先日、取材のあとで1ヵ月前に訪れた書店へ立ち寄った。
あの頃は最後の入試を終えて、高揚感と興奮を抑えきれずに遠い町を歩き回ったことを思い出す。
早いなあ。済んだことは、なんて早い。
娘の高校3年は疾風のようだったな、と感慨深く思い、空を見上げた。
「入学式」は、ポツリポツリと雨が落ちてくる中で執り行われた。
いろんな意味で圧倒された入学式だった。まずはサークルの勧誘。
他大学の学生たちも巧みに、大らかに声をかけてくるので、
なんと最寄り駅からすぐの校門まで、50分もかかった。
宗教色の強い入学式に、圧倒される。
鳴り響くパイプオルガンと合唱団の賛美歌斉唱、聖書朗読…。
そして創業者のキリスト教精神に基づく「良心」教育という建学精神が熱く語られ、
それらを130年も守り伝えてきたという誇りを、必ずや、新入生にも伝授してもらうのだという大学側の気迫にも似た姿勢に、圧倒された。
入学式のあとには父母の会主催の式典が延々と1時間も続いた。
カレッジソングは、無論、「英語」。
さらに驚いたのが、入学後2日目に、新入生全員を対象に若王子神社からの山道を25分も歩いて、
創立者の墓地にお参りし、
花束を手向けにいくという、そのこだわりにも少し感動した。これが伝統校というものだ、
そう俯瞰的に思った。
新入生らを迎えるセレモニー(それは祭典のよう)は1週間もあった。
(うちの娘の高校は、普通の公立の進学校だったので
入学式の翌日には当たり前のように1校目から授業をしていた)
もうひとつ、今どきの大学生事情というものにも
驚くべきものがあった。
入学式ではすでに、「こんにちは」「よろしく」「○○ちゃん?」と言葉を交わしあう友人が何人もいるのである。
その理由は「Twitter」だ!
彼女らというのは、同じ大学へ入学する新入生らにTwitterや、
LINEの輪で呼びかけたりしていて、その輪が入学前からぐんぐん広がっているのだ。
入学前からすでに顔も知らない新入生とメールでお喋りし、趣味を交換し、自分をアピールしているのだからビックリである!
入学式後は、なんとそのLINEで結ばれた同じ英文学科のメンバーたちと
総勢40人で、さくらの木の下で集合写真を撮っていた…。
ほんとすごいなあ、このデジタル世代の飛躍ぶり。
パソコンが20年前くらいから導入されたなど、
おそらく信じられないだろう。
ともかく、長い間、お疲れさま。
帰りには、雨のなか、御所で花見をして烏丸駅の近くでケーキを食べてかえった。
さて、今もまだ振り返ってしまう、娘の受験戦争なのである。
これも凄まじいものがあったなあ。
1年生から通っていた研伸館では阪大神大クラスに認定されて、希望に満ちあふれて勉強していたのも1~3年の初旬。
浪人参加の模試が始まってくると、モヤっとした動きがあった。
瞳をとじれば、春から担当になった熱血数学講師に必至にくらいついて、
(朝から晩まで補講漬け)
苦手な数2Bにほとんどの時間を費やし、
後半の秋からは、遅れていた
(点数の足りなかった)政治経済や倫理、生物などの副教科ばかりを鞄に詰め込んで、
塾の自習室へ通っていた様子を猛烈に思い出す。
秋からは私立(3教科)へチェンジする子も結構目につくようになっていたが
あの子は「諦めたらそれで試合終了!」の言葉を最後まで信じ、頑なに自分を縛ってきたのだ。
おそらく私立コースに切り替えたら、長年お世話になった講師もこれまでのテキストも全部チェンジしなければいけないリスクも怖かったのだろう。
センターの過去問や二次対策の勉強をあれほどしたのに、
結果的に役に立ったというか実績として伸びたのが、
有名講師の対策授業ではなく、
膨大なるベネッセの教材でもなく、
2月からただ一人、独学で試行錯誤してこなした3教科の私立対策、
過去問レベルの学習とは…。
2月後半以降の伸びは凄かったから。
それもなんだか不甲斐なく、どうしても忸怩たる思いが消えないのである。
あの、塾側の提出してきた模試の「判定」や大学レベル別の面談は、なんだったのだろうか。
いつまでも、燃え尽き症候群のように終わった気がしないのは、
後ろからエールを送り続けてきた外野だけ?だろうか。
ただ、これから大学受験を迎える方に、ひとつアドバイスをするとすれば、
彼女が反省すべき点は、優等生的な勉強態度ではなく、絶対に受かるのだ!という信念、自信。
そして強さだ。
将来のためにぜひこの大学でこの勉強をしたい、という自分のプロットが
今ひとつ描けていなかったのではないかしら。
だから過去問では十分にとれても、本番では落としてくるのである。
そんな怖々と綱渡りする気持ちでは、国立難関大は厳しいわ。
例えば、彼女と同じクラスの男子は、自分の目標大のみ、
たった1校の私立も受けなかったそうである。
「彼は、数学で思うような点数がとれないと、その駿台の問題をすぐに破いてゴミ箱に捨てた」
くらい悔しかがったと聞く。
もちろん彼は第一志望に見事合格した。
さすが、男の子だなあ、強いわ!
