月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

人から得るパワーってはかりしれない。ベトナム料理と神戸散策を

2018-01-23 22:19:45 | 兵庫・神戸ごはん







ここのところ、自分の中に沸き上がるような何かが生まれ
感受性が刺激されているのがよくわかる。
その高ぶりのまま発散させてよいのか、
それとも沈静化するのを待って、それから何かを始めたほうがよいのかわからない。
けれど、ともかく前に進もう。今にちゃんと集中しようと努めている。


人から得るエネルギーもはかりしれない。

そう。先週末のベトナム料理(#コムコカ )でも久々にテンションが上がった。

真冬なのに暖房でムシムシした部屋でサイゴンスペシャルをぐいーっと飲むと、
気分は高揚して体の中を南国の風が体を吹き抜けた!

とてもとても久しぶりのライター友達(k嬢)と顔をあわせて、親交を深め合った。


互いが自然に気持ちよく話せたことが1番の収穫。
確実に細胞が活性化して感性がリフレッシュ。

言葉が言葉を呼んで、
どこまでも響き合い、そして自分の内なる心に返ってくる。



その人はとても素直で、可愛い人で、頑固でいて情熱的だ。
ふと「花子とアン」という朝ドラを見ていた時に、花子さんをみて
彼女と似ているところあるなぁなどと思ったりしたコトを思い出していた。


さて。



写真はベトナム春巻盛合せ(生、蒸、揚)。
食をそそる甘酸辛が複雑に絡み合い
どれも似てない、絶妙の旨さ。軽いベトナム産ビールと最高の相性である。



ほか有海老の甘辛煮、ハスの茎のサラダ、手羽先のヌクマム焼、鶏肉のフォーなどを。














全部おいしかったが、特筆すべきは、「ハスの茎のサラダ」
レンコンやゴボウ、ニンジン、キュウリ、ナッツ類など歯ごたえのいい野菜に、パクチーをたっぷり添えて
レモンをギュッっと絞り口に運ぶと、タレの甘酸っぱさと爽快感が加わって◎。ご機嫌なサラダだった。

ハスって、聞くところ葉、実、根のすべてが使える食材なんだそうだ。



この日は、ベトナム料理以外にも
昼の3時から神戸元町で待ち合わせしてムジカで紅茶2種を仕入れ、
フランジュール神戸店で OYUNA(オユーナ)のカシミアショールやバス用品をみて、
香港スイーツとお茶の「甜蜜蜜 元町店 (tim-ma-ma)」へも立ち寄って、と。
好きな店を巡る神戸散策も楽しんだ。











コムコカ
神戸市中央区山本通り3-3-1地下一階
078-222-8818






1月は熱におかされたような混線の渦の中で

2018-01-18 23:38:38 | 今日もいい一日




1月というのは、不思議な出来事が交錯する時です

人は、「お正月」という1年の区切りを迎えることによって、ゆとり・自分にスペースが生まれるのかもしれません。
また年賀状で遠くにいる友人・知人、親戚らと短い手紙を交わしあうからなのでしょうか。
思わぬ人からひょっこりと連絡をもらったり、連絡をとりたくなったり…が劇場をみるように続いています。

大学時代の古い友人(男性)から、近況を知られるメールを3日におよんでもらいました。
同じく大学時代のとても親しかった友人と、毎夜のように長い往復書簡のラインを重ねる日々が続き(25年ぶり)それが支えになっていたり…。

昨晩は、学生時代の友人(あまり親交は深くなかったないけれど)の突然の死を知らせるために、愛媛・松山の友人と電話で話しました。木訥とした話し方、30年の時は一気に埋めることができなくて彼女は少し戸惑っているように思えました。

また約1ヶ月おきに慌ただしいスケジュールの中で顔をみせあっている実家の母が、2週間近く滞在してくれ、生活を共にしました。
(可愛い人に思えた母)

仕事は、1日何本もにギューギューつめてやっきて、その提出日がよりによって全て同じ日とか、あり得ないような状況も。

そして明日は20年来の友達と1年ぶりの再会。
なんだか誰かに操られているようなほど時間軸がこんがらがって不思議さのまっただ中に暮らしているのです。

あまりにめまぐるしいのに、最近は学ぶことや気づくことが多すぎて、そのたびに、心が冬の早朝の空気のように研ぎ澄まされていくのです。

古い友人と連絡をとりあっていると、瞼に映るのは、やはりセピア色のむかしむかしのその人の姿で現れ、
1つの言葉の欠片がスイッチとなって、あの日から今日までのあれこれが一気に駆け抜け、
今こうしてここに居るその意味が本当に合点がつく。

