしていた頃は、夕方のジュンク堂はサラリーマンやOLで座るところもないほどの混み具合で、人に推されながら本を選ぶというのが通常だった。
なのに、今では大型書店・ジュンク堂でさえ、本を探す人はポツリポツリ。活気がない。
書棚のレイアウトも大きく変わっていて、レジ前には誰でも手に取りやすくわかりやすい本ばかりが並び、専門書のコーナーにはアニメ本がきれいに陳列されていた。「活字ばなれ」というコトバを今さらのように実感する。

8時からはテアトル梅田で「ナチュラル・ウーマン」を観る。
痛いシネマだった。
哀しみを自分の内側に秘めてだまって黙々と闘う人の姿を、久々に目の当たりにした。
世間の常識は、おそろく人を傷つけるということも…。
オルランドの死により容赦ない差別や偏見を受けるマリーナは、女性として生きていく権利を胸に前を向いて歩くことを決意する。

「私はもう次のページを生きているのよ」という台詞が胸に響いた。

スタートダッシュは速く、着地は時間をかけて。

2018-04-15 23:48:15 | writer希望を胸に執筆日記



4月2日(月)〜5日(木)

ここしばらくは、執筆の仕事にあけくれている。
思いのほか、1本めの案件に時間がかかってしまったので、月曜日の昼にいったん提出してから、次の案件の資料収集とテープおこしにかかる。
2つの案件を平行して執筆し、仕上がりもほぼ同時とする予定が、結局1本ずつということになった。

ふと十数年前を思い出す。
私がD社のクリエイティブにいた頃は、同期入社で、同職種の友人(年は少し彼女のほうが若かった)がいて、その人固有の仕事スタイルに刺激を受けたり、疑問を解消しあったり、人から得る切磋琢磨が非常に多かった。

取材や打ち合わせが終わるや、マシンガンのようにパソコンのキーボードを打って、1時間もすると、ガバッといきなり立ち上がるや、筋トレでもした後のような爽やかな笑顔で「帰ります!お疲れさま」といって風のように立ち去るのを、
残業組の私やエディター嬢と見送ったものである。なぜ、思い出したかといえば、彼女の仕事のスタートダッシュには、いつも見惚れる速さがあったから。


まぁ、今、私はフリーランスという立場なので、自分の時間とやり方で自由にやれる分、いつまでたっても自分の領域からぬけだせないというジレンマもあるのだなぁ。
そんな時、ライター友達の存在は、とてもありがたい。
ちょこっと近況報告をするだけでモチベーションアップにつながる。

ともかく東京から帰宅して1週間くらいは、仕事優先で日々を過ごした。
750ミリリットル瓶で1本10万8000円(税別)のビンテージ日本酒をつくる事業化の話や
本や映画、コトバを扱う特集記事などを編む。

東京から送られてくる録音データーをきいて特集記事を書く案件では、
いろいろな情報ばかりが錯綜したまま自分の中にふってきて、それをどう処理し、どこをクローズアップして、なんのため誰のために、文をつくるのかがごちゃごちゃになったりもするのを、1つ1つ絡まった編み糸をほどくようにして整理し、話の骨子を捕まえて、世の中に伝えたいこと、伝える意味のあることを物語のように紐解いていった。


ただそれが結果、良かったのか。あまり良い出来ではなかったかが短時間勝負の場合には、いつも自信がない。一晩、二晩おいて。ふと「入稿の箱」から原稿を拾い上げた時に、決定的に善し悪しがわかるのだが。

スタートダッシュは「速く」!最後の「推敲」は時間をかけてゆっくりと、
自問自答をしっかりとクリアして着地させる。いつになればその理想どおりに書けるのだろうか。

執筆三昧。&半日だけの桜行脚の日々

2018-04-12 22:46:31 | writer希望を胸に執筆日記





3月29日(木)〜4月1日(日)

東京1日半の滞在を終えて、今度は完全に仕事モードへ切り替え。
帰宅した29日(木)から1週間ほどで3案件。
4月2日(月)・3日(火)・4日(水)と毎日締め切りがやってくる。

今回の東京遊覧は、江戸のサクラを生まれて初めてみることができたのが収穫だ。
昨年は、谷中・根津界隈や神楽阪、代官山、青山、上野・自由が丘などを歩いたが、そこに中目黒・恵比寿という新しい街が加わった(といっても、どの街も表面的にみただけである)。

