月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

絶世の遠景は、ぞっとするほど綺麗だった (9)

2018-01-01 13:07:56 | 海外の旅 パリ編


モンサンミッシェル修道院の中からでると、過去の時間から
タイムマシンにのって現在に戻ってきたような、
夢をみているような
ぼーとした気分で再び参道の大通りに出た。

先ほど、出口付近の売店でモンサンミッシェルの絵はがきと記念切符、
そしてゲランドの塩を購入した時には、千年前の気分のまま購入していたというのに、
大通りのおみやげもの屋さんに戻ると、
現在の時間軸の中で、おみやげものを見ているのだった。

最初はどちらが現実でどちらが夢なのか、わからない
うつつな調子だったが、
だんだんと「今」のほうに体がなじんでいってしまうのが惜しい、そんな宙ぶらりんの気持ちのまま、
私は観光客の中で買い物をしているのだった。

Nはスノードームと、赤とブルーのマグカップを購入し
私はまた絵はがきや写真集ばかりみていて、
ようやく目にとまったゲランドの塩(海藻が入ったタイプの商品)を
1つだけ購入した。

途中、お腹がすいたので島内の小さなホテルが運営するレストランへ入る。
どのレストランも満席だったが、ここならスタッフが忙しさのあまりにギスギスしている頻度が低い気がしたからだ。

オーダーしたのは、地元の名産シードルと山盛りのルーム貝、
山盛りのポテトと羊肉の一皿。




スタッフはあいかわらず愛想が悪かったが
シードルをのみながら、ルーム貝を殻から外して口に運んでいると
海の香りと潮をどんどん口に運んでいるような(貝風味の)
これまた変な錯覚に陥って、
わけもなく楽しい気分になってきた。

今想像するに、よほど塩味がきつかったはずなのに
これがフランス産「ルーム貝」なのだと、ちょっとした高揚感の中で
ささやかな食事をしていた。

店を出るとすっかりと島内は暗いて、先ほどよりも気温が低く
風がまた強くなったようだった。
Nと私は、モンサンミッシェルの対岸を1時間くらいずっと歩いていた。

先ほど内部を観察したモンサンミッシェル修道院の遠景を。
後ろ向きになってみては写真のシャッターを何枚も何枚も切る。




























春の夜とは思えないほどの寒さ。
そしてこの見知らぬ修道院の美観を飽きることなく
記憶にとどめようと必死だった。
ピラミッドのようだけど、
ライトアップするとクリスマスツリーの木のようでもあったし、
古城のような厳かさもあった。
月の光に照らされ、海上にぽっかりと浮かんでいるこの光景が
一番美しい姿だと確信しながら、長いこと見ていた。


パリに戻るバスの車中のなかでも、
美しいモンサンミッシェルの夜の遠景が張り付いて離れないまま
目をとじて眠れるのはなんて幸せなんだろう。などと
ぼーとした頭で思い、高速道路を6時間ほどひた走り
再びパリへと引き返していった。

モンサンミッシェル修道院の中を順路に沿って歩く 後半(8)

2017-12-22 15:40:14 | 海外の旅 パリ編








モンサンミッシェルの内部は、外気より完全に冷たく、地下牢のような湿気があり、
暗くて濃密な廃墟のような石の搭だった。

ゴツゴツとした厚い石の階段を上る時、また下りる時。
ここが千年以上の歳月を経てなお、生き続けている修道院だということを、
踏みしめる石の階段の堅さと冷たさから、
わきあがってくるようだった。




英国との百年戦争の時も不落の強固さをみせたそうだが、
軍事建設物として英国の攻撃に持ちこたえた防壁、要塞にも。
やはり悲しみが宿っているように感じた。
ここは、フランス革命時に修道会が散会してからは、
長いこと監獄としても使用されていたという。



身廊の天井は、板張りヴォールトになっていて、
優雅にアールに曲げられた部屋の天井部や修道院付属教会の天窓も胸のすくような完成された設計だ。
彫刻に刻まれた装飾やマリア像。



