月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

ぬるい陽気の、一月の晩に

2013-01-30 23:33:52 | 今日もいい一日


今日は1月にしては温かい夜。先日の雪のあとから日増しに、ぬるい、春の足音が近づいてきているのがわかる。
こうやって寒が戻ったりふわふわした風が吹いたりして季節は進んでいくのだ。

ここのところ私は何をするともなしに、考えるともなしに、
ただ空白の時間を過ごすことがふえた。そうして机の前ではっと我にかえる。
あれ?もう20分も過ぎているわ。何をしていたんだっけ。そうそうこの企画を考えている最中だったのだ、というように気付く。
気付くけれど、また少しすると、
どこか遠い世界に行ってしまっているのだ。


小さい時から、学校の授業中だって、寝る前だって空想するだけで何時間でも過ごせるタイプの子だったが、
ここへ来てそんな特技を発揮するなんてナンセンスだ。時間は無制限ではないのだから。

そんな時に仕事というのは、たいへん便利で大いに助かるものである。

時間で仕切られた、締め切りのある仕事ならなおのこといい。
焦る気持ちがあるのだから、どこへ行っていてもぜったいに帰るところがあるのだ。
チームでの仕事ならなおさらにいい。
自分の役割がちゃんと用意されている。だから考えることはない、それを全うするだけなのだ。

先日、仕事の打ち合わせで
あるデザイナーの女性が、本来はコピーライターの考える企画テーマを、
一緒になって考えてくれていて、それが発展し、ついにはクライアントがどうすればもっと利益をもたらし企業として成長できるか、
何が大切でどこが課題なのか、という点をひたすら燃えに燃えて話してくれているのを聞いていてひどく感動した。

チームで仕事をしていると、いろんな人がいる。
どの人も魅力がある。それは勿論だけど、
やはり立場を超えて、「モノをつくる」という目的のために我を忘れるくらいの人が、一緒に仕事をして気持ちがいいね。

なかには、デザイナーなら、プランナーなら、営業ならと、
その役割については当然のごとくプロの仕事をするが、他はよそ事というスタンスの人を時々見受けるから。
そっちの土俵は危険ゾーン、
自分の領域を守るために、たち入りたくないという人もいる。
それもまた、その人のセオリーである。

けれど、私の場合に、やっぱり互いの領域をこえて熱く考えられる人とのほうが俄然やる気になる。愉しいし。
こちらも燃えないと、プロ同士の仕事として成立しないからね。

人は人によって影響もされるし、浄化もされるのである。

ここのところ、娘の受験のことでゆらゆらの、ふらふらの、悶々とした落ち着かない日々だが
これはある人生の小さな断片。
何が起こったとしても、誰かが死ぬわけじゃあない。
誰かが誰かを評価してはいけないし、否定的な思いにとらわれることは絶対にないのである。
人生の協奏曲、一場面。
経験をひとつ積んでいるだけのこと。
通過点、
それだけのことなのだ。

「それにしても、心配は毒だ。対して希望は光か。」




昨日ノコナユキとセンター試験の雑感

2013-01-28 23:03:33 | 今日もいい一日


昨晩の8時10分、最寄り駅まで車で迎えに行き、それから一緒にごはんを食べていると、
「うわっ、外」と隣で悲鳴があがった。

急いでベランダへ飛び出していった娘が、
空を見あげて叫んでいる。
みると、猛吹雪。荒れ天気。音のない迫力の画像というのをみせつけられ、私は思わず口をあける。
灰色の空から、雪が斜めに突き刺さるようにものすごい勢いで降っていた。

ちょうど、ふたりしてビフォーアフターの心地よいナレーションを聞いて、
「よかったね、90才のおばあちゃん」と平和極まりのないテレビ画面を見ている団欒の最中だったので、
家の中と外のギャップに我が目を疑い、驚いて外へ飛び出していた。

