月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

6月は水の季節

2008-06-22 23:07:29 | 今日もいい一日



6月は水の季節だ。
花も庭の葉っぱも、石も、雑草も、
空気も、暮らしの片隅にあるちょっとした空間まで
水を含み、ふくらんでいるように思える。
湿っている。

外気にふれると、大きな息をしたくなった。
とても、気持ちいいから…。
雨は雨の、
晴れには晴れの、
曇りは曇りの、
それぞれの、良い時間が流れている。

にほんは、季節がいくつもあって、
なんて愉しいんだろう。
きれいな国なんだろう。

もうすぐ初夏、新しい光、の季節がやってくる。



 母の憂鬱

2008-06-10 15:01:39 | 今日もいい一日



母は不安障害という疾患を抱えていた。

8年前、わたしは1才8カ月の赤ちゃんを抱えながらまだ、自分の未知への可能性に期待して、
広告代理店のクリエーター職に再就職した。
わたしは31才だった。
それから、6年の歳月が流れ、
その家族は、父を亡くして一人暮らしだった母を家にむかえ
秩序のある、規則正しい、ある新しいかたちをつくって
それから何の問題もなく、日々は過ぎていったかに見えたが、
ある日、母はキレた。

なぜって、
夫は判で押したかのように、深夜の11時~1時のあいだに帰宅。
わたしは連日の残業で、タクシー帰宅が週の半分以上をしめる、そんな毎日が長く続き
母はキレた。
正確にいうとキレだした。

母は、自分の責任の重さと自由を失い、ほんとうに
ストレスがたまっていたのだろう、と思う。
ある日、どうしても実家へ戻るといって聞かなくなった。
毎日毎日、思い詰めるような表情でため息をつく日が多くなった。


  
 まるでアルプスの少女、ハイジが
「山のおじいさんのもとへ帰りたい」。

 と、訴え続けたように、
 全ての責任を投げ捨てて、
亡き父と暮らしていた、自分の家へかえった。

 荷物をまとめて、ちょっとそこまで、といった風に。

それから一年以上も、
息をひそめるように暮らし、私たちの家へは戻ってこなくなった。

 わたしは、5年以上勤めた代理店をやむなく退職。
 フリーライターとして、小さな仕事を請負ながら
 仕事のくぎりがつくと、家族を連れては実家へ足を運ぶことを課し
 そして、また月日は流れた。
 7年である。

 先日、母の家を訪問すると、ほどなく母は
 いつもと同様に不機嫌に私たち家族を出迎え、
 帰りには晴れやかな表情で
 なごりおしそうに、
 私たち家族のために、あれこれと食料を段ボールにいっぱい詰めてくれる。

 自分のことを幸せが薄い人生だ、と時折口にする母。
 
 
母は真面目で、几帳面で、
 そして黙々と働く人。
 労働が、彼女の全責任感であり、人への誠実、といった風に…。

  
 母はいまも憂鬱なんだろうか。




 帰り際に、母と父の寝室へ立ち寄った。
父が亡くなる3年前のアルバムが目にはいる。

(あぁ、こんなところへいたの。今までどうして出てきてくれなかったのお父さん)

隣にたたずんでいた母は若くて、
しゃきっとした表情で笑っていた。

わたしの夢は、自分の糧(仕事)をしっかりと持ち
そうして
大切な人たちのために、(自分のために)
働くことだ。
家族みんなのために、自分がそのバランスをとることだ。

そうは思いながら、
あまりに自分がちっぽけで、小さくて
最近わたしは、その事実がおそろしくなる。
眠れない夜にー。