そうして、忘れてしまっていた私の原点(若い無垢な心)を、ふわりと捕まえられて、
対面できるなどという「不思議な現象」もここ1週間あまり起こっていました。

そしてまた。時というのは暴力的なまでにいろいろな出来事をひきおこし、
純粋で素直だったあの子も真剣な目をしたガラス細工のように傷つきやすかったあの子の心も、
折り畳んで現実の日々の時間の渦に閉じこめて、翻弄したりもするのですね。
メールの文面から、電話の声やその息づかいから、とても苦しそうな友人たちが見えた…。

先日。仕事の音声が送られるのを待っていた深夜。
カズオイシグロが、NHKの深夜番組でこんなことを言っているのを耳にし、
テレビの前で立ち止まってしまいました。

「国は、前進するために、結束を守るために、コミュニティが分裂して内戦に陥ったり派閥に分かれたりするのを防ぐために、過去を忘れなければならない時があります」
ノグチイシグロ氏は、自分は過去を忘れるべきか、忘れてはいけないのかを常に迷い、そんな人々を書きたいと思ったというようなことを言っていた。


自分はどこにいるか、どんな人から生まれどんな風に大きくなって、いろいろな出来事や人々や環境のおかげで、
ここにこうして立っていられるのだということを、ふと思い出すのが1月という清々しい神様に近い暦の月なのかもしれません。

もっと前に進むには、走り続けるばかりではなく、時に立ち止まってそして確認することが大事だと今の私にはそう思えています。





年始は雪の温泉と社寺を巡る 雑記(2)

2018-01-13 00:40:46 | どこかへ行きたい(日本)







4日から5日には、家族と実家の母、Nも東京から合流して、
神戸の有馬温泉へ。
せっかくなので一泊して親睦を深め合ったのだった。

お正月に温泉旅行(有馬グランドHに宿泊)とは、ほっこりと縁起のいいスタートである。
年末年始に、親族の変わらない笑顔に出会えるというのは、
何より安泰。平和の証ではないだろうか。

有馬の湯は、あいかわらずの
どっしりとした赤茶で、塩分や鉄分、硫黄などが豊富。
「太古の地層に蓄積した海水が地のエネルギーを豊潤に含み高濃度の温泉を今も噴き出している」のだと
以前取材で(「金の湯」の支配人から)聞いたことがある。

さて。
本当は、その地に古く根ざした小さな温泉宿が自分好みなのだが
この宿の地下2階の風呂(スパ)が好きで、
3度訪れてもやっぱり好きなので、
家族たちにもぜひ共有してほしくて、今回はこの宿を予約したのだ。





広々とした日本間でお茶をのんだら、
ひとまず、最上階の六甲山系がみわたせる展望風呂へ。




寒さで凍り付いた体を温めて、
冬のキーンとした清浄な空気を全身に吸い込んだ。


「夕食のあとは、ラウンジで歌を聴きにいこうよ」

「誰が唄うの?知らない人だとつまらないんじゃないの?」

「お風呂と食事以外はすることもないのだし、行こう行こう♫」

「あぁー、部屋で飲むお酒を仕入れてくるんだったな」

と、どうでもいいことを気兼ねなく言い合えるのが、こういった旅の間のひとときなのだ。

昨年に引き続いて、実家に一人暮らししている母を温泉旅行につれていくことができた、
それが何よりも今は嬉しい。

1階の洋食でコース料理を頂いて、










それから
1階(ロビー横)ラウンジに移動し、
懐メロ的フォークソング(「22歳の別れ」「精霊流し」など)を聞いて、マンゴージュースやビールなど各自で好きな飲み物を飲み、
再び地階の温泉処「紗の湯」を訪れた。








それほどの高級旅館でもないので、
肩肘張らない気楽さがいい。
露天風呂は、竹林を背景とした金泉。
奥の浴場は太柱をつかった天井と照明器具がほどよくマッチした癒やし系のゆったりとした温浴施設だ。
(見方によってはインフィニ浴場に見えなくもない)。