考えてみれば、1月だから当然なのである。そう思い直し、お喋りにこうじているうちに、
15分で雪は止んだ。

ふだんと変わらない、灰色の夜に浮かび上がる山々の稜線が
墨絵のごとく横たわっている。

再び視線を外へ移した時には、またブリザード。

昨日の夜はそんなふうに、静寂とブリザードを繰り返し、空気をしだいにキーンと凍らせながら
朝を迎えたのだと思う。

だから今朝の一面の雪景色は、想像どおりなのだった。

そう、想像はしていたけれど、やっぱり雪は素敵だ。
清潔で冷たくて、サラサラで、きれいに降ってくれていて本当によかった。
山々も道路も屋根の上も、白い。
冷凍庫の中のような透明感のある空気にふれたくて、
ブーツの裏側から粉雪にふれるのがうれしくて、4回もゴミ置き場を往復する。

雪は悲しみも悩みも、苛立ちも
白の世界で凍らせてくれる、セラピーのようである。


そう、この前からセンター試験のことを綴っていたのでした。

2日目は、伊勢弾丸ツアーの翌日である。

私はこの日、地域の「お餅つき大会」に出席し、近隣のおばさまたちに交じって、
さしておもしろくもない話に耳を傾けながら、壁にかけられた丸い時計をにらみつけ、
落ち着かない時間をずっと過ごしていたように思う。

そうして、お昼ごはんのあとで、家の近くのお不動産さんと地蔵尊に参拝。
そこまでは良かったのだが、
山のふもとに建つ寺院だから、車がぬかるみにはまり込んで急いでハンドルを左右に切ったら、
錆びた緑色の金網があってガリガリと車体をこすってしまった。死界で見えてなかった。ショックである。

なので、参拝もそこそこにおとなしく帰り、
仕事の続きの校正作業などをこなして、夜を迎えた。


その晩の、娘の開口一番はこうだった。
「終わったな、すべてが。ママ。数学、激むずやったわ」

数学の苦手な彼女にしては、ここに時間をかけすぎた1年だっただけに、
かける言葉もみつからない。

「数1数A、過去問では9割台を何度か出したのにね」
「数2数Bで挽回しようと思ったけど、よけい慌てたかも、簡単じゃあなかった」

あとで周囲に聞くと、国語もかなり難問だったという。

ひとまずお疲れ様です。よくやりました!

そこで私、なんと翌日、
難問といわれた「現代文」を彼女に目の前で解くように指示されたのでした。
平均点は、全国的には200満点中98点(平年は115点くらい)だから、
半分とれるくらいかなと思ってチャレンジ。

結果はどうでしょうか。
必至の形相で問いている私に、主人は
「おいおい、何してるの。無理なことをさせないように。無理だから」と止められる始末で。

さて結果は6割半!でした。

あと10分あればもう少しいったでしょう…、おそらく。
久々にまわりくどい文章に二度も寝そうになりながら、それでも最後は必死でした。

現代文は、小林秀雄の評論と牧野信一の小説「地球儀」の2題だ。

設問を読んでは、何度も本文に立ち返らねば解けないだけに、
1題20分で解くというところが難しいのだと思う。

センター試験は、選択肢も多く、加えて明らかに筆者の小林秀雄よりも
正論で訴えてくる選択肢が多いこと。

さあ、ここでひっかけよう!
迷ってくれよ、さあどうだい!と挑戦的な触発、
作成者の策略が巧みすぎるくらいにつたわってくるから
私などはあやしいと疑ってみるけれど、
受験会場でしかも短時間で回答しようと焦る受験生には冷静に判断するには、難しいのかもしれない。

最後にきて、主題やテーマを問う、読解の総仕上げ問題がガツンときてトドメだ。

古文も塾の先生が手をやくような設問形式もあり、
良問ばかり解いていた受験生には手荒な内容だったようだ。

大学は論文を読み書きするのが常だから、
これくらい出来ないと入学後が大変になるよ、というハードルなんだろうな。


ともあれ、彼女のセンターはこれにてひとまず終了。

ホッとする間もなく、次なるステップにすでにコマを進めているようである。

翌日の新聞に掲載された
河合塾のコピーには

「自分の夢まで自己採点しないでください」。

泣ける広告であった。じんわり来た。
諦めるな、受験生よ!最後までガンバレ!