帰宅してからは、新しいコンテンツのプロットを考えたり、それを数枚の企画書にまとめたりというプランニング案件と、
事業構想さんからの4ページの案件2つを平行して仕上げていった。
最初の案件のテープを起こすのが約4時間。
1本めはインタビューの質問内容の回答を(おそらく取材対象者の方が)文字にして「見える化」した資料があったので、
私のテープ起こし内容と照らし合わせて、いかにわかりやすく伝えるかに苦心する。

資料があって喜んだのはつかの間。
解答を用意されると絶対にその主軸に沿って書かないといけないので、かえって限定されすぎてしまい、そのままを取捨選択すると、とても難しい話になってしまうのが難だった。

しかし、今回は締め切りとの勝負だ。じっくりと2転3転させて書き直す時間もない。
まずは一度仕上げて、それを今度はシンプルに削ぎ落としていくしか手がなかった。


この頃は近所のサクラは満開。京都の花見に3人の友人が誘ってくれたが、
そこへ乗っかりたい気持ちを抑えて仕事を優先し、淡々と執筆作業をこなす。
何年、経ってもうまくなくし要領を得ていない自分の仕事に、ため息をつきながら寝る日も。
でも、次の日には昨晩のものよりは少しマシなものになっていると、安堵する。
その繰り返しである。



4月31日(土曜日)は、よく晴れたので、2カ月前から約束していた友人のYと京都の桜見物。
「4時には京都を帰る」という約束で平安神宮、琵琶湖疎水界隈、烏丸御池の神社へと出かけた。



















八坂圓堂「岡ざき邸」で天ぷらを食べる
コース「鴨川」をオーダー。

カウンター越しに揚げたてをいただけるので、どの素材もアツアツ。
家庭ではこうはいかない。それが何よりの贅沢。普段の地味な食事があるから
こういう1日が特別になる。

甘いとうもろこし、
パンにエビのすり身
えんどう豆のコロッケ
サーモンの紫蘇巻き
舞茸、
あなご、
かき揚げ、
琵琶湖の小魚














京都のサクラはしっとりと憂いがあるなぁ。
それは女性でいえば円熟の頃というべきか、花色もピンクをおびて、たおやか。
その土地が醸す空気感が花をそんな風に匂わせるのだと思う。
花の季節は短い。
短い盛りの頃をどう咲かせるかを花に問われている。







江戸のサクラ咲く。

2018-04-10 23:48:35 | 東京遊覧日記



東京の桜は、都会の空気を深呼吸する低温の桜だ。花が白く乾燥している(暑かったせいだろうか)

こちらは日本橋の背高のっぽのビル群に守られた桜。







私の目がなんとか桜の中に、江戸風情をみようとしている。



皇居の西側、千鳥が淵。
菜の花と壕と、水辺。そこに桜が花弁をひろげて悠々と幸せそうにたくさん、並んで植わっていた。
















手こぎボート場の反対側を歩いた後で、芝生の堤防をかけあがって、今度は松並木をてくてくと歩き、東京近代美術館や日本武道館の方向へ。

夕暮れ時が近づいていた。

千鳥が淵の遊歩道を45度ほど歩く。
初夏の雲間を歩くように、ふわっふわっと江戸のサクラは咲いていた。

 「今度は手こぎボード絶対に乗ろっと」
 「誰と、、、、?」
 「来年の春、一緒にいる彼氏だね」








 
ふーんと鼻で笑ったが、ちょっと嫌な予感。Nの横顔は不確かで何かをはぐらかしたようないやな笑い方だった。
 (ここで純粋なはにかんだ可憐な花のような笑顔がみたい)


東横線「中目黒」。
















そこから桜をみながら、約1時間ほど歩く。
雑踏は容赦がない。京都の混雑はひと味違う、若者ばかり目立つ。


夕方からの日差しが桜に乱反射して、ノスタルジーな空気感。
みる角度によっては、夙川や芦屋界隈にもみえなくはなく、おそらくそれは目黒川の川幅が狭く、(桜の大木が両端から手を広げてつないだように)小世界的な美しさがこう見せるのだろう。

緑の季節も気持ちいいだろうな。

それにしても、両側には屋台やカフェ、ブティックが立ち並び、人、人、人。東京の桜はにぎやかだ。
 

 
少しいくと、「COWS BOOKS(カウズ・ブックス)」をみつけて小躍りする。
あれもこれもほしくて悩んだあげく、幸田文さんの著書「季節のかたみ」を購入。

今度は反対側のファッションブティックで
アースカラー調の天然素材で仕立てたイタリア製のワンピースとスカートを買ってしまった。

夕ご飯は、恵比寿。「アンティーカ・ピッツエリア ダ・ミ・ケーレ恵比寿」へ。

本場さながらの陽気な雰囲気。本場ナポリで150年続く老舗だ。
定番のマルゲリーターもこの大きさ。薄皮のピザはトマト&チーズ、バジルの風味がいきたジューシー満点!
最後まで食べ飽きず、2枚くらいペロッといけどうなほど軽いピザ。
ビールをグイーと飲み、このチーズたっぷりのピザをほうばる、タコのカルパッチョも、新鮮なタコが噛むほどにコリッ。
1日弾丸東京も、これにて本日はエンド。