なぜか、不思議なのだけど
バリ島のホテルスパを思い出してしまうのが自分でも笑ってしまう。

半屋内の露天風呂から、空を見上げると黄色い月がぽっかりみえた。


翌朝。
朝食前と朝食後にもう一度風呂に入った。
地下2階の金泉の露天風呂は誰もいなくて
カエルのようにすぃーっと1本泳ぎたくなってしまったのは
塩分濃度の濃い金泉ならではの泉質のせいだ。

天井と空の隙間から、(昨日は月明かりがみえた位置に)
細かい雪が、沸き上がるように下から上へ、軽やかに舞っている。なんとも幻想的で美しい。
この光景に出会えただけでここへ来た甲斐があったと、そう思えたほどに本当に美しかった。

お正月の10日までは、城崎と有馬温泉、天然湧湯・吟湯湯治聚落へ。

そして鷲林寺と越木岩神社、西宮えびすと、今年は近場ばかりの社寺を参拝。

温泉とゆかりの社寺を、ぐるぐると巡る年末年始…。
新しい年と日本の社寺と団らん。そういった人と人の織りなす交流・光景を毎年のように偏愛している。

さて。新しい仕事の案件も、本日3本と舞い込んできたし、そろそろ
正月気分には、終止符!!というところなのだろう。






2018年 年末年始の雑記より

2018-01-10 00:30:44 | 春夏秋冬の風




2018年は例年よりも穏やかに始まった。

夫婦ふたりで過ごす数十年ぶりの年明けだ。
大晦日の朝はNを空港まで送り届けるため伊丹空港へ。
ANAの出発ロビーに近いスターバックスコーヒーで別れを惜しみ、
家族そろって無言でラテを飲んだ。

そのまま無言で車に乗り込み、近隣の大型スーパーで年末の買い物をすることに。

おせちの材料やしめ縄。ふぐや、縁起のぶり、カニ、ローストビーフ、すきやき用牛肉など、おいしそうな品々が沢山出ていて、
店の人のかけ声もいつもより気合いが入り、とても景気がいい。
それで、さっきのしめやかな気持ちから解き放たれ、気持ちはすっかり高揚し、
正月気分に浸る。
元旦には私の実家へ行くのだし、それほど買い物は必要ないのに、
それでも、おせちの材料や野菜もの、今晩の夕食の買い物で籠は、そこそこ重い。


帰宅したら大掃除をしながら、おせちの煮炊きをする。
この時間が毎年、とても楽しい。わくわくする。
大晦日はとても忙しいのだけど、2017年という年が終わってしまうのが惜しくて、とても丁寧に一日を過ごしたくなるようだ。
(ありがとう。)と心の中で唱えながら、今日という一日を過ごす。


私がいそいそと家具に雑巾をかけたり、片付けものをしているので
パパも最初はテレビをみていたが、娘の部屋を気合いをいれて掃除しはじめ、
家の建具やガラスや、照明器具などを全部ふいて、水まわりを汗をかきながら掃除してくれていた。

暮れの夜は「ぶりしゃぶ」にした。
夜は紅白歌合戦を観戦し、
福井の生そばを買ったので葱たっぷりのにしんそばをつくる。
昆布を長く浸けていたのがよかったのか、鰹を入れるタイミングがよかったのか自分好みのだしの味に大満足。


私の大晦日の楽しみ「ゆく年来る年」の時間だ。
この番組は日本列島の年越しの情景を社寺から生中継してくれるのだし、
日本の各地からの除夜の鐘を聞くことができるので、
すごく厳かな気持ちで新年のカウントダウンを迎えられる良き番組だと思う。


今年も近くの氏神様へ初詣し、除夜の鐘をつきにいった。
そこで頂いたお餅で明日は、お雑煮をこしらえるのだ。
隣の神社にもお参りし、御神酒と柿の種をいただいた。
今年もお世話になり、良い一年をありがとうございました。
来る年も、明るく、希望にみちた素敵な一年になりますように。





2018年。
あけましておめでとうございます。

新年は清々しく、お天気のいい一日だった。
朝のお雑煮の味(白味噌)が、昨日に続いて
バシッと決まったので今日も気分がいい。
年賀状に目を通し、元旦に書こうと思っていた記事を1本書き上げて、
私の実家に出発する。