センター試験当日、母はひょんなことからお伊勢さんに

2013-01-25 20:58:36 | 今日もいい一日



先日の続きである。
まだ5日ばかり前のことなのに、2週間も前のようだ。
その時の空の色や空気の動き方、会話などを思い出しながら淡々と記してみようと思う。


19日(土)はセンター試験の第一日目だった。

まだ世が明けきらないうちに目覚め、娘を起こしてから台所の鉄瓶に湯をわかした。
新しい何かが動き出す前の静謐な朝。
そのシンとした部屋の空気感とはうってかわって、彼女は妙にはしゃいだ顔で姿をみせ、
夜明けの日の出をチラリとみて、すぐに窓をしめる。
本当に純粋極まりのない幼気なその人なのだった。

お弁当は一口カツと鰻入りの玉子焼き、サツマイモと人参の甘煮、
ブロッコリー、ミニトマトのサラダ。
ごはんと梅干し。

それから朝食は、胡麻豆腐とお味噌汁、小松菜の和え物。
あとはお弁当の残りを小さなお皿に盛った。

7時20分過ぎに、いつものように駅まで送迎。
フロントガラスは凍り付いて吐く息も白いが、
キラキラとした太陽の明るさが、私たちの高揚感を後押ししてくれるようで
明るく笑い合って、手を振って別れた。「頑張ってね、深呼吸してね」
「大丈夫だから」

なんだか、不安そうな彼女とは相反して、妙に肝が座って
落ち着いた心境の私なのであった。


それから、大急ぎで身支度をして、
私は大阪環状線にのり近鉄鶴橋駅へ向かっていた。
なんと私はこの日、もうひとつのイベントが待っていたのだ。
実は高校時代の友人yさんが、「一生に一度は伊勢参りしたいと思ってね」と
1月初旬に、ノリで誘ってくれて、迷ったあげくこうして同行しているのである。

娘はセンター初日だというのに、不謹慎ではないかしら。
自分の胸に何度も手をあてながら、
それでも御利益があるかも、という小さな希望をもって特急電車(近鉄)の旅を愉しもうとしていた。

車窓からみる山々や田畑、民家の景観は平和そのもの、
三重県に近づくにつれ、まるで季節はうってかわって春のようなポカポカ陽気なのだ。
「気持ちいいね今日のお天気」「元気そうで良かったわ」そう語り合いながら、


ふとIフォンをみると1本のメール着信が。

「一番前のど真ん中」。


絵文字すらない素っ気ないメール。
小さな震えるようなメッセージだ。

そりゃ、1番前ならiPhoneも打てないだろう。そう思いなおす。
彼女の心臓の鼓動までこちらまで伝わってくるようで、一瞬、晴れやかな気持ちが
いっぺんに吹き飛んだ。

それでも久しぶりの級友との会話は懐かしさにあふれ、居心地のいい温かさと、
ほんのり緊張感を乗せて、私たちは、「伊勢市」へと向かったのである。

外苑の鳥居をくぐると、そこはまるで春の森(神苑)だ。
さすがは天照大神様(太陽神)。

ギュッギュッと玉砂利を鳴らしながら空を見あげれば、
清々しい木々と太陽と社がかもし出す、万物のパワーに圧倒される。




御正宮を参拝し、風宮、多賀宮、土宮を参拝。
普段はパワースポットにそれほど関心があるわけではないのだが、
「三つ石」の近くにはお賽銭が納められていて、
みんなが手をかざしているので。
私も便乗して、ゆっくりと手をだすと、微妙にある一定の場所が温かい。そして
ビリビリッと痺れるような反応が。
えっ?と思い再び手を近づけると
今度は腕全体に波動が走ったようになって、ビックリ仰天。

