月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

きょう夏がきた

2021-12-24 11:47:00 | コロナ禍日記 2021





 

7月16日(金曜日)晴れ

 

先週から、仕事ばかりをして過ごしている。

困るのは、インプットをできていないこと。全く拾い読みくらいしか、本を開いていない。1日2ページ、2ページの読書タイム。長いものばかりかいているからだ。

仕上がれば、どちらも10万字以上になるだろう。

昨年の夏あたりから取材を進め、12回の取材をしていた。すべて自前でテープおこしをするのに時間がかかった。取材の時に聞いたこと、テープおこしをしながらの復習、そして書いていく過程と3回は、その人の話すことをなぞるので、ポイントがよくわかるのである。

 

このところ、パンフレット24ページくらいのパンフレットのコピー作業、ブックライティング、9月締め切りの仕事、そしてnoteにエッセイを書きためようとする。長いものにたずさわっているのなら長距離を走るランナーのように体力がいる。それで、いま、3つのマシンをつかいわけている。

 

軽いこんな日記のような文章はポメラでかいて、スピードをあげて書く必要のあるものはMacBookエア、長編原稿については俯瞰的に、第3者的視点で書きたいのでMacBookというように。

ほんとうは、それらをメールでスティックのメモリにいれて交換しあい、推敲をしあうのと完璧なんだけれど。

 

きょう、夏がきた。

朝おきたときの光の色、あたる明度で、すぐにわかった。雨はふっても、亜熱帯のような夕立的な雨になるんだろう。

夏がはじまる。今年の夏は、仕事が山のように積まれている、受験生のよう、夏休みの幕開け。

 

 


この頃のnote事情

2021-12-15 13:11:00 | コロナ禍日記 2021

7月9日(木曜日)晴れ

 





写真は、たねやの水羊羹とペニンシュラ香港のハイグロウンティー

ザ・ペニンシュラの150周年を記念して、ペニンシュラクラッシックティーアンバサダーのバートラ・バジョリア氏が監修をした限定ブランド。西ベンガル州の夏摘みのダージリンと、まろやかで力強いモルティ(麦芽のような)フレーバーのアッサムを合わせた、華やかな香りとミディアムボディの味わい。(説明書より)



今週は某社のパンフレットの原稿を書いている。

最近、長い原稿ばかりを書いているのでどうもコピーの言葉になれず、じたばたし、いらいらして、苦しかった。翌日から急に、資料をみていたら、書くべき要素が降ってきて、その振ってきたものにぶつけるように、バシバシと思いのたけをこめてパソコンを叩いたら、あっという間に仕上がった。

(といっても3日間かかっていた)

 

いま、デザインの仕上がりとコピーのチェックを、何往復もさせている状態だ。

 

目先の課題に終始していたら、やろうと思っていたことができない不甲斐なさで、息できないところまで来ていた。一日のうちに、4つの課題を、時間軸で区切っていこうとしたのに、一番、時間をかけてやりたかったことが、一番あとまわし、とは。

 

腹威勢といってはなんだが、noteというソーシャルメディアのプラットフォームに、エッセイやプロフールを綴りはじめてみる。ふつうの仕事であるなら、提出先のディレクターなり、編集者なり、クライアントの担当者なりの目をとおって、印刷される。が、ソーシャルメディアは、すべて自己責任である。これは怖い!

まあ、ここも同じではあるけれど。そんな読む人も多くはないだろうと思うから自然に書ける。noteは、ほぼ書くこと、描くこと、語ること、なんらか普段、発信している人たちが、書き手であり、読み手。そういう意味で刺激的でもあり、少し作り込んでいく必要がある(構築する必要がある)ソーシャルメディアだ。自意識過剰なわたしは……消しては復元し、写真をいれてみたり、取ってみたりと。自分でいうのもなんだけれど、思いの丈が大きいなら、暑苦しいものになっていっていくのが、わかる。叙情に走りすぎてしまえば、読み手からすれば、しらっとなると思うし、安易ではない。何事も凝り性のわたしは、うまく着地(自分にオッケーがでない)できず、考え込んで。時間ばかり浪費してしまうのであった。この最中にあって、君はなにをしているのだ。問いかけて風呂に入り読書を数ページし、一日が終わっていた。

 


クシシュトフ・キェシロフスキ監督のデカローグ鑑賞

2021-11-30 21:52:50 | コロナ禍日記 2021

7月8日(水曜日)雨

 

 



 

 

大雨の中、デカローグを観に映画館へいく。電車を乗り継いで、約1時間と少し。このスケジュールで、よく行けるな。とすごい根性。おまけに悪天候だ。大雨。電車の中、誰かの傘のしずくがスカートを濡らす。

 

けれど、結果としてよかった。あの、ポーランドの曇った空と、スローな会話。ハイソな生活。住宅街で繰り広げる人間模様の時間の中に身をおくことができただけでも、幸せなひとときだった。

ポーラインドの巨匠、クシシュトフ・キェシロフスキ監督。聖書に記されたモーゼの十戒をモチーフに、ある団地に住む人々の琴線にふれる人間模様を10編にわたって描いた連作。1編一時間弱。だが濃厚だ。短編小説を書いている人なんかはすごく参考になると思う。

 

 

切なくいとおしい。ナチスによる破壊から蘇った美しい都市、ワルシャワに生まれた十篇の物語は、ガラス窓と光の冷やかな感触とともに暖かく育ってゆく。樹木や風、人の表情まで結晶に変える映像に。ふたりのベロニカの予告もはしる。

巖谷國士(写真家・評論家)

 


 

電車に揺られて梅田。エルメスの時計の電池交換。大丸の「つるや」で、鰻のランチ。

人のいないデパートの気楽さったらない。まるでプールの水の中で泳いでるみたい、トレンドの服や雑貨をみることができて気持ちよかった。

 

帰宅は、昼1時半着の予定を大幅に越えて、3時前。すぐ、クライアントから電話。結局、就寝の1時まで、夕ご飯もそこそこに仕事漬け。あの、ポーランドの空気はいずこに……。絶対にDVDを買ってやろうと誓う。

(後日談 買いました。20,694円しました)

 

 

 

 

 


それでも今日やることがあることは幸せなのだ

2021-11-22 14:39:29 | コロナ禍日記 2021

 

 

 

7月5日(月曜日)晴れ

 

週末から、ずっと仕事ばかりしている。

いま、4つの課題を抱えていて、そのうち2つは、本1冊まるごとのものだし、あとの2つも簡単にできると思うと、意外にむずかしくて時間がかかる、コピー案件と。個人的に書きためようとしているものだ。

 

コピーで大切なことは、どういうか(表現)ではなく、なにをいうかだ。

なのに、わたしはどういうか、に固執しすぎるから、時間がかかるのだ。この年齢になっても、これだけ経験をつんでも、初期のようなことをやっている。ちゃんちゃら、おかしくて腹立たしい。