緻密に計算し、
たとえ本番にパニックになるような難問があっても、
他の教科で取り返す!という精神力を鍛えてほしかったなあ。
例えば臨機おうへんに、
得意な教科に絞って猛烈にやりたいことを求めてみてもほしかった。
しかし。
よくよく考えると思うのである。
神大へ、阪大へ、滋賀大へ、兵庫県立大へ、
青山学院へ、京女へ、関関同立のあの大学へ合格して
入学したあの子の友達の笑顔を思い浮かべてみると、
どこかしら、皆、その子らしい大学へ行っているなぁと。男子は沢山、浪人も選択している。
それは、それで、
すごくカッコイ!と。
結婚も、大学選びも、結局は自分と「身の丈」(縁)があった相手と結ばれるものなのかもしれないね。
今日、娘がクラス担任の教授あてに送ったメールは、以下だそうだ。
○先生
こんばんは
> 私は約2時間弱の電車通学をして本校に通っています
> 最近はその通学時間を利用して「ハックルベリィフィンの冒険」を読み、おそらく明日の登校までに読み終わっていると思います
> これが私の最高のリラックスタイムです
> これからもいろんな本に出会っていきたいとおもいます!
> 次はシェイクスピアをねらいます
もうひとつ合格した伝統大学の、
プリンセスラインバスへ乗らなくて、
それも、やはり良かったのだろうか。
余談だが、「大学コンソーシアム京都」というのをご存じだろうか。
京都の大学生たちは、「大学コンソーシアム京都」に登録する
50の大学・短期大学が開講する(オンキャンパス)「大学コンソーシアム京都」の単位交換科目を、毎年履修することができるという。
京都はいろんな学生同士で交わりもあるそうだから、出会う子たちの層も厚い。
いいなあ、愉しそう!なんだか、いろいろうらやましい限りなのである。
あの頃は最後の入試を終えて、高揚感と興奮を抑えきれずに遠い町を歩き回ったことを思い出す。
早いなあ。済んだことは、なんて早い。
娘の高校3年は疾風のようだったな、と感慨深く思い、空を見上げた。
「入学式」は、ポツリポツリと雨が落ちてくる中で執り行われた。
いろんな意味で圧倒された入学式だった。まずはサークルの勧誘。
他大学の学生たちも巧みに、大らかに声をかけてくるので、
なんと最寄り駅からすぐの校門まで、50分もかかった。
宗教色の強い入学式に、圧倒される。
鳴り響くパイプオルガンと合唱団の賛美歌斉唱、聖書朗読…。
そして創業者のキリスト教精神に基づく「良心」教育という建学精神が熱く語られ、
それらを130年も守り伝えてきたという誇りを、必ずや、新入生にも伝授してもらうのだという大学側の気迫にも似た姿勢に、圧倒された。
入学式のあとには父母の会主催の式典が延々と1時間も続いた。
カレッジソングは、無論、「英語」。
さらに驚いたのが、入学後2日目に、新入生全員を対象に若王子神社からの山道を25分も歩いて、
創立者の墓地にお参りし、
花束を手向けにいくという、そのこだわりにも少し感動した。これが伝統校というものだ、
そう俯瞰的に思った。
新入生らを迎えるセレモニー(それは祭典のよう)は1週間もあった。
(うちの娘の高校は、普通の公立の進学校だったので
入学式の翌日には当たり前のように1校目から授業をしていた)
もうひとつ、今どきの大学生事情というものにも
驚くべきものがあった。
入学式ではすでに、「こんにちは」「よろしく」「○○ちゃん?」と言葉を交わしあう友人が何人もいるのである。
その理由は「Twitter」だ!
彼女らというのは、同じ大学へ入学する新入生らにTwitterや、
LINEの輪で呼びかけたりしていて、その輪が入学前からぐんぐん広がっているのだ。
入学前からすでに顔も知らない新入生とメールでお喋りし、趣味を交換し、自分をアピールしているのだからビックリである!