 

桜ふる中でのランチ「ラボンヌターブル」(東京・日本橋)

2018-04-09 20:46:04 | 東京遊覧日記



朝5時半に起きて、7時半の飛行機(ANA)で羽田空港へ。
急遽依頼された編集会議の出席と、午後からは東京の花見を楽しむために。

仕事のあと3日間は春の「東京遊覧」をする予定だったが、前日の夕方にあまり時間のない案件を2本依頼されたので、
東京滞在1泊と半日となった。
 
飛行機の中でもいつもなら「翼の王国」吉田修一さんのエッセーでも読みながら、
機内の小窓からぼんやりと青い空や雲海を眺めているはずなのに、機内の中でも、降りてからのリムジンバスの中でも
ポメラのキーボードを叩いていた。

この日の気温は20度を超えていて、ピーカンの青空だ。
富士山もこんなにすっきり。






会議と打ち合わせに出て、スタッフと談笑した後で予定どおり日本橋へ向かう。
フライトがないNと待ち合わせて、予約していた「ラボンヌターブル」でランチ。






前菜はこちら。(おそらくどんなコース料理にも付くのだと思う)
びっくりした!これまで食べていたサラダは一体なんだったの?というほど美味しかった。
しっかりとした歯ごたえ、旬の野菜の甘み、素材1品1品がすごくはっきりと濃い味。
ドレッシングで調整するのではなく、野菜自体が強い味。





次に新たまねぎのスープ。ベーコン、ビーツ、ほうれん草入り。
甘みのある新たまねぎ感たっぷりのボタージュスープ。
この店はレベルが高い!とこの2品だけでわかってしまったかのよう






メーンは、上州せせらぎポークのロースト。
ごぼうのソース、山えのき、せりをそえて。
ややレアのローストは非常に柔らかく、ごぼうのソースがいい仕事をしてくれている。
食べ飽きないように山菜で味の変化が楽しめた。






デザートは
いちごのクリームダンジュ。見た目の遊び心が楽しい。
ふわふわの綿あめ、練乳。いちごの砂糖菓子
女の子の大好きなものを綿菓子の中に詰め込んで。


これにコーヒーと焼き菓子付き。

特筆すべくは、料理のおいしさもさることながら、
ガラス越し。風がふわーと流れるごとにふわっふわっとこぼれる雪のような桜がみられて、とても幸福。
吹いて舞い上がったり、ゆらっと揺れたり。小さな桜の花びらの陰影。
おしゃべりしたり、ほぉーと感嘆の声をあげたりしながら、素敵な桜景色を動画のように味わってしまったのだよ。









爽やかな1日、神戸シネリーブルでシネマを観る

2018-04-07 13:01:18 | writer希望を胸に執筆日記



3月26日(月)〜27日(火) 晴れ

月曜日。ほぼ完成と思っていたフラワーアーティストのW氏の原稿を再び見直してから提出するつもりが、どうも納得いかず、彼の生き方のあらすじをなぞった、という感じが拭えなかったので、再び書き直していると、今度は細かいところが気になってしまい、
結局は昨晩に三宮へ行く前に仕上げた原稿を自分で真っ赤にして、それをざっと推敲してから提出するともう夕方だった。

なんだこれは、とあきれながら、家のまわりを10分ほど散歩。
通常なら3日ほどしか提出までに時間がないのだが、1週間前に発注されたと思ったらこれだ。

それでも、週末の原稿よりはおそらくよくはなっているだろうから、
それでよいと自分を納得させる。
桜が可愛らしい花弁を広げている。
道ばたにひょっこりと菜の花、
そしてユキヤナギが華麗な花を風になびかせていた。

夕食でもつくろうと、冷蔵庫をあけて食材を探していると1本のメール。
行政の会報誌のコラムをもう1本仕上げることになる。
一人で夕食を食べた後で、2時間ほどで仕上げて送信する。
正直、もうへとへとだった(だらしないことに)まだ、今日はやることがある。

すべて提出し終わると9時を回っていた。
このあと、情報収集や資料を整理するはずが、全く頭が動かず。
このまま、11時には風呂に入って気合いを入れ直すつもりが、風呂に入っている最中に夫がかえってきたので、食事を作ったらなにもやる気にならず、結局深夜1時すぎに寝てしまった。