こういう時に、無駄なTwitterのつぶやきをいれてしまい、片付かないものが迷宮入り。

 

クールダウンしたくて、散歩にでてみたり、川端康成氏の小説やだれそれのエッセイなどを手にしている。ますます時間がなくなり、ますます頭に血がのぼる。という事態だ。

なにをイライラしているのだろうか。

 

わたしも、誰かにあやかって。したいこと、したくないこと、必要なこと、必要ではないこと、のマトリックスをつくってみた。

 

いらいらしていた案件は、必要なこと、したくないことだった。

この潜在意識が邪魔しているのか!! いや、こういった案件を間にいれているから。物事スムーズになるのだ。もし、やりたくて面白い仕事ばかりだと、いつかは、これらの案件が、必要なこと、したくないこと、の順位にいく日が近くなるに違いない。これでいい。これが人生のなりゆき、である。

物事は、自然に、いくほうに流れていって正解なのである。

 

明日は、4つの課題を出さねばならない。ほんの少しずつでも手をつけてみようと思う。そうしないと前進しない。

 

 


凡才のなかに天才が一欠片!

2021-11-14 01:21:00 | コロナ禍日記 2021






写真は京セラ美術館 フランソワポンポン展より


 

7月3日(木曜日)晴れ 

今朝は、とても心地よい、優しい気持ちになる夢をみた。

35歳くらいのお嬢さまが登場し、彼女とたくさん話し、信頼を深め合った。ああ、この人とお友達でよかった、とうれしい気持ちになる。小さな女の子も登場し、誰だろう、と思いながら、その彼女といろんな面白い遊びをして、これまた気持ちよくって。私ってこんなに子供が好きなんだなと思ったところで、目が覚めた。

目覚めて、いま、自分が求めているのが、心かよわせる友人であるのかもしれませんね。と思えた。同時に、夢のこまかなところはすでに忘れたけれど、夢の穏やかさに安堵し、わたし自身の凡人性をも、理解する。

夢には、その人の知能があらわれるのでは、と考えるから。

 

 

寝るとき。

8月末には書き上げていかねばならない案件のお尻のことをずっと考えていた。それが200ページほどのブックライティングの原稿なのだが、昨日、かかり始めた時にはあまりに内容が薄すぎて、悶絶したところだったのだ。インタビューは12回した。この本、誰をターゲットにして書くか、一般大衆読者とするなら、ディテールもなく、思想が浅い。どうやって面白くしていけばいいのだろうと、昨晩、

深夜11時半頃に、ひやっとした風のなかで散歩をしている最中、考えていたら怖くなったのだった。で、脳の心配とは反する夢物語だ。

 

2時に眠って目覚めたのが朝5時。

1時間ほど机に座って仕事をし、もう一度、布団に潜り込んでみたのが、冒頭の夢の話しである。

 

この頃、仕事をしているなかで、自分の中に凡人と一欠片の天才が同居しているな、と思わずにいられないことが勃発している。

 

まず、手相。右手が百にぎりで、左手がくそ、だそうだ。

視力に関しては、右は年々視力が落ちて、0.01。左目が1.5だ。(昔は2.0だった)

 

天才的にスピーディーに原稿が書けてしまというときもあれば。信じられないほど要点のつかめない、わかりくにい表現で着飾る時だけの原稿もある。

 

そういえば、占い師の友人に、生年月日から人生と伴侶のことを占ってもらった。

あなたの中には天才と凡才が同居している、と確かにいわれた。

また京都の大原の母には、あなたの人生は山あり谷あり、常に波風がたっている。うねりのなかにある といわれた。

ま、しかし。誰しもそうではないだろうか。どんな人でも、閃きはあるのだ。絶対に、わたし天才かもと思うほどにできてしまえる瞬間は持っている。それをどう、平常運転にするか、である。

 

ま、案じるより、諦めて、進んでいきましょう!

これから、少し散歩をして、仕事をはじめましょう!こうしか生きられないのだから、自分の力を過信せず、信じて、進むまでのことである。

 

 

 

 

 

 

 


実家から私たちの家へ

2021-11-10 23:48:00 | コロナ禍日記 2021









 

7月1日(木曜日) 晴れのち雨 豊岡から西宮

 

 

豊岡の光はつよい。周囲を山に囲まれた盆地に、一級河川の円山川が日本海へと長いせせらぎをうねらせている蒸し暑い大気がいやおうなく、照りつける夏の時間よ。

 

1週間、実家で過ごす予定を、5泊6日で切り上げて、西宮へ帰る。

昨日、某クライアントのディレクターから資料をおくるから7月10日までにあげてくれないか、と連絡があったためだ。

 

電車の中では、4泊5日の東京遊覧の日々を、忘れないうちに綴っていた。

兵庫豊岡から丹波路の路線はまがりくねった山道が多いうえ、トンネルが多い。山をのぼったりくだったりの高低差があって、よく揺れる。ごとごと、ごとごと、お尻やおなかを左右にゆらせながら書くので、途中で気持ち悪くなって汽車に酔ってしまった。

 

JRから宝塚で下りてスーツケースを引き、阪急電車に乗り換える。

今回早い時間に家を出たのは、きょうまでの映画「水を抱く女」を見るためだった。クリスティアン・ベッツォルト監督。水の妖精、ウンデーネを、下敷きにした映画。




 

春から何度も見過ごしているので、どうしてもみたかったのだ。

ウンデーネは、ベルリンの都市開発を研究し、博物館でガイドをする。解説シーンも颯爽としてかっこよかったし、潜水作業員のクリストフと愛に落ちていくシーンもよかった。

 

ドキドキと胸がつまる魅惑的な映像、パッパのピアノの旋律が、わたしの鼓動に寄り添ってくる。映画にしろ、小説にしろ、よい作品には一切の無駄がない。すべてに完璧で美しく、迫りくるシーンの連続である。

 

深淵の水、プール、音楽、愛、別れと復讐と。そして赦し、悟り、怒り、再び哀しみに還ってくウンデーネ。人魚姫に例えられる。見られてよかった。


映像に助けられてはいるが、ミステリー小説に仕立てても魅力的な作品になるだろうと思いながら。再びスーツケースをひいて、宝塚の駅前で鯖寿司を買って、家にかえる。

 

自分の家を拠点にして、東京のNの家と母の家。ふりこのように、あっちからこっちへと行く日々が、これからさらに、こんな日々が増えるのだろう。

夫、娘、母。父の先祖。わたしは、その中央にたちすくんでいる。

 

だから、せめて家のいる時には、家の時間を大事にしていこうと誓う。

実家にいると、ここに暮らしていた様々な時代の家人の記憶が宿っている。と思う。

記憶に、守られているのだ。そして、どこにいても、眼がある。

実家を往復する日々(2ヶ月)で、改めて知った。母という女のことも、家のことも。さてと、仕事の日々に戻ろう。

 