入学式後は、なんとそのLINEで結ばれた同じ英文学科のメンバーたちと
総勢40人で、さくらの木の下で集合写真を撮っていた…。
ほんとすごいなあ、このデジタル世代の飛躍ぶり。
パソコンが20年前くらいから導入されたなど、
おそらく信じられないだろう。
ともかく、長い間、お疲れさま。
帰りには、雨のなか、御所で花見をして烏丸駅の近くでケーキを食べてかえった。
さて、今もまだ振り返ってしまう、娘の受験戦争なのである。
これも凄まじいものがあったなあ。
1年生から通っていた研伸館では阪大神大クラスに認定されて、希望に満ちあふれて勉強していたのも1~3年の初旬。
浪人参加の模試が始まってくると、モヤっとした動きがあった。
瞳をとじれば、春から担当になった熱血数学講師に必至にくらいついて、
(朝から晩まで補講漬け)
苦手な数2Bにほとんどの時間を費やし、
後半の秋からは、遅れていた
(点数の足りなかった)政治経済や倫理、生物などの副教科ばかりを鞄に詰め込んで、
塾の自習室へ通っていた様子を猛烈に思い出す。
秋からは私立(3教科)へチェンジする子も結構目につくようになっていたが
あの子は「諦めたらそれで試合終了!」の言葉を最後まで信じ、頑なに自分を縛ってきたのだ。
おそらく私立コースに切り替えたら、長年お世話になった講師もこれまでのテキストも全部チェンジしなければいけないリスクも怖かったのだろう。
センターの過去問や二次対策の勉強をあれほどしたのに、
結果的に役に立ったというか実績として伸びたのが、
有名講師の対策授業ではなく、
膨大なるベネッセの教材でもなく、
2月からただ一人、独学で試行錯誤してこなした3教科の私立対策、
過去問レベルの学習とは…。
2月後半以降の伸びは凄かったから。
それもなんだか不甲斐なく、どうしても忸怩たる思いが消えないのである。
あの、塾側の提出してきた模試の「判定」や大学レベル別の面談は、なんだったのだろうか。
いつまでも、燃え尽き症候群のように終わった気がしないのは、
後ろからエールを送り続けてきた外野だけ?だろうか。
ただ、これから大学受験を迎える方に、ひとつアドバイスをするとすれば、
彼女が反省すべき点は、優等生的な勉強態度ではなく、絶対に受かるのだ!という信念、自信。
そして強さだ。
将来のためにぜひこの大学でこの勉強をしたい、という自分のプロットが
今ひとつ描けていなかったのではないかしら。
だから過去問では十分にとれても、本番では落としてくるのである。
そんな怖々と綱渡りする気持ちでは、国立難関大は厳しいわ。
例えば、彼女と同じクラスの男子は、自分の目標大のみ、
たった1校の私立も受けなかったそうである。
「彼は、数学で思うような点数がとれないと、その駿台の問題をすぐに破いてゴミ箱に捨てた」
くらい悔しかがったと聞く。
もちろん彼は第一志望に見事合格した。
さすが、男の子だなあ、強いわ!
緻密に計算し、
たとえ本番にパニックになるような難問があっても、
他の教科で取り返す!という精神力を鍛えてほしかったなあ。
例えば臨機おうへんに、
得意な教科に絞って猛烈にやりたいことを求めてみてもほしかった。
しかし。
よくよく考えると思うのである。
神大へ、阪大へ、滋賀大へ、兵庫県立大へ、
青山学院へ、京女へ、関関同立のあの大学へ合格して
入学したあの子の友達の笑顔を思い浮かべてみると、
どこかしら、皆、その子らしい大学へ行っているなぁと。男子は沢山、浪人も選択している。
それは、それで、
すごくカッコイ!と。
結婚も、大学選びも、結局は自分と「身の丈」(縁)があった相手と結ばれるものなのかもしれないね。
今日、娘がクラス担任の教授あてに送ったメールは、以下だそうだ。
○先生
こんばんは
> 私は約2時間弱の電車通学をして本校に通っています
> 最近はその通学時間を利用して「ハックルベリィフィンの冒険」を読み、おそらく明日の登校までに読み終わっていると思います
> これが私の最高のリラックスタイムです
> これからもいろんな本に出会っていきたいとおもいます!
> 次はシェイクスピアをねらいます
もうひとつ合格した伝統大学の、
プリンセスラインバスへ乗らなくて、
それも、やはり良かったのだろうか。
余談だが、「大学コンソーシアム京都」というのをご存じだろうか。
京都の大学生たちは、「大学コンソーシアム京都」に登録する
50の大学・短期大学が開講する(オンキャンパス)「大学コンソーシアム京都」の単位交換科目を、毎年履修することができるという。
京都はいろんな学生同士で交わりもあるそうだから、出会う子たちの層も厚い。
いいなあ、愉しそう!なんだか、いろいろうらやましい限りなのである。