外苑を歩いている間、ずっと手に余韻も。すごいなあ。初めて体感した神宮様の凄さに強い衝撃を覚え、
一緒にいた友達は、「ある場所だけは手が温かくなった」
と、しきりに訴えていた。

外宮の自然や池を眺めて、
しばし、ほっ、とする。



それからバスにのって内宮へ。

こちらは、木々の素晴らしさも勿論だか、
宇治橋をわたるとすぐに凜とした御姿で現れる五十鈴川のせせらぎの美しさが、
なんといっても素晴らしい。

玉砂利の道の左右に広がる手入れの届いた芝生や松の緑、
そして五十鈴川のキラキラとした
神秘の水。河川。







この流れは十キロ先の二見浦まで続き、私たちの心の汚れを海の潮で清めてくれるのだという。

二の鳥居をくぐり、神楽殿へ。
このあたりから樹齢7百年あまりの太い神杉に迎えられ、
厳かな霊気につつまれる。



石の階段を何段も上がって
清浄な心持ちになって、
御正宮へと御参拝である。

そのときだ。

内側からものすごい風が吹いてきて、
あらま、とおもう間もなく
白い生絹がバサバサとめくれあがった。
昨年3月に訪れた時は、風に揺れ震えるさまをみて、
とても礼的な心地になったのだが、
今回は両手を合わせようとしていたところだったので、思わず不謹慎にも
目を開けてしまったのだ。

目を閉じなさい。めっそうもない。
しかし、一瞬、しっかりと対面した。
今、ちょうど娘は国語の入試時間だなと思っていたところだったので、
一心に、頭を下げた。

不思議な、あらたさに感激する。


やはり私の祖先も絶対に日本人に違いない。そうDNAが言っているから。
いつ訪れても故郷のようであり、どこか懐かしい。
小さい頃に父に手をひかれて何度か参拝したから、そう思うのだろうか。


この日は、荒祭宮(精神的、活動的な神様で困った時に助けてくださるとか)へも立ち寄り、
橋をわたって風日祈宮へも。

それからおかげ横丁で知る人ぞ知る「岡田屋」の伊勢うどんと、赤福餅だけを
30分足らずで、お腹のなかに入れて、伊勢を後にする。

3時5分の特急に乗らねばならない。
そう、今回の旅は近鉄の「伊勢の神宮 正宮 別宮 おかげ参り」ご朱院巡りきっぷ(往復6千円)を
友達がとってくれたので、余計な寄り道は一切なしである。

それもまた、善しだろう。

しかし、岡田屋のうどんは柔らかいのに太麺のモチモチのうどんで、
おだしの加減も、ほんのり上品さを残した甘口で実に良かった。
並んで入った甲斐があった。



同行した友達は、次に伊勢に行くときも必ず立ち寄ると、何度も頷いていた。

帰り途は思いのほか、ゆったりしたバスの運転手さんに遭遇し、思いっきり階段をかけ上がって
息を切らして近鉄特急のホームへ。しかし、寸分の差で電車は発車してしまい、
愕然としたが、ある親切な車掌さんのおかげで、40分遅れの特急で「鶴橋」まで帰ることができた。


いい旅だったな。ふいにおとずれた伊勢弾丸ツアー、
いま振り返ってみても懐かしい友達の顔と晴れやかな伊勢の木々や自然が淡々と浮かぶ。

さあ、センター試験1日目。
結果は「出来たわけでもないし、出来なかったわけでもない」。
それが彼女の感想だ。
表情は明るすぎるくらいで。でもまあ、いろいろ詮索しないでおこう。
1月19日は長い、長い一日。うららかな週末となった。
こちらまで、妙に盛り上がってしまって夜の団欒は、ハイテンションな陽気さで食卓を囲んだように記憶している。






センター前日のメニューは鰻の蒲焼き

2013-01-22 19:27:15 | 今日もいい一日


センター試験の前日のメニューは何にしようかと考えたあげく、
メイン料理は「鰻」にした。

私はここのところ、ひどい歯痛に悩まされていて、肩や首にシップを貼ったり、
鎮痛剤「イブ」にお世話になったりしながらどうにかやりすごし、

それでも夜中には何度も目がさめて何時間も痛くて眠れない日々が続いていたので、
もう我慢できないとばかりに、センター前日に歯医者に行く定めになってしまったのである。