後追い日記(6月の実家)

2021-11-09 13:50:00 | コロナ禍日記 2021







6月29日(月曜日)曇りのち晴れ  豊岡にて

 

実家にきて3日目の晩になった。

 

日曜日の夕方。実家のそばのコープデイズまで一緒に行って買物をし、駐車場のところで、家族連れがあふれるところで家人に手を振って「気を付けて帰ってちょうだいね」と行ったときに、一体いつうちにかえられるのだろうか、と思った。実家にはWi-Fiがないので、携帯電話の会社にて、テザリングを取り付け、最低限のデジタル環境を整える。

 

朝早い時間に近所を散歩し、瞑想をし、それ以外は2階の12畳の和室にいて、たいてい仕事をしている。床の間を背にし、東向きに大きな座卓を置き、文人のようにモノを書いて、縁側の揺り椅子でポメラをたたいたり、本を読んだりしている。

 

わたしの幼い頃の書棚に、結構な本がそろっているのに驚く。

フランスワーズサガン、処女作の「悲しみよこんにちは」から晩年のものまで。シェイクピア、トルストイ、ヴォーヴォワール「第二の性」まで。

詩集が意外にあり、ヴェルレーヌ詩集、ゲーテ、リルケ、高村光太郎の詩集があった。ちなみに、「エースをねらえ」の全巻なども。

 

その中から集英社の川端康成のジュニア版をとりだし、「雪国」「伊豆の踊り子」「16歳の日記」「掌の小説」などを、いま拾い読みしている。

 

本を読んだり、書いたりしている以外は、母と買い物へ行き、食事をつくる。洗い物や片づけ、掃除機をかけて掃除をする。あとは母の話し相手になり、たっぷりと。そんな暮らしである。

 

先週の土曜日(6月20日)から、小説の講評を聞くために東京へ行き、Nの部屋を拠点にして、連日、10キロ東京都内をよく歩いた。「かえらないで、もう一日いいでしょう?」と毎朝引き止められ、定期モノの原稿を出したところだからと、4泊5日、東京にいた。

 

そして今度は、母のコロナウイルスワクチンを接種するサポート役として、母のところへ土曜日にやってきて、きょうで4泊目だ。そろそろ家が恋しくなってきた。88歳の母と過ごせる時間も貴重だろうと自分に言い聞かせ、こうしてふりこのように、あっちへこっちへ。

「人に求められているうちが花だから。まあ、せいぜいおったりよ」とパパさんは、ゆったり言う。ありがたいことだ。

 

わたしは、食事をつくることが苦にならない性格なので、もれなく、わたしがいくところには、家庭料理付きというのが、具合がいいようである。

 

今晩の夕ごはんは、アジの南蛮漬け、うのはな、じゃがいもとたまねぎ、長豆、胸肉の煮付け、酢の物。とりたて、ごちそうではないが。こういう家庭の味が誰しも恋しいようである。

 

 

 

 


母のワクチン接種

2021-11-04 10:19:00 | コロナ禍日記 2021

 

 



(書き溜めていた日記が懐かしかったので、アップしました)

 

6月28日(土曜日)晴れ

 

母がいて、夫がいて、実家で過ごす時間はなぜ、こんなに安息の心地でいられるのだろうか。無意識の中で、わたしは家に一人暮らしをさせている、89歳の母のことが、相当、気になっているらしい。

 

だから、姿かたちが以前と変わらないところを探したりして。

几帳面に台所仕事やゴミの始末など、後かたづけをしている姿をみて、こう安息できるのだと思う。

 

きょうは、母のワクチン接種の日だった。

12時半に到着し、1時半には家を出た。家人(夫)のまわす車でワクチンにつれていき、ほぼ隣に立っているだけであったが母に付き添えて、よかった。

市内の保健所のそばの公民館のようなところで行われたのだが、受付の待機(50人)に始まり、受付、問診、接種前の待機、接種、5分の経過観察、30分の経過観察と。どこも長蛇の行列ばかり、待たされてばかりの接種。肩をだす65歳以上の高齢者たち。そこへ、回転イスにすわり、リズミカルに接種していく医師たち。注射器の針をさすのは、ほんの5秒たらず。あっという間のワクチン接種だった。受ける患者は高齢者ばかりだが、その人たちの表情の中に、子供の時の彼ら彼女らの面影を、わたしは探していた。(これはわたしの最近の楽しみ)

 

副作用が心配されたが、母は痛みも発熱もなく、全く平常と変わらないらしい。偶然にもNの職場接種も祖母と同じくきょうの2時に接種していた。メール(LINE)で知るところNのほうが、腕のほうが筋肉痛で手があがらないしい。微熱もあるとか。

 

 

夜。実家でテレビをみていたら、デルタ株(プラス)が市中感染。日本で37例出ている、という恐ろしいニュース。匂いや味覚異常に加えて、手足の末端が壊死し、切り落とさないといけない症例もあるとか。感染力は2〜5倍、外出先ですれ違っただけで感染することもあると報告されている。

 

 

 

今晩の夕ご飯は、ひらまさのお造り、あまだいの塩焼き、かぼちゃの煮付け、おぐらのぽんず酢、じゃがいもとしいたけの味噌汁、こんにゃくのいり煮。純米吟醸。

 


久しぶりのまな板の鯉。脳外科での検査をうける

2021-08-01 23:42:00 | コロナ禍日記 2021

 

 

 

 



 

6月11日(金曜日)雨のち晴れ

 

 

朝6時起床。ヨガと瞑想は屋外。

病院というところは、病気を直すところではなく、病気をつくりあげるところではないか、と思う。

5月9日の外傷の突発的事故以来、じぶんの頭のことを本当は疑っている。大丈夫なのだろうかと。大丈夫と、思うのは自分だけで、他人からみたら、信じられない言動をし、本人はいたって普通で必死で前を向いて生きているような格好だ、そういうことが、ままあるのが、あたまの病気の人の言動だと承知していた。

 

きょうも、朝から忙しかった。人物取材や、グルメのコラム記事を書かせていただいた取材対象者に校正をまわし、別件でアポイントをとって、またテープをおこして記事をつくる。気づいたら2時前だった。

予約は3時だった。本当は、1週間前に検査をうけるはずが、5月のCT検査のあとで「いますぐどうということはないのですが、あなたの脳に空洞がある」といわれ、大いに心配。1回、仕事が多忙であったので、スルーして、今回の検査となっていた。

 

前回は、受診はバスと電車を乗り継いで、たいそう時間がかかったので、今回はマイカーで行こうと思っていた。

 

着くと、1階で予約カードを端末の中に差し込み、出てきた紙をもってエレベーターで2階まで。そのまま、放射線科へ向かう。病院の白い壁が黄ばんでみえる。コロナ患者も入院している指定病院だった。

 

 

黄金色に額装された様々な油絵ばかりが目に入り、消毒液の香りの中で絵画ばかりをみて歩く。

 