そして、あたりからたちこめる、過去からの時間軸から流れる気配…。


そして突然と「回廊」へ出る。











ここは修道院の最上階部で、僧たちの祈りと瞑想の場だった。
モンサンミッシェルの見学コースで、唯一といっていいほど
開放感にあふれた中世の宮廷風の中庭と上部に掘られたレリーフのデザイン。

芝生は生えたばかりの優しい緑で、
空に近い光を浴びて、とても綺麗だ。
暗い歴史の迷路から、現実世界へ抜け出たような温かさを覚えた
美しい「回廊」なのだった。


続いて修道院の食堂があった。
正面には十字架。
両側には円柱の小窓があり、穏やかな光がそそがれる構造になっていた。

ロマネスク建築とゴシック様式の混在する建築美というもの。
それは美しく、質素で厳かな空間を飾っていた。


中階へ降りると、貴賓室、サントマドレーヌ礼拝堂。
アールを描いた巨柱の間。



聖マルタン礼拝堂は、修道院付属教会の交差廊より、後に建築された
比較的新しい設計で、10メートルほどの石組の天井。壁層はかなり厚いものだとか。



次には、19世紀の牢獄時代に納骨堂があった貨物昇降機(大軍輪)。
崩壊した医務室と修道僧の納骨堂の間にある死者のチャペル
(聖エティエンヌのチャペル)。
階段を通り、修道僧の遊歩場(散策の間)へとコースは進む。








そして。騎士の間(修道僧たちの仕事場)。




司祭の間を見て、
ラ・メルヴェイユの建物を後にする。


外気にふれると、ほっとした。
先ほど入場前と同じように観光客の群衆であふれている。写真撮影をするグループや、
同じバスに乗車していた初々しい男女のカップルたちも揃って
写真撮影をしていて、すっかり寛いだ様子だった。

モンサンミッシェルの栄華と悲哀を、一瞬にして見たような気もするのだが、

この広大な塩の干潟と日常の人の姿を目にしたら、

なんだか全て幻だったようにも思えるのだった。


モンサンミッシェル修道院の中を順路に沿って歩く(7)

2017-12-21 20:34:22 | 海外の旅 パリ編





モンサンミッシェル修道院は海の上に浮かぶ、灰色の搭というイメージがある。

旅をしたのが3月で寒かったし、
空に重い雲がたちこめる季節だったせいもあるのだろう。

土産物ショップやカフェなどが続く観光の通りからはずれて、
修道院の入り口に近づくにつれ、
その気配は重く、深い悲しみに包まれているのが感触として伝わってくる。

同時に、厳かな祈りが聞こえてくるようだ。
708年、アヴランシュの司教オペールが、大天使のミカエルから
「このモン(岩山)に聖堂を建てよ」
というお告げをうけ、(最初は聞き入れなかったが3度も現れた)
礼拝堂を建てたことがモンサンミッシェルの始まりであると言われている。

史実を読むと、966年にノルマンディー公のリシャール一世が修道院を島に建て、
増改築を重ね、13世紀頃にほぼ現在のかたちになったのだそうだ。

中世ロマネスク様式とその後のゴシック建築が混在する簡素だが
独特の雰囲気をもつ様式美。

古いレンガと厚い石の壁。

途中、焼けて劣化した焦げ茶色の石(壁)が、数カ所あったが
これも英国との100年戦争の悲哀を物語っていると知ると、また味方が変わってくる。

随所に、建造された彫刻などは、やはり見応えがあった。

このように大胆で意志の強い彫刻物の深い堀りは、日本には少ない。
ヨーロッパならではのもの。美しい芸術である。
鉄柵脇の入り口へ進み、長い階段を90段ものぼり終えると、
聖堂前の西のテラスへ出た。





海抜80メートルのこの場所は、西にブルターニュ地方のカルカンの岩山から
東はノルマンディー、北にトンブレーヌ孤島までみわたせる、吹き抜けのテラス。

引き潮の時間帯なので広大な泥色をした干潟。こんな大自然もあるのだとこれまでみたこともない
塩の壮大さに、胸をうたれた。
そして、島内の湿気と不思議な暗い靄も、この塩の紗によって
生まれていたのだろうかと思いながら、ぼんやり泥色の干潟をみた。