(27日(火曜日)
ヨガと瞑想を40分。
そのまま資料をつくって、打ち合わせ。
3時に終わった。せっかく神戸まで来たので、三宮のマリアージュフレールに。





あぁ、ここは落ち着く良い店だ。
もう初夏のような日差し。私のテーブルの前に座っていた女性は麦わら帽子を被って紅茶を飲んでいた。

3年前。パリのルーブル美術館内「マリアージュフレール」にいたのも、ちょうどこの時季だ。
その時に飲んだマルコポーロはまるで色つきのお湯を飲まされていると思うほどに生ぬるくてまずかったことを、ふと思い出す。
それに比べて、この店のヌワラエリアは、熱い湯が喉を落ちていき、それだけでうれしい。水色も澄んでいた。
茶葉が新鮮なのだろうと思う。
最初に花の香りが立ち上がり、口をすぼめたくなるほどの軽やかな渋みに続き、後味は爽快。ヌワラエリアは情熱的なお茶だ。
ベリーのケーキも最後の一口まで新鮮においしく味わえ、これぞケーキセット!





そのまま神戸シネリーブルで映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を鑑賞。ちょっと不思議で崇高な恋愛映画。流行りのオシャレ系映画と思ったが、観終わったあとで思考が交錯する。孤独と愛。正義か悪人か、とか。鑑賞後の余韻がうずまく。


三宮の夜。照明に照らされた居留地のビルディングはいつ歩いてもきれい。
道路は広いし、人も車も多くないし、ふと見上げたショーウインドーのファッションセンスもいけている。
今年は神戸に行くことが多い。神戸は夜が一番素敵。この街らしい。
港のほうから潮の匂いが運ばれて、それを鼻先に感じながら、海岸線の町を歩くのが特にいいと思う。



王道の味を追求「良友酒家」

2018-04-05 16:11:17 | 兵庫・神戸ごはん



振り返ってみて、一進一退だなと半ばあきれながら思う。
さっきまでは、納得のいくものができた!と昨晩提出した原稿(机の上にあった)読み返して「歓喜」のようなものさえ覚えたというのに、今月号の刷り上がりの雑誌に目を通すやその編集レベルの高さに唖然と。いやまだまだ、あかん、とも。
今の自分はこんな諸々で形成されているのだなと思ってみたりする。



(3月25日(日)夕方からの続き)

最近は、机にかじりついているばかりで世間にふれていないので、原稿を離れてどこかへ出かけたくなり、車で神戸・三宮へ出かけたのだった。

「春に着替えた神戸を見たいのよ」というのがテーマだ。
(「いつまで少女じみているのだ。と馬鹿にされたが)

自宅から三宮へは車を飛ばして約30分。
明日のパンを買うために「フロイントリーブ」へ立ち寄り、
クッキーの詰め合わせや菓子パン、ハードトーストなどを買う。日曜日というのに路地裏には人は少なく、車もそう混み合ってはいない。
大阪や京都とは違う、とろんとした庶民的な空気が流れている春の神戸なのだった。
もう桜が咲き始めていた。



夕食には「良友酒家」へ。
ここは、一度「火鍋」を取材したことがある地元に愛されるアットホームな店。
おいしい中華が食べたくなったのでここに。



「空心菜の炒めもの」
さっぱりとした塩味の中にも隠し味が効いて、食欲そそる。
文句なしにおいしい。作り方を教わりたかったくらい。



「酢豚」
豚の揚げ加減もカリッと。ほんのり甘めのあんの合わせ方もよい。
王道の味にホッとする。



「醤油鶏」
この店の自慢の一品。地鶏を秘伝の醤油タレで煮込む。少し辛めだがご飯との相性はよいだろう。



「牛シチューの煮込み汁そば」
八角などの香辛料で何時間も煮込んだ牛バラ肉をオイスターソースで味付け。




「自家製カステラ」
ほわほわのホッとする味。庶民のおやつでアッという間にパクパク平らげる。
家庭的なおいしさだった。





久しぶりに神戸中華が食べられてうれしかった。
店を切り盛りするお母さんの存在感が際だつ店だ。客といい距離感をもちながら、
ここぞという所はしっかりとオススメメニューの太鼓判をおす。
そして、「どう?」「おいしい?」とご機嫌伺いも欠かさない、これぞ肝っ玉母さん。

お洒落に中華が食べられる店が多い中で、王道の味を追求。
奇をてらったものはなく、基本に忠実。庶民的な良い店だ。