突き当たりが、脳外科の検査室だった。まるで銀色の業務用大型冷蔵庫だ、少々おじつけずいて鉄製のドア外に立つ。いつだっただろう、よく似たドアをみた。と思ったら、8年前に行われた手術室のドアを思い出したのだった。

 

中にはいると、すぐにピンクの検査着に着替えてほしいと指示をうけて、いわれるとおりに着替えをすませた。

手首に、自分の名前をかかれたビニールの腕輪こそなかったが、心なし手術の時をおもいだして、心臓がどきどきとしてきた。

 

検査室というのは、蛍光灯がはんぱなく、明るい。強い視線で誰かにみつめられているみたいだ。

ピンク色の検査着をきているわたしには、スポットライトにあたっている。他人からはどうみえるのだろう。そう考えたら笑いがこみあげてきた。

 

 

「さ、ここで横になってください」といわれ、ストレッチャーの上によじのぼって仰向けに寝る。と、そこままトンネルの中に運ばれた。先週金曜日の頭のCTに続いて脳のMRIだ。

 

耳にはヘッドフォンをしていたが、音がわずかにしか聞き取れない。おかしいな、壊れている? 大丈夫なのだろうか。始まれば、安定的に響くだろうし、と思い、きゅっとまぶたを閉じた。

 

コーンコーンコーン、ぴぴぴぴぴ、ぐわーーん。カーンカーン。ガガガーー!

頭蓋骨にむかって響き、魂ごと破壊する大轟音ダ。音によって体が破壊されようとしている。死がとても近しいものに思えた。ななんだ。なんだこの大音量の洪水。

 

以前、腹部のMRIを受けたときには、クラシック音楽に助けられたというのに。全くといって聞こえない。

 

これはまずい。どうしよう。わたしは恐怖のあまり、瞑想状態に入ろうとする。深呼吸をし、1から10まで数えながら深い呼気と排気を繰り返す。必死に吸い、体のなかに滞る空気を一心に吐いて、吐き切った。

 

音が襲ってくる。すごい音、音により破壊されるようだった。

なんて長い20分間だろう。般若心境を唱える。最後には父の戒名を呼び、体の内から音に負けないように、パワーを発信し続けた。そうしないことには、外からの轟音に対抗できなかったから。わたしにとっての闘いの30分となった。あいかわらず、ヘッドフォンは作動せず、音楽など全くといいほど流れていなかった。

 

 

いつまで、……? 時計も壊れているの?

もう力尽きそうになった時、音がややフェイドアウトした。3分ほど経っただろうか。ストレッチャーは穴の外へ運び出された。騒音の降らない世界、ここは天国か。いつもの世界にもどってこられた。

 

「あのヘッドフォン、全く鳴ってなかったです。次の方も大変だから」

「あら、そう。ごめんなさい。」看護婦さんがぺろりと舌をだす。

検査着から着替えている最中に、グランドフードホールのゼネラルマネージャーさんから、携帯電話を頂戴した。仕事の案件が、成立したようだ。凛とした覇気のある声をきいて、心底、幸せな気持ちになった。切って2分もしないうちに、グラフィックデザイナーのAからも電話があった。「だ、大丈夫。えっ?お父さんの戒名と般若心行を唱えていったって。それおかし。お父さんも大変ね、こう度々じゃあ。ゆっくりできないで」と大笑いしていた。

 

 

表にでたら、夏の光がそそいでいた。セミがいまにも鳴き出しそうな快晴の空だった。病院のそばに立っていた見上げるほどの大きな楠の木、無数の葉がざわざわと揺れていた。葉のゆらぎの中に、なにか自分にむかってのメッセージがあるように感じ、茂みの奥をしばらく観察し、立ち止まってみあげていた。

1週間後。診察室

「あなたの脳は全くの正常です。脳の萎縮も血栓もいまのところはみあたらないです。外傷の後遺症も、いまのところはみられませんでした」「あの、脳の空洞は?」「あれ?、うぅーん、おそらくここ。薄いのですよ。僕は外科手術でそうなったと最初、思ったのですが。そうではないといわれたので。少し心配になったのです。いまのところは大丈夫」ドクターは頭を掻く。

これで仕事が続けらる!アタマに浮かんだのは、そのひとつだけだった。

 

 


 家をまもるヤモリさんとの暮らしから

2021-07-13 11:26:00 | コロナ禍日記 2021

 

 

6月2日(水曜日)晴れ

 

きょうは、旅立ちの日。記念すべき、自立の日である。誰の? 家に棲みついた爬虫類やもりさんの、だ。

 

 あれは5月5日(水曜日)のこと。

 夜、シャワーを浴びていたら、なんだか熱ーーい視線を浴びて後ろを振り返る。浴室のタイルの角下に、シールのような薄っぺらいもの。誰がこんなところに……?と膝を折ってしゃがんみこみ、のぞきこんでみたら、本当のやもりさんだった。

それから、約1ヶ月。うちの家でやもりさんは過ごしたことになる。

 

 (ここでいう、ヤモリとはニホンヤモリのこと。詳しくはこんな生育や知識が示されている)

 

 最初は、そばにいくのも少し怖くて、大好きな風呂読書もおあずけにし、浴室をやもりさんに譲ったこと幾日だろう。

 そのうち、姿をみせなくなるに違いない、とほったらかしておいたら、確かに2日ほどは姿はみせなくなったが、すぐに現れた。昼間は洗い場の排水溝の中か、浴室乾燥機の上あたりに張り付いていた。

 

 夜。風呂を炊いて風呂場に湿気がこもり居心地がよくなると、す、すーーっ。と姿をみせて。首をかしげていた。不思議そうな顔にみえる。五本指が、小さな枝のようにたよりなく、それなのに吸盤はしっかりついて、きれいな指をぱーっといつも開いてみせてくれていた。

 

 彼(やもり)、へんなくせがある。左脚だけをくの字に内側にまげて、白いのどの上皮を、どきんどきんと鳴らし、そこで呼吸を調整しているようだ。

 

この時期、マンションは大規模修繕工事中だから、周囲はシンナー臭いし外に出すのもかわいそう、と。わたし、そして家人は、夕方から夜にかけて、蜘蛛や我や蠅をさがしてきては生き餌を、やもりさまに捧げるようになった。毎日頑張って捕獲した。

 

 娘のNが小さい頃には、カエルの餌探しに苦心した記憶が残っている。

 

 やもりさんは臆病なのかシャイなのか、カエルは誰がみていようとバクッとやったのに、やもりさんは人がいると絶対といっていいほど、獲物をとらなかったのだ。蜘蛛や小ハエ、羽ありなど聞くところ、やもりは自分の頭より大きなものを口にいれないらしい。家人は虫の羽を切ったり、脚を半分はさみで切ってから、口元らへんあたりに、獲物をおとしてやっていた。

 