なんだか修道院をめざして登ってくる観光客の群が蟻の行列のようにみえて
滑稽だった。











対岸に現れたモンサンミッシェル(6)

2017-12-20 01:13:20 | 海外の旅 パリ編






モンサンミッシェルは、青々としたサラダのような柔らかい草原のかなたに忽然と現れた。
なんだか幻のような光景だ。
 
荒野のむこうにも見えた。

原っぱには黒い羊が放牧されていて、その向こうにもモンサンミッシェルは同じように存在していた。













視覚の端に、モンサンミッシェルを認めてからは、バスがどんな景色の中を移動しようと、
モンサンミッシェルは決して裏切らずに堂々と現れ続けていた。

ピラミッドのように、その地に根を下ろす威厳がある修道院。

日本の富士山を思い出した。






我々は車窓から、どんどん大きくなっていくモンサンミッシェルを見続けていた。

バスを降りると、真冬のような寒さだった。

灰色の空に、まっすぐに突き抜けて建つ灰色の修道院。
周囲には観光客もいて騒がしいはずなのに、驚くほど静かに建っていいる。

ここ対岸から島内は、徒歩で30分は軽くかかるということだったが、
私たちはシャトルバスを選ばず、自分たちの足でモンサンミッシェルに近づいていくルートを選んだ。

その日はものすごい風だった。
寒くて震えそうだったし、時折、突風にあおられながら
干潟の脇の歩道に沿ってひたすらに歩いた。
鼻も頬も赤くなって、ぶるぶる震えながら、ようやく、対岸から島へ着く。

島内出入口にはアヴァンセ門。
今は夕方の3時50分で。夜の8時15分までは自由行動である。





門をくぐり進むと、観光ルートだ。

島の入り口の門を通ると「グランド・リュ」(大通りの意味)と呼ばれる、修道院まで続く参道があった。
狭い道の両端には、ふわふわオムレツで有名な「レストラン・ラ・メール・プーラール」や
おみやげ物店や絵はがきを売る店、レストランが続き、ホテルがあり、ものすごい人と食べ物と、雑居ビルのような商店群に
圧倒されながら、モンサンミッシェル修道院の入り口へと進んでいった。





ブブロン・オン・オージュ村でガレットを(5)

2017-12-18 20:39:16 | 海外の旅 パリ編


ブブロン・オン・オージュ村は、フランスの美しい村にも数えらられる美しい花々が
あちらこちらに咲く、可愛い村だ。

さてリネンの店を出ると、もう時間がわずかしかない。
けれど、どうしても飲食店に入ってみたくて(それも日本人が少ない店)
クレープとガレットを食べさせてくれる店へ急いで入った。

看板には「CREPERIE」と書かれていて、その上に
"LA COLOMB'GE"とある。

店内には日本人観光は少なく、フランス人が普通に食事している光景に、ほっと胸をなでおろす。




さてと、何を頂こうかとメニューのリストを開くと、あら、全てフランス語で書かれていた。
昨晩のカフェもそうだった。
この地はフランス語を愛し、尊ぶゆえにか英語メニューを置いている店が意外に少ない。

私たちは、気を取り直して慎重に、りんごの軽いお酒・シードルを。
そして、食事メニューの中からガレット・クレープを選び、一番安いスタンダードなバターのガレットと
りんごやアイスクリームの入ったデザートクレープをオーダーした。

地元のおじさんやグループ客が、真っ昼間からシードルやワインを飲みながら、鼻を赤くして
クレープをナイフとフォークで口に運んでいる食事風景を、微笑ましく、チラチラと盗み見しながら、
オーダーの品が運ばれてくるのをひたすら待った。

10分待ったけれど、まだ来そうにない。これは時間がないな。
焦る気持ちはあるが、今の心中を全く怒っている風でなく、集合時間がある上でここの食事を全力で楽しみたいというところを、情報として正確に伝える現地のフランス語を、Nも私も、当然のように持っていないのが悔しかった。
(Nはフランス語は中級クラス以上はあるのに…自信がなかったのだ)
それで、じりじりとした気持ちのまま、クレープの焼けるのを待った。