「ああ、一番奥が虫歯ですね。次は神経をぬいてもらいます」
と診察は10分で終わり。痛みの根本に薬を入れてもらって歯医者を後にする。

それから大急ぎで最寄りのデパートへと駆け込む。
もうすぐ彼女が塾から帰ってくるから、今日はちょっとだけ奮発しなければ。

真っ先に目に飛び込んできたのが、葉厚のおいしそうな小松菜だったので、「とようけ茶屋」でお揚げを買った。
明日のお弁当用は縁起を担いで「一口かつ」にしよう。
確か「365日受験生の母ができること」の渡辺あきこさんの料理本にも、
ノリおむすびとカツは入っていたしね!
それから、高野山の「ごま豆腐」。
「ビゴのパン」でカレーパンとメロンパンとフランスパンを買って、
この日の買い物のフェナーレは鰻萬の「鰻蒲焼き」2千円也!

高い!高いが鰻は、たんぱく質もビタミンA・B1・B2も豊富だ。
なにより稀少な静岡産のよく身の締まった鰻が店頭に並べられていたのを見たからには、買うしかないね。

それから晩御飯の買い物を終える頃に、ちょうどメールがあって
駅の駐車場で待ち合わせして、一緒に帰ったのだ。

吐く息が白い。明日は寒くなりそうだ。

7時半には、「小松菜とあげのたいたん」と「胡麻豆腐」と「鰻の蒲焼き」、「ポテトサラダのブロッコリー入」が食卓に並んだ。

センター前日はさすがにテレビは付けないらしい。

そして。食事が終わった後で軽く流す感じで勉強するのかな、と思っていると
なんと前日だというのに、北野天満宮でもらったハチマキを頭に巻いて、塾の日本史の資料問題や
ファイナル演習の5冊分を必至でインプット作業らしい。

おいおい、本気モードですか。
5冊分を一気に覚えた後で、倫理・政治経済にとりかかるって?

本当に大丈夫?
アスリートだって本番のパフォーマンスを成功させるには、
前々日までに仕上げて、前日は軽く流すんじゃないの。

いよいよ心配になってきたが、仕方ない。笑顔、笑顔だ。

彼女は11時にお風呂にはいって、まだ参考書をベッドに持ち込む始末。
「明日は早く1時間前に開場につくから「陰山の倫理政経の半分は目を通せるし…」
唖然とした。
あんた昨日まで一体何やっていたのよ…。

ああ。今晩は眠れるだろうか。
それから私は眠る前に、鉄瓶でお湯をわかし、熱い白湯をいれて飲み干し、
ざわつく気持ちのままで12時半には床についた。








あの日の回想、そして食のこと

2013-01-18 10:44:55 | あぁ美味礼讃


昨日のことである。

ずっとブログを綴りたいと思っていて、リビングと子供部屋に掃除機をかけられたので、少し落ち着いてようやくデスクの前に座る気になった。

明日こそは一日中、家の掃除をしたいと思う。
トイレもお風呂も、台所もピカピカに磨き、不要なものは処分して、
整理整頓をしよう。

そうすることで、少しでも心がフラットになるかもしれない。

できれば、アダージョばかりを集めた「ベストオブベスト」のCDを聞きながら。

リストの「愛の夢第3番」や「ラ・カンパネラ」やドビュッシーの「月の光」「版画」などの音楽がふり注ぐなかでとても幸福な気持ちになって掃除がしたい。

実は今日も掃除、を予定にいれていたのだが、大幅に狂ってしまった。
理由は、うちの受験生が高校生活で始めて学校を休んだことも、要因だったのだろうか。

そう、彼女がいつもギリギリまで登校準備が間に合わないことは常であり、
「ママ駅まで車出して…」とお願いされることも、これまた日常茶飯事なのだが、

駐車場に向かったら車は凍結していて、家に戻ってお湯を汲みに行く時間もないなあ…と考え、迷ったあげくに、

フロントガラスが凍結して霜に覆われた状態で、ノロノロ運転で家の前まで辿り着き、
そこから霜を取り除く作業をしたので、駅に到着したらナント、電車は過ぎ去った後…という始末なのだった。

あ~あ。と思いながら、
アクセルと踏み込もうとした瞬間に、見慣れた薄紫のシュシュとポニーテールの頭がみえた。あれ?