 とはいうものの。やはり裸で風呂に入る時には、生唾をのみこんで、勇気をふりしぼって、眼をつむって裸になり、やもりさんとの混浴風呂を覚悟しなければならない。

 

 

 そして、あの大惨事である。わたしが、顔面と眉間、頭を強打して、夜中の救急病院の扉を叩く日になったという例の事件だ(5月9日)。

 家を守ってくれるやもりさんのこと。なぜか、まだ力を発揮していないと思われる。

 わたしは、病院から帰えるや、やもりさんがどうしているのかが気になって仕方なく、すぐに風呂場をのぞきこんだ。

 

 この日は、浴室の壁下にはりつき、「おなかすいたーー」もしくは「どうしたら出られるの」と、なにか訴えるような表情をこちらをむき、すぐに逆さまになって、長いしっぽをぶらーんと垂れ、端っぽをくるりとまきあげて、じっと耐えているようだった。

 

 それから、自身にも小さな問題がいくつか勃発した。週に1度、病院に通い、診察をうけてその後の検査を進める。

 そんな矢先。メーンのマシンであるMacがいきなり、落ちた。この日は提出があったので大慌て。一本のハードでは足らぬと、予備と二本準備して、さらにヨドバシカメラに走る。調子の悪いMacBookAirをなだめすかし、iMacのデスクトップタイプを整える。

 バージョンがあまりに新しく、ソフトが引き継げないジレンマ。結局、ソフトを買い足して、スムーズに機能させるまでに、労力と時間を要した。

 そして、仕事のパートナーと行き違い、人間関係にも悩まされた。これからの仕事のことも、考えるきっかけになった。母のワクチン接種もあった。

 (つづく)

 

 

 

 

 


長い眠りと再生のとき。

2021-07-07 21:26:07 | コロナ禍日記 2021

 

 

 

 


それは、不意の事故だった。あまりに不意をつかれた感じだ。

 ある5月の夕方。母の家からの帰り、憑きものがとれたほどに、わたしの心は清らかな水のようで自由な心持ちだった。西宮の自宅へ帰ってきながら、途中で買い物を2軒もはしごし、五分づき米にフルーツや野菜や山菜や、百日鶏やらを買い、夕ご飯は9時までに準備して、ゆっくり純米吟醸の「香住鶴」を飲み、食事をする。

 確か、メニューは、宇和島のタイの刺身、タケノコのおかか煮、百日鶏のレバー煮込み、クレソンと芹のサラダなど。だったはずだ。

 

 家人との団らんもたっぷりして、さあ、お楽しみの風呂読書といきましょうと、意気揚々と一冊の本をもって向かう。あ、父の三十三回忌の記録を書いておくのもいいわね、などと手探りで真っ暗な寝室へ行き、鏡台の上にのっている黒い顔のポメラを取ろうした時、事件勃発!

 

 暗がりの中、(機嫌のいい時に)眼をらんらんと輝かせて歩くのはわたしの悪い癖だが、足元にスーツケースをまだ広げたままにしているとは、すっかり失念していた。

 

 走り込んだわたしの脚は、スーツケースにつまずき、そのまま自分の体重のかかるもの凄い力で、顔面から対物に突進して、さらに突き飛ばされた。

「う、うっ」

 ベッドに頭とも、眼ともわからず、押さえて倒れこむ。ううっ。なにが起こったのか、一瞬、時間が宙に浮いた。そんなはずないわ……と思いながら、痛くて、うずくまり、無音の声をあげた。

 

 しばらく倒れ込んでいた。がここで、死んではならぬと這うようにリビングへ行く。と、家人は、台所で洗い物をしてくれていて、声にならない声で呼ぶ。

「お、お前。なんや血だらけやんか。おい大丈夫か」

 と駆け寄る家人の声が、震えて泣いているかと思うほど掠れていたので、焦りの声からわたしは、緊急事態だと完全に察知しないわけにはいかなかった。

「氷、はやく。水素吸入、はやくして」と家人に指示を出し、ソファに仰向けになる。

 30分くらいそうしてじっと動かなかった。じんじんと目が熱い。真っ黒な太陽が燃えているみたいだ。か、顔……なのだ。頭と顔がこんなに痛いなんて普通じゃあない。目の上にのせた氷が冷たくて、わけがわからない。半ば、しばらく呆然としたあと、がっくりし、もう早く寝よ、寝たい。寝て、朝になって落ち着きたいなどと思う。

 

 救急箱をひっくり返して、血で赤く染まった絨毯や服や、ベッド周辺を拭いてまわる。どうやら、わたしの歩いた足跡には、点、点、点と滲んだ赤黒い血痕ができていたらしい。家人の心が動揺し、慌てふためているのがわかった。そっと横顔をのぞいてみると、涙が光っているのがみえた。彼の膿んだ表情に、わたしも動揺した。

 

 これは想像よりも悪い展開のような気がする。なぜーー。一昨日は父の三十三回忌で上機嫌のうちに、身内と親睦を交わし、さあこれからと腕まくりをしたはずではなかったか。惜しいなぁ。いつも惜しいんだなぁ。上機嫌の時の自分は。などと胸のなかでつぶやく。

 

 「あかん、割れとる。救急で病院いくぞ」という、家人のその声で、覚悟した。

 コロナ患者で闘病する市立病院である。あらかじめ、家人が電話で状態を話していたので、救急に外科医がつめてくれていた。

 

 10分後。はるか7年前の手術室を思わせる大きなまるい電気が煌々と光る中に、わたしは仰向けに寝かされる。眉間よりやや右側、どちらかというと眉あたりの位置に。稲妻のような縦方向の裂傷が。傷口は3〜4センチ。ぱっかりと皮膚が割れていたらしい(ちょうどこの位置に薄いほくろがある)。眼の上のまぶたが変色しているという。

「これは深いですな。縫うのが妥当ですが、顔の中央だからかなり難しいです。医療用テープでつくかどうか。血も完全には止まっていないし……」

 当直でつめていた医師は、この4月から赴任してきたばかりで、長野健太郎医師という外科医だとあとで分かった。痛みをこらえ、若い医師を盗みみると、患者に同情をよせるような、おどおどとする自信なげな様子が、彼の目の動きからわかった。それでも、あまりに少年みたいな澄んだ瞳でのぞきこまれて、ドキッとした。それからすっかり信頼を寄せる。

 

 

 結局は消毒と、医療用テープと包帯とでぐるぐるに顔を包まれ、この日の処置は深夜3時にようやく終える。

 

 気がつけば、車の後部座席だった。湿気のある車のフロントガラス越しに、見慣れた長治郎の看板やTSUTAYAのあかりがみえた。いつもの、よく知っている道路の景色に、とても心がやすらぐ。よかった。これで日常に戻れる。そう思った。

 