2日には、85歳の母を連れて城崎温泉へ行った。
「御所の湯」の隣にある四所神社へ参拝し、

「をり鶴」でカニ握りをいただいて、温泉(御所の湯)へ浸かる。










城崎は雪のちらつく寒い日で、温泉につかるとなおさらに家族そろって
新年を迎えられる喜びをしみじみと味わった。



洗い場そばの打たせ湯で、小さい女の子とお姉ちゃんらしき姉妹が
熱い湯をひしゃくでくみ上げては、打たせ湯の背もたれにジャージャーと流して遊んで居る様子がとても可愛らしくて、
私も背中だけ打たせ湯に打たれながら、一生懸命遊んでいる様子にしばらくみとれていた。

寒くなったので外の露天風呂へ。
お湯はさらっとして透明、すごく熱い。44度はあると予想。
目前にはゴツゴツとした赤茶の岩肌と山の木々が見渡せ、
上からは豊富な湯量の滝が流れおちていく。
健やかな新年の冷たい空気が山の木々から発散されて、それらを裸のからだで受け止めるのが気持ちいい。


湯から上がると母とともに、「御所の湯」の前のスイーツ処へ
ソフトクリームを食べにいった。母はわらび餅を食べた。
ガラス窓のむこうには、積もることのない軽い雪がふわりふわりと降っていた。






絶世の遠景は、ぞっとするほど綺麗だった (9)

2018-01-01 13:07:56 | 海外の旅 パリ編


モンサンミッシェル修道院の中からでると、過去の時間から
タイムマシンにのって現在に戻ってきたような、
夢をみているような
ぼーとした気分で再び参道の大通りに出た。

先ほど、出口付近の売店でモンサンミッシェルの絵はがきと記念切符、
そしてゲランドの塩を購入した時には、千年前の気分のまま購入していたというのに、
大通りのおみやげもの屋さんに戻ると、
現在の時間軸の中で、おみやげものを見ているのだった。

最初はどちらが現実でどちらが夢なのか、わからない
うつつな調子だったが、
だんだんと「今」のほうに体がなじんでいってしまうのが惜しい、そんな宙ぶらりんの気持ちのまま、
私は観光客の中で買い物をしているのだった。

Nはスノードームと、赤とブルーのマグカップを購入し
私はまた絵はがきや写真集ばかりみていて、
ようやく目にとまったゲランドの塩(海藻が入ったタイプの商品)を
1つだけ購入した。

途中、お腹がすいたので島内の小さなホテルが運営するレストランへ入る。
どのレストランも満席だったが、ここならスタッフが忙しさのあまりにギスギスしている頻度が低い気がしたからだ。

オーダーしたのは、地元の名産シードルと山盛りのルーム貝、
山盛りのポテトと羊肉の一皿。




スタッフはあいかわらず愛想が悪かったが
シードルをのみながら、ルーム貝を殻から外して口に運んでいると
海の香りと潮をどんどん口に運んでいるような(貝風味の)
これまた変な錯覚に陥って、
わけもなく楽しい気分になってきた。

今想像するに、よほど塩味がきつかったはずなのに
これがフランス産「ルーム貝」なのだと、ちょっとした高揚感の中で
ささやかな食事をしていた。

店を出るとすっかりと島内は暗いて、先ほどよりも気温が低く
風がまた強くなったようだった。
Nと私は、モンサンミッシェルの対岸を1時間くらいずっと歩いていた。

先ほど内部を観察したモンサンミッシェル修道院の遠景を。
後ろ向きになってみては写真のシャッターを何枚も何枚も切る。




























春の夜とは思えないほどの寒さ。
そしてこの見知らぬ修道院の美観を飽きることなく
記憶にとどめようと必死だった。
ピラミッドのようだけど、
ライトアップするとクリスマスツリーの木のようでもあったし、
古城のような厳かさもあった。
月の光に照らされ、海上にぽっかりと浮かんでいるこの光景が
一番美しい姿だと確信しながら、長いこと見ていた。


パリに戻るバスの車中のなかでも、
美しいモンサンミッシェルの夜の遠景が張り付いて離れないまま
目をとじて眠れるのはなんて幸せなんだろう。などと
ぼーとした頭で思い、高速道路を6時間ほどひた走り
再びパリへと引き返していった。