そんなこんなはいざ知らず。

店員は、にっこりと笑顔とともにシードルの瓶とグラス、そしてクレープをゆっくりと運んできてくれた。
(パリのキビキビしたウエイターとは違って、ノルマンディーのメルヘンチックな小さな村。時間の使い方も悠長である)




私たちはバターだけで焼いたシンプルなガレットと、
りんご、アイスクリームをのせたデザート・クレープを、ほんの5分ほどでお腹の中におさめた。




どちらも、想像以上!の味だった。

外皮は薄くカリッとして、中は濃厚なもっちりとしたガレット&クレープ。
小麦の質がいいのに加えて、ゲランドの塩が良い役目をしているのだろう。
それらは一瞬のうちに、おなかの中にするするっと溶けていった。とてもおいしかった。

もう少し、せめてあと10分。居座って、シードルのりんごの香りまでゆっくりと味わって、
この場の雰囲気を記憶におさめておきたかったなと
すこし心残りを残したまま店を退出。

さあ出発だ。私たちは再びバスに乗り込んだ。
次の到着地はモンサンミッシェルである。




フランスの美しい村 ブブロン・オン・オージュ村で (4)

2017-12-17 23:52:27 | 海外の旅 パリ編

バスは、パリの街中を走っていた。
あ!凱旋門。と思い、立派な彫刻に見とれているうちに門の下をくぐる。
そして、しばらく走ると、今度はオアシスのように濃い緑が繁っている公園があり、
どうやらブローニューの森のようだった。

運河や湖もあるという。
あぁ、ここがいつか行ってみたかったブローニューの森なのか。
車窓から、絵はがきのようなパリのあちらこちらを、こうしてスポットでみせてもらい、
そこを空想しながらドライブするというのも素敵だ。

もう少し走ると、ハイソなアパートメントが続き、高級住宅街へと進む。
変化のない車窓風景をみながら、写真のチェックなどを。

3月のパリの空はうす曇っている。

しばらく走ると、今度は牛や羊を放牧している農村風景があった。緑が濃い。



3月というのに、濡れたような緑だ。
この国の、赤のきれいさにも驚かされたけれど、緑の、生きている緑色の明るさにもまた驚かされる。
これがヨーロッパの緑なのだ、と静かに瞼に刻み込む。

しばらく、目をとじて眠ろうかな。などと、うとうととしている間にもぐんぐんとバスは進み、
もう一度、牧歌的な風景がまた現れた。

パリの中年ガイドさんによると、ノルマンディの小さな村へさしかかり、そこで1時間半ほど休憩するのだという。
フランスの美しい村に指定されている「ブブロン・オン・オージュ村」(ブブロン村)である。
街中に入る前に、石造りの小さな家と馬小屋をみた。








ライラック並木が近くにみえる村役場のようなところに車を停めて、私たちはバスから降りた。
ひさしぶりの地面を踏む感触。足がお酒によっぱらったように、不安定な歩き方に。
「ブブロン・オン・オージュ村」。
ほんの30分ほどで歩けてしまう小さな、小さな観光の店が集う村だった。

Nは、ウインドウにきれいに飾られたマカロンに目が吸い寄せられて、
そのまま2個かって食べながら歩いていた。





小物を置く店やアクセラリーショップ。
少し行くと、リネン類を売る店があった。

薄い麻布に刺繍がさしてあるテーブルセンターや布小物がたくさん並んでいる。
最初は観光客相手のおみやげもの屋さんのたぐいかと思ったら、
そうでもなく、生活に根ざしたリネン類や小物をおいている、感じのいい店だった。
やはり人の手でつくられたものは美しい。アンティークの布に惹きつけられたが、高かったのでやめた。

それで家のダイニングテーブルの中央に敷く、長い長方形のセンターテーブルクロスを沢山の中から選んで購入した。

いろいろ欲しいものがあったが)ここは一番にだけ絞った。
買い物を終えると、一仕事終えたようなちょっとした疲労と爽快感が、一気に押し寄せてきた。





パリの2日目の朝 (3)