「私、遅刻は絶対にいやだから今日は休む。家で勉強する」。

そう言って、再び彼女は車に乗り込んできたのである。

今日は入稿前で電話がガンガン鳴りっぱなしなのに、

おかげでリビングではセンターの過去問を解いていたりするから、いつもの甲高い声が出せない。
電話はなるし、メール音はなるし、どんどんこちらもいつもの大きな声になっていくしで…。ちょっとイライラしていたら、リビングの向こうから彼女は言った。

「家は携帯の電話がうるさいし、ママの切羽詰まった声で話すのを聞いていたら、しんどくなってきた。やっぱり塾に行く…」。
あらら。わたし、切迫つまってた?
そうでもないと思うんだけどな。

しかしながら、彼女は、
11時過ぎにお弁当を食べ、スープポットの野菜たっぷりのコンソメスープを全部飲み干し、デザートのいちごまで食べて、
家を飛び出していったのであった。ああ、申し訳ない。でも内心ほっとした。

だから、せめて、
お部屋でもお掃除してさしあげましょう、という感じなのであった。

さて、本題の話を…。
1月10日(木)に時間をさかのぼっていこう。
この日は、毎年恒例のライター友達と西宮神社の戎さんに参拝に行った。
よく晴れた日だったと思う。

4時頃に到着した時には、混み具合も普通で、本殿までは長い列はなしていなかった。沢山並んだ屋台からもおいしそうな匂いがこぼれていた。

毎年の光景をぼんやり眺めながらも、ともかく参拝と西宮神社の本殿前で財布をあけると、
お賽銭用の小銭が5円、1円。
という哀しい懐事情に遭遇し愕然としたが、それでも樋口一葉さんや福沢諭吉さんを入れるほどの勇気がなくて、少ない有り金を賽銭箱に。
まあ、こんなことで御利益はあるのかしら。

それでも、3千円の福笹と一緒に、今年は「福銭」と書かれた御守りを買った。
金色にキラキラ光って、きれいなのが嬉しかった。



それから、今年はイタリアンバルの「Gastronomia e Bar Giulietta」 (ガストロミーア エ バール ジュリエッタ)へ。

ここは、一昨年には5回くらい足を運んだと思う。
それも春から秋にかけて。
あったかい季節には、店の扉を開け放って風がぬけていくのが心地よく、いつ訪れても人・人・人で賑やかで。
気取っていなくて。イタリアのバルさながら、上品でない店構えも好きなのだった。

この日は、赤ワインを3杯ほど飲んで、前菜の盛り合わせを注文し、
生牡蠣を食べて、ラザニアを食べて、
ほたて貝と菜の花のサラダを食べて、
ゴルゴンゾーラのパスタを食べた。



おいしかった。

おいしかったが、もっとモリモリと食欲がわき上がってくるはずなのに、
思ったほど食べられない自分の胃袋を疑った。

その昔、ここのカウンターに座って外からの風に吹かれながら、今日食べたいろいろに加えて、
レバーペーストやチーズの盛り合わせや、野菜サラダ、手づくりソーセージ、子羊ロースト、バジルソースのパスタや魚介のパスタ、
チョコレートケーキなどを食べても、まだ食べたかった頃がちょっぴり懐かしい。