 帰宅し、ベッドで寝ようと上をむいても横をむいても、痛みのなかで、体がほてって眠れない。おそらくまだ興奮しているのだろう。処置室で、診察前に測ったわたしの体温はいつもより6度ほど高く、しかも血圧は上150、下110と、普段の平均からかなり高めの数字だったのだ。起きて洗面所に何度かうがいをしにいくが(病院でのコロナ感染が心配だった)、わたしはまさにカーッと頭に血がのぼっていた状態だったのだ。

 

 朝方になって、ようやく、少し眠れた。7時。家人がこしらてくれたお粥をたべて、ほっと落ち着くと、ナントそれから延々翌日の、夕方5時半まで眠り続けた。

「行くよ。お大事に」そう、うつつの中で聞こえた気がしたが、家人は予定通りに徳島の県博まで出張へ行ったのだろう。

 

 月曜、火曜、水曜日の午前まで、朝に夕に、コンコンと眠り続けた。

 途中、職場のクライアントから、「取材取り消しするの? 大丈夫?」という電話をもらったのと、1本、火曜日朝に提出する案件があったので、机に張り付いて、朦朧とテープ起こしをしたものの、原稿までは無理で。メール2本と休日前に仕上げていた原稿をまわしたほかは、ほとんど寝っていた。

 

 そして今日、5月12日(水曜日)。ようやく昼間、起きていられるまでになった。午後。今月も定期の刊行物でタッグを組むデザイナー女子が

「寝た方がいいのよ。外傷や内蔵や、体の具合がわるいとなんぼでも眠れるの。人間だって動物だからね、そういう風にして再生しようと体が求めているのよ。まだいいから寝て」と受話器のむこうから声が聞こえた。

 

 考えてみると、3月末くらいから調子があまりよくなかった。わがマンションは大規模修繕工事のため、リビングも仕事部屋も、暗幕のような網で家全体が覆われているうえ、それがお葬式みたいで。リビングはもちろん、仕事部屋も、風呂場もすべて窓は開かず、この頃は乳白色のぺらぺらの脂紙で目隠しをされていた。まるでわたし自身が眼を潰されているようで、せつない。なんといっても初夏の浮き立つような採光も眩しい緑光もとれないのだから。がっかりである。おまけにこの塩梅だ。

 

 もそもそと起き出して昼3時。久しぶりに台所に立って、じゃがいもとたまねぎ、にんじんと鶏肉と炊いて、サラダと、ちりめんじゃこと海苔で、つつましく一人っきりの食事をした。食べられるわ。それだけで猛烈にうれしかった。

 

 あいにく、外は雨のようだ。玄関側のガラス窓を小さくそーっとあけると(唯一、窓が開く部屋だ)、ケヤキの葉がゆっさゆっさ揺れて、雨に濡れた土と植物と生き物の匂いが、だんだん部屋へ流れ込んでくるのがわかる。

 

 わたしは、思わず普段は脚をおろすベッドの方側に、ごろんとそのまま倒れ込み、頭を窓のほうへ落として、存分に、自然の風のにおいをかぎ、雨の音を感じとった。そのまま5分ほど過ごす、外の世界だ。わたしはシーン自然のなかに同化したように、思った。

 

 タタタ、急に勢いよく走るや冷蔵庫を思いっきり開けて、明るい黄色のタイ産ゴールデンマンゴーを手に取ると、薄い皮を全てきれいにむいてボート型にして皿の上にのせた。寝室に戻ると、ちょこんと少しだけベッドの上に尻をのせて、スプーンで豪快に果実をつきさし、べとべとの果汁を、手の外面にたら〜り、たらーり、たらしながら、滴るようなマンゴーを味わった。甘い黄金の果汁が、全身に深くしみわたる。弾けるような気分だった。頭、大丈夫か。原稿、書けるのだろうか……。でも、ちゃんと感じられた、自然を。

 わたしは、もうはじめて、眼を覚ました動物の子供のように、無邪気に、エネルギッシュに、うまいマンゴーを存分に腹におさめた。しっとり雨の匂いを感じながら。

 


 

父の33回忌 法要を終えて

2021-06-27 21:06:00 | コロナ禍日記 2021

 

5月8日(土曜日)晴れ

 

 



 

 

 先週に引き続いて、再び母の家にいる。

父の「33回忌」の法要のために、昨日の夕方から一泊し、午後1時30分からの法要へ向かう。

 

5月というのに、西宮の家は寒いが、きょうは朝から気温は上がり続け、五月晴れの陽気だ。

「腰は痛いし、お墓の石段を上がったり下ったりたりできないし、今度は無理かもしれない」と母はしきりに口にしていたが、いま、私たちが乗ってきた車の後部座席にこうして一番に来て座っている。

 聞くところ、母は朝早く起きるや近くのコープデーズまで(シルバーカーをひいて)お墓にたむける仏花一式と、お寿司などを購入。数珠や線香も準備して、お化粧も念入りにし、真っ先に車に乗り込んだという。88歳にしては上々だろう。

 

 最寄り、兵庫県 八鹿の道の駅で、なにか食べようと思っていたのだが、緊急事態宣言発出のため、「閉鎖」の貼り紙が貼られていた。

普段はにぎわう9号線の道の駅もしずかなものだ。しかたなく、道の駅のベンチに腰をおろし、ペットボトルのお茶をあけた。

 

「ほら、お寿司。おいしいよ」と手渡してくれたのは母だ。道の駅、駐車場に並ぶ、数十台の車のほうを向いて、3人で寿司をつまんだ。背中から妙見山からの緑の風が、樹林の葉をゆらしていた。

 

 わが家の墓地は、思いのほか、敷地が広すぎる。春のお彼岸に、家人と墓掃除をして雑草を抜いたばかりだというのに、もう膝位置くらいには伸びている。ドクダミと竹の根が多い。

 母を、寺の境内に待たせているのだし、はやく掃除をしなければ。這うようにして両手で草ぬきをし、墓石に水をかけ、ごしごしと素手で石の水場を磨く。新聞紙を燃やして、線香をたむけるまで、30分弱だ。お墓掃除とお墓参りを済ませて走って、寺へ上がると、母は、御住職の阿闍梨(高野山の阿闍梨、密祐快氏 高照寺)と楽しそうに話していた。

 

 いよいよ父の33回忌の法要が始まった。浪々とした声で丁寧に拝んでいただいた。

般若心経の1節が終わり、「毘盧遮那佛 毘盧遮那佛 (ひろーしゃだーふー、 ひろしゃだふ) 毘盧遮那佛 毘盧遮那佛 (ひーろーしゃだーふー、 ひーろーしゃだーふー) 」のところは、阿闍梨に習い共に声を揃えてお経をあげる。

 

 位牌堂でお経を唱える時には、いつもろうそくの火の瞬きを、みつめる。ピンと張った張りのある声に、応えるように、そうそくの火は、縦に横に揺らぎ、細く飛び、激しく燃える。