2017-12-16 11:06:43 | 海外の旅 パリ編

(日本は師走です。クリスマスまで数日。
今年中の原稿もメドがたってきたので、ここで書いておきたかったパリの旅の記録について書き留めておきたいと思います。
しばらく毎日の連載とする予定なので、フランスへのご予定のある方やお時間あるかたはご一読ください)

パリ(1)
パリ(2)
からの続き

パリの2日目の朝は、霧に包まれていた。

背の高いアパートメントの下を歩くのは、働く労働者たち。観光客は少ない。
トラックから牛乳瓶の入った木箱を積みおろす人。ショップの開店準備でウインドウを縦にふく化粧っ化のない女性。
ホテルの斜め前は香水やリネン類を置くデュランで、朝の日差しが入る店の空間を白い電球が照らし、
美しいパリの朝には間のぬけた光景にみえた。

この日は、モンサンミッシェルに行く予定にしていた。
パリ市内9区のガデ駅から地下鉄にのり、パリロワイヤル駅へ。
途中、通勤途中の女性や男性や、子供たち。行き交う人にみとれながら、この街の人はグレーや紺色のウエアに、
エレガンスな赤い服を差し色につかうのがなぜこんなにうまいのだろうなどと、ぼんやり思いながら、歩く。
パリの赤はとてもエレガントだ。

ほんの2・3日前の日本の朝、それもわが家の近くの光景や、北浜や淀屋橋界隈の通勤の朝と比較しながら、
私たちはだまって歩いていた。
 
パリロワイヤルから徒歩5分のところに、モンサンミッシェル行きの現地ツアー集合場所があった。
周囲には中年の母とお嬢さんの母子グループや20代前半くらいのカップルや、女性のおばさんグループや…。
15分ほどゆっくりした後で、バスに乗り込み、パリを離れて郊外にむかって
私たち一団はフランスのもうひとつの旅へと向かった。

パリ紀行(2) パリ初日の夜は、オムレツ・ド・フロマージュで

2015-08-02 01:29:59 | 海外の旅 パリ編



細い路地に小さなホテルが連なるなか、エンジ色の旗が目をひくのが
プチホテル「トゥーリン」。



エントランスから繋がる長い廊下やフロント、ロビー、客室等の装飾はアンティーク調に統一され、
フロント横にはミニアンティークギャラリーも。
絨毯をまっすぐに進むと、感じのいい狭い中庭とテラスがあり、その先に1人用のエレベータが設置されていた。



自力でエレベータのドアをあけて、スーツケースをどうにか中に押し込み、
つま先立ちをして、肩を折るように縮めてドアを締めて2階まで(2人は同時に乗れない狭さ)。
一番奥の突き当たりの部屋が、3日間滞在する私達の城だった。







そんなに高価なホテルではないので、あまり期待していなかったが、広さは十分すぎるくらいだ。
室内はマホガニー色の家具と、ややモダンな光沢のあるザクロ色のベットリネンとおそろいのカーテンで統一され、
清潔に掃除されていた。
お風呂はきれいに磨かれて、バスタブとシャワー室に分かれていたのが、なにより気に入った。
3つ星ホテルのここは、贅沢とはいえないまでも女の子がいかにも好きそうで、日本の古い洋館ホテルのようなしつらいなのだった。


シャワーを浴びて外へ出ると、まだ夜9時を過ぎた時刻だというのに真夜中のような暗さ。
黄色の電球はいっそう怪しさをまし、強い光線となって街を照らしていた。

私はNとふたり、若いカップル達が手をつなぐみたいに指と指を絡めて、街に繰り出した。

パリという大都会の夜が、怖かったのだ。黒人も中近東の人も欧米の人も普通に夜のパリを楽しんでいる光景に
のまれてしまいそうな気がしたのだ。
どこからみても日本人の私たちは、同性愛者に間違えられないかと半ばヒヤヒヤしながら、用心深く街を歩く。