もっと料理の出来上がる臨場感が味わえたような気がするんだけど
まあ、その日、その日の楽しみ方があるので気にしないでおこう。

私たちはこの日、ワインを飲みながら、仕事の話や食談義、フェイスブックについて、
そして人との関わり合い方などを、いろいろ語り合った。

彼女との会話はいつも愉しい。建設的な話になることが多く、いつも刺激を感じる。近くなら、毎日でも会いたいと想う。

この日も、彼女は食談義のなかで、
「おいしい、おいしくないというのはその人の、味覚の好みの問題も大いにあると思うわ」というような事をいった。「私は基本的に、食べて幸せになれるものが好き」と。

そうだなあ。好みかぁ。確かにそうだなあ。

家にかえってお風呂に入りながら再び、考える。
わたしは22歳から食の取材を繰り返してきて、どんな料理をおいしい!と定義づけているのだろうかと。
私の好みのおいしさ、って?なんだろうかと。

うちの父は旅館の経営者で料理人だったから、職人そのものには大いに興味があるんだけど、
それでも決して職人の手技からなる渾身の一皿というものだけに、感動するタイプじゃないなあ。
人柄のいい料理人のつくる、ごはんは確かに好きなんだけど。
また、つくり手の心意気を感じられる一皿には確かにテンションもあがり、脱帽もするけれど、それでも…、
再び足を運びたくなる店の料理って、なんなのかなあ。

人が醸し出す、店の雰囲気もたいせつなポイント。

私が好きなのは、そう野菜であれ、
肉料理であれ、魚介類であれ、異国の料理であれ
生きている味わい、が大好きだ。

素材の生きている生命力というか、そのもののちから(power)がストレートにこちらにも伝わってくる料理が
好きなんじゃあないんだろうかしら。
言葉をいい替えると、いきいきした味!かな(勢いのあるおいしさ、とも)。
それは、ものすごくこってりした重い味であっても、
シンプルすぎるくらいシンプルで、料理人のひと手間だけという料理であっても、
そんなのはあまり重要でない。

生きているエネルギーのあるものを食べた時に、私の食欲は一気に花開く。
ものすごい勢いでそれを平らげてしまう。そんな時は感動して、
インタビューしていても職人の顔がまともにみれないほど、うれしくて、感動する。
泣いてしまうのである。

野生的なのだ、わたしは。

だからコンビニのごはんとか、
既成の冷凍食品にありがちな、
妙に整った味は苦手だ。

ほんとうに時々はっとするような本物の、
そう私が思う本物に出会えるからまた、味の旅・食の旅を求め続けるのかもしれないな。



生命力のあるものを、しっかり自分のなかで受けとめられるように、
普段から体調と舌を準備しておかないとね。

今、わが家の受験生がお風呂からあがり、私の部屋に来て「おやすみなさい」を言いにきた。

真っ黒な瞳をらんらんと輝かせながら、いくつもの不安を口にする。
どうしたら「明日にならなくて済むんだろう」と本気で言っていた。

ガンバレ、受験生よ。あと2日でセンター試験だ。

合格祈願に、京都の北野天満宮へ行く

2013-01-09 19:21:04 | 今日もいい一日


2013年は、晴れの日が多い。あったかい。
いつまで、こういった好天が続くのだろうか、あんまり素晴らしすぎて怖くなるほどである。

昼には、冬の太陽がエネルギーを発散させながら燦々と照り輝いて
6時以降になると、ポキンと折れそうなお月様が空に浮かぶ。
そんな平和が、幸せである。

1月2日(水曜日)は、午前中の早い時間に「北野天満宮」へ参拝した。


京都市内のバスは大渋滞で、3時間もかかってようやく到着し、
社殿までさらに1時間近く並ぶことになったのだが、
それでも訪れてほんとうによかったと、今も思う。






はらはらと小雨がふる曇り空のなかにあって、
細く硬く、しなるような黒々とした枝をした梅の木は、
寒空に負けじと勇敢に、身をくねらせて
紅梅と白梅は、しっかりと固く閉じた蕾を内包して
すでに色を帯びていた。