 あるいは、もっともっと細くなって、左右にはみ出し燃える。火が意志をもっているよう。幽玄、という言葉を思い出した。

 ああ、と思う。ああ、来てくださっていると感じる。火の中に仏の御霊を感ずるのだ。

 

 法要のあと、ひさしぶりに座敷に座って阿闍梨と話した。大日如来のすぐ隣の席だ。

 護摩供養の話しに感銘をうけた。720年に、行基が開山した寺には、古い蔵があり、そこに護摩供養ができる「不動明王堂」を設けたという。さて観音菩薩をどうしようか。どこからもってこようかと、考えたあげく、阿闍梨自ら出雲から砂岩を取り寄せ、手堀りの石仏を一心に掘られたとのことである。

 

 ここで護摩を焚いてほしい、そういった願いも多く、臓器移植の人、癌患者など不治の病をもつ家族の願いを聞き、「不動明王堂」で護摩を焚かれた。すると、「仏は聞き入れて下さったんや。わしも奇跡は起こるんやとびっくりしたで」と阿闍梨は熱をこめて話す。

 

「で、僕は思うんですよね。現代には現代の仏が必要だ。わたしのようなものでも一心不乱に堀りまして、お性根をいれる。するとな、腰を抜かすようなことが本当におきるんや」と浪々と諭してくださった。

 

この阿闍梨、(密祐快さん)まあ、ユニークな人で、若い頃はバックパッカーでインドやタイ、Oストアリアと世界中を歩いて旅されたのだという。

 アジア、オーストリア、中南米などを放浪時に、紡ぎと原始機を取得し、珍しいシュロ縄を用いて編む、技法を学ぶ。それを作品として昇華させ(生と死をテーマの作品を発表)、自らの手で石仏や木の仏を掘る、アーティストでもある。いわゆる自分は経験主義で生きてきたそうだが、いまは、「経験はさておき、人の知恵や思いは宙を飛ぶ、ほんまにそうなんや、とわかったんです」と仰っていた。昨年まで(約3年)ブラジルで、真言宗、密教の布教に出られていた。当時の記憶をもとに、朝3時に床を出て、大和創世の古文書をひもとき、本を書いていらっしゃるらしい。またその本、すでに脱校し、英語とブラジル語に翻訳している最中にあるという。その内容もとくと話してもらった。楽しかった。

 

 集中して話しを伺っているうちに、はや3時間以上、が流れていた。奥様が、煎茶から、甘茶へ。さらに、本場のブラジルコーヒーと、飲み物を3回も供して下さるのだから、よほどこちらも粘って話しを聴いたのだろう。

 あれ? と背後をふり向く。か、風。雨? 耳を澄ますと、樹齢3百年のイチョウが、葉をざーーっ、ざーーっと葉や枝を揺らしていた音だった。台風だと疑うほど葉ずれの激しい音。すずなりの葉ずれ。それはものすごい迫力だった。

もう5時になろうとしていた。

 ちょうど、わたしが阿闍梨に「いま、こんなことを初めて試みてみました。ものになるかどうかわかりませんが……父の口癖は、……」こうでした、と話し、わたしは「この言葉をいまも支えに生きています」なんて話していた時のことだ。そして、ゴーーと大風!!に遭遇したのである。

 ふと、寺のお座敷からイチョウの大木と、水色の空を見上げるにつけ、時間が立ち止まって、こちらをみておられるような、何か大きなものに包みこんでもらっているような、温かい気持ちが訪れ、ハッとした。

 うれしくて、佳き日。母がちょこりと私の座ってくれていて、わたしは、永遠に、いまの時空に閉じこめられてもいいと思う、不思議な衝動にかられた。

 





 

 


家を守るモンスター出現!

2021-06-25 00:21:00 | コロナ禍日記 2021









 

 5月5日(水曜日)晴れ


  

 ゴールデンウィークは、ほぼステーホームで過ごす。それでも、実家の母が何度、電話をしても、取らないのが気になって様子を見にいった。

  電話は、音量を誤って最小に設定してしまったようだ。

 日帰りの帰省だったが、ワクチンの予約確認のための書類作成を手伝い、「インターネットで西宮から予約をするからね」と約束をし、戻る。

 

 

 それ以外、買い物へ出かけては食事をつくって食べ、あとは仕事をして過ごした。ずっと働いていた。休みの仕事は好き。誰からも緊急の連絡がないので、自分ペースで仕事ができることがなにより気に入っている。

 それに、うさぎと亀の話しではないが、人が遊んでいる間に、亀が働くのは合点がいくというものである。

 

 またゴールデンウィーク中、2日間は、家人が出張だったので、誰にもとがめられずに、悠々すきなように家の空間をつかうことができて、楽しかった。食卓の上に原稿や書類をパーンと広げて校正をし、和室の部屋で原稿を書き直すというように。夕食の後は、BS映画をみて、風呂ではアイスクリームやフルーツを持ってはいって本を読むというように。   

 小学生の夏休みのような怠惰な一日を過ごした、と記しておこう。まあ、基本は仕事をしていたが。

 

 

 残念だったのは、DVDを借りていなかったことだ。それでBSをつけたら「いま、会いに行きます」をしていて、それをみる。

 

 翌朝は、朝散歩をし、瞑想とヨガ、仕事に戻る。

 夜は気ままに風呂読書。

 

 最終日の5日。風呂場でシャワーをあびていると、熱〜い視線を感じたので、なにげなく振りむいてみたら、あれ? と違和感。誰がこんなところにシールをつけたの? NO!NO! 









 腹の白いmonsterが、浴室のタイルに張り付いていらっしゃる。びっくりした。

どこから入ってきたのだろう。あちらこちら黒い網で覆われており行き場がなくて逃げ出したのかも、きっとそうだ。

 それからは、シャンプーの泡を流したあと、体を洗いながら、背後をじっーとみてしまうのです。おめめ、ぱっちり。ながーい、くるっと先をまきあげたしっぽ。落ち葉より小さな吸盤のある五本指でがっしり、壁をつかんでいる。おぅー! 