途中で、酔っ払いのグループやOLや、若い男女やらに出くわしたが、
それでも本当は数えられるほどしか、人とはすれ違わなかったのかもしれない…。
それに、エールフランスの機内食を食べてから数時間しか経っていないせいか、全くお腹がすいていない。
ただ単純に、パリの夜の街を散歩したくて歩き続けた。

メトロの入口やアパートメント、4つ星ホテル、カフェ。
曲線のデザインが美しいアール・ヌーヴォーの建物の美しさに見惚れて、何度か立ち止まった。
ヨーロッパは彫刻のレベルがなんて高い国だろうと思ながら。

人通りは少なくても、道路の交通量だけは結構あって、カフェだけがにぎわって人が溢れかえっていた。


オペラ座の裏にはオスマン通りがあり、「ギャラリー・ラファイエット」、「オ・プランタン」のショーウインドウだけをみながら
歩く。どこもシャッターが閉まっていたので、
「モノ・プリ(Mono Prix)」という食料品専門のデパートへ入った。





中に入ると、おいしそうな惣菜やハム、チーズ、パンの店。マカロンやケーキ屋のたぐいの店がいくつも連なっていた。
オシャレな瓶詰めの店もあった。蛍光灯は明るく、花屋やフルーツを売る店、デザート店に会社帰りの客がどんどん吸い込まれていた。
私達は、ピエール・エルメのマカロンを6コ買って袋につめてもらった。
今夜ホテルへ戻って、コーヒーを入れたらこのマカロンを食べるように…。



やはり。お腹に何か入れておこうとこのカフェへ。
行く途中で、一番感じいいなと目星をつけていた「Au Gral La fayette」。





扉をひらくと、キャッシャーにいた1人の男性が出てきて笑顔で出迎えてくれた。
席へついてからも、なんだか、彼から目が離せない。いわゆるフランス人らしい人となり。
給仕のたぐいと金の勘定を1人で取り仕切って本当にせかせかと、よく働く男だ。それに、どの客にも笑顔で対応していた。
ものすごい速さで歩き、キビキビと皿や料理を運び、丁寧にワインをつぎ、厨房に消えて、
またすぐ大皿一杯のサラダを持ってきて、テーブルにドンと置くや、また新しい客を迎えいれて椅子をひいていた。
マネージャーだろうか、オーナーだろうか。
日本人には少ないな、こんなできる男性の給仕をする人は。



私は、オムレツをオーダー。Nはガレットをオーダー。
赤ワインとチーズも追加する。









大皿にどっかりと乗ったオムレツは、オムレツ・ド・フロマージュ。アツアツ!卵とチーズだけのプレーンタイプなのだが、
クリーミーなのに、実にサッパリしている。
とても全部は食べられないと思ったのに、一緒に盛られた葉野菜やワインとともに味わうと、いくらでもスルスルッと胃袋におさまった。
「オイシイ!!」。夜に卵料理なんて日本では考えられないが、
私は石井好子さんの「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」に感化されていたのか、絶対に巴里ではオムレツを、と決めていたのだ。

いいなぁ、こんなカフェが日本に、というか近くの住宅街にでもあればいいのに。
(でも想像してみて、全く合わないとすぐにわかった)

時計の針は10時半をさしていたが、ほぼ席はうまっていて、隣には4人グルーが大きなステーキとポテト、
惣菜を何品がオーダーして豪快に乾杯し
窓際では、1人の若い男性が白ワインと赤ワインを次々と注文しながらグイグイと気持ちよく飲み、おいしそうなパテやサラダや肉の盛られた皿を幸せそうに食べていた。
1人で愉しそうに外食できる国っていいなぁ、とボンヤリ思う。

パリのカフェは、大人たちが実に愉しそう。
日本のそれとは違って、オシャレより、食い気とばかりに、あの人もこの人も、グループ連れも、
おいしそうにモノを食べ、愉しそうにおしゃべりする光景がとても気持ちよかった。
食事や酒を心から愛してやまない人たちが集まってきている、という空気感が店中に漂っていた。