それに天満宮の文字はやっぱり素晴らしいなあ。







などといいながら、隣に参列していたはずの、わが家の受験生は
ふと隣を見ると私の少し後にいたはずが
どんどん離れてしまっている。
あれ?おかしいなと思いずっと後へ駆け寄ると
「わたし、絶対にセンターを外さないの」だって。

ど真ん中から社殿を目指していた。
普段と違うキリッとした物言いに、
なるほどねと、笑い出したいような心境になったのだけれど、
ここは微笑むだけにしておいた。


わが家の受験生(なっちゃん)は、
思いがけず北野天満宮の本殿で合格祈願の祈祷を受ることになった。

それは、若い神司のすばらしく歌いあげるような御経が、
ほんとうに堂々としてお堂内に響く美声だったから、なのだと思う。
ふと隣をみると、真っ赤な目から今にも涙がこぼれそうで、
びくん、とした。


住所と名前を朗々と歌いあげられた瞬間には、彼女の両手はしっかりとあわさったままで
静かに頭を下げ
さすがに真剣なんだ、そう感じると
じわっと感動して、もらい泣きした。

それから、いただいた中から合格祈願の絵馬を書いて、
社殿に奉納する書き初めを
ドキドキしながら書いた。

撒餞のなかには、天満宮えんぴつ、蛍光ペン、絵馬、箸、勧学守り、お茶、お札、はちまきがセット。

あんなに丁寧に祈祷してもらって、これだけの品々を持って帰れるとは、すごい!

結果はもちろん大事なことなのだけれど、
今この瞬間、娘のこういった、たいせつな場面に
立ち会えたこと、それら全てに、
意味がある。感謝である。

18年間、一番近くでこの人の成長をみることができて、
私はなんて幸せもの。
ほんとうに彼女の存在そのものが
誇らしいと心から思った瞬間だった!





歳神さまはおわします

2013-01-01 23:08:26 | 春夏秋冬の風



2013年 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


2013年元旦の朝は、穏やかに晴れあがった気持ちのいい天気の日だった。



目覚めるとカーテンをあけて、東の空の日の出を見る。


それから、神棚のお供えを整え、食事の準備にとりかかる。

御神酒を飲み、おせち料理と雑煮をいただいて、
食後には花びら餅と煎茶を飲む。


歳神様をお迎えするために、お正月は、清々しい心でいなければならない。

家を美しく清潔にして整え、
きれいなものを着て、
希望にみちた挨拶を交わしあい、
縁起ものである良い物を口にし、
神社や寺院に参拝して心身を
浄化する。

昨日までの何もかもを、全てふりだしに戻すことができる一年に一度のチャンス!
お正月はそんな希望の一日である。


まずは、今年のお年賀の話をすこし。
今年は、友達につくってもらった新しい名刺が12月末に仕上がってきたので、それらを題材にした年賀状を3パターンつくってみた。

「慶賀な春に、名刺を一新しました。」というキャッチフレーズで。



● 京都・洛西の名社、大原野神社「千眼桜」を背景に
● 天平人の天皇が愛用した宝物「木画紫檀双六局」の上に、さりげなく置いた名刺の図案
● ぎおん小森の「抹茶クリームあんみつ」と名刺のコラボ


広告制作会社を退職してフリーになってからもう12年、
お付き合いいただいた全ての「人」に感謝をこめた年賀状にしたいというのが、
今年の私のコンセプトであった。

わが家の受験生は「大晦日センター模試」(国語)と「センター過去問」を始めている。私たち外野はそれを見守りながら、年賀状の宛名書きなど。

そうやって、例年とは全く違う受験モードの、ちょっぴりピリピリしている独特の緊張感とともに幕開けたわが家の年始めであった。

ことしの目標は
じぶんの壁を打ち破って挑戦すること。

これまでじぶん自身でめぐらしてきた既成概念の壁を取り払いたい。そして、地道に機嫌よく、努力したものを積み上げていきたい。

そこから得たエネルギーや真理を
人、たちのなにかを動かす力に
有効活用できれば、とてもうれしい。