 夜中12時。やはりいた。全くびくとも動いていない。大好きな風呂読書を、この子に譲る。ヤモリは縁起がいいので、つまんで外へ出してやることもできないのであった。

 

 

 


水琴窟の音色をたどれば

2021-06-16 02:15:00 | コロナ禍日記 2021

 

 






 

 

4月28日(水曜日)雨

 

 昨日は、久しぶりの外取材だった。朝から夜まで一日仕事。自宅に戻り、家人のテレビ音声から逃れるように風呂の中で、2時間読書。そのまま、風呂で寝てしまい、起きたのが1時。全感情移入をしすぎたのだろうか。夢の中で、セリフらしき言葉を発し、ぐるぐる回る。と、20代の頃のわたしになっていた。勤め先(1番目の広告代理店)で上司や営業マンに囲まれて、仕事のお題を出され、喉が痛いほど声をはりあげてプレゼンをしていた。

 いまひとつ腑に落ちないな、変な定義だなと自分を客観視しながら、それでも声にしながら論じる内容を、信じていたい自分もいて……。変な夢。

 

 目が覚める。すぐ目を閉じ眠る。今度はまた別の職場。仲間との打ち合わせ。頭を抱えて、コピーを考えているところで目が覚めた。脳波の測定をすると、現実世界より夢のほうが脳の動きは活発だそうだ。

 もっと仕事をしたい!という欲望の表れなのか、それとも人恋しさなのか。

 今朝は雨だ。朝4時半。コロナ禍で人と合わないようになってから、いろいろな人が毎日、日替わりで会いにきてくれる。ここへ(夢に)。起きた時に懐かしくて、しばらくぼーとする。

 

 もう一度、眠る木がしないので、散歩にいきましょうと勢いづいて飛び起きたのに、今朝は、鳥が鳴かない? あれ?雀は? と思いながら、外へでると、雨がふりはじめていた。土っぽさと灰っぽさが混じり合う、生まれたての空気。家の近所(短いコース)を1週だけ歩いて、帰る。

 仕事机で本を広げていたら、耳のはしのほうで微かに金属音がする。あれ、なんの音?

 あの音。「水琴窟」のような……。つくばいのそばにある竹に耳をそっと近づけ、目を閉じたら聞こえている、あの音みたいだ。どこから? うちの大規模修繕の骨組みであるパイプの空洞に雨の滴が落ちていたのか、当たっていたのか。キーンコン、キーン、コンカン。キーン……。本当に水琴窟にそっくりの響きなのだ。まあ、風流な。しばしの静寂。

 さて。これから、仕事をはじめよう。

 


朝の散歩日記

2021-06-12 08:43:00 | コロナ禍日記 2021

 

4月25日(日曜日)晴れ 早朝のこと

 

 



 

 今朝は5時に目が覚めた。朝の散歩をするために勢いをつけて飛び起きる。鉄瓶からお湯を1杯だけ飲んで、玄関を出た。

 

1日が生まれたばかり、だと思える!

 

 いつもの道を歩いていたら、家のそばで、花に水をやりながら、ふわーっとのびをしているおじさんがいた。おじさんと目がバッチリ合う。またすぐ歩き出す。と、目の前、宙にうかび、くるくるまわっているものがある。そういえば、昨日もおなじように宙ずりになってくるくる回る葉っぱをみた。なんだろう。透明な蜘蛛の糸のようなものがあるんだろう、じっとみる。小指の先ほどの緑の葉っぱ、小さい円で美しくまわっていた。踊るように、かわいらしく。そういえば、この間、回っていたのは、桜の木からすーっと真っ直下に落ちてきた毛虫の赤ん坊だった。

 わたしが散歩の途中にたちどまって花や葉っぱをみているものだから、さっきのおじさんが、裏庭から表玄関のほうにまわって「なに?」という感じで首をかしげてこちらをみているのと眼があってしまう。不審者におもわれてはいけない、と思い、やや早足で歩く。

おはようございます!

 しばらく行くと、むこうからウォーキング中のおじさんが歩いてきた。両手に黄色と赤のテニスボールを握りしめて、ぶんぶん振り回して歩いている。なぜ、ボールを持っているのだろと、振り返ったらおじさんも振り返った。

 また眼があってしまった!

 

 

 少しいく。3日前の桜の実がどうだっただろうと思い、間近に行くと、3日前とあまり変わらない。

 

 赤黒い桜の実が落ちそうになりながら枝にしがみついていた。八重桜の花が、道にぺちゃんこに潰れて。染井吉野とは違い、八重桜は花びらでなく、一枝の花が椿のようにぽとりと落ちるのか、と思う。真向かいには梅の実がたわわに。

 

 



 

 

 そう。花! 作家吉田修一氏は、「パークサイド」という小説の中に、もう一編「フラワーズ」という小説を書いているが、花はエロいと定義していた。男と女の性そのものである、と花をのぞき、生け花をみて興奮するシーンがあるのだけれど。 

 それからわたしはしばらく散歩のたびに、一度立ち止まっては花の中をのぞき見する。エロいのか。ふむ。そういう風にはわたしにはみえてこない。ただ、わからなくはないけれど。おしべとめしべ。メスとオス。同類である。

 風景とか視覚の対象物って、同じものをみていたとしても、唯一無二というか、固有のものをみているのだな、と思いながら、またてくてく歩く。

 

 

 きょうの散歩はちょっと長い。もう40分は歩いた。

 散歩の途中はいろいろなことを思い出している。とても、とても古い記憶が多い。この日は3歳の頃の自分が浮かんできていて、もっと思い出してみようと頭をひねったら、部屋の中の様子まで脳裏に浮かんできたのだ。灰色のブラウン管、こたつの脚のような4本の茶色の脚が、外側にばっと開いて、立っていた。流れていたのは「ひょっこりひょうたん島」だっただろう。母の声が聞こえる。

「ああ、この子、本当にいつまで寝ているんだろうか。まさか死んではないわよね。本当にねているか、つねってみようかね」

私は、寝たふりをしていながら、びく!としたと思う。

最初、母は、父に話しをしているのかと思ったけれど、よくよく考えると、父は仕事へ行っている時間だから、ひとりごと、だろう、と私はうつらうつらしながら、目をとじていたような気がする。

 

 いま目を覚ましたら、ごはんを無理矢理、口の中にいれられる。いつもごはん!ごはん!それがいやで、寝たふりを決めこんでいたのだった。すると、母が「この子は、4時間も寝て頭がへんになつてしまわないだろうか」とまた、ひとりごとを言った。あれは、何歳だっただろう。記憶って、面白いなと思う。

 時々、黒い海のむこうから、波にゆらり揺られて、いまの時空によみがえってくることがあるのだ。

 

 そんなことやら、あんなこと、ともかくいろいろ思い出しながら、おもしろいものを探して朝の散歩をたのしんでいるのだった。

 

 毎朝家の前の近くの草っ原で、男の子が太極拳をしている。髪の短い、肌のきれいな、イケメン風の6歳児くらいだ。きょうも、いつもの太極拳のポーズ。脚がよく上がるなあ。なんて涼しげな瞳。知的そうな眉毛だな、と思いながら。

 バッドを自分の脇において、サッカーボールを踏んだり、蹴とばしたりしていた。あの子のご両親はどの人だろう。みたことがない。将来はどんな子になるのかしら。男の子を産んだことはないけれど、女の子以上に楽しいだろうな、だって可能性がきらきら耀いているもの。と思いながら、部屋に入る。

 

 誰もいない。ひっそりとした部屋で、仕事の原稿をほっぽり出して、つらつらとこんな朝のひとときを、日記に書いている。

 紅茶1杯ではここまで、で終了。この日は1日中テープおこしと原稿を進めた。