それに、びっくりするくらいおいしい!日本でこれくらいのものを出したら、
すぐに人気店として行列ができたり名店として雑誌に頻繁に登場するに違いない。
洗練された味とか、そういうのではなくシンプルだけど、味がいい。
それもこれみよがしではなく、さりげなく自分に寄り添ってくれている味。
胃もたれしない。おいしいオムレツとワインで気をよくした私達は、ご機嫌でホテルまでの道のりを
来る時よりも軽い歩調で引きかえしていった。





パリ紀行 (その1) 黄色いネオンだけが街を包む、大人の夜・パリ

2015-07-27 00:32:32 | 海外の旅 パリ編



関空を出国したのは、お昼の1時過ぎ。
今回の旅は、娘のNと2人きりなのだった。
エールフランス。
飛行機の乗り込みを待つ間、私たちはそれぞれ、日本へ置いてくる夫と、
娘は出来たばかりの彼氏に、

「じゃあ、行ってきます。元気で帰ってくるからね。…」と

別れの挨拶を、10分ほど交わして(iPhoneを通して)
晴れて自由の身で、飛行機のシート深くに体を預けたのだった。

白くほわっほわの雲の上にぽっかりと顔を出すと、
青い空はもっと明度が高く、太陽の光をまっしぐらに浴びて、ひどく鮮明なブルーに思えた。
海よりも、ずっとずっと明るいブルー。その明るさは太陽の光が近いからに違いない。
雲を下に見る別天地。
旅立つ時、私はいつも、この光の世界に心を奪われる。

そして、旅立つ時は、こうも思う。
まるで家出娘だ。

昨日までの自分を脱ぎ捨てて、不安と不安、期待に打ち震えるいい気分に、この日もそれなりにワクワクしていた。


まず、エールフランスのこんな機内安全ビデオにしびれた。
CMも素晴らしかった。

日本にはない、型におさまらないハイレベルなセンス


機内では赤ワインと白ワインを1本ずつオーダーして、
2本のヨーロッパ映画をみて、ワインとチーズとパンのおいしさに満足し、
ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」を読み返して12時間過ごした。




パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着したのは夕刻の時間。

市内への道は、混雑していた。
灰色の雲が垂れこめた、重く厚い雲に覆われた空。

ハイウエイは、ヨーロッパもアジアもそう変わらない。
車窓からみえる、看板もホコリを被って、まるでアジアのように薄汚く見えた。


市内に入ると、道は渋滞していてずっと向こうまでトラックや自家用車が続いていた。
道幅の狭さのわりに、のっぽすぎる洋館は
カッターで切り落としたように同じ位置で止まっている。そして、おそらくアパルトマンや商店、ホテル、シャッターを降ろした雑貨店が何軒も続く。

私とNが最初の滞在で宿泊するのは、 オペラ座からほど近い地下鉄カデ駅から徒歩3分の「トゥーリン」というプチホテルだ。

「もうすぐ着きますよ」と
知らせてくれた声で再び我に返って窓の外をみると、パリの街はすっかり排気ガスの混じった夜の霧がたちこめていた。
浮浪者のような格好をした男達と、黒人、女たちがあちらこちらで騒いでいる。
ここがオペラ座付近とは思えない不良っぽさが醸す雰囲気。
パリは私が思った以上に大人の街だったのだ。










青いとばりに、黄色っぽい光だけが薄気味悪く光る。

日本の夜は、コンビニの明るすぎる蛍光灯をはじめとして、赤く、青く、緑や。オレンジの色の波が渦巻いている。
興ざめすぎる夜はいつまでも眠らない。

アールデコ調の黒いテラスで統一された石の建物が、ぶきみに高すぎるのだろうか。
パリの晩は、まだ9時だというのに。狭い道路にひしめく建物群が光のなかに影のように覆い被さって、迫ってくる街だった。

時々、きれいなワンピースを翻して歩くパリジェンヌにも出くわすが、
たいていが不良の男女がたむろしている姿が印象的だった。

ホテルに荷物をおいてシャワーを浴びると、私たちはカフェに繰り出した。